新聞部は、一階の印刷準備室を部室に使っている。ドアは開けっぱなしになっていたので、用事を済ます前にちらりと中の様子をうかがってみた。

 整理の行き届いていない空間だということはなにかの折に堂島健吾から聞いていたけれど、実際のそこは想像以上にこんとんに満ちていた。紙、紙、紙、ホワイトボード、そしてまた紙、紙、紙、どういうわれがあるのか、小さいながら冷蔵庫まである。入口の真正面、さして広くもない部屋の中央には大テーブルが据えられ、左右の壁際のわずかなスペースには一人用の机や椅子もいくつかねじ込まれていた。

 大テーブルの上には、白い皿が一枚置かれている。その皿をのぞき込むようにして、四人の生徒が難しい顔をしていた。そのうちの一人、知らなければとても新聞部員には見えないじようの堂島健吾がぼくに気づく。

「なんだ、じようろうか。どうした」

 どうしたとはごあいさつじゃないか。

「新聞部が配ったアンケートを持ってきたんだ」

「ああ」

 しゅしようにも、健吾はばつの悪そうな顔をした。

「そうか、悪かった。ずいぶん早いな」

「新聞部で回収してくれればいいのに」

「それが筋なんだろうが、全クラスまわるには人手が足りないんだ」

 アンケート用紙を渡して、用事は済んだ。さて帰ろうと思ったけれど、部室の雰囲気がなんだかおかしい。そもそも机を囲んで四人が黙りこくっているというのが意味ありげだし、気のせいか、どこかお互いに探り合うような目をしている。これはなにかあったなと思って目顔で健吾に問いかけると、健吾は腕組みをしてちょっと溜め息をついた。

「……常悟朗。いま、暇か」

「特に予定はないけど」

「そうか。実は少し困っている。よければなんだが、相談に乗ってくれないか」

 ぼくは小佐内さんと共に小市民の道を歩むことを誓っている。小市民たるもの、無関係の団体の困りごとに軽々しく首を突っ込んだりはしない。

 けれど、ほかならぬ堂島健吾に助けを求められたとあらば、まことにやむを得ない。苦渋の決断だけれど、少しでも健吾の力になれるのなら、どんな相談でもおやすいご用だ。

「いいとも、なにがあったの」

うれしそうな顔しやがって……」

 そんなことはないよ、苦渋の決断だよ。

 部室にいるほかの三人は、健吾に非難がましい視線を送っている。どんなことがあったのか知らないけれど、独断で部外者に相談を持ちかけたのだから不快に思うのは当然だろう。ちょっとふっくらした体型の男子が、言葉にもいらちをにじませた。

「おい堂島、どういうことだ、話すのか」

「別に秘密にすることじゃないし、このままにらみ合ってるよりはましだろう。ひとに話すうちに、俺たちも頭の中を整理できるかもしれん。それに……この小鳩常悟朗は、時々だが、妙なことに気がつかないこともない」

 評価の仕方がえんすぎる。男子はまだ不満そうだけれど、健吾と言い争いをしたいわけでもないらしく、「なんだよそれ」と呟いたきりなにも言わなくなった。

しますぎはどうだ。こいつに相談してもいいか」

 ふたりの女子は顔を見合わせると、背が高くて細身の方が短く答えた。

「いいんじゃない」

「よし、決まりだ」

 そううなずくと、健吾はまず、まだ手に持ったままのアンケート用紙を壁際の書類の山に積んだ。次に、大テーブルに置かれた皿を指さして、重々しく言う。

「問題はこれだ」

 丸皿で、白く、直径は二十センチほどで、上にはなにも乗っていない。

「ああ、つまりこれは……皿だね」

「黙って聞け」

 はい。

「俺は知らなかったんだが、世の中にはベルリーナー・プファンクーヘンという菓子があるそうだ」

 黙って聞けと言われたばかりだけど、黙っていられなかった。

「ベル……なんだって」

「ベルリーナー・プファンクーヘン」

「ごめん、もう一回」

「ベルリーナー・プファンクーヘン」

 ぼくの耳が特に悪いというわけではないと信じたい。健吾が少し早口で、よく聞き取れないのだ。

「ベルリーナー……?

 健吾はあきらめたように首を振る。

「ドイツ風のげパンだ」

 なるほど、よくわかった。

「名前の通りベルリン名物で大きさはふつうゲンコツ大、パンはただ揚げただけじゃなく、中にジャムを入れている。年末なんかにこの揚げパンをたっぷり用意して、いくつかにはマスタードを詰め、みんなで食べて誰にマスタード入りが当たるか遊ぶゲームがあるそうだ」

「どこでも同じような遊びがあるもんだね」

「最近、学校の近くにドイツパンの店がオープンした。この揚げパンも扱っているっていうから、世界の年越しってテーマで十二月号に取り上げるつもりで取材を申し込んで、快諾してもらった。それで、ただ話を聞くだけじゃなく実際にそのゲームをやってみて、マスタード入りに当たったやつが記事を書くことにしたんだ。揚げパンを人数分調達して、この皿に置いた」

 それで、テーブルに皿が置いてあるのか。

「で、みんなでいっせいに食べた」

 合図とともにジャム入り揚げパンを頰ばる健吾を想像すると、なんだかそれだけでちょっとおかしい。もっとも健吾はこう見えておいしいココアの作り方にこだわるような男だから、甘いものはそこそこいける口なのだろう。

「おいしかった?」

 そうくと、なぜか健吾はじゆうめんになった。

「そいつが問題でな」

「おいしくなかったのか」

「いや、うまかった」

「じゃあ問題ないじゃないか」

「だから、問題はあったんだよ。いいか、全員が旨かったと言ったんだ」

 ぼくは思わず、大テーブルを囲む残りの三人に視線を走らせた。みな、どこか納得しかねるような顔をしている。健吾が語気を強めた。

「そんなはずはない、誰かにはマスタード入りが当たったはずだ。なのに、当たったやつが言い出さない。下らない冗談はやめろと言っても、皆、自分じゃないと言い張ってる」

 ふっくらした男子が横から口を挟む。

「堂島を含めてな」

 健吾は重々しく頷いた。

「そうだ。俺を含めて」

 そして健吾は、ぼくに訊いてきた。

「常悟朗。『当たり』の揚げパンを食べたのは誰なのか、当てられるか?」


 ぼくは健吾に謝りたくなった。新聞部が月に一回発行する月報ふなは、誰でも知っている体育祭の結果や修学旅行の行き先を面白みのない文章で書く、毒にはならないが薬にもならないものだと思っていた。それが年末特集のために、どこででも売っているわけではないだろうドイツ風揚げパンを手に入れてレポートをするだなんて、まったくのところお見それしていたというものだ。その企画の危機だというなら、これはお役に立ってみせようじゃないか。

「わかった。ぼくに当てられるかどうかはわからないけど、いろいろ聞かせてよ」

 謙虚にそう言って、まずはここにいる四人の名前を確認させてもらう。

 言わずもがなの堂島健吾。

 ふっくらした体型で、時々不満げになにか呟いている男子が、もんじよう

 背が高くて細身で、顔つきにもりにもぼくへの不信感を隠さない女子が、真木島みどり。

 小柄で丸眼鏡をかけ、事態の成り行きにまどっている感じの女子が、杉さち

 健吾以外の三人も皆、新聞部所属の一年生だそうだ。彼らが「容疑者」になる。ちらりと時計を見ると、四時四十五分だった。

「揚げパンを食べたのは、この四人だね」

 健吾は頷いた。

「試食するとき、お皿の上にある揚げパンは四つだったんだよね」

「そうだ」

「そして、マスタード入りは一つだけだった」

「ああ」

 簡潔なやり取りが出来るのは健吾の大きな美点だけれど、いまはもう少し慎重さが欲しい。

「ごめん健吾、健吾が間違いなく知っている範囲で答えてくれないか」

 健吾は少し眉をひそめたけれど、すぐに頷いて言い直す。

「悪かった。俺たちが揚げパンを試食するとき皿の上にあった揚げパンは四つで、そのうちの一つにはマスタードを入れておくはずになっていた。真木島、門地、杉、俺の四人で揚げパンを一つずつ食べたが、マスタード入りに当たったと言ったやつはいなかった。それから皿は動かしていない」

「わかった。ありがとう」

 さて。

 今回ぼくが頼まれたのは、マスタード入り揚げパンを食べた、いわば「犯人」を当てることだ。ぼくは、一見不可解に見える出来事を筋道が通るように再解釈したり、ひとが隠していることがなんなのか推測したりすることは、それほど苦手な方ではない。だけど、推測だけで百パーセント完全に犯人を当てることは困難を極める。極端な話、謎の怪盗が新聞部員に催眠術をかけてマスタード入り揚げパンを持ち去った可能性すらゼロではないし、そこまで突飛な話でなくても、単に誰かが致命的な勘違いをしているだけということは充分にあり得る。すべての可能性を等価に扱い、すべての発言を真偽不明だと考えていては、充分な確度で犯人を指摘することは不可能だ。だからぼくは、自分の中でいちおうの前提を定める。

 ひとつ。健吾が断言したことだけは、間違いなく事実だと信じることにする。

 ひとつ。この事件に超常現象はいっさい絡んでいないと考える。

 ひとつ。犯人の行動には彼または彼女なりの合理性があると認める。

 この三点を守った上で現時点でも考えられる可能性はいくつかあるけれど、ここは性急にならず、条件を固めていこう。

 まずはこの部屋の内部を確認する。

 ここは校舎の一階に位置する新聞部の部室で、部屋の名前は印刷準備室だ。隣の部屋が印刷室だけれど、印刷室とこの準備室をつなぐドアは、なんと存在していない。廊下に出ればすぐに印刷室に行けるので、別に問題はないということだろうか。ドアは引き戸で、ぼくが来たときから開けっぱなしになっている。

 ドアから見ると、部屋は幅が狭く奥行きが広い。ドアの真正面にはカーテンが引かれた窓があり、部屋の真ん中に大テーブルが鎮座している。大テーブルの上はきれいに片づけられ、置かれているのは揚げパンが乗っていたという白い皿だけだ。

 壁際には段ボール箱や書棚が並び、そのどこからも紙が溢れ出ていた。ドアから見て右の壁際に一台、左の壁際に一台、正面の窓際にも一台、教室に置いてあるものと同じふつうの机が置かれている。それぞれの机の近くには椅子もあるけれど、窓際の机の近くにだけは、椅子が見当たらない。それぞれの机の上には紙や写真が散らばっているのが見て取れた。

 右の壁際にはホワイトボードが置かれ、十二月号の目次らしい文字列が並んでいる。「世界の年越し」と書かれた大見出しに並んで、「ドイツのベルリーナー」と書かれているのが、今回問題になっている揚げパンのゲームのことだろう。左の壁際には、さっきから気になっているのだけど、冷蔵庫がある。ぼくの視線に気づいたのか、健吾が訊いてきた。

「なんだ。冷蔵庫が気になるのか」

「そりゃあ、まあ、ね」

「なんであるのか、誰も知らないんだ。電源も入っていないぞ」

 新聞部しか使えない冷蔵庫の電気代を学校が払ってくれるわけもないから、電源が入っていないことは不思議だと思わない。不思議なのは、じゃあ、どうして置かれているのかということだ……。とはいえ、揚げパンの謎と関係があるとは思えないけれど。

 部室の中はひととおり確認した。改めて健吾に訊く。

「揚げパンの形と大きさを教えてもらえるかな」

 健吾は、親指と人差し指で輪を作った。直径は五百円玉よりひとまわり大きいぐらいか。

「このぐらいの大きさで、球形だ。色は茶色で白い粉がかかっていた」

 真木島さんがけんのある声で言う。

「白い粉じゃなくて、粉砂糖でしょ」

「俺はそうだと思ったが、間違いなく知っている範囲で答えろと言われたもんでな」

 この実直さにはいつも感服する。それはそれとして、

「さっき、ゲンコツ大って言ってなかったっけ。ずいぶん小さいんだね」

 健吾が作った指の輪は、お祭りの屋台で売られているミニカステラぐらいの大きさだ。

「ああ。ふつうは、もっと大きいらしい。取材をお願いした店で、子供向けの小さいサイズのものを試作していると言っていたから、それをわけてもらうことにしたんだ。ふつうのサイズのだと食べているうちにマスタードが見えてしまうからな、一口で食べられる小さいサイズの方が都合がよかった。……予算も節約できるしな」

「というと……ゲームに使った揚げパンは、非売品なんだね」

「そういうことになる」

 誰かが客を装って、同じ大きさの揚げパンを手に入れることは難しかったようだ。

「味にバリエーションはあったのかな。チョコ味とか、オレンジ味とか」

「……わからん。試作品だけに、試行錯誤中かもしれん。断定は出来ない。見た目はどれも同じだった」

「ほかに気づいたことはある?」

「揚げパンの底面、つまり白い粉がかかっている部分の反対側に小さな穴がいていた。推測を言ってもいいか?」

「どうぞ」

「あれは、ジャムを入れたときの穴だろう。マスタードもそこから入れたんじゃないかと思う」

「なるほど、そうだろうね」

 門地くんが「そこまで慎重になることかよ」と呟いている。まあ、ふつうは迂遠すぎると思うだろうけれど、ぼくにとっては健吾が事実と推測をしゆんべつしてくれるのは頼もしい限りだ。

 揚げパンについては、こんなところだろうか。じゃあ、次だ。

「試食したのはついさっきなんだよね?」

「ああ。四時半過ぎってところだな」

「この四人で試食したことは聞いたけど、そのとき、ほかに誰かいなかった?」

「試食した瞬間に、か。じゃあ、間違いなくこの四人だけだ」

 ちょっと引っかかる言い方だ。

「ほかのタイミングには別のひともいたってこと?」

「ああ。揚げパンをもらってきたのは、二年の先輩だからな」

「そのひとは」

「すぐに帰った。いや、すまん、俺は見ていない。すぐに帰ったはずだ。なんでもバンドをやっていて、今日はライブに出るらしい。たしかボーカルじゃなかったか」

「へえ……」

 この学校にはさほど変わり者はいないと思っていたけれど、新聞部とバンドボーカルのかけ持ちとは、面白いひともいたものだ。バンドの音楽傾向も知りたいところだけれど、さすがに揚げパンの謎とは関係がないだろうから省略する。

「その洗馬先輩以外には、この部屋に第三者は入っていないんだね」

 頷きかけて、健吾はむすりと言った。

「少なくとも俺は見ていない。誰か見たやつはいるか?」

 ほかの三人も、答えは同じだった。

 これでおおむね、基本的な状況はわかったと思う。次に訊きたいことも決まっているけれど、ちょっと容疑者たちの前でははばかられる。

「健吾、少し相談したい。廊下で話そう」

「……わかった」


 三人の冷たい視線を感じながら廊下に出ると、健吾も後からついてきた。秋の日は暮れかけて、窓から見える空は赤い。グラウンドから、野球部が金属バットでボールを打つかんだかい音が聞こえてくる。

「それで?」

 健吾が短く訊いてくるので、ぼくも端的に答える。

「誰に動機がある?」

 動機があってもなくてもそれで犯人だと決めつけられるわけじゃないけれど、やっぱり訊かないわけにはいかないし、もしかしたら有益な情報が転がり出てこないとも限らない。健吾は眉根を寄せた。

「そいつは難しいな」

「推測でいいよ」

「あたりまえだ。ひとの内心を事実として話せるわけがないだろう」

 腕を組み、健吾はうなった。

「正直に言って、そんな動機が誰かにあるとは思えん。だから、みんな薄気味悪く思ってる」

「当たりを引いたら、記事を書かなきゃいけないんだろ。それが嫌だったんじゃ?」

「当たりを引かなかったからって、なにも書かなくていいってわけじゃない。単に、そいつが揚げパンの記事の担当になり、ほかのやつはほかの記事を書くだけのことだ」

「どうしても揚げパンの記事を書きたくないひとがいたとか……」

 ぼくの当てずっぽうに、健吾は首を横に振った。

「強制参加じゃないんだ。さっき話した洗馬先輩は辛いのがぜったい駄目だと言って断ったし、部長はメインの記事を書くから参加してない。もうひとり一年生の部員がいるんだが、そいつも不参加だ」

「二年生は、洗馬先輩と部長の二人だけ?」

「そうだ」

 一年生五人に、二年生二人か。学年構成がアンバランスな部活だと考えるべきか、入りやすいけど辞めたくなる部活だと考えるべきか。

「その一年生が参加しなかった理由は、なにかあるのかな」

いいっていう男子で、週に一度来るか来ないかの準幽霊部員でな。そいつがたまたま部室に顔を出したとき、俺たちだけで揚げパンを食べていたら気まずいだろう。だからいちおう、事前にこういう取材をすると伝えて、参加するかどうか訊いた」

「理由なく参加しないって返事が来ても、不思議はないわけだ」

「ああ。やめとくよ、とだけ言われた」

「連絡は健吾が直接したんだね」

「クラスが同じだからな。今日、授業が終わったあとも教室で話したんだが、やっぱり塾があるから部活には行けないと言っていた。昇降口まで一緒に行って、帰るのを見送ったよ」

 取材が自主参加だったというなら、当たりを引いたのに自己申告しないというのはたしかにわけがわからない。自分が当たりを引くはずがないと根拠もなく思い込んでいて、いざ当たったときに慌てておとぼけを決め込んだのだろうか。まさかね。

 もうひとつ、健吾だけに訊きたいことがあった。

「それで、ぼくに話したのはどうしてなのかな」

 健吾はげんそうな表情になった。

「どうしてって、どういうことだ。当たりを引いたのが誰か、なんとか知りたいだけだ」

 そして、言わなくてもいい一言を付け加える。

わらにもすがる気持ちでな」

 大船に乗ったつもりでいろと言うつもりはないけれど、ずいぶん言ってくれるじゃないか。

「そう、藁にもすがる気持ちで犯人を知りたい特別な理由が、なにかあるのかなと思っただけだよ。こう言ったら元も子もないけど、無理に犯人を当てなくても、記事を書くひとはじゃんけんかなにかで決めたらいいんじゃないのかな」

 本当にじゃんけんで決着がついたらぼくは少々物足りないけれど、それも一つの解決策ではある。

 健吾は苦り切って、

「痛いところを突きやがる」

 と吐き捨てた。

「ここまで言うつもりはなかったんだがな……」

「なにかあるんだね」

「ひとには言うなよ」

 もちろんだとも。

 小さく溜め息をつき、健吾は腕を組む。

「この企画は、真木島が提案したんだ。学校の近くにドイツパンの店がオープンしたのを見つけた、そこではベルリーナー・プファンクーヘンを売っていて、ドイツではこいつを使って年末にゲームをやるらしい。ついてはこれを記事にしたらどうかって言ってな。企画は通ったんだが、実はいま、真木島と門地がうまくいっていない。理由はわからんが冷戦状態で、それだけに真木島は、当たりを引いた門地が企画を潰すために黙っているぐらいのことは考えかねない。門地だって疑われていることを察したら面白くないだろうし、二人が本格的に角突き合わせたら、杉はたぶん真木島の側につく。このまま犯人がわからなかったら、新聞部が空中分解しかねん。こいつは見た目より深刻な問題なんだ」

 ぼくは目をみはった。

「健吾……けっこう、気を遣うんだね」

「お前、俺をなんだと思っているんだ」

 ひとを見かけで判断してはいけないが、このいかつい堂島健吾がそんな気配りをしているとは、正直なところ想像もできなかった。これはちょっと、反省するべきかもしれない。

 最後に、もう一つだけ訊く。

「いちおう確認しようか。健吾が食べた揚げパンは、当たりじゃなかったんだよね」

 健吾は一瞬目を見開いたが、すぐに落ち着いて、

「ああ。俺が食べたのは『当たり』じゃない」

 と答える。健吾が断言したことは事実だと信じるのが、今日のぼくが掲げている前提だ。その前提に従えば、この後でどれほど状況がさくそうしたとしても、健吾だけは「当たり」を食べていないことが確定する。

 残り三人だ。


 部室に戻ると、三人は変わらず、大テーブルを囲んでパイプ椅子に座っている。椅子はもう一つあったけれど、ぼくが座るのも健吾が座るのもおかしい気がするので、ぼくたちは立ったままでいた。突き刺さるような視線を受け流し、ぼくはことさらに明るく振る舞う。

「健吾から聞いたよ。二年生は二人だけで、一年生はもう一人いるんだってね」

 本当はもっといろいろ聞いたけれど、もちろん黙っておく。改めて観察すると、たしかに真木島さんと門地くんは目を合わそうともせず、杉さんは両者の顔色をうかがっておどおどするばかりだ。

 ばかばかしいと言わんばかりに、真木島さんが訊いてくる。

「そんなこと聞いたって、なにもわからないでしょ。わたしは当たりを引いたのが誰かってことだけ知りたいの」

「『犯人』については、まだなんとも言えない」

 ふん、と鼻を鳴らされた。それが悔しかったわけじゃないけれど、ぼくは言葉を続ける。

「だけど、見通しは整理できた。犯人が名乗り出ない理由は、いまのところ三つに大別される」

「三つ?」

 ぼくは人差し指を立てた。

「一つ。揚げパンの中には、もともとマスタードが入っていなかった。だから誰も当たりを引いていない」

「そんなの……!」

 真木島さんが抗議しようとするのを無視して、今度は中指を伸ばす。

「二つ。マスタードは入っていたけれど、食べたひとがそれに気づかなかった」

 杉さんが首を傾げた。

「みんなよく味わってたよ……?」

 大テーブルを囲む三人を見まわし、最後に薬指を立てる。

「三つ。この中の誰かが、当たりを引いたけれど言いたくない、隠された動機を持っている」

「隠された動機だと」

 敏感に反応したのは門地くんだった。

「どういうものを想定して言ってるのか、聞かせてもらおうか」

「それはわからないけど、たとえば……犯人はものすごくげんを担いでいて、自分がマスタード入りを引いたことを受け入れられなかったとか」

「ふざけてるのか」

「内心を事実として話せるわけなんてないからね」

 さっきの健吾を真似てそう言うと、門地くんはぶつぶつ言いながらも引き下がり、健吾は渋い顔をした。

 指を三本立てた自分の手に目をやって、ぼくはもう一つ、当然検討するべき可能性が残っていることに気がついた。四本目の指を立てる。

「もう一つ、外部犯の可能性もあるね」

 すぐに健吾が反応した。

「それはないだろう。俺たちは四人、揚げパンは四つだった。外部犯が来たってなにもできない。……まさか、マスタード入りをふつうの揚げパンと交換したなんて言うなよ。さっきも言ったが、揚げパンは非売品なんだぞ」

 門地くんも舌打ちして言った。

「おれはここでずっと原稿を書いていたんだ。トイレにも行かなかった。誰か来たら気づいたはずだ」

「ここで、っていうのは、まさにその席で?」

 大テーブルに向かって座っている門地くんは、苛立たしげに手を振ると窓の方を指さした。たしかに窓の近くに机があるけれど、椅子はない。

「あの席だよ。ひとの出入りに気づかないわけないだろ」

「椅子が見当たらないけど」

 杉さんが、おそるおそるといったふうに割って入る。

「いま、わたしと真木島さんが使ってる」

 続けて健吾が、

「俺が来たとき、門地はたしかに原稿を書いていた」

 と断言した。疑うわけじゃないけれど、記憶を確かめてみる。

「門地くんは部室の内側に向かって座っていた? それとも、窓に向かってだった?」

「どっちでもなかったな。窓に対して体の横を向ける形で座っていたぞ。俺が入ったら、すぐにこっちを見た」

 迷いのない答えだ。そして、真木島さんが声を荒らげた。

「もし外部からひとが来たとしても、黙って勝手に机の上のものを食べたりしないでしょ、常識で考えて」

 常識で考えたら、誰がマスタード入りを食べたかわからないなんて事態が起きるはずがない……と言い返したいところだけど、真木島さんの言うことにも一理ある。あの小佐内さんだって、よその部室に置いてあるお菓子を無断でつまんだりはしないだろう。

「揚げパンは四個だけで、出入りは監視されていた上、勝手によその部活の机の上からものを食べたりしない、か。既にずたぼろだけど、ほかに外部犯説を否定する根拠があれば聞かせてほしい」

 健吾はじっくり考え、断言した。

「いや、その三つだ。不足か?」

「まさか。外部犯説は取り下げるよ」

 大テーブルに手を置く。

「じゃあやっぱり、この中に当たりを引いたひとがいるってことになる。隠された動機ってのは後にまわして、とりあえずマスタードの事実関係だけでも調べてみようかな」

「マスタードは入ってなかったというやつと、マスタードに気づかなかったというやつか」

 健吾がいぶかしげに呟く。

「前者は、あり得んとは言い切れんか。だけど後者は無理がないか」

「マスタードは、意外と強烈な味はしないものだからね。犯人はなにか勘違いして、揚げパンはこういう味なんだと思っているのかもしれない。マスタードはお店で入れてもらったの?」

 それは杉さんが教えてくれた。

「あ、違う、ヘンチョ先輩が家庭科部で入れてもらったはず」

「ヘンチョ? それ苗字?」

「ええと、それも違って、編集長。洗馬先輩のこと」

 洗馬編集長バンドボーカル先輩か。編集長と部長が違うというのも、ちょっと面白い。新聞部の人事に思いをせつつ、更に訊く。

「じゃあ、ジャムの代わりにマスタードを入れたわけじゃなくて、ジャムが入っているところにマスタードを足したんだね」

 杉さんはこくりと頷いた。変な味になっただろうなあ……。

「家庭科部に確認する必要がありそうだね。それから、このお皿は新聞部の備品なのかな」

 健吾が首を傾げた。

「違う。たぶんだが、家庭科部から借りてきたものじゃないか」

「それも確かめよう。とりあえずいまは、味の感想を紙に書いてみるのはどうかな。ほかのひとのを参照できないようにそれぞれ揚げパンがどういう味だったかを書いて突き合わせ、一人だけ明らかにマスタードっぽい味の感想を書いていたら、そのひとが無自覚に当たりを引いたと考えていい」

 あらぬ方を向いて、真木島さんが髪をさわっている。

「じゃあ、そうしましょ」

 提案をあっさり受け入れてもらえたということは、多少は評価して頂けたのだろう。

「健吾、家庭科部の部室って、やっぱり家庭科室かな」

「ああ。行ってくれるのか」

「みんなが味を書くあいだ、暇だからね。行ってくるよ」

「悪いな。頼む」

 そう言うと、健吾はほんのちょっとだけ頭を下げた。