家庭科室は、新聞部の部室と同じく一階にある。二、三分で着いた。

 シンクや調理台が並ぶ家庭科室は、いいとも嫌ともつかない一種独特の匂いがある。広々とした空間の片隅で、体操着に身を包んだ男子がひとり、立ったまま包丁をいでいた。ドアを開けるときの音でぼくが入ってきたのはわかっているはずなのにこちらを見ようともせず、しゃっ、しゃっといしの音を立て続ける。学年がわからないので、丁寧に呼びかけた。

「すみません。ちょっといいですか」

 男子は手を止めて、うっそりと顔を上げる。いかつい顔を不機嫌に歪め、招かれざる客であるぼくを睨んでくる。

「なに?」

 ええと、なんて名乗ろうかな。

「新聞部の方から来ました」

 噓ではない。

 とたん、男子は破顔した。いたずらっぽい笑みを見るに、はじめ機嫌が悪そうだったのは、刃物を扱うのに集中していただけなのかもしれない。包丁を置いて、手をきんで丁寧に拭いている。

「ああ。どうだった?」

「どう、っていうのは」

「ベルリーナーのことで来たんじゃないのか」

 事情は知っているようで、それなら話は早い。新聞部で起きたことをどこまで話そうか迷ったけれど、別に隠すようなことじゃないと健吾も言っていたし、話を聞かせてもらうのにこっちの話を伏せるのはフェアじゃない気がして、取りあえずおおざつなところを伝えることにする。

「そうなんですが、実は新聞部で揚げパンを食べたのに、誰もマスタード入りが当たったと言い出さなかったんです。それで、本当に入っていたのか確かめたいと思って来ました」

 男子は、にやにやとしている。

「マスタードは入れてないよ」

 おお?

「どういうことですか」

 勢い込んで尋ねると、男子は少し怪訝そうな顔をした。

「あんまり事情を共有してないみたいだな」

「実はそうなんです。洗馬先輩が家庭科部に頼んでマスタードを入れてもらったはずだと言われたんですが、違うんですか」

「ああ、違う。そうだな、まあ、最初から話すか」

 そう言うと、男子は手近な椅子を引いて、ぼくにも座るように勧める。言葉に従うと、彼はそんなに入り組んだことじゃないんだがと前置きをした。

「昨日洗馬から相談されて、ベルリーナーにマスタードを詰めてくれと言われた。そのつもりでいたんだが、実際にベルリーナーを持ってきた洗馬に、詰めるマスタードは粒マスタードがいいかイエローマスタードがいいか訊いたら、どっちでもいいから辛いやつと言われたんだ。困ったよ、どっちもたいして辛くはないからな」

 実は、そこは気になっていた。洗馬先輩は「辛いのがぜったい駄目」だから揚げパンの試食には加わらなかったそうだけど、ぼくのイメージだと、マスタードは独特の風味と酸味がありこそすれ、それほど辛いものではないのだ。

「それで、マスタードを入れたいのか辛いものを入れたいのか決めてくれと言ったら、あいつは少し考えて、辛いものを入れてくれと言った。だから、そうした」

「辛いものというと、なんですか」

「タバスコだよ。それも、激辛のやつ」

 男子は立ち上がって、家庭科室の後方にある戸棚から黒い瓶を持ってきた。

「正確に言えば、タバスコは商品名だからこれはホットペッパーソースってことになる。世にあるホットペッパーソースの中で最高に辛いってわけじゃないが、おれが旨さを感じられる範囲の中では、まあいちばん辛いな」

 瓶には真っ赤なラベルが貼ってあり、そこにはアルファベットで英語ではない言葉が書かれている。言葉の意味はわからないが、どくろマークが描かれているのを見れば、危険なほどに辛いことをアピールしているのだろうということは察しがつく。

「このソースを揚げパンに振りかけたんですか」

「そんなことをしたら見た目でばれるだろう。ベルリーナーをいったん小鉢にとって、ジャムを入れる穴からスポイトで垂らしたんだよ。ほんの二、三滴だが、そうとう効くはずだ」

 揚げパンに入っていたものは、マスタードではなくタバスコだった……。それが、犯人当てにどんな影響を及ぼすだろうか。あるいは、別になにも変わらないのか? これは、意外と入り組んだ事件なのかもしれない。

「……もう少し訊いてもいいですか」

 男子は手を広げた。なんなりと訊けという意味のジェスチャーだろう。

「洗馬先輩は、とにかく最初は、マスタードを詰めてくれと頼んだんですよね。昨日、先輩が直接ここに来て話したんですか」

「そうだ。向こうの用件だけまくしたてて行っちまったから、希望のマスタードの種類は訊けなかった」

「そして今日、揚げパンを持って、また来た」

「ああ。正確に言えば、ビニール袋だな。手提げのビニール袋に紙袋が入っていて、その紙袋の中にベルリーナーが入っていた」

 壁の時計を見ると、五時を少し過ぎていた。

「それは何時頃でしたか」

 そう訊かれても困るだろうと思ったけれど、男子はあっさりと答える。

「四時だな」

「……よくおぼえてますね」

「四時ぐらいに来ると言っていて、その通りに来たからな。そりゃあ憶えてる」

 授業とホームルームが一通り終わるのがだいたい三時半で、ドイツパンの店は学校の近くだそうだから、行って戻ってくるのに三十分というのは不自然な時間ではない。

「タバスコを入れたのはどっちですか」

「おれだ。おれがタバスコを用意するあいだ、洗馬は食器棚をあさっていた。紙袋を開けて箸でベルリーナーを一つ小鉢に取り、ジャムの穴からスポイトでタバスコを垂らして、紙袋に戻した。おれが小鉢を洗っているうちに洗馬が皿を出してきて、紙袋の中身をそれに移したんだ」

 その様子を想像してみる。

「……そのお皿って、学校の備品ですよね。勝手に使っていいんですか」

「いいわけないだろう」

「滅茶苦茶ですね」

「そうだな……」

 このひとにも苦労がありそうだ。それはともかく、

「ということは、もしかして洗馬先輩もどれが当たりかわかっていなかったってことですか」

 男子は笑った。

「だろうな。本人も、どれが当たりかわかんないね、って言ってた」

 ぼくは内心、洗馬先輩であれば誰も当たりを引かない状況を簡単に作れると思っていた。お店で一つ余分に揚げパンをもらって、家庭科部でタバスコを入れてもらったあと、それをこっそり捨てればいい。動機はまったく想像出来ないけれど、行為としては可能だ。

 だけど話によれば、先輩もどれが当たりなのかを知らなかったという。その状態で揚げパンを一つ捨て、隠し持った一つを加えるというのは、まったく意味のない行動だ。洗馬先輩が小細工をしたという可能性は、頭の中から消した方がよさそうだ。

「皿に盛られた揚げパンは見ましたか」

 何気なく訊くと、男子は戸惑うような顔をした。

「ちらっと見ただけだな。よくは見てない」

「じゃあ、どういうふうに並んでいたとか、いくつあったとは」

「悪いな、わからん。まずかったか?」

 少し考える。聞けることはぜんぶ聞いておきたかったけれど、見ていないというのなら仕方がないだろう。

「……いえ、別に。紙袋とビニール袋はどうなったんですか」

「洗馬が置いていったから、捨てたよ。見るか?」

 頷くと、男子はごみ箱から二枚の袋を持って来てくれた。ビニール袋は店名もなにも入っていない半透明のもの。紙袋には〈ドイツパンの店ダンケダンケ〉と書かれていて、少し油が染みていた。ほかに特に気になる点はない。

「もう一つ。洗馬先輩は、中身がマスタードじゃなくタバスコだっていうのは知っていたんですよね」

 ところが、今度の返事は意外なものだった。

「知らないよ。わざと言わなかったんだ」

「えっ。どうして」

「びっくりさせようと思ってな。洗馬は、ちょっと辛いマスタードというのがこの世にあって、それを入れてもらったと思ってるはずだ」

 なるほど、道理で新聞部と名乗った途端に笑ったわけだ。いたずらの結果を知りたかったのだろう。あとは、いちおう念のために訊いてみよう。

「当たりを引いたひとがいなかったのはなぜか、心あたりはありますか」

「いや。わからんね。おれはタバスコを入れたし、あれを食べて無反応だったというのは考えられん」

 よほど辛いらしい。

 ぼくは手の中の黒い瓶を軽くかかげた。

「これ、少しお借りしてもいいですか。新聞部の連中に見せたいんで」

 男子はひらひらと手を振る。

「構わんよ、味見してもいいぞ。あと一時間ぐらいはここにいるから、それまでに皿と一緒に返しに来てくれ」

 それから、少しな顔でこう言った。

「いちおう言っておくが、目に入らないように気をつけろよ。病院に行くことになるぞ」

 タバスコが目に入る状況というのも想像しにくいけれど、そんなに危ないしろものを家庭科部ではどう使っているのか、ちょっと見当がつかなかった。


 新聞部の部室に戻ると、やはりドアは開け放したままだった。ぼくがいるあいだはずっと立っていた健吾もさすがに椅子に座っていて、大テーブルに向かう四人の前には、それぞれ一枚ずつ小さな紙が置かれていた。

「ご苦労だったな、常悟朗。どうだった」

 目で探すけれど、ぼくの席は見当たらない。まあ、健吾の頼みとはいえ、ぼくは内々の問題に首を突っ込んだ部外者なので椅子がないぐらいは仕方がない。それに……なんというか、立って話す方が恰好がつくような気がする。手に持ったままの黒い瓶を、ぼくはそれとなく背中に隠した。

「間違いなく、洗馬先輩は家庭科部に行っていた。そのときの時刻は四時で、頼まれて揚げパンに仕込んだ部員にも会えたよ」

 揚げパンに入れられたのがタバスコであることは、まだ話さない。机に置かれた四枚の紙には味の感想が書かれてあるはずで、それを見てからの方がいい。

「味の感想は、もう照らし合わせたんだよね?」

 そう訊くと、健吾は少しぶっきらぼうに答えた。

「お前の発案だからな、お前が戻ってきてから確認しようと思って、待っていたんだ」

 かつにも、ちょっと嬉しいと思ってしまった。

「それは、なんというか、ご丁寧にどうも。待たせて悪かったね」

「俺が言いだしたことじゃない。杉だよ」

 見ると、杉さんは肩をちぢこまらせた。

 ぼくを待っていてくれたのなら、これ以上お待たせしては悪いだろう。

「さっそく、見ようか」

 そう言うと、新聞部の四人はそれぞれの前に置かれた紙を裏返した。


 健吾は『予想よりも甘かった。ブルーベリージャムか?』

 真木島さんは『軽い食感の中に、ジャムの濃厚な甘味。ベリー系、二種類混ぜてるかも』

 門地くんは『めちゃくちゃ甘い。手に油がついた』

 杉さんは『甘くてとてもおいしかった。ジャムがけっこう多かった』


「これは……いないね」

「いないな。つまり」

 言葉の行き着く先を察したらしく、健吾は黙り込む。

「つまり」の後には、こう続く。当たりを引いたひとがそれに気づいていない、という線はほぼ消えた。新聞部員の誰かが当たりを引いたのなら、その誰かは自分が当たったことをはっきり自覚した上で、それを隠すために噓を書いたのだ。

 大テーブルを挟んで、新聞部員たちの視線が交錯する。さっきまでの、不信感はあるもののそれ以上に戸惑っているようだった雰囲気は消えて、もっと直接的な疑いの目つきがぎろぎろと他者を眺めまわしていく。

 真木島さんが口火を切った。

「プファンクーヘンが甘いのは、最初からわかってたことでしょ」

 味の具体的な描写をしていない門地くんは噓をついている、と言っているのだ。だけど、その批難が当てはまるのは門地くんだけではない。杉さんがきっと顔を上げて、

「おいしかったからおいしかったって書いただけ!」

 と鋭く言った。真木島さんは思わぬ方向からの反論に面食らったようで、たじろぐ。

「杉のことは言ってないよ」

 しかしそれには、当然門地くんが黙っていなかった。

「杉のことを言ってないなら、誰のことだ? おれか?」

 せせら笑う。

「おれに言わせれば、あんな小さな揚げパン一つ食べただけでジャムがベリー系だってわかる方が信じられないね。前にも食べたことがあるんじゃないか、って思いたくもなる」

 揚げパンを取り上げようと言ったのは真木島さんだから、当然、彼女は取材が始まる前から学校の近くのパン屋でドイツ風揚げパンを売っているのを知っていたことになる。となれば本来はどんな味なのか知っていても不思議ではなく、偽装も容易だ……という論理だ。筋は通っているが、この論理が指し示す先も真木島さんだけではない。

「信じられないというほどか? 明らかにベリー系だったぞ」

 腕を組んで、健吾が横槍を入れる。杉さんも勢い込んで、

「わたしだって、ベリーだって思ってた。書かなかっただけだよ」

 とまくしたてるけれど、それは拙い言い訳だ。案の定、真木島さんが言い返す。

「思ってたなら、どうして書かなかったの」

「それは……間違いないって思えなかったから」

「ベリー系かもしれないって書けばよかったじゃない」

「わたしが噓を書いたっていうの? なんでわたしがそんなことしなきゃならないの!」

 そう、杉さんには動機がない。もっともそれを言ったら動機があると推測できるのは門地くんだけで、そこから深読みをすれば、門地くんと真木島さんの対立をあおるために杉さんが噓をついているともこじつけられるし、実は新聞部に恨みがあった真木島さんが部員たちに疑心暗鬼を振りまいて廃部に追い込むため一芝居打っているのだとも考えられなくはない。

 要するに、やっぱり動機なんか考えるだけ時間の無駄なのだ。低い可能性から堅実に潰していった方がいい。

「ところで実は、揚げパンに入っていたのはマスタードじゃなかった」

 そう言った途端、四人の視線が驚きを伴っていっせいにぼくに向けられる。この瞬間のこころよさが、かつてぼくを駄目にした。いまは冷ややかな気持ちで、背中に隠していた黒い瓶を大テーブルにことりと置く。

「タバスコだったんだ。洗馬先輩は家庭科部に辛いマスタードを詰めてくれと頼み、マスタードはそれほど辛いものじゃないから、家庭科部はマスタードを入れたいのか辛いものを入れたいのか決めてくれと言った。洗馬先輩は辛いものを入れるように頼み、家庭科部はこのタバスコを選んだ。……激辛らしいよ」

 新聞部の四人は、四者四様に困惑を顔に浮かべている。やがて、健吾が訊いてきた。

「それは驚いたが……。なにか状況が変わったか?」

「特に変わっていないけど、使われたタバスコを借りてきたから、ちょっとした実験ができる。健吾、ぼくはまだ、犯人は自分が当たりを引いたことに気づいてない可能性はゼロじゃないと思ってるんだ」

 ぴくりと眉を上げ、健吾は大テーブルに置かれた四枚の紙に視線を走らせる。

「どういうことだ」

「味覚障害ということがある。犯人はタバスコの味を感じ取れなかったという可能性があるんだ。そうだとしたら、早期発見できてよかったという結論になるかもしれない」

 真木島さんが低く唸った。

「……正直なところ、それは考えもしなかった」

 一方、門地くんは懐疑的だ。

「全員、甘さは感じ取れているんだ。タバスコの味だけわからなくなるなんて症状があるのか?」

 ぼくは素直に答えた。

「わからない」

「それならお前……」

「だから、実験してみるのはどうかな。タバスコをほんの少しだけ舐めて」

 杉さんが覿てきめんに嫌な顔をしたけれど、ほかの三人はただ睨み合っているよりはましだと思ってくれたらしい。低いささやきが交わされる。

「……しかたないな」

「まあ、そうだな」

「このままよりはね」

 とにかくやってみようということに話が決まる。

 健吾が立ち上がり、紙に埋もれた部室でうろうろとなにかを捜し始めるけれど、なかなか見つからないらしく首を傾げている。ほかの三人が手伝おうとしないところを見ると、彼らも健吾がなにを捜しているのかわからないのだろう。

「なにしてるの」

 そう訊くと、健吾は紙の山を右に左にとかきわけながら答えた。

「瓶から舐めるわけにいかんだろう。このあたりに紙皿があったはずなんだ」

 真木島さんが腰を浮かしかける。

「あ、あったね紙皿。どこ置いたっけ」

 すると杉さんがたちどころに、

「冷蔵庫の上」

 と答えた。

 冷蔵庫にはぼくがいちばん近いので見てみると、たしかにセット売りの紙皿が外袋に入ったままになっていた。取ろうと近づくと、冷蔵庫の上には木のお盆も置かれていることに気づく。個包装のあめやキャラメルやチョコレートが盛られていて、メモ用紙がセロテープで貼られていた。メモには雑な字で、「アンケートはこの箱に入れてください。このお菓子はお礼ですからご自由にお取り下さい」と書かれている。

「なんか、飴とかあるんだけど」

 笑みを含んで健吾が答える。

「ああ。そこにある通り、アンケートを届けてくれた生徒に、ささやかなお礼だ」

「アンケートならぼくも届けたけど、もらってない」

「そうだったな。なんでも取っていいぞ」

 別にいらないけれど、なんだかゆるい部活だなあ。気を取り直して紙皿を四枚取り、四人それぞれの前にサーブしていく。健吾も椅子に戻ってタバスコの黒い瓶を手にすると、それを興味深そうにしげしげと眺めている。

「なるほど、辛そうだな」

「ラベルが英語じゃないんだよね。読めなくってさ」

「十二歳以下のお子さまはご遠慮ください」

 びっくりした。

「読めるの! それ何語?」

 健吾はおごそかに瓶を大テーブルに戻した。

「冗談だ」

 堂島健吾に担がれただって……?

 まずは健吾が、自分の前の皿にタバスコを一滴垂らす。それから順々に瓶をまわし、ほどなく用意が整った。杉さんが紙皿の上に身を乗り出し、匂いをかいでいる。

「……けっこう、刺激的な匂いがする」

 杉さんにならって、ほかの三人も赤い液体に顔を近づける。途端、真木島さんがむせて、顔を大きくそむけた。ひとしきりせきをして、苦しい息の下から、

「ほんとだ、きつい」

 と言う。

「そんなに匂う?」

 ぼくがそう訊いたのは、なにも好奇心からではない。質問の意味は健吾が察してくれた。

「顔を近づけて息を吸えば、そりゃあな。ただ、もしプファンクーヘンの中に入っていたとしても、匂いでわかったはずだと自信を持って言えるほど強くはない。試食のときも、しつこく匂いをかいでいたやつはいなかった。……そんなことをしたら、粉砂糖が鼻に入りそうだったしな」

 手がかりになるかと思ったけれど、そうは上手く行かないようだ。

 杉さんは泣き出しそうになった。

「これ、舐めるの……?」

 心なしか引きつった顔で、しかし門地くんが語気を強くする。

「やらなきゃ、もやもやしたままだ。やるぞ」

 とはいえ、舌を出して皿を舐めるのは行儀が悪すぎるので、料理人がよくやるように指を使ってすくい取るしかないだろうということになり、新聞部の四人は手を洗いに出て行った。

 ぼくは舐めなくていいのかなと不安だったけれど、お前も痛みを分かち合えと誰も言ってこない。このまま知らない顔をしていよう。


 四人が手洗いから戻ってきて、もとの椅子に座る。実験にあたり、注意すべき点を伝えておくべきだろう。

「家庭科部の男子が言っていたんだけど、ぜったい目に入らないよう気をつけて。タバスコに触れた指で目をさわるのも危険だと思う」

 杉さんがまた呟く。

「これ、本当に、舐めるの……?」

 ドイツ風揚げパンを使ってささやかなゲームを楽しもうと思ったら、いつの間にか激辛タバスコを舐めることになっていたわけで、杉さんの心中をおもんぱかると気の毒で言葉も出ない。

 健吾が大きく息を吸い込んだ。

「よし。じゃあ、一気に行くか。常悟朗、合図を頼む」

 どうしてぼくがと思うけれど、健吾が出しゃばりすぎるよりも部外者がやる方がいいのかもしれない。杉さんに恨まれそうな気はするけれど。なんとなく手を挙げる。

「ええと、じゃあ、用意!」

 四人がばらばらのタイミングで指を紙皿に近づける。

「……どうぞ!」

 適切な言葉がとっさに思いつかず、なんだか変なかけ声になってしまった。四人がタバスコを指ですくい取り、それを口に運ぶ。

 一秒か二秒ほど、沈黙があった。

 それから巻き起こった悲鳴と唸り声と抗議の叫びを聞き、どうしてこんなことになったのかという悲しみと怒りをの当たりにしながら、ぼくは自分があの渦中にいない幸運にひたすら感謝した。健吾は強く咳き込み、真木島さんは顔を真っ赤にし、杉さんは「だから嫌だったのに!」と涙声を上げ、門地くんは水、水と言いながら部室を駆けだしていく。ぎろりと睨んでくる真木島さんが、恨めしげな上目遣いを向けてくる杉さんが次はお前の番だと言い出さないかと思うと、ぼくも門地くんを追って出て行きたくなる。

「いや、辛いなこれは!」

 あまりの辛さにおかしくなったのか健吾は半笑いで、声もなんだかおかしげだ。

「我慢できないぐらい、辛い?」

「我慢? 我慢だって、これをか? ははは、常悟朗、無理だ!」

 ついに声を出して笑い始めた。そっとしておこう。一方で真木島さんは顔をしかめ、堪えかねたように憤激を口にする。

「冗談でしょ、家庭科部はこんなの入れてたの!」

 目に涙を溜めて、杉さんが席を立った。

「わ、わたしも、水……」

 そう言ってよろよろと部室から出て行く。

 実験の結果、三つのことがわかった。まず、家庭科部が提供してくれたタバスコはとても、とても辛いということ。そしてもう一つは、新聞部にその辛さを感じ取れないひとはいなかったということ。それからもうひとつ、これは確実に言えるという「明白な結論」を得ることができた。だけど、その「明白な結論」は現状と大きく矛盾する。どれだけ考えても、こんなことが起こりえたはずはないのだ。……この揚げパンの一件は、やはり見た目よりも複雑なのかもしれない。腕組みして親指をあごに当て、ぼくは言った。

「健吾。どうやら、状況を最初から整理した方がよさそうだ。いくつか訊きたいことがあるんだけど、いいかな」

 しかし健吾は自分の舌を手であおぎ、まだ笑みを含んだ目でぼくを見上げるばかりで、答えようとはしない。実験で判明したことはほかにもあった――どうやらこのタバスコの打撃は、そうとう長持ちするらしい。