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ぼくたちのテーブルに合流したその女子は、古城コスモスと名乗った。字は秋桜と書くらしく、中学三年生だそうだ。栗色に染めた髪は癖っ毛で、そばかすがあり目はくりくりと大きいけれど、いまは力なく伏せられている。見た目だけならどう
「な」
と言いかけて言葉に詰まり、深い呼吸をしてから、古城さんは一気に言った。
「なんでわかったんですか」
「わたしたちの話を、盗み聞きしていたでしょう」
小佐内さんがぴしりと決めつける。
「さっきから、テーブルといい小鳩くんの顔といい、鏡の反射光がずっとうろうろしてるんだもの、気が散って困ったわ。小鳩くんが頑張ってくれて、マカロンを置いていった犯人さんはこっちの様子を
この直観力と行動力は、ぼくには真似できないものだ。古城さんは泣き出しそうな顔で、肩もふるえている。
「ごめんなさい」
「どうしてこんなことしたの。あなたのお父さんの指輪でしょう?」
「お父さんは」
弱々しく、古城さんが話し始める。
「ずっと、結婚指輪を肌身離さず持っていたんです。仕事中も。それはお母さんを大事にしてるからだって思ってたのに……。お母さんがいっちゃってから半年も経たないうちに、コギ・ルリコなんてお店を作るのが信じられなくて、ほんと最低で、休みでもないのに名古屋に来るっていうからなにかあるって思って……。このお店のオープンのときに
おどおどとさ迷う視線はときおり指輪に吸い付いて、また離れていく。
「冷蔵庫に一つだけマカロンが入った箱を見つけて、コギだったから、あの女への贈り物かと思って開けてみたら、指輪を入れてるなんて……。お母さんは病気であんなに苦しんだのに、いなくなったらすぐ別のひとと付き合うのって思ったら、あ、あたし、こんなお店潰れればいい、お父さんも大恥かけばいいって思って……」
「それで、どうしてわたしを選んだの?」
とても優しい声で小佐内さんが訊く。古城さんの指が上がって、ぼくを指さした。
「あの制服は見たことなかったから、この近くの学校の人じゃないって思ったんです。このへんのこと知らないひとだったら、時報にびっくりして振り返るんじゃないかって。それに……大人だと、本当に指輪盗んじゃいそうだし」
つまりぼくと小佐内さんは、指輪を持ち逃げしそうもない客として目を付けられたわけだ。お目が高いと言うべきか、見くびられたと考えるべきか、ちょっと
小佐内さんが溜め息をつく。
「……わかった。それで、あなたもお菓子を作るの?」
突然の質問に古城さんは目をしばたたかせる。
「え、あ、はい。休みの日はお父さんに教わって……」
「そう。じゃあ、こんど食べさせてね。それで今日のことは忘れるわ」
鞄からノートとボールペンを取り出し、携帯電話の番号を書いて古城さんに渡す。未発見の考古学資料でも見るように目を丸くして数字の羅列に見入る古城さんに、小佐内さんは続いて、指輪が入ったコギを手渡した。
「あなたが怒る理由もわかるけど、他人を巻き込むのはよくない。まずはちゃんと、お父さんと話し合うこと。わかった?」
古城さんは何度も頷いた。
「はい。あの……止めてくれて、ありがとうございます」
「いいから、もう行って。中学生には遅い時間よ」
振り返っては頭を下げ、数歩進んではまた振り返り、胸には大事そうに指輪入りのマカロンを抱いて、古城秋桜はパティスリー・コギ・アネックス・ルリコを去っていく。その後ろ姿を見送りつつ、ぼくは言った。
「ずいぶん、優しいんだね」
心待ちにしていたマカロンの時間を邪魔した古城秋桜に、小佐内さんはなんの手出しもしなかった。なにかやり始めたらどう止めようかと、いろいろ案を練っていたのだけど。
「てっきり、あの子に話すのかと思ったよ」
「なにを?」
「古城春臣は、あの子のお母さんが亡くなってから、田坂瑠璃子と付き合い始めたわけじゃないってことを」
「うん……」
驚きもしないということは、やっぱり小佐内さんも気づいていたらしい。
古城春臣は仕事中も結婚指輪を肌身離さず持っていたという。しかし小佐内さんは、作業中に指輪をつけたままのパティシエを、少なくとも日本人では見ていないと言った。両方を考え合わせ、快速電車の中で受けた講義のことも足すと、一つの答えが見えてくる。……古城春臣は、結婚指輪をネックレスに通し、首から下げる形で身につけていたのだ。
ところがいまから八ヶ月前、今年一月の写真ではそのネックレスは消えており、古城春臣はインタビューの中で新店の名をパティスリー・コギ・アネックス・ルリコだと発表している。名のある店で腕を磨いたパティシエは独立することも多い洋菓子業界で、片腕とはいえ一社員の田坂瑠璃子の名前を店名に入れるのは、古城秋桜が言うとおり意味ありげだ。まるで、この先もずっと田坂瑠璃子はパティスリー・コギに在籍し続けるとなんらかの理由で確信していたように思える。古城春臣はおそらくこの時点で、古い結婚指輪を身につけることをやめ、新しい結婚指輪を準備することを考えていた。
古城秋桜の母親が亡くなって、まだ半年にも満たないという。つまり彼女が亡くなるより少なくとも二ヶ月前には、古城春臣は「次」を考えていたふしがある。古城秋桜にとってはつらい推論だろう。
小佐内さんは緩慢な指遣いで、もう冷め切ってしまっただろう紅茶を物憂げに口許に運ぶ。
「小鳩くんが言うこと、わたしも気づいていたけど」
ほうと一息ついて。
「あの子はわたしにひどいことをしたわけじゃないし……。それにわたし、年下には優しいの」
ぼくは乾いた笑いをあげ、小佐内さんに
最後に一つ、意地悪かもしれないけれど訊いておきたいことがあった。
「ねえ小佐内さん。古城春臣に幻滅した?」
細い指が伸び、ようやくのこと、緑色のマカロンをつまみ上げる。
「まさか……小鳩くんも知ってるでしょう」
待望のマカロンをくちびるに当てると、小佐内さんはたおやかに微笑んだ。
「他人の恋よりも、わたし、マカロンに興味