次の土曜日、ぼくは朝から小佐内さんと並んで東海道線に乗り、名古屋へと向かった。

 中学生だった頃、ぼくの身のまわりでもいろいろなことがあった。思い出したくないことや……それから……ええと、思い出したくないことばかりかな。ともかく、社会規範に反するような行動を取る学友も何人かはいたけれど、彼らは生徒指導室で手厳しいけんせきを受けこそすれ、停学になることはなかった。ぼくや小佐内さんが通った中学校は公立で、義務教育を受けている生徒の出席を禁じることには問題があったからだ。古城さんが受けた処分を正確に言うと「自宅学習」というものらしいが、要するに停学で、私学ならではの措置だと変に感心してしまう。

 傷心の古城さんを小佐内さんが慰めに行くのは、別に不思議でもなんでもない。ところが今回、ぼくにもお呼びがかかった。古城さんはぼくのことをよく思っていないはずなのだけれど、小佐内さんの説明によると、

「たしかにちょっと屈託はあるみたいだけど、本人が小鳩くんにも来てほしいって言ってるの。文化祭のとき、わたしを助けようとしてくれたでしょう? あれで小鳩くんのことを見る目が少し変わったみたい。いっしょに話を聞いてほしいんだって」

 とのことだ。ぼくは、自尊心が満たされて嬉しかった……とは、言えなかった。古城さんには何も罪はないけれど、赤の他人に当てにされると、少し嫌なことを思い出すのだ――小市民をこころざそうと小佐内さんと約束する前の自分を。けれどまあ、それで頼みを断るというほど、ぼくは自分を大事にする気はなかった。

 やはりもこもこに着ぶくれた小佐内さんと名古屋駅から地下に潜り、複雑怪奇なルートを辿って地下鉄東山線のかくおうざん駅から地上に出ると、冬空があきれるぐらいに澄んでいた。周囲は住宅街らしく、幅の広い道の両側に五、六階建てのマンションが並んでいる。小佐内さんは一度来たことがあるようで、周囲をざっと見まわしただけで「こっち」と歩き出した。

 幹線道路から離れると、あたりは一気に静かになる。アスファルトはいろせ、「止まれ」の看板は少し傾いでいる。一軒家も多く、植え込みから落ちた葉が冷たい風に吹かれて道路をすべっていった。小佐内さんは、四階建ての真っ白なマンションの前で立ち止まり、ガラス戸の前に立った。ドアは開かなかった。

「……あれ?」

「ぼくは初めてだからわからないけど、オートロックなんじゃないかな」

 小佐内さんは何も言わず、はじめからその予定だったというようにガラス戸の脇のパネルを操作する。すぐに、くぐもった声の返事があった。

『はい』

「こんにちは。小佐内ゆきです」

 途端にパネルから聞こえる声が喜色を帯びる。

『あ、はい! 開けます!』

 ガラス戸が開いていく。ぼくは聞き逃さなかった、開く瞬間、小佐内さんがぼそっと「ひらけゴマ」と言ったのを。

 古城さんの自宅は、最上階の角部屋だった。よく知らないけれど、これはかなりの好条件なのではなかろうか。古城さんの父親は古城はるおみといって、東京に店を構える有名なパティシエだと小佐内さんに教えてもらったことがある。古城春臣は名古屋出身だと聞いていたので、自宅がマンションなのは少しだけ意外だ。勝手に、年季の入った一軒家を想像していた。

 焦げ茶色のドアを前に、小佐内さんがインターフォンを押す。

「こんにちは。小佐内ゆきです」

 ドアが内側から跳ね開けられる。古城さんは小佐内さんの姿を見るや否や、

「ゆきちゃん先輩!」

 と声を上げ、小佐内さんに抱きついて泣き出した。小佐内さんはひどくまどった様子でぎこちなく手を上げると、おそるおそるといったように古城さんの頭に手を乗せ、それでも優しげに撫でてやった。


 古城さんはぼくたちをリビングに通した。白とガラスがモチーフの部屋なのか、壁といい天井といい家具といい、透明感に満たされている。黒いのはスイッチの入っていないテレビぐらいではないだろうか。清潔感のある空間だとは思いつつ、ぼくは少し、病室を連想せずにはいられなかった。センターテーブルに置かれた花瓶に挿してある花束の鮮やかな色合いも、その印象を強化しこそすれ、弱めることはない。

 サイドボードの上にガラス製の写真立てがあるが、これは伏せられていた。壁にはデジタル時計が取りつけられ、十一時という時刻を示している。古城さんはハーブティーを淹れてくれ、ぼくと小佐内さんは白いソファーに座ってそれを受け取った。寒いとかよく晴れているとか、コミュニケーション上不可欠とされる無意味な会話を経て、話は本題へと入っていく。

「メッセージでだいたい読んだけど」

 と、小佐内さんが切り出した。

「どうして停学なんてことになったのか、もう一度話して」

 ひとりクッションに座る古城さんは、素直に頷いた。

「年越しのときに、クラスの何人かがパーティーしたみたいなんです。ほかの学校の友達とかも集めて、よく知らないんですけど、カウントダウンとかしてたそうです。それで、盛り上がって、シャンパンとか飲んだって聞きました」

 ありそうなことだ。黙って頷いていたら、古城さんの目にまたみるみる涙が溜まっていく。

「そんなの、あたしには関係ないのに。あたし、おおみそはひとりでおせちを作っていたんです。年が明けたらお父さんも帰ってくるし、おじいちゃんの家にあいさつにも行くし、大掃除だって終わってなかったし、忙しかったんです。でも、学校の先生はお前もパーティーにいただろう、お酒を飲んだだろうって決めつけて、あたしの話なんか全然聞いてくれなかった」

 その頰を涙が伝っていく。小佐内さんが何の表情も浮かべずに訊く。

「学校の先生と言ったわね。あなたに停学を伝えたのは、誰?」

「担任のふか先生。もう決まったことだから私に言われてもどうにもならないって言って……あの先生、あたしのこと嫌いなんです!」

 深谷先生が古城さんを嫌っているかどうかはわからないけれど、処分を伝えた時の言葉は少し気になる。その言い分を素直に解釈するなら、停学処分を決めたのは自分ではなく、自分はただの伝達役であるというように聞こえるからだ。

 古城さんがひときわ声を高くする。

「あたしがやったことで罰を受けるんなら仕方ないけど、何もしてないのに! あたしだって大晦日はおじいちゃんの家に行きたかったけど、家のことは任せたぞってお父さんが言うからがんばったのに、パーティーに行ったなんて言われて! 許せない!」

「そうね」

 と、小佐内さんはぽつりと言った。

「許せないね」

 それからしばらくは、古城さんの泣きじゃくる声ばかりがリビングに響いていた。ぼくは何も言えず、小佐内さんもくちびるを引き結んだまま、黙っていることしかできないようだった。

 少し落ち着いた古城さんが、それでもしゃくり上げながら言葉を絞り出す。

「ゆきちゃん先輩、あたし悔しい。誰かが、あたしもパーティーにいたって言ったんです。誰が……なんでそんなことを……」

「……知りたい?」

 小佐内さんがそうつぶやいた。

「たしかに、あなたの話を聞く限り、誰かが噓をついたとしか思えない。それが誰だったのか……誰があなたを罠に掛け、おとしめたのか……それを知ることは、もしかしたら、出来るかもしれない」

 古城さんは真っ赤な目で小佐内さんを見つめる。

「ねえ古城さん。あなたの敵が誰なのか、本当に知りたい?」

 ほとんど即座に、はっきりとした返事があった。

「はい」

 ぼくにはわかる。小佐内さんは、古城さんにあきらめてほしいのだ。理不尽を諦め、こんなこともあるさと受け入れる、小市民になってほしいと思っている。だから小佐内さんは言葉を重ねる。

「隠されたことを知ろうとすれば、たいてい代償を払うことになる。こんなことをしてまで知りたい訳じゃなかったと思うことがあるかもしれない。それでも? 何が何でも?」

 だけど古城さんは迷わなかった。

「何が何でも!」

 そうえた。

「だって、こんなの許せない!」

「……そう」

 小佐内さんはうつむいていたから、その表情はわからなかった。かなしがっていたのか、それとももしかして、笑っていたりしたのだろうか。白いソファーに深く座って、小佐内さんはこう言った。

「わかった。わたしがあなたを、助けてあげる」


 今回の件で停学になったのは、四人だそうだ。かやつきななとちみお、そして古城秋桜。全員中学三年生で、同じクラスだ。

 古城さんを除く三人の中で、リーダー格なのは茅津さんだという。

「あんまり話したことはないけど、間違いないと思う。後の二人は茅津さんにくっついていってるって感じだったし……」

 だそうだ。どんな雰囲気の子なのか小佐内さんが訊くと、古城さんは何枚か写真を持って来た。体育祭のときの写真がクラスで配られたそうで、全員が体操服を着ている。

「このひとが茅津さん」

 年越しパーティーで飲酒して停学になったというから派手な見た目をしているのではと思っていたけれど、そんな単純な見込みは見事に外れた。考えてみれば古城さんの通っている礼智中学校は割に厳しそうなところで、となれば学校行事の最中に奇抜な恰好をしていては通らない。リレー中を撮ったとおぼしき写真の中の茅津さんは、手も足もいきいきと長く、髪も後ろで束ねてこそいるけれど、ほどけばずいぶん長いと思われた。大人びた顔つきだという感じもするけれど、やはりどこか中学生らしい。

「憶えた」

 小佐内さんはそう言うけれど、ぼくがお願いして、写真は貸してもらうことにした。人に見せる機会がないとも限らない。

 佐多さんというのは、応援席に座っているところを写しただけなのに、ずいぶんとげとげしい雰囲気のある子だった。それとも、カメラを向けられたことに気づいて、写真が嫌だから睨んだところを撮られでもしたのだろうか。やや丸顔だけれど、別の写真で立ち姿を見れば、特に肉づきがいい方にも見えない。栃野さんはひたいが広く見えるけれど、これは髪を後ろに撫でつけているせいだろう。浅黒く日焼けしていて、写真の中では綱引きで負けた直後らしく、不満げな表情を浮かべている。

「あんまり話したことはないって言っていたけど、茅津さんのグループとは仲が悪かったの?」

 念のためそう訊くと、古城さんは首を横に振った。

「別に。クラスの行事だと協力してたし、用事があれば話してた」

 ぼくに対してはやはり距離感があるようだけれど、質問には素直に答えてくれる。ぼくにも話を聞いてもらいたがっていたというのは、間違いではないようだ。

「でも、学校の外で会ったことは一度もない。どうしてあたしが茅津さんのグループだと思われたのか、わかんない」

 特に疑問に思う点はない発言だったけれど、小佐内さんが鋭く言葉を挟んだ。

「……本当に、一度も会ったことはないの?」

 古城さんの表情が強ばる。ああ、どことなく言い方が硬いと思っていたけれど、男の人を相手に緊張していたわけじゃなく、噓をついていたのか。これはぼくには見抜けなかった。

「ぜんぶ話してくれないと、力になんてなれない。わたしも小鳩くんも、古城さんが何を言っても責める気なんてぜんぜんないけど、噓はだめ」

 顔を赤くして、古城さんは俯いた。

「……一度だけ、一緒にカラオケに行ったことがあります。文化祭の打ち上げで、クラスの半分ぐらいと……。でも、お酒なんて!」

 小佐内さんがやさしく微笑む。

「わかった。ほかに忘れてることはない? 茅津さんだけじゃなく、佐多さんや、栃野さんとも関係はなかった?」

「ええと……。佐多さんとは、たぶん本当に一度も話したことがないと思います。栃野さんはスイーツ作りに興味あるみたいだから仲良くなろうとしたことがあるけど、なんだか性格が合わなくて。嫌われてるっていうか、敬遠されてる感じでした」

 古城さんのケーキ作りの腕は本格派だ。栃野さんがちょっとクッキーを焼くのが好きという程度の趣味だとしたら、敬遠するのもわかる。

「やっぱり、茅津さんね……」

 親指をくちびるに当て、小佐内さんが呟く。前髪の下からちらりとぼくを見て、

「小鳩くん。土地鑑のない街で、待ち伏せって出来るかな?」

 と訊いてくる。

「出来なくはないと思うけど。小佐内さん、茅津さんに接触しようとしてるんだよね?」

「うん」

「じゃあ、待ち伏せもいいけど、こんなのはどうかな」

 古城さんに訊く。

「茅津さんの電話番号とか、知ってる? 知ってたら、話をしたいって連絡取ってみて」

 小佐内さんがぽんと手を打った。その手があったか、というところだろう。まず待ち伏せとか張り込みとかが頭に浮かぶのが、実に反小市民的だ。あとでゆっくり話をしよう。古城さんは頷いて、すぐに携帯電話を持って来た。