初めての建物なので迷ってしまい、グラウンドに出るまでに数分かかった。

 数人の生徒がキャンプファイヤーを遠巻きにしていて、教師らしい大人の姿はなかった。その遠巻きの環の中で、茫然と立ち尽くしているのは古城さんだ。手に、なにか赤いものを刺した串を持っている。小佐内さんはいなかった。

 やはり怪我を負って、保健室にでも運ばれたのだろうか。古城さんがぼくをこころよく思っていない、より正確には、小佐内さんを独占するのに邪魔な障害としか考えていないことは察しているけれど、事情を知っているのは彼女しかいない。駆け寄って、訊く。

「災難だったね。小佐内さんはどうしたの?」

 古城さんは、ぼくの顔をまじまじと見た。さっきカフェでは目も合わせなかったから、今日初めてあいたいした気がする。そのくりくりとした目は、泣くことを無理に我慢したように真っ赤になっていた。

「……大丈夫?」

「えっ、はい」

 我に返ったように、古城さんははっと表情を引き締めた。周囲を見まわし、声を殺して言う。

「先輩は……連れて行かれました」

「連れて行かれたって、誰に。どこに」

「どこにかは、わかりません。連れていったのは……うちの生徒だと思うけど……」

 そこで古城さんは、急に声を荒らげた。

「ゆきちゃん先輩、されたんです!」

「えっ、また?」

「え?」

 おっと。


 かつな発言への説明を求める古城さんを何とかなだめ、過去よりも現在に目を向けようと力説する。古城さんはとても納得はしていないようだったけれど、いまは小佐内さんを助ける方が先決だというぼくの主張には同意してくれたようで、最後には疑問を棚上げにしてくれた。

「それで、なにがあったの。落ち着いて話してみて」

 小佐内さんと男子生徒が衝突したところまでは見ていたけれど、近くにいた古城さんには最初から説明してもらった方がいい。衝突の場面を見ていたことは言わずに、話を促す。

「話なんかしてる場合じゃないでしょ! ゆきちゃん先輩を助けないと!」

「それはもちろんそうだけど……。でも、どこに連れて行かれたのかもわからないなら、せめてなにが起きたのかは知っておかないと、手の打ちようもないよ」

 悠長な、とぶつぶつ呟いてはいるけれど、他に何が出来るわけでもないと悟ったのか、古城さんは不承不承話し始めてくれた。

「……カフェを出た後、ゆきちゃん先輩と文化祭をまわることにしたんです。風船もらって、写真部に行って、アリスの展示見て……。その後、ゆきちゃん先輩が、おみやげ渡すの忘れてたって言って、きれいな紙箱をくれました」

 そういえば、おみやげを買うと言っていた。

「あたし、うれしくて。さっそく開けたら、色とりどりで透き通った、宝石みたいな、見たことないマシュマロでした。それであたしが、マシュマロってじかあぶって食べたりするんですよねって言ったら、ゆきちゃん先輩が窓の外を見て、じゃあそうしようって言ったんです」

 そうするって、まさか。

「この火でマシュマロを焙ろうとしたの? 二人で?」

 どことなく決まり悪そうな頷きが返ってきた。甘い物にかける小佐内さんの態度に妥協がないことはよく知っているけれど、この古城さんもなかなかのつわものだ。

 キャンプファイヤーは、間近で見てもやはりそれほど大きなものではない。井桁に組まれた丸太の高さはせいぜいぼくの腹ぐらいまでで、火も高々とは燃え上がっていない。まあ、近づいてマシュマロを焙るのに危険はなかっただろうけれど……。キャンプファイヤーを囲むプランターは、それ以上近づくなという立て札がわりだろうに、それは軽やかに無視したようだ。

 古城さんが手に持つ串に刺さっている赤いものがマシュマロで、食べる機会を逸したのだろう。とにかく食べたら、と促すと古城さんは少しかなしそうにそれを見つめ、ぱくりと食べて、「おいしい」と呟いた。

 とにかくそれで、二人がグラウンドの真ん中に出て行った理由はわかった。

「模擬店で和風喫茶やってるクラスに行って、お団子用の竹串をもらって、それからグラウンドに出ました。おいしいお店の話とか情報交換しながらボンファイヤーのそばまで行って、串にマシュマロを刺したんです」

 キャンプをしているわけではないからキャンプファイヤーとは呼べないかもと思っていたけれど、やはり別の呼び方があったのか。

「いよいよ焙ろうとしたところで走ってくる足音が聞こえて、ゆきちゃん先輩が『危ない!』って教えてくれました。振り返ったら、うちの制服着た男子が後ろ見ながら走ってて、あたしは動けなくなって……一瞬のことだったから、よく憶えてないんです」

 衝突の瞬間は、ぼくが見ていた。小佐内さんは走ってくる男子をけようとしたけれど、男子も小佐内さんたちを避けようとしたため、ぶつかってしまった。

「気がついたらゆきちゃん先輩が吹き飛ばされてて、でも、転びはしませんでした。なんか地面に手をついて、くるっとまわって、転ぶのをこらえたみたいになってて」

「えっと、小佐内さんが受け身を取ったってこと?」

 古城さんは首を傾げた。

「どうなんだろ。よくわかんないです」

 まあ、とにかく大きな怪我を負ったわけではないことはわかった。

「ただ、転びそうになった拍子にバッグのふたが開いて、中身が飛びだしちゃったんです。マシュマロもグラウンドに散らばりました」

 それは……小佐内さんの気持ちは、察するに余りある。

 一方で、いまの話の流れを再現すると、少し気になることもある。

「マシュマロは小佐内さんが持ってたの? 古城さんへのおみやげなのに」

「はい」

 言って、古城さんは考え込む。

「でも、どうしてだったかな……。串をもらうときに持ってもらったかなにかで、そのままだったんだと思う」

「マシュマロの箱って、どんなもの?」

 古城さんは、自分の体の幅ぐらいに手を広げた。

「これぐらいで、丸くて平たくて、果物がたくさん描かれた紙箱で……それが大事なことなんですか?」

「いや、竹串をもらうのに邪魔になるほど大きいのかなと思っただけだよ」

 急いで訊くようなことでもないと思ったのか、不満そうな顔をするけれど、古城さんはそれを口にはしなかった。

「それからなにが起きたの?」

「ぶつかった男子は派手に転んで、起き上がった後で『すみません』って大声で言って、ゆきちゃん先輩と一緒に散らばったものを拾い始めました。あたしも手伝おうと思ったんですが、校舎の方から乱暴な声が聞こえて、振り返ったら男子が三人、こっちに向かってきたんです」

 頷いて先を促す。

「ゆきちゃん先輩にぶつかった男子は、三人組を見てまた逃げ出したんですが、衝突のときにどこかを痛めたのか、片足を引きずってました。どれだけも行かないうちに捕まって、いきなり殴られたり蹴られたりして。ゆきちゃん先輩も心配だったけど、目の前でいきなりそんなことが起きてびっくりしちゃって、なによあんたたち、って叫んだんです」

「古城さんが?」

「決まってるじゃないですか」

 出し抜けに暴力が始まったとき、それをとがめる声を上げられる人が、どれぐらいいるだろうか。正直に言えば、ぼくもあまり自信はない。それなのに古城さんは、いきなり食ってかかったという。自分の学校内での出来事だという安心感も少しはあったのかもしれないけれど、面白い。

「なに笑ってるんですか」

「いや……ごめん、なんでもない。ええと、話の途中で悪いけど、その男子たちに見覚えはなかったんだね?」

 あまり自信がなさそうではあったけれど、古城さんは頷いた。

「たぶん、下級生だと思う。最初にぶつかった子は一年生で、次に来た三人は二年生」

「どうしてそう思ったの」

「ゆきちゃん先輩にぶつかった子が、殴られてるときに『すんませんでした』とか『許してください』とか言ってて、殴ってる三人組は『お前、後輩の立場わかってんのか』みたいなこと言ってたから、学年が違うってわかりました。それで、殴ってた方が三年生なら、さすがに顔ぐらい憶えてると思うから、二年生だろうって」

 なるほど。確実な証拠という訳じゃないけれど、古城さんの観察はかなり信用がおけそうだ。

「いちおう、外見も教えてもらえるかな」

「ええっと」

 古城さんは宙をにらんだ。

「三人ともごつくて、体育会系の部活やってるかな、って思ったぐらい。背は、一人だけ少し高めで、二人はふつう。顔は三人ともよくなかった」

「もうちょっと歯にきぬ着せてもいいんだよ」

「あたし、男子って嫌いなんですよね」

 そう言って古城さんは、男子であるところのぼくをじっと見た。

「わかった。ありがとう。三人組が一年生に追いついて、殴りかかったのを、古城さんが止めたんだよね。それからどうなったの」

「一年生って決まったわけじゃないですけど」

「まあ、仮にそう呼んでおこうよ」

 仮称がないと話がしにくい。古城さんも納得し、

「それから……」

 と言いかけて、ふと表情をくもらせる。

「三人組はあたしに『関係ねえだろ』って言い返してきたけど、とりあえず殴るのはやめて、一年生になにか話しながら、その子の体のあちこちを軽く押したりしてました。そのうちまた殴ったりするんじゃないかって見ていたら、いきなり三人組がこっちを見たんです。なんか指さしてきたりして、嫌な感じだなって思っていたらこっちに来て……『CD出せよ』って言ってきました」

 CD?

「CDって、音楽の?」

 眉を寄せて、古城さんは首を横に振る。

「知らないですよ!」

 ふうむ。

 音楽のCDなら、曲が入っているだけだ。だけど書き込み可能なCDだとしたら、画像、音声、集計データ、コンピュータウイルスに至るまで、なにが入っていてもおかしくない。

「一年生がCD持って走ってるのは見てましたけど、中身まではわかるわけないです」

 それはもっともだけど、

「えっ、一年生がCD持ってるのを見たの?」

 こくん、と頷かれた。

 古城さんはたしかに一年生がCDを持っているところを見ていたのか。三人組が勘違いをして、求めるCDを持ってもいない男子を追いかけていたわけではない。

「それで、いきなりなに言ってんの、おかしいんじゃない、って言い返したら、三人組はゆきちゃん先輩を見て『あっちだ』って騒いでゆきちゃん先輩を囲んで、『持ってるだろう、出せよ』って怒鳴ってました」

「小佐内さんはどうしたの?」

「『なんのこと?』って言ってました。かわいそうに、くちもとがふるえてて……」

 怯えていたんだね。

 笑ってたのかもしれないけど。

「しかもあいつら、ゆきちゃん先輩のバッグを取り上げて、中をじろじろ見たんですよ。本当に信じられない!」

「確かにそれは……ひどいね」

「しつこく見た後で『ない』って言って、ないんなら諦めればいいのに、絶対こいつが持ってるはずだって言い張って。あたし、あの一年生が殴られてるとき、CDはゆきちゃん先輩に渡したって噓ついたんじゃないかと思うんです。でなきゃ、あの三人組があんなにしつこく先輩を疑う理由がわかんないですもん」

 三人組は一年生の噓に騙されて小佐内さんを疑った、という推測だけれど、それはどうだろうか。ぼくが考えようとするのをよそに、古城さんはまくしたてる。

「ゆきちゃん先輩が知らないって言ってるのに、三人組はずっと疑ってて、とうとう連れていこうとしたんです。あたし、先生呼ぶよって言ったんですけど、ゆきちゃん先輩が『大丈夫よ。騒ぎにしないで』って言って、結局止めることも出来なくて……。先輩、三人組に言われるまま、ついて行っちゃったんです」

「言われるまま? 腕とかを引っぱられたわけじゃなくて?」

 少し不本意そうな答えが返ってくる。

「はい。三人組に来いって言われて、言われたとおりに……」

 古城さんの目が、またうるみはじめる。

「あたしのせいだ! あたしがマシュマロ焙ろうなんて言わなければよかったのに!」

 いや、古城さんはマシュマロは焙ることもあると言っただけで、ボンファイヤーで焙ろうって言い出したのは小佐内さんだったよね。指摘しないけど。

「小佐内さんは、他になにか言ってた?」

 そう訊くと、古城さんは恨めしそうな目でぼくを睨み、

「それは……」

 と口ごもる。

 促すこともせず黙っていると、やがて古城さんは心を決めたように、はっきりとした口調で言った。

「『大丈夫よ。騒ぎにしないで、なんてことないから』って。それから……」

「それから?」

「……『小鳩くんを呼んで』」

 ああ。ぼくがニューヨークチーズケーキを食べた後も校内に残っていることは、お見通しだったか。でも、

「だけど古城さん、ぼくの連絡先知らないよね」

「あ、それは」

 古城さんはちょっと、納得しかねるような顔をした。

「『呼べば来るから』って言ってました」

 ……犬じゃないんだから。

 たぶん、校内放送で呼び出すことを想定していたのだろう。そう思いたい。

 方法はさて置き、小佐内さんはぼくを呼ぶよう古城さんに伝えた。結果から言えば、ぼくは自分から駆けつけたのだけれど、小佐内さんは何らかの形でぼくを必要としていたと考えられる。なんのために?

 ふつうに考えれば、ぼくに助けてほしいからだ。暴力的な謎の三人組に囚われたわたしを早く助けて、というわけだ。……ところが、それだと少し奇妙なことになる。三人組の正体はわからないけれど、学外の人もおおぜいやって来る文化祭の日に、女の子を連れ去るというのは穏やかではない。古城さんがやろうとしたように教師を呼んで騒ぎ立てれば、三人組も諦めざるを得なかったはずだ。それなのに拉致が成功してしまったのはなぜか?

 他でもない、小佐内さんが抵抗しなかったから。古城さんに「大丈夫よ」と言い、騒ぎ立てないようけんせいし、自ら三人組について行ったからだ。

 まったく! ぼくたちは相互の悪癖を止めあう約束を結んでいるというのに、小佐内さんはそれを忘れてしまったのだろうか。要するに小佐内さんは、謎を解いてごらんと言っている。その謎とは……。

「CDはどこに消えたのか」

 まさに、それに尽きるだろう。