王国北方辺境区、ザッカリアの森──。

 新緑のこずえを焼き焦がす、紅蓮ぐれんの炎。

 天を突かんばかりの青い巨人が6本の太い腕を振り回し、大地を踏み割りながら、口から火を吐いて暴れています。

 周囲の木々より背が高いのに、憤怒の形相を下に向け、そのギロリと見開かれた瞳を右へ左へ走らせています。なにかを追って拳を振り下ろし、なにかを狙って足を振り上げ、ときどきゴォオッ! と火を噴いて、立ち並ぶ木々をぎ倒しています。

 逃げ惑う森の動物たち、砕け散る岩、悲愴ひそうな音を立てて割り裂ける大樹──そのあいだを縫って風のようにはしる、小柄な少女。

 白銀の軽装鎧をまとった、ぷにぷに頬っぺが愛らしい、天使のような美少女です。

 緩く波打つブロンドヘアをなびかせながら白いミニスカートの裾をひらめかせ、倒れかかってきた大木にひょいっと飛び乗り、斜めにかしいだ太い幹をリスのように駆け登ります。冬の湖水のようにあおく澄んだ瞳で巨人を見据え、サクランボのように紅い唇をキッと引き結んで、幹から枝へ、枝から梢へ、さらに虚空へ。

 飛んだのではなく、走っています。

 風属性の魔法を帯びた靴が足裏に局所的な突風を巻き、空気を踏めるようにしてくれているのです。そのまま巨人の顔目がけ、少女はタタタッと軽やかに駆け登っていきます。

 オ、オ、オォオ──ッ!

 迫り来る小さな影に気づいた巨人が、雷のような声で吠えました。

 同時に火炎を吐きます。

 紅く渦巻く奔流が燃える拳となり、天翔ける少女に真正面から襲いかかります。

「ちぇぇぇえええええいっ!」

 目の前に膨れ上がる火炎を避けようともせず、まっすぐ突き進む金髪少女。

 躍るほのおの巨大な塊が、小柄な少女に正面衝突──する寸前、見えない刃に切り裂かれたかのように真っぷたつに割れました。細い眉をキリリと吊り上げた少女は渦巻く炎の真ん中を、何事もなかったかのように駆け続けます。

 炎を退けたのは聖霊魔法〈破邪の盾〉、天を翔る魔法の靴は〈風精のシューズ〉。

 そしていま、

「ッすとぉおおぉぉぉ────ッ!」

 気合とともに金髪少女が腰のさやから引き抜いたのは、伝説の銘刀〈タタラナガユキ〉。

 刃長二尺一寸五厘、反りは五分で元幅一寸、先幅七寸三厘。刃紋は小沸交じりの匂出来においでき、焼き幅の広い丁字ちょうじ乱れ。

 とはいえ、詳細は必要ありません。

 なぜなら、鞘から走り出た途端、伝説の最上大業物さいじょうおおわざものがたちまち軽い金属バットに変化してしまったから。

 アベレージヒッター向けの、質量配分が手元に寄ったカウンターバランスタイプ。長さ66センチ、直径6センチ4ミリ。平均重量490グラム、素材はアルミ合金で、色は黒。先のほうには伝説の古代怪獣の名前が魔法文字でデカデカと、真ん中あたりには鳥のような直線的な模様が、銀の塗料で描かれています。

 刃がないのでもう斬れませんが、少女は構わず振り抜きます。

 反りを横にして水平に、居合抜きの要領で鋭く振られた金属バットが、

 ──ガキンッ!

 巨人の頬をしたたかにジャストミート。

 スイートスポットできちんととらえたのに、あまりの質量差のため、少女の身長よりはるかに大きな巨人の頭は微動だにしません。

 その代わりに──ピシ。

 ピシピシ、ピキキ、ピシシシシ──。

 青面金剛に似た強面に細かなヒビが無数に走り、蜘蛛くもの巣のように広がって、やおらバラバラと崩れ始めました。頭部がなくなるころには胸や肩にヒビが走り、胸がなくなるころには腹から太ももにかけてがヒビ割れて、あれよあれよという間に粉々に。

 巨人を成していた魔法が解けたため、砕けて剥がれ落ちた破片は森の底に着くまでにさらに細かく分解し、やがて光の粒となってかき消えます。家ほどもある巨大な足跡がいくつも残る、無惨に破壊された森には、青い巨人に属する要素はちりひとつ残らず──。

 いえ、ひとり残っていました。

 でっぷり太って脂ぎった、頭が少々薄くなっている、白いブリーフ姿の中年男。

 巨人を造り、辺境の村々を襲っていた、悪の魔法使いコラン・ド・ウコバクです。

「ぬぅぅ……ボクが精魂込めて作り上げた青い巨人を、たったの一撃で……腕を上げたな、エマちゃん!」

「うるさいっ! ってか、なんでおまえはいつもいつも、ブリーフ一丁なんだっ!」

 ボカンッ!

 天から舞い降りてきた金髪碧眼の少女戦士エマちゃんが、脂ぎった中年男のハゲかかった頭を金属バットで力いっぱい殴ります。よほど腹に据えかねていたのか、ボッカンボッカン殴りまくります。たいへん危険な行為なので、良い子は絶対に真似してはいけません。

 一方、悪の魔法使いは、

「し、紳士の身だしなみだよっ! なんでわかってくれないんだっ!?

 肉づきのよい腕でハゲかかった頭を抱え込みつつ、亀のように丸くなるだけ。

 鬼のような形相のエマちゃんが力いっぱい振り下ろすバットには、絶対に相手を殺せないという呪いがかけられているのです。なので、息が上がるほど全力で殴りまくっても、たっぷり纏った贅肉ぜいにくがぶよんぶよんと波打つだけ。

 ただまあ、痛いことは痛いらしく、

「やめ、ダメ……痛いってばっ! ボクにそういう趣味はないよぉおっ!」

 頭を抱えたまま太った身体をゆさゆさ揺らし、情けない声で叫びます。

「それと、これっ! 私の手にかけたこの呪い! いいかげんに解きなさいよ!」

「な、なんの話かな?」

「とぼけないで! つかんだ武器がすべて非殺傷金属バットになるなんて……これじゃあ戦士を続けられないじゃない!」

 涙目で叫ぶ金髪少女に対し、

「うん。だからさ、いつも言ってるじゃない。戦士なんてやめてボクのお嫁さんになりなよ。オッパイが大きくなる魔法もかけてあげるからさ」

 脂でテラテラ光る頬を弛め、ニヤァッといやらしい笑みを浮かべるコラン。

 途端、エマちゃんの全身にぞわぞわっと鳥肌が立ちます。

 思わず一歩退き、二歩目は無意識に足場を固め──。

「どうだろう、エマちゃん? そろそろ返事をくれないかな? ボクは気が長いからいつまででも待っていてあげられるけど、でもエマちゃん、次の誕生日で二十歳はたちでしょ? あんまり時間をかけていると旬が過ぎちゃうからさ……」

「……ちゃー」

「え? ちゃーって……?」

「しゅー……」

「今度は、しゅー? っていうか、なんでバットをそんなふうに……」

「めぇぇぇえええんっ!!

 ドッカンッ!

 秘奥義剣法〈チャーシューメン〉で加速された非殺傷金属バットが、純白のブリーフに包まれた半ハゲ中年男のむっちりとした尻を力いっぱいブッ叩きました。

「のわああぁぁぁ────────………………」

 ………………キラン。

 はるか彼方に吹き飛んで、爽やかな青空の中、小さな星になる悪の魔法使い。

 それを見送るエマちゃんの瞳に哀しみの涙が光ります。

「……また、つまらぬモノを打ってしまった……」

 人里離れた森の中ですから、当たれば1年分のお米がもらえたり、自分より大きな鍵がもらえたりする看板はありません。

 いや、もちろん、エマちゃんが感じているのはそういう種類の虚しさではなくて。

 今日もまたトドメを刺せなかったら、今後も同じようなことが何度も何度も繰り返されるんだろうなあという、底無し沼のような徒労感です。

 小柄で童顔、天使のように愛らしい金髪碧眼のエマちゃんは、剣を担いで王国辺境を渡り歩くフリーの少女戦士。そして辺境を荒らす悪の魔法使いコラン・ド・ウコバクは、王国でいまもっとも有名な賞金首。

 とはいっても、ブリーフ一丁という奇態ないでたちで有名なだけで、賞金自体はさほど大きくありません。そのため、腕自慢の賞金稼ぎたちが我も我もと集まってくるようなことはなく、辺境でウロウロしているエマちゃんたちにお鉢が回ってくるわけです。

 無限の徒労感を噛み締めながら美しいフォロースイングを決め、静かに立ちつくす金髪少女の小さな背に、

「おお、ナイスショット!」

 おどけた声がかけられました。

 潅木かんぼくをかき分けて現われたのは細い肩に黒いマントを羽織った小柄童顔の紅髪魔女・ターニャと、錫杖しゃくじょうをついて白いローブの胸元を重々しく揺らす尼僧のフィリス。

 ふたりとも、エマちゃんの仲間です。

 紅髪を男の子のように短く刈ったターニャは小柄で童顔ですが、エマちゃんよりやや背が高く、胸も少々大きめです。透き通るような蒼銀のストレートヘアを長く伸ばしたフィリスはふたりよりもやや年嵩としかさのおっとりとしたお姉さんで、ふたりと違って胸はたわわに膨らんでいます。

 ちょっと意地悪な魔女と素直でまっすぐな性格の戦士は相性があまりよくないのですが、優しくのんびりした尼僧のおかげで3人のチームワークは悪くありません。今日も、フィリスにかけてもらった〈聖霊の盾〉とターニャが造ってくれた〈風精のシューズ〉のおかげで、エマちゃんは悪の魔法使いを討つことができました。

「討ててないよ、打っただけだよ、かっ飛ばしただけだよぉおおおっ!」

 地団駄を踏んで悔しがるエマちゃんに、ターニャとフィリスは苦笑い。

「まあまあ、いいじゃないの。アイツが何度でもやってきてくれるおかげで私たちの仕事はなくならないんだし」

「殺生は、なるべく少ないほうがよろしいかと」

「アンタたちはいいよ、アイツに愛の告白をされてないから! でも私は、私は……う、うぅぅ……! 思い出しただけでも鳥肌が立っちゃう! 大枚はたいて買った〈タタラナガユキ〉も、いつもと同じ、お子様向け大怪獣モデルになってしまうし……」

『一コNト¢Σ』のように見える極太ゴシック体の魔法文字が銀色に輝く漆黒の金属バットを恨めしそうに見つめ、重い溜め息を長々と漏らすエマちゃん。

 この大怪獣モデルは重心が手元にあるのでコントロールしやすいのですが、そんなことはなんの慰めにもなりません。魔法がかかっているのでどんなに硬いモノをどれほど力いっぱい殴っても凹んだり割れたりしませんが、それもまったく意味ありません。

「なにをつかんでもそれになるなら、やっすい武器にすればいいのに」

「まあ、そうも思うんだけど……闘ってる最中に魔法が解けて元に戻ったら、たいへんなことになるでしょ? 万が一に備えるのが戦士のたしなみってもんよ」

 ターニャの指摘に対し、エマちゃんは薄い胸を精一杯張って偉そうに応えました。

 とはいえ、手にしているのが金属バットでは様になりません。自分ひとりでは鞘に戻すことすらできないので、鞘ごとフィリスに渡し、刀に戻して納刀してもらいます。

「ようし、一件落着! 早く帰ってお風呂に入ろう!」

 元気よく言ったターニャが、呪符の入ったポーチを振り上げました。いちばん近い町から一万メルトル、深い森の中の道なき道を歩くのだと軽く半日はかかってしまいますが、帰還チケットがあれば一瞬です──が。

 戦闘の最中に炎の流れ弾を喰らっていたのでしょうか、ターニャのポーチは無惨に焼け焦げ、吊り紐のついた上半分しか残っていませんでした。