いくつもの楽器が奏でる音色が、最高潮まで高まって、終わった。体育館から拍手が聞こえてくる。

「あたし」

 まだほんのり温かいCDを受け取って、古城さんはそれを天にかざす。

「ゆきちゃん先輩は、風船にCDをくくりつけて飛ばしたんじゃないかと思ったんですよね」

「あはは」

 面白いけど、その方法だと回収できないからね。風船は、単に衝突のときに手を離して、飛んでいってしまったのだろう。

「とにかく、これを三人組に渡せば、ゆきちゃん先輩を助けられますよね」

 そう訊かれるあたり、ぼくも少しは古城さんの信用を獲得したらしい。……その信頼を損ないかねないのは、心苦しいことだ。

「まさか」

 目を見開いた古城さんに、ぼくは首を横に振る。

「そんなことをしたら、小佐内さんは悲しむよ。CDをそのまま渡すだけなら、小佐内さんが自分でやってたはずだ」

「でもそれは、預かりものをすぐ渡したくなかったから……」

「ぼくたちが渡せば、同じことだよ。なんのために小佐内さんはCDを火の中に隠し、自ら捕まったんだと思う?」

 さらに言えば、なんのためにぼくを呼び出したのか?

 ええと、それは、と口の中でもごもご言っている古城さんに、ぼくは断言する。

「小佐内さんは時間を稼いだんだ。その間に、ぼくがCDを見つけ出すことを望んでいた」

「どうして」

「CDの中身を調べるためだよ、もちろん!」

 CDを所持していたために三人組に襲われた一年生から、小佐内さんは当のCDを受け取った。すでに小佐内さんはおみやげのマシュマロを台無しにされ、二つもらった風船を空に飛ばしてしまい、最後にもう一度ニューヨークチーズケーキを食べて帰ろうという彼女の目論見も、たぶん水泡に帰すことになってしまった。おとなしく「はいそうですか」とCDを渡すほどには、小佐内さんはまだ小市民の修行が足りていない。

 CDには誰かの秘密が隠されている。それを確認したいと思うぐらいは、まだしも健全な好奇心の範疇だろう。その秘密を用いて、マシュマロとニューヨークチーズケーキのかたきを討とうとまで考えているかどうかは、わからないけれど。

「……そっか」

 ぼんやりと古城さんが呟く。

 古城さんは、小佐内さんを趣味の合う年上のお姉さんとして慕っていた。マカロンの一件で鋭さを間近に見せつけられても、小佐内さんのことを可愛らしいと思っていたことは、はたにもわかった。しかしいま、小佐内さんのやり方の一端を垣間見てしまった。ショックを受けているのだろう……。

「さすが、ゆきちゃん先輩!」

「えっ?」

「そうですよね。あの三人組、明らかに悪い連中でした。そんなやつが捜してるんだから、なにか悪いことが記録されてるに違いないです! 証拠隠滅されないように、体を張ったんですよ。ゆきちゃん先輩、本当にすごい!」

 目にはきらきらとした輝きが戻り、古城さんは感にえないように両のこぶしを口の前でふるわせている。

 あー。うん。言っていることは間違ってない。三人組は少なくとも粗暴だったし、CDには彼らにとって不都合なことが記録されているだろうし、小佐内さんはCDが連中の手に渡らないように自らをおとりにした。ぜんぶ当たっているのに、なんだろう、この微妙に違う感じは……。

「そうと決まればレッツゴーです!」

「レ、レッツゴー?」

 本当に口に出してレッツゴーって言う人、初めて見たよ。

「コンピュータ部に知り合いがいるんです。あいつにやらせれば動画は見られるし、コピーもきっと取れますよ。行きましょう!」


 コンピュータ部の部室は、いくつかある校舎の、どこかにあった。文化祭のラストスパートとばかりに混み合う中、ぼくは古城さんについていくのが精一杯で、場所の見当を途中で失ってしまった。いま三階にいると思うけれど、もしかしたら四階かもしれない。

 空き教室を流用したと思しき部室のドアは開けっぱなしで、ドアの横には「ファミコン再現」の看板が出ているけれど、その上に「動かなくなったので終了」と書かれた紙が貼られている。つまりコンピュータ部員は暇そうで、それなら頼み事もしやすかった。

 古城さんの知り合いのコンピュータ部員というのは、中学生なのにぼくよりも頭一つ背が高く、肩幅が広く、ウエストに向かうにつれて絞られていく、見事な体型のじようだった。顔はいかついが、物腰はとても柔らかく、ぼくたちに椅子と麦茶を勧めてくれる。さらに言えば、彼はいま部室に残っている唯一の部員でもあった。古城さんにCDの再生を頼まれると事情を聞きもせずに、

「いいとも」

 と笑った。いいやつだ。

「デスクトップは演し物で使ってるけど、再生ぐらいならノートでもできるから」

「そう。じゃ、お願いね」

 例のCDを古城さんが渡すと、コンピュータ部員はげんそうな顔をした。

「……なんか、あったかいっすね、これ」

 まだ温かかったみたいだが、ノートパソコンは特に問題なくCDを読み込んでいく。パソコンにはうといのか、古城さんはやけに不安そうな顔で画面をぎようしている。

「どう?」

「どうって、別にふつうだよ。中身は……『秋合宿』ってファイル名の動画ファイルが一つだけ。四分ほどしかないね、容量がもったいないな。再生していいんだろ?」

 古城さんが頷くと、ほどなく動画の再生が始まった。

 映し出されたのは、畳敷きの広い空間だった。そこに、胴着の男たちが十人ほど立っている。

「……空手?」

 男子がそう呟くが、始まった練習を見れば、そうではないことはすぐにわかった。お互いに組み合い、揺さぶり、投げ飛ばす。CDに入っているのは、柔道の練習風景だ。古城さんが言う。

「これ、うちの柔道部だよね」

 無音の中で乱取りげいが続く。そのうち、黒帯を締めた背の高い男子と、その三分の二ほどの背丈しかなく顔つきもいかにも幼い男子が組み合い始めた。

「ねえ。音は入ってないの?」

 古城さんが訊くと、コンピュータ部員は「おっと」と呟いて消音機能を解除する。

 途端、大声が響き渡った。

『気合い出せ気合い! 声声声! 声出せもっとほら声出すんだよ! やる気やる気!』

 思わず身を引く。顔を画面に近づけていた古城さんは、悲鳴を上げて耳を押さえた。

「ああ、ごめんごめん」

 コンピュータ部員は自分も顔をしかめながら、音量を調整する。

 モニタの中で、声を出せと言われた柔道部員が必死に声を張り上げる。しかし声変わりさえしていないのか、出る声はかんだかく、細いものだ。上級生らしい黒帯の襟と袖をつかんで何度も揺さぶっているが、見るからに体格差がありすぎる。

『もっと力出せ! 本気出せよ本気! 声、ほら声、ほら声声声! 声出せっつーんだよ舐めてんのか!』

 ほとんど悲鳴のような叫びを上げて技をかけようと体をぶつけるが、相手はやはり直立したまま小揺るぎもしない。

『技に入れよ技に! そんなんじゃ撮ってる意味ねえだろ!』

 そう叫んだ、次の瞬間だった。

『気合い入れろって言ってんだろーがよ!』

 黒帯がひときわ大声でののしったかと思うと、小さい方の体がくるりと回転した。技の名前は知らないけれど、自分から飛んだかのように鮮やかに投げられて、ずどん、と重々しい音が響く。

『おら、寝てんなよ。お前のせいでチーム負けたら責任取れんのか。責任自覚しろよ責任を。おう、起きろ。やる気ねえなら帰るか? 辞めるか? 辞めるかって訊いてんだおい』

 しかし倒れた男子は、畳に仰向けになったまま起き上がろうとしない。それどころか、動きもしない。

『先輩、あの』

 近くにいた別の部員がおずおずと声をかけ、あいまいに手を伸ばす。しかし先輩と呼ばれた男子は彼の方を向きもせず、倒れた男子に背を向けて数歩歩きだす。そして突然振り返ったかと思うと、

『さぼってんじゃねえぞ!』

 どすの効いた声を上げ、倒れている男子の胸を、踏みつけた。

 ひっ、という声は、古城さんが上げたものだろう。スピーカーからは、にぶく、嫌な音が聞こえ、倒れている男子が悲鳴を上げる。画面は撮影者の動揺を伝えるように大きく揺れた。

 先輩と呼ばれた柔道部員はさらに、もう一度踏もうというように足を振り上げる。倒れている男子は弱々しく手を持ち上げ、身を守ろうとしている。映像でもわかるほど、その顔色は尋常ではない。

『先輩! まずいですよ!』

 他の部員の声が今度は届いたのか、その足を下ろす。

『任せる』

 倒れた柔道部員に数人が駆け寄り、そのうちの一人が叫び声を上げる。

『保健室! 先生呼んでこい、骨やってるかもしれん!』

 先輩と呼ばれた男は不機嫌そうに立っていたが、やがてカメラに気づき、近づいてきた。

『おい、いつまで撮ってんだ、止めろ!』

 画面はふたたび大きく揺れ、暗転した。


「噂は聞いてました」

 と、コンピュータ部員が言った。

「去年までいたコーチは丁寧な指導をする人で、それでうちの柔道部は強くなったんだけど、辞めちゃって、いま柔道部にはコーチがいないんだって。顧問は柔道わからないからほとんど練習に顔を出すこともなくって、上級生が厳しく指導することになって、厳しいだけならいいけど……」

「あたしも知ってる」

 古城さんも言う。

「すごく事故が増えたって聞いた。この文化祭でも、練習試合を見せるはずだったんだけど、直前に怪我人が出たから中止したって」

 男子が動画の詳細情報を確認する。

「これ、撮られたの先週だ。怪我人が出たって、このことか」

 投げられた相手が立てなくなるというのは、格闘技をやっている以上は、ありうることだ。うまく受け身が取れなくて、意識が飛んだのだろう。

 ただ、倒れた相手の胸を踏みつけて怪我をさせるのは、練習中の事故とは言えない。事件だ。

 これで、今日起こったことはおおよそわかった。

「柔道部は、動きを確認するために練習風景を撮っていたんだろう。そうしたらあんな場面が映ってしまった。撮影者か別の部員かはわからないけど、部の誰かが、この動画を外の人間に見てもらおうと考えたんだ」

「告発のためですね」

 古城さんが言う。

「だろうね。いま、柔道部がこんなふうになってるってことを外部に知らせようとした。今日は文化祭で学外の人も来ているから、どこかで再生してたくさんの人に見てもらうつもりだったのかな。まあ、そこまで大胆なことはなかなか出来ないだろうから、校長先生にでも見てもらうつもりが、たまたま今日発覚したっていう方がありそうだけど」

「どっちにしても、録画データを持ち出したことがばれた」

「この学校の柔道部は秋季大会に出るんだってね。大会前にこんな動画が表沙汰になっては困る、と思った部員もいただろう。それで、追いかけっこになって」

「追いかけられた一年生は、逃げる途中でゆきちゃん先輩にぶつかった……」

 一年生を追ってきた三人組も、柔道部員だろう。小佐内さんは内輪もめに巻き込まれたのだ。

 古城さんが頭を抱え、机に肘をつく。

「こんなの見ちゃったら……あいつらに渡すなんて、できない。でも、ゆきちゃん先輩を助けないと……」

 コンピュータ部員が、なぜかぼくに、

「ゆきちゃん先輩って?」

 と訊いてくる。

「ああ。ぼくの友達で、いま、柔道部に捕まってるんだ。その子がこのCDを持ってると誤解されてね」

 コンピュータ部員は、目を丸くした。

「……それ、すっごくやばくないですか」

 それは、どうかな。

 三人組がただの不良さんだったら、確かに極めて危険な状況だったけど、そうじゃないらしいからね。そのあたりのことをどう説明したものか。

「柔道部と取引しましょう!」

 がばりと体を起こし、古城さんが叫ぶ。

「校内放送で呼び出して、CDはあるからゆきちゃん先輩を返せって言いましょう。もちろん、動画はコピーを取って、それから、それから」

 そのときだ。

「それにはおぼやないわ!」

 突然の声に振り返ると、開け放したままの入口に、妙に不敵な笑みを浮かべた女の子が腕組みをしてもたれかかっていた。ぼくたちは三者三様に声を上げる。

 コンピュータ部員は、

「誰ですか!」

 古城さんは、

「ゆきちゃん先輩!」

 そしてぼくは、

「それには及ばないわ、だね」

 小佐内さんは深く頷くと不敵に微笑み、低く落ち着いた声で、

「それには及ばないわ」

 と言い直した。