空気に色が混じる世界の中で、多くの人間が作業に励んでいた。

 儀式場の建設は順調だ。北大陸を走る路線の最寄りの駅から『絡繰り世』まで急場の線路を敷き、導力列車で必要となる資材を運んでフーズヤードの理論に従って場を構築する。

 第一身分ファウストの強権を振るって急ピッチで進めただけあって、とてつもないスピードで完成に近づいていた。

 魔導空間である『絡繰り世』に対して、儀式魔導で対抗する。その発想自体は昔からあった。魔導で構成された空間なのだから、魔導で消し去ることができるというのは道理なのだ。

 有効と判断されながらも、誰もが実行に移せなかった理由は単純だ。

『絡繰り世』の内部には、龍脈がない。

 別世界と評されるほど巨大に膨れ上がった『絡繰り世』に対して、儀式魔導を発動させるだけの導力源が存在しなかったのだ。

 大規模な魔導現象を引き起こす儀式魔導のエネルギー源は、ほとんどの場合、大地を流れる導力──地脈に頼っている。

 人間の導力は、他人のものと重ねると拒絶反応が出る。個人差による拒絶反応があるために一つにたばねて大規模な魔導発動をすることができない。他人と導力接続が可能なのは、非常に強い信頼関係で結ばれている者同士か、自分と他人の境界線が曖昧なくらい自己の人格を重要視しない特殊な人間くらいだ。

 いままでエネルギー源がないという課題を抱え続けていたのに、モモたちが儀式場の建設を進めるという選択肢を採用することができたのには、もちろん理由がある。

 モモは急ピッチで作られている街の中央部にある、建設途中の教会に入る。

「お疲れさまでーす!」

「……モモか」

 礼拝堂には、ミシェルがいた。

 儀式場の建設が始まってから多くの時間をこの場所で過ごしている彼女に、モモは人懐こい笑顔で問いかける。

「どうですか、居心地はー?」

「いささか退屈だな」

 モモに声をかけられたミシェルは、読みかけの本を閉じる。

「導力の経路がつながっているかの確認に必要とはいえ、こもりきりになると気が滅入る」

 気弱なことを言いながらも、まったく変わらない声音である。『絡繰り世』を消し去るための儀式場の核は、ミシェルだ。

 一人で街一つの導力をまかない続けることができる彼女さえいれば、龍脈がなくとも儀式場のエネルギー源に悩む必要はなくなる。ミシェルから導力が供給される前提で儀式場の建設を進めているのだ。

「この儀式魔導が成功すれば端から『絡繰り世』を消すことも可能だ。やつらに逃げ場所はない」

 モモたちはメノウを追って、『絡繰り世』の内部までやってきた。魔導兵を味方につけたメノウたちにとって、『絡繰り世』は有利な場所だ。だからこそ、その空間を丸ごと消し去ってしまおうというのがミシェルの案だった。

「でもぉ。『絡繰り世』ってグリザリカ方面にも、出口はありますよねー」

 モモの発した懸念は当然のものだった。

『絡繰り世』を通常の空間と切り離している白夜の結界が北大陸と繫がったのは、むしろごく最近である。長年、人類を襲い続けた空間の穴は大陸東部に開いている。

 メノウたちの拠点は、そちらだ。『絡繰り世』を消していってグリザリカ王国に駆け込まれてしまっては数ヶ月前の膠着こうちゃく状態に逆戻りである。

 モモの問いに、ミシェルは口元をゆがめる。

「グリザリカ方面へ行くなら、むしろ好都合だ。あちら側とは、すでに話はついている」

「そうですかー」

 だれと、なんの、とは問いかけなかった。

 ミシェルの口ぶりから、その情報は引き出せないとわかったからだ。

「しかし、敵もこのまま黙って見過ごしはしないだろう」

「それはそうですねぇ。そこまでバカだったら、ミシェル先輩からここまで逃げ続けられたわけないですしねー」

 この儀式場の欠点は、導力を供給し続けるミシェルが動けなくなるということだ。敵側も、本来ならば導力の供給源がないこの状況で儀式場の建設を進めているのを見れば、なにを儀式場の核にしようとしているのか予想できるはずだ。

 最大戦力が欠けるこの状況は、敵からすれば、攻撃の格好の機会になる。

 モモの予想を裏付けるかのように、どぉんと地鳴りが響いた。

 続いて銃声と、それに対抗するための魔導構成の気配。教会の中にまで慌ただしい空気が伝わってくる。

「来たぞ」

 突然の襲撃にもまるでうろたえた様子のないミシェルの瞳が、モモを見据える。

「行ってこい」

 内心を見通したかのような視線が、どういう意図をはらんでいるのか。

 どちらにしても、モモの目指すものは変わらない。

 にっこりと満面の笑みを浮かべる。

「はーい! ミシェル先輩のお手間はかけませんとも!」

 悔しいが、星崎廼乃の台詞せりふにはひとつだけ心から同意できることがある。

 互いを利用し合うことを、協力というのだ。


 戦場にあって、自分の身を危険にさらさなくていい立場がある。

 前線で泥まみれになって戦う一方、後方で優雅にお茶を飲む時間すらある。

 指揮官という、戦場でも特別な立場である。

 サハラは遠く離れた場所から、魔導兵を動かしていた。

 今回のサハラの役目は、安全な位置から魔導兵を動かせばいい簡単なお仕事である。指揮官という立場は本来ならば勝敗への重圧やら人命を背負っている責任感があるのだろうが、この戦いで消費されるものは自意識がない魔導兵ばかりなので、どれだけ壊されようとも罪悪感もない。

「ミシェル相手に戦えとか言われた時はどう逃げようかと思ったけど、これなら悪くないわ」

 手のひらサイズの通信兵で遠方にある相手の儀式場を映し出しながら、襲撃を仕掛ける地点を指定する。サハラの指示で魔導兵を動かし、建物をねらって攻撃すればいい。

 いまミシェルたちが構築している儀式場は、あまりに広範囲だ。ミシェルがいる教会のある街を中心として、線路で繫いだ小さな村を造って広がっている。要所に第一身分ファウストが配置されているが、すべてをカバーしきるのは不可能だ。いくらでも隙はある。

 悪くない。なかなか悪くない立場である。

「素晴らしいわね。戦いとはこうあるべきだわ」

 もともとの近接戦から狙撃へ、そしてとうとう戦場から離れるという進化を遂げているサハラだった。

 通信専用の魔導兵から得たマップ情報を参考に、兵器として与えられた魔導兵を配置していく。【赤】【青】【緑】の種別で特性の分かれる魔導兵を使い分け、主力の大部隊で儀式場の破壊をすると装いつつも、少数の魔導兵で資材の供給線である線路を狙う。

 ギィノームから、単色の意思のない魔導兵なら存分に使っていいと許可は得た。

「もうちょっと【青蜘蛛】が欲しいわね。【赤】の兵隊より使いやすいし。【緑】はいまいちクセが強いから使いどころが限られるのよね……」

 ぶつぶつと呟いて線路を攻撃しているうちに、少数の神官を釣り出すことができた。事前に偵察兵を送ってめぼしい神官がいないことは把握している。ここに魔導兵を集中させていけば倒せてしまえそうだ。

 この一戦で神官を気絶させれば十分だろうと、あくびをしようとした時だ。

 殺気を感じた。

 とっさに前に転がった。サハラの頭があった場所を、真っ白な箱が通過する。

 地面と衝突した白い箱が、轟音ごうおんを立てて三原色の土煙を巻き上げる。

「……ちっ」

 もうもうと舞い上がる土煙の向こうで舌打ちが響いた。

 それだけで、サハラは相手の正体を悟った。

「……野生のスーパーピンクゴリラが現れたわね」

「お前よっぽど殺されたいらしいですね」

 苛立ちたっぷりの台詞と同時に土煙が晴れる。サハラがつけたニックネームが気に入らなかったのか、不機嫌な顔をしている。桜色の髪をシュシュで二つ結びにした神官など、一人しかいない。

 モモだ。彼女の神官服が白から藍色に変化しているのを見て、サハラも舌打ちをする。

「出世したんだ。おめでとう。そのまま管理職になって内勤で引っ込めば世界が平和になるわ」

「どういたしまして。世界を平和にするためにお前みたいな害虫の駆除に励もうと思います」

 さらに濃密になったモモの殺気に、じりっと後ずさる。いきなり襲いかかってきたモモの態度に警戒しただけではない。彼女の腕に、異端審問官の地位を示す腕章が付いているのを見つけたからだ。異端審問官といえば自分たちを追い回しているミシェルと同じ立場である。

「それにしても……なんで、この場所がわかったの?」

「その魔導兵」

 モモが、映像を投影している小型の通信兵を指差す。

「遠方の景色の映像を送る時、導力を使ってるんですよ。映像を送信している魔導兵を見つけて、そこから指向性のある導力をたどっていけば、ここに到着したっていう寸法です」

「たどるって……魔導兵の通信を逆探知する方法なんて、あった?」

「遅れてますねぇ。十年前で頭止まってるんですか?」

 通信兵が発する指向性の無線導力は、人間に探知できるレベルではないはずだ。

 そんなサハラの常識をあざ笑ったモモが、眼鏡めがねを外して見せびらかす。モモの変化に興味がなさすぎて気がつくのに遅れたが、彼女は歯車のついた眼鏡をかけていた。

「やりようによっては、視えるんですよ。どっかのもの好きが開発した紋章魔導があるんで」

 いわずもがな、フーズヤードの眼鏡である。予備があったので強奪ごうだつしてきたのだ。

「視えた導力の種類を見分けるクソ講義を聞くのは面倒でしたが、無駄にはならなかったですね」

『導力:接続──糸鋸・紋章──発動【固定】』

【固定】のかかった糸鋸を柄にして、モモのキャリーケースが、あっという間に巨大なつちに変貌する。【固定】を解除すれば柔軟に動くフレイルになるだろう。紋章魔導が刻まれた糸鋸と真っ白なキャリーケースを組み合わせることで、変化する武器となっているのだ。

 半年前よりも重装備になったモモに、サハラは感嘆の吐息をこぼした。

「へえ。似合ってるわよ。ゴリラに相応ふさわしい力任せの装備になったじゃない」

「そっちのおてては変わりないみたいですねっ」

 会話の途中で、モモが踏み込んだ。

 糸鋸を持ち手としたキャリーケースが、ぶうんと空気をえぐる音を立てた。

 導力強化をしたモモが重量武器を振るえば、とんでもない威力となる。処刑人という隠密の立場を捨てたことで、怪力を遺憾なく発揮する方向に切り替えたのだろう。

 サハラが腰を落とすのが一瞬遅れていれば、首から上が吹っ飛んでいた。その場で尻餅しりもちをついて後方に転がって距離をとり、立ち上がって構える。

『導力:素材併呑──義腕・内部刻印式魔導陣──』

 サハラは導力義肢である自分の右腕を戦闘起動させようと導力を流し込む。

『起動【銀Noこt──』

 なんの手ごたえもなく、導力義肢の起動が失敗した。

「は?」

 自分の失敗が信じられず、思わずあっけに取られる。導力義肢の戦闘起動の不発など、あり得ないレベルの失敗だ。

 だがもちろん、モモが待ってくれるはずもない。糸鋸の先にくくりつけられたキャリーケースを横薙ぎにたたきつけてくる。

「っぶな!」

 大きく飛びのいて後退する。

 半年前のモモは、糸鋸を単体武器にして【固定】と【振動】の紋章魔導で戦っていた。それから武器の使い方は変化しているが、糸鋸の先に白い箱がついただけとも言える。

 それならば、なんとかなる。

 重しが付いた分、威力と範囲は広がったが精密さは逆に減じている。一長一短であり、慣れない武器なら隙もできやすいはずだと、虎視眈々こしたんたんと逃亡の機会を狙っていた時だ。

 糸鋸の【固定】を解いてキャリーケースを手元に戻したモモが、フタを開いて中に手を入れ、教典を取り出した。

「……え? 教典を入れてるの? キャリーケースに?」

「そうですよ。なに入れようが私の自由ですよね」

 そうは言っても、普通、教典は左手に常備するものである。信仰の表れとされているので、人目につかない場所に置いておくということは、あまりしない。

 あっけに取られるサハラの心情を考慮する様子もなく、モモが教典に導力を流す。

『導力:接続──教典・十三章十三節──』

 モモが展開する魔導構成の速度は遅い。紋章魔導並みの展開速度を誇るメノウと比べるまでもない。サハラが教典魔導を発動させようとするよりかは早い程度だ。

 だが、モモが発動させようとしている教典魔導が問題だった。

『発動【殉教の精神は愚かなほどに、尊い】』

 魔導発動と同時に、モモは迷わずサハラに向かって教典をぶん投げた。

「ちょ」

 あわてて前に身を投げたサハラの背後で、教典が爆発ばくはつした。

 爆風の熱と衝撃が背中をあぶる。ちらりと涙目で振り返ると、直前までサハラがいた場所に小さなクレーターが穿うがたれていた。

 いまモモが行使したのは、数ある教典魔導の中でも最も使用頻度が少ないと言い切れる魔導──自爆魔導だ。本来ならば機密保持のために教典を爆破ばくはする魔導であり、自決用に持ち主ごと確実に吹っ飛ばすことを想定しているため威力はかなり高い。

 そして当たり前だが、神官の必需品である教典を爆発させる魔導なため、決して攻撃用に使うものではない。やるとしても、教典が破損寸前になっているとか緊急的な使い方のはずだ。

 そんな使用頻度の低い教典魔導を行使して、モモは教典をちょっと強力な爆発物扱いしたのである。

「ば、罰当たり! そんな雑に使い捨てる!? あなた一応、正規の神官でしょうが!」

「さー? 教典って内容つまんないですし、大切に扱おうって思えた試しがないんですよ。主とかいう千年前の人間を礼賛している紙切れの束とか、このくらいの扱いが妥当じゃないですか? ……どうせ先輩の映像、消されちゃってますし」