およそ半年前。

 星崎ほしざき廼乃ののと出会った後にモモが考えたのは、アカリとメノウ、その両方を助ける方法だ。

「星崎廼乃は、先輩がアカリを助けるために、自分の肉体を譲り渡すと予言しました」

 メノウはアカリを助けることを優先するだろう。その意思を踏みにじってメノウを助けたとしても、アカリを犠牲にしてはメノウが傷つく。渋々ながら、モモにはその予測を認めるだけの度量があった。

「だから二人とも助ければ文句がないと思うんですよ」

「ほうほう」

 相談相手は、三原色の魔導兵、アビリティ・コントロールだった。

 星崎廼乃の予言に従って北大陸の中央部に来てみれば、『絡繰り世』を囲む白夜の結界がほころんだ空間の穴から抜け出した一体の魔導兵がいたのだ。

 幻想的なほど美しい、青い蝶々。

 人間と同じ大きさの蝶の姿をした魔導兵が、機械的な音声で返答する。

「それって私に、なんの関係があるの?」

 故郷が欲しいと語るアビィが問いかける。そのために必要な要素となる『妹』が生まれた気配を察して、彼女はいち早く『絡繰り世』を抜けて人類の住まう世界に飛び出した。

「アカリを助けるために協力すれば、私もお前に協力してやります。取り急ぎ、こいつの隠し場所にお前を使いたいですね」

「協力するのにやぶさかじゃないけど、そのメノウちゃん? とやらのいる場所はわかる?」

「聖地から出て……ちょうど、この辺りですね。でも合流できますか? 街中で人を探すのは、かなり困難ですよ」

「ある程度の範囲まで近寄れば、気配でわかるよ。妹ちゃんは、特殊だから」

 地図を取り出して、とある街を示す。メノウの思考回路からして、モモが指差した街で合流できるはずだ。

「星崎廼乃の予言について、どう思います?」

「信ぴょう性はあるかな。確かに、永久機関の種になる気配は感じたから」

 星崎廼乃は、モモに対して近い未来に起こることについての情報を与えた。

「問題はさ。『絡繰り世』に干渉するための儀式場が必要なんだよね」

 永久導力機関による世界移動というアビィの話はモモの常識からすると、だいぶ遠大だった。

「儀式魔導の使い手に、一人だけ心当たりがあります」

「ほんとっ?」

 フーズヤードだ。モモの目から見て、変態的ともいえる儀式魔導の技術を持つ人物である。

 いま彼女は、ミシェルと一緒にメノウを追いかける異端審問官になっているはずだ。それに合流して誘導すれば、アビィと時期を合わせて『絡繰り世』に儀式場をつくる展開にできる。

「私がそいつを『絡繰り世』に引っ張って儀式場をつくるように仕向ける代わりに、提供して欲しいものがあります」

 モモはアカリの肉体が『塩の剣』の浸食から脱するために必要なものを、アビィに告げる。

「んー、そうだね……それを使う人の分析に時間をもらえれば、造れるよ」

 モモの要求を聞いたアビィは、そう難しいものでもないと請け負った。

 互いに互いが必要とする要素につながっている。悔しいが、星崎廼乃はこれを見越していたのだろう。

「協力しましょう、アビリティ・コントロール」

「うん。お願いね、モモちゃん」

 そうしてモモとアビィは、自分たちの居場所のために、協力関係を結んだ。



 勝った。

 モモは会心の勝利に拳を握った。【回帰】の自動発動は死亡が条件だ。下手に殺さず、意識を刈り取るのが勝利への近道なのである。

 だが、これで終わりではないことをモモはわかっていた。

「……負けたのね、私」

 早くも意識を取り戻したのか。仰向あおむけになっているメノウが、呆然ぼうぜんと呟く。

「でも、もう手遅れなのよ」

 一房だけ残っていたメノウ本来の髪色が、徐々に黒く染まる。モモに向けて撃った【停止】で限界だったのか。もはや逆らいようもなく、メノウの体が純粋概念にむしばまれる。

「手遅れになんかさせないって、まだわかってくれないんですね」

 モモが動く。まず素早く視線を向けたのは、トキトウ・アカリだ。

【時】に固定されていたアカリの姿勢が、崩れた。

 メノウとアカリは、相互の導力接続をすることで魂の経路をつなげた。メノウの精神が摩耗する分、アカリの存在がメノウを侵食して顔を出すこととなった。

 メノウは、それを承知で純粋概念を使った。

 自分の体を、アカリに明け渡すためだ。

 メノウがその計画に踏み切る覚悟を固めたのは、星崎ほしざき廼乃ののからの一言がきっかけだ。

 ──『塩の剣』の効果を解除する方法はない。

【星】の純粋概念を持つ彼女が断言したことで、メノウはアカリの肉体を救うことを諦めた。事前に選択肢として用意していた、自分自身の体をアカリに明け渡すという計画を実行した。

 だがそんな真似を、モモが黙って見過ごすわけがない。

 モモがメノウとアカリを一緒に助けるには、メノウが一度、人災ヒューマン・エラーとなるほど追い込まれる必要があった。ミシェルとメノウが戦うように誘導したのも、モモ自身がメノウと戦ったのも、そのためだ。

 モモはメノウの腕を摑んだまま、アカリの手を握る。メノウとアカリ、二人の間をモモが繫いでいる形だ。

 そして、両方にモモが導力を流した。

『導力:接続(経由・モモ)──トキトウ・アカリ──精神・魂──』

 導力の、人体接続。よほど信頼している者同士でも、神経をかんなで削るかのような痛みを伴う行為だ。ましてモモとアカリだ。信頼関係すらおぼつかない。

「私は、お前のことが、大っ嫌いですけどッ」

 拒絶反応による激痛にさらされたモモは、奥歯を砕かんばかりに嚙みしめる。

「それでも、先輩を助けたいって気持ちは──他の誰よりも、信頼してやってるんです!!

 導力が、接続した。

 モモが、メノウの肉体に移りつつあったアカリの精神を、自分の肉体に引き寄せる。モモの肉体に、他者の精神が入り込むたとえようもない不快感と痛みが走る。

「こ、のッ程度ぉ……! お前と話してるときのムカつきに、比べれば!! 屁でもないです!」

 常人なら一瞬で正気を失う意識の混濁を、渾身の精神力で耐え抜いてアカリの肉体へと流し込む。

 成功した。メノウの髪の色から黒が抜ける。体を支配しつつあったアカリが、元の肉体に戻った。

 だが、まだだ。

 塩の剣が突き刺さってから続いていたアカリの時間停止が解けたのだ。

【時】の概念は人災ヒューマン・エラーとなったメノウに宿っている。【時】の純粋概念がいまのアカリの体を守る必要がなくなるのだ。

 アカリの胸に刺さった塩の破片が、侵食を始める。【星】の純粋概念を持つ廼乃をして、止める手段がないと言わしめた塩化が始まる。

 モモは、ためらわなかった。

 アカリの胸元むなもとに手を突っ込む。止める手段がないのならば、最小限のうちに終わらせてしまえばいいのだ。

 指で皮膚を破り、肉に食い込ませ、迷わず彼女の心臓ごと塩の刃を取り出した。

 モモが放り捨てた肉片が、空中で塩に変わった。

 塩の侵食は絶対だが、切除すればその範囲を塩化するだけで終わる。

 からん、と塩の刃の破片が地面に落ちる。肉片だった塩が宙に散る。

 アカリを蝕む塩の侵食は止まった。

 だがモモがアカリに与えた傷は、あきらかな致命傷だ。心臓の半分をえぐり出され、大量の血が吹き出す。

 一般的な魔導に、人の傷をいやすものはない。純粋概念は例外だが、モモに行使は不可能だ。これではアカリが塩になって死ぬか、出血多量で死ぬかの差でしかない。

 だが治癒はなくとも、欠損した肉体を補う魔導技術は存在する。

 モモは半壊したキャリーケースから、赤い導器を取り出した。

 アビィがミシェルを巻き込む精神魔導を発動させる直前に受け取ったものだ。

 人体に適合する導力義体──その心臓だ。サハラが付けていたような導力義肢と比べ、内臓機能の代行は極めて高度であり、人体へ適合させる調整も困難を極めるが、この模造心臓に関しては問題がないという確信がモモにはあった。

 なにせ半年という時間をかけ、アカリの肉体を預かっていたアビィが彼女の体を分析して適合するように調整して造った、専用の模造心臓だ。

 モモはぽっかりと空いたアカリの胸部に、それをはめ込んだ。

 アカリのために造られた原色概念の心臓は、あふれ出る血潮すらも吸い取って、欠損部に適合した。傷つきながらも残っていた本物の心臓と融合して遜色のない鼓動を打ち、血管と結合して血液を循環させアカリの生命をつなげる。もともと心臓を丸ごと取り換えるつもりだったため、余剰分でモモが抉ったアカリの骨肉の補修も始める。

 ほう、とモモは安堵の息を吐く。

 これで、アカリは大丈夫だ。胸元に多少の傷は残るだろうが、命には別条ない。

 モモは致命傷から脱したアカリの胸元に、メノウが持っていた教典を置く。

 この教典の中には、アカリの記憶が情報として保存されている。

 導力の相互接続でメノウが共有していたアカリの記憶。半年前にメノウは、その記憶をモモが持っていた教典に流し込んだのだ。いつかアカリが目を覚ました時、いつでもモモが彼女の記憶を戻せるように、保険をかけていた。その教典を、モモは遺跡街でアビィを経由してメノウに返した。メノウへの純粋概念の侵食具合を確認して、自分が持つより【回帰】が自動発動するメノウの手元にあったほうが安全だと判断したからだ。

 教典からアカリの体へと、記憶が移動していく。アカリの肉体と記憶、両方の問題は解決した。放っておけば目を覚ますはずだ。

 アカリの救済を終えたモモは、後ろを振り返る。

 ここからは、モモにとってもけだ。

 メノウの記憶を、取り戻さなければならない。

 そうでなければ、メノウが人災ヒューマン・エラーになってしまう。いいや、最悪、人災ヒューマン・エラーになってもいい。後で記憶さえ補充することができれば、メノウをもとに戻すことはできるのだ。

 焦るモモの前で、メノウの体から導力光があふれ出す。すでにメノウの精神は摩耗しきっていた。アカリの精神と魂は、先ほどの導力接続で元の体に戻っている。それでも、純粋概念はメノウの体に宿っていた。

 モモは祈るような思いでメノウを見つめる。

 メノウを構成する要素を埋め尽くした【時】は、その体が心の奥底で望んでいた時に針を合わせるため、世界に干渉する時間魔導を展開する。

『導力:接続──不正定着・純粋概念【時】──発動【世界回帰】』

 いつかのあの時に向かって、巨大な時計の針が、逆行を開始した。


 その【世界回帰】は、不完全だった。

 理由は定かではない。発動の媒体となったのが、召喚された異世界人の体ではなかったからか。考察ならいくらでもできるが、二度と起こらないだろう現象を議論するほど無駄なこともない。

 結果として起こったのは、人災ヒューマン・エラーとなるはずの素材の消耗だ。

 人災ヒューマン・エラーとなったはずのメノウの体が、みるみるうちに老いていく。十代の少女の瑞々しさが失われ、百を超えて肉体がしおれていき、骨だけが残る。

 世界を巻き戻して回帰しようとする【時】の負担で、メノウという肉体が失われるのにかかった時間は、わずか数分だった。

 だがその数分の回帰は、大きく世界を変えた。

 幾度も【世界回帰】にさらされ、限界を超えてひび割れていた千年の結界を打ち壊したのだ。

 メノウというなり損ないの人災ヒューマン・エラーが起こしたたった数分の【世界回帰】は、二つの巨大な結界に最後の一押しになる負荷を与えた。東部を隔離していた白夜の結界を消し去り、南方の海を包んでいた霧の結界を霧散させ、そして──。


 ──トキトウ・アカリは目を覚ました。

「あれ?」

 アカリの記憶は、一人の少女と出会ったところで途切れている。メノウとよく似た顔をしているのに、仄暗ほのぐらく、なにより悲しい目をしていた少女だ。

 彼女によって、自分の記憶が消されたはずだ。いま起きるまで何度か夢を見た気がするが、その記憶も潮が引くようにあっという間に遠ざかっていく。

「ええっと……うん。大丈夫。わたしは西彫にしぼり学園高校、一年三組の時任ときとう灯里あかりです、っと」