「ちょっと待って」

 と、ぼくはむなしい抵抗を試みる。

「古城春臣は東京にいるんじゃないの?」

「小鳩くん。古城春臣の職場はたしかに東京ですが、実は新幹線というものがあって、用事があれば名古屋に来ることもできるのです」

 いつしゆうされた。

 剝がしたコギを手にとって、小佐内さんはそれをじっと見つめている。

「古城春臣が来ているんだとしたら、名古屋店では材料が調達できていないはずのコギが、今日に限ってお店にあるのも頷けるの。名古屋でコギは作れない、なら東京で作ったものを持ってきたとしか考えられない。少しだけでも新店にコギを置こうとして、古城春臣自身が持ってきたんだと思う。いまこの場所にいないのはなにか別のこと、たとえばコギの材料の仕入れ交渉に向かっているとか、そういう用事のためで、閉店時刻には戻ってきて指輪を意中の相手に送るんでしょう」

「そして名古屋に来た主な目的は、誰かに指輪を贈ること?」

「主な目的は、ひつまぶしを食べることだったかもしれないけど……」

 いくつかあったかもしれない目的のひとつは、指輪を贈ることだった、と。

 コギの名がついたマカロンで指輪を贈れるパティシエは古城春臣ただ一人という小佐内さんの見解は、ぼくの思考法では決して辿り着けない説だ。そのことに複雑な思いを抱きはするけれど、ぼくは頷かざるを得なかった。事ここに至って、ぼくたちが進めてきた推論はいよいよメインディッシュにさしかかる。

 つまり、

「じゃあ、その指輪が小佐内さんの小皿に置かれたのはどうして?」

 ということだ。

 それも、ここまで足元を固めればある程度は見えてくる。

「ふつうに考えれば」

 小佐内さんはそう前置きした。

「古城春臣が指輪を贈ることを防ぐため。もうちょっと言うなら、恋路を邪魔するため」

「恋ね……」

 そのキーワードが絡むと、関係者の行動に合理性が欠けるせいで推論を進めにくくなり、不本意な結果に至ることが多い。これはちょっと厄介かもしれない。とはいえ、ここまで来たのに投げ出すのもごうはらだし、指輪の始末も付けなくてはならない。短く息をついて、論点を上げる。

「指輪が贈られるのを防ぐためなら、盗むだけでいい。それがどうして小佐内さんの皿に置かれたのか? 客の皿に置いたことで、事態は抜き差しならないことになってる」

 無言の頷きが返ってくる。

「気づいたからよかったようなものの、もし小佐内さんがぱくっと食べていたら異物混入騒動だ。オープンしたての店にとっては致命的な悪評になるし、ニュースになったら東京の店も危ない。犯人は古城春臣の恋路を邪魔することよりも、この店を潰すことが目的だったとは考えられないかな」

 やはり小佐内さんはなにも言わず、砂糖壺から砂糖をすくい、スプーン二杯分をティーカップに入れる。時間を稼ぐようにゆっくりとかき混ぜ、カップに口を付けると、今度はお気に召したようでうっすら微笑んだ。

「たしかに、誰かが指輪マカロンを実際に食べていたら、大騒動になったと思う」

 そう言って、カップを置く。

「だけど、実際にはわたしは食べなかった。わたしじゃなくても食べなかったと思う。三つのマカロンが四つになって、わあいって喜んで口に入れちゃうひとはあんまりいない」

 小佐内さんだったら食べそうだけど……。実際には食べなかったところを見ていてもなお、こんなふうに思ってしまうあたり、ぼくもちょっと小佐内さんには偏見があるのかもしれない。

「犯人さんがもし、古城春臣の指輪を利用して客に異物入りのマカロンを食べさせ、この店を潰しちゃおうって思ったのなら、誰かのお皿の上のコギを入れ替えなきゃいけなかった。そのチャンスがなかったとしても、せめて三つのマカロンのうち一つをすり替えるべきだった。それなのに犯人さんは、指輪マカロンを四つめとして置いていっただけ」

「うん」

「それは、とっても甘いの」

 その声は、どこかしら暗いものを感じさせる。

「じゃあ犯人の目的は、やっぱり古城春臣の恋路を邪魔する一点にあったと考えるべきなのかな」

 小佐内さんはふるふると首を横に振る。

「本当に邪魔をしたいのなら、指輪マカロンをお客さんの皿に置くなんて遠まわりなことはしなくてもいい。マカロンから指輪を出して、そのまま持って行っちゃう方が効き目が大きいし、いっそのこと踏んづけて放っておけば満点だった。でも、それもしなかった。指輪マカロンをお客さんのお皿に置くという方法は、いろいろ騒動は巻き起こすだろうけど、指輪が古城春臣の手元に戻る可能性が大きいやり方でもある。まるで、事を丸く収めるための逃げ道を残しているみたい」

 テーブルの上を、どこかから反射してきた光がさ迷う。

「犯人さんは、古城春臣とこのお店の両方にダメージを与えるやり方を選んだのだから、両方に敵意があったんだと思う。でも、その敵意は相手を徹底的に叩き潰して二度と立ち上がれないようにする敵意じゃなくて、もっとあやふやな、覚悟のない、駄々っ子のような、幼い敵意ね」

 その分析は、ぼくがこの推論を通じて思っていたことに近かった。

「犯人には自衛の手段が乏しいんだ。従業員控室に入れる人間が限られている以上、騒動になった後で誰が指輪マカロンを客に出したのかを入念に調べられれば、いずれは誰の仕業か露見してしまう。犯人はそれでもなお指輪を持ち出してしまった、それを客に出してしまったというのは、後先考えない衝動的な犯行か、でなければ、ばれて罰せられても構わないという自爆的な行動だよ。さっきまでは前者かなと思っていたけど、後者だと、駄々っ子のような敵意っていう小佐内さんの見方と一致するね」

 そこまで話して、ぼくはちょっと息をついて微笑んだ。

「ところで、古城春臣が指輪を贈ろうとした相手は、やっぱり瑠璃子さんなんだろうね。フルネームはなんだっけ」

「田坂瑠璃子。古城春臣の片腕ね。うん、わたしもそう思う」

 なにしろ田坂瑠璃子はこの店の店長だ。指輪をコギに入れて贈る行為が古城春臣にふさわしいように、そのコギを贈られる相手は田坂瑠璃子こそふさわしい。犯人が敵意を抱いているのは、古城春臣と田坂瑠璃子の二人と見て間違いないだろう。

 さて。

 こうして、なぜ小佐内さんのマカロンが増えたのか、そのマカロンの中になぜ指輪が入っていたのかという問いへの推論を進めたいま、もっともよい指輪の処遇は、それを犯人に突き返してぼくたちは最初からなにも関与しなかったような顔をすることではないかと思う。古城春臣に渡してもいいけれど彼とは面識がないし、ぼくたちが盗んだと疑われても面倒だ。店員さんに渡してもあれこれ痛くない腹を探られそうだし、なにより、古城春臣と田坂瑠璃子の関係を社内に暴露することになりかねない。ひょっとしたらそれも犯人の目的の一部かもと思うと、その手段を取るのもためらわれる。持ち去ったら……それはやっぱり、小市民らしくない。

「犯人は」

 ぼくはそう切り出した。

「従業員控室に出入りできる人間で、しかもこの店の従業員ではない。少なくとも、今日は出勤していない」

 小佐内さんは頷いた。

「いくら小鳩くんの目を盗んだとはいえ、従業員さんが制服を着たままフロアに出て、わたしのお皿にマカロンを置いていったとは考えにくい。そうね。でも、フロア担当の店員さんだっていう可能性はないの?」

 そのあたりは、いちおう記憶にある。

「時報が鳴ったとき、店員さんはショーケースの向こうにいたんだ。ダッシュでもしない限り間に合わないし、そんなことしたらさすがにぼくが気づく。それに、勤務中にずっと指輪マカロンを持っている手段がない。あのエプロンにはポケットがないからね」

 納得したようで、反論はなかった。

「犯人は、古城春臣が今日名古屋に来ることを知っていた。しかも彼が指輪を持ってくることを知っていたか、少なくともそれを薄々察していた」

「指輪がマカロンに入っていることは?」

「知っていたかもしれないけれど、どこかにあると思われる指輪を探した結果、マカロンの中に見つけたという可能性が否定できない。でも、そうだね。コギに指輪が入っていることは知らなくても、古城春臣がそういうロマンティックなことを好む人間だということは知っていそうだ」

 小さくうなるような声を出して、小佐内さんはくちびるに指をあてた。

「……だいぶ、近しいひとみたいね」

「そうなるね。田坂瑠璃子以外に、古城春臣に近しい女性の社員はいないのかな?」

「社員?」

 小佐内さんはちょっととんきような声を上げた。

「社員、そうね、そうかもしれない」

「心あたりが?」

「ううん、ない。わたしは別の方向で考えていたから、びっくりしただけ。ごめんね、続きを話して」

 別の方向というのも気になるけれど、促されるままに話す。

「わかった。ええと、さらに言えば、犯人はまだこのフロアにいるか、このフロアを見渡せる位置にいる。事態の推移を見守りたいだろうし、なにより、いずれ指輪が古城春臣の手に戻ることを想定して事態をデザインしたという小佐内さんの説に従えば、本当に盗まれてしまわないか見張っているだろうから」

「……」

「一人だ。二人以上なら、時報のオルゴールなんていう不確実な手に頼らず、もっと確実にぼくの気を引くことが出来たはず」

 ようやくここまで来た。

 店内をばやく見まわす。一人客は三人しかいない。

 黒っぽい服を着て大粒の真珠のネックレスを下げ、満足そうにモンブランにスプーンを振るう、少し太めの中年女性。

 コンパクトを開いて前髪の調整に余念がないふうの、中学生か高校生か判断に迷う女子学生。

 ノートパソコンに向き合い、ほとんど残っていないアイスコーヒーに片手を添えたサラリーマン風の男性。

 三人とも、ぼくたちとは比較的テーブルが近い。いて言えば中年女性が少しだけ遠いし、モンブランもいま来たばかりに見えるけど、それだけで彼女ではないと言い切る自信はない。

「なにか、消去法の条件を考えないとね」

 ところが小佐内さんは、まっすぐにぼくを見て、ちょっと作ったような笑みを浮かべた。

「ありがとう、小鳩くん。ここまで積み重ねたんだもの、充分よ。あとは、ちょっとつっつくだけ」

 椅子を引いて立ち上がり、指輪の入ったマカロンを片手に、満席で賑わうパティスリーのフロアを歩いていく。

 立ち止まったのは、女子学生の前だった。耳を澄ますまでもなく、小佐内さんの言葉は聞き取れる。

「古城さんね。……わたし、いたずらはよくないと思うの」