◆エピローグ

 

 

 カランカラン、とベルが鳴る。

 黒髪を伸ばした美人のマスターがコップを磨きながら「いらっしゃいませ」と微笑む。カウンターの上には癖っ毛に似た葉っぱを生やした観葉植物が置いてあった。

「どうも」と頭を下げたのは、派手な髪色をした美人だ。宝石のようなネイルをした彼女は無表情で店内を見回す。花開くようにパッと顔色が華やいだ。

「おまたせ、急な予約が入っちゃって」

「ううん、大丈夫。わたしも今来たところだから」

 待っていたのは、肩口で髪を切り揃えた快活な女性だった。ひまわりを思わせる温かな笑顔を浮かべ、長い指でカップの口を撫でている。

 ネイルの美人はブレンドを頼むと、さてと、と早速本題に入った。

「どうやら日本の法律では、三人婚をすることができないらしく」

「うん……うん?」

「なのでこれはもう、早い者勝ちではないかと」

 ブランド物の鞄から取り出したのは、一枚の紙。婚姻届であった。

「あたしの分は書いてるから、あとはみゆゆだけ。ほら、早く。あいつが来る前に」

「そのあいつって誰のことよ」

「そりゃもちろん」

 振り返る。綺麗な金髪を伸ばしたスーツ姿の女性が、トランクを肩に担いで立っていた。片手をポケットに突っ込んだその姿は鮮烈で、見るものすべての心に焼きつくような美女である。彼女はサングラスを外しながらうめく。

「アンタ、もう二十五になるのにそんなことしてんの? よくそれでネイルサロンとか経営できるね……」

「フィーリングだし」

 他の客が「もしかしてあの人、有名デザイナーの……」とヒソヒソとささやく。金髪の美女はネイルの美人の隣の席についた。

 黒髪の女性が微笑む。

「燐香ちゃん、おかえり。久しぶりの日本かな?」

「ただいま、深優。この街にも空港ができたら楽なんだけどね。お、アンタも元気してた? タマ」

 テーブルの上のペット用バスケットに入ったわたしがにゃーと鳴く。

「で、ひな乃。アンタどーして今さら婚姻届とか」

 燐香ちゃんの薬指にも、ひな乃ちゃんの薬指にも、もちろん深優ちゃんのそこにも、指輪が光っていた。それぞれ違う色で、燐香ひな乃ちゃんのはちょっと派手だけど、れっきとした結婚指輪だ。

「いや、なんか、抜け駆けしたらリンが悔しがるかなって」

「むしろそんなアンタの本性を見抜けなかったコトに悲しくなるよ」

「たまにはみゆゆを独り占めしたい夜もあって」

「そのたびに離婚結婚離婚結婚繰り返す気? そーゆーの全然じわらないし」

 ぐぬぬ、とうめくひな乃ちゃん。

 見かねた深優ちゃんが声をかける。

「まあまあ、ひな乃ちゃんが変なことするの、いつものことだし。仲良くね、ほら」

 その言葉で、言い合っていたふたりはあっという間に大人しくなった。

 ひな乃ちゃんが机に突っ伏す。燐香ちゃんがため息をついた。

「はいはい、愛してるよ、ひな乃」

「あいしてるー」

 ふふふ、と深優ちゃんは微笑みながらブレンドに口をつける。

「きょうは久しぶりに燐香ちゃんが帰ってきたんだから、いっぱいごちそう作らなくっちゃね」

「お、料理、ますます上手になった?」

「どうかな、食べてみてからのお楽しみ。それとも精のつくもののほうがいい?」

「そ、それは……おまかせで」

 頬を赤らめながら目をそらす燐香ちゃん。まだあどけなかった頃の面影を見せる彼女の耳たぶを、深優ちゃんが撫でた。

「お任せ、ね。かわいいんだから、燐香ちゃんは」

「ちょっと……ここ、外だから。ダメだって」

「あら、なにをされるって思ったのかな? ただ、撫でてるだけなのに。ふふ」

「……深優のバカ」

 燐香ちゃんの顔は真っ赤だった。ひな乃ちゃんが羨ましそうに見やっている。

 喫茶店ベンジャミンバロックを出て、三人は家路をたどる。三年前から一緒に暮らし始めた彼女たちは、もちろん今もずっと仲良しだ。むしろ仲良しすぎるくらいで、夜とかやばい。いややばくはない。最高です。

「こっち通るの、久しぶりだね。懐かしいな、公園。あ、見て」

 深優ちゃんが小走りで公園に足を踏み入れる。

 そこにはすっかり古くなった遊具が、あのお椀を逆さまにした隠れ家があった。

「これ、こんなにちっちゃかったんだよねー」

「ね、入ってみようよ」

「え、えー」

 眉根を寄せるひな乃ちゃんの手を引いて、深優ちゃんがお椀の中に体を入れる。バスケットから見る天井は意外と広い。それでも燐香ちゃんが入ってくると、中はぎゅうぎゅうだ。

 深優ちゃんは楽しそうに笑う。

「ここから始まったんだよね、わたしたち」

「……そーだね」

 燐香ちゃんが深優ちゃんに顔を近づけ、キスをする。

「愛してるよ、深優」

「もちろん、わたしも。すっごく愛してるよ。いつまでもずっと、ずっと愛してる」

 今度は深優ちゃんがひな乃ちゃんにキスをした。

「ひな乃ちゃんのこと、愛してる。死がふたりを分かつまで、ずっと一緒にいようね」

「うん……ずっと一緒に、いる。みゆゆ、大好き」

 

 人生は出会いと別れの物語だと言う。

 けれど、もし運命の人に出会ったとしても、それが運命の人だと気づくことができなければ、ふたりが幸せになることはない。

 誰よりも優しい少女は、誰よりも愛情深く人と関わろうとしたからこそ、きっと幸せを掴めたんだと私は思う。

 その小さな手のひらで、一匹の猫の命を二度も救ったように――。

 

 私はこれからもずっと深優ちゃんの――百合カップルのイチャラブ生活を見守り続けるだろう。

 三毛猫といえば招き猫。来福招福の加護を授かった、由緒正しいペットなんだから。

 完全勝利! ハッピーエンド!