10
小五郎の腕を肩に担いだ阿笠博士たちがエレベータで海上部に上がると、大勢の人たちが船着き場へ向かっていた。直美や灰原の姿もある。
阿笠博士は右肩に大きなバッグをかけていた。そのバッグを船着き場に続く橋の手前で投げ捨てる。
阿笠博士と共に小五郎の腕を肩に担いだ目暮は、橋を渡りながら言った。
「もうすぐ警備艇が到着します。皆さんはそれで避難してください!」
すると、船着き場の方から丑尾が小走りにやってきた。
「俺は自分の船がある」
「あ、頼みます」
目暮は小五郎の腕を自分の肩から外して、丑尾に預けた。
その頃。ベルモットは都内のベイエリアにあるホテルにいた。
リビングと寝室が仕切られたスイートルームで、バスローブを羽織ったベルモットは、美しい夜景が見える窓際のデスクについていた。イチゴとシャンパンが置かれたデスクでノートパソコンを開き、タッチパッドに指を滑らせる。
そして、人差し指でキーを押した。
海水で満たされたドライデッキの中で、ドライスーツにエアタンクを背負ったピンガは海中ドアが開くのを待っていた。
やがて海中ハッチがゆっくりと開き始めた。
ピンガは水をかき分けてハッチに向かった。開いたハッチから海中へと出て行く──。
コンソールを操作していたエドが、ハッと顔を上げた。
「また遠隔操作されている!」
「何!?」
牧野は目の前の巨大モニターを見た。分割されたモニターの中に、海中ハッチ解除を告げる警告表示が出ている。
「閉じたはずだろう」
黒田が言うと、エドは悔しげに唇を噛んだ。
「新たなバックドア! グレースの奴!!」
「いつの間に……」
牧野は信じられないといった顔つきで、巨大モニターを見つめた。
「撃ィ!!」
潜水艦の発令所で、ジンが叫んだ。
次の瞬間、発射管に装填された二本の魚雷が圧縮空気に押し出されて、一気に海中へ放たれた。放たれた魚雷は標的に向かって海中を突き進む──!
「魚雷を探知!」
技術者の声とともに、警告音がコントロールルームに鳴り響いた。
巨大モニターに表示されたレーダー画面では、魚雷を示す二つのアイコンがものすごいスピードでパシフィック・ブイに迫っている。
「デコイ発射!」
「デコイ発射了解!」
技術者が牧野の命令を復唱すると、パシフィック・ブイを囲う巨大なリングから二発のデコイが発射された。魚雷の進路に向かって突き進んだデコイは、四枚の羽根を水平に広げて、海中を浮遊しながら音波発信を開始した。
パシフィック・ブイに接近する二発の魚雷が、音波を発するデコイに引き寄せられ、針路を大きく変えていく。
「魚雷、針路変更!」
「デコイにかかりました!」
巨大モニターのレーダー画面では、針路を変えた魚雷がデコイに向かって突き進んでいた。魚雷のアイコンがデコイのアイコンに到達すると、コントロールルームが大きく揺れた。魚雷がデコイにぶつかって爆発した衝撃が、離れたパシフィック・ブイまで伝わってきたのだ。
「いいぞ!」「やった!」
技術者たちは揺れに耐えながらも、勝利を喜んだ。
潜水艦の発令所でレーダー画面の前にいたウォッカは、魚雷が急に針路を変えて標的から逸れていくのを見て、くそっと歯噛みした。
「デコイに引っ張られた!」
「構わん。撃ち続けろ」
ジンが命令を下すと、魚雷発射管室の乗組員が二門の発射管に魚雷を装填した。
安室達との電話を終えたコナンは、スケボーを持ってエレベータで海上部に上がった。
(止めてやる! 奴らの潜水艦を止めてやる!!)
エレベータが海上部に到着すると、スケボーに乗って船着き場へ向かう。
橋の手前に大きなバッグが置いてあった。阿笠博士が投げ捨てたバッグだ。
コナンはバッグの前で止まり、バッグのファスナーを開けた。中にはイルカ型の水中スクーターと海中ヘッドセット、そして小型エアタンクが入っていた。
「サンキュー、博士」
船着き場に到着したコナンは、海中ヘッドセットを着けて小型エアタンクをくわえると、イルカ型の水中スクーターを持って海へ飛び込んだ。
パシフィック・ブイから離れた海面には、大きな水柱が立て続けに上がった。それはデコイに誘導された魚雷が爆発した水柱だった。
窓の外に広がる夜景を眺めながら、ベルモットはシャンパンが注がれたグラスに唇をつけた。炭酸の刺激と共に、上品な甘みと芳醇な香りが口の中に広がっていく。
シャンパンを飲み干したベルモットは、デスクの上に広げられたノートパソコンに目を移した。画面にはパシフィック・ブイの3Dデータが表示されている。
ベルモットは空のグラスを片手に持ったまま、キーボードを操作した。『ロック解除』の文字と共に、パシフィック・ブイのリング部分が拡大される。
「ダメよ。玉手箱は、海の底に沈んでないとね」
グラスを頬に当てたベルモットは、人差し指でキーを押した。
突然、デコイの発射口のハッチが閉じられた。
「デコイの発射口が開きません!」
システムを操作していた技術者が叫び、牧野が「何!?」と立ち上がった。
「エド!」
呼びかけると、青ざめながらコンソールのモニターを見ていたエドが振り返った。
「ダメだ。防御システムも遠隔操作されている……!」
「なんだと!?」
牧野は愕然とした。まさか防御システムまで遠隔操作されるとは思いもしなかったのだ。
デコイが発射できないとなると、敵から魚雷を撃ち込まれたらもはや避けられない──!
そのとき、別の技術者が叫んだ。
「魚雷を捕捉!」
巨大モニターに表示されたレーダー画面に二つの魚雷が出現して、パシフィック・ブイに迫っている。
「牧野局長! 決断を!!」
黒田が声を張り上げた。
「90秒で着弾!」
再び技術者の声が響き、デスクに両手をついた牧野の顔に汗が伝う。
苦渋に顔をゆがめた牧野は、上体を起こして技術者たちの方を振り返った。
「総員、至急退避! 施設内全てに避難指示を!! 急げ!!」
海に飛び込んだコナンは、水中スクーターのハンドルを握り、魚雷の爆発で濁った海の中を進んでいた。
(水は空気に比べて圧縮されないから、水中の衝撃波は秒速千五百メートルにもなる。魚雷の衝撃を避けるには、岩礁帯しかねぇ……)
そのとき、遠くの方で何かが白い泡の尾を引いて一直線に走っていくのが見えた。魚雷だ。パシフィック・ブイに向かっている。しかし、パシフィック・ブイからデコイは発射されていない。
(デコイが出てねぇ! 避難は間に合ったのか!?)
瞬時に理解したコナンは、前を向き、水中スクーターのスピードを上げて海中を突き進んだ。
再び二本の魚雷を放った潜水艦の発令所では、レーダー画面の前にいる乗組員がカウントダウンを始めた。
「着弾まで十、九、八……」
潜望鏡のそばに立っているジンがニヤリと微笑む。
「これでパシフィック・ブイは終いだ」
「六、五……」
レーダー画面に表示された魚雷のアイコンが、パシフィック・ブイに着々と迫る。
キールは険しい表情でレーダー画面を見つめた。
「二、一……ゼロ!」
ジンがカッと目を見開くと同時に、魚雷のアイコンがパシフィック・ブイに到達した。
白い航跡を曳いて突き進んだ二本の魚雷は、パシフィック・ブイを囲むリングをすり抜け、中心部に命中した。
ドオオオォォォンッ!
凄まじい爆発音とともに、パシフィック・ブイの中心部が吹き飛び、海中に炎が広がった。さらに水中爆発が海を揺らし、強烈な衝撃波を放つ──。
警備艇で避難した牧野たちは波に揺られながら、爆煙を巻き上げるパシフィック・ブイを呆然と見つめた。
「なんてことだ……」
「ああ、パシフィック・ブイが……」
同じ船に乗った直美も立ち尽くしていた。
『老若認証』システムを搭載したパシフィック・ブイが、そのシステムもろともに今、沈もうとしている──。
黒田たち警察官が乗った警備艇は、最後の職員を乗せて船着き場を離れた。
パシフィック・ブイの海上部からは爆炎が上がり、巨大なクレーンが激しい音を立てて倒れていく。
火の粉が飛び散る中、黒田は険しい表情で崩れていくパシフィック・ブイを見つめた。
(あのシステムはいくらでも悪用できただろうに、まさか破壊するとは……。それとも組織に破壊せざるを得ない事情が、何かあったのか……?)
魚雷を放った潜水艦は、パシフィック・ブイから離れた岩礁帯で身を潜めていた。
「兄貴、ピンガからです」
発令所にいるウォッカが、手にしたスマホをジンに向けた。
「貸せ」
ジンはスマホを受け取ると、耳に当てた。
『最後の仕上げが終わったようだな』
「早く合流しろ。お前に見せたいもんがある」
ジンはそばにあるタブレットをチラリと見た。画面には、ベルモットから送られてきたシェリーの老若認証結果が表示されている。
『そいつは奇遇だな』
海にいるピンガの得意げな声が聞こえてきた。
『こっちはお前が二度と組織で偉そうなツラができねぇような土産を持ってるぜ。合流するのが楽しみだな』
「ああ、後でな……」
ジンは耳に当てたスマホをにらみつけながら言うと、スマホを下ろした。
水中スクーターで海中を進んでいたコナンは、予想したとおり岩礁帯で潜水艦を見つけた。手前にある岩場に隠れ、装着した海中ヘッドセットで、ヘリコプターで飛んでいる赤井と通信する。
「聞こえる? 赤井さん! 潜水艦を見つけたよ。岩礁帯の中腹辺りにいる!」
『岩礁帯の位置は海図で確認済みだが、範囲が広すぎる』
「潜水艦の形が見えたら、狙撃できる?」
コナンは言いながら、周囲を見回した。
灰原は阿笠博士や蘭と一緒に丑尾のクルーザーに乗っていた。
パシフィック・ブイが爆発して、コナンのことが心配になった灰原は、水中スクーターと一緒に甲板に置いてあった海中ヘッドセットを手に取り、装着する。
すると、赤井と通信するコナンの声が聞こえてきた。コナンは潜水艦がいる岩礁帯のそばにいるらしい。さらに潜水艦を狙撃するつもりだ。
『できるが、どうする気だ』
『なんとかするよ』
二人の通信が切れて、灰原は甲板に立ち尽くした。
「工藤君……」
潜水艦を狙撃するなんて、無茶だ。しかもコナンはなんらかの方法で、潜水艦の位置を赤井に知らせようとしている。危険だ。危険すぎる──。
(何してんのよ、あのバカ……!)
灰原は甲板に置いてあった小型エアタンクを手に取り、口にくわえた。さらにサメ型の水中スクーターを持ち上げる。
「哀君!」
二階の操縦席にいた阿笠博士が、水中スクーターを持って縁に立つ灰原に気づいた。
「哀君! それはダメじゃ! バッテリーが──」
「博士、危ない!」
蘭が身を乗り出す阿笠博士を引っ張ると同時に、灰原が海に飛び込んだ。
ピンガとの通話を切ったジンは、ウォッカらと共にコンソールのモニターを見ていた。
「パシフィック・ブイはもう沈みやすぜ」
「よし。ピンガとの合流地点に急げ」
ジンはニヤリと口の端を持ち上げた。
尖った艦尾のスクリューが回転を始めて、潜水艦がゆっくりと向きを変える。
潜水艦からやや離れた岩場で、コナンは穴が空いた岩にボール射出ベルトを巻きつけていた。バックルにベルトの先端をカシャッとはめ込む。
そのとき、岩場に置いた水中スクーターが強い水流に押し流された。
コナンが驚いて水中スクーターが流れていく方向を振り向くと、停止していたはずの潜水艦が動き出して間近に迫っていた。
強い水流にさらわれた水中スクーターは、潜水艦のスクリューに巻き込まれて爆発する。
コナンはとっさにベルトを巻きつけた岩につかまった。スクリューが起こす強烈な水流に流されそうになる。
岩につかまったコナンは、激しい水流に必死で耐えた。
(まだだ……もっと引きつけてから……)
潜水艦が近づくにつれて、水流がさらに速く激しくなった。岩をつかんだ手がしびれ、さらに海中ヘッドセットと小型エアタンクが外れて流されてしまう。
ゴボォッと息を吐き出したコナンは、水流に耐えながら、岩に巻きつけたベルトのバックルに右手を伸ばした。
(今だ!!)
射出ボタンを押すと、バックルから花火ボールが飛び出した。激しい水流に巻き込まれた花火ボールは、潜水艦の真下に吸い込まれるように流れて、爆発する。
暗い海の中に放たれた色とりどりの鮮明な光が、黒鉄の潜水艦を照らし出した。
「う、海が光ってます!!」
潜水艦の発令所で、水中カメラの映像を見ていた乗組員が叫んだ。
「何……!?」
ジンはコンソールに歩み寄り、乗組員の肩越しにモニターを見た。
暗い海中で、無数のまばゆい閃光が煌めいている──。
岩礁帯の上空でホバリングするヘリコプターの中で、赤井はロケットランチャーを構えて、そのときを待っていた。
すると突然、眼下に広がる漆黒の海からまばゆい光が広がった。巨大な光の中心に、潜水艦の機影が浮かび上がる──。
「捕捉した」
赤井はロケットランチャーの引き金にかけた指に力を入れた。
「沈め」
砲口が炎を噴いて、ロケット弾を放った。
白煙を曳いた弾は一直線に海を貫き、潜水艦の艦尾付近に突き刺さった。爆発して、外殻に大きな穴が開く。
ロケット弾を受けた潜水艦は、艦体を大きく震わせた。地鳴りのような腹に響く爆発音が、艦尾の方角から伝わってくる。
発令所にいたジンたちは、とっさにそばにあるものにつかまり、振動に耐えた。
艦内に警報機のけたたましい音が鳴り響く。
「なんだ! 何が起きた!?」
ジンが揺れに耐えながら叫ぶと、
「エンジン出火!!」
「発電機から浸水!!」
「速力低下!!」
「モーター停止!!」
制御盤にしがみついた乗組員たちが次々と声を上げる。
「サブ電力に切り替えろ!」
潜望鏡につかまったウォッカが叫ぶと、乗組員は首を横に振った。
「ダメです! 繋がりません!!」
手傷を負った潜水艦は、スクリューの回転する速度が徐々に弱まっていき、やがて完全に止まった──。
ロケットランチャーを撃った赤井は、小さくなっていく花火の光を見下ろしていた。
「ボウヤ、よくやったぞ」
ホバリングしていたヘリコプターは一気に上昇すると、夜空の彼方へと消えていく。
灰原は水中スクーターでコナンがいる岩礁帯に向かっていた。水中スクーターのライトを頼りに暗い海の中を進んでいく。
すると、視界の隅をゆらゆらと漂うものがかすめた。
(!)
それは、メガネだった。灰原は水中スクーターのアクセルを緩めて、それをキャッチした。黒いふちのコナンのメガネだ。
(工藤君……)
海の中を漂うメガネに、胸騒ぎがした。
灰原はメガネをスカートのポケットに入れると、水中スクーターのアクセルを全開にして全速力で進んだ。
そのとき、今度はメガネよりもっと大きなものが漂っているのが視界の隅に映った。
目を向けると──それはコナンだった。仰向けになったコナンが手足をだらんと広げ、力なく漂っている。海中ヘッドセットも小型エアタンクも着けていない──!
灰原は水中スクーターの向きを変え、コナンの方に向かった。すると水中スクーターが急に減速して止まってしまった。パネルを見ると、バッテリーのマークが赤く点滅している。
灰原は水中スクーターを手放し、泳いでコナンの元へ向かった。
(ウソ……ウソ……工藤君!)
必死で水をかき分けてコナンの元にたどり着いた灰原は、コナンの肩をつかんだ。呼吸ができなくなったコナンは、気を失っている。
灰原は口にくわえた小型エアタンクの空気を吸い込むと、コナンの鼻をつまみ、口から息を吹き込んだ。口を離すと、力なく開いたコナンの口から空気が漏れていく。
(ダメ……ダメ……!)
灰原は涙をこらえ、小型エアタンクの空気を吸った。そして再びコナンの口に息を吹き込む。唇を離した灰原は、コナンの口元を見た。今度は空気が漏れていない。
ややあって、コナンの口からゴボッと息が吐き出された。
(!)
灰原は小型エアタンクをコナンの口に当てた。すると、コナンが小型エアタンクをつかんで空気を吸い始めた。
覚醒したコナンは、口にくわえた小型エアタンクの空気を夢中で吸った。小型エアタンクを口から離して目を開けると、目の前に灰原がいた。コナンを見ていた険しい顔が、フッと穏やかになる。
(危ねぇ……助かったぜ、灰原)
コナンは小型エアタンクを灰原に渡した。灰原が小型エアタンクを口にくわえて、空気を吸う。
コナンは右手で頭上を指差し、左手を灰原に差し出した。
(さぁ、ゆっくり浮上しようぜ。急浮上すると減圧症になっちまうからな)
手を繋いだコナンと灰原は、小型エアタンクの空気を分け合いながら、ゆっくりと浮上していった。
パシフィック・ブイから脱出したピンガは、岩礁帯で留まっている潜水艦にたどり着いた。艦首にある魚雷発射前部扉につかまりながら、防水ケースに入ったスマホを見る。
【到着】とメッセージを打ったのに、返答がない。魚雷発射前部扉も開かない。
ピンガはもう一度メッセージを打った。
【到着。開けろ】
しかし、なんの反応もない。
(……中に入れない気か? あの野郎!)
潜水艦のセイルを見上げたピンガは、艦尾の方向へ泳ぎ出した。
(ねぇ、工藤君。わかってる?)
暗い海をゆっくりと浮上しながら、灰原は手を繋ぐコナンの横顔を見つめた。
(組織に私がシェリーだとバレた以上、このまま帰ったらみんなを巻き込むことになる。そう、私にはもう帰る場所はどこにもないの……)
小型エアタンクの空気を吸ったコナンが、灰原に小型エアタンクを差し出した。灰原は受け取らずに、コナンをじっと見つめる。
(だから、あなたといられるのはこれが最後。バイバイだね。江戸川コナン君……)
灰原が悲しげに微笑むと、コナンは灰原の手をグイッと引っ張って自分に近づけた。そして小型エアタンクを灰原の口にくわえさせると、グッと顔を近づけた。歯を見せてニッと笑う。
〝言ったろ? オレがぜってーなんとかしてやるってよ! まあ、この後、スッゲー色々大変そうだけど……〟
そう言っているのが、灰原にはわかった。瞬時に、灰原の頬が赤くなる。
コナンは前を向き、再びゆっくりと上昇した。
コナンと手を繋いだ灰原は、自分に向けられたコナンの様々な顔を思い出していた。
──逃げるなよ、灰原…。自分の運命から…逃げるんじゃねーぞ…。
──そーいう顔してたら子供にしか見えねーんだからよ!
──心配すんなよ! ヤバくなったらオレがなんとかしてやっからよ!
灰原の頭に浮かんだのは、コナンの真剣な顔、自信に満ちた顔、そして優しい笑顔。
(……どうして?)
手を繋ぐコナンの後ろ姿に、灰原は心の中で問いかけた。
(どうしてあなたはいつも、いつも……そんな顔ができるのよ)
やがて海面が近づいてきて、夜空に瞬く星の光が見えてきた。コナンが灰原を振り返って、ニッコリと笑う。
その微笑む唇を見て、灰原はコナンに人工呼吸をしたことを思い出した。
(工藤君……あなたは知らないでしょうけど、私達さっき……キスしちゃったのよ?)
ようやく二人は海面に出た。そこは、パシフィック・ブイの船着き場のすぐそばだった。
海面から顔を出した二人は、むさぼるように息を吸った。
潜水艦は潮にゆっくりと流されていた。潮に逆らいながら艦尾方向に泳いできたピンガは、セイルの後方を見て愕然とした。上甲板に搭載されていたはずの小型潜水艇がなくなっているのだ。
メッセージを送っても反応がなく、魚雷発射前部扉も開かない。そして脱出用の小型潜水艇がなくなっている──。
(そういうことかよ、ジン……!!)
ジンの陰謀を悟ったピンガは、口の端をゆがめて笑った。
潜水艦にはもう誰も残っていない。残されたのはおそらく潜水艦を吹き飛ばす爆弾だけだ──。
次の瞬間、潜水艦がまばゆい閃光を発して爆発した。
閃光にのまれる瞬間、ピンガはニヤリと笑い、爆流の中に消えていった。
コナンと灰原が船着き場に這い上がると同時に、海中から地鳴りのような爆発音がした。
突然、目の前の海面が盛り上がり、巨大な水柱が立ち上がる。
(まずい……!)
コナンは巨大な水柱が高波となって船着き場に押し寄せてくることに気づいた。このままでは船着き場もろとものみ込まれてしまう──!
そのとき、ボートのブイが波にあおられて橋の方へ飛んでいった。
コナンは橋に向かって走り出した。
橋の柵に飛び乗り、キック力増強シューズのダイヤルをすばやく回すと、飛んでくるブイに向かって大きくジャンプした。体を上下逆さまにして、足の甲で思い切り蹴る──!
「行っけえええええ──!!」
ブイは灰原の頭上を一直線に突き進み、船着き場に襲いかかろうとする高波に大きな穴を空けた。穴の空いた高波は、船着き場を避けるように押し寄せて崩れていった。
ジン達を乗せた小型潜水艇は、パシフィック・ブイからかなり離れた海中を潜航していた。乗組員でいっぱいの狭い艇内で、ウォッカはジンと肩を並べて立っている。
「破壊したんですかい?」
「あの潜水艦には組織の秘密が詰まってるからな」
「ピンガには伝えたのよね?」
そばにいたキールがたずねると、ジンは目を伏せてニヤリとした。
「さぁ……どうだったかな」
潜水艇は穏やかな海中を進み、やがて漆黒の闇に吸い込まれるように消えていった。
ブイを蹴り放ったコナンは、橋の上に横たわり、呼吸を整えていた。
「コナンくーん!」
海の方から蘭の声がして、コナンはガバッと起き上がった。海の方を振り向くと、丑尾のクルーザーが近づいていて、デッキで阿笠博士と蘭が手を振っている。
「おーい!」
「無事でよかったぁ!」
蘭たちの姿を見たコナンは、ホッと胸をなで下ろした。
「助かったぞ、灰原!」
船着き場を振り返ると、灰原は仰向けに横たわっていた。声をかけてもピクリとも反応しない。
「おい、灰原!」
コナンは駆け出した。階段を下りて、船着き場で横たわる灰原へ駆けよる。
「灰原! おい、灰原!」
肩を揺さぶったが、反応がない。
「くそっ! 減圧症か!?」
コナンは灰原の顎先を持ち上げ、人工呼吸をしようと顔を近づけた。すると、
「んぐっ」
目を閉じた灰原が、コナンの口を手で塞いだ。さらに持っていたメガネを、コナンの太ももに置く。
「……え?」
コナンが驚いていると、船着き場に着岸した丑尾のクルーザーから蘭が走ってきた。
「大変! 哀ちゃん! コナン君どいて!」
蘭は灰原の頭の横にひざまずき、灰原の顔を覗き込んだ。灰原は目を閉じて、ぐったりとしている。
「ウソ……どうしよう……」
蘭はうろたえながらも、人工呼吸をしようと灰原に顔を近づけた。すると突然、灰原がムクリと起き上がり、蘭の顔を両手で押さえて唇にキスをした。
「!?」
コナンが驚いて目を丸くすると、灰原は何事もなかったようにパタンと再び横たわった。
「……え?」
突然キスをされた蘭は、思わずコナンと顔を見合わせた。
「ね、寝ぼけてるのかなぁ?」
コナンは慌ててメガネをかけて、ごまかすように笑った。
二人の前に横たわった灰原は、こっそりと目を開けてコナンを見ると、口元を緩ませた。
(ちゃんと返したわよ、あなたの唇)