一度はきれいに片づけたつもりでも、三日もすると散らかってくる。そこに次々とモノが増え、気がつけば部屋は元通り。片づけのリバウンドを繰り返してしまうのは、いつまでも間違った方法で中途半端に片づけを続けてしまっているからです。
片づけのリバウンドがもたらす「負のスパイラル」から抜け出すための方法はただ一つ。片づけを、効率よく一気に進め、できるだけ短期間に、そして一度でいいので完璧に片づけられた状態をつくってしまうことです。
ではなぜ、「一気に、短期に、完璧に片づける」ことで、正しいマインドが身につくのでしょうか。
片づけを完璧に完了させると、目の前の景色はガラリと変わります。それはもう、住む世界が一瞬にして変わったのではないかというくらい、圧倒的で劇的な変化です。
そして、誰もが感動しながら、決意をあらたにするのです。
「二度と、以前のような部屋には住みたくない」と。
ここで大事なのは、意識が一瞬で変わるくらいのショックを実感するために、変化は短期間で起こさなければならないということです。少しずつ長い期間をかけて、では効果がありません。
「一気」に変化を起こすためには、一番効率のよい方法で片づけを進める必要があります。もたもたしていると、「朝から始めたのに、ハッと気づけばもう夕方……」「そのわりに、部屋はちっとも変わっていない……」と、時間ばかりが過ぎて体が疲れ、やがて片づけ自体がイヤになってしまいます。こうなると中途半端な状態で「やーめた」と投げ出したくなり、結局また元のリバウンド地獄にはまってしまうのです。
「短期」とは、私の個人レッスンの場合、最長で半年程度。長いと思われるかもしれませんが、一生のうちの半年間です。けっして長くはありません。この半年間が過ぎて完璧な状態を経験したあとは、二度と「ああ、片づけられない。自分はダメな人間だ」と悩むことなく生きていけます。
効率よく片づけを進めるために死守していただきたいのは、絶対に手順を間違えないこと。片づけで必要な作業は、「モノを捨てること」と「収納場所を決めること」の二つだけですが、捨てる作業が必ず先です。さらに大事なのは、それぞれの作業をきっちり分けること、そして、一つの作業をやりきってから次の作業にいくこと。
「捨てる」作業が終わるまでは、収納について考えてはいけないのです。
多くの人が、片づけがなかなか進まないことに悩む原因は、ここにあります。捨てる作業をしている最中に、「これはどこに収納したらいいんだろう」「この棚になら収まりきれるかな」と、収納のことにあれこれ思いをめぐらせてしまい、モノを捨てる手が止まってしまうから。収納場所については、「捨てる」が終わったあとに検討すればいいのです。
片づけのコツは「一気に、短期に、完璧に」。そして、「まずは『捨てる』を終わらせる」。これが私の結論です。
モノの収納場所を考えるより前に、まずはモノを捨てることがいかに大事かということはわかりました。しかし、何の考えもなしにいきなりモノを捨てはじめてしまうのは、それこそリバウンド地獄に自ら身を投じるようなものです。
そもそも、あなたが片づけをしようと思ったきっかけは何だったのでしょう? この本を手にとったのも、必ず理由があるはずです。片づけをすることで、いったい何を手に入れたいのだと思いますか。
つまり、片づけをする目的を考えること。モノを捨てはじめる前に、一度じっくり、片づけの目的を考えることに取り組んでみてください。これは「理想の暮らしを考える」とも言い換えられます。このステップを飛び越えて片づけを始めてしまうと、片づけの進みが遅くなるどころか、リバウンドの確率は格段に高くなってしまいます。
「スッキリ暮らしたい」とか「とにかく片づけられるようになりたい」ではまだ甘い。もっと深く深く、考える必要があります。自分が「片づいた部屋で生活している様子」がありありとイメージできるくらい、具体的に考えることです。
お客様のSさん(二〇代)が私のところに相談に来たとき、初めて口にした言葉はこうでした。
「こんまりさん、私、もっと『乙女な生活』がしたいんです」
実際に見た彼女のお部屋は、いわゆる「汚部屋」。七畳ほどの部屋には、つくりつけの押し入れサイズのクロゼットのほかに、大きさがまちまちの棚が三つ。収納は充分あるはずなのに、どの角度を向いても視界に飛び込むモノ、モノ、モノ……。まず、すべての収納がパンパンで扉が閉まらず、チェストの引き出しからは景気のいいハンバーガーのように中身が飛び出しています。出窓のレールには洋服がびっしりかかり、もはやカーテン不要。そして、床はもちろんベッドの上まで、雑貨が入ったカゴやら、書類が詰まった紙袋やらで埋めつくされる始末です。Sさんは会社から帰宅すると、夜はベッドの上のモノを床に落として眠り、起きたら床のモノをベッドに戻して道を確保して出社、という毎日を送っていました。ある意味、マメな生活といえますが、たしかに「乙女」のそれとはかなり違うようです。
「乙女な生活というと……。具体的には、どのような生活ですか?」
私が聞くと、しばらく考えてSさんは答えました。
「たとえば、仕事から帰ってきたら、夜寝る前に……」
「床に何にも置いていない、視界にモノが入らないホテルみたいなスッキリとしたお部屋で……」
「ピンクのベッドカバーに、白いアンティーク調のランプがあって」
「お風呂上がりに、アロマを焚いて」
「ピアノとかバイオリンとかのクラシック音楽をかけながら」
「ハーブティーを飲みながら、ヨガをして」
「ゆったりとした気持ちで、眠りにつきたいんです」
なんだか、実際に暮らしている映像が浮かんできませんか。ここまで具体的に「理想の暮らし」を妄想してみることが重要です。
そこまではっきりイメージするのはむずかしい、自分がどんな暮らしがしたいのかわからない、という場合は、インテリア雑誌などで自分のピンとくる写真を探してみましょう。モデルルームを見に行くのもおすすめです。いろいろなおうちを見ているうちに、自分の好みのテイストがわかってきます。
ちなみにSさんはレッスンを終えたあと、「お風呂上がりのアロマクラシックヨガ生活」を本当に続けています。床の見えない地獄の汚部屋から無事生還して、憧れの「乙女な生活」を手に入れたわけです。
さて、片づけ後の「理想の暮らし」がイメージできたら、さっそく次のステップ「モノを捨てる」に進んでよいかというと、まだ早い。あせる気持ちはわかりますが、たった一回の片づけ祭り、けっしてリバウンドしないためにも一つずつていねいに進めていきましょう。
次にするのは「なぜ、そんな暮らしがしたいのか」を考えること。自分の理想の暮らしのイメージメモを見返して、あらためて考えてみてください。
なぜ、寝る前にアロマを焚いて過ごしたいのですか? なぜ、クラシック音楽をかけながら、ヨガをしたいのですか。
「寝る前にリラックスしたいから……」「ヨガでダイエットをしたいから……」
ではなぜ、寝る前にリラックスしたいのですか? なぜ、ダイエットをしたいのですか? 自分が出した答えについて、「なぜ」を最低三回、できれば五回は、繰り返してください。
「仕事の疲れを次の日に持ち越さないように……」
「やせてきれいになりたいから……」
このように「自分の理想の暮らし」の「なぜ」を突き詰めていくと、ある単純なことに気づきます。
結局、モノを捨てることも、モノを持つことも、「自分が幸せになるため」にすることなのです。とってもあたりまえのことのようですが、このことを今一度、自分で考えて納得して、腹にストンと落ちるようにすることが大切です。
なぜ片づけをするのか。片づけを始める前に自分の理想の生き方に向き合い、考えること。そこで出した答えをもとに、いよいよモノを見極めるステップに入っていきましょう。
あなたは、何を基準に「捨てるモノ」を選んでいますか?
捨てるにもいくつかのパターンがあります。たとえば、「完全に壊れて動かなくなったから」「セットで使うモノの片割れがなくなったから」など、モノ自体の機能が果たせなくなった場合や、「デザインが古くなってしまったから」「イベントの時期が過ぎた」など、旬の時期が過ぎてしまった場合です。このように捨てる理由が明確なモノはまだ簡単です。むずかしいのは、積極的には捨てる理由がとくにないモノでしょう。だからこそ、「なかなかモノが捨てられない」という悩みに対して、「一年使わなかったら捨てる」「一時置きのボックスをつくって半年に一度チェックする」などの「捨てる仕組み」で解決する方法がたくさん提示されてきたわけです。
でも、そもそも「捨てるモノをどう選ぶか」が主題になってしまっている時点で、片づけのピントは大幅にズレていると思ってください。そのまま片づけを進めるのは、あまりに危険です。
かつての私はまさに「捨てるマシーン」でした。一五歳のときに『「捨てる!」技術』という本を読んで、「捨てること」に開眼して以来、私の片づけ研究はどんどんエスカレートし、その好奇心はとどまることがありませんでした。きょうだいの部屋だったり、学校の共用ロッカーだったり、新しい場所を見つけてはこっそり一人でお片づけ。頭の中は片づけることでいっぱいで、どんな場所でも自分は片づけられると、何の根拠もない自信にあふれていました。
当時の私の関心事は「いかに捨てるか」。二年着なかった服は捨てる、一つモノを買ったら一つ捨てる、迷ったらとりあえず捨ててみる。読みあさった片づけ本に書いてある、ありとあらゆる基準でモノを捨てつづけ、一か月に三〇袋近くのモノを捨てていたこともありました。でも、いくら捨てても、家も部屋もどうもスッキリしないのです。それどころか、なぜかストレスばかりがたまって、また一気に買い物をしてしまう。もちろんモノは一向に減りません。
家にいる間じゅう、「何か捨てられるモノはないか」「余計なモノはないか」と、「邪魔者」探しに神経をすり減らし、使っていないモノを見つけようものなら「こんなところにいたのか!」と憎らしさいっぱいにつかんでゴミ袋に放り込む。そんな状態でしたから、部屋にいてもピリピリしていて、まったく気が休まることはありませんでした。
ある日のことです。学校から帰ってきた私がいつものように片づけをしようと、自分の部屋のドアを開けると、相変わらずの雑然とした空間。それを見たとたん、頭の中でプツンと何かが切れてしまいました。
「もう、片づけしたくない……」
三年間でずいぶんモノは減ったはずの、でも居心地は最悪の部屋の真ん中で、あぐらをかいて座り込み、腕を組んで考えました。
「どうしてこんなに頑張っているのに片づけられないんだろう? 誰か、教えて!」
誰にいうでもなく、ワラにもすがるような気持ちで心の中で叫びました。
そのとき、ふと部屋の中で「モノをもっとよく見なさい」という声が響いた気がしました。
「モノ? 毎日穴があくほど見てるってば……」
ぼんやりと頭の中でつぶやきながら、そのまま私は部屋の床で、気絶するかのように寝てしまいました。
当時の私がもう少し賢かったら、こんなふうに片づけノイローゼで気絶なんかする前に気づいていたはずなのですが、「捨てる」ことだけを考えて片づけをすると、不幸になります。なぜなら、本来片づけで選ぶべきなのは、「捨てるモノ」ではなくて「残すモノ」だからです。
「モノをもっとよく見なさい」。目が覚めたとき、その声の意味がはっきりわかりました。それまで私は「捨てるモノ」にだけ注目して「邪魔者」を攻撃するばかりで、本当に大切にするべき「残すモノ」を大切にできていなかったのです。
モノを選ぶ基準について、私が出した結論はこうです。
「触ったときに、ときめくか」
モノを一つひとつ手にとり、ときめくモノは残し、ときめかないモノは捨てる。モノを見極めるもっとも簡単で正確な方法です。
「なに、そのあいまいな基準は?」と首をかしげた方もいらっしゃるかもしれません。おそらく、読んでみただけではわからない方も多いと思います。
ポイントは、必ず触ること。たとえばクロゼットのドアを開けて、かかっている洋服を眺めて、「うん、まあ、全部ときめくかな」ではいけません。「一つひとつ手にとって、触れてみること」が重要です。モノを触ったときの、体の反応を感じてみると、モノによって明らかに反応が変わってきます。だまされたと思って実践してみてください。
「そのモノを触ったときに、ときめくか」。この基準には根拠があります。そもそも、何のために片づけをするのでしょう。結局、お部屋も持ちモノも「自分が幸せになるため」にあるのでなければ意味がないと私は思います。
だから、モノを残すか捨てるか見極めるときも、「持っていて幸せかどうか」、つまり、「持っていて心がときめくかどうか」を基準にするべきなのです。
心がときめかない服を着て、幸せでしょうか。
積ん読したままの、心がときめかない本に囲まれていて、幸せを感じますか。
けっして身につけることはないとわかっているアクセサリーを持っていて、幸せな瞬間が訪れるでしょうか。
答えは「いいえ」のはずです。
心がときめくモノだけに囲まれた生活をイメージしてください。それこそ、あなたが手に入れたかった、理想の生活ではありませんか?
心がときめくモノだけを残す。あとは全部、思いきって捨ててみる。
すると、その瞬間から、これまでの人生がリセットされ、新たな人生がスタートするのです。
家の中にある一つひとつのモノに対し、「ときめき」を基準に見極めていくことが、片づけの中で一番大事なステップになります。では、この基準で、実際にモノを減らしていくためには、どのように進めていけばよいのでしょうか。
まず、絶対にやってはいけないのは、場所別に捨てはじめてしまうこと。「寝室を片づけ終わってからリビングに手をつけよう」「引き出しを上から一段ごとに見ていこう」とつい考えてしまいがちですが、これは致命的な間違いです。なぜなら、モノのカテゴリーごとに収納場所がきちんと分かれていることはとても少ないからです。ほとんどのご家庭で、同じ種類のモノでも二か所以上の場所に分散した収納をしてしまっているといって過言ではありません。
場所ごとに手をつけてしまうと、たとえば寝室のクロゼットに収納してある自分の洋服の見極め作業を完結させても、別の部屋の収納に何着か交ざっていたり、リビングのイスに上着がかかりっぱなしになっていたり、あとから同じカテゴリーのモノがバラバラ出てきてしまうことが往々にして起きます。これだと判断するのも収納するのも二度手間で、時間もかかるし、「残す」「捨てる」の正確な判断もできません。これが二回も続くと片づけのやる気自体が失われかねないので、なんとしても阻止するべきです。
そのためには、必ず「モノ別」で考えること。モノを見極めるときは、同じカテゴリーのモノをまとめて一気に判断しなければいけません。
たとえばあなたの洋服を整理する場合は、家じゅうにあるあなたの洋服を一度に判断していきます。コツは、「収納から一つ残らず出して、一か所に集める」ことです。
具体的な手順はこう。まず、「洋服を整理する!」と決めます。次に家じゅうにある洋服を一つ残らず集めます。集めたすべての洋服を床のどこか一か所に広げて山積みにします。それらを一つひとつ手にとって、ときめくモノだけを残します。このような手順を踏んで、カテゴリーごとにあらゆるモノを判断していきましょう。洋服の量が多い場合は、トップス・ボトムス・靴下・下着など、さらに細かくカテゴリー分けして、一つひとつ見極めていきます。
なぜ、モノを一か所に集めることが大事かというと、今自分がどれだけのモノを持っているかを正しく認識する必要があるからです。たいていの方が、「こんなにモノを持っていたのか……」と予想以上の量にショックを受けますが、だいたい自分が想像していた二倍以上であることが多いようです。また、一か所に集めることで、同じようなデザインのモノをいくつも持ってしまっている場合、比較ができ、「残す」「捨てる」の判断がしやすくなります。
わざわざモノを収納から出して床に広げることにも意味があります。モノが引き出しなどに入ったままの状態は、いわゆる「モノが寝ている」状態。じつはこれだと、「ときめいているか」どうかの判断がしにくくなるのです。収納から出して空気に触れさせることで「モノを起こす」と、驚くほど自分のときめきの感覚がはっきりするようになります。
同じカテゴリーのモノをまとめて一気に判断することは、最短で片づけを進めるための一番のポイントです。ですから、「同じカテゴリーのモノ集め」はもれなく抜かりなく行ってください。
「今日は片づけの日!」と気合いを入れて予定を開けていたはずなのに、気がつくとほとんど終わらないまま日が暮れる週末。ハッと気づいて時計を前に自己嫌悪におちいるとき、手元にあるのはたいていマンガや本か、アルバムなどの思い出グッズなのではないでしょうか。
片づけは、部屋別ではなくモノ別に、そして同じカテゴリーのモノはまとめて一気に判断していくことが、スムーズにモノを捨てるコツだということがわかりました。だからといって、どのカテゴリーから手をつけはじめてもよいわけではありません。「残す」「捨てる」の判断をするのにも難易度の違いがあるからです。片づけがどうにも途中で止まってしまうという人の話をよく聞くと、その多くが難易度の高いモノから手をつけてしまう傾向にあるようです。
まず、写真などの思い出品は、片づけ初心者が最初に手をつけてもよいシロモノではありません。量が多いうえ、残すか捨てるかを選ぶのがとってもヘビーだからです。
マジメな話をすると、モノには物体としての価値のほかに、「機能」「情報」「感情」の三つの価値があります。ここに「希少性」の要素が加わることによって、捨てる難易度が決まってきます。つまり、人がモノを捨てられないのは、まだ使えるから(機能的な価値)、有用だから(情報的な価値)、思い入れがあるから(感情的な価値)。さらに手に入りにくかったり替えがきかなかったりする(希少価値)と、ますます手放せなくなるわけです。
モノ別に一気に「残すか、捨てるか」を判断するときは、はじめに難易度の低いモノから始めて、片づけにおける判断力を段階的に身につけていくほうがスムーズに進みます。
たとえば洋服は、一般的に希少性が低いため捨てる難易度は低く、一番はじめに手をつけるのに最適。逆に写真や手紙などの思い出品は感情的な価値に加え、希少性が高く、捨てる難易度が高いため、最後に回します。とくに写真の場合、片づけをしている最中に思わぬところ(本や書類のすき間など)からバラバラ出てくるケースが多いため、一番最後に持ってくるのがベストです。
つまり、「スムーズに捨てるための、基本の順番」はこう。はじめに衣類、次に本類、書類、小物類、そして最後に思い出品。この順番がベストです。捨てる難易度に、その後の収納の難易度も加味して出した、私の結論です。
この順番で片づけていくことで、誰もが心がときめくかどうかの感覚を自然と磨いていくことができます。
モノを捨てる順番を変えるだけで、残すか捨てるかの判断スピードが格段に速くなるのですから、試してみない手はないと思いませんか。
一気にモノを捨てる作業をすると、いくつものゴミ袋がそれこそ山のように部屋に積み上がることがあります。そんなとき、地震と同じくらい注意していただきたいことが一つ。それは、母親という名の、愛ある不用品回収業者の登場です。Mさん(二〇代独身)のお宅でも、その事件は起きてしまいました。
家族四人暮らしのMさんは、小学生のときに引っ越して以来、同じお部屋で暮らして一五年。もともと洋服が好きだったことに加え、歴代の制服たちや学園祭の思い出のTシャツなどの年代モノが箱に入って部屋のあちこちに置かれ、床はほぼ見えない状態でした。そこから一気に片づけること五時間。結局その日は、洋服が八袋、本が二〇〇冊、その他ぬいぐるみや子どもの頃につくった作品や、合計一五袋分は出てきたでしょうか。すっかり畳が見えるようになった部屋のドアの脇に、ゴミ袋やら段ボール箱やら捨てるモノを集め、「さてMさん。最後に、ゴミを捨てに出すときの大事なコツを一つ、お伝えします。絶対に……」と私がいいかけたそのときです。
「あれ、ずいぶんきれいになってるねえ」。ガチャリとドアが開き、麦茶を載せたお盆を手に持ったお母さんが入ってきました。内心、「まずい……」とあせる私。部屋の真ん中のローテーブルにお盆を置き、「ほんと、うちの娘がどうもすみませんね」とお辞儀をして、くるりと部屋のドアに向かうお母さん。「あらま」。当然、ゴミ袋の山に気づきます。「あんた、これ、捨てるの?」とお母さんが指さしたのは、ゴミ袋の山に立てかけてあったピンクのヨガマット。
「うん、だって二年くらいほとんど使わなかったもん」
「そうなの、じゃあお母さんが使うわね。あら、これも……」
積んであるゴミ袋をガサゴソ探しはじめたお母さんは、結局、ヨガマットのほかにスカート三着とブラウス二枚、ジャケットを二着にいくつかの文房具をお持ち帰りして、あっという間に部屋を出ていったのでした。
静かになった部屋で出された麦茶を飲みながら、「お母様は、どれくらいの頻度でヨガをされるんですか?」と私が聞くと、Mさんは「ポーズをとっているところ、一度も見たことありません」とポツリ。
じつは先ほど私がいいかけたのは、「捨てるモノは家族に見せないで」ということ。出たゴミ袋はできるかぎり自分でゴミ捨て場まで持っていき、何をどれくらい捨てたかの詳細はあえて家族に教える必要はありません。とくに両親にはまず見せないことをおすすめします。別に悪いことをしているわけではないので、コソコソする必要は本来ないのですが、子どもが捨てるゴミの山を見るのは、親にとってはとてつもないストレスになることがあるからです。
「こんなに捨てて、この子、だいじょうぶなのだろうか……」という不安に加え、昔、自分が買い与えたぬいぐるみや洋服が処分されていくのを見るのは、子どもの自立や成長という点で見れば喜ばしいことと知りながらも、やはり少しさみしいものです。
「捨てるモノを見せない」のは、気づかいという意味もありますが、何よりもご家族のモノを増やさないために大事なことです。そもそも、ご家族自身もこれまでそのモノを持っていない状態でずっと暮らしていて、何の不自由もなかったはずです。それがうっかり捨てられてゆくモノを見せてしまったばかりに、もったいないと罪悪感を感じさせ、結局引き取らせて不必要な持ちモノを増やしてしまうのは、本当は罪なことだと私は思います。
このケースは圧倒的に「娘のモノを母が引き取る」ことが多いのですが、たとえば母親が娘からもらった洋服を活用できていることはほとんどありません。五〇代、六〇代のお客様の片づけのレッスンをする際も、娘からもらった洋服は結局あまり着ずに捨ててしまうことがほとんどなのが実情です。娘を思う愛情が母親自身の負担になるような事態は、避けられるのなら避けるべきです。
もちろん自分が使わないモノを家族が活用すること自体が悪いわけではありません。
ご家族が同居されているのであれば、「近々買う予定のモノ、あるかしら?」と片づけの前にあらかじめ聞いておきましょう。捨てている最中にぴったりのモノが見つかった場合のみ、それをプレゼントすればよいのです。
「私が片づけても、家族が散らかすんです」
「夫がモノを捨てられない人で……。どういえば捨ててもらえますか?」
理想のおうちを目指そうにも、いっしょに住む家族が片づけられないのって、悩ましいですよね。この問題に関しては、私も数々の失敗を繰り返してきました。
私はかつて片づけにのめり込むあまり、自分の部屋だけでなく、きょうだいの部屋や家族のスペースまできれいじゃないと気がすまず、いつも「片づけられない家族」にイライラしていました。なかでも悩みのタネは、家の中心にあるウォークインクロゼット。家族共用で使っていたのですが、私から見れば半分以上がいらないモノだらけ。ポールには一度も着ているのを見たことがない母の洋服や、明らかに型が古くてもう着られないような父のスーツがぎっしりかかり、床には兄のマンガが入った段ボールが積み上げられています。
タイミングを見計らっては、「これ、使っていないよね?」と聞いてみるも、答えは「いやいや、使うよ」「今度捨てるよ」の一点張り。しかし、いつまでたっても捨てる気配はありません。「どうして私が家をきれいにしようとしてこんなに頑張っているのに、家族はいらないモノをため込むんだろう」とクロゼットを見るたびにため息をついていました。しかし、すでに「片づけのヘンタイ」を自覚していた私がここであきらめるはずがありません。
イライラが募った末に私がとった戦法は、「こっそり捨て片づけ法」。まず、モノのデザイン、ホコリのかかり具合やにおいなどを基準に、長年使われていないだろうモノを見極めます。それらのモノをいったん、クロゼットの奥に移動させて様子を見ます。モノがなくなったことに家族が気づかないようであれば、少しずつ、間引くようにしてモノを捨てていきます。この方法を三か月ほど続け、捨てたモノは合計ゴミ袋一〇袋以上になりました。
はっきりいって、ほとんどの場合、気づかれません。しばらくは平穏無事に日々を過ごすことができました。でも、それだけ捨てれば、さすがに一つや二つ、気づかれてしまうモノがあるものです。
家族に指摘されたときの私の反応は、ひどいものでした。「あれ、あのジャケット、どこだっけ」と聞かれれば、「いや、知らないよ」と基本はしらを切り通す。「まりちゃん、あなた、勝手に捨てたでしょう?」と問い詰められても、「捨ててません」としらばくれる。これで、「ああそうか、まあどこかにあるのかな」とあきらめてもらえるレベルなら、「捨てても問題のないモノだ」という論理です。さらに「絶対ここにあったはず。二か月前にこの目で見た」と、いよいよごまかせないとなったら素直に謝るのかといえばそうではなく、「どうせ使わないモノなんだから、いいじゃない!」などと開き直る始末です。人のモノを勝手に捨ててしまっておきながら、反省するどころか、「捨てられないアナタの代わりに、私が捨ててあげたのよ」くらいに思い、平然としていました。今から考えると、とんでもない傲慢さです。
当然ながら家族から大変な非難と抗議を受けた末、ついに私に「片づけ禁止令」が言い渡されました。
こんな法令を家族に発令させてしまう前に、昔の自分に強めのビンタでもして、やめさせたいくらいなのですが、人のモノを勝手に捨てるのは、やっぱり非常識です。「こっそり捨て片づけ法」はたしかに気づかれないことも多いのですが、それが露呈したときの家族の信頼関係に入るヒビを考えると、あまりにハイリスク。そもそも人として間違っている行為のような気がします。何よりも、家族が片づけられるようにしたいのなら、もっとラクな方法があるのです。
「片づけ禁止令」施行後、自分の部屋以外に片づける場所がなくなった私は、しかたなくあらためて部屋を見回してみました。すると、ある意外な事実に気がつきました。私のクロゼットの中には、それこそ「一度も着たことがないようなシャツ」や「もう着られないような型の古いスカート」がまだ残っていて、本棚からは「もう捨ててもいいかな」と思える本がいつもよりたくさん見つかったのです。
要は、家族に対してぶうぶう文句をいっていたことと、まったく同じことをしていたわけです。「まだまだ人に指摘できる立場じゃないな」と、あらたに出したゴミ袋を前に、しばらくは自分の片づけに集中することを心に誓いました。
変化が起きはじめたのは、それから二週間ほどたった頃。あれほど不満をいってもかたくなにモノを捨てることを拒んでいた兄が、本類を一気に整理しはじめたのです。そのとき処分した本は一日で二〇〇冊以上。すると両親や妹も、少しずつですが、服や小物など自分の持ちモノを見直して捨てるようになり、以前に比べて家が片づいた状態を維持できるようになりました。
じつはこれこそが「片づけられない家族」に対する一番の対処法です。つまり、自分のモノを黙々と捨てていくこと。すると、あとを追うように家族が自分からモノを減らしはじめ、片づけをしはじめるようになります。あなたが「片づけてよ!」「こんなに散らかして!」なんて、ひと言もいわなくてもいいのです。不思議に思われるかもしれませんが、誰かが片づけはじめると、片づけは連鎖反応を次々と呼んでいくのです。
それに、自分のモノを黙々と片づけていると、もう一つおもしろい変化が起こります。少しくらい家族が散らかしていても、まったく気にならなくなるのです。私自身、自分のスペースを片づけて満足できるようになると、以前のように勝手に家族のモノを捨てたくなることもなくなり、リビングや洗面所などの共用の場所が散らかっているなと感じたときも、何もいわずに自然に片づけられるように変わりました。これは私にかぎらず、多くのお客様に起きた変化の一つです。
もし片づけられない家族にイライラを感じてしまったときは、あなたのモノが収納してあるスペースをチェックしてみてください。必ず、捨てるべきモノが見つかります。他人の片づけられていないところを指摘したくなるのは、自分の片づけがおろそかになっているサインだからです。
だからモノを捨てるときは「自分だけのモノ」から始めること。共用のスペースはあと回しでいいので、まずは自分のモノにしっかり向き合っていきましょう。
私には三つ違いの妹がいます。
彼女は、外に出てたくさんの人と交流して活動的に過ごすよりは家で絵を描いたり本を読んだりしてのんびり過ごすほうが好きで、どちらかというと人見知りで控え目なタイプです。彼女は、小さい頃から私の片づけ研究の格好の餌食にされていた、一番の被害者だといって間違いないでしょう。
とにかく何でもかんでも「捨てる」ことに重きを置いていた学生時代の私ですが、それでもやっぱり捨てられないモノもありました。たとえば、どうにもサイズがしっくりこないけれど、モノ自体は大好きな服。あきらめきれずに何度か鏡の前で着てみても、残念ながら似合いません。でも、両親に買ってもらったばかりのモノだし、捨てるのは心苦しく、捨てられない。
そんなとき、私が使っていたとっておきの裏ワザが「妹に丸ごとプレゼント片づけ法」。プレゼントといってもていねいに包装などするわけではなく、捨てられない洋服を手に、妹の部屋にどかどかと入っていき、ベッドで寝転がりながら読書を楽しむ妹の本を取り上げ、「ねえ、このTシャツ、いらない? もし欲しかったらあげるけど」と聞くだけです。突然そんなことをいわれて戸惑う妹に私はさらにたたみかけます。「まだ新しいしデザインもかわいいけど、あなたがいらないんだったら今すぐ捨てちゃうわね。それでもいいの?」となぜか脅迫めいた物言いで決断を迫る私。そんなことをいわれたら、控え目な妹は「じゃあ、もらうよ」と答えるしかありません。
こんなやりとりをことあるごとに繰り広げていたので、妹のクロゼットには、あまり買い物に行かなくてもつねに服があふれている状態でした。そして結局、妹は、私があげた服を着ていることももちろんありましたが、それ以降二度と見かけない服もたくさんありました。
それでも私は、妹に服を「プレゼント」しつづけていたのです。
だって、モノ自体は悪くないものだし、服は一着でも多いほうがうれしいはずだし……。
しかし、そんな考えがまったくの勘違いだったことに気づいたのは、私が片づけコンサルタントの仕事を始めてしばらくたってからのことでした。
化粧品メーカーに勤める実家暮らしのKさん(二〇代)の、洋服の片づけをしていたときです。一生懸命服を選んでいるKさんを見て、どうも気になることがありました。彼女の持っている洋服の量は少し大きめのクロゼット一個分と平均程度なのですが、残す洋服の量が妙に少ないのです。「ときめきますか」の問いの答えは、たいてい「ときめきません」。「じゃあ、お役目が終わったんですね。ありがとうございました」と私がいうと、ホッとした表情を見せてその洋服を処分するのです。
よく見ると、彼女の服装はどちらかというとTシャツなどのカジュアルなものが中心なのですが、「ときめかない」と答えた服にはタイトなスカートや胸元が大きく開いたワンピースなど、テイストの違う服がたくさんあります。気になって聞いてみたところ、「それ、全部お姉ちゃんにもらったものです」とのこと。そしてすべての服を選び終わって、Kさんが最後にポロリとこうつぶやきました。
「今まで、こんなに好きじゃないモノに囲まれてたんだな」
結局、Kさんの持っていた洋服の三割以上がお姉さんからのお下がりでした。その中でときめく服として残ったのは、ほんの数着だけ。つまり、それ以外のほとんどは、お姉さんにもらったからしかたなく着ていたけど、本当に自分が気に入ったものかといえばそうではなかった。これってとっても悲しいことだと思うのです。
これはKさんの場合だけではありません、じつは妹というポジションにいる人は、そうでない人に比べて洋服を捨てる絶対量が多いのです。これは、小さい頃からお下がりで育ってきたことと関係があると私は思っています。
理由は二つ。一つは明らかに、家族からもらったものだからと捨てられない服がたまってしまっているから。もう一つは、自分のときめきの基準がまだはっきりしていないため、迷いのある服が多くなってしまうからです。お下がりをもらうと服には不便をしないので買い物をする機会は少なくなります、すると自分のときめきでモノを選ぶ力がどうしても育ちにくくなってしまうのです。
お下がりの風習自体は、素晴らしいものだと思います。何より経済的だし、自分が活用しきれないモノを身近な人が喜んで大切に使ってくれること以上にうれしいことはありません。けれど、自分が捨てられないからという理由で安易に家族にあげるのは考えものです。これは、「お母さんにあげます」「娘にあげます」も同様にご法度。
きっと私の妹も、口にはしないまでも、何か釈然としない気持ちで受け取っていたに違いありません。私がしていたことは、善意を装いながら自分がモノを捨てる罪悪感を、ただ人に押しつけていただけなのです。今から考えるとひどい話です。
いらない服をあげる場合は、「はい、あげる」と無条件で差し出すのでも「あなたがいらなきゃ捨てるわよ」と脅すのでもなく、あらかじめ欲しいタイプの洋服を聞いたうえで条件に合ったモノだけを見せるようにしましょう。もしくは、「お金を出しても買いたいモノがあれば、ぜひどうぞ」と多少の条件をつけて譲るのも一つの手。自分以外の人にも、余計なモノを抱え込ませない気づかいも必要です。
「こんまりさん、滝に打たれてみない?」
七四歳の女性経営者のお客様に突然のお誘いを受けて、滝行というものに行ったことがあります。彼女は七〇代にして現役の経営者として活躍しながら、スキーや山歩きなどあちこちに足を運ぶ、とてもチャーミングな女性。滝行歴はすでに一〇年を超え、「ちょっと滝に打たれてくるわね」とまるで銭湯に行くかのようにカジュアルに滝行を楽しむベテランです。そのため、連れていかれたのは、いわゆる体験ツアーのような初心者向けの場所ではありません。
早朝六時に宿を出て、山の中の道なき道を進み、柵をよじ登り、橋のない川をジャブジャブとひざ下まで水につかりながら渡った末にたどり着いたのは、人気のない清らかな滝つぼでした。
なぜいきなり滝行の話をしたかというと、たんにレジャーの話をしたかったわけではありません。じつは滝に打たれることと片づけをすることには、大きな共通点があるからです。
滝に打たれている間は、ドドドという大音響の水音しか聞こえません。全身が激しく水に打たれるのですが、痛みはすぐになくなり、だんだん無感覚になり、しばらくすると体がほのかにポカポカしてきて、いわゆる瞑想状態に入ります。初めての滝行のはずなのに、そのときの感覚は私にとって懐かしい気すらしました。なぜならそれは、片づけのときの感覚ととても似ていたからです。
片づけを真剣にしていると、瞑想状態とはいかないまでも、自分と静かに向き合う感覚になっていくことがあります。自分の持ちモノに対して、一つひとつときめくか、どう感じるか、ていねいに向き合っていく作業は、まさにモノを通しての自分との対話だからです。
だから、モノを見極める作業の間は、なるべく静かで落ち着ける環境づくりが欠かせません。音楽などは一切かけないことが理想です。たまに「音楽をかけてノリノリで捨てましょう」という片づけ法もあると聞きますが、私はおすすめしていません。せっかくのモノとの対話が音でごまかされてしまう気がするからです。もちろんテレビを流すのは言語道断。どうしても音がないと落ち着かないという場合は、歌詞がなく、メロディーの主張も少ない環境音楽のようなものにしてください。
捨てる勢いをつけるのなら、音楽のリズムより空気感の力を借ります。つまり、早朝の時間帯から始めるのがベスト。朝のさわやかな空気感が思考をクリアにし、体も動きやすく、判断力が冴えるからです。私のレッスンももちろん午前中から始めることがほとんどで、これまで一番早いのは朝六時半から始めたことがありますが、ふだんの倍くらいの速さで進めることができました。
ちなみに滝行は、終わったあとのスッキリ感まで片づけと同じで、また行きたいなあと、うずうずしています。でも、わざわざ山に行かなくてもおうちの中で滝に打たれるのと同じ効果が得られるのですから、片づけってすごいと思いませんか。
「モノを触った瞬間のときめきで、残すか捨てるか判断してください」
そんなことをもっともらしくいわれても、「わかっちゃいるけど、捨てられない」のが人間の性。実際問題、困るのは、「ときめかないけど、捨てられない」モノたちではないでしょうか。
人がモノを判断する方法は、大きく分けて二つしかありません。一つは直感による判断、もう一つは思考による判断です。この思考の部分が間違った方向に働くと非常にやっかいで、直感では「ときめかない」とはっきり答えが出ているのに、「でも、いつか使うかも……」「だって、もったいないし……」と頭でグルグル考えて、いつまでたってもモノを手放す決断ができなくなってしまうのです。
誤解のないようにいっておくと、捨てるのをためらうことが悪いことだと主張したいわけではありません。それだけ、そのモノに対する思い入れがあるということだし、誰だって直感だけですべてを決断できるわけではないからです。でも、だからこそ、たんに「もったいないから、捨てられない」ですまさず、とことんそのモノに向き合ってみてほしいのです。
「なぜ、私はこれを持っているんだろう。これが私のところにやってきたことに、いったいどんな意味があったのかな?」
「捨てられない」と思ったモノに対して、「そのモノが持つ本当の役割」をあらためて考えてみてください。
たとえばあなたの洋服ダンスの中に、買ったけれどもほとんど着なかった服があれば、その一つを思い浮かべてみます。なぜ、その服を買ったのでしょうか。
「お店で見て、かわいいと思ったから、つい……」
買った瞬間にときめいていたのなら、その服は「買う瞬間のときめき」をあなたに与えたという役割を一つ、果たしたことになります。では、なぜ、その服をほとんど着なかったのでしょうか。
「着てみたらあんまり似合わなかったから……」
その結果、同じような服を買わなくなったというのなら、「こういう服は、自分には似合わないんだな」ということを教えてくれたのもまた、その服の大事な役割だったのです。
となると、その服はすでに充分、自分の役割を果たしているといえます。だから、「買った瞬間にときめかせてくれて、ありがとう」「私に合わないタイプの服を教えてくれて、ありがとう」といって、捨ててあげればいいのです。
モノにはそれぞれ違う役割があります。すべての服が、完全に着倒されるためにあなたのところに来るわけではありません。これは、人とのご縁と同じです。出会ったすべての人が、親友になったり、恋人になったりするわけではないですよね。「この人はちょっと苦手だな」とか「気が合わないな」という人がいるからこそ、「やっぱり私は、この人が好きなんだな」とあらためて感じられて、ますますその人のことが大切に思えます。
だから、「ときめかないけど、捨てられない」モノに対しては、一つひとつ、その本当の役割を考えてあげること。すると、意外なほど多くのモノが、すでにお役目を終えていることに気づくはずです。モノが果たしてくれた役割にきちんと向き合い、感謝して手放してあげることで、初めてモノとの関係に「片をつける」ことができたといえます。
そうして手元に残ったモノこそ、あなたが大切にするべきモノ。
本当に大切なモノを大切にするために、役割を終えたモノを捨てるのです。
ですから、「モノをたくさん捨てる」のは、モノを粗末にしているということではありません。押し入れやタンスの奥にしまわれ、その存在すらも忘れ去られてしまったモノたちがはたして大切にされているといえるでしょうか。
もし、モノに気持ちや感情があるとしたら、そんな状態がうれしいはずはありません。
一刻も早く、牢獄、あるいは離れ小島のような場所から救出してあげて、「今までありがとう」と感謝の念を抱いて、モノを気持ちよく解放してあげてください。
片づけをするとスッキリするのは、人もモノもきっと同じだと、私は思っています。