「こ、このピンク頭、常識まで筋肉に変換されたのね……!」

 確かに少し驚いたが、次はない。発動媒体である教典が爆発して木っ端みじんになったのだから、モモが教典魔導を使いこなして攻撃してくることはなさそうだ。

 ただでさえ導力義肢が起動しないという異常事態に晒されているサハラは、ほっと胸を撫で下ろしたが、それは早計だった。

「次、行きますよ」

「……次?」

 次ってなんだと首をかしげるサハラの前で、がちゃんと音を立ててフタを開けたキャリーケースから、モモが次の教典を取り出す。しかも二冊だ。

 今度は投げつけるような真似はしなかった。糸鋸のつながったキャリーケースの外面に取り付け、フレイルの原理で振り回して勢いをつける。

 ぶぅんと回転する音の重量感に、サハラの顔が引きつった。

「……あの。その箱、教典が何冊入ってるの?」

 モモがサハラに対しては珍しいことに、満面の笑みを浮かべた。

「ぎっしりですけど?」

 一冊で地面を抉る爆発力のある教典が、人間がすっぽり入りそうなキャリーケースに詰め込まれているらしい。つまりモモが持っているキャリーケースの中身は、弩級どきゅうの爆弾と化している。

「ねえ! 本当にそんな使い方していいものじゃないでしょ!?

「ダメって決まりはなかったんですよね。いまの上司も、特に止めはしなかったですし。発想って大事ですよね」

「思いついても誰一人やろうとしなかったやつでしょうがそれ!  誰か止めてよ! ていうか、なんでそんないっぱい教典支給されてるのよ!? 一人一冊でしょ、あれッ」

「異端審問官になった特典ですよっと!」

 モモが糸鋸フレイルを振り回す。勢いのついたキャリーケースがすさまじい速度でサハラに迫る。

「くっ」

 教典付きのキャリーケースを、とっさに身をひねってかわす。だが当然、モモの攻撃はただの物理では終わらない。

『導力:接続(経由・糸鋸)──教典・十三章十三節──発動【殉教の精神は愚かなほどに、尊い】』

「ぐぇ!?

 教典魔導による爆風に背中をあおられる。糸鋸を経路に導力を通して、遠隔発動しているのだ。ぎりぎりで避けただけでは、教典魔導の爆発を避けきれない。爆風に体勢を崩したところに、間合いを詰めて変形させた槌を大きく振り上げたモモが迫る。

 サハラはとっさに右腕を掲げる。

『導力:素材併呑──義腕・』

 やはり、導力義肢は起動しない。どころか悪化している。今度は腕にサハラの導力が通らなかった。

「なん──でェ!」

 サハラの導力義肢と槌が衝突する。

 あっさりと白い箱が吹き飛んだ。

 あまりにも手応えなく競り勝ってしまった事実に、サハラは硬直する。予想外なほど衝突の感触が軽い理由は単純だ。

 モモが衝突の瞬間、柄となっている糸鋸の【固定】を解除したのだ。

 ぶつかり合いに意識を割いていたサハラの周囲を、解けた糸鋸が取り囲む。

 サハラの脳裏に、半年前の戦闘の結末が浮かぶ。モモが、持ち手を絞った。

「ぐっ」

 のどを糸鋸で締め付けられる寸前、サハラがとっさに導力義肢を間に入れる。ギリギリ間に合った。いつかのように、首が飛ぶのは避けられた。

「こ、んの……!」

 サハラが自分の導力義肢に意識を集中させる。

「なめんなっ。私にはゲノムを倒したなんかすごいパワーが発動──」

「お前、さっきから魔導発動を失敗してますよね」

 鋭い指摘に、ぎくりとする。

 何度も導力義肢に導力を通そうとしたが、結局、ゲノムを倒した時のようなエネルギーは発生しなかった。

 サハラは二度の失敗で悟っていた。

 導力義肢の内部から、導力が発生しない。あの時のように、外部から取り込む必要があるのだ。もしくはあの時、サハラの義肢が変容した時の一度きりのものだった可能性すらある。

「事情は知りませんけど、お前の導力義肢、性質が変わったせいでいままでの魔導が発動しなくなったんじゃないですか」

 筋の通った予測だった。

 黙り込んだサハラに冷ややかな視線を向ける。

「お前……本当に進歩がないですね。自分の弱さが恥ずかしくないんですか?」

「うるっさい!」

 戦闘で進歩しようなどという考えは、メノウに負けた時にとっくに捨てた。

「さて、どうしてくれましょうか」

「ふん、脅しは効かないわよっ」

 命を握られた状況ながら、サハラは強がる。

「あんたのことだから、どうせメノウのことを裏切ってるわけないんでしょう!?

「そんな当たり前のこと、声に出して確認する必要があります?」

 ミシェルの部下であるはずのモモが、あっさりとサハラの言葉を認める。

 彼女が教会サイドにいるのは、メノウのためだ。モモのことを知っていれば、その可能性は真っ先に浮かび上がる。

 だが、とサハラの背中に冷や汗が流れる。

 メノウのために教会側に入り込みながらも、この半年、モモからメノウに情報が流れている様子が一切いっさいなかったのだ。

 ここ半年、サハラはメノウと行動をともにしていた。モモと定期的に連絡を取り合っていれば、いくらなんでも気がつく。

 つまりモモは、メノウの意図とは完全に独立した行動をしている。

 あれだけ先輩先輩と呼んで慕っていたモモが、あえてメノウと離れて行動しているのだ。つまるところ、メノウに知られたくない行動原理で動いていることは想像にかたくない。

 モモの性格上、メノウのための行動が、必ずしもいまのメノウへの協力につながるとは限らない。もしもモモの行動の指針がメノウを止めるためだったら、ミシェルと組んで『絡繰り世』を壊そうとしているという行動にも合点がいく。

 なによりモモは「メノウのため」という名分があれば、サハラを殺すくらいはためらいなくやる。彼女がメノウの味方だということが、サハラの命を保証する理由とはならないのだ。

「お前が死んでも先輩、そんな困らないですよね」

 モモがさっそく予想通りのことを言い始めた。

「それは……そうかも?」

 しかもモモの発言を強く否定できなかった。というか、自分がメノウにとって重要な存在なんですとは口が裂けても言いたくなかった。

「修道院で先輩をいびってましたし。お前みたいな人間のクズを仲間にするなんて、先輩も心が広いですよね」

 サハラはちっと舌打ちを飛ばす。

「昔のことをネチネチと……粘着女」

「一生言ってやります。お前が墓の下に入っても言ってやりますよ」

「え? モモ、私のお墓参りに来るつもりなの? 気持ち悪いからやめてほしいんだけど」

「あー、そうでしたね。お前みたいなやつのお墓を建ててくれるやつなんているわけなかったですね!」

 二人がにらう。

 割と命がかかっている状況でも、モモに対する敵愾心てきがいしんを捨てることはできなかった。

「少しでもミシェルの信頼を得るために、ここでお前を殺すのは普通にありなんですよね」

「わたし、魔導兵にかわいがられてるから! ここでわたしを殺せば『絡繰り世』を管理してる奴らの恨みを買うわよ!」

 ぎゃーぎゃーと他力本願な命ごいを始めたサハラの言葉に、モモが目を細める。

「……いいですか。いまは、邪魔をするなと言ってるんです」

「……いまは?」

「そうですよ」

 静かになったサハラに、にっこりと笑顔を浮かべる。モモがサハラに笑顔を向けるのは、脅しで圧をかけるためである。

「取引です。私がいいと言うまで、私の言う通りに攻めてください」

「モモの言う通りに……?」

「そうです。ある程度の邪魔は受け入れます。当然ですが、私が怪しまれない程度の反撃もします」

 攻撃をする側のサハラと、防衛を任されているモモ。二人で協力して、儀式場の建築を遅延させようという提案だ。

「そうね……私がムカつく以外のデメリットはないわね」

 つまり、サハラの気分の問題である。

「どうせミシェルが動けるようになるまでの茶番です。賢く戦争しましょう」

 モモは彼女にとって最重要のことを問いかける。

「先輩は、いまなにをしていますか?」


『絡繰り世』の中心部には、学校の校舎がある。

 一見するとただの三階建ての白塗り校舎だが、『絡繰り世』の全体と直結している。この学校内部で魔導的な干渉をすると、『絡繰り世』もそれに応じた変化をする。逆をいえば、『絡繰り世』に変化があればこの学校の内部も変化する。

 少し前にサハラの前で教室が一つ、消失したのもその影響である。

 アビィの先導で、メノウとマヤは複雑怪奇に入り組んでいる廊下を歩いていた。

「さーいーあーくー」

 先導するアビィは盛大に悪態を吐いていた。

「端末乗っ取られるなんて、恥ずかしい恥ずかしい。ごめんねメノウちゃん。迷惑かけたよね」

「いいわよ。気にしないで」

 戦闘にはなったが、乗っ取られたアビィの端末を破壊することでことなきを得た。

「それにしても異世界送還陣に、起動キーが必要とはね。誤算だわ」

「廼乃も教えてくれればいいのにっ」

 知り合いの不親切にマヤがぷっくりとほおを膨らませている。もともと、『星骸』と環境制御塔については廼乃からの情報だったのだ。

 しかし廼乃の場合、メノウたちが起動キーを探す行動に出ざるを得ない事態になることも織り込み済みの可能性がある。

 メノウたちに、【器】の純粋概念、我堂がどうらんと会わせるために情報を伏せる。

 そのくらいはするのが星崎廼乃という少女だ。

「なに考えてたのかしらね、廼乃って……」

「あたしにもわかんない……」

 人懐ひとなつこくて明るくわかりやすいように見えて、他人を信用せず陰湿でわかりにくい人物なのだ。マヤがそれに気がついたのは、残念ながら廼乃がいなくなってからである。

「起動キーを直接聞きに行くって、ある意味じゃ王道だけど一筋縄じゃいかないでしょうね」

「ふっふっふ。大丈夫よ、このあたしがいるもん!」

 マヤが腰に手を当てて胸を張る。実際、【器】の純粋概念と会うにあたって、相性で魔導的な優位に立てるマヤの存在は心強い。

 いまメノウたちが歩いている廊下は、外観からは存在し得ないほど長い。手すりのない橋のようなものだ。マヤはメノウの服のすそつかんで、へっぴり腰で歩いていた。

「ただ……アビィ。魔導兵は我堂蘭が、まだ人として生きてるって考えてるのよね?」

「え」

 メノウの確認に驚きの声をあげたのは、マヤだ。黒い瞳を丸くしている。

「そうだねー。確定じゃないけど、まず間違いないよ」

「ええ!?

 追随したアビィの肯定に、マヤはさらに驚愕きょうがくする。

 普通に考えれば、千年前の人間が生きているはずがない。ましてや異世界人だ。記憶が無くなれば人災ヒューマン・エラーとなる。そして【器】は人災ヒューマン・エラーとなっているはずなのだ。

「まだ我堂が人災ヒューマン・エラーになってないってこと? それで生きてるっていうのもおかしいでしょ!?

 千年前に生まれていたはずの張本人が騒ぎ立てる。

 メノウとアビィは目を合わせて、どちらからともなく肩をすくめる。

「まあ、マヤは最近、人として戻ったからそうなる気持ちもわかるけど……」

 記憶さえ戻れば、どれだけの年月がとうとも人災ヒューマン・エラーは人間に戻ることができるというのを証明したのがマヤなのだ。

「純粋概念って、どれも使い方次第では肉体的な不老不死を割とあっさり達成しちゃうのよ」

「それは……わかるけど」

「だから記憶の保持さえなんとかなれば、千年くらいは平気で生き残れちゃうわけ」

 雑談をしているうちに長い廊下を、渡り終えた。

 アビィが、屋上の扉を開く。

 視界が開ける。屋上の中心には、真っ黒なモノリスがそそり立っていた。

「私が案内できるのは、ここまで」

 モノリスを前に、アビィが立ち止まる。

 メノウも屋上に屹立きつりつする不可思議な物体に近寄る。漆黒というわけではない。様々な色を混ぜ込んだ挙句に、結果としてドス黒くなったという色合いである。

「これが……」

「そう。素材が生まれる場所、我らがお父母さまだよ。正確には、その『自室』の入り口」

 見覚えのある質感に、マヤが思わず手を伸ばす。

 このモノリスは、かつて一緒にいた浮遊物体を連想させる。千年前より、はるかに巨大化しているが、手触りは同じだった。

 メノウも、それを見て呟く。

人災ヒューマン・エラーに、なり続けている人」

 一般的には『絡繰り世』こそが人災ヒューマン・エラーとして認識されているが、アビィたち魔導兵は【器】の人災ヒューマン・エラーについて人類よりも深い見識を持っていた。【器】の純粋概念、我堂蘭は精神を分裂させ続けることで、小さな人災ヒューマン・エラーを生み続けている。原色の輝石とは、我堂蘭から剝がれ落ちた感情の欠片かけらであり、極小の人災ヒューマン・エラーそのものなのだとほぼ正解の推論を立てていた。

 分裂する精神を犠牲に、我堂蘭は人格を保っている、と。

 元は一人の人間の心の欠片が複雑に組み合わさり、やがて、意思をもつ魔導兵が生まれる。

 アビィたち魔導兵こそが【器】の人災ヒューマン・エラーの一員なのだ。

「でもさ。本当に行くの?」

 ここまで来て、アビィが心配そうに声を潜める。

「この中の空間密度は、人間どころか私たちでも入れないレベルだよ?」

「そのために、マヤに協力してもらうのよ」

「……うん。任せて」

 異世界送還の魔導陣『星骸せいがい』の構築、世界の人々の記憶図書館『星の記憶』の建設、大陸各地への転移の要『龍門』の敷設ふせつ

【器】の純粋概念を持った我堂蘭は、多くの古代文明技術の開発に携わり、構築してきた偉人だ。

「私が帰って来るまで、サハラと一緒にミシェルへの対応、お願いね」

「うんっ、任せておいて! ……勝っちゃっても問題ないよね?」

「もちろんよ」

 マヤの影がモノリスの表面を侵食する。入り口ができる。

 メノウたちが、『絡繰り世』の真の中心部に足を踏み込んだ。


 メノウたちの姿が、モノリスの内部に吸い込まれて消えた。

「うーん……星崎廼乃の、予言通りかぁ」

 モノリスの向こう側に行ったメノウたちを見送ったアビィは小さく呟く。

「でもこれで条件は整った」

 いまメノウたちが入っていった場所から、アビィたちがいる空間への干渉は不可能だと言っても過言ではない。時間が歪むほどに空間の深度が違う。それこそ、【器】の純粋概念その人でもなければ、自由に行動するのは不可能な場所にメノウたちは自ら入り込んだ。

 それはマヤの──【魔】の純粋概念のアビィたちへの干渉が、不可能になったことを意味する。

 屋上に、青い狼が顔を出す。

 ギィノーム。アビィの愛しい弟だ。

「姉貴……本当にやるのか」

「やるよ。メノウちゃんには悪いけど、そろそろ──この世界を壊す時期なんだよね」

 どうしたって、犠牲は必要なのだ。

『導力:素材併呑──アビリティ・コントロール──起動【擬・『絡繰り世』】』

 アビィの端末が、指先から砕け始める。細かく砕けた体が三色の糸に変わって、しゅるしゅると音を立てて繭をつくる。

 この魔導は、効果を発揮させるまで数日かかる。その間、アビィは完全に動けなくなる。なにより代償が大きい。それでもためらいはなかった。

「いまいる人間に、『絡繰り世』を忘れさせてあげなきゃね」