ポケットの中にビスケットを入れて、叩くと増える歌がある。特になにかを叩いた覚えはないけれど、小佐内さんの皿の上ではマカロンが増えた。

 小佐内さんは、見たところ、喜んではいなかった。そうだろうな、と思う。いくら待望のマカロンでも、どこから出てきたのかわからないものを口に入れる気にはならない。ひょっとしたら床に落ちていたものかもしれないのだ。

「店員さん、なにか言ってた?」

「言ってなかったよ」

「念のためもう一回訊くけど、小鳩くんの仕業じゃないのよね?」

 お疑いはごもっとも。ぼくがいちばん近くにいたんだし。

「うん。だいたい、マカロンの個別売りはしてないんだし、一個だけ買いようがない」

 小佐内さんは俯き気味に、

「うん……」

 と呟いた。

 ぼくはかつて、謎を解くことを好んでいた。好みすぎて人間関係に若干の支障をきたし、自分自身でも心に期するところがあったので、これからのぼくはあれこれとさかしらなことを言わないようにしたいと願っている。その願いをよそにしても、小佐内さんのマカロンが増えたことについて、ぼくは思考を巡らせようとはしなかった。……ただ単に店員さんが間違えたのだとしか思えなかったからだ。

「お店のひと、呼ぼうか」

 返事を待たず手を上げかける。そこに小佐内さんが、小さくも鋭い声で、

「待って」

 と言った。

「……待って。わたし、店員さんの間違いだとは思えない」

 たしかに、十個のマカロンが十一個になっていたというのだったら単純ミスということもありそうだけど、三個のマカロンが四個になって気づかない店員さんというのは、ちょっと考えにくい。だけど、世の中にはいろんな思いがけないことがあるものだし、最初に店員さんに確認を取るのは当然だと思える。

「どうして呼んだらだめなの?」

 率直にそう問うと、小佐内さんはちょっと困った顔をした。なぜこんな簡単なことがわからないのかといういらちと、自分でもどう説明したらいいのか言葉が見つからないもどかしさを、そのあいまいな表情からぼくは察した。

「えっとね。店員さんが間違えた可能性も、もちろんあると思うの。でも、かなり低い可能性だとも思う」

 頷いて同意を示す。

「それで、店員さんの間違いじゃなかったら、これは誰かが乗せたっていうことでしょう? そのひとはなにか狙いがあって、こんなことをした」

「まあ、そうだろうね」

「だったら……かつに店員さんを呼ぶと、その誰かの思惑に乗ってしまうんじゃないかって思ったの」

 苦笑いをかみ殺した。なんとも小佐内さんらしい、というべきだろうか。

 ぼくが推理したがる傾向をきようせいしたいと願っているように、小佐内さんも自らの性向を抑え込みたいと思っている。ぼくたちはお互いに見張り合い、助け合って、心穏やかで無害でやすきに流れる、誰にも迷惑をかけない小市民になろうと誓い合ったのだ。その誓いを踏まえてもなお小佐内さんは、事情もわからず他人に踊らされることにはどうしても我慢がならないらしい。

 その誇り高さは、ぼくたちが約束し合っためるべき性向とは直接関係しない。だからぼくは、そんな意地を張るべきではないとは言わなかった。せっかく放課後に駆けつけたパティスリーで、心待ちにしていたマカロンを前に水を差された心境は察するに余りある。誰かの変な企みに乗りたくないと小佐内さんが思ったとしても、責めたり止めたりする気にはなれなかったのだ。

「そっか。わかったよ。店員さんを呼ぶのは最後の手段にしよう」

 こくり、と頷きが返ってくる。

 あらためて、四つのマカロンを見る。緑と茶色とマーブル模様とツートンカラーの四つだ。ぼくと小佐内さんは正対していて、ぼくの側から見て小皿の一番手前にあるのがツートンカラー、その奥にマーブルと茶色が二つ並んで、小佐内さんにいちばん近いのが緑のものという並びになる。いわば四つのマカロンは、縦に長いひしがたを形作っていた。

「それで、増えたのはどれなの?」

 ぼくは何気なくそう訊いた。このお店では、客が注文したいフレーバーを三種類指定する。小佐内さんはその三種類を事前に決めていた、というよりそれらを賞味するために名古屋まで来たのだから、どれが自分の注文した品でどれがそうでないのかは、すぐわかるはずだと思ったのだ。

 ところが小佐内さんは、自分の目の前のマカロンを見つめたまましばらく何も言わなかった。おもむろに手を上げて、緑のものを指す。

「これはピスタチオ。九月からの秋の限定商品だから、たぶん十一月まで売ってるはず」

 そして、次に茶色のものに指を移す。

「これはご存じ、マロン。長野の栗を使っていて、まだ旬にはちょっと早いと思うけど、これもやっぱり秋の季節限定」

 マーブル模様については、

「ココナッツパパイア。夏の限定商品だけど、九月中は出すんだって。マロンが走りなら、こっちはごり

 最後にツートンカラーを指さして、

「これが、コギ」

 と言った。

「小麦?」

「ううん、コギ。パティスリー・コギの特別フレーバーで、代名詞的存在なの」

 フレーバーについてはよくわかった。だけどぼくが知りたいのは、どれが小佐内さんの注文していない、増えたマカロンなのかということなのだ。改めて訊こうかと口を開きかけたところで、小佐内さんの眉根に漂う苦悩の雰囲気に気づく。まさか……。

「どれを注文したのか、忘れちゃったの?」

 少し、間が空いた。

「……うん」

「そんな、どうして」

 小佐内さんは、そうしていれば真実が見えてくると言わんばかりにマカロンに熱い視線を注ぎつつ、答える。

「今日は、ピスタチオとマロンとココナッツパパイアとパーシモンを試すつもりだった。でも本当はコギを食べたかった。若き日の古城春臣の成功を支え、それから常にパティスリー・コギの名前と共に語られるマカロンだもの、興味があるわ。でも手配が難しい食材を使っているから、このアネックス・ルリコでは、まだ準備中のはずだった。今日は季節のフレーバーを味わって、いつかコギの販売が始まったとき、また来ればいいと思っていたの」

 それで、さっきショーケースの前で小佐内さんが時間を使っていた理由がわかった。売られていなかったはずの本命をの当たりにして、計画が狂ってしまったのだ。

「わたし、悩んだ。自分で頼むつもりだった三種類の中で、どれか一つ外すとしたらココナッツパパイアだった。でも、これは夏の限定だから、次に来た時はもうないかもしれない。それを言ったらピスタチオもマロンも季節限定で、コギは食材の手配にさえが立てば、レギュラー商品になることがわかってる。いつかは問題なく買えるだろうけどいま食べたいコギと、コギに比べたら我慢はできると思うけどいま食べないと販売が終わってしまうかもしれない残り三種類、どれをどうしたらいいのかわかんなくなって」

 小佐内さんは両手で自分の頭を挟み込んだ。

「注文したのは、間違いなくわたしよ。楽しみだったの! でも、いまはもう、自分でもどれをあきらめたのかわからない……」

「……小佐内さん」

 そこまで悲愴にならなくても……。

 とにかくこれで、店員さんに確認することはできず、小佐内さんも思い出せないという状況が明らかになった。

 小佐内さんは、マカロンを増やした何者かの意図には乗りたくないと考えている。となれば最終的には、誰がなぜマカロンを置いたのかを明らかにしなくてはならない。とはいえ、四種の中でどれが増えたマカロンなのかを突き止めるのは、最初の一歩として妥当だろう。

 どうすれば、望まれざる第四のマカロンを特定することができるのか?

 ぼくが思うに、これは観察力が鍵になる。


「マカロンを三つ乗せたわたしのお皿に、第四のそれが置かれたのか」

 声を落ち着かせて、小佐内さんはそう切り出した。

「それとも、マカロンを四つ乗せたお皿がわたしのお皿とすり替えられたのか、現場にいなかったわたしには想像がつかないの。小鳩くん、それはどっちだったと思う?」

 おや、と思った。

 小佐内さんとぼくとは約束を結んでいる。お互いの悪い癖が出ないよう見張りあい、癖を出さなくてもいいように助け合い、お互いを言い訳に使って厄介事から遠ざかる互恵関係の約束を。それに照らして、小佐内さんがぼくにこういう質問をすることは問題ないんだろうか。

 ……まあ、たぶん、いいよね。ほかに誰かいるわけじゃないし、それにこれぐらい、推理のうちにも入らない。ぼくは少し考えた。

「後者はないと思うな。後者の場合、第四のマカロン以外の三つが小佐内さんの注文とかぶったのは偶然ということになるけど、それはあまりに確率が低い。偶然でないとすれば小佐内さんの注文を把握していた人間が仕組んだと考えるしかないけど、そんなひとは注文を受けた当の店員さんしかいない。店員さんがおまけでマカロンをサービスしてくれる理由がないし、仮にそうだとしてもなにか一言あったはずだ」

 小佐内さんもここまでは考えていたらしい。

「だよね。じゃあやっぱり、誰かがわたしのお皿にマカロンを置いていったんだ。そういうチャンスはあったの?」

「ぼくは小佐内さんのマカロンを注視していたわけじゃないからね。荷物を置き引きされないかは気にしていたけど……」

 ただ、小佐内さんの席はぼくの真正面にあり、ふつうにしていれば嫌でも目に入ってくる。いまここで誰かが小佐内さんの小皿に第五のマカロンを置いていったとして、それを見落とすことはあり得ない。なにかの理由でぼくの気が逸れなければ、誰であれこんないたずらは出来なかったはずなのだ。

 そう考えると、思い当たることは一つしかなかった。

「小佐内さんが手を洗いに立ってから、まずはぼくの注文がセッティングされたんだ。少し後で、小佐内さんの分も来た。この時点でマカロンが幾つだったのかは憶えていない。それから、いきなり時報が鳴った」

「時報?」

「あれだよ」

 ぼくの背中側、道路を挟んだ向かいのビルに取りつけられた大時計を指さす。

「五時になった途端、あれが結構な音量で『おお牧場はみどり』を鳴らし始めたんだ。びっくりして振り向いたら、小人の人形がけっこう細かい動きで薪を割ったりしていたから、しばらく見てた」

 少し置いて、付け加える。

「やられたとしたら、そのタイミングしかない」

 小佐内さんは身じろぎもしないでいたけれど、突然、かくんと首を傾げた。

「なんだか、ざらりとした感じがする」

「ざらり、って?」

「わたしが手を洗いに行ったのは偶然、小鳩くんが時報に振り向いたのも偶然。ということは、犯人はたまたま条件が揃ったことに気づいて、衝動的にわたしのお皿にマカロンを置いたっていうことになる。……たぶん、わたしじゃなくてもよかったはず」

 あれだけの音量で時報が鳴ったのだから、ぼくが後ろを振り返ることはかなりのがいぜんせいをもって推測できたはずだ。だけど、マカロンがテーブルに届いたのが五時直前だったことは純粋に偶然なので、犯行が衝動的だという小佐内さんの指摘はゆるがない。

「だけど、第四のマカロンは事前に調達してある。計画性が感じられるの。そこが、ざらりとする」

 たしかに言われてみれば、微妙なというか温度差というか、ちぐはぐな感じがする。まだ見ぬマカロン置き魔の心境を読み解こうというように小佐内さんはしばらくちん黙考していたけれど、短く息を吐くと、

「でも、それはいったん棚上げ」

 と言った。

「まずはどれが第四のマカロンなのかを見極めないと……」

「そうだね、妥当な出発点だ」

「どのマカロンも食べられない」

 ああ、そういう問題もあったね。

 小佐内さんはまた、じっと小皿を見つめる。

「小鳩くんの隙をついてマカロンを置いたなら、小鳩くんからいちばん遠いこれ……かな?」

 ピスタチオのマカロンを指さすけれど、根拠が薄弱なことは重々承知しているようで、言葉にはいかにも自信がなさそうだ。ぼくもえて取り合わない。

「これは思考だけじゃどうにもならないと思うよ。観察がいる」

「観察?」

 実を言えば、第四のマカロンを特定する大きな手がかりに、ぼくは既に気づいている。すぐに説明してもよかったのだけど、小佐内さんにもその手がかりを見せたくてタイミングを見計らっていたのだ。

 店員さんが一人、ティー&マカロンセットらしき一式をトレイに乗せて、お客さんに近づいていく。ぼくはそっと人差し指を伸ばして、小佐内さんの注意を店員さんに向けた。

「お待たせいたしました」

 客は若い女性二人組で、会社勤めらしく両方とも似通ったスカートスーツを着ていた。注文の品が並べられていくのを期待に満ちたまなしで見つめている。店員さんはティーポットを置き、ティーカップを置き、ミルクピッチャーと砂糖壺を置き、小皿を少しまわしてから、そっとテーブルに置いた。二人が破顔するのを見届けて、小佐内さんがこちらに向き直る。

「……毎回、ああいうふうなの?」

 さすがに小佐内さんだ、ぼくが言いたいことをすぐに察したらしい。

「うん。いつもああやってる」

 ぼくたちは、皿をまわす動作について話している。店員さんはいつも、テーブルに置く前に皿をまわしていた。

 皿をまわすのはまわす必要があるからで、それはすなわち皿には決まった向きがあるということを意味する。マカロンをえよく並べ、お客さんにいちばん綺麗に見えるように、この向きで置くようにという決まりがあるのだろう。

 いま、店員さんが置いたマカロンの向きはこちらからは見えないし、見るまでもなかった。向きが決まっているなら当然、ぼくの小皿は正しい位置に置かれているはずだ。なにしろぼくは手を洗う順番を待っていて、マカロンとその皿には指一本触れていないのだから。

 そうしたことを説明するまでもなく、小佐内さんはすでにぼくのマカロンをぎようしている。ぼくの目の前の小皿には手前にパーシモン、奥にバナーヌとカカオが並び、ぼくから見て逆三角形を形成している。客から見て逆三角形になるように小皿を置くのがこの店の決まりなら、第四のマカロンは、考えるまでもなく決まるのだ。

「……これだったのね」

 小佐内さんは、ピンクと白のツートンカラーから成るマカロン、古城春臣の代名詞たるコギに右手を伸ばしていく。

「やっぱり、コギを諦めたのね、わたしは。いつか問題なく食べられるようになるんだもの、当然の選択だわ……」

 ぼくは、溜め息をつきたかった。

 たしかに小市民になるとは誓ったし、その誓いを破るつもりはない。だけど小佐内さんが困った事態に陥ったときに、思考と推論だけで彼女を助けられず、観察が決め手になってしまったのはやはりいささか残念だ。観察によって真実を見通すことが常に安易だとまでは言わないけれど、この分だと、どうやら今回は想像のらちがいのことまでは起きそうにもないね!

 小佐内さんがコギをつまみあげる。

 突然、その表情に再びれいさが戻った。指の動きが止まり、それからゆっくりと、コギを上下に振り始める。

「……どうしたの?」

 神聖なるマカロンの皿をけがした異物たるコギに、なんらかの儀式めいた罰を下そうとでもいうのだろうか。いぶかるぼくの前で小佐内さんはなおも数度コギを振り、それから次に左手でピスタチオのマカロンをつまみあげ、同じように振ると、どこか茫然としたように呟いた。

「重い。重心がおかしい」

「マカロンの重心が?」

 ピスタチオを置くと、小佐内さんは改めてコギを手に乗せた。ためらうような一瞬の後に、表情を痛ましそうに歪めつつ、マカロンを形作る二枚の焼き菓子の、上の一枚をがしていく。

「なにを……」

 思わず、言葉を途中で吞み込んだ。

 第四のマカロンの中身は、チョコレートだけではなかった。そこには、指輪が一つ、照明を受けて金色に輝いていた。