「くそがっ」

 激闘の末に追い詰められた魔導兵は、メノウに向けて吐き捨てた。

 褐色の肌に緋色の髪をした、人型の魔導兵だ。三原色の魔導兵である彼女の本体を構成していた魔導空間は、すでに消えた。もはやこの端末一個分の素材しか残っていない。

 彼女は数いる三原色の魔導兵の中でも、もっとも人類を殺してきた一体だ。

 彼女は彼女が生き残るために人類との戦線を構築し続けた。東部未開拓領域戦線と名付けられた場所は、彼女が支配していた空間だった。

 どうしても、必要だったのだ。

 人間という名の【赤】の素材が。

「往生際が悪いね。人間を解体して【赤】で膨れ上がっているせいで、随分といびつだったよ」

「中心と接した恵まれた連中と、一緒にするな。口を開けていれば素材が流れ込んでくるお前らとアタシは違うんだ……!」

「だから?」

 冷え冷えと、アビィが告げる。いつもの彼女の陽気さはまるで見当たらない。

「中心部との隣接争いに負けて、追いやられて、人類相手に戦争をして、私たち全員を人類の敵にした。それがお前だ」

絡繰からく』が人類に敵対的なものとして恐れられているのは、ここ東部との隣接地帯が戦場だからだ。

 放置していれば魔導兵が人をさらっていき、攻め込もうにも精神汚染が甚大で防衛戦を構築するのが精一杯だった。大規模な儀式魔導を構築することもできず、ずるずると数百年間、争いを続けることとなった。

「人類と戦争をして、ゲノムとの取引をして、【防人】の支援まで受けてたでしょ。よくもまあ肥大化したものだと思うよ」

 彼女の空間のほとんどは、アビィによって食い尽くされた。

「ご馳走様」

 にっこり笑ったまま、頭を踏み砕く。

「これで、一体」

「うん! メノウちゃんのおかげだよ。その【時】の純粋概念。その魔導がなきゃ、私もどうしようもなかったんだよね!」

 アビィとの共闘を約束したメノウは、空間にも干渉できる魔導で、『絡繰り世』内部の二つの場所を繫げた。メノウでは扱えないはずの【時】から派生した空間魔導だったが、『絡繰り世』では空間への干渉が容易で、アビィの本体と先ほどの魔導兵の本体を繫げる魔導が使用できた。

 そして始まったのは、三原色の魔導兵同士による空間と素材の食い合いだった。

「それで、アビィ。あなたのお望みは、あと何体だったかしら」

「三体」

 端末である彼女は指を三本立てる。

 空間生命体であるアビィの本体は、動くことができない。素材を飲み込んで拡大することはできるが、移動という行為ができないために端末を作って派遣している。

 そこに現れたのが、メノウだ。

【時】の純粋概念で空間を繫ぐことで、アビィは他の魔導兵の本体に強襲をかけることが可能になった。

「そうすれば、メノウちゃんのお望み通りにしてあげる」

 それが数ヶ月前に起こった『絡繰り世』防衛戦の初戦だった。



星骸せいがい』。

 それは、北大陸の中央部に浮く巨大な球体を示す名称だ。

 北の天空を巡る球体群の正体は、千年前に起動して北大陸の中央部をくり抜いて消費した、超々巨大な魔導装置だ。

 純粋概念【星】と純粋概念【器】が合作した傑作。多大な素材と命を組み合わせて完成させた『星骸』の目的は一つだ。

 異世界送還。

 異世界人を召喚するのとは真逆の手順を踏むことで、この世界の人間を日本へと送り返す魔導を発動させるのが『星骸』という装置の役割だ。

 元の世界に、帰りたい。

 日本という平和な国からこの世界に召喚された人間が、その願いでもってつくりあげた千年前の遺物だ。

「……どんな場所なのかしらね」

 北大陸の中央部から『絡繰り世』の中心部に来て、数日。校舎を模した空間で異世界に思いを馳せたメノウは、ぽつりと呟いた。

 日本。

 そこがどんな国なのか、知識はあっても本当の意味ではメノウは知らない。この世界で生まれた人間は一度も足を踏み入れたことがないのが、異世界にある日本という国だ。

 知れども行くことのできない国の学校施設を模している校庭には、巨大な建造物が鎮座していた。

 校舎よりもよほど大きいそれは、ところどころひび割れ、半壊している。元が全長一キロはある建物である。本来は広々としているはずの校庭を占有しているそれを、メノウは厳しい目つきで見上げる。

 四大人災ヒューマン・エラーの一つ、『星骸』を管理する機能を持つ建築物──環境制御塔だ。

 メノウたちは地下都市『遺跡街いせきがい』で、【星】の純粋概念の持ち主である星崎ほしざき廼乃ののと出会ったことで『星骸』の正体を知った。

 異世界召喚とは逆の、送還のための魔導を発動させる魔導陣。異世界人を、元の世界に帰すことができる唯一の手段だ。発動できるのがたった一度きりとはいえ、『星骸』を管理する権限を持つ装置を確保できたのは僥倖ぎょうこうだった。

『星骸』をコントロールするための環境制御塔に、『絡繰り世』の住人である三原色の魔導兵。いまのメノウの手元には、世界を滅ぼせると言われる四大人災ヒューマン・エラーのうち二つがそろっている。

「……ああ、違うわね。マヤも含めれば、三つか」

 記憶を取り戻しているが、マヤも『万魔殿パンデモニウム』の一部だったのは間違いない。大陸からはるか南方の海にある霧の結界。そのわずかな隙間から抜け出した、『万魔殿パンデモニウム』の小指がマヤだ。行きがかりで保護したという面もあるが、いまでは頼もしい仲間の一人である。

 残りの一つは『塩の剣』だ。それさえ揃えば、古代文明を滅ぼした四つの人災ヒューマン・エラーにまつわる力が手元に集合する、と考えるとメノウの現状はなかなか壮大だ。

 傷つけたものを、問答無用で塩と変える必滅の刃。使い方によっては星を丸ごと塩に変換することも可能で、事実、千年前に大陸一つを塩にして海に溶かした実績がある。

『塩の剣』は半年前に砕かれて刀身のほとんどが失われ、いまではわずかに残った刃先がアカリに突き刺さっている。

【時】の純粋概念を暴走させたアカリの人災ヒューマン・エラー化を止めるために、メノウが彼女の胸元に突き刺したのだ。塩の侵食を止めるために【停止】を一点に集中させたことで、アカリは身動きが取れなくなった。

 彼女の記憶を再生し、人災ヒューマン・エラー状態から引き戻してアカリの肉体を蝕む塩化現象を解除する。それは打倒ハクアに並ぶメノウの目的だ。

 そのアカリの体の行方も、メノウは知らない。自分の記憶を残した手帳に、『信頼できる後輩に預けた』という情報があるのみだ。

 しかしアカリを隠した彼女から、この半年間で連絡は一切ない。どこにいて、なにをしているのかもわからない。

 過去の自分が、モモという後輩にアカリの体を託した意図はわかる。

 メノウは、モモのことを自分から遠ざけておきたかったのだ。

 塩の剣に【時】の純粋概念。いまのアカリを蝕む要素は、あまりにも強力だ。真っ当な方法で彼女を助けるのは、不可能といってもいい。

 だからこそメノウが思いついたアカリを助ける方法を、モモという後輩に知られないために、自分のそばから引き離したのだ。

 アカリを助けるのに、アカリの肉体は必ずしも必要ではない。

 生命を成立させる三要素は、肉体と精神、そして魂の三つだ。この中でも肉体は、取り替えがきく。アカリの記憶と魂が収まる器さえあれば、塩の剣に蝕まれているいまの肉体から移し替えることができるのだ。

「……」

 ここ半年の経緯で積み重なったさまざまな事柄に思いを馳せていたメノウは、無言で胸に手を当てる。

 実際のところ、アカリの魂と精神を入れることができる器には、いくつか候補があった。換えが効かない魂、補充の手段が限られている精神の記憶と違い、その二つを収納する肉体は用意することが比較的簡単なのだ。

 いまのメノウは、あえて純粋概念の行使によって記憶を消費している。もちろん、聖地を出てからの敵が強敵揃いだからというのも一因だ。

 だが同時に、メノウが記憶を消費することが、アカリを助けるために必要なのだ。

 メノウが用意しようとしているアカリを助ける手段を知られたら、モモという後輩はメノウを止める可能性が大きい。だから引き離したのだ。

 その後輩がなにをしているのか。いまのメノウに、知るすべはない。

 考えても詮のないことだ。頭を振って思考を切り替える。

 いま大切なのは、半壊した環境制御塔を分析、再生をしているアビィから話を聞くことだ。

 メノウが中に入ると、内部には何匹もの青い蝶々が飛んでいた。

 導力光の燐光を放つ青い蝶が、破損した箇所に留まって修復を進めていく。蝶の羽から落ちる鱗粉は、わずかな導力光を放つ極小の微細導器群体マイクロマシンだ。ひらひらと飛ぶ青い蝶の鱗粉で補修された壁や天井、床などがぼんやりと発光して光源となっている。

 微細導器群体マイクロマシンは、原色概念の最小単位だ。自己増殖をする分子単位の極小の魔導兵であり、三種ある微細導器群体マイクロマシンが複雑に寄り集まることで生命体にまで成り上がることができる。微細導器群体マイクロマシンを操作することで、アビィは環境制御塔の修復をしているのだ。

「管理者権限の移譲は、順調?」

 内部に入ったメノウは、微細導器群体マイクロマシンの発生源に問いかける。

 環境制御塔の破損箇所を埋めて修復をしている青い蝶々の使い手。微細導器群体マイクロマシンを発生させているのは、アビィである。

 メノウに声をかけられた彼女は、ゆっくりと目を開ける。

「順調だよ」

 マリンブルーの瞳で微笑み、二本指を立てたⅤサインで肯定した。

『絡繰り世』に着いてからの数日間、彼女は環境制御塔の内部にこもりきりになっていた。

 もともと『星骸』をコントロールしていたのは、遺跡街の環境制御塔に潜んでいた【使徒エルダー:星読み】と呼ばれていた専用の魔導兵である。彼女の予言に従ってゲノムと戦い、アビィが損壊して機能を停止した【星読み】を取り込み、環境制御塔の半分を補修して解析することで、『星骸』の管理者権限を移譲できるはずだった。

 いまはアビィを中継として『絡繰り世』に残っている三原色の魔導兵の総力を上げて環境制御塔の解析をしているらしい。互いの情報を送受信するために、アビィは動くことができていなかった。

「確かに補修はほとんど終わってるみたいね。異世界召喚陣の逆算は?」

「それも順調」

 アビィは人差し指と親指をくっつけて、軽妙に丸をつくる。

 この世界は、日本から異世界人を召喚し続けていた。時に自然に起こる魔導現象として、時にだれかの明確な意図でもって、この世界に『純粋概念』という絶大な力を生み落とし続けた。

 異世界召喚という、この世界が犯し続けた罪を未来ではなくすことができるかもしれない。

 この世界にいる人間を異世界にある日本へと送還する魔導は、星の基幹システムとして刻まれている異世界召喚陣と相関関係にある。その魔導の解析を進めれば、導力による自然な魔導現象に干渉して、二度と異世界人がこの世界に来ることがないようにできる可能性がある。

「……しなきゃ、いけないのよね」

 こればかりは、アカリとは関係ない。

 世界のためにと罪もない人々を殺してきたメノウにできる数少ない贖罪しょくざいだ。

 アビィの分析も順調だという。この分だと、皮算用ではなく異世界送還陣に干渉することができるだろう。

 メノウたちの計画は順調に進んでいるが、問題もある。

「ミシェルよね……」

「そうだねー」

 メノウの懸念に答えるアビィの表情も暗い。

 やはりというべきか、メノウたちを追ってミシェルも『絡繰り世』に入ってきた。

『絡繰り世』に来た直後は、彼女たちに追いつかれる前にアビィの空間の切り替えで中心部に移動してことなきを得た。一度『絡繰り世』から離脱したようだが、そのまま追撃を諦めてくれるほど容易たやすい相手ではないことは、メノウもアビィも重々承知している。

「せっかく北大陸から『絡繰り世』に来たしと思ってグリザリカに連絡用の魔導兵を送っても、返ってこないんだよね。あっちからの増援も望み薄だね」

「そっちも心配なのよね。グリザリカ王国を出て一ヶ月経つし、アーシュナ殿下に、なにかあったのかもしれないわね。……サハラも、殿下に無断で連れてきちゃったのよね」

 グリザリカ王国は、メノウたちの活動拠点だ。大陸的な大国である王族アーシュナ・グリザリカはメノウたちの活動の支援者でもある。

 グリザリカ王国にいるはずの彼女に連絡がつかないのは気になるが、メノウやアビィががこの場から離れるわけにもいかない。

「……サハラをグリザリカに行かせるのはありかもしれないわね。なんか、ここ数日すごく暇そうにしてるし、働かせるべきよ。事前に用意しておけばサハラってマヤが召喚できるから、連絡役にはぴったりだし──」

「やだ! 私のやる気の元なんだよ、妹ちゃんは!! 遠くに行っちゃヤダァ!」

 年下至上主義のアビィが強固に訴える。

 理由のくだらなさにメノウは渋面になってしまう。いまアビィにヘソを曲げられるのは非常に困るため、無下に彼女の意見を却下することも躊躇ためらわれた。

「まあ、グリザリカとの連絡は置いておくとして……ミシェルがここまで来たら、勝てる?」

「わかんない」

「……私の協力込みでも?」

 もちろん、メノウが純粋概念【時】を使ってアビィたち魔導兵を援護するという意味だ。

 いまのメノウたちは、ミシェルを敵に回して以来、もっとも有利な状況にいるといってもいい。ミシェルが安易に力押しで攻めてこないのがいい証拠だ。

 だというのに、アビィは肩をすくめる。

「本当に、わかんないんだよ」

 青のひとみを持つ褐色の美貌に、困った表情を浮かべる。

 ここ数日、ミシェルに対してなにもしていないということはない。

 幾度となく原色兵器である魔導兵を送り込んで襲撃をかけ、『絡繰り世』特有の精神汚染による攻撃もしかけ、そうして出た結論を口にする。

「どうやって倒せばいいんだろうね、あれ」

 強すぎる。

 それが偽ることなきミシェルへの評価だ。

「さすが古代文明期の人間兵器。物理現象を超えちゃってるね、あれは。──あ、メノウちゃん。機能的な補修はだいたい終わったから、環境制御塔への接続、試してみるね」

「……そうね、お願い」

 ミシェルへの対抗策が思い浮かばないまま、話題が環境制御塔に戻る。

 環境制御塔専用の演算装置である【星読み】の端末を飲み込んだ彼女には、この巨大な魔導建築物をコントロールする機能が備わっている。

『導力:接続──環境制御塔・管理者権限──』

 アビィが環境制御塔と自分を接続する。

 彼女の褐色肌の全身に導力光の幾何学模様が浮かび上がり、床から壁、天井へと走って巨大な魔導陣を形成する。メノウの視界外の場所にも同じように導力が流れ込み、建物全体に及んでいる。

「ミシェルは相手にしないで、やっぱり逃げ回るのが一番、いイんだとオモうけド──」

 環境制御塔に導力接続をしながら、雑談を続けようとしたアビィの声が不自然に途切れた。動きも止まって、完全な静止状態になる。

「どうしたの、アビィ?」

 不審に思って近づくと、アビィがゆっくりと顔を上げる。

「導力、接続確認。経路、環境制御塔及び『星骸』管理者権限魔導人形。参照目的、異世界送還陣」

 無機質に機能を述べ、感情の喪失した瞳をメノウに向ける。

「管理者権限移譲のため、導力による起動キーの入力を願います」

 予想外の事態に、メノウの頭が猛烈な勢いで回転する。

 明らかに普段のアビィとは様子が異なる。かといって、いまの言葉を聞く限りアビィがおこなっていた『星骸』の管理者権限奪取と無関係とも思えない。

「……あなたは、【器】の作ったシステム?」

「不正侵入と断定。排除します」

「──ッ!?

『導力:接続──戦闘服・紋章──発動【多重障壁】』

 褐色のこぶしが、メノウに振るわれた。

 メノウがとっさに展開した数枚の【障壁】を、ただの一撃ですべて砕いた。拳の威力はそれでも収まらず、導力強化をしたメノウに直撃して吹き飛ばした。

 壁にしたたかに背中を打ちつけて、ワンバウンド。床に叩きつけられる前に空中で姿勢を制御し、四足の姿勢で着地する。

「これは……」

 背中の痛みに顔をしかめながら、メノウは相手を見据える。

 マリンブルーの瞳には自由意志が見当たらない。無言のまま、再び攻撃の姿勢になっている。

 アビィが精神汚染を受けている。正確には、彼女の端末がなにかに乗っ取られている。

 三原色の魔導兵に対して導力でのハッキングなど、人間技ではない。メノウも過去に原色【赤】一色で構成された魔導兵に導力接続でハッキングをしたことがあるが、比較的単純な構造をしている魔導兵への侵入ですら多大な痛みと困難を伴った。

 確固たる自己を確立させた三原色の魔導兵に導力侵入を成功させるなど、あり得ないといってしまってもいい。

 不可能なはずの理不尽を可能とする存在など、思いつくのは一つだけだ。

「やっぱり、【器】の純粋概念よね」

 呟きながら、メノウは短剣銃を引き抜いた。

 もともとこの環境制御塔を建造したのは、魔導兵の生みの親でもある【器】の純粋概念だ。原色概念の始祖ならば、アビィですら抵抗できないトラップを仕掛けていてもおかしくない。

 アビィが再びメノウに襲いかかってきた。

 強烈な一撃を避けた背後で、壁が壊され外への穴ができた。三原色の魔導兵であるアビィの性能はすさまじいの一言に尽きる。アカリと導力の相互接続をしたことで純粋概念に干渉できるようになったメノウの導力強化と互角の出力だ。

 この状況では、いまここにいる端末だけではなくアビィの本体すら無事だと断定できない。救いがあるとすれば、単純な白兵戦しか挑んでこないことだ。原色魔導まで使われたら、いよいよ手がつけられない状態になる。

「こんなところで、仲間割れしてる場合じゃないんだけどね……!」

 厳密には仲間割れではないが、はたから見たら同じようなものだろうと皮肉に口元をひん曲げる。

 毒づきながらも応戦する。再び床をって接近してきたアビィに、短剣を投げつけた。

『導力:接続──短剣・紋章──二重発動【疾風・導糸】』

 短剣の柄から噴出する【疾風】の推進力が加わった短剣がアビィに迫る。

 彼女は避ける素振りすら見せなかった。最短距離で直進したアビィの胸元に、深々と短剣の刃が突き刺さる。一切の痛痒つうようも見せないアビィが、メノウの眼前まで距離を詰め切る。

「……っ!」

 アビィの強烈な蹴りが直撃。メノウはたまらず環境制御塔から吹き飛ばされ、校舎二階に突っ込んだ。


 白夜の太陽が、横を転がっていた。

 目に追える速度の進行ではない。真っ白な太陽は、亀の歩みよりもゆっくりと、遅々とした速度で運行している。

 桜色の髪をシュシュで二つ結びにした神官、モモはその光景を眺める。

 ここは、導力でできた世界だ。

 たった一人の人間が生んだ世界──『絡繰り世』。

 モモたちが住まう世界とほんの少しだけズレた空間軸に純粋概念を持つ異世界人が逃げ込み、【器】の能力を垂れ流し、三色の特性の物質を形成して世界ができた。

 亜空間に実在する小さな世界は、あまりにも大きく拡張し続け、いつしか人類とは違う知性が闊歩かっぽするようになった。

 ある意味では、日本がある異世界とモモたちの住まう世界の中間にあるとも言えるのが、ここ『絡繰り世』だ。

 人造の白い太陽が落ちる時は、世界を閉じ込める結界の崩壊と同義である。千年続く結界に閉じ込められ人類を拒絶し続けた『絡繰り世』で、街の建造が進んでいた。

 建材が組み立てられる建築の音、資材を運ぶ人々の喧騒、活気ある人通りが周囲を賑やかしている。人類とは発生を異とする知性体、三原色の魔導兵の領地ともいわれている『絡繰り世』に人の営みが形成されつつあった。

 ミシェルは『絡繰り世』に戻るなり陣地を作り、出入り口をふさいだ上で内部に入りこんだ。そして第一身分ファウストの強権を振るって、北大陸にある街と『絡繰り世』の入り口に線路をつなげて人員を徴用した。

 目的は、聖地を蹂躙じゅうりんした大罪人であるメノウとその一味だ。

『絡繰り世』の内部は物理法則すらねじ曲げる空間だ。その攻略のために大きな役割を果たしているのはモモではない。単騎で三原色の魔導兵すら撃退する強大な力を持つミシェルですらない。

「モモちゃんさーん!」

 呑気のんきな呼び声に、モモは口元をへの字に曲げる。

 声が親しげなのはとてつもなく不本意ではあるが、無視するわけにもいかなかった。

 モモが振り返ると眼鏡をかけた神官がいた。

「……順調ですか?」

「うん、大丈夫。ミシェルちゃんにお願いされた儀式理論は、もう小規模で成功したよ」

 やたらと機嫌がいいフーズヤードは明るく笑う。

 ここに来てからモモは時々、彼女の能天気さに戦慄せんりつすることがあった。

「やっぱり物質になった原色概念も【力】の流れさえ整えてあげれば、分解して元の導力に還元できるね。頭の中にあった理論が実践で成功した瞬間ってさ、たまらなく快感なんだよねぇ!」

 フーズヤードの発言の意味は大きい。

 この千年、人類を苦しませ続けてきた東部未開拓領域『絡繰り世』を世界から消滅させることができる、と言ったのだ。

「……ミシェル先輩の様子はどうです?」

「いまのところ、負担を感じてる様子はないかな。ミシェルちゃんには儀式場の要になってもらうから、しばらくジッとしてもらいます!」

「それはそれは……『絡繰り世』の分解が、本当にうまくいきそうですね」

「魔導現象は導力をベースにして発生するんだから、その解決に無理なことなんてないよ。モモちゃんさん。すべての魔導現象は、魔導で解決できるの」

「理論上はでしょうが。そこまで単純じゃありませんよ」

「現実を分析してできるのが理論だよ。人間のやることなんだから間違いも失敗もあるけど、それはそれ。試行錯誤を繰り返すことを怖がっちゃったら、なーんにもできないよ」

 儀式場の建築様式を確認しているフーズヤードは楽しそうだ。彼女の理論を実行に移すための指揮をとるモモの苦労を知っている様子はゼロである。

「こういう時だけは、活動的ですよね」

 都合がいいですけど、と一人ごちる。

「向こうも黙っていないでしょう。空間に干渉する三原色の魔導兵との戦いです。端末ではなく本体を相手にするのは、下手をすれば人類史上初ですよ」

「どうかなぁ。グリザリカ王国が、東部戦線を平定したんでしょ? なら、二番手じゃないかな」

 数ヶ月前、長年の課題であった魔導兵の流入が完全な終着を見せたのは大陸的に大きな話題となっている。

 サハラの名前が『第四フォース』の総督として大きく知られるようになったのも、この偉業によるものだ。彼女が主導したものという触れ込みだが、サハラの人格と能力を把握しているモモは明らかに誇大広告な話などまったく信じていない。

「あれの本質は、魔導兵同士の同士討ちですよ」

「そうなの?」

「ええ」

 モモは知っている。あれはアビリティ・コントロールという魔導兵が、他の魔導兵を食い尽くしたというのが正しい。

 人類に敵対的だった三原色の魔導兵を、アビィはことごとく飲みこんだのだ。結果として、『絡繰り世』が人類を積極的に襲うことはなくなった。

「そっかぁ。空間生命体になれた魔導兵でも、戦うんだね」

 モモの言葉を聞いたフーズヤードが、ぽつりと呟く。

「どうしてみんな、戦うのかなぁ」

「なんですか、いきなり。変なこと聞きますね」

「変かなぁ。モモちゃんさんくらい若い子で修道女から神官になるのって珍しいでしょ?」

 デリカシーが皆無だった。フーズヤードの言葉に、モモは顔をしかめる。

 神官同士の会話で第一身分ファウストになる以前の境遇を聞くことなど普通はしない。

 神官は一人残らず孤児だ。親を亡くし、引き取り手もいない子供が教会が運営する孤児院に放り込まれ、その中でも才能がある一握りだけが藍色の神官服をまとうことを目指して修道女になって魔導教育を施される。

 何者でもない修道女から第一身分ファウストの神官になった人間は、自分たちの努力と才能に自負がある。

 同時に、神官になる前の話はしたがらない。

 自分の心の、弱みだからだ。

「わたしはねー? もともとお母さんしかいない家庭だったんだけど、病気で死んじゃってさ。天涯孤独になったのが五歳くらいの時だったかな。孤児院経由で教会に入って、修道女になって、ふつーに神官になって数年ふらふらして魔導研究のフィールドワークをしてたら、当時の大司教だった人になぜか引き抜かれたんだよねぇ」

 フーズヤードは悲壮感の欠片かけらもなく、ぺらぺらと自分の薄っぺらい境遇を話す。

 第一身分ファウストになるには、優れた導力適性が前提となっている。『ふつーに神官になった』などと言える自分の才能への無関心な発言は、一生を修道女で終える人間が聞けば嫉妬しっとで頭が沸騰しかねないものだ。まして第一身分ファウストの最高位である大司教に見出されて引き抜かれるなど、非凡にもほどがある経歴である。

「それで聖地の勤務。モモちゃんさんも知ってると思うけど、『龍門』の運行管理してたんだよ」

「へー」

 本当にどうでもよかったので聞き流して話を終わらせようとしたのだが、フーズヤードはじーっとモモに視線を向けたままだった。自分が話したんだから次はモモの番だと言わんばかりだ。

「……お前、もしかして私が身の上を話すと思ってるんですか?」

「話してよぉ。わたし、モモちゃんさんに興味があるからさ。ね?」

 ねだりながらも、眼鏡めがねの奥からじっと見据えてくる。

 フーズヤードは、たまにこうやって他人のことを見る。

 好奇心をむき出しにした、無遠慮な興味。他者の人格も反応も顧みない、まさしく研究対象に向ける視線だ。

 その目から逃れるために、モモはしぶしぶ口を開く。

「私の両親は……たぶん、どっかで生きています」

 自分で言葉にして、とっくに捨てたと思っていたはずの記憶が刺激されてよみがえった。

 モモの幼い記憶には、自分の生まれがどこかの国の第二身分ノブレスの貴族だった記憶がある。

 第二身分ノブレスとはいっても、屋敷を構えて何人もの使用人をはべらせているようなご立派な立場ではない。当然、間違ってもアーシュナのような王族というわけでもない。

 宮仕えをしている、小さな一軒家に住む多少は裕福な夫婦というくらいだったはずだ。

「ご両親がいるのに、なんで孤児院に? 貧乏だったとか?」

「気味が悪かったんじゃないですか」

「んん?」

 子供が孤児になるのは、なにも両親の死別だけが理由ではない。どうやらモモが吐き捨てた言葉の意味がわからなかったらしく、フーズヤードが首をかしげる。

「気味が悪いって、どゆこと?」

「私は、生まれつき導力が多いんです」

 モモは人よりも導力量が多い。人並外れて、という注釈がつくほどだ。

「それは知ってるけど……」

 そこまで言ってもフーズヤードは話の流れを察することができなかったようだ。モモはこれみよがしに嘆息する。

 導力量が多い人間は精神のバランスが崩れることが多い。魂から流出する導力に精神が圧迫されるのだ。

 感情のまま導力がれ出し、ほとんど無意識のうちに導力強化をしてしまう。子供の癇癪かんしゃくが、大人以上の腕力で行われることになるのだ。

 止める手段もなく泣き叫んであばれる子供に、両親はどれだけ疲弊ひへいしたことだろうか。

「最初の修道院に引き取られたのが四歳だったので、その時くらいですね。ある日、列車に乗って、別の街のお祭りに連れて行かれました」

 その時の記憶はある。

 モモは上機嫌で両親の服のすそつかんでいた。知らない街の、大きなお祭り。楽しみにしないはずもなかった。

 思い返せば、その時点で両親は自分の子供と手をつなごうとはしていなかった。

 たぶん、彼らは怖かったのだ。

 モモは精神的に不安定な子供だった。多すぎる自分の導力に振り回されていた。頑丈な玩具おもちゃを握り潰すこともあれば、癇癪で家具を壊したこともあった。

 両親は、モモが自分の手を握り潰しやしないかと、戦々恐々としていたのだ。

 駅に降りると、母親はモモにお小遣こづかいを渡した。あなたの好きなようにしなさい、と。

 喜び勇んで屋台を回った。好きなものを食べ、好きな遊びをして、はしゃぎ回った。おそらく四歳のモモにとって、一番楽しい時間だった。

 知らない街のお祭りを満喫して、幼いモモは一人になった。

「そのあとは、お決まりです」

 モモが両親と再会することはなかった。捜索はされたが見つかることはなく、一時的に保護されていた修道院にそのまま引き取られた。そこでも当然のように問題を起こしたモモは、導力的な才能を見出されて第一身分ファウストの候補である修道女に選出され、西の果てにある修道院に送られた。

 幼いモモは、一人になった状況に馴染なじもうとはしなかった。

 自分が捨てられたのだとは、認められなかった。普通であることに固執こしつしていたのが、処刑人を養成する修道院に送られたばかりのモモだ。

 いまでは両親の顔も思い出せない。父親が男で、母親が女だったなという感慨しかない。

 メノウと出会うまで、自分を捨てた相手に抱く感情なんてそんなものでいいんだと気がつけなかった。無駄な時間を過ごしたものである。

「でも、それが戦う理由じゃないですけどね」

「そうなの?」

 モモの原点は、あくまでもメノウの髪を結んだ時に生まれた。

 あの日、あの時、あの笑顔を見て決めたのだ。

 メノウのために生きる。

 メノウを助けるためならば、メノウ自身を敵に回すこともいとわない。誰とだって手を結ぶし、なんだって犠牲にする。

 そのために、モモはミシェルたちと一緒にここまで来たのだ。

「お前の気持ち悪いくらいの魔導理論への執着だって、生い立ちとは関係ないでしょう」

「うん、ぜんっぜん関係ないね」

 フーズヤードは照れくさそうに笑って、歯車に縁取られた眼鏡に触れる。

綺麗きれいだったんだよ」

 フーズヤードという人格の根幹は、たった、それだけ。

 導力を見て、綺麗だと思った。

 夜空の星々の輝きに目を奪われた人間が天文学者を志すように、彼女が魔導に傾倒した理由はそれだけだ。

 モモには一欠片ひとかけらも理解できないが、きっと人生をけるに足る光景だったのだろう。

 あの時に、モモが見た笑顔と一緒だ。

「それでさ、モモちゃんさん」

「なんですか」

「ミシェルちゃんは、なんで戦ってるんだろうね」

 ミシェル。

 モモのいまの上司だ。彼女が千年前に生まれた人間兵器であることを、モモは知っている。

 だが、目の前のフーズヤードはそんなことを知らないだろう。彼女にとってミシェルは、半年前に配属された先の上司という認識でしかないはずだ。

 強さの極地にいる人間が、なぜ戦っているのか。

「あの人は、たぶん」

 声とともに漏れ出た吐息が、宙に消える。

「戦う理由がないから、戦ってるんでしょうね」

「そっかぁ」

 フーズヤードが、吐息を漏らす。

 大司教のエルカミに拾われ、いまはミシェルと名前を変えた上司のもとにいる彼女は、さびしげに笑う。

「ぜんぜん、わかんない」

「そうですか」

 別に、それでいい。

 モモがフーズヤードに理解を求めていないように、ミシェルだって他人に共感も理解もされたくないはずだ。

 誰も追随できないほどに強いのが、ミシェルという人物なのだから。


 サハラは閑静な廊下を歩いていた。

『絡繰り世』の中心部だというこの建物は、彼女にとって、あまり馴染みのない造りだ。

 聞いた話によると、異世界の日本ではこれが一般的な教育施設であるらしい。サハラやメノウが幼い頃にいた修道院でも座学を学ぶ場所の構造自体は似通っていたので、多人数を収容する建築物というのは同じようなものになるのかもしれない。

 ぼんやりと歩いていると、サハラが通りがかった教室が一つ、消失した。

「……うわっ。なにこれ」

 突然消えた空間は、すぐに周辺の壁が動いて補完されていく。

 数日前から、この施設に寝泊まりをしているが、時々こういう不可解な現象が起こる。そもそも外観以上のスペースがあるあたり、内部空間が原色概念でおかしくなっているのだろう。

「『絡繰り世』にいるんだから、いまさらよね……」

 深く考えないように目をらすと、青い瞳と視線がぶち当たった。

「よ、サハラ」

 軽い口調の男の声で狼が話しかけてきた。

 ギィノーム。

 青い毛並みが美しい狼である。人型にもなれるらしいが、他の魔導兵たちと違って特に必要がなければ狼の形態を維持している。

「なんか大変そうね。いま、そこの教室が消えたわよ」

「ああ、大したことじゃねえよ。お前らのおかげで、中心部を自由にできるようになったからな」

 数ヶ月前に、アーシュナと合同で行っていた『絡繰り世』戦線の戦いである。複数勢力に分かれていた魔導兵たちは、アビィ一派によって淘汰とうたされることとなった。

「……この学校って、そんなに重要?」

 サハラからすれば、ただの変な建物にしか見えない。

 位置的に『絡繰り世』の中心というのはわかるが、機能的な意味があるとは思えない。

「そりゃそうだ」

 狼が笑う。

「我らがお父母さまの【器】がここにいるんだからな。基本的にこっからしか原色の輝石は供給されねーし、逆に言えば、ここからなら『絡繰り世』のどこにでも、ある程度の干渉はできるんだよ」

 ギィノームやアビィが「お父母さま」と呼ぶのは、四大人災ヒューマン・エラー『絡繰り世』の根源。純粋概念【器】の人災ヒューマン・エラーだ。

「半年前までは、そりゃひどい食い合いだったんだぞ? この中心地に接しているのは、ほとんどが年長の三原色の魔導兵どもでよ。新しく三原色が生まれるたびに年長者が年少者を食ってデカくなる。おれたち魔導兵から見た『絡繰り世』はそういう世界だったんだよ」

「その食い合いを、メノウとアビィが終わらせたってわけね」

「そういうことだ」

 平和的に収めたわけではない。いまギィノームが言った年長者に勝利し、駆逐くちくすることで一つにまとめたのだ。

「おかげでようやく、俺たちは次に進むことができる」

「そう。それじゃあね」

 意味深に笑ったギィノームに別れを告げて、サハラは寝泊まりしている教室に戻る。

 元はなんの設備もない教室だったが、サハラたちが来たのに合わせて設備が持ち込まれている。サハラが要望するとギィノームがつくってくれるのだ。

『絡繰り世』に移動してから、数日。

 サハラにとって意外に平穏な日が続いていた。

「いいわね、やることないって。久しぶりにのんびりできそう」

 見事に甘やかされたサハラは満たされていた。その態度に、反発の感情を抱く者もいる。

「あたし、すっごく居心地が悪いんだけど」

 マヤである。先に教室にいた彼女が不機嫌な理由は簡単だ。というか、マヤの格好を見れば一目瞭然だ。

 素肌がほぼ出ないようにされている。手袋やマスクというレベルではない。新しいタイプの防疫態勢かなという有り様である。

 こんな格好を強要されて、機嫌がよくなるはずがない。

「仕方ないんじゃない? マヤってほら、あれじゃない。ここに来た時のことも考えると、ね?」

「じゃあサハラはどうだっていうのよ!」

 そこはかとなくここ『絡繰り世』とマヤの原罪概念の相性の悪さを指摘したが、むしろ感情の逆撫でにしかならなかったようだ。マヤが着せられている防護服を脱ぎ捨てて、むんずとサハラの腕を摑む。

「サハラの肉体っ。あたしの力が混ざってるんだから、原罪概念でしょ!? それで触って大丈夫なの、おかしいじゃない!」

「私は、ほら。遺跡街でなんかパワーに目覚めたから。例外なんじゃない? 知らないけど」

 遺跡街でゲノムと戦った時、腕の中で導力が膨れ上がった。その時のことを免罪符にする。

 実際問題、サハラは触っただけで魔物を生み出すようなことはできない。

「納得できない! 絶対おかしい! 下僕がチヤホヤされてあたしが冷遇されるとか我慢ならないわ!」

 二人が仲よく騒いでいた時だ。

 窓から見えた影に、サハラがとっさにマヤを抱えて床に伏せた。

「きゃう!?

 マヤが小さな悲鳴を上げる。その悲鳴をかき消す破砕はさい音を立て、窓を突き破って、なにかが入ってきた。

 すわミシェルの襲撃かと息をひそめたが、サハラの早とちりだ。

「メノウ!?

 メノウが、外からすさまじい速度で教室内部にたたまれたのだ。

 メノウが戦闘状態にあるとなるとただごとではない。

「伏せたままでっ!」

 メノウの鋭い警告に、サハラは体をこわばらせる。

 吹き飛んできたメノウに続いて破壊された窓から入ってきたのは、アビィだった。

 救援に来たのかと思ったが、様子がおかしい。

「ちょ、なにしてるの!? ケンカっ?」

 事情を把握できていないマヤがうろたえている。彼女は直接的な戦闘能力は普通の子供と大差ない。メノウとアビィの戦闘などに巻き込むわけにもいかないと、サハラがマヤを抱える。

「アビィは精神汚染されてるわ!」

 メノウの説明は簡潔だった。それ以上、説明の機会がなかったと言い換えてもいい。

 アビィが、ぼんっと音を立てて窓枠を踏み台に飛びだす。短剣を鞘に納めたメノウは腰を落として迎え撃った。

『導力:接続──短剣・紋章──発動【疾風】』

 短剣を抜き打つと同時に、紋章魔導を発動。居合の挙動を模した動きに、噴き出す【疾風】の推進力を加えた一閃いっせんが、アビィの右腕を肩口から切断した。

 片腕を失ってもアビィは倒れずに踏みとどまった。残心の姿勢を取っているメノウの首へ、残った左手を手刀にして振るう。

「ふっ」

 だが、その間にサハラが割って入った。

 鋭い呼気を残し、下方からすくい上げた右腕の導力義肢でアビィの攻撃をブロックする。メノウが一瞬驚きに目を見張りつつ、その隙を逃さずに頭部に短剣銃を叩きつけた。

『導力:接続──短剣銃・紋章──発動【導枝】』

 刃から発生した導力の枝が、アビィの端末を内部から破砕した。

 硬質な音を立てて、あでやかな女性の体が打ち砕かれる。

 だが、これで終わりではない。固唾かたずを飲んで見守ると、砕け散った場所に先ほどと同じ姿の女性が現れた。

 アビィの端末だ。彼女は致命傷を負うと肉体が砕けて消失し、新しい体が供給されるようになっている。

 もしも精神支配が本体にまで及んでいるようならば、延々とこの戦いが繰り返される。その覚悟でもって、メノウとサハラの二人は厳しい視線を彼女に向ける。

「うっがぁあああああ! ハッキングされた! 最悪!!

 吠えたのは、明らかにアビィの自由意志だった。

「ごめんね、メノウちゃん……ああ! もしかして妹ちゃんにも迷惑かけた!?

 サハラに駆け寄るアビィの態度は、完全にいつも通りである。どうやら一段落ついたようだと、三人は肩の力を抜いた。

「大口叩いておいて、あたしたちに迷惑かけてはっずかしー!」

「なにもしてないおこちゃまに言われたくない! ああああ、それにしてもあんなあっさり端末乗っ取られるなんて……!」

 メノウは二人の言い合いは慣れたものだと声をかける。

「意識がちゃんと戻ったのはいいけど、さっきのは『星骸』に接続しようとしたのが原因だったのよね」

「そうだね。ハード面の環境制御塔だけど、修復はほぼ終わってる。機能的にも復旧したって言っていい状態だよ。だからこそ接続できたソフト面の魔導構成が厄介やっかいで……例の起動キーとやらがないと、管理権限は取れない」

「……そっか」

 どうやら乗っ取られていた最中の言動の記憶があるらしいアビィの言葉に、メノウは腕を組む。

 行き詰まってしまった。『星骸』の管理者権限を得ることができれば、ハクアや異世界召喚陣など、メノウの対応できる事柄が一気に増加する。だからこそ環境制御塔の修復に時間をかけていたのだが、人間以上の魔導処理能力を秘めているアビィで管理者権限を得るのが無理なら、いまの人類には『星骸』を操るのは到底不可能ということになる。

「起動キー、か。たぶん知ってるはずの廼乃も、もういないし……マヤ」

「知ってるわけないわ」

 メノウの呼びかけに、マヤが先回りして返答する。

「あたし、『星骸』が異世界送還陣だって知ったのすら最近だったのよ。その起動キーなんて知ってるはずないわ」

「そうよね……」

 詰んだ。千年前の起動キーが記録に残っているわけがない。せめてなにか手掛かりがあればと、そこまで考えて別方向の発想が生まれた。

 さっきの、防衛機能。

 アビィを乗っ取るほどの魔導は、どこから発生したものなのか。

 千年前に作られたものを守るための魔導だ。あれ自体が、千年前の仕掛けに決まっている。ならばその魔導を制御し続けている場所が、どこかにあるはずだ。

「おーい。楽しそうなところ悪いけど、ちょっといいか」

 メノウが考え込んだタイミングで入ってきたのは、青い毛並みの狼である。口になにかをくわえたギィノームが、てこてこと四人に近寄る。

「姉貴が乗っ取られたとかいう面白おもしろそうな話はあとで聞くとして──」

「やだよ! 黒歴史だからっ。ギィ君! 他の子たちにも、ぜーったい秘密にしてね」

「──ほら、これ見ろ」

 アビィのお願いを無視して机に前足を乗せて伸び上がったギィノームが、口からぽいっと机に小型の導器を置く。映像の投影導器だ。導力光が結びついて、どこかの風景の上空視点の立体映像が映し出される。

「敵さん、予想通りに大規模なことをやらかしてくれてるわな」

「私の平和の邪魔をするやつがいるなんて許しがたいわね……って、うわ」

 映し出された映像に、サハラが顔をしかめた。

 立体映像はメノウたちも『絡繰り世』に入る際に使った空間の穴の付近だった。だが、数日前に比べてずいぶんと風景が変わっている。

 多くの人間が行きかい、線路を引き込んで資材を運び込み、教会を中心にして広がる街並みを構築している。まるで街の開拓現場だ。

 それを見て、マヤが小首を傾げる。

「なんでいっぱい建物を造ってるの? そりゃなにもなかったから不便だろうけど、のんびり生活環境を整えている場合なのかしら」

「ただの建物じゃないわ。これは、儀式場よ」

「メノウの言う通りだな」

 ギィノームが、映像を上空からの遠景に切り替える。

「さっき、この周辺の空間が消失した。儀式魔導で、『絡繰り世』を構成している原色素材を削りにきている」

「ああ……そういえば、さっきなんかやってたわね」

 サハラは先ほどの廊下での一幕を思い出す。あの教室が消えたのは、そのまま『絡繰り世』の一部が消失したことを意味していたらしい。

「敵地で儀式場造りとは、さすが、相手もいい度胸してる」

「そうね。儀式場を造るのは予想してたけど、ここまでの規模だとはね……。破壊は無理でも、遅延くらいは狙わないといけないわね」

「そう。頑張って。私の穏やかな平和のためにも」

「どうして他人事なのかしら」

 ひらひらっと振っていたサハラの手を、メノウが摑む。

 ちょっとふざけすぎたかと手を引っ込めようとしたサハラだが、思いの外がっちりと摑まれていることに気がついた。

「え? だってメノウが行くんでしょ。そうでなくとも、なんか魔導兵たちが頑張ってくれるじゃん。私、いらない子でしょ」

「魔導兵たちは『星骸』の分析に手一杯よ。動ける人間が動くべきね」

「ゆ、有能なメノウが行けばいいと思う」

 面倒ごとは可能な限り他人に押し付けようと算段を立てるサハラに、笑顔のままのメノウが首を横に振る。

「暇な人間が動きなさい」

 死刑宣告だった。

「い、嫌よ! ミシェルとかいるところに私が行ってなにができると思ってるのメノウは!?

「大丈夫大丈夫。それに私は、マヤとやらなくちゃいけないことがあるの」

「あたし?」

 自分を指差すマヤにメノウがうなずく。

「そう。マヤにしか頼めないことを、さっき思いついたのよ」

 アビィが乗っ取られた原因は、千年前に設定してあった【器】の産物だ。

『星骸』の起動キーは、製作者である【器】の純粋概念の持ち主から情報を得ればいい。

「【器】に会いにいくために、マヤには同行をお願いするわ。だから、サハラ。頑張ってね」

 マヤがあっかんべーをしながらメノウの横につく。ここ数日の鬱憤うっぷんまっているのだ。

 ひょいっとメノウの足元から、狼が顔を出す。ギィノームだ。

「話はついたか?」

「ええ。そこの暇人を連れていって」

「話、ついてない。私、同意、してない」

 サハラが言葉を区切って主張するが、まったくの無意味だった。体を伸ばしたギィノームがサハラのえりをくわえて引き倒す。

「じゃあ、末妹は借りてくぞ」

「好きにして。やればできるから、その子」

 ギィノームはサハラの抵抗などないものとして、ずるずると引きずっていった。


「ミシェルちゃんはさ、なんで戦ってるの」

 突然の質問だった。

 ハクア直轄の神官にして【使徒エルダー:魔法使い】という称号を持つミシェルは、まじまじといまの問いをした人物を見つめてしまう。

 短くないミシェルの人生の中で、ここまでデリカシーのない質問は初めてかもしれない。

 内容にデリカシーがないというよりは、態度の問題だ。まるで自分があなたと親しいから他人に言いにくいことも教えてくれるよねと言わんばかりの態度が非常に不愉快である。

 殴るか、怒鳴るか、はたまた質問を無視してここから自分が立ち去るかで迷ったミシェルは黙殺することにした。フーズヤードの特異な才能には一目置いているが、それと彼女の人格への好感度は別の話だ。

「あ、なんで無視するのかなっ」

 フーズヤードから視線を外すと、文句が飛んでくる。見た目は大人しいのにこの押しの強さ。うっとうしいの一言である。

「あのね。わたしはね。五歳くらいの時──」

 なぜか身の上話を始めたフーズヤードを無視するために、昔の記憶を思い出す。

 戦う理由に疑問を覚えることすらないほどに、ミシェルの人生は戦いの連続だった。

 千年前は、いまとは違う名前で戦っていた。というよりも、多くの名前を使い分けて傭兵として戦場を渡り歩いていた。個人を特定させないための処世術だ。

「ミシェル司教。報告があります」

 フーズヤードをさえぎってくれたのは、儀式場の建築のために呼び寄せている神官のひとりだ。

 作業員の多くは第三身分コモンズだが、場所が場所だけに第一身分ファウストの神官も多く配置している。

「どうした?」

 異常事態が起こったのかと問いかけてみるが、神官は立ち尽くしたままだ。

「報告が、ほう、こ、くくくくくう」

『導力:接続──教典・三章一節──発動【襲い来る敵対者は聞いた、鳴り響く鐘の音を】』

 ミシェルの視界が、導力光で埋め尽くされた。

 教典魔導だ。頭上に構築されていく教会の鐘をあおぎつつ、彼女はフーズヤードの襟を摑む。

「え、え? なんで攻撃されて……うぎゃん!」

「退いていろ」

 神官だとは信じられないほど鈍臭いフーズヤードを力任せに放り投げた直後、鐘が左右に振られた。

 広範囲に破壊をもたらす音響が鳴らされる。直下にいるミシェルに、教典魔導があますことなく直撃する。

 回避はおろか、防御魔導も発動していない。普通の人間ならば、頭部にある穴という穴から血を吹き出して破裂させる威力がある魔導だ。

 ミシェルは、無傷だった。

「……っ!?

 攻撃をした側の神官がたじろぐ。

 ミシェルは特別なことはしていない。ただ彼女の全身が導力光の燐光を帯びていた。

 教典魔導を、導力強化だけで受け切ったのだ。

 どれほど導力的な才能がある人間でも、教典魔導を受けて無傷ですませることができる人間はごく少数だ。そもそも教典を発動させることができる人間自体、導力的な才能に優れているのだ。

「精神汚染……この空間に、絡まれたか」

 ミシェルがいま教典魔導を放った神官をにらみつける。

 反応が遅れたのは避ける必要すらなかったからだ。教典魔導といえど、使い手によって威力も精度も大きく変わる。おのれを傷つけようもない程度の攻撃だったせいで、フーズヤードを逃す必要があることを失念してしまい、少々手荒になってしまった。

 正気を失っている神官が片手剣を抜く。彼女も導力強化を発動して、ミシェルを目掛けて斬りかかってくる。

 この異質な空間で精神汚染を受けたせいで、絶対に勝てない相手を敵にして「逃げる」という判断もできなくなっている。

 ミシェルは一瞥いちべつもくれずに剣を素手で摑み、握りつぶす。

 武器を失いうろたえた神官の額に、指を当てる。

『導力:接続──肉体・神官──外部侵入──』

 魔導を発動させるためではなく、ただ導力を相手の人体に流し込む。

 ミシェルの導力に全身を蹂躙された神官は、電流で撃たれたように、びくんと震えて気絶した。

 人間同士の導力は、反発する。人間の肉体は他人の導力に拒絶反応を起こすようにできている。

 だからこそ、精神汚染をされた場合、無理やりに他者の導力で洗い流すのも一つの手段だ。

「……こう邪魔をされると面倒だな」

 ミシェルは腕を振るって意識を失った神官を床に転がす。

 精神防御が未熟な神官ごとき、百人たばになろうが相手にもならないが、そこが問題なのではない。作業要員が減らされる上、こうした騒ぎを起こされて同士討ちが頻発するようでは効率が悪い。

 空間から人体の精神に作用する魔導だと、対処法も限られてくる。

 仕方ないと息を吐いたミシェルは先ほど放り出したフーズヤードに近寄る。

「いたたぁ……あ、終わった?」

「儀式場を、起動しろ」

「え?」

 ミシェルの命令に、フーズヤードが目を丸くする。

 驚くのも当然だろう。儀式場建築の進捗はまだ半ば以下だ。試動するタイミングですらない。

 だががたいことに、歯車に縁取られた眼鏡の奥の瞳が、すぐさま期待に輝く。

「いいの? まだ、不完全もいいところだよ」

「部分的にで構わん。こちらが殴り返せることを知らせねば、敵がに乗る」

「えへっ」

 フーズヤードの表情がとろけた。

「じゃあ、やるね」

 自分を常識人だと思っている奇人ほど厄介なものもない。

 フーズヤードの表情を見て、ミシェルはまざまざとそれを実感した。


 この星に、知的生命体は二つの種族が存在する。

 一つは人類。異世界人も含まれる。自分たちこそが万物の霊長だと自負している、大陸の支配者である。

 もう一つが、三原色の魔導兵だ。

 導力を生成する鉱物、原色の輝石で構成された空間生命体である彼らは、独立した知性体であり、独自の世界を持つ。彼らは個体数こそ少ないが、人間を凌駕する知能を誇る。

 その中の一体、青い狼の姿をしたギィノームは場を仕切るために口を開く。

「よーしお前ら、オレの話を聞く気になったかぁ?」

『絡繰り世』中心部にある校舎の教室の一室。教卓に前足を乗せて伸びているギィノームの言葉に、教室の騒ぎは一切いっさい収まる気配を見せなかった。

「やだ」

「キモっ。何様?」

「おねーちゃん出せおねーちゃんを! 兄貴なんざいらんわ!」

「ねー、あたしのペットどこ? ねーねー、誰か知らない? あたしの作ったペットよ。ねーねーねー。赤ドラちゃんよ。原色ノ赤石だけでつくったなドラゴンちゃん。ここ最近でピカイチかわいくできたやつ」

 反抗的な弟妹の中でも一番自由な発言をしている緋色の髪を持った少女がうろうろと徘徊している。ギィノームは弟妹たちの反応を無視した。ギィノーム以後に発生した魔導兵は、アビィが甘やかしすぎたせいでわがままなのだ。

「言うまでもないが、オレたちの目的は方舟はこぶねだ。人類たちと決別する。そのための導器は完成した」

「あ、知ってる。かわいそうな子でしょ」

 自由行動をしていた緋色の魔導兵がぱっと顔を上げる。

「あたしがつくったら、もっとかわいくしたげのにね。めっちゃ中途半端ちゅうとはんぱで、見ててムズムズするんだよね」

「やっとできた土台が万魔殿パンデモニウムにかっさらわれたんでしょ? 原罪魔導との合作とか、まじウケる」

「生体部品の可能性を感じるよな。あれだけは俺らじゃつくれんし」

「原罪魔導の肉がくっついてるせいで魂の経路が断線してるから、自殺行為している自覚もないんだろうな。かわいそう」

「核が壊れたら死ぬのに核がむき出し状態だもんな、あの子。憐れだよ」

「お前ら……オレの話を聞く気、あるか?」

 一言であっという間に脱線する。収拾がつかなくなってきた時、がらっと扉が開く。

「おねーちゃんだよー! みんないい子にしてたー?」

「してたよー!」

 アビィの登場に、わぁっと歓声があがる。真っ先に緋色の髪の魔導兵がアビィに飛びつく。

 自分との差にギィノームが舌打ちするが、弟妹の気持ちに共感できる部分もあった。ここ『絡繰り世』において、彼女の人望は絶大である。それだけのことを、アビィはした。

 なにせここにいる魔導兵は、アビィがいなければ間違いなくかつていた兄姉に食われていた。

「さて、みんな。ギィ君が説明してくれたと思うけど、私からも言わせてね」

 アビィはぐるりと教室の面々を見る。ここにいるのは、彼女が保護し、彼女が守り抜いた者ばかりだ。

「導力による第三種永久機関は完成した。私たちの故郷に、ようやく辿たどりつけるんだ」