文化祭は四時で終わり、そのまま後夜祭に突入する。グラウンドのボンファイヤーを皆で囲み、歌い、踊るそうだ。見てみたい気持ちもあったけれど、四時までに後片付けをしなくてはならないそうなので、ぼくたちは邪魔にならないよう早めに礼智中学を後にした。

 顚末は、地下鉄の中で聞いた。

「男子たちに武道場に連れて行かれて、そうね、十人ぐらいに囲まれた。CDを出せってすごまれて、怖かった」

 子供のころは遊園地のお化けやしきが怖かったとでも言うように、涼しい顔で言う。

「でも、わたし、これを持っていたから」

 ボストンバッグを小さくしたようなバッグから出てきたのは、生徒手帳だ。

「そんなところかなと思っていたよ。でも、よく持ち歩いていたね」

「小鳩くんにはわからないわ。いつでも高校生だって証明できるように、生徒手帳を持ち歩く気持ちなんて」

 うん。

 CDの動画が柔道部の練習風景であることを確認した時点で、小佐内さんは何事もなく帰ってくるだろうと予想がついた。学校は、内部で起きたトラブルに外部の人間が絡むことをひどく嫌うという特徴を持っている。それは個々人によって程度の差はあっても、教師であれ、生徒であれ、一般に見られる傾向だ。市外どころか県外からやって来た高校生という、完全に礼智中学の外側の人間に対して、柔道部が強圧的に出てくる可能性は低いと思っていた。まあ、生徒手帳なんていう切り札を持ち歩いているとまでは予想しなかったけど。

「わたしが高校生だって知っても、信じたくなかったのか最初は噓だって言ってたけど、そのうち青菜に塩みたいにしおしおしちゃって。いちおうバッグの中をもう一度見せてくれって言われて、見せてあげたら、帰っていいですって言われた」

「信じたくなかったんじゃなくて、信じられなかったんじゃないかな」

 ちょうど地下鉄が駅に近づき減速するタイミングだったので、ぼくの呟きはブレーキ音にまぎれて、小佐内さんには届かなかったようだ。

「……小鳩くんはCDを見つけたら、それを再生できる場所に行くと思ったから、コンピュータ部に行ったの。小鳩くんたちが動画を見てるとき、わたし、後ろにいたのよ。でも気づいてくれないんだもん」

「だから、あんな決め台詞ぜりふを言ったんだ」

「いちどやってみたかったのよ」

 あ、照れない。

 ふたたび動き出した車内に、次は名古屋駅というアナウンスが流れる。

「でも、よかったの?」

 そう訊くと、小佐内さんは不思議そうな顔をした。

「よかったかって、なにが?」

「あの動画のこと」

 小佐内さんは動画のコピーも、原本のCDもいらないと言った。実のところ、少し意外だった。小佐内さんなら、あの動画のいちばん効果的な使い道を見つけるだろうと思ったのだけど。

「マシュマロを台無しにされたんでしょ?」

「ああ」

 地下鉄の真っ黒なしやそうを見つめて、小佐内さんはなんでもないことのように言う。

「小鳩くんの言いたいことはわかる。マシュマロもそうだけど、最後にもう一回カフェに行ってニューヨークチーズケーキを食べて、古城さんたちにありがとうって言って帰るつもりだったのに、ぜんぶだめになった。とても残念なことだわ」

 やっぱり、なにも気にしていないわけではなかったらしい。それなのに小佐内さんは、礼智中学柔道部の弱味を受け取らなかった。

「彼らを許してあげるんだね。小佐内さん、立派だよ。とてもすてきな小市民だ」

 ぼくの心からの賛辞に小佐内さんははにかみ、だけど、ちょっとそっぽを向いた。

「ありがとう。……でも、小鳩くんはちょっと誤解してる。わたしはCDを受け取らなかったんじゃなくて、コンピュータ部に残したの」

 小佐内さんの意図をはかりかね、ぼくは黙って先を促す。

「コンピュータ部にはコンピュータがあって、手元にあんなひどい動画があって、コンピュータ部の子はいまの柔道部をこころよく思っていない」

 ああ、そうか。

「流すかもね、ネットに」

 黒髪に指を絡ませ、小佐内さんはなにも見えない車窓を見ている。その真っ黒な窓は鏡のように小佐内さんの横顔を映し出している。

「きっとそうなる。気配を感じたもの」

 気配と来たか……。

 あの動画が広まれば、礼智中学校柔道部の名声は地に落ちる。秋季大会への出場だってかなうかどうか。だけどそこまで落ちれば、後はよくなるかもしれない。顧問がもっと練習に立ち会うようになったり、新しいコーチが来たりするかもしれない。最悪廃部になっても一年生たちはいまの環境から逃れられる。

 地下鉄が名古屋駅に近づき、減速が始まる。小佐内さんはたぶん、車窓に映る自分の顔をぼくに見られていることに気づいていない。そうでなければ、こんな表情をするはずがないのだ。こんな……冷めきった笑顔を。窓に映る自分に、小佐内さんは囁いた。

「だからわたし、なにもしなかったのよ」