「立て。貴様もわかっているだろう」

 だが、まだ終わっていないことはミシェルも重々承知していた。

 巻き上がった土煙の中で、導力光が輝く。

『導力:接続──不正定着・純粋概念【時】──発動【回帰】』

 純粋概念の魔導【回帰】によって、メノウは死の淵からよみがえる。

 ミシェルの拳打による致命傷はもちろん、切り落とされた右腕から服の汚れまで、メノウの死にまつわる時間をなかったことにした。

『導力:接続──短剣銃・紋章──発動【導枝:銃身バレル】』

 短剣から発生した導力の枝によって、銃身が形成される。

 メノウは光り輝く銃口を、ミシェルへと向けた。

『導力:接続──不正定着・純粋概念【時】──発動【加速】』

 出し惜しみはしなかった。

 もはや何倍かもわからないほど加速をした弾丸が、轟音ごうおんを立てて撃ち放たれる。抑えきれない反動にメノウの両腕が跳ね上がる。

 概念的な加速の限界を突破した弾丸は、時間を置き去りに空気を砕いて距離を消し去った。

 ミシェルが大剣を振るった。彼女の身の丈ほどもある断罪剣の刃が【加速】を付与した弾丸を叩き斬る。

 空中に火花が散る。真っ二つになった弾丸がミシェルの背後で着弾してクレーターを穿うがつ。

 落雷がごとき神速の一閃いっせんは、メノウが放った加速弾の速度を超越していた。人間に──物理的に可能なのかと疑問符が付くほどの動きは、もはや超常現象の一種だ。

 刃風が衝撃波となって波打ち大気を揺らした。一振りの余波が、間合いの遥か外にいるメノウの体を圧迫する。理外の剣を前に、唇を引き締める。

 戦闘に入ってから、ミシェルの一挙手一投足は並外れている。

 これが、あらゆる純粋概念の中でも最大最速と謳われた【龍】を模倣した、人体実験の成功者。魂から発生する圧倒的な導力で、【時】の純粋概念を扱うメノウを優越していた。

 導力強化の到達点ともいえる超人を目撃しながら、メノウのひとみから戦意は失せない。ミシェルが強いことなどわかりきっている。アカリとの導力接続でメノウも扱える導力量は跳ね上がっているが、ミシェルには及んでいない。だがなにも、正面で打ち合うばかりが戦いではない。

 メノウの姿がかき消えた。

 導力迷彩。

 病的なまでに導力操作を極め、導力光を調整することで視界を完全にあざむく技術だ。潜入、戦闘、あるいは日常ですら、おおよそどの場面でも役に立つ汎用性はんようせいを誇りながらも、魔導ではなく導力操作技術であるがゆえに、道具もなく使用できるという破格の技能だ。

 風景と同化したメノウは完全に気配を絶った。処刑人に至るまでの訓練で音を漏らさず移動する術は完璧に身につけている。

 正面戦闘での暗殺。

 矛盾した戦法を可能とするメノウの隠密を前に、ミシェルが大剣を持つ右手を強く握る。

 彼女は消えたメノウの気配を探ることなどしなかった。

 大剣に導力を、流す。

 紋章魔導の発動のために、ではない。

 ただ、流す。彼女の莫大な導力を一本の剣の中に流入し、圧縮し、凝縮し、本来の性質を転換させるほど暴力的に一本の剣に押し込める。

 姿を消したままミシェルの背後に回ったメノウが、刃を振るおうとした時だ。

 ミシェルが、大剣を地面に突き刺した。

 大地が爆発ばくはつした。切先のない断罪剣が地面に突き立てられた瞬間、ミシェルから流れ込んで内包していた大量の導力が解放され、衝撃波となって広がった。

 平地に、土砂の津波が発生する。

 大剣を突き刺したミシェルを中心にして大地がめくれ上がり、全方位への無体な質量攻撃となる。

 だがメノウにとって土砂以上に恐ろしいのが、導力の波だった。あまりにも強烈な導力の波紋が、メノウの体を突き抜ける。魔導的にはなんの指向性も与えられていないが、ミシェルから生まれた導力である。

 人間は、他人の導力が流入すると拒絶反応を起こす。魂すら揺さぶり、精神を乱し、肉体を震わせて導力操作を誤らせる。

 メノウの導力迷彩ががされた。たまらず姿を現したメノウを、ミシェルは完璧かんぺきとらえた。

『導力:接続──断罪剣・紋章──二重発動【水流・圧縮】』

 紋章魔導によって大剣から放たれた流水の一閃が、メノウを唐竹割りにした。

 静と動の完璧な切り替わり。膨大な出力による破壊と力に溺れることのない繊細な技術が組み合わさったミシェルは、奇跡の戦闘技術を誇る超人だ。

「ちっ」

 完璧に見えた自分の斬撃の結果に、ミシェルは舌打ちを飛ばした。

 メノウの姿を投影した【導枝】が砕けて消えた。短剣銃から伸ばした【導枝】に導力迷彩を投影することで、おとりを作ったのだ。ミシェルの知覚を欺いたのはもちろん、なにより驚嘆すべきは、あの導力の波の中でも自分の導力迷彩を維持しきったことである。

 豊富な導力と繊細な導力技術。

 その二つを持っているのは、いまのメノウも同じだ。

 ミシェルの死角で銃を構えたメノウは、静かに引き金をひく。

『導力:接続──不正定着・純粋概念【時】──発動【風化】』

 導力強化をしたミシェルは、並の攻撃では傷つけることもできない。だが、【時】の魔導を前にすれば物体の強弱など意味をなさない。メノウが構える銃口から放たれた魔導をとっさに受け止めたミシェルの右腕が、時間の重みにさらされ崩れていく。

 ミシェルは躊躇ためらわずに自分の腕を切り落とした。

 落ちた右腕が、塵に還る。

 明確なチャンスに見えるが、メノウは追撃しなかった。

 通常ならば勝利を決定づけるほどの傷だが、いまのメノウにとって致命傷が【回帰】で巻き戻されるように、ミシェルにとっても肉体の欠損は大きな問題ではない。

 ミシェルのなくなった右腕の輪郭を、導力光が形作る。世界が彼女の強烈な形を記憶しているかのように、失った肉体が元通りになる。

「わかるだろう。導力強化を極めすぎるとな、星のほうが私の形を覚えてしまうんだよ」

 おそらく、とメノウは目の前の現象の理屈を考察する。

 メノウも訪れた、魂の世界。ミシェルの強すぎる導力強化は、物質世界から魂の世界にまで干渉して、【ミシェル】という魔導現象を引き起こして彼女の肉体を維持しているのだ。

「お前も、私も、まともには死ねない身だ」

 ここまでの戦いは、いまから始まる戦闘の前哨戦でしかない。

【龍】の模倣であるミシェルと、【時】の純粋概念を扱うメノウ。

 この二人の戦いの本質は、肉体の傷つけ合いではない。

 純粋概念の代償であるメノウの記憶と、不死性を支えるミシェルの導力。

 どちらが先に尽きるかを争う、削り合いだ。

「泥試合を、覚悟しろよ」

 これから始まる試合模様を宣言したミシェルが、導力強化の出力を高める。

 彼女をおおう導力光がかさを増していく。いままでですら正面戦闘ではメノウを圧倒し続けていたというのに、まだ上があるのだ。

 ミシェルの全身を覆う導力光が、ゆったりと、しかし着実に出力を高めていく。

 メノウが人体の限界だと思った境界を突破しても、まだ。

 物理的にあり得るのかと驚嘆するほどの存在強度を超えても、まだ。

 魂の世界を経験したメノウが青ざめても、まだ。

 まだまだ、さらに、まだ。

 ミシェルという存在が、導力によって強化されていく。肉体の強度が上がるにつれて、ミシェルの存在が拡張していく。

「見ろ」

 殷々いんいんと、ミシェルの声が周囲に響く。

 導力によって強化された声帯が、ただの発声すら恐ろしく威厳のある声へと変貌させていた。

「これが、導力強化の行き着く先だ」

 メノウは、呆然ぼうぜんと相手をあおぐ。

 ミシェルの姿形は変わっていない。あくまで導力強化を高めたのであって、肉体的な変容は一切いっさい起こっていない。

 だというのに、あまりにも巨大に感じた。

 導力強化によって天井知らずに引き上げられた相手の存在感に、無意識のうちに気圧けおされたメノウが、思わず半歩、踵を後退させる。

 ミシェルが、軽く手を払った。

 それだけで、メノウの右胸が吹き飛ばされた。

「え?」

 なにが起こったか、理解が追いつかなかった。

 メノウとミシェルの間には、十歩分以上の間合いがある。ミシェルがなにかを投擲とうてきしたわけでも、魔導によって遠距離の攻撃をしたわけでもない。彼女は正真正銘、メノウから離れた場所で、虫でも払うような動作をしただけだ。

 ミシェルを覆う多量の導力光が彼女の動きに連動し、物質的な衝撃をともなってメノウの体を欠損させた。

「これ、は……」

 強い驚愕とは裏腹に、弱々しい声が漏れ出る。肉体の生命維持機能に必要な部位がごっそりとなくなり、メノウの意識が遠ざかる。

 過剰な導力強化の結果、世界がミシェルの存在を誤認して彼女が干渉できる範囲が広がったのだ。世界が誤認したミシェルの大きさの輪郭を導力光がかたどり、魔導を使っているわけでもないのに彼女の動作に連動して増幅された物理現象を引き起こしている。

『導力:接続──不正定着・純粋概念【時】──発動【回帰】』

 生命を失って、自動発動した回帰がメノウの命をつなぐ。

「冗談じゃ、ないわ……!」

 意識を取り戻したメノウの口から悪態が出た。

 強いということは知っていた。最大限、警戒はしていた。目一杯を想定して戦っていた。

 ミシェルは、そんなメノウの想定をやすやすと超えた。

 ミシェルの強さを見誤った。立ち上がったメノウは大きく背後に飛びのく。とにかく距離を取ろうとするメノウの動きに対して、ミシェルが一歩足を踏み出す。

「──っ!」

 ミシェルの動きに連動して、上から下へ、質量を持った導力光が落ちてきた。

 大地がえぐれた。ついでとばかりに、メノウは踏みつぶされて四散した。視界を覆う土煙が巻き起こる中、再びメノウが【回帰】する。

 なんの糸口をつかむこともなく、二度も死んだ。

 もはや勝負にすらなっていない。ミシェルは、ただ歩いただけである。それだけで、メノウがあっさり殺された。

 なるほど、こんな力を街中で解放するわけにはいかないだろう。いまのミシェルは子供が砂の城を崩すように、あっさりと街を一つ壊滅させることができてしまう。

 これが【龍】の純粋概念を模倣した、人間兵器の真骨頂。

「この程度か、『陽炎の後継フレアート』」

 ミシェルの声がとどろく。さほど力を込めたとも思えない発声が大気を打ち据え、導力強化をしているメノウの肌をびりびりと震わせる。もはや人間を相手にしているとは思えない。ミシェルは怪物的な存在へと成り上がっていた。

 一縷いちるの望みがあるとすれば、【時】の純粋概念だ。

『導力:接続──不正定着・純粋概念【時】──発動【加速】』

 メノウがすさまじい速度でミシェルに接近する。音速を超えてメノウ一人が静止した世界を動いているかのような速度域。もしも相手がただの神官ならば、目で捉えることも不可能だ。

 ミシェルは、あっさり追随した。

 メノウが神速で突き出した手首をつかんで骨ごとにぎり潰し、無造作に放った前りが情け容赦なく胴体に風穴を開ける。

 メノウの口から、信じられない量の血がこぼれ出た。再生を待つまでもなくミシェルが頭蓋へと手を伸ばすが、メノウも、ただでやられたわけではない。

【加速】した速度に対応される可能性は念頭にあった。

「ぼかんっ」

 メノウが爆発の擬音を呟くと同時に、死角に入り込んだ短剣の紋章魔導が起動する。

『導力:接続──短剣・紋章──発動【疾風】』

 メノウが発した声に一瞬だけ気を取られたミシェルの背後から、噴出する風を推進力にして爆発的な勢いで襲いかかる。

 同時にメノウは、指鉄砲をミシェルに向けていた。

『導力:接続──不正定着・純粋概念【時】──発動【風化】』

 急所ねらいの物理攻撃と、当たれば致命傷不可避の時間魔導。

 種類の違う二つで挟み込んだ攻撃で、ミシェルに一矢いっし報いる──ことは、できなかった。

 ミシェルはどちらも回避しなかった。

 短剣はミシェルの肌に触れたが、薄皮一枚貫くことなく弾かれる。【風化】の魔導に至っては、直撃したはずが効果を見せなかった。ミシェルの肉体かられ出して彼女を覆う導力に、【時】の魔導を構成する導力が削り殺され効力を失ったのだ。

 理不尽な結果に、メノウは愕然がくぜんと目を見開く。その顔面を、ミシェルの拳が木っ端みじんに破砕はさいする。

 圧倒的な強さだ。

 純粋概念を、人の身で退けている。メノウの死をなかったことにしようと、【回帰】の魔導が発動して肉体が巻き戻る。

「……」

 万全の状態に戻ったメノウは、呆然と自分の体を見下ろす。

 時間を巻き戻したメノウの体には、傷一つない。服の汚れすらも落ちている。体力も万全だ。

 再生して、だからどうするのか。

 勝ち筋が、まったく見えなかった。

「いいぞ。純粋概念を使い続けろ」

 遠くで腕を伸ばしたミシェルが、手のひらを握る。呼応して収束した質量を伴う導力光に、反応が遅れたメノウの全身が容赦なく潰される。

 再び【回帰】が発動する。もはや無意味に思えるというのに、メノウの死を許さず記憶を蝕み肉体を生きながらえさせる。

「記憶を失え。人災ヒューマン・エラーになれ」

 まったく、攻撃が通らない。そのくせ相手の所作は、すべて必殺。

 物理攻撃を弾くのはわかるが、純粋概念の魔導まで問答無用でねじ伏せるのは予想外だ。もはやメノウにはミシェルに通じる手段が、なにもなかった。

 だというのに、【回帰】はメノウに敗北を許さず、何度でもミシェルの前に命を突き出す。

「そうして現れる【時】を壊して、シラカミ・ハクアの目的をついえさせてくれる」

 徐々に、メノウがメノウでなくなる。短時間で連続した死に、五感が麻痺して意識が遠のく。【回帰】を繰り返しすぎて記憶が削れていく。メノウの自我があいまいになるにつれて、クリーム色の髪が黒ずんでいく。

「……っ」

『導力:接続──不正定着・純粋概念【時】──発動【停止・転移・断裂】』

 次の瞬間に起こったことは、その場の誰もが認識できなかった。

 まず、ミシェルが振り下した拳がなにもない空間で阻まれた。【停止】で固めた空気でミシェルの攻撃を防いだのだ。ほぼ同時に【転移】でミシェルを上空に飛ばして、空間切断によって彼女を両断した。

 黒と白が混ざりあったメノウが。

 純粋概念の三重発動。しかもそのうち二つは、メノウには通常空間ではどうしても行使することができなかった、時間概念から派生した空間魔導だ。

『導力:接続──短剣銃・紋章──発動【導枝:銃身バレル】』

 メノウの腕を覆うようにして、導枝の砲身が形成される。ハクアの分体を砕いた時よりもさらに巨大な砲口を持ち上げる。

 狙いは、空中に投げ出されながらも早くも再生しつつあったミシェルだ。

『導力:接続──不正定着・純粋概念【時】──発動【加速】』

 メノウの腕から放たれた砲弾が、ミシェルをはじき飛ばした。

 メノウが行使していた【時】などしょせんは不完全な切れ端だと言わんばかりの時間加速。

 物理限界を超えた砲弾は空気を燃やしてプラズマをまき散らし、反動で地響きを引き起こして地盤を一段沈下させる。

「──ははっ、それでこそだ!」

 戦闘らしい戦闘の高揚に、ミシェルが笑った。加速した砲弾に半身を吹き飛ばされながらも、彼女の導力はいささかも損なわれていない。ミシェルという名の【龍】の模型を定義づける圧倒的な導力に世界が従い、欠損した肉体を形成させる。

 着地したミシェルが大地を蹴った。本領を発揮した彼女にとって、地面という足場はあまりに脆い。砕けて地割れが広がる。構わず踏み込み、大地を揺らす震脚で拳を振るう。

「ッづ!」

「はッ!」

 二人のこぶしが至近距離で交錯する。お互い殴りつける度に肉体が弾けて、すぐに体を再生させる導力の残滓ざんしが血よりも鮮烈に飛び散って光輝く。

 その光景を、メノウは映画のスクリーンでも見るかのように第三者視点でぼんやりと眺めていた。

 戦いは激化の一途をたどった。少しずつ髪を黒くするメノウが放つ砲撃が地面に大穴を穿つ。ミシェルが振るう刃が大地を砕き、土砂を圧縮させる。もし二人の戦いを見る者がいても、人間同士が争っているとは思えないだろう。

 互いに地形を変える攻防のさなか、ミシェルの攻撃がメノウのこめかみを捉えた。

 地面が陥没する勢いで埋まったメノウを、ミシェルが追撃する。

 殴る。

 殴る。

 抵抗も、逃亡も、回帰による再生すら追いつかない勢いで、メノウを殴打する。

「がぁあああああ!」

 血まみれの拳を振り上げ、ミシェルが獣じみた咆哮ほうこうを上げる。拳を撃ち落とす度に、爆撃もかくやという衝撃に大地がたわむ。

 これで、終わりか。メノウが心の中で呟く。

 挽回ができる場面ではない。記憶も尽きようとしている。純粋概念の魔導は通じない。人災ヒューマン・エラーになってすら、ミシェルに勝てるビジョンが浮かばない。

 だが、メノウの体は動いた。彼女の中にいる誰かは、メノウがあきらめるほどの猛攻を受けても、心を折らなかった。

「メノウちゃんを……」

 メノウの体に宿りつつある黒い髪の少女が、わずかに残った指に導力を集中させる。

「メノウちゃんを、いじめるなぁあああああああああああああ!」

 その絶叫に、メノウの意識が目を見開いた。

『導力:接続──不正定着・純粋概念【時】──発動【風化】』

 周囲の地面一帯が、時の重みにさらされ砂と化した。思わぬ地形の変化にミシェルが足を取られる。

 体勢を崩したミシェルの胸元むなもとに、メノウの足裏が突き刺さった。

 予想外の反撃にミシェルが吹き飛ばされた。空中に浮いたミシェルに、黒髪のメノウは敵意をこめた視線を叩きつける。

 乗っ取るのでもなく、【時】に準じるでもなく、彼女はただ、メノウを守ろうとしていた。

 少しずつ、メノウの精神が取り戻されていく。メノウの体に定着するはずだった精神が、魂を削っている。彼女が削った分の余白に、メノウが存在する余地ができてしまっていた。

 予定外の恐怖が、メノウの精神を貫いた。

「う、あああああああああああああ!」

 メノウは絶叫した。これ以上、一秒たりとも自分の肉体を彼女に任せてはおけなかった。そのままにしたら、彼女は自分の魂を完全に損なうまで戦い抜く。それがはっきりとわかった。

 そんなことをさせるために、メノウは自分を諦めたわけではない。

 消えかけた記憶の欠片かけらを、握りしめる。自分の意識を表に引きずり出す。

 メノウが握ったのは、短剣銃だった。大切な誰かが使っていた武器だった。誰だという記憶はないが、その誰かから叩き込まれた技術がメノウを動かした。

『導力:接続──不正定着・純粋概念【時】──発動【断裂:付与】』

 先ほど問答無用でミシェルを切り裂いた攻撃。より人災ヒューマン・エラーに近づいたメノウは、空間切断を短剣銃に付与する。

 メノウの短剣銃の刃が、ミシェルの心臓に突き刺さった。

 ミシェルが瞠目どうもくする。人災ヒューマン・エラーになりかけた人間が、自力で意識を取り戻した。そんな例は、ミシェルも知らない。

 だが、そんな程度の例外では、ミシェルに劣勢をもたらすことはできない。

「なめるなッ!」

 ミシェルは一喝する。

 響いた声に乗った導力が、物理的な衝撃を伴って相手を打ちすえる。メノウは真っ正面から叩きつけられた音の波にこらえきれず吹き飛ばされる。

 開いた間合いに、ミシェルは大剣の刃をねじ込む。メノウが意識を取り戻そうと、戦況が反転するわけではない。たかが心臓に刃が突き刺さった程度、なんの阻害にもならない。

 彼女には自負があった。望まずに得た力ではあるが、だからこそハクアに選ばれた【使徒エルダー】の中でもミシェルは群を抜いて強い。不死性はもっとも低いが、強さという点において、他とは一線を画している。

 古代文明が技術のすいをもってして完成させた生物兵器が、彼女だ。

 最大にして最速の純粋概念【龍】の模倣実験。

 魔導技術が最盛期を迎えながら絶えず争っていた時代、人として最上の肉体を創りあげるために幾多もの犠牲者を積み上げて、ただ一人の成功作として生き残ったのが彼女だ。

 ミシェルの潜在導力は、一つの都市の導力を丸ごとまかなえるほどだ。都市といっても、いまの時代の都ではない。古代文明時代の大都市を一つ、賄うことができるという膨大な量だ。

 膨大な導力の運用が都市と違うのは、そのすべてを武力に使用できるという点にある。

 ミシェルが潜り抜けてきた死線は、メノウの比ではない。この世界で誰よりも戦い続けてきた。ありあまる導力の暴力。過剰なまでの戦闘経験。戦いのためのすべてを備えた彼女は、並みいる純粋概念すらひねり潰して生きてきた。

 どうせ、肉体は再生する。物質は、後で付いてくる。

 この世界の本質は、導力だ。

 物質ができる前に存在した、もっとも純粋なエネルギー。導力という【力】の世界に物質が付着して構成されている。星の源泉に満ちる導力が現在を綴り、世界の過去と未来が物質としてつむがれていく。広大で遠大な魔導現象である世界で、誰よりも強い導力を持つミシェルは、まさしく最強の存在だ。

 だから、負けるはずなどなかった。

『導力:接続』

 紋章魔導の気配が、ミシェルの胸元から発生した。

 ミシェルの視線が、自分の胸に落ちる。メノウの突き出した短剣銃が、深々と突き刺さっている。その短剣銃が、魔導発動の兆候を発している。

「は?」

 困惑がミシェルの口から漏れる。メノウはこの短剣銃に触れていないはずだ。いくら卓越した魔導行使者でも、経路がなければ魔導発動は不可能である。

『(経由・導糸)──』

 ミシェルに刺さった短剣銃には、きらきらと導力光をきらめかせる、極細の糸がついていた。

『短剣銃・紋章──』

【導糸】。

 細い導力の糸が繫がった先には、メノウがいた。

『発動【導枝:ヤドリギの剣】』

 驚愕に、ミシェルは目を見開いた。

「これ、は──!!

 紋章魔導が発動してしまった。攻撃のための魔導ではない。ミシェルの導力を吸って、急速に導力の枝が伸びていく。さっきまでのメノウならば、この攻撃の発想はなかった。あくまでも真正面からの削り合いをしていた。純粋概念を使って、ミシェルの導力と打ち合った。

 だというのに、急に自分の戦い方を思い出したかのように、ミシェルの意識の死角をついた。

 メノウはこの紋章魔導で、ミシェルの導力を消費させるつもりだ。

 とっさに胸元に手が伸びる。導力が尽きれば、ミシェルの不死性は失われる。最悪の事態を防ぐために、紋章魔導の媒体である短剣銃を壊す。そんなあまりにもわかりやすい動きは、メノウの読み通りだ。

 ミシェルの胸元につながる【導糸】を持つメノウの腕が動く。ミシェルの腕に、極細の導力光がからみつく。

 導力強化をした自分が、この程度の糸を切れないはずがない。気にすら留めずにミシェルは、自分の導力を吸い上げる紋章魔導を破壊しようとする。

『導力:接続──不正定着・純粋概念【時】──発動【停止】』

 ミシェルの動きに先んじて、メノウによって導力の糸に【停止】がかけられた。

 純粋概念の魔導ですら、ミシェル本人には効果が薄かった。ならば【停止】を別の物体にかけて、時間的に停止した物体でミシェルの動きを絡めとる。

【時】の純粋概念によって導力の糸は世界から切り離され、まったく動かなくなる。【停止】した【導糸】はミシェルの全力すら、受け止める。だがそれでも、ミシェルをとどめておけるのは数秒だ。

「こん、な、ものでぇ……!」

 拘束している導力の糸が、ぎしりと不吉な音を立てる。

 時間と空間すら、いまのミシェルの肉体は破砕する。だがそれでも、数秒の時を稼げるのだ。

 値千金あたいせんきんの数秒だ。仕上げとばかりに、メノウは指鉄砲を突きつける。

『導力:接続──不正定着・純粋概念【時】──発動【加速】』

【加速】を撃ち込んだ先は、ミシェルの胸元で伸びる紋章魔導だった。

 急激に導力の枝が伸びていく。さっきまでの比ではない。紋章魔導の効果すらも加速して、高く高く成長する。

「ぐぉっ!?

 うめき声がミシェルの口から漏れ出る。

 自分が、枯れていく。ミシェルを養分に、導力の樹木が枝を伸ばす。空を覆い、地上に根を張り、高々と幹を伸ばす。成長する導力の巨木に埋もれて、ミシェルは動けなくなる。

 必死の抵抗もむなしく、ミシェルの存在を世界に拡張させていた導力がすさまじい速度で流出する。彼女を彼女たらしめていた【力】がなくなっていく。

【停止】した導力の糸に、あらがえなくなった。

 ミシェルの、負けだ。

「ああ、くそっ……」

 自分を養分にして巨大に成長する導力の樹木に押され、メノウの姿が遠のいていく。彼女も、決着を理解しているのだ。

 自分を下したメノウの姿が、見えなくなる。

 敗北を前にして、悔しさはなかった。ただ、後悔だけが浮かぶ。

 ミシェル自身、自分でわかっていたことだ。メノウのような人間を敵にするために、ハクアの味方をしたわけではない。

 ハクアならば、自分のような人間をなくしてくれると信じていたのだ。

 千年。

 人を壊すのに、あまりに十分すぎる時間だ。

 千年という時を経て、白上しらかみ白亜はくあは、あんなものになってしまった。

 助けを請われてしまった彼女は、伸ばされる手を拒むことができなかった。ハクアは徐々に変わっていった。彼女の純粋概念【白】は『受け取る』ことに特化していた。彼女の複製体であるメノウが、まがりなりにも【時】の純粋概念を扱えるのも無関係ではないだろう。

 真っ白な純粋概念に他者の純粋概念を移すことができたのだ。

 多くの人を助けるために、彼女は受け取り続けた。助けてという声にこたえ続けた。

 潔白の精神が、変質して止まらなくなるほどに。

 最初の一人を助けた瞬間から、ミシェルが望んだハクアは消え去ったのだ。

 そして、ミシェルもハクアにすがって彼女の生き様をゆがめた一人でしかないのだ。

「私が、止めるべきだったんだ……」

 それが、ミシェルに残された最後の義務のはずだった。

 だがメノウに負けてしまった。

 久方ぶりの敗北に震えているうちに膨れ上がる導力が大気を荒らす。乱舞する導力光は現象としての圧力をまき散らしていた。ミシェルの導力を吸い取る樹木は、暴力的なまでの世界樹へと成長していく。

「……すごい導力量ね」

 聞き覚えのある声がした。

 敗北したミシェルの元に現れたのは、幼い少女だ。マヤである。彼女は、自分の傍に浮遊するモノリスに話しかける。

「これで、いいの? うん、わかったわ。これだけの導力があれば、大丈夫なのね?」

 浮遊するモノリスにはミシェルも覚えがある。あれは確か、我堂の『自室』だ。どうやらモノリスと意図の疎通ができているらしいマヤが、何度も念を押している。

「ま──さ、まに、が、ど……」

 二人の名前を呼ぼうとして、口が動かなかった。だが言葉の切れ端がマヤの耳に届いたようだ。着物の裾をはためかせてしゃがんだ彼女が、ミシェルと目を合わせる。

「……うん。いまは、ミシェル、よね。あなたが悪い人じゃないのは知ってるけど──この導力は、あたしたちが、もらうわよ」

 是非もない。ミシェルには抵抗できるだけの力も残っていないし、マヤの言葉に逆らう権利もない。導力の多量な流出に伴って、ミシェルの意識が遠ざかる。

「でも──龍之介と同じのミシェルに勝つなんて、メノウもすごいわね」

 まったくもって、その通りだ。

 マヤの称賛に賛同して、ミシェルは意識を手放した。


 勝利と同時に、メノウは一人になった。

 全身の力を抜いて、大きく息を吐く。メノウ自身、巨大に成長する導力の巨木に押されてミシェルのいる場所から距離ができてしまった。

 それでも、ミシェルの現状を確認するまでもなく、メノウの勝ちだ。

 導力樹が成長しきったのを見て、メノウは【導糸】をたぐって短剣銃を回収する。

 薄氷の勝利だった。策を弄して、死力を尽くして、幸運を味方につけて負けてしかるべき勝負をくつがえした。次に戦えば必ず自分が負けるだろう。その実感がある。

 万に一つの勝利を得たのに、ぽっかりと心に穴が開いていた。

「……行かなきゃ」

 メノウは思い出したように顔を上げる。

 どこに?

 胸に浮かんだ問いは置き去りにして、メノウは足を引きずって歩き出そうとして、おかしなことに気がついた。

 なぜか、体が動かなかった。地面に足がへばりついたようだ。動こうとする意思と裏腹に、まるで力が入らない。

 あれ、と力ない声が出た。

 体に不調はない。動けるはずだ。

 なのに、体が動かない。メノウは呆然と立ちすくむ。

 まだなすべき義務のすべてが途上なのだ。

 自分が持つやいばをハクアの喉元のどもとに突き立てなければ、なにも変わらない。

 自分に期待を寄せてくれたみんなのために、名前はもう思い出せないけれど、確かにいたはずの皆のために、メノウがハクアを倒してアカリを助けなければいけないというのに。

 足が、止まっている。

「どうして……」

 どうして自分は、普通の心など知ってしまったのだろうか。

 不意に、現状とまるで関係ない疑念がぼこりと音を立てて胸中で泡立った。

 人を殺してしまった罪深さを真に知ったのは、アカリと心をともにした時だ。本当の意味で普通の人生を知っているアカリの心を知ってから、メノウは弱くなった。

 あの時は、隣にアカリがいた。

 自分のすべてを伝え、相手のすべてを共有した。彼女が隣にいれば生きていけると本気で思っていた。

 いまでも、思っている。

 アカリさえ、隣にいればと。

 でもいまは自分のことを救ってくれる人間なんて、一人もいない。

 当たり前だ。救われていいわけがない。人を初めて殺した時に、思い知ったはずだ。

 自分は救われない。

 とっくの昔に知っていた救われない自分の未来を、どうしてかいま、直視できない。

「……ぅ」

 知らず、メノウの喉元から嗚咽おえつが漏れた。

 胸から逆流する感情に涙腺が圧迫される。喉元から押し上げられた吐き気にも似た涙が風景をにじませる。現実を拒絶する体の反応に、メノウの心が平衡感覚を失った。

「うあ……」

 悲しさからの涙ではない。喪失を嘆いているわけでもない。

 怖いのだ。

「あ、ぁ、うぅぅぅ」

 ほおから流れたしずくが地面をらす。

 いまのメノウは、怖いから泣いている。夜中の暗闇くらやみが怖いと泣く子供のように涙している。本当ならば、この恐怖を乗り越える言葉があるはずだ。どんなやみも恐れることなどないと伝えてくれた人がいたはずだ。

 ──私を、超えろ。

 そう言っていた人が誰なのか、もう、思い出せない。

 とすん、と地べたにしりもちをつく。

「お願い……」

 天を仰いで涙を地にこぼしながら、たった一言。

「誰か、私を……助けてよぉ」

 メノウは、処刑人になってから初めて、誰かに自分の救いを求めた。

 弱い言葉が虚空こくうに溶けて消える。吐露した自分の弱さに愕然とする。

 ずるい、と思った。

 自分は、なんて卑怯ひきょうな人間だろうか。

 自分が誰かに助けてもらえないことを知っているくせに、救われたいだなんて願望を言葉にしてしまった。

 自分の卑怯さに傷つけられて、どうしようもなくなって泣き続ける。

 一人で泣くことを選んだメノウを慰める者などいない。

 差し伸べられる手などないまま泣いて、どれだけったのか。

「……うん」

 一つ頷いて、立ち上がる。

 メノウの表情は吹っ切れていた。

 ようやく涙が尽きて枯れてくれた。心は治っていない。希望も救いも乾ききって、一時的に麻痺してなにも感じなくなっただけだ。

 だからこそ、歩ける。

 涙をぬぐって、泣いた形跡をなくす。必要とあらば導力迷彩を使って涙を隠す。

 アカリと一緒に、生きたかった。

 けれども、やっぱり、無理そうだ。

 メノウの心は、メノウの願いを支えられるほど強くない。だからうそと強がりで塗装して補強する。強い自分を演じ続ける。アカリを助けて、自分が消えるまでの一生、ずっと。

 つまり、あと、ほんの少しだけだ。

 終わりが見えているからこそ歩き出したメノウの前に、誰かがふさがった。

「……誰?」

 メノウの進む道を通せんぼしたのは、愛くるしい容貌の少女だった。

 緩くくせがかった桜色の髪を二つ結びにしている。服装からして、きっと神官として真面目まじめなタイプではないのだろう。藍色の裾にハートをあしらった改造は、一般的な神官ならまゆをひそめるものだが、かわいらしい彼女によく似合っていた。

 見たところ、せいぜい十代半ば。彼女の年齢で藍色の神官服をまとうのは並大抵の才能と実績では足りない。

 メノウの問いを聞いても、少女は名乗ることなどしなかった。

 その代わりに、みどり色の目でぐにメノウを見つめる。

「あなたを助けにきました」

 名前も知らない少女は、メノウが求めてやまない言葉を言い放った。


 モモの言葉の後に、わずかな沈黙が落ちた。

「ああ……ごめんね」

 まずは謝罪の言葉を発したメノウが、形のよい眉を困らせる。

「私の知り合いだったのね」

 栗毛のほとんどが黒く染まった彼女は、自分の記憶の欠損を隠そうともしなかった。

 ずきりとモモの胸が痛む。いまのメノウが顔に張り付けるように浮かべている笑顔は、幼いあの日、モモが見た笑顔からかけ離れていた。

 メノウがふところから手帳を取り出す。

 ミシェルとの激闘を経た後だが、装備していたものは服や武器も含めて【回帰】の対象だったため破損はしていない。メノウが自分の記憶を記した手帳も無事だ。

 ぱらぱらとめくって、問いかけた。

「サハラ?」

「違います」

「マヤ……にしては、年齢がちょっと違うわよね」

「はい」

「アビィのわけがないから……そっか」

 順番に、いまの自分に声をかけてきそうな人物を選択肢から消していき、正解に辿たどり着く。

「あなたが、モモね」

 ようやく名前を呼ばれたモモは、メノウから初対面の態度を向けられた傷心を表に出すことはしなかった。

「私を助けるって、どういうこと」

「止めます。いまの先輩を」

「……助けてくれるんじゃないの?」

「先輩の目的のことは聞いていたんです。星崎ほしざき廼乃ののから」

「……おしゃべりね、そのノノってやつ」

「同感です」

「人の目的を吹聴するとか、自分勝手だわ」

 星型の導力光を瞳に浮かべた少女への悪口に、互いの口元を緩める。

 未来を知る純粋概念。

 都合のいい未来を得るため、都合のいいように人を動かした。明るい表情で口先を弄して、未来の情報を対価に心をそそのかし続けた。

 彼女の目的は、いまをもってしてもモモやメノウですらわからない。

 ほんの少しだけ弛緩しかんした空気のまま、メノウが問いかける。

「ミシェルに勝ったのよ、私」

「知ってます。見てました」

 かたや純粋概念、かたや古代文明の傑作。

 地形を変える怪物的な二人の戦いはメノウに軍配があがった。

 古代文明期に生まれた最強の人間兵器。並の人災ヒューマン・エラーなら一刀両断できる彼女に欠点があるとすれば、あまりにも真っ当な人間であり続けたことだろう。

「ミシェルに勝った私のこと、止められると思う?」

「止めます」

 モモははっきりと言い切る。

 モモはずっと怒っていた。内心で猛り続ける怒りは常に自分へと向いていた。

 聖地が崩壊してメノウと別離をした日以来、モモは己自身のことを許せなかった。

 家族に捨てられて流れ着いた修道院で、幼いあの日、メノウの笑顔に救われた。自分が失った普通の代わりにメノウを信奉して、盲信した。生きる指針をメノウにして生きてきた。

 だからあの時も、メノウの言うことを聞くことしかできなかった。

 守るって決めたのに、ただただ慕って従うことしかしてこなかった。

 心地よかった。メノウに優しくされるのは。優しくされるために、メノウの傍にいた。

 そんな、大好きなメノウのためにならない甘えたあこがれに甘んじた自分が許せない。

 後輩を名乗って一歩引いて立ち止まったからこそ、メノウの心を助けることができなかったのだ。

 だから半年前にメノウの願いを聞いたのは、同時に自分に下した罰でもあった。

 一度、離れるべきだと思ったのだ。

「ここで、先輩に勝って、あなたを救います」

 強くなるために。

 今度こそ、メノウを助ける自分になるために。

 モモは、世界で一番の相手と相対した。


 気乗りが、しなかった。

 メノウは意識の焦点が戦闘に合わないことを自覚しながら相手を見つめた。

 桜色の髪をした、小柄でかわいらしい少女だ。彼女の名前は、さっき知った。

 モモ。

 苗字みょうじを持たない彼女は神官だ。

 モモは自分の後輩であるらしい。

 自分が、どうして、なんのために彼女と戦う必要があるのだろうか。

 明確な脅威を前にして、ここまで集中力を欠いた状態でいるのは、初めてかもしれない。メノウはけだるい動きで太ももから短剣銃を引き抜く。

 彼女と戦うことと、ハクアを倒すことに、なんのつながりがあるだろうか。

 なにもない。

 無意味な戦いだ。

「やめない、戦うのは」

「やめません、戦うのを」

 憂いを含んだメノウに、はっきりとした答えが返ってくる。

「私は、あなたに勝つんです」

「頑固ね。私なんかに勝つ意味なんて、ないわよ」

「あります。勝てば、道がひらけるんです。あなたを助けるための、道が」

「誰かを倒して進む道なんて……歩いても、いいことないわ」

「道は道です。時には力ずくだって必要です」

「……そうね」

 メノウも、そうやって道を歩いてきた。

 真っに染まった、バージンロードを。

「私ってね……悪いこと、し続けたのよ」

「……」

「世界のためにって教わったから、そうしていた。憧れていた人が、そうだったから」

導師マスターですね」

「そう、だったかな。でもいまは、友達と一緒にいたいだけなの」

「私は、あなたの友達を殺すことになるのかもしれません」

「……そっか」

「それだけの、覚悟でここにいるんです」

 静かに、メノウは顔をうつむける。

 無駄だ、と言いそうになった。

 思いが強かろうが、現実は強固で揺らがない。事実として、メノウだって強かった思いを忘れてしまっている。

 大切だったはずの、目の前の少女のことを。

「私ね……この体を、アカリに明け渡そうと思ってるの」

 記憶を消失させたメノウの体に、アカリが宿る。メノウは入れ替わりでアカリの体に入る。【時】の純粋概念をすべて引き受けたメノウの魂がアカリの体に入り、塩と変わる。

 そうすれば、純粋概念から解放されたアカリが残る。

 悪くない結末だと思うのに、目の前の少女は怒りを目に浮かべていた。

「星崎廼乃から、あなたがそうすると聞いた時の私の気持ち、わかります?」

「……ダメ?」

「ダメです」

 お願いだから自分のことなんて諦めろ、なんて言おうして、やめた。

 なんという無意味な言葉だろうか。

 メノウだって、諦めろと言われて諦めたことなんて、ないのだ。

 アカリが人災ヒューマン・エラーになっても諦めずに旅をしているのだ。彼女を助ける手段があるはずだとあがき続けたのだ。廼乃に『塩の剣』を無効化する方法などないと断言されても道を探ったのだ。

 そうしてここまできて、とうとうアカリを救済する道筋が立った。

 自分を説得できない言葉で誰かに説教しようなど、相手のことを見下しているに等しい。

 メノウと同じように、道を塞ぐ彼女にだって信じるものがあるのだ。

「その通りね」

 二人は向き合った。

 互いに、信じる者のために。

 消耗しきった少女と、まだ希望を目に残す少女。

「来なさい」

 彼女の名前を忘れてしまったメノウの瞳に、冷たい殺意が宿った。


 導力光の燐光が弾けた。

 常人だと目で追うのも難しいほどの高速機動。同時に地を蹴った二人の距離が瞬きの間に消失する。

「がッ」

 悲鳴を上げたのは、モモだった。導力強化をした体で真っ直ぐ突っ込んだ彼女に、メノウが容赦のないひじ打ちを放った。

 短剣ばかりを警戒していたモモは回避も防御もできなかった。ロクに反応すらできず、肘であごをカチあげられた衝撃で、モモののどから変な声が出る。

 通常ならば脳が揺らされて、一撃でノックダウンは免れない。下手をすれば死んでもおかしくない危険な一撃だ。

 だがありあまる導力で肉体を強化していれば話は別だ。衝撃に顔をしかめながらも、モモの意識は途切れなかった。

 モモは勢いをつけて足を振り上げる。至近距離の反撃に、メノウの動きは冷徹だった。

 短剣の刃先を蹴りに合わせて受けた。

「ッ!」

 蹴りを止めることもできず、刃が足首を切り裂く。痛みよりも先に、熱さを感じる。常人なら悲鳴を上げてのたうち回る傷を受けて、モモはまなじりを決する。

 だが戦意だけではメノウを止めることなどできない。

「遅い」

『導力:接続──短剣・紋章──発動【疾風】』

 短剣に導力が流されて紋章魔導が発動するまでは、コンマの秒間でしかなかった。

 正面から吹き付ける突風に、ふわりとモモの足裏が浮く。両足が地面から離れた状態だ。体を支える支点がなければ、人体の機動力は激減する。

 メノウの手が伸びた。宙に浮いたモモには、避ける手段がない。とっさに振り払おうとするが、胸元を摑まれた。

 メノウが手首をひねった。

 モモの体が回転する。天地が真逆になって、空が見える。メノウの腕が、後頭部からモモを地面に叩き落とす。

「──ッ!!

 今度は声すら出せない。

 強烈な投げ落としを極めながら、メノウの動きは止まらない。ブーツの靴底がモモの眼前に迫る。なんとか地面を転がり回避した。

 強い。戦闘技術で圧倒されている。だが、モモもまだ本気ではない。

 モモの纏う導力光が、一段、明るくなった。

 動きが、変わった。思考が明瞭になる。モモの能力が進化する。冷たく冴えた精神。感情のたかぶりを理性で制御しながら、熱く脈打つ思いを拳に握りしめる。

 ミシェルといたことで、彼女の導力強化はより洗練された。

 目に、爛々らんらんたる導力光が宿る。

 モモの四肢が舞った。当たれば肉が潰れ、骨が砕ける。続けざまに放った猛攻は、ことごとく空を切った。メノウがモモの攻撃を誤差なく見切って、一歩、前に出た。

 メノウの短剣銃がモモに向けられる。純粋概念を放つ銃口には、警戒を怠らなかった。ほぼ反射でモモはメノウの武器を蹴り上げた。

 短剣銃がメノウの手から宙に跳ね飛ばされる。

 そこまでが、モモを動かすためにメノウが撒いた餌だった。

 モモのつま先が短剣銃に当たる直前に自分の武器を手放したメノウの双掌が、モモの胸板を打った。

「ぅぐっ!」

 息が詰まった。肺に響いた衝撃に呼吸が阻害される。メノウの手元に、くるくると回転する短剣銃が戻る。

『導力:接続──短剣銃・紋章──発動【迅雷】』

 紋章魔導による雷が、モモに直撃した。

「ぁ──んんぅ!」

 遠のきそうになった意識を、下唇に八重歯を突き立てて無理やりつなぎとめる。

 口の中に鉄の味が広がる。【迅雷】を受けて意識を失わなかったモモに、メノウが目を細めた。

「気絶したほうが、楽になるわよ」

 あまりにも余計なお世話だ。きっとにらみつける。モモが目元に涙を浮かべて悔しげに叫ぶ。

「どうして、先輩はそうなんですかっ」

「どうして……?」

「いつも真っ先に自分を犠牲にするっ。なんで、自分が助かろうとしないんですか!? 修道院にいた時だって! どうでもいい奴らのために処刑人になるって決めたっ。先輩くらい強かったら、他になんにでもなれたのに! どうしてわざわざ苦しい道ばっかり選ぶんですか!?

「うるさいっ!」

 叫び声が、メノウの口をついて出た。

 思わぬ反論にモモが息を呑む。彼女が知っているメノウならば、こんな反応は絶対にしない。あの程度の言葉で感情をむき出しにするなど、あまりもメノウらしくない。

「うるさいうるさいうるさいっ。昔のことなんて知らない! なんにも!」

 だというのに、目の前のメノウは漏れ出した感情の抑えを効かせることもなく、次々に身勝手な言葉を吐き出す。