「い、いらっしゃいませ」
ガチャリとおうちのドアが開くと、迎えてくれるのは緊張した面持ちのお客様。私が初めてご自宅を訪ねるとき、ほとんどの方がかなり緊張されています。もちろんそれまでに何度かお会いしているので初対面ではないのですが、これから始まる壮大な片づけプロジェクトを思うと、ついつい身構えてしまう人が多いようです。
「足の踏み場もないような状態の私の家が本当に片づくのだろうか」
「一気に短期に完璧に、なんて、私には無理なんじゃないか」
「こんまりさんはリバウンドゼロとかいってるけど、やっぱりまた元に戻ってしまって、私がリバウンド第一号になったらどうしよう」
いろいろな不安が頭をよぎっているのが手にとるように感じられます。でも、絶対だいじょうぶです。どんな面倒くさがりやの性格でも、先祖代々片づけられない家系であっても、忙しくて時間がなくても、正しい片づけ法は誰にでも身につけることができます。
はじめにいってしまうと、片づけってそもそも楽しいのです。今まで無意識だった自分の持ちモノにあらためて向き合って自分の感覚を確かめて、役割が終わったモノには感謝してきちんと送り出してあげること。その過程はまさに自分の内面と向き合って棚卸しをする、生まれ変わりの儀式のようなものです。それに選ぶ基準が「ときめくかどうか」ですから、むずかしい理論も数字も必要ありません。
だから、ゴミ袋だけはたくさん用意して、安心して片づけを始めてください。
ただし順番だけは必ず守ること。はじめに衣類、次に本類、書類、小物類、そして最後に思い出品。この順番通りにモノを減らしていくと、驚くほどスムーズに片づけを進めることができます。なぜなら、残すか捨てるかの判断がしやすく、カテゴリーがはっきりしているモノから整理したほうがラクだからです。
つまり、一番はじめは衣類から。より効率的に進めるのなら、その中でもざっとカテゴリー別に分けて一気に選んでいくのがおすすめです。大きく分けると衣類のカテゴリーは以下の通り。
トップス(シャツ・セーターなど)
→ボトムス(ズボン・スカートなど)
→かけるモノ(ジャケット・スーツ・コートなど)
→靴下類
→下着類
→バッグ
→小物(マフラー・ベルト・帽子など)
→イベントモノ(浴衣・水着など)
→靴
衣類といいつつ、バッグや靴も同じカテゴリーとして考えます。
なぜこの順番が正しいといえるのか。それはもう、片づけに半生を捧げてきた私の経験値としかいいようがありません。とにかくこの正しい順番でやればさくさくと片づけが進むし、どんどん見た目にもスッキリしていきます。さらに、残すと判断したモノは自分が本当にときめくモノだけになっていくので、やっていくうちに体が少し疲れても、心はみるみる元気になって、やがて捨てていくのが快感となって止まらなくなってしまうのです。
でも、大事なのは、どれを残すかです。どれといっしょに生活を送っていくと自分の人生はときめくのか、まるでお店の陳列棚から大好きなモノを選ぶような感覚で、ときめくモノを選ぶのです。
いよいよ基本を押さえたら、さっそく「洋服山」をつくりましょう。そして、一つひとつを手にとって、自分にそっと「ときめきますか」と聞いてみてください。「片づけ祭り」の開始です。
まず、家じゅうのすべての収納から自分の服類を集めてきます。クロゼットの引き出しから、寝室のタンスから、ベッドの下の収納から、「一つ残らず集めること」がポイントです。
ひと通り出そろったかな、というときに私が必ずたずねるのが、「もうこれ以上、家にあなたの洋服はありませんか?」という質問です。そして、こういうのです。「これ以降に出てきた服は、なかったモノとしてあきらめていただきますよ」と。
つまり、あとで別の場所から洋服が出てきたとしても、一切受け付けずに捨ててしまいますよ、ということ。すると「そうだ、ダンナのクロゼットにもたしか……」「和室の壁にかかっていたかも……」と滑り込みでいくつか服が追加されるのです。
この自動引き落としのような締め切り制度は、毎回本気でやっています。そうすると、お客様も無条件で捨てられてはたまらないと考え、真剣に思い出そうとします。引き落とされてしまうことは滅多にありませんが、やはりこの時点で思い出されなかったモノは、結局持っていてもときめかないモノなので、私は容赦いたしません。ちなみに洗濯中のモノはセーフです。
すべての洋服が一堂に会すると、床にはトップスだけでもひざくらいの高さの山ができあがってしまいます。ひと口にトップスといっても、夏物から冬物まで、ニット・Tシャツ・キャミソール……といろんな種類があるからです。ちなみに最初の段階のトップス平均所持数は一六〇着前後。たいていの人は「こんなに持っていたのか……」と山の前でしばし呆然、いきなり片づけの最初の壁にぶつかるわけです。絶句しているお客様に、私はたいてい、こういいます。
「とりあえず、オフシーズンの服から始めましょうか」
記念すべき片づけ祭りのスタートをオフシーズンの服から始めるのには理由があります。これが、あらゆる持ちモノの中で一番純粋にときめきの感覚がわかりやすいものだからです。
今まさに着ている服だと、「ときめかないけど、昨日着た」とか「今着るものがなくなったら困るから」とか、そんなふうに考えてしまって、冷静に自分のときめきと向き合えなくなってしまいがち。今すぐ必要でないからこそ、純粋にときめくかどうかの基準で選べるのが、オフシーズンの服の強みなのです。
オフシーズンの服がそれぞれときめきを感じるかどうか確かめるための、おすすめの質問が一つあります。それは「次の季節にぜひ、会いたいか」。もっというなら、「今日、急に気温が変わったら今すぐ着たいと思えるか」。
「ぜひ会いたいか、といわれればそうでもないな……」。そう思ったらその服は手放してください。もちろんその服が先シーズンにきちんと活躍してくれたモノであれば、「活躍してくれてありがとう」のひと言をお忘れなく。
こういうと、「そんな基準じゃ、着るものがなくなっちゃうんじゃないですか」と一瞬心配される方もいるかもしれませんが、だいじょうぶ。かなりの量を減らしたように感じても、ときめくモノだけ選ぶようにしていけば、必ず自分にとって必要な量は残ります。
オフシーズンの洋服で自分のときめきの判断基準がだんだんわかってきたら、同じ調子で次はオンシーズンのトップス、ボトムスと、どんどん選んでいきましょう。
ポイントは必ず収納から出して床に積み上げること、そして、一つずつ必ず触って判断することです。
せっかく買ったのに、まだ服としては着られるのに、捨てるなんてもったいない。そう思ってか、「外には着ていけないけど、部屋着にしてもいいですか?」と、質問されることがよくあります。ここで私が「ええ、いいですよ」なんて答えてしまったが最後、これまで順調に減っていた洋服の総量はまったく変わらず、部屋着用の服の山ばかりがどんどんうずたかくなっていくのです。
かくいう私も以前、外出着として着られなくなった服を部屋着に「降格」させていた時期がありました。毛玉が目立ってきたカーディガンや、デザインが古くなってしまったカットソー、そもそも外出着としてもあまり活用してこなかったあんまり似合わないブラウスなどを部屋着用と称して捨てずにとっておくのが、いつの間にか習慣化していました。
でも、そんなふうにして降格させた部屋着たちって、十中八九、着ないのです。そして、どうやら多くの人が同じように「降格組」の服を活用できずに持て余していることがわかってきました。
理由を聞いてみると、「部屋で着てもリラックスできない」「元外出着だから部屋で着るのはもったいない」「好きじゃない」……と、もはやそれ、部屋着と呼べませんよね、という回答のオンパレード。結局、ときめかない服を捨てることを、ただ先延ばししたにすぎません。
考えてみれば、お店でもわざわざ部屋着というカテゴリーの商品が成り立っているくらいなのですから、部屋着と外出着が違うのはあたりまえです。素材も形もリラックス仕様になってこその部屋着ですので、降格組で活用されているのはコットン製のTシャツくらいでしょう。
それに外出着としてときめかないから部屋着にするというのも、何か違う気がします。部屋で過ごす時間だって同じ生きている時間なのですから、人の目があろうがなかろうが、時間の価値は変わらないはずです。
だから、ときめかない服を部屋着に流用するのは今日かぎりやめてしまいましょう。せっかく理想の部屋での理想の暮らしを目指しているのに、ときめかない格好で過ごしてしまうのは、それこそもったいない話です。
誰に見られるわけでもない、だからこそ、最高に自分がときめく部屋着に着替えて、自分のセルフイメージが高まるようにするべきだと思いませんか。パジャマも同様です。もしあなたが女性なら、思いっきりかわいい格好とか、上品な格好をしてください。
最悪なのは、下はジャージをはいて、上はトレーナーを着て過ごすこと。なかには起きているときも寝ているときもこの格好で同じという人さえ、たまにいます。
ジャージをはいていると、自然とジャージが似合う女になっていく。ちょっと極端に聞こえるかもしれませんが、私はそう思っています。
男性の場合はどうかというと、部屋着がセルフイメージに与える影響が女性に比べれば小さいので、女性ほど気をつかう必要はなさそうです。
ちなみに、ジャージ姿で過ごす独身女性の部屋には、なぜかサボテンの鉢植えが置いてあることが多いということ、知っていますか。女性なら、部屋でサボテンを育てるよりも、一輪の花を飾る暮らしのほうが断然いいと、私は思うのですが……。
聞くところによると、サボテンはマイナスイオンをとくに多く発生する植物らしく、ジャージで過ごす女性は無意識のうちに癒しを求めて置いているのかもしれません。かわいい部屋着に着替えれば、サボテンに頼らずとも、自分からマイナスイオンを発生できる女性になれる、と考えれば、なんだかウキウキしてきませんか。
洋服を一気に選び終わると、残すと決めた服の量はじつにはじめの三分の一から四分の一ほどになります。床にはこれらの服の山が残ったままの状態ですので、今度は収納しなければなりません。
さて、どうするか。そのお話をする前にちょっとした雑談にお付き合いください。
片づけのお悩みヒアリングをしているとき、どうにも納得できないことがありました。
「洋服がクロゼットに収納しきれなくて、困っているんです」
そう語るのは、主婦のSさん(五〇代)。でも、間取り図を見るかぎり、彼女には自分用のクロゼットがまるまる二つ、しかもそれは、平均の一・五倍くらいの広さがあり、どう考えても収納スペースが足りないはずはありません。それでも、クロゼットの外には三つもステンレス製のポールが置かれていて、そのすべてに服があふれているというのです。
「どれだけ洋服持ちなんだろう。軽く二〇〇〇着はあるかもしれない……」
こわごわとおうちに訪問する日を迎え、ようやくその理由がわかりました。
壁一面が扉になったクロゼットをガラリと開けると目に飛び込んできたのは、クリーニング屋のごとく所狭しとハンガーにかけられた無数の洋服たち。コートやスカートはもちろん、Tシャツもニットもバッグも下着でさえも、すべてがハンガーにかかった状態でズラリと並び、それ以外のモノが見当たらないのです。啞然とする私に、「これ、ニットをかけてもずり落ちないハンガーなんですよ」「これ、ドイツで買ってきたハンドメイドのハンガーなんですよ」と、なぜかひたすらハンガー自慢をするSさん。五分間ほどハンガー講座が続いたあとは、「かけたほうがシワにならないし、服も傷まないからいいですよね」と最高の笑顔で微笑んでくれました。お話を聞くと、服は一切、たたんでいないとのこと。
洋服の収納法は二種類あります。ハンガーを使ってさっとポールに引っかけていくだけの「かける収納」と、一つひとつたたんで引き出しなどに並べてしまう「たたむ収納」。こう書くと、どうしてもお手軽な「かける収納」に惹かれてしまう気持ちもわかりますが、私が断然おすすめするのは、「たたむ収納」を中心としたしまい方です。
洋服をいちいちたたんで引き出しにしまうなんて、面倒くさい。できれば全部、ハンガーにかけてすませたい。そう思ったあなたは、たたむことの本当の威力を知りません。
まず、収納力の問題からいって「たたむ収納」と「かける収納」は比べものになりません。服の厚みにもよりますが、たとえば一〇着分の洋服をかけるスペースがあった場合、それらを正しくたためば、二〇着から四〇着分を収納することができます。先ほどのSさんも、持っている洋服の数自体は平均よりやや多いくらいで、たたみさえすればクロゼットに問題なく収まりきったはず。洋服の収納の問題は、きちんとたたむことで、じつはほとんど解決してしまうといって過言ではないでしょう。
たたむ効果はそれだけではありません。じつは洋服をたたむことの本当の価値は、自分の手を使って洋服に触ってあげることで、洋服にエネルギーを注ぐことにあるのです。
「手当て」という言葉は、今のように医療が発達していなかった時代に、ケガをした箇所に手のひらをかざして当てることで治癒を促していたことに由来しているという話を聞いたことがあります。手をつないだり、頭をなでたり、抱きしめたり、親子のスキンシップが子どもの情緒を安定させる効果があるというのは有名な話です。マッサージをされるとき、器具でゴリゴリやられるよりも、人の手でていねいにほぐされたほうが絶対に気持ちがよいですよね。つまり、人の手から出るハンドパワーのようなものが体に注がれると、私たちは、心も体も癒されてホッとし、元気になれるのです。
それは服にとっても同じです。ちゃんと持ち主の手によって触って整えられることは服にとっても心地よく、エネルギーが注がれる行為なのだと思います。だから、きちんとたたまれた服はシワがピンと伸び、生地がしっかりしていきいきしてくるのです。ていねいにたたんで収納されている服と適当に引き出しに放り込まれている服とでは、着ているときの張りと輝きからして違うので、その差はひと目でわかってしまいます。
洋服をたたむ。それはたんに収納するために服を小さく折り曲げる作業だけをさすのではありません。いつでも自分を支えてくれている洋服をいたわり、愛情を示す行為なのだと思います。
だから、たたむときは、「いつも守ってくれてありがとう」と思いながら、心を込めてたたんであげるべきなのです。
洗濯のあと、たたむことを通じて、きちんと洋服に触ってあげることができ、「あ、ここがほつれてるな」とか、「もうそろそろ寿命なのかしら」と、細かいところに気づくようになります。たたむということは、つまり、洋服との対話なのです。
とくに日本人であれば、たたむことの心地よさはすぐに実感できるはずです。日本はもともとたたむ文化を持っている国だからです。着物や浴衣を思い出してください。あんなに几帳面に、タンスの引き出しに合わせて、真四角にピタリと角をそろえて服をたたむ文化を持つ国は、ほかにありません。
日本人には「たたむ遺伝子」がもともと備わっていると、私は確信しています。
洗濯物を取り込んだのはいいけれど、たたむのはどうも面倒くさい。だいいち、そのうちまた着るのに、いちいちたたんでしまうのはムダな努力のような気がします。
だから、ついついそのまま山積みにして、そこから服をとるのが日課となる。こうなったら最後、部屋の一角が洋服置き場となり、しだいにどんどんその領域が生活空間を侵食していくのです。
こんなふうに、たたむのが苦手で嫌いな人は、間違いなく正しい洋服のたたみ方を知らない人です。
でも、ご安心ください。私のレッスンにいらっしゃる方に、はじめから正しく服をたためている人なんて、いまだかつて一人もいませんでした。それどころか、「服はたたまないと決めています」宣言をする人、押し入れを開けたら洋服のゼリー固めみたいに服が詰まっていた人、引き出しを開けたら箱入り生そばギフトみたいに服が細くよじって並べられていた人……と、「たたむ」の「た」の字も見当たらない状況だった方も少なくありません。
けれど、レッスン卒業時には一人残らず、「たたむのって、楽しいですね!」といっているのです。服をたたむのがあまりに嫌いで、実家のお母さんがわざわざ洋服をたたみに来ていたという主婦のAさん(二〇代)ですら、今度はお母さんにたたみ方指導をするくらい、たたむのが大好きになったといいます。
一回マスターしたら毎日使えて楽しくて、しかも一生役に立つ。正しい洋服のたたみ方を知らないまま過ごすのは、人生の大きな損失だとさえ思います。
たたむ方法を学ぶ前に、まずは洋服を収納したあとの完成型をイメージしましょう。引き出しを開けたとき、どこに何があるのか、ひと目でわかる状態を目指してください。ちょうど本の背表紙が見えるように、立てた状態で収納していきます。
「立てる」は、収納の一番の基本です。
たまに、お店のディスプレイのように大きく薄くたたんで、引き出しの中で重ねている人がいますが、ちょっと惜しい。それは商品として一時的に置かれるお店のディスプレイに適したたたみ方であって、これからじっくりお付き合いしていこうという服たちのためのおうち用収納とは違います。「何度も折るとシワがたくさんつきそうなので、なるべくたたむ回数を減らしています」というのが彼女たちの主張なのですが、じつはそれだと逆効果なのです。
たしかに、「立てる収納」をする場合、けっこう小さくたたまなければいけないので必然的にたたむ回数は多くなってきます。でも、洋服のシワはじつは折りたたんだ回数の多さではなく、プレスされたシワの濃さによって目立つようになるのです。
つまり、薄くたたんで重ねれば重ねるほど、上の洋服の重みで生地がプレスされてシワが濃くついてしまい、「シワ感」がよりいっそう出てしまうのです。一枚の紙を折ったときの折りジワと、一〇〇枚の紙を重ねて折ったときのシワの濃さをイメージしていただければわかりやすいと思います。一〇〇枚の紙を折ったときのほうが、くっきりとしたシワになりにくいことが、おわかりいただけるでしょう。
収納ケースの中に立ててしまうことをイメージできたら、さっそくたたんでいきましょう。正しいたたみ方といってもポイントは一つ。「できあがりがつるんとシンプルな長方形になること」だけです。まず、身頃(袖や襟を除いた部分)のわきのほうを少し折ってたたみます(このとき、袖のたたみ込み方は自由)。縦長の長方形の状態がつくれたら、あとは四つ折りなり、六つ折りなり、服に合わせて高さを調整していきます。基本はこれだけ。
だけど、実際たたんでみると、どうしても「ゆるく」なってしまう場合があります。一応四角く折れてはいるのですが、なんだかペラリとして頼りなく、立てて収納しようとしても崩れてしまうのです。この状態になってしまったときは、その服に合ったたたみ方ではないですよというサイン。じつは服にはそれぞれ、たたんだときにピタリと決まる「ゴールデンポイント」が決まっているのです。
ゴールデンポイントとは、その服にとって一番心地のよい、しっくりくるたたみ方のこと。これは服の素材や大きさによってそれぞれ異なるので、たたみ方を変えながら一つひとつ探っていく必要があります。といっても、別にむずかしいことはありません。たいてい、立てたときの高さを調整するだけで、あっけないほど簡単にゴールデンポイントにたどり着いてしまいます。
コツとしては、生地がテロテロと薄いモノは幅も高さも小さくキュッとたたみ、生地がふんわり厚いモノはゆったりめにたたむこと。そして、たたむときはつねに生地が薄いほうの端を手にとりながらたたむとうまくいきます。
こうして、たたみ方がピタッと決まったときの快感といったらありません。立てて収納しても崩れない安定感、持つとしっくり手になじむ心地よさ。そうかそうか、こういうふうにたたんでほしかったのね、と洋服と心が通じる歴史的瞬間。お客様の顔がパッと輝くのを見るのが、レッスンの中でも私が大好きな瞬間です。
クロゼットを開けたとき、大好きな服たちがきちんとそろってかかっているのを見るのはうれしいもの。けれど実際は、「中がぐちゃぐちゃで使いにくい」「クロゼットを開けるたびにため息ばかり」という人が多いのではないでしょうか。そういう方たちの話を聞いていると、たいてい原因は二つに分けられます。
一つは、洋服のかけすぎ。あるお客様の家で、クロゼットのポールに服が限界までギチギチにかけられ、一着取り出すのに三分かかったことがありました。右にも左にもピクリとも動かないハンガーをウンウンいいながら引っぱりつづけ、やっとの思いで一つを引っぱって取り出すと、両隣の服がつられてポーンとトースターから出てきたパンのような勢いで飛び出す始末。そのクロゼット自体が数年使われていなかったのも納得しました。これは極端な例ですが、多くの人がクロゼットにかける服が多すぎて使いにくくなっているのは事実です。だからおすすめなのは、たためるモノはなるべくたたむこと。
もちろん、「かける収納」のほうが適している服もたくさんあります。一般的にはコートやスーツ、ジャケットやスカート、ワンピースなどがそうですが、私のかける服を選ぶ基準は「かかっているほうが、洋服が喜びそうなモノ」。風を通すとひらひら揺れてうれしそうな感じのするモノや、カチッとしていて折り曲げられるのを拒否しそうなモノは素直にハンガーにかけてあげます。
クロゼットの「かける収納」がごちゃつくもう一つの原因は、かけ方が間違っていることです。まず、同じカテゴリーのモノは隣り合わせにしてまとめてかける、これは基本中の基本。ジャケットのコーナー、シャツのコーナーときっちり分けてかけていきましょう。自分と同じタイプの人といっしょにいると無条件に安心してしまうのは、人も服も同じ。カテゴリー別に分けるだけで、洋服たちの安心感が違います。これだけで、クロゼットの中は見違えるようにスッキリ。
そうはいっても、「一度きちんと分けてかけても、いつの間にかぐちゃぐちゃしてくるんです」というのもよく聞く悩みです。そこで、せっかくきれいに整えた、「かける収納」をきれいにキープするためのとっておきの裏ワザをご紹介します。
それは、洋服を「右肩上がり」にかけていくこと。試しに、右肩上がりの矢印と、右肩下がりの矢印を紙に書いてみてください。空中に指で線を書くだけでもかまいません。
どうですか? 明らかに、右肩上がりの線を書いてみたときのほうが胸のあたりが軽くときめく感覚がおわかりいただけたと思います。人は、右肩上がりのラインを心地よく感じるのです。これをクロゼットの収納に応用することで、いつでもこの「ときめき感」をクロゼット内に仕込むことができます。
つまり、クロゼットに向かって左に重いモノを、右に軽いモノを収納していくこと。具体的には、左側には丈が長く、生地が厚く、色の濃い服を、右にいくにつれて丈が短く、生地が薄く、色の薄い服を収納するようにするとよいのです。
カテゴリー別にいうなら、向かって左からコート、ワンピース、ジャケット、パンツ、スカート、ブラウスの順にかけていきます。これは基本の並べ方ですが、自分の洋服の傾向によってカテゴリーごとの重さは変わってきますので、自分の感覚で全体的に「右肩上がり」のバランスをつくるようにしてください。そして、カテゴリーの中でもそれぞれ右肩上がりになるように並べていきます。
この右肩上がりで並べ替えたクロゼットの前に立つと、不思議と心がときめき、体の細胞がウキウキしてくるのが実感できます。モノは持ち主の気分を敏感に吸収するので、無意識のうちに自分が感じている「右肩上がりのときめき感」が服たちにも移ります。するとクロゼットを閉めているときでさえ、なんだか軽やかな空気が漂ってくるようになるのです。このときめき感、一度味わうとやみつきになり、カテゴリー別収納が崩れないのです。
そんな細かいところにこだわっても変わらないのでは……なんていっていたら、絶対、損。こんなときめきマジックを収納の随所に仕込んでおくことも、きれいなお部屋をキープするコツの一つ。並べ替えるだけなら一〇分で終わるので、だまされたと思って試してみることをおすすめします。もちろん、ときめくモノだけ残っているのが大前提なのはお忘れなく。
よかれと思ってしたことが、思わぬところで人を傷つけてしまうことってありませんか。そんなとき、被害者の心の叫びなどつゆ知らず、傷つけた当の本人は涼しい顔をして過ごしているもの。家の中でいえば、それは靴下類の収納の中で起きることが多いようです。
主婦歴三〇年のSさん(五〇代)のお宅にて。まずは衣類から始めましょうということで、夏物・冬物と洋服の整理が終わり、下着の整理が終わり、「とってもよいペースで進んでいますね。ではこの調子で、次は靴下類の整理にいきましょう!」と、桐のタンスの引き出しを開けたときのことです。「ああっ」と、私は思わず声をあげてしまいました。
引き出しの中からは、じゃがいものような靴下類がゴロゴロと出てきたのです。正確にいうと、キュッと結ばれてまん丸くなったストッキング、そして、履き口のところから裏返してひとまとめにされた靴下たち。絶句する私に白いエプロン姿のSさんは、「こうするとすぐに取り出せて便利でしょ」「しまうときもくるりと丸めるだけで、とってもラクですよね」とにっこり。ご自宅のレッスンではよく見る光景とはいえ、毎回くらりと後ろによろめきそうになります。
はっきりいいます。ストッキングは絶対、結んではいけません。そして靴下は絶対、裏返してまとめてはいけません。
「よーく、見てみてください」
じゃがいもの一つを指さす私。
「彼ら、今お休み中のはずですよね。……でも、まったく休めていませんよね?」
そうです。収納されている状態の靴下たちは、まさに休養中。いつも激しく使い回され、足と靴の間で蒸れと摩擦に耐え、それでも持ち主の足を甲斐甲斐しく包みつづける彼らのつかの間の休日のはずです。なのに、どうでしょう。結ばれたり、裏返されたりしている靴下たちは、つねに伸ばされ、ゴムの部分には圧力がかかり、いつでも緊張状態。しかも、そのまま引き出しの中に放り込まれた彼らは、開け閉めするたび、あっちにゴロゴロ、こっちにゴロゴロ転がり、たがいにぶつかり合って、おちおち寝てもいられません。そして引き出しの奥に行ったが最後、その存在は忘れ去られ、挙げ句の果てに伸ばしつづけられた履き口はビロリと広がり、寿命がグッと縮まった末、やっとの思いで履かれたときには、「あ、これ伸びてる」と舌打ちされたりするのです。
靴下たちにとって、これ以上の仕打ちがあるでしょうか。
まず、ストッキングの正しいたたみ方はこう。結んだ状態をほどいて、左右の足部分を重ねて縦に半分に折ります。そして三等分の長さになるようたたみます。このとき、つま先のほうを中に折り込むようにして、腰の部分を少し余らせて飛び出るようにたたむのがポイント。この状態から、ストッキングを下からくるくる巻いていきます。巻き終わったとき、腰の部分が一番外側になっていたら正解です。ひざ下ストッキングも同様。タイツなど少し厚手のモノは二等分の長さにたたんだほうが巻きやすくなります。要は、最終的に巻きずし状に落ち着けばよいのです。
収納するときは、うず巻きが見えるようにストッキングを立てて入れます。ただし、プラスチック製の引き出しに直接入れると、つるつる滑ってせっかく巻いた部分がゆるくほどけてしまうことがあるので、いったん紙の箱に入れてから引き出しに入れるとよいでしょう。ちなみにストッキング用の仕切りには、靴の空き箱がジャストサイズです。
こうすると、ひと目見ただけで自分が持っているストッキングの数を把握できるし、結ばないので傷まないし、シワにもならないから足入れもラクだし、いいことずくめ。ストッキングもごきげんです。
靴下のたたみ方はもっと簡単。まず、履き口で裏返された部分を元に戻します。左右の靴下を重ね、洋服と同じ要領でふつうにたたみます。スニーカーソックスのようなフットカバー型のモノはシンプルに二つ折り。短めの靴下なら三つ折り、ハイソックスなら四つ折りか六等分に折りますが、これは収納する引き出しの高さに合わせてもよいでしょう。何もむずかしいことはありません。たたみ方の基本である「できあがりがシンプルな長方形になること」を目指してください。
収納するときも洋服と同様で、立てて並べていくだけ。「じゃがいも収納時代」が信じられないほど、少ないスペースで収まってしまうことに驚くこと間違いなし。ほどかれた靴下たちも、ふうと息を吹き返すのがわかります。
ちなみに私は制服姿の学生さんを見ると、無意識のうちに靴下をチェックしてしまいます。そしてハイソックスの履き口がちょっとビロンと緩んでいるのを見つけると、ついつい「靴下の正しいたたみ方はね……」なんて、声をかけたくなったりするのです。
六月、それはいわゆる衣替えの季節です。梅雨が近づく時期になるとあたりまえのように使われているフレーズですが、聞くたびに、「ああ、そんな行事もあったなあ」と懐かしく思ってしまいます。私自身はもう何年も前から、衣替えを一切していないからです。
そもそも衣替えというのは、古くは中国から来た風習ですが、日本では平安時代の宮中行事にその起源があります。それが明治時代以降には、制服を着る人の制度として六月から夏服に、一〇月からは冬服に、と定着してきたものです。つまり、もともとは学校や会社などの組織の中での決まりごとだったはずで、ふつうの人がおうちで衣替えをする義務はとくにありません。
それでも私もかつては、なんとなく衣替えをしなければいけないような気がしていて、毎年六月と一〇月にはせっせとクロゼットの中の引き出しを入れ替えたり、引き出しの中の順番を変えたりしていた時期もありました。
でも、正直いって面倒くさい。クロゼットの上のボックスに着たい服があっても取り出すのがおっくうで、妥協して別のものを着てしまったり、うっかり六月どころか七月も過ぎてしまって、ようやく夏物を出したと思ったら、つい最近、同じような服を新しく買ってしまっていたり。衣替えをしたとたんに季節が逆もどり、なんていうのもよくある話。とくに最近は、冷暖房も設備が整ってきているので、暑い寒いもあいまいになってきて、冬でもTシャツを着ることなんて珍しくありません。衣替えという行為自体、時代に合わなくなっているのではないでしょうか。
この際、衣替えはしないと決めてしまいましょう。つまり、オンシーズンの服もオフシーズンの服もふだんからいつでも使える状態にして、引き出しの入れ替えなどは一切しないことにするのです。
お客様にも衣替えはしない収納をおすすめしていますが、つねに持っている服を把握できるので、非常に好評です。とくにむずかしいテクニックなどは必要なくて、「衣替えをしない」前提で服を収納していけばだいじょうぶ。コツは、洋服を分類しすぎないこと。「コットンっぽい服」「ウールっぽい服」というようにざっと素材別に分けて引き出しに入れていきます。夏服・冬服・春秋服といった季節ごとの分類や、会社用・休日用のような用途別の分類などは、あいまいになりがちなので避けるべきです。
収納場所に余裕がない場合は、小物類だけ衣替えするようにします。つまり、夏物なら水着や帽子、冬物ならマフラーや手袋、耳あてなど。小物ではなく大物ですが、コートも同じように考えてよいでしょう。これだけなら奥にしまってもオーケーです。
それでも収納場所が足りなくてオフシーズンの服を奥にしまわざるをえない場合は、収納法を工夫しましょう。衣替え用というと、フタがついたボックス型のケースを想像する方が多いのですが、じつはこれを使いこなすのが一番むずかしい。フタの上についついモノを置いてしまって、取り出すのがとたんに面倒になり、うっかり季節が過ぎていく、なんてことが起きやすいからです。これから収納用品を買うのであれば、気軽に取り出せる引き出し型のモノが絶対におすすめです。
要するに、オフシーズンの服であってもなるべく「しまい込む」状況にしないこと。なんとなくですが、奥にしまい込まれて半年ぶりに出された服たちって、息苦しかったのか、弱っているように見えるのです。だから、たまには空気や光に触れさせて、見たり触れたり、「次の季節もどうぞよろしく」と気にかける。こんなふうに折に触れてコミュニケーションをとっていたほうが、服もいきいきと長生きし、彼らとのときめき関係も長持ちすると思うのです。
衣類が終わったので、次はいよいよ本類の片づけです。
「捨てられないモノ」ベスト3に入るモノの一つが、本です。
読書好きの人もそうでない人も、「本だけはなかなか捨てられない」という方は多いと思います。けれど、本を捨てられない大きな原因が、そもそもその「捨て方」が間違っていることにあるのは、意外に知られていない事実です。
外資系コンサルティング会社に勤めるYさん(三〇代)は大の本好き。話題になっているビジネス書はひと通り読みつくしているほか、小説もマンガも幅広く読む彼女の部屋は、それこそ本で埋めつくされています。天井まである大きな本棚が三つある以外にも、収まりきらない本たちが床の上から腰くらいの高さまで積み上がり、今にも崩壊しそうな危ういタワーがざっと数えて二〇棟。部屋の中を歩くのに腰をクネクネさせてタワーを避けながら進まなければならないのも、なんだか妙な気分です。
「さっそくですが、本棚から一冊残らず本を出してください。すべて床に積んでいきます」
私がいつものようにこういうと、Yさんは目を丸くしました。
「全部、ですか? けっこうな量、ありますよ」
「はい、知ってます。全部出してください」
私がさらりと答えると、Yさんは、「そうではなく、あの……」と少しいいにくそうに続けます。
「ふつうに本棚に入れたままタイトルを見て選んだほうが、ラクだと思うのですが」
たしかに、本はたいてい一か所に収納されているし、背表紙がズラリと並んで見えている状態のわけですから、そのままでも選ぶことは可能です。それに本は重さがあるし、出し入れするのはけっこうな労力がかかるもの。最後は結局同じ本棚に戻すのだから、わざわざ全部出すのは二度手間だし、面倒くさい……。そう思うかもしれません。けれど、一度本棚からすべての本を出すこの作業は、絶対に飛ばしてはいけません。なぜなら本棚に収まっている状態のままでは、ときめくかどうかという判断で本を選ぶことができないからです。
本にかぎらず、服でも小物でもそうですが、収納に収まって長らく動かされていない状態のモノは、じつは「寝ている」のです。気配が消えている、といってもよいでしょう。草陰に潜んで微動だにしないカマキリがまわりと一体化して見えなくなるのと同じように(気づくとびっくりしますよね)、見えているのに見えていない。棚や引き出しに入ったままのモノを見て「ときめきますか」と自分に聞いてみても、いまいちピンとこないのです。
だから、モノを残すか捨てるか選ぶときは、収納からいったん出して、起こしてあげること。はじめから床に積んであった本たちでさえ、少しでも場所をズラしたり、あえてもう一度積み直したりしたほうが、断然選びやすくなります。寝ている子どものほっぺをぺちぺちたたいて起こしてあげるみたいなイメージで、物理的に動かすことで風を通して刺激を与え、モノの意識をはっきり目覚めさせます。
実際、私が片づけの現場でやっているのは、積んである本の表紙を軽くペシペシたたいたり、本の山に向かって柏手を打つようにパンッと手を打ってみたり……。皆さん、不思議そうな顔をされますが、その後の本を選ぶスピードと精度がまったく違ってくることに驚きます。
「いるモノとそうでないモノが、はっきりわかる!」というのです。むしろ本棚に入れっぱなしの状態で選んでしまったほうが、結局必要なモノを選びきれず、もう一度最初からやるハメになり、こちらのほうが二度手間になるのです。
あまりに量が多く一度に床に置ききれません、という場合は、本もカテゴリーごとにざっと分けて床に積んでいきます。本の分け方は大きく分けて四つです。
一般書籍(読みもの)
→実用書(参考書・レシピ本など)
→鑑賞用(写真集など)
→雑誌
こうして積み上げた本たちを、一冊一冊手にとって、残すか捨てるか、判断していきます。もちろん基準は、「触ったときに、ときめくか」。これは触るだけでオーケーで、中身はけっして読まないでください。なぜなら、読んでしまうと、ときめくかどうかではなく、必要かどうかと、判断が鈍ってしまうことがあるから。
自分にとってときめく本だけが並んでいる本棚を想像してみてください。イメージするだけでうっとりしてきませんか。本好きの人間にとっては、これ以上ない幸せを感じることができるはずです。
本が捨てられない理由ナンバーワンは、「また読み返すかもしれないから」というもの。
では、これまで読み返したことがある愛読書の冊数を数えてみてください。いったい何冊、ありましたか。五冊しかないという人もいれば、一〇〇冊あるという強者もいるかもしれません。でも、それ以上あるという人は、研究者とか、作家とか、そういう特別な職業についている人ならともかく、私のようなごくごくふつうの人間の中には、実際問題、ほとんどいないのではないでしょうか。
つまり、読み返される本は、じつはほとんどないということです。
ここでも、「そのモノが持つ本当の役割を考える」ということをやってみましょう。そもそも本というのは、紙です。紙に文字が印刷してあって、それを束ねたモノを指します。この文字を読んで、情報をとり入れることが、本の本当の役割です。本に書いてある情報に意味があるのであって、「本棚に本がある」こと自体に本来、意味はないわけです。
つまり、私たちが本を読むのは、本を読むという経験を求めているということです。
一度読んだ本は、「経験した」ということ。内容をしっかり覚えていなくても、すべてあなたの中に入っているはずです。
ですから、本の場合も、読み返すかどうかとか、身についたかどうかとかは一切考えず、一冊ずつ手にとって、ときめくかどうかだけで判断してください。手にとって本当にときめく本、本棚に置いてあるのを見るだけで、「この本がここにあるのが幸せだな」と思えるモノだけを残しましょう。
もちろん私が書いているこの本も例外ではありません。手にとってときめかなかったら、迷わず捨ててほしいと思います。
では、途中までは読んだけど、まだ読み終わっていない本。そして買ったはいいけれど、まだ読みはじめていない本。こうした「いつか読むつもり」の未読の本はどうすればいいのでしょうか。
最近はインターネットで手軽に本を買えるようになったからか、一人あたりの未読本の所持数はぐんと増えている気がします。三冊くらいなら少ないほう、多い人だと四〇冊以上あるのではないでしょうか。この前買った本を読まないまま、また新しい本を買ってしまって、ついつい読んでいない本がたまっていくのです。
そしてこの未読本が「一度読んだ本」に比べてやっかいなのは、圧倒的に捨てにくいこと。
以前、とある社長さんに対し、オフィスのデスクまわりの片づけレッスンをしたとき、こんなことがありました。さすが、社長さんだけあって、本棚にはむずかしそうなビジネス書がズラリ。カーネギーやドラッカーなどいわゆる古典モノから、最新のベストセラーまで、その見事な品ぞろえは、まるでちょっとした本屋さんのようです。けれど、そのあまりに整然とした陳列ぶりに、イヤな予感がしたのです。
本の片づけをいざ開始したところ、「これ未読で」「これも未読で」と、次々と、未読コーナーに本が積まれていくのです。終わってみれば、未読本がまさかの五〇冊。本棚のラインナップがほとんど減っていません。捨てられない理由を聞いてみると、私の「片づけ想定問答集」定番の「いつか読みたいと思っているから」。
でも、恥ずかしながら、私の経験も含めて断言します。その「いつか」は永遠に来ないのです。
人に薦められた本であっても、ずっと読もうと思っていた本であっても、一度読みどきを逃してしまった本は、この際、すっぱりあきらめましょう。買ったそのときは読みたいと思ったのかもしれませんが、結局、読む必要はなかったということを教えてくれたのがその本の役割だったのです。途中まで読んだ本も最後まで読みきる必要はありません。その本の役割は途中まで読むことだったのです。
だから、未読の本はすべて捨てる。何年もほったらかしの未読の本よりも、今読みたいとピンときた本を読んだほうが、断然いいはずです。
未読の本の定番ともいえるのが、英語の本と資格の本です。
本をたくさん持っている人は、間違いなく意識が高くて、勉強熱心な人です。だから、お客様の本棚に、参考書や勉強の本がズラリと並ぶ光景を見ることも珍しくはありません。
英語の本は、たとえばTOEICの参考書、海外旅行に役立つ英会話、ビジネスで使える英語など。資格の本は本当にさまざまで、簿記、宅建、秘書検定など定番モノから、アロマテラピーや色彩など、こんな資格もあるのか……と感心することもしばしば。このほか、学生時代の教科書や、ペン習字の練習帳なんかもよく見かけるものの一つです。
そんなわけで非常に発見率の高いこれらの勉強本、もしあなたが持っていて、「いつかやろう」と思っているならば、今すぐ捨てることをおすすめします。
なぜなら、多くの人が、実際には持っている勉強本を使っていません。その実践率たるや、私のお客さんの場合、なんと一五%以下。ほとんどの人が、本を買ったものの活用していないのです。それでも捨てられない理由を聞いてみると、「いつか勉強したいと思って」「時間ができたらやろうと思って」「英語を身につけたほうがいいと思って」「経理なので、簿記の勉強をと思って」と、まさに「思って」のオンパレード。
「思った」だけで、まだ手をつけていない勉強本は、絶対に一度捨ててください。
本を捨てて初めて、その勉強に対する自分の情熱がわかります。捨てても何も変わらなければ、それはそれでよしとしましょう。捨ててもまた本を買いたくなるほどであれば、また買ったときに今度こそ勉強すればよいのです。
今でこそ持っている本は常時三〇冊くらいに収まっている私ですが、元はといえば、本だけはなかなか捨てられないタイプの人間でした。
そんな本好きの私でしたが、「ときめきで選ぶ」を実践した後、私の本棚に残った本は一〇〇冊くらい。このままでも平均と比べればけっして多いほうではないはずだけど、もっと減らせる気がしてならなかったある日のこと、あらためて、本棚の本をじっくり観察してみることにしました。
まず、捨てるなんて言語道断、迷いなく「ときめきます!」と断言できるレベルの本。私の場合は『不思議の国のアリス』がその筆頭で、小学一年の頃から変わらない、私にとってのバイブルです。こうしたいわゆる「殿堂入り」レベルの本は簡単で、もちろん迷わず残しておけばよいのです。
次に、「殿堂入り」ほどではないけれど、心がときめく本たち。これは年齢によって入れ替わっていくモノだけど、今は絶対手元にとっておきたいと思えるレベルの本。さすがに現在は残していませんが、当時、私が片づけに目覚めるきっかけになった『「捨てる!」技術』なんかはちょうどこのレベル。これも、ときめきを感じるうちは残しておいてよいでしょう。
やっかいなのは、ときめき度がそこそこのレベルの本。一回読んで、おもしろかった。触ってときめくかといえばそこまでではないけれど、随所に心に響いた言葉があって、また読み返したくなるかもしれないし……とついつい捨てられずにいる本たちです。別に捨てなきゃいけない義務はないのだけれど、片づけ道をとことん極めたい私としては、ときめき度がそこそこレベルのモノをただ漫然と見過ごすわけにいきません。このあたりの本をどうにか心おきなく手放す方法はないものでしょうか。
そこで始めたのが、「本のカサ減らし片づけ法」。要するにこれらは、本全体というより、一部の情報やハッとした言葉をとっておきたいだけ。だったら必要な箇所だけ残して、あとは捨ててしまえば問題ないはずと考えました。
心に響いた言葉や文をノートに書き写して、オリジナルノートをつくることにしました。これを続けたら、自分だけのお気に入り名言集みたいなものができあがって、あとで見返したときに興味の軌跡がたどれておもしろいかも、と思ったのです。いいこと思いついたと、ウキウキしながらお気に入りのノートをおろして、さっそく制作開始です。まず、ピンときた箇所に線を引いて、ノートに本の題名を書いて、その内容を写していきます。
しかし、始めたとたんに面倒くさい。単語ならともかく、文章を書き写すのはなかなか手間がかかるのです。それにあとから見返すことを考えると、ていねいな字で書かなければいけません。一冊の本に一〇か所も好きな文章があれば、かかる時間は少なく見積もっても三〇分。これが約四〇冊分あると思うと、軽くめまいがしてきました。
そこで次に試したのがコピー。お気に入りの言葉が書いてあるページをピピッとコピーすれば、一瞬で名言が抽出可能です。コピーした紙をノートに貼ったら、それで完成。ところが、実際やってみると、これすらおっくうなのです。
結局、該当のページを直接破る方法に落ち着きました。さらにはノートに貼るのも面倒になり、破ったページをそのままファイルに入れるまでに簡略化。これなら一冊五分もかかりません。無事、四〇冊ほどの本が処分でき、お気に入りの言葉もしっかり残すことができて、大満足の結果となりました。
ところがです。「本のカサ減らし片づけ法」から丸二年がたち、ふと気づいたことがありました。それは、結局一度もそのファイルを見直していない、ということ。つまり、私がやっていたことはたんなる気休めにすぎなかったのです。
それから、これは最近感じることですが、本を手元にストックしすぎないほうが情報の感度は上がります。つまり、自分にとって必要な情報にピンと気がつきやすくなるのです。これは、とくに本や書類をたくさん捨てていただいた多くのお客様から聞くことでもあります。
本はタイミングが命。出合ったその瞬間が読むべき「時」なのです。その一瞬の出合いを逃さないためにも、手元には本を置きすぎないことをおすすめします。
本類の整理が終わったあとは、書類の整理です。
たとえば、壁にかかるポケット型収納にパンパンに入った郵便物。冷蔵庫にベタベタ貼ってある子どもの学校のお知らせプリント。電話の横に立てかけてある返信していない同窓会のハガキに、テーブルに放置してある数日分の新聞。家の中には、いつの間にか書類がたまっていく吹きだまりポイントがいくつかあります。
家庭の書類は、オフィスに比べれば断然少ないような気がしますが、じつはそうでもありません。片づけをしておうちから出てくる紙の量は、最低でも四五リットルゴミ袋でまるまる二つ分。これまでで一番多かったのは、一五袋。家庭用シュレッダーが詰まったときのボボボッという音を何十回聞いたかわかりません。
それだけの量の書類を管理するのは絶対にむずかしいはずなのですが、まれにびっくりするほど書類整理が上手な方がいて、尊敬してしまうことがあります。私が「今は、どのように書類を管理していますか」と聞くと、完璧なまでに説明をしてくれるのです。
「子ども関連の書類はこのファイルで、これがレシピのファイル。雑誌の切り抜きはこっちで、電化製品の説明書はこのボックスで……」
途中からうっかり聞くのを忘れてしまうくらい、事細かに分けているのです。
はっきりいって、私は書類の分類が大嫌い。ファイルをいくつも使ったり、マメにラベルを書いて分けたりすることもありません。オフィスで多くの人が共有するモノならまだしも、ふつうにおうちの中で使う書類をキチキチと分ける必要性をまったく感じないからです。
結論をいうと、書類は「全捨て」が基本です。
こういうとたいてい、ぎょっとした顔をされて驚かれてしまうのですが、書類ほどやっかいなモノはありません。だって、大事に持っていてもまったくときめかないと思いませんか。
だから、「今使っている」「しばらく必要である」「ずっととっておく」。この三つに該当しない書類はすべて捨ててしまいましょう。
ちなみに、ここでいう「書類」には、昔もらったラブレターや日記などは含めません。これらの「思い出系」のモノに手をつけてしまったが最後、書類の片づけスピードがガタ落ちしてしまうのは目に見えています。
ですから、まずはまったくときめきとは無縁の書類だけに絞り、一気に片づけていくのです。友人や恋人からの手紙は「思い出品」扱いにすることにして、まだ手をつけないでおいてください。
こうしてときめきとは無縁の書類を一気に片づけたあと、残った書類をどうするか。
私の書類整理法はごく単純で、大きく分けて二種類だけ。保存か、未処理か。書類は全捨てが基本ですが、あえて手元に残す場合は、このどちらかで分けていきます。
まず未処理。これはその名の通り、自分が処理しなければならない書類です。返信が必要な手紙や、提出する予定のプリント、目を通すつもりの新聞なんかがこのカテゴリーです。これらの書類を入れる「未処理コーナー」をつくりましょう。ポイントは、このコーナーは必ず一か所だけにすること。絶対に分散させてはいけません。おすすめは、書類を立てられる縦型収納ボックスを一つ、未処理コーナーに決めてしまう方法。ここに未処理のモノをすべて、分けずにどんどん入れていくのです。
そして保存の書類ですが、これは使用頻度でさらに二つに分けます。といっても複雑な分け方はしません。使用頻度が低いモノとはつまり契約関係の書類で、それ以外は使用頻度が高いモノと考えます。
契約書類は単純に、保険証券や保証書や賃貸の契約書など。こればっかりは、くやしいけれどときめかなくても自動的にとっておかなければならないモノたちです。ほとんど自分からは取り出す機会もないので、保存にはもっとも手を抜いていいのがこのカテゴリー。おすすめなのは、ふつうのクリアファイルに、何にも考えず、ひとまとめに入れてしまう方法です。
そして最後は、使用頻度が高い保存書類。つまり、契約書類というわけではないけど保存したいもの。たとえば、雑誌の切り抜きだったりセミナーのレジュメだったり、ちょくちょく自分で見たいと思うモノがここにあてはまります。ということは、本のように見やすい状態になっていないと意味がないので、ブック状のクリアファイルが適しています。じつはここが一番クセモノで、なくてもよいモノのはずなのに、ついつい増えてしまいがちなのがこのカテゴリー。書類の整理は、ここをいかに減らせるかにかかっているといえます。
まとめると、書類は未処理・保存(契約書)・保存(契約書以外)の三種類。それぞれ必ず一つのボックスやファイルにまとめてしまって、書類の内容別にあえて分けないことがポイントです。つまり、使っていいボックスやファイルは三つまで、ということです。
忘れてはいけないのは、この未処理ボックスは「空っぽが前提」ということです。
つまり、この未処理ボックスにモノが残っているということは、あなたが人生でやり残している未処理があるということを認識しておいてください。つねに空っぽを目指していきましょう。とはいえ、私も自宅の未処理ボックスを空っぽにしたことがないのですが……。
書類は「全捨て」が基本ですが、とはいえ、捨てにくい書類というのはやっぱり誰だってあるものです。ここでは、やっかいな書類の攻略法を考えていきましょう。
・セミナー資料
アロマテラピー講座、ロジカルシンキング講座、マーケティングにコーチング。勉強熱心な方なら行ったことのある、これらのセミナー。最近では「朝活」ブームで早朝セミナーが開催されたり、時間も内容の幅も広がっていろいろ選べるようになりました。講師の方が一生懸命つくってくれたレジュメは勉強した勲章のようで、たしかに捨てづらい。でも、勉強熱心な方のお部屋ほど、かなりのスペースをこれらの書類に占有されてしまっていて、お部屋になんともいえない圧迫感が漂っているのです。
広告代理店に勤務するMさん(三〇代)の部屋に入った瞬間、オフィスにいるような錯覚におちいったことがありました。目に飛び込んできたのは、ズラリと並んだファイルの背表紙たち。これは「全部、セミナーでもらったテキスト類です」とMさん。自他共に認めるセミナーマニアだという彼女は、これまで参加してきたセミナーの資料をすべてファイリングして保管してあるのだといいます。
「いつか勉強し直したい」、これもよく聞く声です。しかし、勉強し直したこと、ありますか? そうです、多くの人はないのです。
これもご自宅でよく発見するモノの一つですが、たいてい同じような種類のセミナー資料をたくさん持っている例が非常に多いのです。どういうことかというと、セミナーの内容が身についていないということ。
これが悪いことかというより、やっぱり過去の資料を勉強し直すことはないということです。セミナーというのは、学んだ内容を実行しなければ、はっきりいって意味がありません。受けた瞬間に価値がある。受けた瞬間、やり終わった瞬間に実行できるかどうかがカギ。なぜわざわざ高いお金を払ってセミナーに行くかというと、内容自体は本でも何でも読めばよいわけです。その空気感とか講師の情熱とかを感じに行くわけです。つまり、本当のセミナー資料はセミナーそのものであり、生モノなのです。
セミナーで配られた資料は全部捨てる、くらいの覚悟で受講しましょう。捨ててしまったあとに後悔したら、もう一度、同じセミナーを受けに行けばよいのです。そして、すぐに実行する。
逆説的ですが、いつまでも手元に資料があるから実行しないのだと、私は思います。
ちなみに、これまでで最高一九〇回分のセミナー資料を発見したことがあります。この方の場合、「全捨て」していただきましたのは、いうまでもありません。
・カードの明細書
カードの明細書、これも全部捨ててしまいましょう。そもそも、あのカードの明細書の目的は何でしょうか。あれは多くの人にとって、この月にこれにこれだけお金を使いましたよ、ということをお知らせするためのものです。確認して、「ああ、そうか、これだけ使ったのか」と納得するなり家計簿に書き写すなりしたら即捨てるべきです。その役割は終わったのですから。堂々と捨ててしまって、だいじょうぶです。
そもそもカードの明細書がなくて困ることってどういうときでしょうか。カードの引き落とし裁判がらみの証拠書類として必要になるかもしれない、なんてことは、まず起こりえません。そんな起こりえないことのために後生大事に明細書をとっておく必要はありません。公共料金の口座引き落としの通知書も同様です。ここは思いきって捨ててしまいましょう。
そういえば、これまでのお客様の中で、一番書類を捨てていただくのがむずかしかったのは、ご夫婦で弁護士をされているお客様でした。「この書類、裁判で必要になったらどうしましょう」とご心配されてなかなか書類を減らしていただけませんでした。でも、裁判がお仕事のそのご夫婦ですら最終的にはほとんどの書類を捨ててもらいましたから、明細書を捨てたところでまったくだいじょうぶです。
・電化製品などの保証書
テレビやデジカメなど、電化製品には必ずついてくる保証書たち。家庭内にある書類の定番中の定番だけあって、こればっかりは皆さん、きちんとまとめて保管してあります。でも残念ながら……ほとんどの方、ほんの少し惜しいのです。
一般的なのは、ブック状になったクリアファイルか、ジャバラ状のファイルを使った保管法。どちらも製品ごとに細かく区分けができるのが魅力です。けれど、じつはここが落とし穴で、分けられすぎているゆえに見落としてしまうことがじつに多い。
これらのファイルを使っているなら、おそらく保証書といっしょに商品の取扱説明書もあわせて入れているはずです。まず、大前提として、これらの説明書は捨ててしまいましょう。あらためて見てみると、ほとんど使ったことのないモノばかりではないでしょうか。だいたい、説明書を読み込まなくてはならないような電化製品というと、たとえばデジカメだったりパソコンだったりで、説明書は分厚くてはじめからこのファイルに入っていないのです。つまり、今ここに入っている説明書は捨ててしまってだいじょうぶ。
私のお客様も説明書の類はほぼ捨てていただいていますが(デジカメも、パソコンも!)、皆さんそろって「何にも、困らなかった」といっています。何かトラブルが起きてもなんとか自分でいろいろ試して直そうとしているうちにどうにかなるし、どうにもならない場合は買ったお店に聞いたり、インターネットで調べたりすれば解決できないことはありません。だからご安心ください。
話を保証書に戻すと、一番おすすめの管理法はズバリ、ふつうのペラッとしたクリアファイルに分けずに入れること。
そもそも、保証書を使う機会なんて一年に一回あるかないか。このギャンブル並みに低い確率でしか使用しない書類を、一つひとつ懇切ていねいに分けて保管する必要がいったいどれくらいあるのでしょう。それに、いざ保証書を使うことになったとしてもファイルに見出しをつけているわけではないので、ページをペラペラめくって探すわけですよね。だったら、クリアファイルに一つにまとめて入れて、探す際に丸ごと出して探すのと手間はほとんど変わりません。
それに保証書の場合、細かく分けすぎると、一つひとつを目にする機会が減るので、気づかないうちに期限切れの保証書がたまりがち。一つ必要になるたびにいちいち探すようにすれば、「あ、これ期限切れてる」と、自動的にすべての保証書のチェックができてしまうのです。
これなら定期的に中身を見直すなんて面倒なことをしなくてすむし、クリアファイルはどの家にも必ずあるモノなので、わざわざ買う必要もなし。しかも、使うスペースは今までの一〇分の一以下といいことずくめです。
・年賀状
年賀状の役割は「今年もよろしくお願いします」という新年のあいさつをすることです。つまり、新年に受け取った瞬間、役割は終わっています。お年玉番号の確認が終わったら、「今年も気づかってくれてありがとう」で捨ててしまってだいじょうぶです。次の年の住所録として利用している場合は、一年分だけとっておきましょう。二年前以降のときめくモノ以外は全捨てです。
・使用済みの通帳
使用済み通帳は使用済みです。見返すことはまずありませんし、見返すと預金が増える、なんてこともないので、さっさと捨てましょう。
・給与明細
給与明細の役割は、「今月これだけの給与を支払いましたよ」というのをお知らせするためのモノです。受け取って中身を確認した瞬間、その役割は終わっています。
引き出しを開けると、そこには不思議な小箱がありました。
なんだか素敵な物語が始まりそうで胸が高鳴るシチュエーションですが、私の場合、まったくときめきません。中に入っているモノがおおかた想像できてしまうからです。
フタを開けると見えるのは、小銭、ヘアピン、消しゴム、服の予備ボタン、腕時計を調整したとき出た金具、使用済みかどうかもわからない乾電池、病院で処方されて余った薬、古いお守り、キーホルダーなど。どうしてここに置いてあるのかと聞けば、答えはたいてい「なんとなく」。
そう、小物類って「なんとなくとっておかれて、なんとなく収納されて、なんとなくたまっていってしまうモノ」なのです。考えてみれば「小物」という言葉もあいまいで、あらためて意味を調べてみたら、「こまごまとしたもの。小さい道具類や付属品など。つまらない人物。つまらない小魚」(『大辞泉』)と出ていて、つい「なんとなく」な扱いをしてしまうのもわかります。
けれど、そろそろ、そんな「なんとなく生活」と決別してもよい頃ではないでしょうか。小物だって、あなたの人生を支える大切な一部分。一つひとつ触ってみてあげて、きちんと片づけていくべきです。衣類でも書類でもない「小物類」の片づけは、たしかにカテゴリーも多く複雑そうに見えますが、順番通りに整理していけば、とっても簡単。大まかに分けて、小物類を整理する基本の順番はこう。
CD・DVD類
→スキンケア用品
→メイク用品
→アクセサリー類
→貴重品類(印鑑・通帳・カード類)
→機械類(デジカメ・コード類など〝電気の香りのするモノ〟)
→生活用具(文房具・裁縫道具など)
→生活用品(薬類・洗剤・ティッシュなど消耗品)
→キッチン用品・食料品
→その他
このほかに個人的な趣味のモノ、たとえばスキー用具やお茶道具などを持っている場合はそれを一つのカテゴリーとしていっぺんに整理してください。
なぜこの順番かというと、より個人的なモノで、かつカテゴリーがはっきりしているモノから整理したほうがラクだからです。そのため一人暮らしの方の場合は、順番はあまり気にせず、カテゴリーごとに選んでいけば問題ありません。
とはいえ、ここで一番いいたいのは、多くの人が、あまりにもたくさんの「なんとなく持っている小物」に囲まれて生きているということ。まずは今自分が持っている「なんとなく持っているモノ」を認識して、「ときめくモノ」だけを残していくことを徹底してください。
カバンの底には一円玉、引き出しの奥には一〇円玉、そして机の上には一〇〇円玉。こんなふうに小銭をなんとなく置いてありませんか。
お客様の自宅を片づけていると必ずといってよいほど発見される小銭は、まさに「なんとなく小物」代表選手。玄関・キッチン・リビング・洗面所……家じゅう、至るところの家具の上や引き出しの中に、その存在は発見されてきました。
小銭だって立派なお金なのに、お札と比べてひどい扱いようだと思いませんか。だいたい、おうちの中で小銭が必要になる場面なんてないのに、こんなに発見されるのもおかしな話です。
おうちの中で小銭を見つけたときに私がとっている処置は、「即、お財布行き」。絶対に貯金箱には入れません。こればっかりは一か所に集める必要もなく、見つけしだいすぐさまお財布に入れてしまうのが正解。ここで貯金箱に入れたところで、小銭の放置場所を変えたにすぎないからです。
とくに長年同じおうちに住まわれている方に多く見られるパターンなのですが、目標がなく続けている小銭貯金をきちんと両替している例を正直見たことがありません。「知らず知らずのうちにたまっていたら、ちょっとハッピー」くらいの目的意識なら、まさに今が両替のチャンス。
なぜなら、貯金箱がいっぱいになったらなったで、たまった小銭はけっこう重く、銀行に持っていくのがますます面倒くさくなってしまうから。すると、なぜだか次はビニール袋に小銭をためはじめたりして、数年後にはパンパンになった袋が戸棚の奥から発見されるのです。久しぶりに見た中の小銭は緑や黒に見事に変色、チャリンチャリンと鳴る音もなんだか鈍く、鉄分とカビの混ざった香りがぷーんとあたりに漂う始末。ここまでくると、いよいよ見て見ぬふりをしたくなる。小銭の、お金としてのプライド丸つぶれのこの様子、書いていてもつらいけど、実際見るともっとせつないものなのです。
これからは、「小銭を見たら、財布にイン!」を合言葉に、家の中で泣いている「なんとなく小銭」たちを救出してあげてください。
余談ですが、小銭の放置方法は男女によって差があります。男性の場合はポケットにそのまま入れてしまうほか、棚や机の上などわりと目立つところに放置するのに対し、女性の場合は箱に入れたり、袋詰めにしたものをさらに引き出しに入れ込んだりして、しまい込む傾向にあります。
外からの攻撃に対しすぐさま対応できるよう行動する男性の本能と、家を守るという女性の本能が、小銭の放置のしかたにも表れているなんて、DNAって不思議……。と、しみじみ生命の神秘に思いをはせたりしながら、今日も片づけの魔法を振りまいています。
ときめくか、ときめかないか。そんなことを考えるまでもなく、気づけばすぐに捨てられるモノって意外に多いものです。片づけをするとき、なかなか捨てられないモノを手放すことはもちろん大事だけど、同じくらい大事なのは、別に理由はないけれどなんとなく持っているモノにどれだけ気づけるか、ということ。不思議な話ですが、ほとんどの人がこうした「なんとなく小物」に対して、持っている自覚すらない、というのが現実なのです。
・プレゼント類
キッチンの棚の一番上に置いてある、引き出物の食器類。机の引き出しに入っている、旅行のお土産にもらったあのキーホルダー。誕生日プレゼントにと職場の同僚からもらった、不思議な香りがするお香セット。
これらの共通点はもちろん、プレゼントであること。大切な人が、自分のために時間を使って選んで買ってくれた、心のこもった贈り物。簡単に捨てられるはずがありません。
でも、あらためて思い出してみてください。そのプレゼントたちって、たいてい箱入りか未開封、もしくは一回使ったきりなのではないでしょうか。要するに、自分の趣味ではないということ、そこは正直に認めてしまいましょう。
プレゼントの本当の役割って何だと思いますか。
それは、「受け取ること」。
プレゼントはモノそのものより、気持ちを届けるモノです。
だから、「受け取った瞬間のときめきをくれて、ありがとう」といって捨ててあげればよいのです。
もちろんベストなのは、いただいたモノを心から喜んで使うことです。でも、好きではないモノをイヤイヤ使ったり、使わずにしまい込んで見つけるたびに心苦しくなったりするのは、贈り主の本望ではないはずです。
贈り主のためにも、ぜひ捨ててあげてください。
・携帯電話を買ったときの箱類一式
まず、箱自体が妙にかさばります。これは買ったらすぐに捨ててしまいましょう。取扱説明書もいりません。使っているうちにだいたい必要な機能は使えてしまうので、だいじょうぶです。いっしょについてくるCDも、お客様にはもれなく捨てていただいていますが、いまだかつて問題になったことがありません。もし困ったことがあれば、携帯ショップの店員さんに何でも質問してみましょう。自分で説明書を探してウンウン考えてみるより、プロに聞いたほうがあっという間に解決できてしまいます。
・用途不明のコード類
おそらく今あなたが見て「何のコードだろう」と思うようなモノ、それは一生使うことがありません。謎のコード類は永遠に謎のままです。「でも何か壊れたときに必要かもしれないし……」。まったく問題ありません。なぜこんなことをいうのかというと、本当にたくさんのおうちで同じコードが重複してあるのを目の当たりにしているからです。
あまりに多くのコードがありすぎると、実際何かトラブルがあったときに選ぶのが面倒くさくなり、結局買ってしまったほうが早く解決したりします。だからこの際、自分がきっちり把握できるコードだけ残して、謎のコード類は捨ててしまいましょう。おそらくもう壊れて本体のない機械のコードなんかもたくさんまぎれているはずです。
・洋服の予備ボタン
使うことはありません。ボタンがとれるくらいきちんと愛用した洋服であれば、ボタンがとれた時点で寿命であることがほとんどです。ただし、ジャケットやコートなど、とくに自分が長く大切にしたいと思う洋服の場合は、買った時点で予備ボタンを内側に縫い付けてしまうのも手です。
ボタンがとれてしまってどうしても付け替えたい場合は、大きめの手芸屋に行けばひと通りのボタンがそろっていますから、だいじょうぶ。でも、私が現場で見た感覚だと、予備ボタンを持っているときでさえ、ボタンがとれてもそのまま着てしまっていたり、「いつかボタンを付け替えたい」といってそのまま放置してしまったりしているケースも多いような気がします。とっておいても捨てても、使わないという点でまったく同じです。
・電化製品の外箱
「売るときに箱があったほうが高く売れるから」という考えは、はっきりいって損です。箱をとっておいてある大事なスペースをたんなる物置で使ってしまうほうが、家賃として考えれば高くつきます。引っ越しするときに箱がないと不便というのも、だいじょうぶ。引っ越しするときに箱の問題は考えればいいのです。いつやってくるかわからないそんなことのために、スペースをとるわりにはまったくかわいくない箱を置いておくなんて、もったいないと思いませんか。
・壊れたテレビやラジオ
なぜだか壊れた電化製品をそのまま放置してしまっている例を、かなりの頻度で目撃しています。あたりまえですが、持っている必要性はゼロ。片づけ祭りのこの機会に、今すぐ粗大ゴミの引き取りの電話をして、処分の手続きをとりましょう。
・「永遠に来ないお客様」用ふとん
敷きぶとんに、かけぶとんに、枕に毛布にシーツ類。おふとんセット一式は、予想以上にかさばるもの。定期的にお客様が来るとわかっている場合はまだしも、年一回か二回、来るか来ないかもわからないお客様用のふとんはいりません。これもレッスンで捨ててもらうことが多いモノの代表格ですが、ほぼ問題ないようです。どうしても必要な場合は、レンタルできるふとんなどもありますので、そうしたモノを活用することをおすすめします。
実際は、久しぶりにふとんを取り出したら、カビくさくてとてもお客様に出せないような状態になっていることが多いようです。一度においをかいでみましょう。
・旅行用にとってある化粧品のサンプル
なんだかんだで一年以上使わずに置いてある化粧品のサンプル、ありませんか? しかも、いざ旅行に行くときにもなぜか選ばれないモノ、持っていますよね。化粧品サンプルの使用期限に関しては、メーカーさんに聞いたところ、二週間というところもあれば、一年間というところもあり、正直定かではありません。けれど、サンプル品は少量のモノですから、通常サイズのモノに比べてどう考えても品質の劣化は早いはず。せっかくの楽しい旅行に、古い化粧品をこわごわ使うのはチャレンジ精神が旺盛すぎます。
・流行に乗って買ったものの、放置してある健康グッズ
ダイエット用のバンド、ヨーグルトきのこ用のガラス瓶、豆乳がつくれるミキサー、乗馬の気分が味わえるダイエット器具といった、健康グッズのあれこれ。通販で買ったものの、高かったし、結局使いきれてないし、捨てるのはもったいない。その気持ち、痛いほどわかります。でもだいじょうぶ。流行モノは、買ったときの高揚感が何よりも大事です。「買った瞬間にときめきをくれてありがとう」「ほんの少し、健康にしてくれてありがとう」と声をかけて捨ててあげましょう。今あなたが元気に生きているのは、あのとき買った健康グッズのおかげだと信じながら……。
・無料だからと、つい受け取ったノベルティーグッズ
ペットボトルについていたクリーナー、学習塾の名前入りのボールペン、イベントでもらったうちわ、ドリンクを買ったらついていたマスコット、スーパーの店頭キャンペーンの抽選で当たったプラスチックのコップセット、ビールメーカーの名前入りグラス、薬の名前入りの付箋、五枚だけペラリと入った油取り紙、お正月のあいさつ回りでもらったカレンダー(筒の状態のまま)や手帳(未使用のまま半年経過)。
ときめくはず、ありませんよね。以上、迷わずに捨ててください。
衣類、本類、書類、小物類と片づけてきて、いよいよ最後は思い出品です。
なぜ思い出品が一番最後なのかというと、捨てるという判断をするのが一番むずかしいから。文字通り、思い出がいっぱい詰まっている「かつてときめいたモノたち」。それらを捨てると、大事な思い出さえも忘れてしまうような気がするものです。
でも、心配はご無用。本当に大事にしている思い出は、思い出品を捨ててもけっして忘れることはありません。もっというと、忘れてもいいような過去の思い出はとっとと忘れたほうが、これからの人生を考えると、いいと思いませんか。
私たちが生きているのは「今」です。「過去」がどんなに輝いていたとしても、人は「過去」を生きられるわけではありません。今ときめくことのほうがもっともっと大事だと、私は思います。
ですから、「思い出品」を残すか捨てるかの判断基準もやっぱりその思い出品を手で触って、「今、ときめきますか」なのです。
ある生徒さんのお話をいたしましょう。
Aさんは二人のお子さんを持つ三〇歳、ご家族五人で暮らしています。二回目のレッスンでご自宅にうかがったとき、明らかに前回よりかなりのモノが減ったようです。「Aさん、頑張りましたね! 三〇袋くらいは減ったんじゃないですか」と私が聞くと、「そうなんです!」と満面の笑みで返事をするAさん。
でも、次の言葉に耳を疑いました。
「とっておきたかった思い出のモノはほとんど、実家に送っちゃいましたから!」
実家に送る片づけ法。私もこの仕事を始めた頃は、「送る先があるのは地方に広い実家がある人の特権」なんて考えていたことがありました。当時、私のお客様は、首都圏内に住む独身の女性か、比較的若いお母さんが中心で、「実家に送っていいですか」という質問に、「送るなら、今すぐ送ってくださいね」などとさらりと答えていた時期がありました。
けれど、そんな軽はずみな発言を反省するようになったのは、地方からのお客様も増えてお客様の幅も広がり、「実家」の実態を知るようになったから。
実家という、簡単にモノを送れてしまう便利な置き場所があることは、むしろ不幸なことだと思います。たとえ田舎の部屋が充分に余っている家だとしても、そこは無限に広がる四次元ポケットではないのです。
しかも、一度実家に送ってしまった思い出品を引き取りに行くことはまずありません。一度、実家に送ってしまったが最後、その段ボールの封が解かれることは二度とないのです。
じつは、先ほどのAさんの場合、後日まさに実家のお母さんが私のレッスンを受けに来ました。つまり、お母さんを無事、卒業させるためにはAさんから送られてきた荷物も無視できないわけです。実家に行ってみると、もともとAさんの部屋だった場所には、本棚一つとクロゼットまるまる一つ、そのほかに段ボール二箱分のモノが残ったまま。要は、Aさんの部屋がほぼそのまま保存されていたのです。
お母さんのリクエストは「リラックスできる自分だけのスペースが欲しい」というもの。Aさんが嫁いだ今でも、自分だけの場所といえるのはキッチンくらいだといいます。今暮らしているお母さんのためのスペースがなくて、代わりに使ってもいない娘のモノが鎮座しているというのは、どう考えても不自然な状態だと思いませんか。
ついに私はAさんに連絡をとりました。
「Aさんの実家の荷物の片づけが終わるまでは、Aさんもお母さんも、卒業できません」
そして、Aさんの最終レッスンの日。「私、これで心置きなく余生を送れます!」といきいきとした様子の彼女。どうやら実家の自分の荷物も整理してきたようです。Aさんがあらためて段ボールの中身を見てみると、中から出てきたのは、真っ赤に燃える恋の日記、昔付き合っていた彼との写真、膨大な数の手紙や年賀状……。
「結局、捨てられないモノを実家に送ってごまかそうとしていただけでした」
「あらためて一つひとつ見てみたら、ちゃんとその時々を生きてきたんだなって思えて、『あのときはときめきをくれてありがとう』って、捨てたときに初めて過去と向き合えた気がします」
そうです。思い出のモノは、それを手で触って捨ててあげることで、人は初めて過去と向き合えるのです。タンスの引き出しや段ボールの中に入れっぱなしでは、いつまでたっても、過去の思い出に引きずられ、知らず知らずのうちに今を生きるうえで「重し」になるのかもしれません。
片づけとは、一つひとつの過去に片をつけていくこと。思い出品の片づけは、人生をリセットし、次なる一歩を踏み出すための「片づけ祭りの総決算」ともいえます。
数ある「思い出品」の中で最後に片づけるモノ。
それは、写真です。なぜ一番最後が写真の整理なのかというと、これにはもちろん理由があります。
これまで順番通りに捨てていただけたのであればお気づきの方も多いと思いますが、片づけの最中にいろんなところから写真が発掘されたはずです。たとえば、本棚の本の間だったり、机の引き出しの中だったり、小物が入った箱の中だったり。アルバムに収まっているモノもあれば、一枚だけ封筒の中に入っていたり、友だちから現像してもらった写真が透明の袋に入ったままの状態で発見されたり(これもほとんどの方がそのまま持っています)。本当に信じられないような、ありとあらゆるところから、まるで湧いてくるかのように出てきますので、これらはとりあえずほかのモノを片づけている間は一か所に集めてしまい、最後に整理したほうが断然、効率がいいのです。
写真の整理を一番最後にしたのは、もう一つ理由があります。
「触ってときめくかどうか」という判断力がついていない段階で、写真の整理を始めると片づけが止まってしまって、収拾がつかなくなるからです。
でも、衣類→本類→書類→小物類→思い出品と、「正しい片づけ」の順番を経てきたあなたなら、もうだいじょうぶ。自分でも驚くくらい、「ときめきによる判断法」が正確にできるようになっているはずです。
写真を本当の意味で整理する方法は、じつはただ一つです。ただし、多少の時間はかかります。その覚悟をもって、この方法でやってください。
それは、アルバムに入っていないバラバラの状態の写真を一枚一枚見ていく方法、これしかありません。つまり、アルバムから写真をすべて取り出すのです。
こういうと、「そんな面倒なこと、やってられない」という人がいますが、それは本当の意味での写真の整理をしたことがない人の言葉です。あのときに撮ったこの写真とか、そうした個別のモノとしてしか本来、写真は存在しません。だから、一枚ずつちゃんと見てあげること。そうすると、自分でも驚くほど、ときめくモノとそうでないモノがはっきり分かれるのが実感できるはずです。
当然、ときめくモノだけ残せばオーケーです。この方法で選んでいくと、だいたい旅行をした一日分で五枚くらいになってしまうこともあります。その日を象徴するベスト五枚もあれば、残りはありありと思い出せるものです。
本当に大切なモノはそんなに多くはありません。旅行のときに撮った、どこを写したかもわからないような「ときめき度ゼロ」の風景写真は全部捨ててしまいましょう。
写真は、撮っている間にウキウキ感を感じることができたなら、そこに意味があったわけで、プリントされた写真そのものの役割はすでに終わっているモノも多いのです。
ときおり、「老後の楽しみに写真を残しておきます」といって、未整理のままの大量の写真を段ボールのままとっておく人がいます。断言しますが、そのいつかはけっしてやってきません。
こう言い切れるのには根拠があります。そういって整理されずに持ち主が亡くなってしまった段ボール箱入りの写真たちを何度も目の当たりにしてきました。あるお客様に、「これは何の段ボールですか」と聞くと「写真です」との答え。「じゃあ最後に整理しなければなりませんね」と私がいうと、「いえ、それは亡くなった祖父のモノなのです」というのです。
これまで仕事をしてきたなかで、同じようなやりとりを何度したか数えきれません。そのたびに、私はやりきれない気持ちになります。老後になっても、昔の写真を整理しているようではいけないと思うのです。
老後の楽しみに、というのであれば、今すぐ整理をしてしまいましょう。老後になって重い段ボールの箱を移動したりするより、そのときにすぐに昔を振り返れるような状態にしておくべきです。
この段ボール分のスペースが、その人が生きているときに空間として存在していたのなら、どれだけ一日一日が豊かになっていただろうと思うと、とってもせつない気分になります。
写真と同様、なかなか捨てづらいのが、子どもとの思い出品です。「おとうさん、ありがとう」と書かれた、父の日のプレゼント。職員室の前に貼り出された息子の絵。娘がプレゼントしてくれた手づくりの灰皿。こうしたモノが今でもときめくのであれば、もちろんとっておいてもいいと思います。でも、捨てるのは子どもに悪いから、と思って残していたのであれば、一度、大人になったお子さんに聞いてみてください。きっと、「まだ、持っていたの? 早く捨てなよ」といってくれるはずです。
ほかにも、あなた自身が子どもの頃の通信簿や卒業証書、まだ持っていませんか。
以前、お客様自身の四〇年前のセーラー服を発見したときは、さすがに私も胸がキュンとしてしまいましたが、これもやっぱり捨てるべきです。
昔付き合っていた人からもらった手紙も全部捨ててしまいましょう。手紙の一番の役割は、受け取った瞬間にあるのです。そもそも、手紙を出した本人は、何を書いたかはもちろん、出したことさえ忘れているかもしれません。昔付き合っていた人からもらったアクセサリーは、モノ自体に純粋にときめいていれば持っておいてオーケー、彼が忘れられないから、という理由であれば処分をおすすめします。そうしないと、新たな出会いに巡り合うチャンスを見逃してしまいます。
大切なのは、過去の思い出ではありません。その過去の経験を経て存在している、今の私たち自身が一番大事だということを、一つひとつのモノと向き合うことを通じて、片づけは私たちに教えてくれます。
空間は過去の自分ではなく、未来の自分のために使うべきだと、私は信じています。
お客様の家を片づけていて遭遇する驚きには、二種類あります。モノの存在自体に驚くケースと、モノの量に驚くケース。
モノの存在に驚くのは、毎回です。たとえば、歌手の方が使っている音楽をつくる機械だったり、お料理好きの方が持っている最新の調理器具だったり、「こんなモノがあるんだ!」と、それこそ「未知との遭遇」の連続。でもまあ、お客様の趣味も職業もさまざまなので、初めて見るモノがあるのはある意味、あたりまえです。
本当の意味で驚くのは、ふつうの家庭で、誰でもあたりまえのように持っているモノを信じられない量で発見したとき。つまり、大量のストックです。
私は仕事をするとき、お客様の家にだいたいどれくらいのモノがあってどれくらい減ったのかをざっと記録してあるのですが、なかでも「モノ別・ストック量ランキング」は次々に新記録が更新される、もっとも注目度の高いランキングです。
たとえばあるお客様の家で発見されたのは、大量の歯ブラシ。ちなみにそれまでのストック記録は最高三五本でした。その時点では、「ちょっと、ストックしすぎですよー」と、うふふと笑ってすんだのですが、出てきたのはそんな記録をあっさり塗り替える、六〇本。洗面所の下に収納された箱の中にズラリとそろう歯ブラシたちはある意味、芸術的ですらありました。ここまで堂々と並べられると、ひょっとしてものすごい「筆圧」ならぬ「歯みがき圧」で瞬時にブラシを消耗してしまうのだろうかとか、歯一本一本を全部違う歯ブラシで磨き分けているのだろうか……と、何かしらの合理的な理由をマジメに推測してしまうのが、人のおかしなところです。
ほかにも、キッチンの定番ラップでは、ストック三〇本。シンクの上の棚の扉を開けると、一面がレゴみたいに真っ黄色。「ラップは毎日使うから、激しく消費するんですよ」とお客様はいいますが、週に一本使っても半年以上持つ計算です。一般的なサイズのラップは一本二〇メートル。週に一本使いきるためには、直径二〇センチのお皿を余裕をもたせて包んだとしても六六回は使わなければいけません。六六回分、クルッ、ピッとする作業を想像しただけで手首が腱鞘炎になりそうです。
そしてトイレットペーパーのストックでは、八〇ロール。「お腹がゆるくて……すぐ使いきっちゃうんですよ」とお客様はいいますが、一日一ロール使っても三か月近く持ちます。一日中お尻を拭きつづけても使いきれるかあやしいところ。お尻が切れるかトイレットペーパーが切れるか、体を張った我慢勝負を毎日繰り広げる、だなんて考えたら、片づけ術の伝授よりも軟膏をプレゼントしたくなります。
極めつきは綿棒のストック、なんと二万本。二〇〇本入りの箱が一〇〇箱出てきました。一日一本使ったとしても、使いきるのにじつに五五年。ここまでくると、空になる頃にはものすごい耳かきの技法が編み出されているかもしれない、なんて最後の一本を使う日に思いをはせて、丸めた綿がお坊さんの頭のように神々しく見えてくるものです。
まるで冗談みたいな話ですが、これらはすべて事実です。不思議なのは、ほとんどの人がそれだけの量を持っていたことに片づけをして初めて気づくこと。そして、これだけ持っているにもかかわらず、いつも「足りない」「ストックが切れたらどうしよう」という不安を感じているのです。
ストックというのは、これだけ持っていれば安心、という量はないのだと思います。逆に持っていれば持っているほど、それが切れることを恐れて、不安になってしまうもの。まだストックが二個余っているのにさらに五個買い足してしまったりしてしまう……こんな例もしょっちゅうあるようです。
お店ならともかく、家庭の中でストックが切れて困ることってそうそうないと思うのです。あったとしても、せいぜい「あら困ったわ」程度で、取り返しのつかないことなんて絶対にありません。
こうして発見された大量のストックたち。どうするのかというと、どうもせずそのまま使っていただくしかありません。でもじつは、ストックしすぎで劣化したモノもあり、もったいないことに捨ててしまうケースもけっこうあるのです。
私が一番おすすめしているのは、過剰な分のストックは一度人に譲る、寄付をする、リサイクルショップに売るなどして、手放してしまう方法。「そんな、一度買ったモノなのにもったいない」と思うかもしれませんが、一度自分が身軽になって、ストックを限界まで減らした生活を送ってみるのが、手っ取り早く片づけられるようになる一番の近道ではあります。
この余計なストックのない生活を一度経験すると、そのあまりの解放感がやみつきになり、その後はまったくストックがたまらなくなるのです。むしろストックが切れてしまったとき、どれくらいの期間買わずに過ごせるか、ほかのモノを代用してみたり省略してみたり、「いろいろ工夫したりする楽しみが生まれて、生活が楽しくなりました」とは、お客様からよく聞く言葉です。
大事なのは、まず今、自分が持っているストックの量を把握すること、そして、必要最小限のストックに絞ることです。
「モノ別」に「正しい順番」で、「ときめくモノ」だけを残す。
これを、「一気」に「短期」に「完璧」にやり遂げる。
すると、どうなると思いますか。まず、持ちモノが激減しているはずです。そして、何よりも、かつて感じたことのない爽快感を味わい、これからの人生に対する自信を手に入れているはずです。
ところであなたは、自分の持ちモノの適正量をご存じでしょうか。
おそらく、ほとんどの方がご存じないはずです。とくに日本で暮らしていれば、生まれたときから適正量以上のモノが与えられた状態で暮らしているといって間違いありません。自分が何をどれだけ持っていれば快適に暮らせるのか、想像もつかない方が多いのではないでしょうか。
片づけをしてモノを減らしつづけていると、あるとき、自分の適正量に気づく瞬間が訪れます。これは、感覚ではっきりとわかります。突然、頭の中がカチッと鳴って、それと同時に、「ああ、私って、これだけのモノを持っていればまったく問題なく暮らせるんだな」とか「これだけあれば幸せに生きていけるんだな」という感情に、体が包み込まれる瞬間がやってくるのです。
私はこれを「適正量のカチッとポイント」と呼んでいます。不思議なことに、このカチッとポイント、一回通過すると、その後は絶対にモノが増えなくなります。だから、絶対にリバウンドしないのです。
はっきりいって、適正量は人によってさまざまです。靴が大好きで一〇〇足持っているという人もいれば、とにかく本さえあれば幸せという人もいます。私のように外出着よりも部屋着ばっかり持っていますという人もいれば、部屋ではハダカで過ごしているので部屋着はありませんという人もいます(意外に多い)。
片づけをしてモノを減らしていくと、生活の中で自分が何を重視しているのか、価値観がはっきり見えてきます。とにかくモノを減らすとか効率的に収納するとかを追求するのではなく、ときめきでモノを選んで、自分基準で生活を楽しんでみる。片づけをする醍醐味って、こういうことではないかと思うのです。
もし、まだ「適正量のカチッとポイント」がきていない気がしたら、まだまだモノを減らしてもだいじょうぶということ。自信を持って減らしつづけましょう。
「モノを触ったときのときめきで判断してください」
「ハンガーにかける服の基準は服が喜んでいそうなモノです」
「どんなに捨ててもだいじょうぶ。適正量がカチッとくるポイントが訪れます」
ここまでお読みいただいてお気づきの方もいらっしゃると思いますが、私のお伝えしている片づけ法は、感情が基準です。
「ときめきで判断する」だの「適正量はカチッとくるのでわかります」だの、表現が抽象的で戸惑う方も多いかもしれません。
これまでの片づけ法の多くは、「二年使っていなかったら捨てる」「適正量はジャケット七枚・ブラウス一〇枚……」「一つモノを買ったら、一つ捨てましょう」と、「理想とされる数」が明確に示されてきました。
でも、これこそがリバウンドを繰り返してしまう原因だと私は考えています。他人が示した基準に自動的に従っていくノウハウ型の片づけでは、たとえ一時的にきれいになったとしても、それが自分の心地よさの基準に合っていなければ、結局元に戻ってしまうのです。
人がどんな環境に囲まれていると幸せかは、その当人にしか決めることはできません。モノを持つ・選ぶという行為は、きわめて個人的な行為だからです。
もう二度とリバウンドしたくないのなら、あなたの基準をあなた自身でつくっていく片づけ法を身につけるべきです。
だからこそ、一つひとつのモノに対して「自分がどう感じるか」に向き合っていくことがきわめて大事なポイントとなるのです。
たくさんのモノを抱え込んで捨てずに持っているからといって、モノを大事にしているわけではありません。むしろ、その逆です。自分がきちんと向き合える量に絞り込むことによって、モノと自分との関係がいきいきとしてくるのです。
モノを捨てたからといって、これまでの人生で経験してきた事実や自分のアイデンティティが消えるわけでもありません。自分がときめくモノを選び抜く作業を通じて初めて、私たちは自分が何を好きで何を求めているのか、はっきりと感じとることができるのです。
一つひとつのモノと真っ正面から向き合うことで、モノは私たちにいろんな感情をまざまざと呼び起こしてくれます。そのとき感じた、その感情は本物です。その感情こそが、これから生きていくエネルギーに転換されていくのです。
ときめくかどうか。心にたずねたときの、その感情を信じてください。
その感情を信じて行動すると、本当に信じられないくらい、いろんなことがどんどんつながりはじめ、人生が劇的に変化していきます。
まるで、人生に魔法がかかったかのように。
片づけは、人生がときめく一番の魔法なのだと、私は信じています。