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ケーキの余韻を味わいつつ紅茶を飲んでいると、エプロンと三角巾を外した古城さんがやって来た。ちょっと不安そうな顔をしている。
「あの、どうでしたか」
にっこり笑って、小佐内さんが答える。
「すごくおいしかった」
「よかった……!」
古城さんは胸を押さえて大きく息をつき、相変わらずぼくには目もくれず、小佐内さんに顔を近づける。
「店員、代わってもらいました。これから文化祭見に行くんですけど、ゆきちゃん先輩もいっしょに行きませんか?」
小佐内さんは、ちらとぼくに目配せした。これは微妙なアイコンタクトだ。古城さんとの距離を適切に保ちたいという小佐内さんの目的から考えて、ぼくはこの二人と同行するべきだろうか?
少し考え、ぼくは席を立つ。
「じゃあ、ぼくは適当に見てまわるよ。また後でメールするね」
ぼくがカフェについてきただけで、小佐内さんの目的は果たされたはずだ。この上、ずっと一緒に行動する必要もないだろう。どうやら小佐内さんも同じ考えだったらしく、ぼくに向けて小さく頷きかけてきた。
小佐内さんを残して席を立ち、お茶代を払って家庭科教室を出る。呼び込みの子はもういなかった。古城さんの代わりにフロアに入ったのかもしれない。
ぼくはもう帰ってもいいのだけれど、せっかく来たのだから、ちょっとぐらい遊んでいくのが小市民的な行動というものだろう。昇降口近くでもらっておいたパンフレットを広げる。
「おっと」
挟み込んであった小さな紙が、ひらひらと廊下に落ちた。拾い上げる。その紙には、
《柔道部の公開練習試合は中止になりました 文化祭実行委員会》
と書かれていた。パンフレットを見ると、確かにそういう
体育館のステージで「犬神家の一族」をやるクラスがあって、それはちょっと見たい気がしたけれど、あいにくもう上演は終わっている。いまは三時少し前で、文化祭そのものが四時で終わって後夜祭が始まるので、たいていのイベントは済んでしまっているのだ。
コンピュータ部が「ファミコン再現」というのをやっているそうで、ファミコンというのは話に聞いたことはあるけれど見たことがなく、いったいどんなものなんだろうと興味が湧く。一方、四階では教室をひとつ丸ごと立体迷路にしているとのこと、迷路を解くぐらいは
ちん、と澄んだ音と共に、十円玉が宙を舞う。それを空中で受け止める……つもりが、手は見事に空振りし、十円は廊下を転がり始めた。ちょっと慌てて後を追う。壁に当たって倒れた十円は、裏を見せていた。迷路に行こう。
四階まで階段を上っていく。階段の
三階まで上がってきたとき、
「風船をどうぞ!」
出し抜けに、目の前に風船が突き出された。もらおうかと思ったけれど、いまから迷路に行くのに手がふさがるのはまずいので断る。四階では、
「どうぞ、割引券です!」
と手書きのチケットを渡された。一年C組でカフェをやっているというのだけれど、あいにくおやつは済ませている。こんな急ごしらえっぽい割引券を配っているところを見ると、たぶん売上が目標に達していないのだろうけれど、残念ながら力にはなれない。
礼智中学校の教室は、廊下に面した壁にも窓がある。迷路のある教室は、その窓がすべて暗幕で
「まだ入れますか?」
営業時間がわからない店に入るときのようなことを言ってしまった。男子はしゃんと背筋を伸ばして、少しほっとしたような笑顔になる。
「もちろん! やっていきます?」
頷くと、小さな懐中電灯を手渡された。
「中は暗めなので、必要なら使ってください。最初の一回だけタイムアタックができますが、計りますか?」
「どうしよう。どんなふうに作ってあるのか、ゆっくり見たい気もするけど」
「二回目に見ていただくこともできます」
「じゃあ、そうさせてもらおうかな。スタートは中に入った瞬間ですか?」
「そうです。では……」
男子がストップウオッチを取り出す。ぼくは教室のドアに手を掛けた。
「スタート!」
立体迷路は、なかなか面白かった。段ボールで壁を作って、机や椅子でそれを支えていたらしく、狭くて暗い通路をうろうろするだけでけっこう楽しかった。
ぼくが迷路を
「ありがとうございましたー」
ほどよく満足して迷路を後にする。時刻はもう三時に近く、そろそろあちこちで片づけが始まっているようだ。文化祭に行くのに集合が二時というのは遅く、堪能するにはいかにも時間が足りない……とはいえ、これもたぶん小佐内さんの計算のうちだ。あまり早くから来ると古城さんと半日ずっといっしょに行動することになりかねないから、小佐内さんは二時という時間を選んだのだろう。
廊下の窓からグラウンドを見下ろす。そのちょうど中心で、キャンプファイヤーが赤々と燃え盛っている。火の周囲に転々と赤いものが見えるのは、たぶん防火のための水を入れたバケツだろう。花を植えたプランターが四つ、キャンプファイヤーを囲んでいた。
文化祭が終わった後、後夜祭で火を囲む学校があるという話は聞いたことがあったけれど、実際にやっているところを見たことはない。たぶん管理がなにかと問題になるからなのだろうけれど、類焼の危険が少ないグラウンドの真ん中でとはいえ、堂々と火を燃やせるのはさすがに私学と言うべきか。ちょっと羨ましいような気がしなくもない。
女子がふたり、その火に近づいていく。一人はセーラー服で一人は私服、その私服姿の方が風船を二つ持っているのが見えた。確かにさっき風船は配っていたけれど、一人で二つとはよくばりさんめ。
いや、あれは、小佐内さんか。
すると隣にいるのは古城さんだろう。どうしてふたり連れだってキャンプファイヤーに近づいていくのかわからないけれど、古城さんが小佐内さんに近くで見せたいとでも言ったのかもしれない。見るともなしに見ていると、ふたりは火の近くで立ち止まり、手を前に差し伸べている。秋の夕暮れ時、肌寒い風も吹いてはいるだろうけれど、焚き火で暖を取っているとも思えなくて、なんだか妙な光景だった。
ふたりは何をしているんだろう……と思ったときだった。
グラウンドの隅から人影が飛び出してきた。学生服を着ている。ということは、ここの男子生徒だろうか。速い。全力で走っているのだろう。しかもその状態で、時々後ろを振り返っている。
なんだろう、と思ったのは一瞬だった。男子はグラウンドの中央に向かって走っていて、その先には小佐内さんたちがいる。あの速さからすると、もしかしたら男子は小佐内さんたちに気づいていないかもしれない。
ポケットに手をつっこみ、携帯電話を取り出すけれど、いまから電話をかけて間に合うとはぜんぜん思えない。女子二人は走ってくる男子に気づく様子もなく、男子はちらちらと後ろばかりを気にしている。窓を開けてグラウンドの二人に警告しようとしたけれど、鍵がかかっていて、解錠に手間取った。
衝突する寸前、どうやらお互いがお互いの存在に気づいたようだ。古城さんと思われるセーラー服の女子はその場で固まったが、オレンジ色のカーディガンを着た小佐内さんらしき方は後ろに
一瞬後、私服の女子ははじき飛ばされ、男子もつんのめってグラウンドにごろごろと転がる。ここからでも、男子がかなりいい体格をしていることはわかった。あれにぶつかられたらたまらない。ぼくは身を
願うことは、ただ一つ。どうか小佐内さん、無事でいて。
なにしろ、小佐内さんが