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帰りの東海道線に乗り込む頃には、日はすっかり暮れていた。下り電車は満員だったけれど、ぼくと小佐内さんは運よくクロスシートに並んで座ることができた。向かい合わせの四人がけでぼくたちの前に座ったのは大学生らしき二人組で、どちらもイヤホンで音楽を聴いている。人混みの中では事件の話をしたくなかったけれど、これなら、少しぐらいは話せるだろう。
古城さんからの電話を受けて、オルカ編集部のひとは別に不思議がりもせず、確かにあの写真のデータを栃野パティシエに送ったことを教えてくれた。古城さんもご希望でしたら送りますよというのを丁寧に断って電話を切った古城さんは、少し青ざめていた。
栃野パティシエであれば、パスティチェーレ交流会の写真とカウントダウンパーティーの写真の両方を手に入れることができた。前者はオルカ編集部から、後者は娘の栃野みおから。栃野氏は以前から、パティスリー・コギに対して忸怩たる思いを抱えていたのではないか。小佐内さんが教えてくれた――年末恒例オルカ注目ことしのスイーツ店ランキングで三年連続一位だったマロニエ・シャンが、パティスリー・コギ・アネックス・ルリコのオープンで首位から陥落したと。
もともと恨んでいた古城の娘に晴れのパーティーで恥を搔かされた上、自分の娘は飲酒で停学になる始末。ひとの口に戸は立てられないし、マロニエ・シャンの娘は酒を飲んで停学になったと知れ渡るぐらいなら、同じ汚名をパティスリー・コギの娘にもかぶせてやろうとしたのだろう。あるいは……。主犯は、栃野みおの方かもしれない。どうせ停学になるなら、憎きライバル店の娘も巻き添えにしてやろうという
二つの画像データから偽の証拠を作るのは大人の仕業という気がするし、飲酒の濡れ衣を着せて停学に追い込もうというのは中学生の発想という気もする。となると、親子共犯というのはあり得るラインかもしれない。まあ、目的は充分に果たしたし、どちらが主犯なのかまでは突き詰めなくてもいいだろう。
「小鳩くん」
揺れる車内で、小佐内さんが
「よく知ってたね。マロニエ・シャンのパティシエが栃野さんだなんて」
こともあろうにパティシエの情報でぼくに先を越されたのだから、たぶん心中穏やかではないだろう。でも、小佐内さんは勘違いをしている。
「知ってたわけじゃないよ。そうじゃないかなって思っただけで」
「ただの勘ってこと?」
「うーん。勘よりはもうちょっと根拠があったけど」
マフラーごと首を傾げる小佐内さんに、考えの道すじを説明する。
「さっき、小佐内さんと田坂さんが礼智中学校に行っているあいだに調べ物をしたんだ。栃野さんのマロって渾名がどうしても引っかかってね。どうしてマロっていうんだろう、そういえばマロがつく言葉を最近ほかでも聞いた……って思ってた。栃野さんはスイーツ作りに興味があるって言ってたし、もしかしたらと思ったら大当たりだったよ」
「調べたって、何を?」
「簡単さ。……『栃』を辞書で引いたんだよ」
落葉樹であることや山地に自生することなどが書かれていて、その最後に、
「『マロニエ』も参照のこと、って書いてあった。マロニエってセイヨウトチノキのことなんだってさ」
小佐内さんが小さく唸った。
事件の関係者に栃野という名前の生徒がいて、パティスリー・コギに追い落とされたマロニエ・シャンという店があって、マロニエとはセイヨウトチノキのこと。ぼくは、この三つの符号は偶然ではなく、栃野さんのお父さんがマロニエ・シャンのパティシエなんじゃないかと推測した。そこに捏造写真の元データは日伊パスティチェーレ交流会で撮られたものだという事実が加われば、問題の解明は難しいことではなかった。
犯人はわかった。罪を着せられた理由も、ほぼわかった。古城さんの気持ちは、少しは晴れただろうか。それとも――敵の名前がわかったからといって何も救われないというむなしさに、襲われてはいないだろうか。
さっき去り際に、小佐内さんは古城さんにアドバイスをしていた。捏造写真という証拠があるのだから、これをオルカ編集部に送りつけることもできる。栃野パティシエがやったことを書いて、投書すればいい。オルカ誌上でのマロニエ・シャンの扱いは、きっと変わるだろう、と。
「ねえ小佐内さん」
「なあに」
「古城さんは、投書するかな」
復讐のために。
小佐内さんは、なんだか眠そうだった。とろんとした半眼で、
「しないと思う」
と答える。
「だってあの子は、いい子だから」
それきり、小佐内さんは黙り込んだ。たぶん、疲れて寝てしまったのだろう。小佐内さんを起こさないといけないので、どうやらぼくは、眠るわけにはいかないようだ。満員の電車は帰路を進む――古城秋桜さんを、夜にひとり残して。