ストレスがまっていた。

「……はあ」

 中心部から離れ、テントを張って野宿をしていたサハラは一人、重い息を吐きだした。

 モモと協定を結んで、三日ほど。今日もサハラは儀式場の構築の邪魔をしていた。

 ミシェルたちが造っている儀式場は広大だ。北大陸につながる『絡繰からく』の入り口から、線路を導線にして導力の経路を蜘蛛の巣のように張り巡らせて、要所に駅をつくって魔導陣に必要な要素を組み立て、範囲を拡大していっている。

 サハラは、そうして広がる巨大な魔導陣の阻害をモモと協調して行っている。攻める場所、タイミング、差し向ける魔導兵の種類と量。ほとんどはモモの言う通りだ。

 別に、それは構わない。

 物事にやりがいなんてものを求めることをやめたサハラにとってみれば、考える必要がないのはありがたいくらいだ。あれ以来、サハラがいる場所が襲撃されるようなこともなく順調である。

 ストレスの要因は、別にあった。

「……ちっ」

 教典が明滅した。

 通信魔導の着信だ。モモから連絡用にと渡されたものである。しばらくしかめ面で眺めていたが、渋々、教典を開いて通信内容を確認する。

『攻撃が手ぬるいですよ、このクズが。怪しまれたら台無しになるでしょう。それにお前、私の言った半分も動けてないじゃないですか。敵だった時は弱くて助かりましたけど、一緒に仕事をすると無能さが際立きわだちますね。人の言う通りにすら動けないとか知能があるんですか? あ、ごめんなさい。ない知能を振り絞って自分で考えて動いたら害悪なので、いまのままで許してあげますよ。とりあえず私の言う通り動いてください』

 一言目から結びの一文まで、罵詈雑言ばりぞうごんしかなかった。

「死ね!」

 渾身の感情をこめて呪詛を吐く。通信兵に指示を出して魔導兵をモモにけしかけるも、あっという間に倒される。

『いいですね。いま程度の攻撃をしてくれば、共謀を疑われないでしょう。少しはマシな行動ができましたね』

 一方的に通信が切られた。具体的な指示がなにもない、ただのあおりだった。

「……絶対、どっかで裏かいてやる」

 モモへの敵愾心てきがいしんあらわにサハラはやる気をみなぎらせた。


 モモはサハラとの教典通信を切った。

「哀れですよね、あいつ」

 基本的にサハラの生き死に興味がないモモだが、それでも同情くらいはする。

 導力義肢と化している、あの腕。

遺跡街いせきがい』でゲノム・クトゥルワと戦うことでようやく完成した、魔導兵たちの悲願。

 結局のところ、サハラは部品なのだ。

 アビィたちが切望する居場所のために必要な、大切な大切なパーツだ。

 第三種永久機関。

 それは、純粋概念【器】から生まれてしまった魔導兵たちが切望するものだ。

 モモはいましがた破壊して散らばった魔導兵の中から、とある部品をひっぱりだす。襲撃に紛れ込ませた、アビィからのお届け物だ。主に原色の【赤】で作られた部品を掲げて、目をすがめる。

「……いい出来です」

 アビィにアカリの体を預け続けた甲斐がある。これならば、問題なく適合するはずだ。

「こっちはちゃんと仕事をしないといけませんからね」

 言われるままに適当にやっているサハラとは違うのだ。モモはアビィから届けられたものを、大切にキャリーケースの中にしまう。

 これで、モモにとって必要なものは揃った。

 半年前にメノウから離れ、アカリの体を隠す過程で出会った【星】の純粋概念の予言を聞き、人知れずアビィと協力しながら用意した舞台は整った。

 あとは、タイミングを合わせて行動するだけだ。

「アビリティも、そろそろですかね……」

 モモが聞いたのとは別の予言を聞き、アビィはモモと協力することを了承した。彼女は、彼女にとって必要な居場所を求めていたからだ。

 アビィとモモは、両者ともに自分の大切な居場所を守るために行動していた。

 モモにとって、この世界で自分の居場所とは、メノウだ。

 彼女の傍にいなくても、その心は変わらない。

「モモ」

 背後から、声がかけられた。

 ミシェルだ。儀式場にいるはずの彼女が、儀式場の中心部から離れたここにいた。

 なぜここにという疑念と焦り。胸に渦巻く緊張が顔に出ないように、慎重に、しかし自然な笑顔を浮かべる。

「ミシェルせんぱーい! 儀式場から出て、大丈夫ですかぁ?」

「私が抜けたところで組み立てている建築物が崩壊する訳でもあるまい。経路確認の作業は止まるがな」

「迷惑じゃないですかぁ。ダメですよー、ミシェル先輩」

 モモはあえて甘ったるい間延びした声で批難をする。

 フーズヤードの考案した儀式場は、一箇所に集中したものではない。資材を運ぶ線路すら魔導陣の要素として組み込み、複数の村規模の儀式場をつなげて展開する大規模儀式魔導だ。

 要所が複数に分散して離れた分、導力の経路がつながっているかの確認は重要だ。もし導力がつながらない箇所があれば、その延長線上にある場所で築いた儀式場が無駄になる。

 モモはサハラと組んで、その儀式場の構築を遅延させている。

 だが、あくまで遅延だ。完成しないのは困る。

「お前の様子を見に来ただけだ。私が会った神官の中で一番見所があるのは、モモ。お前だからな」

「どうしてですかー? モモより経験豊富な神官も、たっくさんいらっしゃいますよぉ」

「センスがない」

 ミシェルはいままで彼女が出会った他の神官たちへの評価を、あっさりと切り捨てる。

 彼女たちは優秀だ。与えられた任務をこなすことにかけて、若輩のモモよりもはるかに。

 だが、結局はそこどまりなのだ。

 自分の役割に、立場に、生き方に疑問を覚えない。彼女たちには、確固たる居場所を与えられているからだ。

 第一身分ファウスト

 この世界において、その身分にいる人間は名誉も立場も十分に得られている。厳しい訓練を経て選抜され、自分たちが神官であるという強いプライドを持っている。

 時として第一身分ファウストであることに、汲々きゅうきゅうとするほど。

「お前は、目的のためならば神官であることを放り捨てられるだろう。逆も、しかりだ。目的と合致するならば、神官としてのぼり詰めることもいとわないはずだ」

「……そうですねー」

 釘を刺されているのだろうか。表情をうかがうが、ミシェルの本心は見えない。

 モモは、いまいちミシェルの心中を摑めずにいた。いまだけではない。この半年、ずっとだ。

 モモはミシェルのことを騙している。

 ミシェルたちを、ここ『絡繰り世』に連れて来る必要があった。それはモモがひそかに通じているアビィとの利害の一致で必要となった条件だ。

 いままさにつくられている、この大規模な儀式場。

 モモでもアビィでも用意できない、大人数での建築と数多の素材が必要な大規模な儀式場をつくるために、モモはメノウたちを追うミシェルに同行した。この世界で強権を振るい、多くの人間に号令をかけることができる立場が必須だった。ハクア直轄のミシェルには十分な権力があったし、もう一つの条件までも兼ね備えていた。

 だからモモは、ミシェルに気に入られるために彼女の優秀な部下として振る舞った。フーズヤードに自分を紹介させて、メノウを追撃するという理由で大規模な儀式場を必要とする状況までたどり着いた。

 だが、ミシェルはモモのことをどう思っているのだろうか。

 この半年、隠すのと騙すのばかりで過ごしたモモの胸に、いまさらともいえる疑問が湧いた。

「神官としてのセンスってことならぁ。この儀式場の発案者は、どーですかぁ?」

「……論外だ」

 ミシェルがしかめっ面になった。わざわざ理由を言葉にもしたくないという表情に、確かにと共感したモモも苦笑する。

 フーズヤードは強い目的意識を持たない人間だ。儀式魔導という特殊な分野に恐るべき才能を持つが、神官という自分の立場にはもちろんのこと、実のところあれだけ目の色を変えている魔導研究にすら、決して固執こしつしない。

 やめろと言われればあっさり研究を中断するのがその証拠だ。倫理的なブレーキは弱いくせに、他人からダメだと言われると諦める。好奇心はあるのに執着がないため、特定の居場所に留まらない。場合によっては、第一身分ファウストであることすら未練なく捨てるだろう。神官として大成するはずもないのがフーズヤードという人物だ。

「モモ。お前は導力に恵まれている。この半年、お前が部下になってから、私はお前の導力操作を磨いて鍛えた。人が人のままでいられる【力】の許容量を、突破できるほどに、だ」

「そーですねぇ。ありがとうございますぅ」

 聖地にいた大司教エルカミにも似た事を言われたが、方向性は逆だ。八十に近い老婆だった彼女は、そんな力はないほうがいいと言った。導師マスター陽炎フレア』と同じく、モモの才能をただの才能のままで放置するべきだと語った。

 だが二十代のミシェルは、力を肯定している。

 モモは、フーズヤードがだだ漏らしにした情報から、ミシェルとエルカミが同一人物であることを確信している。同時にミシェルのこれまでの態度から、彼女にエルカミとしての記憶がないこともだ。

 同一人物のはずの二人のスタンスの違いは、どこから出ているのだろうか。

「私の部下になる前のことを詮索する気はない。必要だとも思えんからな」

 モモにミシェルのことなど、わかるはずもない。いままで彼女のことを考えようともしなかったのだから、いまさら彼女の心が理解できるはずがない。

 そしてミシェルがどうであれ、モモの決断は変わらないのだ。

「そうですねぇ。昔のことなんかより、いまここにいるのが重要ですもんねー」

「……そうか」

 だから、この会話に深い意味はない。

「それじゃあ、ミシェル先輩──」

 モモは、ミシェルに向けて微笑む。

 半年、ミシェルを『先輩』と仰いだ。メノウを追いつつも、通りがかりに事件を解決したこともあった。フーズヤードのやらかした騒動のしりぬぐいに奔走もした。無為に半年、過ごしたわけではないのだ。

 自分の感情に正直になってみれば、モモは、ミシェルのことが嫌いではなかった。

「──私は、任務に戻ります」

 モモはあえて無防備な背中をさらした。

 殺されるだろうか。

 その覚悟はあった。明らかに疑われている気配がある。ミシェルが大剣を振るって首をはねようとすれば、モモには防ぐ手段はない。

 一度きり、自分の生死をミシェルにすべてをゆだねる。

 ここでモモが死ねば、なにもかもが台無しだ。

 その無防備さは、もしかしたらモモにとっては初めての、自分よりミシェルを優先した判断だったのかもしれない。

 ミシェルは手出ししなかった。情で見逃されたのか、計画的に泳がされたのか、あるいは、疑われているというのがモモの勘違いだったのか。

 どちらにしても、この瞬間、モモは半年の関係性を投げ捨ててミシェルを裏切った。

 モモに、悔いなどあるはずもなかった。


 立ち去っていくモモの背中が消えても、ミシェルはしばらくそこにとどまった。

 明らかな離反の意思を秘めているモモを見逃したのには、いくつか理由がある。

 事実として、ミシェルはモモを高く評価していた。組織になじまないように思えるほど大胆ながらも、バランス感覚に優れた繊細な行動規範。ありあまる戦闘センスに、まだまだ伸びる余地のある才能に満ちている。

 人材として、あれほど魅力的な人間も少ない。ここで処分するのは、いささか惜しい。

 だが、いまのままでは使えない。モモが抱え、彼女の行動原理となっている「こだわり」が、神官としての生き方に決定的に合致しないからだ。

 ならば泳がせて、事を起こさせればいい。それを丸ごと踏みつぶして挫折をすれば、モモは第一身分ファウストとしての人生に屈することになる。モモが知れば驚愕しただろうが、ミシェルはモモのことを、自分以上に第一身分ファウストにふさわしい人間だと考えていたのだ。

 ミシェル自身、記憶にないことだが、『エルカミ』と名乗っていた彼女が、かつてオーウェルに対して、そう思っていたように。

 ミシェルはそっと目を閉じる。

 戦いこそ、彼女の人生だった。古代文明期は魔導技術の最盛期で、そして人類史上でももっとも人が人と争っていた時代でもあった。

 グリザリカ財閥。

 世界市場を牛耳った企業が、複数の国を相手どって戦争をしていた。多くの民衆がその争いに巻き込まれ、拡大しては過激化する戦乱に人倫は軽視されていった。

【龍】の模倣実験もその一つだ。

 ミシェルがその実験対象となったのは、傭兵としての仕事だったからだということに尽きる。幸運にもミシェルは実験に適合して、莫大な力を得た。

 実験の成果として投入された戦場で得た仲間も、一人、また一人と散っていった。

 ミシェルはただ一人、生き残り続けた。

 ──僕たちの居場所は、どこにあるんだろうね。

 そう言ったのは、誰だっただろうか。少なくとも、いま生きていないことは確実だ。

 多くの人が住む場所を追われた。自分たちが安堵できる居場所が欲しかった。

 当たり前だが、ミシェルもそうだ。

 居場所が欲しかった。

 戦場を居場所としながら、いつしかそんな思いに囚われるようになった。

 その時代に現れたのが、白上しらかみ白亜はくあだ。

 最初は敵だった。数度戦って、味方になった。いま第一身分ファウストと呼ばれているのは、当時の白上白亜に同調してすがりついた弱者の集団だった。

 だが千年経ってみれば、どうだ。

 いまのミシェルは、時代にすら取り残されている。唯一よすがあるハクアにしがみついている時代の遺物だ。

「これが、私の居場所か」

 言葉に出してみたが、果たして本当にいまいる場所が、かつて自分が求めていた居場所なのか、確信は得られなかった。

 自分の空間をつくれる、原色魔導。

 魔導兵たちが持つその特性が、なぜかいまさらひどくうらやましく感じた。


 入って、すぐにわかった。

 メノウとマヤが踏み込んだモノリスの内部は、人間が生きていける空間ではなかった。

『絡繰り世』に入ったばかりのような、原色の輝石はひとかけらもない。空気に色が混じって渦まくということもない。まさしく普通の世界と変わらない草木が生えている。

 広がる空間が、完全に固まっている。なんでもない風景のなにもない空間が固体であるかのような密度を持っている。空間の密度が高すぎて、時間の流れすら外部とは異なっていることを【時】の純粋概念を扱うメノウは敏感に察知した。

 あまり長くいると、外では思わぬ日数が経過するかもしれない。メノウは試しに、目の前の光景に向かって手を伸ばす。

「わっ」

 かつん、と響いた音にマヤが驚きの声をあげた。

 メノウの手が、なにもない空間に阻まれたのだ。たたいた音が鈍くなるほど固く、重い感触だ。

「すごいわね、これは」

 メノウの口から出たのは、まじりっけなしの感嘆だ。

 すごいという言葉で表せるような空間ではない。目の前の景色を構成するのは、固体、液体、気体という分類がなくなってしまっている【力】の結晶だ。

 すべて均一に、色で塗り固められている。

 それが『絡繰り世』の中心部。

 外縁部にあった不完全な世界とは違う。ここは原色概念によって完全にいろどられた世界なのだ。

「ここじゃ、本当にマヤ頼みになるわね」

「ふふーん。ありがたく思ってね?」

 自尊心を満たされたご様子のマヤが上機嫌に腕を伸ばす。だが粘土をかき分けるような感触に、眉根まゆねを寄せる。

「むぐ、すっごく重い」

『絡繰り世』に入ったばかりの時、マヤは原色の輝石に触れるだけで魔物に変えた。肉体に純粋概念が癒着している彼女は、魔導を振るうまでもなく世界を原罪概念で侵食できるのだ。

 いまやっているのも、それと同じことだ。

 原色概念で固められた世界を、【魔】の純粋概念による侵食で崩している。

 原色の素材は物質的に安定していない。だからこそ魔導行使者次第でいかようにでも変化する。新しく生まれた世界の素材ともいうべき原色は、原罪概念にとって格好の餌なのである。

 とはいえ、「重い」という言葉通り、モノリスの内部にひろがる世界は密度が段違いだった。原罪概念の申し子である彼女でも、意識をしないと空間の侵食ができない。

 それほどの密度と完成度で、原色の世界が広がっている。まさしく侵入不可能な空間だ。

我堂がどうのやつ……生きてるってなんなのよ。そりゃ、別にいいのよ? 死んでてほしかったわけじゃないし、生きててうれしくないっていったらうそだし、助けてもらったこともあるわ」

 ぶつぶつと呟くマヤの影から、魔物が数体、這い出してくる。

『導力:生贄供犠──混沌癒着・純粋概念【魔】──召喚【奇奇怪怪】』

 原罪魔導の生贄にされ、どろりと溶けた魔物が寄り集まって巨大なアメーバが出来上がる。ドロドロとした流動体が周囲の空間に染み渡っていく。

 空間が黒く染まり、景色がぼろぼろと崩れる。崩れた部分がマヤの影に収納されることでようやく、なにもない空間が生まれてメノウでも進めるスペースが出来上がる。

 マヤが原罪概念で周囲の空間を崩していかないと、入ることもできない。魔導兵であるアビィが「自分たちでも入り込めない」と言ったのは、言葉のままだったのだ。

 究極的なまでに偏執的に原色概念を圧縮して作った空間だ。他の概念が入り込む余地がない。

 そこを侵食できる唯一の能力を持つマヤが、メノウを先導する。

「でもなんの音沙汰もなしって! それはないと思うの!」

 余人には立ち入れないはずの空間を着実に進んでいるマヤが、怒りにほおを膨らませて振り返る。

「ねえっ、メノウもそう思わない!?

「うんうん。わかるわ」

 メノウはマヤの頭を撫でる。別に適当にあしらった訳ではないのだが、ぺしっと弾かれた。

「ハクアはずっと生きてるし、廼乃ののはなんか地下の街にいたし、我堂まで生きてるんなら、もう龍之介りゅうのすけまで生きてるんじゃないかしらっ」

「それはないと思うわよ。廼乃だって、本人が生きてるわけじゃなかったし」

 遺跡街にいたのは、あくまで過去の廼乃が未来に残した情報端末だ。それが【星読み】と呼ばれて活動していたにすぎない。

 特に【龍】の純粋概念は『塩の剣』に切り裂かれて塩と変わった。彼が生きている可能性は絶無だ。

「……そっか」

 マヤが肩を落とす。

 文句に隠した本音では、生きていてほしかったのだろう。

 だが、死すら超越する純粋概念でも、できないことはある。

 ハクアと戦い、塩となった【龍】の純粋概念の持ち主は、確実に千年前に死んでよみがえることもないのだ。

「そうよね。それが、普通だもの」

 自分に言い聞かせて、マヤはモノリス内部に広がる世界を壊す作業を再開させる。

 マヤの動きに合わせて、周囲が波打ってたわんでいく。空間が崩れていっているのだ。物理的な質量のある魔導空間だからこそ、少しずつ崩して進んでいくしかない。

 周囲の空間を変質させて、マヤの影にしまう。炭鉱夫が鉱山を掘削して進んでいる状態に近い。もしマヤがいなければ、メノウにはこの空間を崩す手段すらなかった。

 一見では順調だが、いまマヤが行使しているのは純粋概念【魔】の魔導だ。

「聞いておきたいんだけど……マヤ。あなたの記憶は、どれくらい残ってるの?」

「……あたしは、まだ大丈夫よ」

 感情を抑えた声で返答する。

「日本のことは忘れたけど、こっちに来てからのことは覚えてるわ。魔導としての原罪概念は、あんまり使ってないもの。あたしは『万魔殿パンデモニウム』には戻りたくないから」

 不意に沈黙が流れる。

 純粋概念の多用で記憶がなくなればマヤは万魔殿パンデモニウムの一部に逆戻りしてしまうように、メノウも記憶を使い果たせば人災ヒューマン・エラーとなるのだ。いや、と心の中で小さく呟く。

 召喚された異世界人ではなく、この世界の人間が純粋概念を宿したことはない。【時】の純粋概念に飲み込まれたメノウは、人災ヒューマン・エラーになるという結果すら保証されていない。もっと、なにか別の、さらに醜悪な末路に陥る可能性すらある。

「マヤは、元の世界に帰りたい?」

「……」

 しばらくの沈黙の後に、マヤは首を横に振った。

「いいの?」

「うん」

 言葉短いメノウの問いに、こっくりとうなずく。

「もう、待っている人は、いないもん」

 お母さんのいる世界に帰りたい。

 それが、マヤの望みだった。

 だがその希望は、元の世界に戻っても、もはやかなわない。

「だから異世界送還陣もメノウが好きに使っていいわ。あたしが許してあげる」

「……ありがとう」

 優しいマヤの言葉に微笑んで、再び彼女の黒髪を撫でる。少しくすぐったそうにしたものの、邪険に振り払われることはなかった。

「メノウの記憶は、危ないの?」

「そうね……」

 お互い記憶を消費している者同士、遠慮なく問い返されて、ふっと遠い目になる。

 そっと懐に手を伸ばして触れたのは、自分の人生を記した手帳だ。

 この内容が半分以上他人事にしか感じられなくなっても、メノウは純粋概念の魔導を使った。

「まだもう少しは、人間でいられそうよ」

 マヤは押し黙る。

 彼女が思っていた以上に、危うい返答だったからだ。

「我堂らんには、どんな目的があると思う?」

「なんであたしに聞くの? そういうの、メノウのほうがわかるでしょ」

「マヤのほうが、私たちよりずっと人間としての我堂のことを知っているでしょう?」

「知ってるかなぁ。我堂って、なんていうか……ものすごく独特な性格してたから」

「……廼乃よりも?」

「廼乃が通訳してたレベル」

「それは……」

 思わず天をあおいでしまった。

 北大陸の地下にある遺跡街で会った星崎ほしざき廼乃は、一見とっつきやすそうに見えながらもどこまでも自分本位な手に負えない性格をしていた。それ以上となると難儀な対話となりそうだ。

「交渉は大変そうね」

「そうでもないと思うわ。我堂は、廼乃と違って噓はつかない。だから異世界送還陣の起動キーなんて、あっさり教えてくれるわよ。だから逆に聞きたいんだけどね」

 振り返ったマヤが、真っ直ぐメノウの目を見据える。

「異世界送還陣を手に入れて、メノウはどうするの?」

 即答が、できなかった。

「……世界平和?」

「ねえ。つまんないボケを期待してたわけじゃないんだけど」

 ジト目になったマヤに肩をすくめる。

 メノウが異世界送還陣に固執している理由の一つは、この世界から召喚魔導を失くすためだ。異世界につながる経路さえ潰してしまえば、自然にだろうと人為的にだろうと二度と日本から人間が呼び出されることはなくなる。

 その狙いが成功すれば、多くの悲劇を生んだ純粋概念も人災ヒューマン・エラーも新たに産まれることはなくなる。だから世界平和というのもあながち噓ではない。

「そっか。うん。そうよね。……どうしましょうね」

 純粋概念の多用によって、メノウの記憶は消費されている。

 ハクアを元の世界に返したところで、問題は解決しない。

 つまるところ、メノウは自分が助かることをすでに諦めているのだ。マヤは敏感にそれを察知しているのかもしれない。わざとらしいくらい明るい声をあげる。

「我堂に、記憶の保ち方を聞くのはどうかしら? ね? メノウも助かる。メノウの友達も助かる。もちろん、あたしも助かる。ほら、ハッピーエンドじゃない!」

「それも、どうかしらね」

 名案に聞こえるが、我堂蘭が記憶をつないでいるのはまともな方法ではない。精神の分裂と増殖。記憶を分けて小さな人災ヒューマン・エラーを発生させ続けることで、本来の人格を守っているのだという。

 果たして、精神の分裂を千年繰り返した人物が、正気でいられるだろうか。

「記憶が減るのはもちろん問題だけど、増えすぎるのも、同じくらい悪影響があると思うわ」

「そっか……」

 メノウの返答に、マヤがしょぼくれる。意気消沈させたかったわけではない。メノウは彼女の黒髪を撫でた。

「それにしても、ここはどういう空間なの?」

 日本の風景とは思えないが、メノウたちの世界の景色を模したものでもない。もちろん、千年前の古代文明期の風景でもないだろう。

「確か……ファンタジーRPGの再現、って言ってたわ」

「あーるぴーじー?」

「うん」

 聞き慣れない単語にまゆをひそめるメノウに、マヤが周囲の光景を指で示す。

「夢だったんだって。自分の頭で思い描く世界を作ることが」

 我堂蘭という人物には、頼みもせずに異世界に召喚され、望まない能力を得てしまった千年前の五人の中で、他の四人と決定的に違う点がある。

「我堂はさ、自分の能力が好きだったの」

 いまメノウたちがいる空間は、実在するゲームの世界の構築。現実世界とは違うルールで構成されている。

「レベル制もそうなの?」

「うん」

 レベル制。

 内部に入った者に対して、なにかを倒せば倒すほどに、他の存在を倒しやすくする法則だ。『絡繰り世』独特のその制限も、我堂が掲げた夢の一部だ。

 本来ここに入るには、自分の肉体を原色概念製にしなければならない。レベルをカンストさせることで生身の肉体を導力義肢などの原色概念に置き換え、このゲーム世界の一員になって初めて、中に入ることができるのだ。

 アビィたち魔導兵がたむろする『絡繰り世』の外縁部は、強固に固めたモノリスの内部への橋頭堡きょうとうほだ。

 人間をキャラクターの一員として、この中心部の世界をプレイできるように作り変えるための、無料体験場所。ゲノム・クトゥルワなどは、その方法でこの世界に入ることができた人間だ。

「まあでも、付き合う義理はないのよね。あたしがいるもの!」

 世界を一方的に侵食できる特権でもって、マヤは進んでいく。

 本来ならば厳格なルールに沿った手順があるのだろう。建物やモンスター、話しかけようと近づく人々を無視して進んでいく。

「ふっふっふ。あたしのことを置き去りにした我堂なんかに絶対に負けないから──ひぇっ」

 意気揚々としていたマヤが悲鳴を上げる。

 順調に進んでいたマヤの前で、突如として景色が崩れたのだ。

 風景として塗り固められていた色が崩れ、光の粒子となった三原色が渦を巻いた。

 微細導器群体マイクロマシン。原色概念の最小単位が統率されてメノウたちの前に集合する。

『バグめ』

 かつてサハラと戦った時に見た導力光の渦と似ている。あの時、サハラを飲み込んだのはいまメノウたちがいる場所と同じなのだろう。あの時はサハラのみを分解して再構築した機能が、いまは周囲の風景も分解し、さらに大規模になってメノウたちに立ち塞がる。

『我が世のバグめ』『潰しても潰しても湧き出るウジ虫が』『このようなところにまで入りこむか』『この世界にまで感情を持ち込むか』

「な、なにこれ!?

 どうやらマヤも知らないものらしい。慌てふためくマヤに、メノウは短剣を抜いて構える。

「前に同じようなものを見たことあるけど……これが我堂蘭、っていうわけじゃないのよね」

「こんなよくわかんない光のかたまりなわけないじゃない!」

 マヤが悲鳴のような叫びで返答する。

 純粋概念の保有者は記憶を食い尽くされて人災ヒューマン・エラーになっていても、人の形を保っていることがほとんどだ。そもそも【器】の純粋概念は記憶を持っているはずなのだから、なおさら見た目が人間離れするはずがない。

「じゃ、ズル防止のシステムかなにかっていうのが妥当なところね」

『バグめ』

【器】の世界に直接入り込んで、なんの障害も用意されていないはずがなかった。

『バグは潰す』『我が世の平穏にために』『忌々しいバグは全て調整されろ』

 渦巻く光が、メノウたちに襲いかかってきた。


 あともう少しだ。

 建築されていく儀式場を見て、フーズヤードはニコニコしていた。

 普通の神官ならば、大規模の儀式魔導場の構築に立ち会える機会など、一生に一度あるかないかだ。

 自分の理想の儀式場が作られていく。魔導師として最高に楽しくて幸せだ。

「順調か?」

「ばっちりだよ!」

 ミシェルの確認に、彼女は満面の笑みを返す。

 フーズヤードの理論は『絡繰り世』の導力を分解し、循環させるためのものだ。

 理論上は可能だと儀式場を組み上げ、小規模の実験も成功した。一部であれど『絡繰り世』を消失できたという効力が示されたことで、現場の人間たちの気合いも増している。

 ただ、もちろん大規模になったらなにが起こるかはわからない。なにごとも、初めてというのは危険が伴うものだ。フーズヤードにとっても予想外の結果が生まれる可能性はある。

 それはそれで楽しみだと目をキラキラさせている。

 戦いで命のやり取りをする心理はさっぱり理解できないフーズヤードだが、魔導実験での危険に忌避感はない。

「そうか。おそらくお前はこの儀式場を作るためだけに生まれたんだ。うまくいけば死んでも構わん。命を振り絞って使命をこなせ」

「構うよ? 振り絞らないよ、命は。この他にもまだまだ試したい理論はいっぱいあるんだから、その本気の目をやめ……なんで舌打ちしたの!?

 心外な対応にフーズヤードが食ってかかるも、ミシェルは毛ほども気にした様子はない。

「『絡繰り世』ってことで、色々と心配だったけど、モモちゃんさんがうまいこと防衛してくれてるからすっごく助かってるよ」

「……ふん。それはそうだろう」

「だよねー。あーんな若いのに、本当に優秀だもんね、モモちゃんさんは!」

「バカか貴様は」

「え、急にディスられた……」

 後輩を褒めたら罵声である。なんたる理不尽と、しょんぼり肩を落とす。

 そんなフーズヤードに、ミシェルは鼻を鳴らす。

「敵と共謀すれば、戦場のコントロールなど容易たやすいだろうよ」

「はい?」

 ミシェルの言葉の意味がさっぱりわからず、フーズヤードはきょとんと首をかしげた。

「それってどういう──」

「おい」

 ミシェルがフーズヤードの言葉を強引に遮る。その表情は厳しい。

「なんだ、あれは?」

 ミシェルの視線を追う。それを目撃したフーズヤードもあっけにとられる。

 それは青いさなぎだった。

 とんでもなく、大きい。あまりにも大きすぎて、遠近感がつかめない。

 その蛹が割れて、羽化を始めていた。

 ゆっくりと出てきたのは、青い蝶だった。生まれたての青い蝶もまた、巨大だ。羽を広げれば、その蝶々の羽がそのまま青空になるのではないだろうか。そんな想像をしてしまうほどの大きさの蝶が、己を見物する者たちの発想に応えるかのように、ゆっくりと羽を広げる。

 青い鱗粉が、『絡繰り世』のすべてに降り注いだ。

 そして、次の瞬間──


 ──空からの爆撃によって、ミシェルの周囲が炎に包まれた。

 爆炎が広がり、火の手が上がる。はるか上空から投下された爆撃に叩かれ続ける大地が革の太鼓のように鳴動して爆発ばくはつ音を響かせる。

「──バカな」

 突如として移り変わった光景に、ミシェルをして戦慄せんりつを隠せない。棒立ちになって天を仰ぐことしかできなかった。

 始まりは、上空に現れた巨大な青い蝶だ。モモが立ち去ってから儀式場に戻ったミシェルがフーズヤードと会話をしている時、羽化した巨大な蝶々が、羽ばたきとともに鱗粉を散布した。それと同時に『戦場』が現れたのだ。

 なにかしらの空間魔導なのは間違いない。散布された大量の鱗粉が『絡繰り世』を上書きして干渉し、空間のルールを変化させた。

 問題は、どのような法則で成り立っている空間に連れ込まれたのか、だ。

 ミシェルは厳しい面持ちで周囲を見渡す。

 そこかしこで火の手が上がり、神官たちが逃げ惑っている。ミシェルは顔を上げて、上空をにらみつける。

 青い蝶々の姿はない。まったく別種の敵が空にいた。

 航空機による大規模な飽和的爆撃。

 古代文明期に傭兵をしていたミシェルにとっては、懐かしさすら感じる戦場の景色だ。一機が超低空をかすめて、衝撃波をまき散らす。ひときわ大きな爆発音が響き、大地が波打った。

 第一身分ファウストが定める禁忌によって、通常兵器が導力銃程度に抑えられているこの時代ではありえない規模の破壊活動だ。

「魔導兵どもが、兵器の量産を……?」

 だとしたら、馬鹿ばかげた戦力差が生まれることになる。

 炎が渦巻いている。それでも爆撃がやまない。地上を更地にしても足りないと言わんばかりの空爆の最中、ミシェルはフーズヤードの姿を見つける。

 立ち尽くしている。これだけの出来事があっては仕方ないだろう。肩をつかんで揺さぶる。

「おい!」

「……ミシェルちゃん?」

 フーズヤードのひとみに、ぎくりと身をすくめる。

 焦点が合っていない。目がぼんやりとして、ひどく力がない。まるで目の前の現実を受け入れるのをやめた人間の目だ。

 だが、違う。

 彼女だけが、現実を見つめているのだ。

「なにしてるの? これ、精神攻撃だよ」

 フーズヤードの言葉に、ミシェルはとっさに目を凝らす。

 だがミシェルには、現実が目に映らない。その様子に、フーズヤードの顔に落胆が浮かぶ。

「ああ……ダメかぁ。ミシェルちゃんの記憶の展開? いやでも、ミシェルちゃんの精神にからまった形跡はない……じゃあ、別の場所に発動源が……たぶん、あの鱗粉が魔導陣を構築したはず……」

 ぶつぶつと考察を始める。

 自分の世界に没頭しそうになったフーズヤードの肩を、ミシェルは再び揺さぶる。

「おいっ、おい!」

「──えっ? なに!? わっ、ミシェルちゃんだ。いつの間に!?

 さっきの会話すら、無意識の応答だったらしい。こいつはつくづく異世界人とは別の意味で違う世界にいると思いつつ、念入りに確認する。

「これは、精神汚染なんだな」

「う、うん」

 ようやくフーズヤードの意識がミシェルに合わさる。

「これは……擬似的な世界の再現だね。『絡繰り世』を分解して、精神世界として展開し直してる。空間魔導と精神支配の合わせ技かな」

「この魔導の影響を受けている人間の命に別状はないのか?」

「どうだろう……気絶で済むけど、長時間いたらちょっと……精神が死んでも無事って言っていいのかな?」

 いいわけがない。

 人の人格をなんだと思っていると怒鳴りつけたくなったのをぐっとこらえて、重要な質問をする。

「この魔導を、どうすれば解除できるのか分析できるか」

「この魔導は……ミシェルちゃんが、意識してない記憶を使われてるんだと思う」

「なに?」

「だってミシェルちゃん、自分が精神干渉されている自覚がないでしょ?」

 問われて、押し黙る。

 フーズヤードの言う通りだ。ミシェルには、自分が原因となっている自覚がない。

「つまり、いまのミシェルちゃんじゃないミシェルちゃんの精神をねらった攻撃なんだよ、これ。精神は記憶で構築されてるから……ああ、やっぱり精神に欠けがあるのは、とんでもない脆弱性ぜいじゃくせいを抱えてることになるんだね。まあ、精神汚染なんて普通に生きてると直面しないからなぁ」

 非常にわかりにくいが、フーズヤードが言わんとすることは理解した。ミシェル自身、自分の精神が抱える魔導的な脆弱性に心当たりがあったのだ。

 自分の記憶は定期的なリセットを受けている。

 実際としてミシェルには、千年の記憶がない。千年前に過ごした二十余年と、半年前から聖地で始まった『ミシェル』としての人格しかないのだ。

 ミシェルの精神が抱える巨大な千年の空白を、精神防御の脆弱性として狙った魔導なのだ。

「くそがっ」

 苛立ちを吐き捨てる。

「これが精神干渉の一種でもあるなら、発動源を潰せばいいんだな」

「うん……あっち。さっきの青い蝶々がいた場所が、発動源だよ。そこにいる魔導兵の端末を潰せば、この魔導は消えると思う」

 自分がいた不始末は自分で刈り取るとミシェルが駆け出す。戦場が現れる前に見えた蝶々までは相当な距離があったが、導力強化をしたミシェルならば、さほど時間もかけずに踏破できる。

 だが街を出た辺りでミシェルの頭上で猛然と回転するローター音が響いた。どこからともなく現れた飛行体を見て、顔を歪める。

「──攻撃ヘリ?」

 飛行兵器としては地表すれすれともいえる超低空飛行でミシェルの上空に陣取ったのは、暗色の機体に空気抵抗を削ぎ落すスマートなフォルムをした攻撃ヘリコプターだった。人間を血煙に変える二門の魔導ガトリング砲と、並の障壁を吹き飛ばす対戦車ロケット弾を積んでいる。

 無差別の爆撃を繰り返す航空機とは違う。古代文明期に地上兵器を駆逐くちくするために生まれた対地戦車兵器だ。

 搭乗者なしの完全自律型兵器であり、いまの魔導兵の前身とも呼べる軍事兵器であり、当たり前だが生身で相手にするものではない。

「懐かしい相手だな」

 ちっとミシェルが舌打ちすると同時に、機関砲弾が火を吹いた。三連の結束銃身。ミシェルは導力強化をした肉体の高速機動で射線から逃れる。現代の導力銃の火力が玩具おもちゃだとしか思えない威力だ。着弾地点でぼぼぼぼっと音を立てて地面を掘り返す。

 戦車の装甲を削る大口径の導力弾の猛射を受ければ、ミシェルの肉体とて吹き飛ぶ。

 大剣を握るミシェルの右腕がはしった。

『導力:接続──断罪剣・紋章──二重発動【圧縮・水流】』

 稲妻のような一閃いっせんと同時に、圧縮した水が刃となって攻撃ヘリに直撃する。

 千年前の魔導兵器は、ミシェルの紋章魔導を受けて無傷だった。わずかによろめいただけで、ミシェルを追尾する。

 魔導文明の最盛期に開発された魔導装甲に、現代の紋章魔導では歯が立たないのだ。

 ヘリの翼下の発射装置から、数発の高速弾が発射された。対戦車ロケット。直撃を避けたミシェルの後方で、合金の装甲を破砕はさいする威力の兵器が着弾して地を揺らす。爆音とともに盛大な砂柱が上がった。

 ちっぽけな人間では対抗できないと思わせる破壊攻撃だ。それを見てミシェルの胸に湧いたのは、煩わしさだった。

「……面倒だな」

 避けるのを、やめた。ミシェルが諦めたとでも思ったのか、攻撃ヘリも滞空してぴたりとミシェルにガトリング砲の狙いをつける。

 ガトリング銃身が猛回転した。

 雨のように降り注ぐ大口径の導力弾頭が、ミシェルの導力強化した肉体を削っていく。皮膚を貫き肉を吹き飛ばし血しぶきが上がるが、ミシェルという人間の形は崩れない。

 人体ではあり得ない硬さに、戦場に適した自律思考をする攻撃ヘリにノイズが走った。いくら導力強化が人体の性能を上げられるとはいえ、鉄板を撃ち抜き粉々にできる機関砲を耐えるなどというスペックは想定していない。

 攻撃ヘリが急いたように対戦車ロケット弾を発射しようとする。

 発射できようができまいが、結果は変わらなかっただろう。

 ミシェルの右腕が跳ねる。機関砲台の嵐のもと、手に持つ大剣を投げた。

 導力強化の頂点にいる人物から放たれた投擲とうてき物は、あっさりと音速を超え大気の壁を貫き、真正面から攻撃ヘリの装甲を破壊した。

『導力:接続(条件・了)──断罪剣・紋章──発動【圧縮】』

 大剣に貫かれた攻撃ヘリが、グシャリとひしゃげて潰れる。残っていた対戦車ロケット弾が引火でもしたのか、空中で爆発が起きた。

「……派手だな」

 攻撃ヘリを撃墜したミシェルは感慨もなく目を細める。攻撃ヘリの墜落した現場から、断罪剣を拾い上げる。自分の力に耐えうることを最優先した剣だけあって、あの程度の扱いでは傷一つない。

 自分の記憶から再現された古代文明の傑作機を一蹴したミシェルは先に進む。

 彼女には、どんな相手であろうと勝てる自信がある。三原色の魔導兵だろうと、純粋概念の持ち主であろうと、千年前の古代文明期の兵器だろうと、ミシェルには勝利を摑める確信があった。

 だが、思わぬ人物に直面して立ちすくむ。

「……ずいぶんと、幸せそうなつらをしているな。なにかいいことでもあったのか」

 迷彩柄のパンツスタイルに、足を保護するコンバットブーツ。泥にまみれたその女性を、ミシェルは他のだれよりも知っていた。

「お前、は……」

「教えてくれよ。どうしたら私がそうなる?」

 ミシェルの記憶から形成される過去の戦場。

 そこには過去の自分──古代文明期の傭兵だったミシェルがいた。


 遠くに見える光景に、サハラは声を失っていた。

 空からの攻撃。

 この世界の戦術から外れた所業だ。第一身分ファウストは、長らく航空機の開発を禁忌としていた。

 その理由を、サハラは遠くで起こっている景色で理解する。

 あれは、サハラが知っている戦いとは、あまりにも違う。

「あれは、精神汚染の一種だな」

 いつの間にか、ギィノームが近くにいた。

「あれが?」

 サハラは思わず問い返していた。

 人の心に働きかける魔導とは思えない。あの戦場は、実際に起こっているようにしか見えないのだ。

「ああ。ありゃ、誰かの記憶の世界再現だよ。そいつが忘れたがっている記憶、トラウマ、出来事。それをぶつける精神攻撃なんだが、よっぽど強烈なのがいるみたいだな」

 もう一度、爆音がとどろく。

 十分な距離があるはずなのに、地面が鳴動して衝撃波が吹きつける。

「こんな強力な攻撃手段があるなら、最初から使えばよかったのに」

「そう簡単じゃないんだよ。この魔導に姉貴は自分のほとんどを素材にしてんだはずだ。あの戦場を再現するためにな」

 原色魔導は、素材を消費して発動する必要がある。単色の魔導兵を一体作るのにも、原色の輝石が多く必要となる。あれだけの規模のものとなると、どれだけの素材が必要になるのか、サハラでは推し量ることも難しい。

 アビィはミシェルを仕留めるために、大きな犠牲を払ったのだ。

「そっか……」

「そんでもって、姉貴がこの魔導の効果を発動させたってことは、合図なんだ」

「合図?」

 ギィノームの尻尾が膨れ上がる。しかも尻尾の先が横に裂け、大きく口を開いた。

 口の開いた尻尾の捕食対象は、サハラだ。

「んな!?

「悪く思うなよ」

 全身がギィノームの尻尾に飲み込まれ、押しつぶされたサハラの意識が遠のく。

「この腕さえあれば、あと少しなんだ」

 第三種永久導力機関。この特殊極まる導器には大きな意味がある。

 自分たち魔導兵の未来のため、サハラを捕らえたギィノームは、真っ直ぐ儀式場へと疾走した。


 濃密だった原色概念の渦が、消え去った。

「バグだバグだうるさかった……!」

「実際、私たちはこの世界にとってみれば招かれざるバグだったんでしょうね」

 腹立たしく苛立ちを吐き捨てるマヤに対して、こちらも疲れた口調で返答する。

 メノウもマヤも純粋概念を使う羽目にまでなった。周囲の風景を微細導器群体マイクロマシンにして操る相手に、マヤが原罪概念で全方位を取り囲んで周囲の光景から切り離し、メノウが【風化】でトドメを刺した。

「無駄な戦いよね」

「無駄じゃないわ」

 いまの戦いを徒労にしないため、メノウがきっぱりと言う。

「さっきのやつの導力の経路をたどれば、大元がわかるもの。この世界のバグの対応する機能の元、興味ない?」

「やるわね、メノウ!」

 マヤの顔が輝く。いまのメノウの台詞せりふに当てはまるのは、この世界の創世者、【器】の純粋概念の行使者以外いない。

「それで、どっちに行けばいいのかわかった?」

「もちろん」

 大きく頷いたメノウが示したのは、地面だ。

 マヤの召喚した魔物が掘り進める。途中であっさり底が抜けた。どうやらある程度以下には、伽藍堂がらんどうの空間が広がっているようだ。

「……作り込みが甘いわ。これじゃ張りぼてじゃない」

「普通は地面に潜れる設定になっていないんでしょうね。作る意味がない場所なのよ、きっと」

 どことなく不満そうなマヤの言葉にメノウが答える。モノリス内部の世界には干渉できる部分とできない部分で明確な区別があった。マヤがいなければ、地面を壊すという法則は適用されていなかったはずだ。

 だだっぴろい空間には、一つだけ扉があった。

 壁に取りつけてあるわけではなく、ただ扉だけがぽつんと置かれているのだ。罠の可能性もあったが、他に目ぼしいものはない。

 メノウは慎重に扉に触れる。魔導的な罠の気配はない。これで罠だったなら自分の技量の問題だと、メノウはドアノブをひねる。

 開いてみると、中にあったのは狭い部屋だ。一人の女性が液晶画面に向かい、一心不乱にキーボードを叩き続けている。扉が開いたことに気がついた様子もない。メノウの後ろから中を覗き込んで「あっ」と顔を輝かせたマヤの反応を見て、メノウも彼女の正体を確信する。

「あの……あなたが我堂蘭、ですか?」

 メノウが声をかけると、ジャージ姿の女性がゆっくりと振り向いた。

「……ぅぇ」

 メノウを見て、彼女は明確なおびえを見せた。感情に反応して彼女の体から原色の欠片かけらがポロポロとこぼれ落ちる。

「ぁ、う、ま、マヤ。マヤ……!」

 メノウの視線から逃れるようにして両腕を上げていた彼女は、それのみならず、マヤを引き寄せて盾にする。

「あ、もしかしてハクアに似ているから? 大丈夫ですよ。私は、彼女とは別人です」

「……あっ。う」

 落ち着かせるために穏やかな口調で語りかけたが、まったく警戒がけた様子はない。

 代わりに口を開いたのはマヤだ。

「メノウ……。我堂は純粋に対人恐怖症なだけなの」

 マヤが振り返って、我堂と顔を合わせる。

「久しぶりよね、我堂。あたしのこと、ちゃんと覚えていてくれたのね」

「……ごめんなさい」

 マヤに声をかけられて、我堂が頭を抱えてうずくまる。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 ひたすら謝罪を連呼する。マヤは嘆息した。

「別にもうそんなに怒ってないわよ。南方諸島に置き去りにされたこと」

「ごめんなさい……」

 マヤの言葉に、謝罪のトーンが変わった。

 少しは落ち着いたと見えて、メノウが改めて声をかける。

「あなたが、我堂蘭、ですよね。【器】の純粋概念の持ち主の日本人」

「……私、が」

 おずおずとマヤの背中から半分だけ顔を出す。

 対話の意思はありそうだ。ほっとして、ここまで来た目的を告げる。

「よかったら、異世界送還陣の起動キーを教えてもらえませんか」

「……あなた、もしかして、【器】の純粋概念を持つ我堂蘭に会いに来たの?」

 ワンテンポ遅れた不可解な返答に、メノウはとっさにマヤを見る。彼女も眉をひそめていた。

「どういうこと? 我堂は我堂でしょ?」

「……マヤ、そんな勘違い、してたの?」

 ぼさぼさ髪の女性が、ひそひそと小さな声で誰とも目を合わせずに呟く。

「勘違い? え? だってあなた、我堂でしょ? 千年前、『星骸』が起動した時も、あなたが助けてくれたじゃない」

「……私が我堂であることは認めるけど、私は【器】の純粋概念は使えない」

 メノウが目を見張る。マヤは困惑を超えて混乱に陥った。

「ど、どういうこと? このモノリスを作ったのも、我堂なんでしょう? それが【器】の純粋概念じゃないって、わけがわかんないわ!?

「……我堂蘭は解離性同一性障害──三つの人格を持つ多重人格者だった」