世の中にはいわゆる「学級委員タイプ」という人が存在します。目立つのが好きでリーダーシップがある、みんなの人気者につく称号です。では、私はというと、それはもちろん「整理整頓タイプ」。目立たず、騒がず、ただ黙々と教室の隅で棚を整理しつづける、モノ好きにつく称号です。
これはたとえ話でも冗談でもなく、私が小学校に入学して初めてついた学級の係は「整理整頓係」でした。今でもはっきり思い出せるのですが、飼育係やお花係に人気が集中してじゃんけん勝負になっている一方、「せいりせいとん係」に「はいっ!」と意気揚々と手を挙げたのは私一人。今から考えると、その頃から私の片づけ遺伝子は体の中にはっきりと存在していたわけです。
あっさりと憧れの役職についた私が、その日から堂々と教室の本棚やらロッカーの上やらを嬉々として整理整頓しつづけてきたのはこれまでお話ししてきた通り。こんな話をすると、「そんな小さい頃から好きなモノがはっきりしていて、うらやましい」「自分は、何が好きなのかわからなくて……」というふうにいわれることがあります。
しかし、じつは私自身、こんなに片づけが好きだと自覚したのは、つい最近のことなのです。
今でこそ、ほとんど毎日のようにお客様の家に行ったり、講演をさせていただいたり、片づけ一色の生活を送っている私ですが、小さい頃の夢はお嫁さん。片づけは私にとってはあまりに日常で、まさかこれが仕事になろうとは実際に独立するときまで想像すらしていませんでした。だから、「趣味は?」なんて聞かれるたびにとまどって、苦しまぎれに「読書です」と答えては、「私はいったい、何が好きなんだろう」とため息をついていました。
整理整頓係の話にしても、その事実をずっと覚えていたわけではありません。まさに部屋の片づけをしているときに、本当にふと、「ああ、そういえば初めての係は、整理整頓係だったなあ……」と、小学校の教室で見ていた黒板の風景を一五年ぶりに思い出したのです。と同時に、そんなに昔から片づけに興味があったことを再認識して、私自身、新鮮な驚きを感じました。
あなたも試しに、小学生のときについていた係や大好きだったことを思い出してみてください。それが動物を世話することであれ、絵を描くことであれ、まったくそのままでないにしても、何かしら今のあなたがあたりまえのようにしていることにつながっているのではないでしょうか。自分が本当に好きなモノの根っこは、時がたっても変わらないと私は思います。そして、その根っこを見つけるのに片づけは大いに役立つのです。
私のお客様で、学生時代から仲よくしているAちゃんという子がいます。彼女はもともと大手IT企業に勤めていたのですが、片づけをして自分の本当に好きなことを発見した一人です。
片づけを終えた彼女が気づいたのは、ときめくモノだけ残した本棚には、社会福祉関係の本ばかりがズラリ並んでいたという事実。社会人になってから買った英語の教材や秘書検定などの資格の本はすっかりなくなったのに、中学生の頃に買った福祉の本は残っていたのです。
そのことがきっかけで彼女は、中学生の頃から社会人になるまでベビーシッターのボランティアを続けていたことをあらためて思い出したといいます。「子どもを産んだ女性でも、安心して働ける社会をつくりたい」。自分に秘められたそんな情熱に気づいた彼女は、レッスンを卒業してから一年間、独立のための勉強など準備を続け、ついに会社を辞めてベビーシッター事業の会社を設立。今ではたくさんのお客様に頼りにされ、手探りながらも毎日仕事を楽しんでいます。
「片づけをしたら、自分のやりたいことが見つかりました」
じつはこんな声が私のお客様からは絶えないのです。実際、レッスン卒業後は独立したり転職したり、今までの仕事にもっと真剣に取り組むようになったり、何かしら仕事について意識が変わったという方がほとんどです。もちろん仕事でなくても、趣味でも家事でも、毎日の中で「好きなこと」を意識する時間が自然と増えて、ふだんの生活がいきいきとしてくるのです。
自分という人間を知るには、机に向かって自己分析したり、人に話を聞いたりするのももちろんよいけれど、片づけするのが一番の近道だと私は思います。持ちモノは自分の選択の歴史を正確に語ってくれるもの。片づけは、本当に好きなモノを見つける自分の棚卸しでもあるのです。
「これまでは自分に何かをプラスしていくことが大事と信じて、セミナーを受講したり、勉強して知識を増やしたりしてきました。でも、足すことよりも引くことのほうがはるかに大事だということを、片づけを通して初めて気がつくことができました」
これはとっても勉強熱心で、膨大な数の社外人脈を築き上げてきたMさん(三〇代)の言葉です。Mさんは私のレッスンを受けてからというもの、人生が激変したといいます。
「捨てたくないもの第一位」だった膨大な数のセミナー教材を捨てたら、心の重荷がとれ、いつか読み直すかもしれないと思ってとっていた五〇〇冊近い本を捨てたら、どんどん新しい情報が入ってくるようになり、大量の名刺を捨てたら、会いたいと思っていた人から連絡がくるようになって自然と会えるようになったのだとか。
彼女はスピリチュアルなことも大好きらしいのですが、「風水とか、パワーグッズとか、そういうことよりも、じつは片づけのほうが断然、効果がある」とうれしそうに語ってくれました。今では勤めていた会社を辞め、本の出版も決まるなど、新しい人生にまっしぐらといった感じです。
彼女にかぎらず、片づけをすると人生がドラマチックに変わります。それはもう、一〇〇%といっていいくらい。「片づけの魔法」と私が呼ぶその効果が人生に及ぼす影響は絶大です。ご本人から片づけ後の変化についてお話をたまに聞かせてもらうと、何よりも私がびっくりするくらいです。さすがに今ではそれがあたりまえになったので驚くことも少なくなりましたが、「一気に短期に完璧に片づけをやり終えた人」の人生は、間違いなくドラマチックに変化していくのです。
Mさんの母親であるSさんは、小さい頃から片づけなさいといっても片づけられなかった娘の部屋からモノが消えたことに衝撃を受け、私のレッスンを受けに来られました。自分は片づけられる人だと思っていたけど、じつはそうではなかったことにあらためて気づかされたそうです。そして、捨てることが快感となり、二万五〇〇〇円もしたお茶の道具なんかも、惜しげもなく捨てることができ、不燃ゴミの日が待ち遠しくなったのだとか。
「これまでは自分に自信がなく、変わらなければ、変えなければという思いが強かったのですが、このままの自分でいいと思えるようになりました。物事を判断するときの基準をしっかり持てるようになったことで、大いに自信がついたのだと思います」
Sさんの言葉にもあるように、「片づけの魔法」効果の一つが、自分の判断に自信が持てるようになることです。モノを一つひとつ触って、ときめくかどうか自問自答し、そして残すのか捨てるのか、判断を下す。
片づけの過程で、この瞬間を何百、何千と繰り返すことによって、判断力が自然と研ぎ澄まされていきます。
自分の判断に自信が持てない人は、自分にも自信がないものです。
何を隠そう、私自身がそうでした。
その私を救ってくれたのが、「片づけ」だったのです。
どうして自分がこんなに片づけにこだわるのか考えてみたことがあります。おそらくそれは、親にかまわれたいという願望と、母親に対するコンプレックスがそもそもの原動力ではないかと考えています。
私は三人きょうだいの真ん中っ子で、三歳以降はあまり両親にかまわれませんでした。もちろん私の両親はけっしてそんなつもりはなかったと思うのですが、長男である兄と末っ子である妹にはさまれた当時の私は、なんとなくそんな気がしてしかたがなかったのです。
幼稚園の年長から家事や片づけに興味をもったのも、兄や妹に手がかかるので両親に迷惑をかけないように子どもながら気をつかい、小さい頃から人に頼らないで生活したいという意識があったからでした。両親からほめられたい、注目されたいという意識ももちろんあったと思います。
小学校一年のときから目覚まし時計を使って、誰よりも早く自分で起きているような子どもでした。人に頼ったり、信頼したりするのが苦手で、自分の気持ちを人に伝えることも大の苦手。休み時間はずっと一人で片づけをしていたわけですから、今の基準でいえば、どう考えても明るい子どもとはいえないでしょう。一人で校内をうろうろするのが好きで、それは大人になった今でも同じです。旅行でも、買い物でも、基本的に一人で行動するのが私の中ではあたりまえとなっています。
こんなふうに、他人との間で信頼関係をつくる経験に乏しかったので、モノとの関係について異常なほど執着してしまったのでしょう。人前で弱みを見せたり、自分の本心を見せたりすることが苦手だったので、ありのままでいさせてくれる自分の部屋やモノがこんなに愛おしいのだと思います。
無条件に愛されているとか感謝するという感情を、親や友人よりも先に教えてくれたのが、モノたちであり、おうちでした。
じつをいうと、私は今でも、自分自身には自信がありません。まだまだ若くて経験も浅いし、足りないところだらけの自分に嫌気がさすときもあります。
けれど、自分の環境には自信があります。
自分の持っているモノや身につけているモノ、そして自分のおうちやまわりの人たちといった、自分の置かれている環境については、誰かと比べてすごいとか、ゴージャスだというわけではないけれど、少なくとも私にとっては、一つ残らず、本当に大好きで愛おしくて大切で、素晴らしいものに囲まれて生きているという自信と感謝の思いがあります。
そういう、自分がときめくモノたちや人たちに支えられている。だからこそ、自分はだいじょうぶ、と思えます。以前の私と同じように、他人に対して心を開くことができず、自分に自信がない人がいたら、持ちモノや部屋という身近に支えてくれている存在がいることに気づいてほしい。来る日も来る日も人のおうちに行って、個人宅の片づけレッスンという仕事に励んでいるのは、一人でも多くの方に、そのことに気づいてもらいたいからです。
「ときめかないモノは、捨てる」
この方法を少しでも試してみた方なら、「ときめく」か「ときめかない」かの判断が、それほどむずかしくはないことにもうお気づきだと思います。まさにモノに触った瞬間、自分の答えは出ているからです。むずかしいのは、「捨てる」という判断を下すことでしょう。
「この調理器具、今年は使わなかったけど、いつか使うかもしれないし……」
「あっ、あの彼にもらったアクセサリーだ。あのときはよかったな」
こんなふうにさまざまな理由が、捨てることを阻んでいるように思えます。
しかし結局、捨てられない原因を突き詰めていくと、じつは二つしかありません。それは「過去に対する執着」と「未来に対する不安」。この二つだけです。
もしモノの見極めをしているとき、「ときめかない。でも捨てられない」と思ったら、次のようにちょっと立ち止まって考えてみましょう。
「これって『過去に対する執着』で捨てられないのかな、それとも『未来に対する不安』で捨てられないのかな」
捨てられないモノ一つひとつについて、どちらが原因かと考えていきます。そうすると、自分のモノの持ち方の傾向がつかめてきます。「あ、自分って『過去執着型』なんだ」とか「『未来不安型』なんだ」、もしくは「両方多いタイプだな……」と。
なぜ「自分のモノの持ち方」の傾向をつかむことが大事かというと、モノの持ち方は、自分の生きるうえでの価値観そのものを表しているからです。
何を持つのかは、まさにどう生きるのかと同じこと。「過去に対する執着」や「未来に対する不安」は、モノの持ち方だけではなく、人との付き合いや仕事の選び方などの、すべての選択基準に通じていることがわかりますでしょうか。
たとえば、未来に対する不安が大きい女性は、付き合う男性を選ぶとき、純粋に「この人が好き。いっしょにいると心地いい」から付き合うというよりは、「この人と付き合っておけばトクかもしれない」「この人と別れたら、もうこれ以上の人とは出会えないかもしれない」という理由で好きでもない人と一緒に過ごしたりしてしまいます。職業選択でいえば、「この仕事が好き」「やりたい」という理由ではなく、「この会社に入っておけば、大企業だからツブシがきくだろう」とか「資格でもとっておけば安心だろう」という理由で会社や仕事を選んでしまうのです。
そして、過去に対する執着が大きい人は、「二年前に別れた恋人が忘れられない」といってなかなか次の恋愛に踏み出せなかったり、今の仕事のやり方ではうまくいかなくなっていることを本当は気づいているけど、「これまでこのやり方で成功してきたんだ」となかなか方法を変えられなかったりします。
このように「過去に対する執着」と「未来に対する不安」にとらわれているとき、つまりモノが捨てられないときというのは、「今、自分にとって何が必要か。何があれば満たされるのか。何を求めているのか」が見えていない状態です。自分にとって必要なモノや求めているモノが見えていないから、ますます不必要なモノを増やしてしまい、物理的にも精神的にもどんどんいらないモノに埋もれていってしまいます。
では、「今、自分にとって必要なモノ」をはっきりさせるためにはどうしたらよいのかというと、それはやっぱり不必要なモノを捨てていくことです。どこか遠くに探しに行ったり、新しく買いに行ったりする必要はありません。今、自分が持っているモノにていねいに向き合い、いらないモノを減らしていくだけでよいのです。
モノと向き合いながら捨てていくのは、はっきりいってつらい作業でもあります。その過程で、過去の自分のばかさ加減やくだらなさや至らなさを認めざるをえないからです。
私自身、モノを捨てていくなかで、これまで何度も自分の過去と向き合い、顔から火が出るほどの恥ずかしさと後悔を味わってきました。小学生のときに集めた大量の香りつきの消しゴムや中学生のときにハマっていたアニメのグッズ、高校のときに背伸びして買ったけれどまったく似合わない洋服、必要ではないけれど買う瞬間の見栄のためだけに買ったバッグ……。
「ああ、今までなんてムダなお金を使ってきたんだろう」「両親に申し訳ないなあ」「ずっと使っていなかったこんなモノのために大事な部屋の空間を使ってきたのか」と、ゴミ袋を前にしていったい何度絶望したことでしょう。
それでも、ここにモノがあるという事実。それは過去に、他人ではなく、ほかならぬ自分自身が選択した結果、そこにモノが存在しているのです。危険なのは、それらを見て見ぬふりをしたり、自分の選択を否定するかのように乱暴に捨ててしまったりすることだと思います。だから私は、モノを無意味にため込むことも、「とにかく何も考えずに捨てる」という考えにも反対。一つひとつのモノに向き合って、そこで出てきた感情を味わって初めて、モノとの関係が消化できると考えています。
今持っているモノたちに対し、私たちの選べる道は三つあります。
今向き合うか、いつか向き合うか、死ぬまで向き合わないか。どの道を選ぶかは私たちの自由です。といいつつ、私が絶対におすすめしたいのは、「今、向き合うこと」。
モノを通して「過去に対する執着」と「未来に対する不安」に向き合うと、今自分にとって本当に大切なモノが見えるようになります。すると、自分の価値観がクリアになり、その後の人生の選択に迷いが少なくなるのです。
迷いなく自分が選択したことに情熱を注ぐことができれば、より大きなことを成し遂げられるはず。
つまり、モノと向き合いはじめるのは早ければ早いほどいい。片づけを始めるなら、まさに今なのです。
片づけを始めると、次から次へとどんどん出てくるゴミ袋。最近では、私の片づけ講座に参加された方やお客様同士の間で「今日は何袋捨てた」「こんなモノが出てきました」なんて報告し合っています、という声も聞くようになりました。
ちなみにお客様の中でこれまで出てきたゴミ袋の最高記録は、ご夫婦二人で二〇〇袋。このほかに袋に入らない粗大ゴミがさらに一〇個以上はありました。これを聞いて、「すごい収納量の家ですね」「いったい、どんなゴミ屋敷……」と思われた方、ちょっとあまい。実際、この数字を話すとまるで人ごとのようにびっくりしたり、苦笑いしたりする人がほとんどなのですが、じつはこのお宅、ゴミ屋敷でもなんでもない、いわゆるふつうのおうちでした。初めて見たときの印象も、視界にモノが多く、ごちゃごちゃしているなあ、という程度。二階建ての一軒家で部屋は四部屋、物置になっていた屋根裏部屋もあるので、たしかに平均より少しは広いかもしれませんが、それでも驚くほどの差ではありません。つまり、同じくらいのモノが出る可能性は誰だって大いにありうるのです。
私が片づけの中でお客様に捨てたり手放したりしていただくモノの数は、はっきりいって半端な数ではありません。四五リットルサイズのゴミ袋二、三〇袋はあたりまえ。一人暮らしの方で平均四〇袋以上、三人家族なら七〇袋近くは軽く出てきます。これまでを合計するとゴミ袋で二万八〇〇〇袋以上、モノの個数でいうとおそらく一〇〇万個以上のモノを手放していただいてきたはずです。
しかし、これだけモノが少なくなったのにもかかわらず、「こんまりさんが捨てろというから捨てたら、あとで困った」というクレームをいただいたことは、じつは一度もありません。
理由の一つは非常に明確で、ときめかないモノを全部捨てても、本当に困らないからです。片づけを終えたお客様のほぼ全員が驚くのがこの点で、あまりに生活に支障がないので、今までいかに自分が本当はいらないモノに囲まれていたのかを痛感します。これはモノの量が五分の一以下に減ったような方でさえ例外ではありません。
もちろん実際は、モノを捨てたあとに、「あ、あれ、捨てちゃったよ……」と後悔するようなことが一度もないわけではありません。それどころか、最低三回は起こると思って間違いないでしょう。これを聞いて不安に思う方もいるかもしれませんが、だいじょうぶです。
それでもなおクレームがない理由は、「モノがなくても行動すればたいていのことは解決できる」ことを体感してしまうから。お客様が「うっかり捨ててしまったモノ」の話をするときの共通点は、明るいこと。ほとんどの場合、「いやー、一瞬しまったと思っても、死ぬようなことにはならないんですよね」と笑っているのです。これはもともとお客様が明るく前向きな性格だったからでも、モノがなくなった際のトラブルに対して、いい加減に対応するようになったからでもありません。むしろその逆で、モノを捨てることでマインドが変わっていったのです。
たとえば、捨ててしまった書類の内容があとから必要になったとき。まず、持っている書類自体が少ないので、家の中をガサガサ探すまでもなく「持っていない」ことは明らかです。この「探す必要がない」ことによるストレス軽減効果は計り知れません。散らかった状態が人の心を蝕む理由の一つは、あるのかないのかわからないのに探さなくてはならず、しかも、探しても探しても出てこないことにあるのです。
ところが、書類置き場が一か所なら、持っているか持っていないかすぐにわかるので、ないならないと割り切って、「では、これからどう行動したらよいか」とすぐに頭が切り替わります。知り合いに聞く、会社に問い合わせる、自分で調べる。いくつか手段を思いついたら、手元には何もないので行動するしかありません。すると、たいていのことは案外あっさり解決してしまうことに気づかされるのです。時間をかけて探したけれども見つからなかった、というストレスを感じることもなく、それどころか、調べ直したら新しい情報を発見したり、知り合いに連絡をとることで関係が深まったり、「そのことについてならもっと詳しい人を紹介するよ」と新たなご縁がつながったりと、思わぬプラスアルファの効果が得られることも多いのです。
こうした経験を繰り返すと、とにかく行動すれば、自分にとって必要な情報は必要なときに得られる、ということが感覚としてわかるようになります。
この「モノがなくても、どうにかなるんだな」という感覚、一度わかってしまうと、生きることがグッとラクになります。
そして、もう一つ。クレームが起きない一番の理由でもあるのですが、モノを捨てつづけることで、判断の責任を人にゆだねなくなるのです。つまり、トラブルが起きたときも、「あのとき、あの人がこういったから……」というふうに原因を外に求めなくなる、ということ。すべては自分の判断で、大事なのは今自分がどう行動するべきか、というふうに考えられるようになります。
なぜなら、モノを捨てることは自分の価値観で判断をしていく経験の連続だからです。モノを捨てることによって、決断力が磨かれていきます。モノを捨てずにため込むことで、決断力を養う機会を逃しているのは、もったいないことだと思いませんか。
実際、お客様の家にうかがったときに私がモノを捨てることはなく、すべて最終判断はお客様にゆだねています。ここで私が捨てる「代行」をしてしまっては片づけをする意味がないのです。
つまり、モノを捨てることで、片づけをすることで、マインドが明らかに変わっていくのです。
私がお客様のお宅にうかがって一番はじめにするのは、「おうちにごあいさつをすること」です。家の中心あたりの床に正座して、心の中でおうちにそっと話しかけます。名前・住所・職業などの簡単な自己紹介の後、たとえば「佐藤さんとご家族がもっともっと幸せに過ごせる空間がつくれますように」といって、一礼。この二分間の沈黙の儀式を、お客様は不思議そうに見つめています。
このあいさつの習慣は、神社に参拝するときの作法をもとに自然と始めるようになったものです。いつ頃からそうするようになったのか、自分でも定かではないのですが、お客様のおうちのドアを開けるときの緊張感が、神社の鳥居をくぐるときの神聖さに似ていることに気づいたのがきっかけになっていると思います。あいさつなんて気休めだよ、と思われるかもしれませんが、これをやるのとやらないのとでは、片づけの進むスピードが本当に違うのです。
ちなみに私は片づけ作業をするときであっても、ジャージのような作業服は着ません。たいていワンピースにジャケット姿。ときどきエプロンをつけることもありますが、実用性よりデザイン重視。お客様には、「そんな正装して汚れたりしませんか?」と驚かれますが、これで家具を動かしたり、キッチンの流しの上に飛び乗ったり、けっこうアクティブに片づけをしていますが、まったく問題ありません。それに家に対する尊敬を示すという意味でもあるし、片づけは、家を出ていくモノたちの門出を祝うお祭りだと思っているので、ついついきちんとした格好をしたくなるのです。
きちんとした格好でおうちに敬意を示し、あいさつして片づけを始めると、住む人がもっと心地よく暮らすためにはどのモノを出すべきなのか、どこにモノを置くべきなのか、おうちが教えてくれるような気がします。だから、モノの定位置を決めるときも、スムーズにピタッと決めることができるし、迷いなく片づけを進めることができるのです。
「それはこんまりさんが片づけのプロだからできることで、自分にはおうちの声なんて聞こえないし、一人で片づけなんて、無理」と思われる方もいるかもしれません。
でもじつは、持ちモノやおうちに関しては、その持ち主が一番よくわかるものです。私のお客様もレッスンが進むにつれて、「何を捨てるべきなのか、はっきり見えてきた」「モノの置き場所が、自然とわかるようになった」といって、自分で片づけをどんどん進めるようになっていきます。
この感覚をより早くつかめるようになる、とっておきの方法が一つあります。それは、帰ったらおうちに向かって「ただいま」と声をかけること。これは個人レッスンに来てくださったお客様にお出しする、一番はじめの課題です。家族やペットに声をかけるのと同じように、家にも特別に声をかけてあげます。もちろん、帰宅してすぐにいうのを忘れてしまってもかまいません。ふと思い出したときに「ただいま」とか「いつも守ってくれてありがとう」と、伝えるようにしてください。声に出すのは少し恥ずかしいという場合は、心の中でいっていただいてもだいじょうぶです。
これを繰り返しているうちに、「ただいま」との声におうちが返してくれるのがわかります。ふわっと風が来るような、おうちが喜んでいるような感覚です。すると、どこを片づけてほしいのか、どこにモノを置いてほしいのかが少しずつわかるようになってきます。
おうちとコミュニケーションをとりながら片づけをする。ともすると夢見がちで実用的でない考え方のように聞こえますが、じつはここを見逃すと片づけはうまくいきません。本来、片づけとは人とモノとおうちのバランスをとる行為であるはずです。けれど、これまでの片づけ法では、モノと自分の関係性は強調されても、おうちの存在はあまり考えられていなかったように思います。
私がおうちに対して何か大きな存在を感じるのは、お客様のところにうかがうたびに、それぞれのおうちがどれだけ住む人のことを大切に思っているかが伝わってくるからです。いつでも同じ場所で待っていてくれて、守ってくれる。どんなに働いてくたくたになった状態の自分も癒してくれる。逆に「今日は働きたくない!」と素っ裸で転がっていても、「いいよ」と受け入れてくれる。ここまで懐の深い、あたたかくて大きな存在はそうそうほかにいません。片づけとは、いつも自分を支えてくれるおうちへの恩返しであるべきだと思うのです。
試しに、どうすればおうちが喜ぶか、という視点で片づけをしてみてください。いつもより迷いなく片づけが進むことにきっと驚くはずです。
人生の半分以上の年数を、片づけについて考えることに費やしてきました。
私は今でも毎日のようにお客様の家を訪れ、そこにあるたくさんのモノたちと向き合う日々を送っています。押し入れの中はもちろん、引き出しの一つひとつまで、ここまで他人の持ちモノのすべてを「ありのままの状態」で見る職業は、おそらくほかにないでしょう。
それだけ多くの家を見てきたなかでも、持っているモノも趣向もすべてが同じ人なんて、もちろん一人もいませんでした。けれど、家にあるすべてのモノに共通していることが、たった一つだけあることに気づいたのです。
今、あなたの部屋にあるモノは、どうしてそこにあるのだと思いますか?
「自分が選んだから」「自分に必要だったから」「偶然が重なって」。もちろん、全部、正解です。
家の中にあるすべてのモノは、あなたの役に立ちたいと思っています。
それは、これまで片づけをするなかで部屋の中にある数百万個ものモノを真剣に見てきて、一つの例外もなかったと、断言できます。
あたりまえのことのようですが、モノがおうちにあることって、ものすごいご縁だと思いませんか。たとえば、一着のシャツ。たとえそれが工場で大量生産されていたモノだとしても、あなたがその日にそのお店で買って持って帰ってきたそのシャツは、世界でたった一つしか存在しません。
モノとのご縁は、人と人とのご縁と同じくらい、貴重で尊い出会いなのです。
だから、そのモノがあなたの部屋にやってきたのには、必ず意味があるはずです。
こういうと、「じゃあ、この服は長い間ぐちゃぐちゃのままで放置してしまったから、なんだか恨めしそうに見える」「使ってあげなきゃ、呪われそう」とおっしゃる方がいます。
けれど、これまでの経験のなかで、いわゆる「恨めしそう」なモノなんて、本当にただの一つも見たことがありません。それは持ち主自身が、罪悪感から勝手にそう感じてしまっているだけです。では、部屋にある「あなたが〝ときめいて〟いないモノ」はどう思っているのかというと、純粋に「外に出たい」と思っています。モノ自身、クロゼットのこの場所にいることで、「今のあなた」を幸せにしていないことを、何よりも知っているのです。
すべてのモノは、あなたの役に立ちたいと思っています。モノは、捨てられて燃やされたとしても「あなたの役に立ちたい」というエネルギーは残ります。エネルギーとなって自由になったモノは「~さんという、素敵な人がいるよ」とまわりに知らせながら、世の中を回ります。そして、「今のあなた」にとって、一番役に立ってくれるモノ、一番幸せにしてくれるモノとなって、また戻ってきてくれるのです。
それは、たとえば服なら、新しい素敵な服となって戻ってきてくれるかもしれないし、ときには情報やご縁など形を変えて戻ってきてくれるときもあります。
断言します。手放したモノとまったく同じ分だけ、戻ってきます。ただしそれは、モノが「またあなたのところへ戻ってきたいな」と思えるときにかぎります。
だから、モノを捨てるときは、「あーあ、全然使わなかったなあ」とか「まったく使わなくて、ごめんなさい」というふうに思うのではなくて、「私と出会ってくれてありがとう」「いってらっしゃい! また戻ってきてね」と元気に送り出してあげるのが正解です。
今はもうときめかなくなったモノを捨てる。それは、モノにとっては新たな門出ともいえる儀式なのです。ぜひその門出を祝福してあげてください。
モノは、手に入れたときだけでなく、捨てられるときにもいっそう輝くのだと、私は思います。
片づけを進めていくうちにお客様から聞こえてくるのが、「体重が減りました」「お腹まわりがスッキリしてきたような……」という声。不思議な話ですが、どうもモノを減らしていくと、家のデトックスに体が反応するのか、体にもデトックス効果が出てくるようです。
とくに一日でゴミ袋四〇袋とか一気にモノを捨てた場合、一時的にお腹を下したり、肌に吹き出物が出てきたり、まるでプチ断食したかのような変化が起こることがあります。これは別に悪いことではなく、体に今までたまっていた毒素が一気に出てきたから起きる現象であって、二日もすれば元に戻るどころか体はスッキリ軽く、お肌もツルリとなります。あるお客様の話では、一〇年間くらいほったらかしにしていた押し入れと物置のモノを合計一〇〇袋捨てたところ、直後に豪快にお腹を下した後、びっくりするほど体が軽くなったといいます。
「片づけすると、やせます」「モノを捨てると、お肌がきれいになります」。一見すると、うさん臭い広告のようですが、これはあながちウソではありません。こればっかりはビフォアとアフターでご紹介できないのが残念ですが、実際、私のお客様もお部屋がきれいになるにしたがって、明らかに見た目の印象がスッキリし、肌の輝きや瞳のキラキラ感も強くなっていきます。
仕事を始めた当初、私はこれが不思議でなりませんでした。けれど、よくよく考えれば、不思議な話でもないのです。これは私の仮説ですが、次のようなことなのではないでしょうか。
まず、片づけをすれば単純に部屋の空気がきれいになります。なぜなら、モノが少なくなれば、部屋にたまるホコリが減るのはもちろん、掃除をする頻度が増えるからです。床が見えるのでホコリがたまると目立って気になるようになるのと、掃除がしやすいのでこまめに床を拭いたり掃除機をかけたりするようになります。部屋の空気がきれいになればお肌にも絶対よいはずです。キビキビ動いて掃除をすればダイエット効果も期待できそうです。
そして、片づけを完璧に終えた状態になると、片づけのことを考えなくてもよくなるので、自分の人生にとって大事な、次なる課題が明確になります。女性の多くはダイエットしたいと考えているので、そこに意識が集中して、歩く距離が増えたり、食べる量が減ったりといった、ダイエットに必要な行動を無意識にとるようになるのでしょう。
でも、一番大きな理由は、「足ることを知るから」ではないでしょうか。
片づけをしたあと、多くの人が「物欲が減った」といいます。それまではいくら服を持っていても「今日着る服がない!」と思っていたように、いつも不足感を感じていたけれど、片づけをしてときめくモノだけが残っている状態にすると、必要なモノはそろっている、と思えるようになります。
モノをため込むこともモノを食べることも、「満たされない」という欲求を埋めることに変わりありません。衝動買いも暴飲暴食も、ストレス解消の一つの手段なのですから。
ちなみに、服を捨てるとお腹がスッキリして、本や書類を捨てると頭が軽くなって、化粧品などコスメ関係を減らして洗面所など水まわりがスッキリするとお肌がツルンとなる、というのがこれまでの経験から見た傾向です。科学的な根拠はありませんが、なんとなく、捨てたモノと同じような箇所が反応しているのもおもしろいですよね。
お部屋がきれいになったついでに自分自身もきれいになれて、ダイエット効果も期待できるお片づけ。まったく、どこまで素晴らしいのかしら。
「部屋を片づけると運気が上がる、というのは本当ですか?」
風水ブームの影響で、こんな質問をいただくことがよくあります。風水とは、身のまわりの環境を整えることで運気を上げていく開運法のことで、日本では一五年ほど前からはやりはじめ、今ではずいぶん一般的に知られるようになりました。もともと、風水をきっかけに片づけに興味を持った方も多いのではないでしょうか。
私は風水の専門家ではありませんが、片づけ研究の一環で風水に関しても基礎的なことをひと通り勉強したことがあります。
運がよくなるかどうかを信じる、信じないは自由ですが、日本では古来より方位学や風水の知識を活用して人々は生活をしてきました。私は、こうした先人の知恵を活用した片づけを実践しています。
たとえば、たたんだ服を引き出しの中に収納する場合、立てた洋服の色がグラデーションになるように並べていきます。具体的には、引き出しの手前のほうは色が薄く、奥に行くほど色が濃くなるように収納していくのが正解。これで運気が上がるかどうかはともかく、引き出しを開けたときに服がきれいにグラデーションで並べられているのを見るだけで、誰もが気持ちよくなってしまうもの。しかも、たしかに手前を薄い色にして収納したほうが、なぜか心が落ち着くのです。
つまり、自分の身のまわりの環境を少しでも心地よく整えて、毎日感じるときめきを増やしていくこと。これぞまさに片づけの極意。こんなふうにふつうに生活していくなかで感じるときめきが増えれば増えるほど、それって運気が上がっていることといえるのではないでしょうか。
風水の基礎となっているのは、陰陽五行という考え方です。これは要するに「モノにはそれぞれ違う気が宿っています」ということ。そして陰陽五行にもとづいた風水というのは、「モノにはそれぞれ違う気が宿っているから、それぞれの性質に合ったモノの扱い方をしましょう」ということ。これって、とってもあたりまえのことをいっているにすぎないと思うのは私だけでしょうか。つまり、自然に則した生活をしていきましょうね、というのが風水の基本的な考え方なのです。
私が考える片づけの目的も、これと同じ。
片づけをする本当の目的は、究極に自然な状態で生きることだと、私は思います。だって、ときめかないモノを持っていたり、必要のないモノを持っていたりするのは、不自然な状態だと思いませんか。ときめくモノだけ、必要なモノだけを持っている状態こそが、自然な状態だと思います。
だから、片づけをすることで、人は自然体で生きられると思うのです。自分にとってときめくモノを選び、今、自分にとって本当に大切なモノを大切にしていく。こんなあたりまえのことがあたりまえにできること以上に幸せなことはありません。これを開運というならば、それをかなえる一番の方法が片づけだと、私は確信しています。
お客様がモノの山からひと通り「残す」「捨てる」を判断し終わったところで、私はあらためて「残す」コーナーからいくつかのモノを選び出すことがあります。そして、「これと、これと、このTシャツ、あとこのニット、本当にときめきますか?」と聞き直すと、お客様は目を丸くして驚きます。
「どうしてわかるんですか? じつは、それらは全部、捨てるかどうか迷ったモノなんです」
もちろん私は洋服自体のデザインのよしあしに詳しいわけではないし、単純に古さで選んでいるのではありません。けれど、モノを選ぶお客様の動きを見ていればたいていのことはわかります。モノを持ち上げる手つき、触った瞬間の目の輝き、判断するスピード。心からときめいているモノと迷いがあるモノとでは、明らかに様子が違うからです。
本当にときめいているモノは判断が早いし、モノを持つ指先はやわらかく、見る眼差しにはキラキラと光を感じます。ときめいていないモノを持ったときは一瞬手が止まり、首をかしげ、眉をひそめて思考をめぐらせた末、ボンと投げるようにして「残す」コーナーに置きます。そんなとき、眉間にも口元にも暗さが宿るのです。
ときめきの感情は体に表れるので、私はそこを見逃しません。
でも、本当のことをいうと、選んでいる最中のお客様を見ていなくたって、「ときめきに迷いあるモノ」はわかってしまいます。
私のレッスンでは、お客様のご自宅にうかがう前に、「こんまり流お片づけ」のマンツーマン講義を受けてもらいます。その講義を受けるだけでもかなりのインパクトがあるので、ほとんどのお客様は前もって片づけに取り組んでくれます。
なかでもAさん(三〇歳)は、私が初めて家に行く前の時点で五〇袋のモノを減らしたかなりの優等生。「もうこれ以上捨てるモノなんて、ないですよ!」と自信満々にクロゼットを見せてくれました。たしかに講義の際に見せていただいた写真に写っていた、引き出しの上に無造作に置いてあった脱ぎっぱなしのセーターはきちんと中に収まり、はちきれそうなほどワンピース類がかかっていたポールには幾分、すき間ができていました。
それでも、ズラリとかかっている洋服から私が取り出したのは、茶色のジャケットとベージュのブラウスの二点。どちらもとてもきれいな状態ですが、未着用の雰囲気ではなく、条件的にはほかの洋服と何も変わりません。
「これは、本当にときめいていますか?」
私が聞くと、Aさんの顔色がさっと変わりました。
「このジャケット、デザインは大好きなんです。でも、本当は黒い色が欲しかったんですが、サイズが売り切れていて……。それで、茶色のジャケットは持っていないからたまにはいいかなって思って買いました。でもやっぱり、着るとしっくりこなくて、じつは数回しか着ていません」
「このブラウスは、デザインにも素材にも惚れてしまって、じつは同じものを二着買ったんです。あまりにもよく着て、一着は着倒してしまったのですが、なぜかそれ以来、なかなか手が伸びないんですよね……」
彼女が服を扱う場面を見たわけでも、もちろん買い物のときの様子を知っていたわけでもありません。私がしたのは、クロゼットのポールにかかっている洋服たちをじっと観察することだけです。
モノをじーっと見つめると、それが持ち主にとってときめくモノなのか、そうでないのかがわかってきます。それは、恋する女性が誰の目から見ても違いがわかってしまうのと同じです。愛する人ができた女性は、彼から受ける愛情そのものはもちろん、自分が愛されているという自信や、彼のためにもっときれいになろうと努力する気持ちがエネルギーとなり、肌はつやめいて瞳はキラキラと輝きを増し、どんどんきれいになっていきます。モノも同じように、持ち主の愛情のある眼差しを受けてていねいに扱われることで、「この人のために、自分の役割をもっと頑張って果たそう」と、エネルギーにあふれ、いきいきと輝きを増していくのです。
本当に大切なモノは光っています。だから、本人が本当にときめいているかどうかはひと目でわかってしまいます。ときめきの本音は、持ち主の体にもモノ自体にも宿るので、ますますごまかしがきかないのです。
人から見たら、「なんでこんなモノを?」と首をかしげたくなるような、でも、自分にとってはどうにもときめいて捨てられないモノ、誰にでもありますよね。
私はそれこそ、毎日のようにいろんな人の「私にとってだけ大切なモノ」に触れていますが、出るわ、出るわ、理解不能なキワモノたち。一〇本の指にすべて違う目玉だけがついた指人形、昔なつかし森永製菓「ぬ~ぼ~」の壊れた目覚まし時計、どう見ても木クズにしか見えない流木コレクション……。
私の「と、ときめきますか?」と戸惑いを含んだ問いに、間髪いれず、「ときめきます!」と答えるお客様。その輝きに満ちた真っすぐな眼差しを向けられると、それ以上何もいえません。なぜなら、私にも同じようなモノがあるからです。
私にとってのそれは、「キッコロのTシャツ」。ピンとくる方もいらっしゃると思いますが、キッコロというのは二〇〇五年に開催された愛知万博「愛・地球博」の公式キャラクター。緑色のモリゾーのほうが目立っていましたが、その横の、黄緑色の小さな丸い生き物です。このキッコロの顔の表情部分だけがプリントされているTシャツ、私はこれを部屋着にしています。これだけは「こんなの、持ってて恥ずかしくないの、捨てなよ」「乙女のイメージ壊れるよ」と誰になんといわれようと、捨てません。
はっきりいって、私の部屋着はかなりのかわいいモノぞろいです。ピンクのフリルが段になったキャミソールや、コットンの花柄のセットアップなど、いわゆる「乙女」な部屋着で毎日過ごしています。
ただ一つの例外がこのキッコロTシャツ。全体はガチャピンのごとく目の覚めるような黄緑色で、お腹のあたりには点を二つ描いただけのキッコロの目と、ドラ焼きのような形の半開きの口だけがプリントされているなんともゆるいシロモノです。
しかも、タグの部分に一四〇センチと書かれた、完全なるキッズ用Tシャツ。愛知万博が二〇〇五年なので、かれこれ五年以上、着つづけていることになりますし、しかも、万博自体にたいそうな思い出があるわけでもありません。こう書くだけでものすごく恥ずかしいし、自分でもどうしようもないモノを持っている気になるのですが、実物を見るとやっぱり捨てられない。キッコロのつぶらな瞳にときめきが止まりません。
私の収納は引き出しを開けただけでどこに何が入っているのかひと目でわかるのですが、「乙女」な部屋着たちがしゃなりとそろうなかで、ひときわ異色の存在感を放っている様子に、愛おしさすら感じてしまいます。しかも、困ったことにこのTシャツ、五年も着ているのにまったく型崩れせず、シミもできず、捨てる理由がないのです。さすがメイドインジャパン、とタグを確認したら外国製で、日本の万博の公式グッズなんだから日本製にしておこうよと一瞬しらけそうになるのですが、それでもやっぱり捨てられない。
こういうモノは、堂々ととっておきましょう。誰がなんといおうとこれが好き! これを持っている自分も大好き! と迷いなく言い切れるのであれば、「なんだってこんなモノを……」という他人の視線は無視していいのです。
正直、キッコロTシャツを着ている姿は絶対、人に見せられません。けれど、たまに取り出して眺めては一人で「うふふ」と微笑みかけたり、お掃除のときに着てみてはお腹のキッコロとともに汗をかきつつ、「次はどこをきれいにしようかしら」と思いをめぐらしたり……。そんな私の小さなときめきのためにこのTシャツはあるのです。
自分が持っているモノ一つひとつに対して、迷いなく「大好き!」と思えるモノだけに囲まれた生活。これこそが人生最大の幸せだと思うのですが、いかがでしょう。方法は、そうでないモノをただなくすだけ。こんなに簡単に心が満たされる方法はほかにありません。
これを「片づけの魔法」と呼ばずして、いったいなんと呼べばいいのでしょう。
これまでさんざん片づけについて書き連ねてきましたが、本当は、部屋の片づけなんてしなくてもよいのです。なぜなら、片づけをしなくても死にはしないからです。
実際、世の中には片づけなんかできなくても気にもしない人も大勢いるはずです。でも、そういう人ならこの本を手にとりもしないでしょう。
何かしらのご縁があってこの本を手にとったあなたは、きっと、現状を変えたい、人生をリセットしたい、輝かせたい、もっと今の生活をよくしていきたい、もっと幸せになりたいと考える、きわめて意識の高い人です。
そんなあなたなら、絶対に、片づけができるようになると保証します。
片づけをしようとこの本を手にとった時点で、あなたは一歩を踏み出しています。
この本をここまでお読みいただいたあなたなら、次に何をするべきかわかっているはずです。
人は、そんなに多くのモノを大事にはできません。私なんかはまったくの面倒くさがりやでうっかり者なので、たくさんのモノを大切にすることができないのです。だから、自分にとって本当に大切なモノだけはせめて大切にしたい、だから片づけにこだわって生きてきました。
でも、私は、部屋の片づけなんてさっさと終わらせたほうがいいと思っています。なぜなら、片づけは人生の目的ではないからです。
部屋の片づけは、毎日やらなければならないもの、一生ついてまわるもの。そういう思い込みからは早く目を覚ましてください。断言しますが、片づけは一気に、短期に、完璧に終わらせることができます。
一生ついてまわるものは、「捨てるか残すかを判断すること」、そして「残すと決めたモノを大切にすること」で、今、部屋の中にあるモノの片づけは、一度は完璧に終わらせることができるのです。
こんなに片づけについて年がら年じゅう考えているのは、私と、私と同じように片づけに本気でときめいて、片づけでもっと世の中をよくしていこうという情熱を持つ少数の人たちだけで充分です。
あなたは「あなたが本当にときめくこと」に大いに時間と情熱を注いでください。
それは、あなたの使命といってもいいかもしれません。
あなたが心底ときめく使命を見つけるために、片づけが大いに役立つことを、私は声を大にしていいたいと思います。
本当の人生は「片づけたあと」に始まるのです。