茅津未月さんは、古城さんの求めを快諾した。ちょうど昼時だったので、それぞれ食事を済ましてから一時に名古屋駅地下街の喫茶店で会うという約束を取りつける。古城さん曰くあまり流行っていない店で、土曜の午後でも問題なく入れるだろうということだった。

 この会見に古城さんは同行しない。「自宅学習」を命じられている古城さんと茅津さんが接触したことがもし露見したら、古城さんは茅津さんグループの一員だという疑惑に自分で太鼓判を押すことになるからだ。話は古城さんの「いとこのお姉ちゃん」が聞くということで、茅津さんにも了解を得ている。

 古城さんのマンションを出て名古屋駅に戻り、少し地下街で迷ったけれど十二時半には約束の店に入った。指定の喫茶店はがくという渋い名前で、内装も渋く、かかっている音楽も渋く、くちひげを生やした寡黙な店主も渋くて、そしてコーヒーを頼んだだけなのにトーストとミニサラダとゆで卵といなり寿司がついてきた。茅津さんと直接接触するのは小佐内さんだけに留め、ぼくは近くの席で聞き耳を立てる手はずになっている。

 小佐内さんは後からもう一人来ることを説明し、四人がけのソファー席を一人で占めている。携帯電話で『プリンアラモードがある』とメッセージを送って来たので、『お昼ご飯にしておいた方がいいよ』と返した。さすがに甘いもので食事に替えるつもりはなかったようで、小佐内さんはサンドイッチを頼んでいた。ぼくも小佐内さんもつつがなく食事を済まし、小佐内さんはホットココアを、ぼくはおかわりのコーヒーを頼んで、約束の時刻を待つ。

 予想外の律儀さで、茅津さんは時間ちょうどに現われた。写真で見た女の子が、今日は髪を下ろし、ファーつきのブルゾンを着て来ている。さほど広くもない店内を見まわし、女性の一人客が小佐内さんしかいないことに気づくと、げんそうに眉を寄せながら近づいていく。

「……あんたが、古城の従姉?」

 けんのある声だった。カップを両手で持ってココアを吹いていた小佐内さんが、顔を上げる。

「そうよ、小佐内ゆき。あなたが茅津さんね。休みの日にありがとう」

 茅津さんは何も答えず、勧められる前にソファーに座る。ぼくの席からは茅津さんの顔が見え、小佐内さんは後頭部しか見えない。茅津さんは店員さんにバナナジュースを頼んで、おしぼりで手を拭いて、それから言った。

「古城は大丈夫?」

 想定していない質問だったのだろう、小佐内さんの返事は一拍遅れた。

「落ち込んでる」

「だろうな。かわいそうなやつ」

 そしてまじまじと小佐内さんを見て、訊く。

「同い年ぐらい?」

「わたしは高校生よ」

 茅津さんは、どうでもいいというように手を振った。たぶん信じていない。

 バナナジュースがテーブルに置かれ、茅津さんはそれを一気に半分ほど飲む。小佐内さんが話を切り出した。

「秋桜からは、あなたたちが年越しにお酒を飲んで、自分は身に覚えがないのに一緒に停学になったって聞いてる。どこか間違ってるところがあったら教えてくれない?」

「いいけど、どこも間違ってない。仲間の家でカウントダウンパーティーして、シャンパンとかシードルとかが出て、あたしらもちょっと口をつけた。古城はいなかったのに、いっしょにいたってことになって、停学になった。ぜんぶ合ってるよ」

 茅津さんはだるげに、ソファーの背もたれに身を預ける。

「男もいたって噂になってるらしいけど、馬鹿馬鹿しい。いや、いたけどさ、七歳だったかな。途中で寝ちまったよ。それであたしら、近くの公園で花火とかして遊んでたんだ」

 お酒を飲んだのはまずかったけど、ちょっと楽しそうな集まりじゃないか。小佐内さんが質問を重ねる。

「何人ぐらいだったの?」

「十二、三人かな。古城がいてもわからないほど大勢じゃなかったよ」

「仲間内の遊びだったのよね。なんで、それが学校に伝わったの?」

 茅津さんは天を仰いだ。

「馬鹿なやつがいてさ。写真撮ったのはいいけど、それをネットに上げたんだよ。で、見つかって、どこかのお節介に通報された。生徒指導に呼ばれて写真を見せられて、わかってるだろうって言われたよ」

「そう……。それは、気の毒ね」

「まあ、しゃあないね」

 ずいぶんさばけている。それとも、他人の前で強がっているだけだろうか。あまり顔を上げると警戒されかねないので、ぼくは自分のコーヒーばかりを見つめている。これはこれで奇行だろうけれど。

「その、ネットに上げたっていう写真は持ってる?」

「あー。どうだったかな。たくさん撮ったからな……。ちょっと待って」

 ブルゾンのポケットから携帯電話を出して、しばらくそれを操作している。

「あったあった。これだ。みんなで乾杯してるやつ」

 茅津さんが携帯電話を小佐内さんに向けると、小佐内さんは少し間を置いて、

「秋桜は写ってないのね」

 と言った。たちまち、茅津さんがあきれたような声を上げる。

「あったりまえだろ。いなかったんだから。そう言ってるだろ」

「でも、秋桜は停学になった。通報の写真には写っていなかったのに。……なんでだろ。茅津さん、わかる?」

「さあな。あたしたちが停学になった次の日に学校に呼び出されて、生徒指導のさんぽんが決めつけてきたよ。古城もいただろうって」

 茅津さんが声を荒らげる。

「言っとくけど、あたしは、古城はいなかったって言ったよ。あたしは言い逃れできないし、する気もなかった。でも、いもしなかった古城を巻き込むつもりはなかったから、あいつはいなかったって何度も言ったんだよ。そしたら、噓つくなの一点張りで、こっちの話なんか聞きゃしねえ」

「三本木先生って言うのは、いつもそんなふうに人の話を聞かないの?」

 冷ややかに小佐内さんが訊くと、茅津さんは首をひねった。

「いや……。そんな感じじゃないよ。そりゃあ生徒指導だもん、こわもてだよ。大声で脅しつけるから、あたしはあいつ嫌い。でも、ヒステリックにあることないこと言いまくるタイプじゃない。そういうやつはほかにいるからね、三本木が違うタイプだってのは、はっきりわかるよ」

 それから少し、苦笑いした。

「まあ、ね。あたし、古城だけじゃなく、マロもナナもいなかったって言ったけど。それで信じてもらえなかったんだとしたら、古城にもちょっとは悪かったのかな」

「マロ? ナナ?」

 小佐内さんがおうがえしに訊く。

「ああ。マロは栃野、ナナは佐多。佐多七子だからな。マロは……なんでマロなんだろ、そういえば。みんなそう呼んでる」

 栃野さんと佐多さんもパーティーにいた証拠が挙がってるのにいなかったと強弁したのなら、たしかに、茅津さんの発言はまったく信じてもらえなくなっただろう。もっとも、それが古城さんに不利に働いたとまでは思わないけれど。

 小佐内さんは少し考え、

「その画像、送ってもらってもいい?」

 と訊いた。停学の原因になった写真だというのに、茅津さんはさほど警戒する風もない。

「いいよ、別に」

 それから二人は、しばらくデータのやり取りをしていた。最後に茅津さんは、

「古城を励ましてやってよ。あいつ、こういうの慣れてないと思うから」

 と言ってバナナジュースを一気に飲み干し、ジュース代きっかりの小銭をテーブルに置いていった。


 茅津さんが去るのを見届け、ぼくは店員さんにテーブルを移動したいと告げて、小佐内さんの向かいに座る。ココアのカップを手に、小佐内さんが訊いてきた。

「聞こえてた?」

「うん、よく聞こえた」

「三本木先生に会わないと」

「ちょっと光が見えてきたね」

 小佐内さんはこくんと頷いた。茅津さんは写真という証拠を元に停学にされたのだから、古城さんが停学になるにあたって何の証拠もなかったとは考えにくい。そして、古城さんが無実だということを信じるならば、その証拠はねつぞうされたもので、そこには作為がある。作為とは足跡だ。辿ることができる。

「でも、接触が難しいなあ」

「そうね……」

 学校は閉鎖的な場所だ。文化祭の日でもなければ、関係者以外は近づけない。茅津さんからは「古城さんを心配している従姉」という立場で話を聞けたけれど、三本木先生から話を聞くには、それではだめだ。取り次いですらもらえないだろう。

 小佐内さんは無表情のままカップを置いて、両手を頭に当てた。頭を抱え込むぐらいお手上げですという意味なのか、それとも、頭をマッサージしてアイディアを出そうとしているのかもしれない。たぶん前者だろう、三本木先生から話を聞くにはどうしても、しかるべき立場が必要だ。

「三本木先生を尾行して……」

 うん、尾行からいったん離れよう。問題が大きくなりかねない。ぼくは冷めかけのコーヒーを飲み、さしたる考えもないままに言う。

「話を聞かせてくれと言って相手にしてもらえそうなのは、保護者だけだね」

 ぼくや小佐内さんがいかに演技力を駆使しても、古城さんの保護者には見えないだろう。手詰まりだという意味で言ったのだけれど、小佐内さんは突然、

「あ、そうか。さすが小鳩くん」

 と声を上げた。

「古城さんの保護者に協力してもらえばいい。簡単なことね」

「どうかな。古城さんのお父さんは、たしか東京に店を持っているパティシエだったよね?」

「古城春臣です。満を持してオープンしたパティスリー・コギが……」

「ありがとう。前回の講義は憶えてる」

 古城春臣が名古屋の自宅に帰るのは、休日だけだそうだ。休日というのは小売りの書き入れ時である週末のことではないだろうから、土曜日の今日、彼はこの街にいない。そして古城さんの母親は故人だ。

「……考えてみれば、古城さんってふだんどうしてるのかな。まだ中学生なのに、あのマンションでひとり暮らしなんだよね」

 ふとそう呟くと、ひどく冷たい目を向けられた。

「いまさらそんなこと言うの?」

 去年の秋にはわかってたことじゃない、とでも言いたげだ。その通りなのだけれど、古城さんの生活状況なんていまのいままで気にかけたこともなかった。

「近くの一戸建てにおじいちゃんとおばあちゃんが住んでいて、いろいろ面倒を見てくれてるみたい。お父さんからは東京で一緒に住まないかと誘われてるけど、こっちには友達もいるし、いまの学校だってがんばって受験して入ったんだし、あと一年だし、どうしようかずっと迷ってるって言ってた」

「そっか」

 別に古城さんを心配したつもりはないけれど、ちょっとほっとした。お互い、飲み物を口に運ぶ。やがて、小佐内さんが言った。

「手段は一つね」

 小佐内さんが言う手段とは何か、ぼくにも察しがつく。

「そうだね、一つだ」

 近くに住むというおじいちゃんたちに協力を仰いだとしても、学校の硬い門は打ち破れないだろう。ご心配はわかりますが連絡は保護者からお願いしますと言われるのが関の山だ。ここはどうしても、親という立場が必要になる。

 古城春臣は、自分の店で働いているパティシエさかと再婚を考えていた。もし既に入籍の手続きを済ましているなら、戸籍上、田坂瑠璃子は古城秋桜の母になる。そして田坂瑠璃子はこの街に去年オープンしたパティスリー・コギ・アネックス・ルリコの店長であり、つまり、この街にいる。懸案事項は一つだけだ。

「古城さんは嫌がらないかな。お父さんの再婚には反発してたよね」

 古城さんは自分の問題に田坂瑠璃子が絡んでくることを決して好まないだろう。ところが小佐内さんは、あっさりと言ってのけた。

「もちろん、嫌がるでしょうね。でも、手段は一つしかない。まずは再婚したかどうか、古城さんにたしかめないと」

 小佐内さんは立ち上がり、渋い店主に「外で電話をしてきます」と言って店を出て行く。まあ、そうなるよね。古城さんは小佐内さんに協力を求め、小佐内さんはそれに応じた。なら、取るべき手段があるのにためらうことはしない――たとえ、その手段のことを古城さんがどう思おうと。

 小佐内さんはすぐに戻って来た。

「大丈夫だって」

 それはよかった。残ったコーヒーを飲んで、席を立つ。地下にいるから距離感がよくわからないけれど、パティスリー・コギ・アネックス・ルリコは、ここからさほど遠くはないはずだ。