「片づけのレッスンをしています」
私が仕事について話をすると、皆さん、たいてい目を丸くして「そんなお仕事、成り立つんですか?」と驚きます。そして、「そもそも片づけって、習うものなの?」と続けるのです。
たしかに、「料理教室」から始まり、「着付け教室」「ヨガ教室」、はたまた「座禅教室」まで、習い事ブームのおかげで習い事には事欠かなくなった最近でも、「お片づけ教室」というのはほとんどありません。
その背景には、日本において「片づけは習うものではなく慣れるもの」と考えられてきたことが関係しています。家庭料理では、「わが家の味」「佐藤家秘伝のカレー」といわれるように、おばあちゃんからお母さんへ、またその娘へと、伝統のワザが伝わる風習があるのに対し、同じ家事でも片づけは、「わが家秘伝の片づけ法」などとあえて伝えられたという話は、まず聞きません。
子どもの頃を思い出してみてください。両親から、「片づけなさい!」と怒られこそすれ、その方法を躾としてあらためて教えられた、という人は少ないのではないでしょうか。ある調査によると、「片づけについて、理論的に習ったことがある」という人はじつに〇・五%以下。そもそも、その躾をする両親ですら、片づけについて正しく教わったことがないのです。
つまり、ほとんどの人が、自己流で片づけをしていることになります。
家庭の中だけではなく、教育の場においても片づけはあまり重視されずにきました。
「家庭科の授業というと、どんな場面が思い浮かびますか」と聞かれると、グループでワイワイいいながらハンバーグをつくった調理実習や、慣れないミシンでエプロンをつくった裁縫実習の風景を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
実際、小・中学校の家庭科の教科書で片づけについて割かれている割合は、料理や衣服に比べると、驚くほど低いという事実。しかもその少ない分量の教科書でさえ、授業では順番に音読して終わりだったり、ひどいときは「ここは各自読んでおいてくださいね」などといわれ、あっさりとみんなが大好きな「食の大切さ」までページが飛ばされたり、という惨事がたびたび起きていたという話もあります。
そんな状態ですから、まれに出会う「片づけを学んだことがある」という家政学科出身の方でさえ、「片づけられない」のです。
「衣食住」という言葉があるように、家に住むことは、食べること、着ることと同じように大事なもののはずなのに、住を支える大事な要素である片づけがこれほどまでにないがしろにされてきたのは、やはり「片づけは、習うものより慣れるもの」だという意識が日本人の中で浸透しているからでしょう。
では、片づけに慣れている、つまり片づけに取り組んでいる年数が長ければ長いほど「片づけられる」ようになるかといえば、そうではありません。
じつは私のレッスンにいらっしゃる方の二五%が五〇代の女性。その多くが、三〇年近く専業主婦をされてきた「家事のベテラン」です。では、そういう方が二〇代の方より片づけられているかといったら、むしろその逆。世間で常識とされる間違った片づけ法を続けてきたばっかりに、余計なモノを持ちすぎていたり、無理のある収納法で苦労されていたりするケースが多いのが現状です。
これまで、正しい片づけ法をあらためて学んだことがなかった。つまり、「片づけられない」のは、誰であろうとむしろ当然のことなのです。
でも、落ち込む必要はありません。これからは、片づけは正しい方法を習う時代。私といっしょに正しい片づけについて学び、実践していけば、誰でも「片づけられない地獄」から脱出することができます。
「気づいたときに一気に片づけるのですが、しばらくすると、ごちゃごちゃした部屋に元通り……。リバウンドしてしまいます」という悩みに、「一気に片づけるとリバウンドするので、少しずつ片づけ習慣をつけていきましょう」の答え。雑誌でよく繰り広げられるこの定番の問答を初めて知ったのは、私が五歳のときでした。
私は三人きょうだいの真ん中で、三歳以降はわりと自由に育てられました。母は妹が生まれてから彼女の世話にかかりきり。二つ上の兄はテレビゲームが大好きでいつもテレビ画面にかじりつき、私は家にいるとき一人で過ごすことがほとんどだったのです。
そんな私の一番の楽しみは、主婦向けの生活雑誌を読むことでした。母が定期購読していた「ESSE」(エッセ)を、郵便受けに届くなり母より先に包装を破ってむさぼり読む。そして、小学校の帰り道にこっそり本屋で立ち読みするのは「オレンジページ」。
文字が充分に読めていたわけではないけれど、おいしそうな料理やお菓子の写真、驚くほど油汚れが落ちる裏ワザ、一円単位で勝負する節約術など、生活の知恵がぎっしり詰まった雑誌は、兄にとってのテレビゲームの攻略本のようなもの。お気に入りのページの端を三角にペロンと折っては、「この裏ワザをいつ試そうか」と想像をめぐらし、来る日も来る日も、家の中で「一人遊び」にいそしむ毎日でした。
節約特集を読んでは、電気料金の仕組みもわからないのに、「節電ゲーム」と名づけて使っていない電化製品のコンセントを抜いてみたり、お風呂やトイレのタンクにペットボトルを入れて「一人節水コンテスト」を開催したり。収納特集を読んでは、牛乳パックを使って引き出しの中の仕切りをつくったり、家具と家具のすき間にビデオテープのケースをつなげてつくったラックをかけてみたり。また、小学校の休み時間でさえ、みんなで遊ぶドッジボールや縄跳びをこっそり抜けて、教室の本棚の本をせっせと並べ替えたり、廊下に置いてある掃除用具入れの中身をチェックしては「ここはS字フックがあったほうが使いやすいのにな」なんて、収納のダメ出しを勝手にしたりしている小学生でした。
けれど、私にはどうしても越えられない悩みが一つありました。どこを片づけても、しばらくすると元の状態に戻っているのです。牛乳パックでつくった仕切りからは文房具があふれ、ビデオテープでつくったラックは郵便物でパンパンになり、いつの間にか崩壊して床にむなしく落下。同じ家事でも、料理や裁縫は、やればやった回数だけだんだん上手にできるようになるのに、片づけだけは何回やってもうまくならない。いつも、振り出しに戻ります。
「でも、しかたない。片づけはリバウンドするものなのだから」
「一気に片づけても、リバウンドしてしまうみたいだし」
こう自分に言い聞かせていました。初めて目にした五歳以降も、雑誌で片づけ特集があるたびに、「一度片づけてもまた元に戻る」問題を何度となく目にしていて、私にとって「片づけのリバウンド」はあたりまえになっていたのです。
もしもタイムマシンがあるのなら、当時の私にいいたいことがひと言あります。「その考えは、大間違い」。なぜなら、正しい片づけ法を実践すれば、リバウンドは絶対、しないものだからです。
まず、リバウンドというとまっさきに「ダイエットのリバウンド」を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。なんとなくダイエットのリバウンドと同じように「一気に片づけるとリバウンドする」といわれると妙に納得してしまいますが、この言葉に惑わされてはいけません。
部屋は、あっちの家具をこちらに移動したり、ゴミを減らしたりすれば、その瞬間、変化を起こします。なぜなら片づけという作業自体は物理的なものだからです。
一気に片づけると、部屋は一気に片づく。
あたりまえで単純なことです。
では、なぜ、一気に片づけるとリバウンドする人がいるのか。それは、本人は一気に片づけたつもりでも、じつは中途半端に整理・整頓・収納しただけだからです。正しい方法で片づければ、どんなに面倒くさがりやでズボラな人であっても、きれいな部屋をキープできるということを知っておいてください。
「一気に片づけるとリバウンドするので、少しずつ片づけ習慣をつけていきましょう」
この一見魅力的な考えについて、前半の「一気に片づけるとリバウンドする」というのが間違いなのはわかりました。では、後半の「少しずつ片づけの習慣をつけていきましょう」という提案はどうでしょう。なんとなく信頼できそうな気がしませんか。
でも、だまされてはいけません。
片づけの習慣を少しずつ身につけていこうとするから、いつまでたっても片づけられないままなのです。
長年染みついてきた生活習慣を変えるのは、多くの人の場合、簡単ではありません。
これまで片づけようと思いながらも片づけられなかった人が、片づけの習慣を少しずつ身につけるのはほぼ不可能と考えたほうがいいでしょう。
なぜなら、意識を変えないかぎり、人は習慣を変えられないからです。とはいえ、「意識を変える」のは言葉でいうほど簡単ではなく、自分ではなかなかコントロールできないのがむずかしいところ。
でも、じつをいうと、ある方法をとることで、人は片づけについての意識を劇的に変えることができるのです。
私が片づけに本格的に目覚めたのは中学生のときです。『「捨てる!」技術』(辰巳渚著、宝島社新書)という本を読んだのがきっかけでした。下校途中にその本を読んでいた私は、その内容に衝撃を受けました。そこには、今まで読んだどんな雑誌にも書かれていなかった「捨てる」ことの大切さが書いてあったからです。
読書に熱中しすぎて、うっかり電車を乗り過ごしそうになりつつあわてて帰宅し、ゴミ袋を手に自分の部屋にこもること数時間。五畳半の部屋から出てきたのは、ゴミ袋八袋以上のモノたちでした。着なくなった洋服から、小学生のときの教科書、子どもの頃のおもちゃ、集めていた消しゴムやシールなど、そのほとんどが持っていることすら忘れてしまっていたようなモノばかり。
「今まで自分は、どうしてこんなにいらないモノをため込んできたんだろう」と、半透明のゴミ袋の山が積まれた部屋の真ん中で、体育座りになって一時間くらい動けずにいました。
何よりもショックだったのは、部屋の風景がまったく変わってしまったことです。たった数時間の作業なのに、今まで見たことのない部分の床が出現して、まるで別の部屋のよう。漂う空気も明らかに軽くなって、なんだか心の中までクリアになった気がしました。
「片づけって、私が考えていた以上に、ものすごい行為なのかもしれない」
あまりの変化を前にして雷に打たれたような衝撃を受けた私は、その日を境にそれまで花嫁修業のつもりで取り組んできた料理や裁縫やその他の家事もそこそこに、片づけに没頭する人生を歩みはじめたのでした。
片づけは目に見える形で必ず結果が表れます。片づけはウソをつきません。だから、私がお伝えしている片づけの極意は、「片づけの習慣を少しずつつける」のではなく、「一気に片づけることで、意識の変化を劇的に起こす」ことにあります。先に感情に訴えかけるくらいの劇的な変化を経験し、そのインパクトでもって意識が突然変わり、生活習慣がいやおうなく変わっていくのです。
実際、私のお客様も、片づけ習慣が少しずつついていくのではありません。一気に片づけをしたその日から、誰もが片づけられるようになるのです。
そのためにもやっぱり片づけは、一気にやらなければいけません。これがリバウンドしない片づけ法の最大のポイントの一つです。
片づけても片づけてもリバウンドするのは、お部屋やモノではなく、片づけようとする人自身の考え方だけです。つまり、「片づけしよう」とやる気になっても継続できない、やる気の炎が消えてしまう。その原因は、結果が目に見えないこと、効果が実感できないことにあるのではないでしょうか。
だから片づけを成功させるには、正しい方法で、短期間のうちに、確実に効果を上げることが必要となります。
一気に正しく片づける。すると結果がすぐに見える。だから、続けられるし、片づいた状態がずっと維持できる。このプロセスを経験することで、たとえ誰であっても二度と散らかった部屋に戻るまいと心の底から思うのです。
「完璧を目指さず、ゆるーく片づけを始めましょう」
「一日一個、モノを捨てましょう」
片づけに不安を持つ人の心をほぐす、なんて素敵なフレーズなのでしょうか。片づけの研究を始めてからというもの、日本で刊行されたありとあらゆる片づけ本を読みあさっていたときに出合った言葉です。片づけに目覚めた当初の勢いが多少落ち着き、最近どうにも効果が停滞してきたな、とそろそろ疲れが出はじめた私は、まんまとこのワナにはまってしまったわけです。
最初から完璧を目指そうとすると心が重くなるし、そもそも完璧に片づけなんてできるはずがない。たしかに本に書いてある通り、一日一個モノを捨てれば、一年で三六五個も捨てられるわけです。いい方法を見つけたと、さっそく本の通りに「一日一個モノ捨て片づけ法」を始めました。
朝起きたとき、今日は何を捨てようかなと、クロゼットをのぞきます。「ああ、このTシャツはもう着ないな」と心の中でつぶやいてそのTシャツをゴミ袋に入れます。次の日は、夜寝る前に机の引き出しの中をのぞきます。そして、「このノートはもう子どもっぽいかしら」と、そのノートをゴミ袋へ入れます。と同時に、「そういえば、このメモ帳ももういらないかも」と隣のメモ帳をゴミ袋に入れようとして手を止めます。「あ、そうだ、これを『明日の一個』にすればいいんだ」。一日待って、次の日の朝にようやくメモ帳はゴミ箱へ。その次の日は、夜も朝もうっかり「今日の一個」を忘れてしまい、その次の日にまとめて二つ、捨てました……。
正直にいいます。二週間も続きませんでした。じつは、私はまったくマメなタイプではありません。一日一個モノを捨てましょうといわれても、私のようなせっかちでコツコツ努力できない人間にはむずかしい。夏休みの宿題を最後の一日にあわてて一気にすませるタイプの人間です。しかも、一日一個モノを捨てたところで、買い物するときはわりと一気にしてしまうので、それ以上のペースでモノは増えていきます。そうなるとモノはなかなか減らず、いつまでたっても中途半端なまま片づかないお部屋にうんざりして、そのうち「一日一個ルール」は忘れ去られてしまうのです。
自信を持っていいますが、中途半端に片づけをしても、一生片づけられるようになりません。もしあなたがマメで辛抱強くてコツコツできるタイプではないのなら、一度でいいから「完璧」に片づけてしまうことをおすすめします。
「完璧」と聞くと、「それは無理です」と身構えてしまう人も多いかもしれませんが、心配はいりません。なぜなら、片づけはしょせん物理的な作業だからです。
片づけでやるべきことは大きく分けて、たった二つしかありません。「モノを捨てるかどうか見極めること」と「モノの定位置を決めること」。この二つができれば、片づけは誰でも完璧にできるのです。モノは明確に数を数えられるので、一個一個モノを見極める、一個一個モノの定位置を決めていくことをしていけば、必ず最後に「片づけの終わり」がきます。
だから、片づけを完璧に完成させることはむずかしくないどころか、本来、誰でも可能なことです。そして、その後リバウンドしないためにも絶対的に必要なことなのです。
試験前日の夜。どうにも勉強に手がつかず、無性に片づけたくなった経験、ありませんか。机の上に積まれたプリントをバサバサと捨て、床に散らばる教科書をまとめ、そのうちなぜか止まらなくなり、本棚の本や書類を並べ替えたり、仕分けたり、挙げ句の果てに机の引き出しの文房具を整理して……なんてことをしていたら、いつの間にか真夜中の二時半。机まわりがスッキリしはじめた頃には睡魔に襲われ、うとうとしてハッと気づけば朝の五時。ここまできて初めて本気であせって、やっと教科書に向かいはじめる……。何を隠そう、これぞまさに私の体験談で、試験前日のもはや恒例行事。
この試験前の「片づけたい衝動」、片づけに興味がある私だけかと思いきや、ああ私もあった、あった、という人があまりに多く、けっこう一般的な現象だということがわかりました。どうやら試験前にかぎらず、せっぱつまった状況になると片づけたくなる人が多いようです。
このように、無性に片づけがしたくなるとき、それは部屋を片づけたいときではありません。心理的に片づけたい「別の何か」があるときです。本当は勉強をしなければいけないから心がざわざわしているのだけれど、目の前が散らかっていることで「部屋を片づけなきゃ」という心のざわざわが起こり、問題のすり替えが起きていると考えられます。
その証拠に、試験前の片づけたい衝動が試験後にも続いているケースはまれです。無事に試験が終わって家に帰ってくると、昨夜の情熱はどこ吹く風と、片づけのことなどすっかり忘れてしまい、また元の生活に戻ってしまっているのではないでしょうか。これは、試験勉強をしなくてはならないという問題が「片づいてしまった」からです。
しかし、じつのところ、部屋の乱れを直しただけでは心の乱れがなくなるわけではありません。たしかに部屋をスッキリさせると、一時的に気分はスッキリします。でも、これが落とし穴で、心が乱れていた本当の原因は解決されていません。毎回、物理的な片づけに向き合っていては、心理的な片づけにまで考えが到達しないまま、一時のスッキリ感にごまかされてやり過ごしてしまうのです。実際、試験のたびに夜中の片づけをしていた私は、勉強に手をつけるまで時間がかかり、いつも結果はさんざんでした。
ここで、片づける以前の問題である「部屋が散らかっている状態」について考えてみましょう。そもそも、部屋が自然に散らかることはありません。住んでいる自分が部屋を散らかしているのです。「部屋の乱れは心の乱れ」という言葉がありますが、散らかっている状態というのは、物理的なこと以外に本当は問題があるのだけれど、目の前のごちゃごちゃ感でごまかされてしまっている状態だと考えられます。
散らかすという行為は、問題の本質から目をそらすための人間の防衛本能です。
「さっぱりしすぎた部屋だと、なんだかざわざわして落ち着きません」という場合は、そのざわざわ感に真剣に向き合ってみると、自分が心の底で気にしている真の問題が浮き彫りになるかもしれません。
片づけをして部屋がさっぱりきれいになると、自然と自分の気持ちや内面に向き合わざるをえなくなります。目をそらしていた問題に気づかされ、いやがおうでも解決せざるをえなくなる。片づけはじめたそのときから、人生のリセットを迫られるのです。
そしてその結果、人生が大きく動きはじめていきます。
だから、片づけはさっさと完了させる。そして、本当に自分の向き合うべき問題に向き合っていく。片づけはたんなる手法であって、それ自体が目的ではありません。本当の目的は、片づけたあと、どう生きるかにあるはずだと思いませんか。
片づけの悩みというと、まず思い浮かぶことは何でしょう。
「収納方法がわからない」「何をどこにしまったらいいのか教えてほしい」という方が多いのではないでしょうか。気持ちはわかりますが、残念ながら悩みどころからして間違っています。
収納という言葉には魔物が潜んでいます。なぜなら、「たちまちスッキリ、収納の裏ワザ」「便利な収納グッズ特集」など、収納という単語の枕詞には必ず「今すぐ」や「一瞬で」という手軽さを表す表現がセットになっているからです。人は易きに流れる生き物ですから、ついつい目の前のごちゃごちゃを即座に解決してくれる「便利な」収納法に飛びついてしまうのです。
もちろん私も、かつてはこの「収納神話」のトリコでした。幼稚園のときから愛読している主婦向け生活雑誌で収納特集を見ようものなら、即実践。ティッシュの箱を開いて引き出しをつくったり、お小遣いをはたいて紹介されていた製品を買って試してみるのはもちろん、中学校の帰り道に東急ハンズや雑貨屋に立ち寄って、新商品は欠かさずチェック。高校生のときにはおもしろい収納グッズをつくっている会社に電話をして、「この商品の開発ストーリーを教えてください」と喰いつき、窓口のお姉さんを困らせたこともあります。そうして手に入れた収納グッズにモノをきちんと収めては、「なんて便利な世の中なんだろう」と、収納グッズが存在するありがたさに部屋で一人合掌していたものでした。
ここまでやってきた私が断言しますが、はっきりいって、収納法で片づけは解決しません。なぜなら、収納はしょせん、付け焼刃の解決法にすぎないからです。
気がつくと、私の部屋は収納グッズでいっぱいでした。床に置いてあるマガジンラック、本が収納されたカラーボックス、そして引き出しの中にはありとあらゆるサイズの仕切りたち。それでも部屋の中は依然としてスッキリとしないのです。「どうして、収納しても収納しても片づかないんだろう」。絶望的な気持ちになってあらためて収納の中身を眺めてみると、重要なことに気づきました。それは「中のモノ、じつはほとんどいらない」ということ。
つまり、私がやっていたのは片づけではなく、たんなるモノの押し込み作業。いらないモノにフタをして、ただ見ないようにしていただけなのでした。
収納法のやっかいなところは、モノを中に収めてしまうと一見片づけの問題は解決したように錯覚してしまうことです。こうなると、収納の中がいっぱいになった頃にまた部屋がごちゃごちゃし、再び安易な収納法に走る……という負のスパイラルにおちいってしまいます。
だから、片づけはまずはモノを捨てることから始めること。「モノを見極める」作業が終わるまでは、収納法には絶対に手をつけない、くらいの自制心が必要です。
中学生の頃から本格的に始まった私の片づけ研究。具体的に何をしていたのかというと、とにかくひたすら実践の繰り返し。自分の部屋、兄の部屋、妹の部屋、リビング、キッチン、洗面所……と、場所ごとに毎日片づけをしつづけたのです。
「毎月五日はリビングの日」とスーパーのお買い得日のごとく一人キャンペーンをしていたり、「今日はこのパントリーを片づけよう」「明日は洗面所のこの棚を攻略する!」と、毎日今日はどこを片づけようかと思いをめぐらせていました。
高校生になってもその習慣は続き、学校から帰ってくると着替えもせずに制服のまま洗面所に直行。つくりつけの観音開きの収納を開け、「今日はこの棚!」と決めたら中のモノをすべてごっそり取り出します。まずはプラスチック製の引き出しの中から、化粧品の通信販売のオマケについてくるサンプルや、せっけんや歯ブラシやカミソリのストック類をカテゴリーごとに分け、箱の中に入れて、また元に戻します。引き出しの中でしゃんとそろったモノたちを眺めて、しばしうっとり。美しさを充分に堪能したら、次は隣の引き出しに進みます。
日が沈み、「まりちゃん、ごはんよ」という母の声でストップがかかるまで、洗面所の床に座り込んでもくもくと棚の中のモノと向き合う、そんな女子高生でした。
ある日、学校から帰ってきていつものように制服のまま片づけをしながら、ふと気づいたことがありました。
「あれ、昨日と同じ引き出し、片づけてる?」
そのとき私が片づけていたのは、廊下の収納庫にある紙製の引き出しの中。もちろん昨日とは違う場所です。けれど整理していたのは、化粧品の通信販売のオマケについてくるサンプルや、せっけんや歯ブラシやカミソリのストック類たち。明らかに昨日と同じモノを同じようにカテゴリーごとに分け、箱の中に入れて、また元に戻そうとしている自分に気づきました。
われながら三年間も気がつかなかったのが情けないのですが、じつは「場所別・部屋別に片づける」は、片づけをするうえで致命的な誤りなのです。
「えっ、そうなんですか!」
そんな声が聞こえてきそうですが、多くの人が犯しがちなこの「場所別・部屋別に片づける」という一見正しそうな片づけ方、いったいなぜダメだと思いますか。
それは、片づけ前の段階では、同じカテゴリーのモノでも収納場所が二か所以上に分かれているケースが往々にしてあるからです。この状態で何も考えずに場所別・部屋別に片づけを進めてしまうと、先の私と同じように、気づかないうちに同じモノを片づけつづけるリバウンド地獄にはまっていくことになります。
では、どう片づけたらいいのかというと、それは「モノ別」に片づけること。「今日はこの部屋を片づけよう」ではなく、「今日は洋服」「明日は本類」というふうに、「モノ」ごとに片づけを進めていくようにするのです。
多くの人が片づけられない一番の原因は、モノが多いから。モノが増えつづける一番の原因は、自分が持っているモノの量を把握していないから。持っているモノの量を把握できないのは、収納場所が分散してしまっているから。収納場所が分散している今の状態のまま、相変わらず場所別に片づけをしていても、永遠に片づけは終わりません。
片づけは、「場所別・部屋別」ではなく「モノ別」に考える。もう二度とリバウンドしたくなければ、このポイントは絶対にはずさないでください。
「片づけられない原因は人それぞれ。あなたの性格に合った片づけ法を実践しましょう」
ものの本でよく見かける、このもっともらしいフレーズは、「ああそうか、今まで片づけられなかったのは、面倒くさがりな私の性格に合っていなかったからなんだな」と一瞬にして納得させてしまう力を持っています。そして、あとに続くチャートにしたがって、面倒くさがりタイプ・時間がないタイプ・モノにこだわりがまったくないタイプ・こだわりやタイプ……などのタイプ別に分けられた片づけ法をせっせと試してしまうのです。
私も片づけの仕事を始めた頃、同じように性格タイプ別片づけ法を追究していた時期がありました。いろんな心理学の本を引っぱり出しては、ヒアリングの段階で血液型を聞いてみたり、ご両親の性格を聞いてみたり、誕生日で動物占いをしてみたり。「この性格ならこの片づけ法!」と言い切れる法則が見つけたくて、分析を続けること五年以上。
その結果、気づいてしまったのは、性格別に片づけ法を変えても意味がない、ということでした。なぜならほとんどの人が、片づけに関しては面倒くさがりだし、時間がないし、こだわりのあるモノもあれば、まったくこだわりのないモノも持っているからです。よくよく考えれば私にだって全部当てはまってしまいます。
「じゃあ、片づけられない原因をタイプ分けするには、何を基準にしたらよいのかしら」
寝ても覚めても片づけばかりしすぎているせいか、何でもかんでもカテゴリー別に分けたがるのが私の悪いクセ。片づけコンサルタントとして仕事を始めた当初、どうにかしてお客様のタイプによって内容をきちんと変えたサービスを提供しようと必死でした。けれど今から考えれば、片づけのプロとして活動している以上、何かしらお客様をタイプ別に分けて片づけ法も少し変えたりして小むずかしく話をしたほうが「さすが、プロは違うね」なんていわれるんじゃないか、と下劣な下心もちらちら見え隠れしていたようなところが多分にありました。
考え抜いた末、私が出した片づけられないタイプは三つ。一つは「捨てられないタイプ」と、もう一つは「モノが元に戻せないタイプ」と、あとはそのミックス型で、つまり「捨てられないし元に戻せないタイプ」。「性格なんてあいまいな基準じゃなくて、実際に起きている現象を基準に分けるべき!」と考え抜いた結論です。
しかし、この基準で見てみると、私のところに来るお客様の九割が「捨てられないし元に戻せないタイプ」。残りの一割が「モノが元に戻せないタイプ」です。じつは、純粋に「捨てられないタイプ」の人(捨てられないけど、元には戻せるタイプ)は存在しないことに気づきました。モノが捨てられないのであれば、そのうち絶対にモノがあふれて元に戻せなくなるからです。しかも一割の「モノが元に戻せないタイプ」の人だって、実際、片づけを始めてみれば最低三〇袋は出てくるくらい、まだまだモノが減らせていないのが実情なのです。
要するに、どんなタイプの人であろうと、やっぱり片づけは「捨てる」ことから始めなければいけないということ。このことに気づいてからは、片づけの手法については、どんなタイプの方に対しても堂々と同じことを話しています。
だいたい片づけという行為自体、人によって持っているモノも家具も違うのですから、そもそもすべてがオリジナル。同じ手法を伝えるにしてもお客様によっておのずと伝え方もレッスンの進め方も変わってくるので、無理に違いを出す必要なんてなかったのです。
片づけ法に、小むずかしい分類はいりません。片づけで必要な作業は「モノを捨てること」と「収納場所を決めること」の二つだけ。大事なのは「『捨てる』が先」の順番だけ。
片づけの原則自体は変わらないので、あとは片づけをするあなたがどのレベルを求めるかにかかっているのです。
「片づけは祭りです。片づけを毎日してはいけません」
片づけ講座で、私がこんなことを突然言い出すものだから、お客様はそろって一瞬きょとんとした顔になります。
片づけに関してはもちろん人によっていろいろな考え方があるし、ここまで片づけを調べつくした気でいる私でさえまだまだ知らない片づけ方もあるはずなので、これは私の方法にかぎっていうことなのですが、あえていいます。
片づけは一回で終わります。
正確にいえば、一回で終わらせるべきなのです。
もしあなたが、片づけは永遠に続く日常で、ほぼ毎日しなくてはならないもの、と思っていたら、それは大いなる誤解だと思ってください。
片づけには二種類あります。「日常の片づけ」と「祭りの片づけ」です。「日常の片づけ」とは、単純に「モノを使ったら、元の場所に戻す」こと。服でも本でも文房具でも、人がモノを使って生活している以上、こればっかりは一生ついてまわります。
けれど、私がこの本を通してお伝えしたいのは、「祭りの片づけ」を一日でも早く終わらせてほしいということです。
一生に一度の「祭りの片づけ」を終わらせてしまったあとは、そのきれいな部屋で、自分の好きなように理想の生活を送ることができます。モノに押しつぶされそうになりながら暮らしていく生活の中で、本当の意味での幸せを感じることがはたしてできるかどうか、胸に手を当てて考えてほしいのです。
今、多くの人に圧倒的に必要なのは、この「祭りの片づけ」なのではないでしょうか。
ところが、たいへん残念なことに、多くの人が「祭りの片づけ」をしないまま、まるで物置のような部屋に住みつつ、来る日も来る日も「片づけ」に忙殺される生活を送っています。片づけても、片づけても、片づかない。そんな暮らしを一〇年、二〇年とダラダラ続けてしまっているのです。
はっきりいいますが、「祭りの片づけ」を終わらせないかぎり、「日常の片づけ」は絶対できないといって過言ではありません。
「祭りの片づけ」を一度すませてしまえば、「日常の片づけ」なんて、使ったモノを元の場所に戻すだけですから、もはや片づけているという意識すらなくなります。
私がなぜ、「祭り」と呼んでいるかというと、ある意味、高揚した気分で、短期間で終わらせてしまうことが大切だと考えているから。やっぱり、いつまでもお祭り気分ではいけないのです。
「でも、日々、モノは買っているわけだし、『祭りの片づけ』を終わらせても、いつの間にかモノがあふれて、また元通りになってしまうのでは……」。そう心配される方もいるかもしれません。
でも、この「祭りの片づけ」を終わらせたあとは、それ以降の「使ったモノを定位置に戻す」「新しく増えたモノの定位置を必ず決める」はまったく苦労せず、続けることができます。キツネにつままれたような気がするかもしれませんが、本当にそうなのです。
ポイントは、一度、完璧な状態を経験してしまうこと。一回でいいので、自分の持ちモノを一つひとつ、捨てるか残すか見極めていく。そして、残すと決めたすべてのモノの定位置を決めてみることです。
「片づけが何よりも苦手」
「自分は生まれつき片づけられない人間」
長年、信じて疑わなかった自分に対するこれらの負のセルフイメージが、完璧に片づいた部屋を目の前にした瞬間、一掃されます。そして、「こんな自分でも、やればできるんだ!」という自信とセルフイメージの劇的な変化が、その後の自分の行動に変化をもたらし、生き方そのものの変容を迫ってくるのです。
一度完璧に片づいた状態を劇的に体験すると、以前の散らかった状態にもはや戻れなくなります。もちろん、この本を読んでいるあなたも、です。
だから、私のレッスンの生徒さんはリバウンドしないのです。なんだかむずかしそう、と思われるかもしれませんが、だいじょうぶ。
片づけはけっしてむずかしくないと私がいうのは、扱う対象がモノだからです。モノを捨てたり、動かしたり、やること自体はとっても簡単。誰だってできることです。しかも片づけには、必ずゴールがあります。あなたの持ちモノの定位置をすべて決めた瞬間がゴールです。そして、仕事や勉強やスポーツと違って、そもそも人と比べる必要のないことなので、基準は完全に自分。誰でも片づけさえすれば、「最高の自分」を経験できてしまいます。そして、一番むずかしいと誰もが考える「続けていくこと」が、本当は必要ないということです。モノの定位置は一度決めたらそれでよいのです。
驚かれるかもしれませんが、私は自分の部屋の片づけを今ではまったくしていません。なぜなら、すでに片づいているからです。
私があえて片づけをするのは、年に一回か二回、それぞれ一時間程度ですみます。中高生の頃、毎日毎日、片づけても片づけても片づかない日々を送っていたことが、まるでウソのような、平穏で幸せな生活を送っています。
清らかな空気が流れる静かな空間で、あったかいハーブティーをカップに注ぎながら、今日一日を振り返る至福の時間。まわりを見渡すと、壁には海外で買ったお気に入りの絵がかかっていて、部屋の隅にはかわいいお花が生けてあります。そんなに広くはなくても心がときめくモノしか置かれていない部屋で過ごす生活は、私をとっても幸せな気持ちにしてくれます。
そんな暮らしを私もしてみたい。
そう思いませんか。
だいじょうぶ。正しい片づけ方を身につければ、誰だってできるのです。