◆中学生編

 

 

「どう……かな?」

 ちゃんが恥ずかしそうにその場でくるりと回った。翻ったスカートはまるで天使の羽のようである。神々しい。

 本日から深優ちゃんは中学生。というわけで、制服にお着替えしていた。古式ゆかしいセーラー服を来た深優ちゃんは、信じられないぐらいの可愛さである。この子のペットで私、心から幸せだわ……。

 深優ちゃんはねこの頭をナデナデして、それじゃあいってきます、と手を振った。にゃー、とお見送りする。

 ご両親と深優ちゃんが入学式にいってしまったので、私はひとりになっちゃったんだけど。

 いつものように適当にリモコンを操作してテレビでも見ていようか……と思いつつも、落ち着かない。

 深優ちゃん、ついに中学生かー……。

 元気で明るい深優ちゃんだけど、大丈夫かな、中学校生活……。意地悪な先輩がいたり、意地悪なクラスメイトがいたり、意地悪な先生がいたりで、いじめられたりしないかな……。

 気になる。

 そう。なら見に行けばいいのだ。

 幸い私は観葉植物に転生したわけでもないので、この四足でどこにでも歩いていける! 野良やってたときの記憶がトラウマすぎて、好き好んでは出歩きたくないけど、でも、深優ちゃんのためなら!

 というわけで、ぶっちゃけ私が見に行ってどうなるわけじゃないけど、まあまあ。私は中学校に走ってくことにした。久しぶりの大冒険だ。

 おうちからは徒歩十分。猫の足でも同じぐらい。割と近いところに中学校はある。

 あ、猫ー、ほんとだー、猫、猫ー、なんて指さされるので、ちょっと人目を忍ばないと……。いやいや猫なんて大したもんじゃないですよ。女子中学生のほうがよっぽどかわいいですよ……。

 塀の上とかちょっと高いところを歩くと目立っちゃうのだが、低いところを歩くと合法的に女子中学生のぱんつ見放題なので、よそ見してまた海に落ちてしまう可能性があるからね。気をつけないと。

 すいすい歩いて、中学校に到着ー。公立の女子校だ。

 やだ、この年で足を踏み入れるとかなんか緊張しちゃう……。

 私は抜き足差し足忍び足で、教室の方に回る。

 講堂からは入学式の声が聞こえてくる。猫の体って耳がいいのよねえ。

 物陰に隠れて待ちながらうとうとしていると、聞き慣れた声がした。ぴょこんと耳が跳ねる。

 これは……私のご主人様と、そのお友達方!

 窓にへばりついて眺めると、深優ちゃんとりんちゃん、それにひなちゃんが並んでクラスに入ってくるところだった。

 おお、みんな同じクラスになったんだ!

 セーラー服を着た燐香ちゃんは背も伸びて、かなり大人っぽい感じだ。三人の中ではマスコットみたいだったひな乃ちゃんも、みんなと揃いの制服を着ていることで、その美少女っぷりがより際立っている。

 なんかこのトリオ、めっちゃ目立つね!

 三人はしばらく談話し、ホームルームが始まるとそれぞれの席についた。

 確か、公立中学は生徒たちの話を小学校の担任の先生に聞いて、そうしてクラス割りを決めるとか聞いたことがある。問題児(だと私は思わないんだけど、確かに服装は自由すぎる)燐香ひな乃がいるクラスには、深優ちゃんを入れておこう、って感じになったのかもしれない。

 なにはともあれ、入学早々深優ちゃんが寂しい思いをしなくてよかった。

 しかし、こう……。

 席について先生の話を聞く深優ちゃんの姿を見ていると、あの大人しかった子が中学生になったんだなあ、という感慨が湧きますな……。

 はー……。ほろりと涙がこぼれちゃいそうだわ……。

 本日は授業もなし。とりあえず委員会とかを決めるらしく、クラス委員にはなんと深優ちゃんが早速立候補していた。反対意見も特に出ず、すぐに決まる。深優ちゃんは新しく始まる中学校生活を目いっぱい楽しむ気、満々みたいだった。

 ホームルームが終わり、三人はどこかに寄って帰るみたいだ。燐香ちゃんが誘い、ひな乃ちゃんがブーブー言い、深優ちゃんが楽しそうにしている。

 うん。

 三人が一緒なら、きっと深優ちゃんも素敵な毎日を過ごせるだろう。

 私はホームルームが終わるまで居座り、その後は三人の寄り道を見守ってから、おうちに帰ってきた。

 外に出るのはちょっと怖かったけど、なんか出てみるとこれはこれで楽しかったっていうか、女子中学校の生活を合法的に堪能できるのは正直たまんないっていうか……。

 勇気を出してみてよかった。

 そうだ、飼い猫だからっておうちにいなきゃいけないってことはないんだから、これからはもう、毎日中学校にいこう。覗きにいこう。

 猫を縛る法律はないのだから。

 私は深優ちゃんの成長を見守るのだ! 車に気をつけて、な!

 

 

「えへへ、どう、かっこいい?」と、深優ちゃんがピカピカのラケットを見せびらかしてきた。

 かっこいいっていうかめちゃくちゃ可愛かったので、私は尻尾をピンと立ててにゃーにゃー鳴いて深優ちゃんを崇め奉った。はー、ほんま深優ちゃん地上に舞い降りた最後の天使ー。

 中学校に入って、深優ちゃんは部活動を始めた。なにを隠そう、バドミントン部だ。バドミントンってあれでしょ。ユニフォームが短パンだから深優ちゃんの生足を思う存分堪能できるっていう……。やべえ、体育館に日参しないと。

 しかも嬉しいことに、燐香ちゃんとひな乃ちゃんもバド部に一緒に入部したみたいなんだよ。

 キラキラ三人の美少女で華やぐバド部……。しかもその三人は友ちゅーとか言って互いにちゅーしてたりする……。やばいですね、ただれてますね……。

 そんなわけで、深優ちゃんはパパママさんに買ってもらったラケットを部屋の中で素振りして、がつーんっと本棚にぶつけ、あわあわとしてた。私にしーってナイショのサインを送ってくる深優ちゃん、おてんばかわいい……。

 なんていうか、こう、こないだまでランドセルを背負ってたちっちゃい女の子が、少しずつ大人になってゆくのって、いいね……。

 私は改めて、というか何百回目か知らないけど、猫になって深優ちゃんに拾ってもらえた運命に感謝した。

 だってほら、にゃーんて擦り寄れば……。

「うん、どうしたの? 甘えん坊さんなの? もー、タマってばかわいいなあ。ほら、おいで。にゃー。にゃー」

 だなんて、私をめちゃくちゃ撫で回してくれるんだから!

 ああっ、背中から首元……。尻尾や、あまつさえお腹なんて……!

 だ、だめっ、そんなとこ……っ。まだお嫁にもいってないのにっ……。

「ほら、ほら、いいこ、いいこねー、タマ、よしよし……」

 はぁ、はぁ……。こんな、中学一年生の美少女に全裸を弄ばれるなんて……。も、もう、最高……。ふぅ~、ふぅ~……。もう人間になんて戻りたくない……。一生ペットでいたい……。

 きっと私の顔は人に見せられないものになっているのだろうが、今はそんなの関係ない。だって私、猫だもの! なにをしていたって人間に可愛がってもらえる、最強の生き物だもの!

 

 

 さて、深優ちゃんたちが中学生にあがってから、半月が経った。そろそろ真新しい制服にも慣れた頃である。

 さすがにギャルちゃんたちも忙しいのか、なかなかうちに姿を見せてくれなくて寂しい……と、かつての私なら思うだろう。だが今の私は、自由自在にマンションを出入りできるのだ! すべては私の深優ちゃんへの愛である。

 まあ猫の生活などどうでもいい。深優ちゃんたちのことだ。

 深優ちゃんはクラス委員長に、部活にと、楽しげな日々を過ごしている。

 クラスでは、明るい子、活発な子、目立つ子、おとなしい子と、分け隔てなくお喋りしていて、すっかりみんなの人気者だ。

花崎はなざきさんってちょっと怖いイメージあったから、安心したー」と目立つ子に言われ、深優ちゃんは首を傾げる。

「えっ、こわいかな? ひょっとして素振りしすぎて筋肉ついちゃった⁉」

「あはは、違うよ。ほら、花崎さんって羽黒はぐろさんとか白幡しらはたさんと仲いいじゃない?」

 あー、と深優ちゃんは頬をかく。

 まあ、ふたりとも校則違反なのに髪染めちゃったりしているからね……。成長してますますギャルぽくなってってるし。先生はなんにも言わないけど、周りの子はちょっとビビっちゃうよね。

「でもでも、燐香ちゃんもひな乃ちゃんも、すっごくいい子なんだよ?」

 深優ちゃんはそうフォローするけれど、相手は笑ってごまかしていた。ううむ、クラス委員長も大変だ。

 けれど、もっと大変なのは部活だった。

「ちょっと一年、なにその髪」

 などと、三年生の先輩が絡んでくる。ひええー……。

 けれどジャージ姿の燐香ちゃんは、まったく物怖じしない態度で。

「へへっ、かわいくないですか? いーでしょ」

 ラケットを肩にトントンと当てたまま、ニコニコと笑っていたりする。

 小学六年生から中学生にかけてググーンと背が伸びた燐香ちゃんは165センチぐらいあって、立っているだけでもめちゃめちゃ目を引く存在感があった。嫌な言い方をすれば、悪目立ちするってやつだ。

 三年生の先輩は舌打ちして。

「……そういうふざけた態度の子がいると、私たちまで不真面目って思われるから、迷惑なんだけど」

「部活は真面目にやってますけど?」

「そういうんじゃなくて! ……ったく、ホントなんのこいつ……」

 先輩は髪をがじがじとかいて、コートのほうに立ち去ってゆく。そこにひな乃ちゃんがやってきた。

「リン、大丈夫?」

 あっ、ひな乃ちゃん優しい……。好き……。

「だいじょぶだいじょぶ。難癖つけてくる先輩なんて、お姉ちゃんに比べたら天使みたいなもんだし」

「あー……。リンのお姉さん、怒ると火山が噴火したみたいになるから」

「マジ、生きた心地しないかんね」

 けらけらと笑う燐香ちゃん。どんなお姉さんなんだ……。

「つか、ひな乃こそ、だいじょぶなん? 相変わらず好き勝手してるけど。なんか言われたりしてないの?」

 セーラー服を着崩し、アクセサリー付けて、ネイルも塗ってるからね……。

 けど,ひな乃ちゃんは相変わらずのほほんとした調子だ。

「あたしはあんまやる気ないから、目もつけられない」

「ま、ウチらが誘ったのにイジメられるとかじゃ、こっちもショックだからね」

「別に誘われたからやってるわけじゃない。バドはダイエット目的」

 ぷい、とひな乃ちゃんはそっぽを向く。私よりよっぽど猫みたいだ。

「ああそーですか。でもま、なんかあったら言ってよ。ウチがなんとかしてあげっから」

 ぽんぽんと頭を撫でると、ひな乃ちゃんは眉を寄せた。

「リンがそんなこと言うの、ナマイキ。リンになにかあったら、あたしが助けてあげるから。身の程をわきまえてほしい」

「なんなのさ、アンタ……」

 燐香ちゃんはげっそりとつぶやいた。

 その間もずっと、深優ちゃんは一生懸命、基礎練に力を入れてる。

 楽しかったバドミントンを、たくさんの人と一緒に遊べる。それだけが今、一番嬉しいみたいだった。

 けれど――。

 平穏であってほしいという私の願いは虚しく、ちょっとした騒動が起きてしまったのだ。

 

 

 中学に入って、二ヶ月ほど経った頃だ。

 守衛のおじさんの見回りルートも完全に把握した私は、本日もたやすく女子中学校への潜入を果たした。へっへっへ、ザルっすよ警備。もしかしたら私は、女子中学校に忍び込むために猫になったのかも……。

 実際は猫が校内に入ったところで、人間が本気で注意するわきゃない、みたいなことなんだろうけど、それはそうとして。

 教室でセーラー服姿の深優ちゃんが真面目に授業を受けているのを、木の上からのんびりと眺める。ああ、真剣な横顔かわいい……。ここは風通しがよくて、まるで楽園だ。

 みんな、ひょっとして人生が楽しくないのは、女子中学校に気軽に潜入できたりしないからではないだろうか。私が社長になった暁には全社員のデスクにデュアルディスプレイを配置し、片側のモニターにはずっと女子中学生が、ていうか深優ちゃんが学園生活を送る光景を映し出したい……って思ったけど、深優ちゃんの可愛い姿を他の人に垂れ流すのは嫌なので止めた。

 さて、(いったんお昼を食べるためにおうちに帰ってから)放課後は体育館にやってきた。バドミントンの部活を見学するのだ。

 深優ちゃんや燐香ちゃんが筋トレに励んでいる中、ひな乃ちゃんは適当に手を抜いているようだ。ひな乃ちゃんらしい。

 筋トレの後はシャトル打ち。部員は二十名ぐらいで、和気あいあいとやっている。

「深優、やろ」

「うん。あ、しばらくしたらひな乃ちゃんと交代するね」

「お、お気遣いなく」

 ひな乃ちゃんは手をパタパタと振って、どっこいしょーと壁際に座り込んだ。あの筋トレだけでへばったみたいだ。ひな乃ちゃんはお人形みたいに手も足も細いからなあ。

「まったく、ほらよ」

 燐香ちゃんがシャトルを打って、深優ちゃんとのラリーが始まる。

 これ、言おうかどうか迷ってたんだけど、仲良しふたりがバドミントンしてるのって、なんかこう、百合みあるよね……。

 はー、美少女同士のバドミントン……。舞い上がる髪、ひねる手首と弾む二の腕、頬を伝う汗……。いいわ、一生見てられるわ……。

 しかし、そんな風に堪能していると、だ。

「ちょっと一年、ふざけて遊んでるんだったら、よそでやってくんないかな」

 腕組みをした上級生のお姉さん三人が怖い顔をしてやってきた。ひいこわい。

「え、別にわたしたちは」

 深優ちゃんを手で制して、燐香ちゃんが前に出た。

「なんすか、センパイ? ちょーマジメにやってましたけど? 見てなかったんですか?」

 三人相手にも怯まずニッコリと笑う燐香ちゃんに、先輩方は顔をしかめる。

「なに言ってんの、そんなわけないじゃん」

「そうそう、そんなチャラチャラして。髪だって染めてるし」

「調子乗ってんじゃない?」

 代わる代わる言われ、その様子を遠巻きに見ている人たちもなんだか異変を感じ、辺りの空気がおかしな風になってゆく。

 な、なにこれ。

「違います、燐香ちゃんは」

「いいっていいって深優。ウチがチャラチャラしてんのは事実だし? 目障りってんなら、外でも走ってきますよ。ね、ほら、深優はひな乃とやってなよ。ちょっとはあいつ運動させないとただの置物だよ。じゃ、ひな乃は頼んだからねー」

「燐香ちゃん……」

 言いたいことだけ言って去ってゆくその後ろ姿に、先輩方は「なんなのあいつ……」と毒づいていた。

 燐香ちゃんはすごく優しい子なんだから、いつかきっとわかってもらえる日がくるよ……うん……。

 先輩が行った後、「でも……」と納得できずにうつむく深優ちゃんの肩を、ひな乃ちゃんがぽんぽんと叩く。

「大丈夫。リンは図太いから。こんなの、昔からしょっちゅう」

「えっ、そうなの……?」

「うん。お姉さん見てるから、本人も耐性ついてる。でも好きな格好はやめらんないし、だったらある程度の我慢は必要。寒いけどかわいいからミニスカ履くみたいな」

「……ひな乃ちゃんも、そういうことあるの?」

「んーん」

 深優ちゃんの心配そうな顔に、ひな乃ちゃんはすぐ首を振った。

「あたしはないよ。いつもリンが守ってくれるから」

 えっ、そうだったんだ。

 知らなかった。

「うるさいことばっかり言うけど……実はね、そういうとこは、感謝してるんだ。本人に言わないでね、ハズいから」

 笑みを浮かべたひな乃ちゃんは、再び壁に向かって歩いてゆく。その腕を深優ちゃんが掴んだ。ちょっとだけ安心した顔で笑う。

「うん、だったらちゃんと運動しようね。燐香ちゃんの言いつけどおり」

「あいつめ余計なことを……」

 私は体育館を出て、学校のグラウンドを回る燐香ちゃんの後をついていった。

 燐香ちゃんは本当になにも気にしていない顔で、真面目に外を走っている。

 涼しげで、気持ちよさそうで、風に揺れる金髪がとっても綺麗だった。

 おしゃれで、友達思いで、優しくて、かわいい。

 燐香ちゃん、無敵なのでは……。

 しばらくその、走る姿に私は見惚れていたのだった。

 

 

 憂鬱だ。

 雨降りが続く梅雨の季節。私はぼんやりと窓の外を眺める。

 はー、雨なあ。雨だと散歩できないんだよなあ。

 ほら、私基本的に全裸けがわだし、濡れたら濡れっぱなしになる上、そんなんでグラウンドに降りたら泥だらけになっちゃうし。

 一応、外出していることはナイショの身なので、汚れて帰ってきて『戸締まりきちんとしましょう』みたいになって出入りする窓を封じられたらどうしようもない。お手製雨合羽でも作ってみようかしら……。

 というわけで、ここ最近は学校にも遊びにいけてないのである。

 ま、代わりに深優ちゃんご主人様は「猫はもともと砂漠育ちだから、湿気に弱いんだよ。だから、体長崩さないようにね」っていつもよりたっぷり気を配ってくれているし、贅沢言っちゃダメだよね。うんうん。

 そんな土曜日、お出かけしていた深優ちゃんがお昼過ぎから、燐香ちゃんを連れて帰ってきた。燐香ちゃんだわーい!

「やっほ、タマ。元気? あ、なんかしっとりしてるね。うりうり、うりうりうり」

 燐香ちゃんに抱き上げられ、顔をもみくちゃにされる。あーうーあー。

 もう二年強の付き合いだし、私もほどほどに大きくなってきたので、昔ほど乱暴な手つきではない。されるがままになっていると、ほどほどに満足したらしい燐香ちゃんは私を抱っこしたままリビングへと……。

 シャッとカーテンを締め切って、部屋の中を薄暗くし、ソファーへと座る。

 こ、これはいったい。

 まさか、燐香ちゃん私のことが……⁉

 いやでも、私はどっちかというと百合るより百合ってる子たちを見るのが好きっていうか、私自身を対象にされるとめっちゃ困るっていうかあうあう。

 よいしょ、と燐香ちゃんと深優ちゃんは並んで座った。

「ま、まったくひな乃のやつ、直前でビビっちゃってさー。あいつが見たいって言ったくせにさー」

「まあまあ、怖いものはしょうがないよ、燐香ちゃん。ふたりで見ようよ」

 深優ちゃんはDVDプレイヤーに借りてきたディスクを挿入する。あ、映画ですか。私をどうこうするわけじゃないんですね。よかったよかった。

「そーだね、へへっ、あとで全然怖くなかったけど? って言って、バカにしてあげよーね」

「それはちょっとかわいそうだけど、ふふ、そうだね」

 私は燐香ちゃんの膝の上に乗せられたまま、映画が始まった。

 最近話題になった邦画のホラー映画だ。私は梅雨の昼間ワイドショーばっかり見てるので、トレンドにはめっちゃ詳しいのである。

 美少女中学生に背中を撫でられながら見る映画とか、たまらないですね……。しかもタダで……。

 映画は開幕から怖いシーンが続く。よくできたCGだなー、という感想を抱くぐらい私はこういうの平気なんだけど(この世で一番怖いのは上司の理不尽な叱責である)、深優ちゃんと燐香ちゃんはさすがにそうでもないみたいで。

「へ、へぇ、けっこーこわいじゃん。これはひな乃にはキツかったかもね」

「うん……。こわいね」

 最初の方こそ余裕ぶっていた燐香ちゃんだけど、二十分ほど経った辺りにはもう深優ちゃんの手をギュッと握るぐらいに怖がっていた。(私は押しのけられ、床で見ている)

 画面から物音が立つごとに小さく「ひゃっ」と悲鳴をあげる燐香ちゃんに対し、深優ちゃんは怖がってはいるけど真剣に画面を見つめている。

 まさかの展開だ。私はちょっと離れて香箱座りになり、ふたりを観察する。

 燐香ちゃんはもう思いっきり深優ちゃんにしがみついてた。あの強気な燐香ちゃんが涙目だ。こんなの映画を見てる場合じゃない。

「うう、なんだよこれ、こわいじゃんかよー……なんでわざわざお化けがいる家にまた入ろうとするのー……」

 深優ちゃんもまた、怖がりながら燐香ちゃんの頭を抱えている。抱き合うふたりの美少女。まるで映画の中の展開みたいだ。

 やがてクライマックスに入る。

 何度か燐香ちゃんは悲鳴をあげたものの、最後まで見終わった。スタッフロールが流れるととともに、燐香ちゃんは魂を吐き出すようなため息をついた。

「終わった~……」

「終わったねー……。はー、こわかったぁ」

 ふたりは手をつなぎ、抱き合う。

 燐香ちゃんが目に涙を浮かべているのを見た深優ちゃんが。

 その唇に、ちゅっ、と口づけをする。

 燐香ちゃんは驚いたように深優ちゃんを見返した。

「な、なにさ……」

「なんか、泣いてる燐香ちゃん見たら、かわいくって、ちゅーしちゃった。えへへ」

「なによー、それ……」

 燐香ちゃんは口を尖らせ、仕返しとばかりに深優ちゃんの唇をついばむ。

 ふたりはそのまま、しばらくちゅっちゅとしていた。

 ハッ、これはひょっとして、吊り橋効果というやつでは……?

 ホラー映画でドキドキしたふたりが、そのドキドキを恋愛のドキドキと脳が勘違いしてしまうという……。

 そこでエンドロールが終わったと思いきや、テレビが急にお化けを映し出した。よくある映画の後のワンシーンだ。「きゃあ!」と驚いた燐香ちゃんはそのまま深優ちゃんに抱きつく。燐香ちゃんが深優ちゃんをソファーに押し倒した形になった。

「はぁ、はぁ……」と荒い息をつく燐香ちゃん。

 見下された深優ちゃんは。

「あ、あの」

 と口を開こうとして。

 燐香ちゃんが深優ちゃんに覆いかぶさった。

 そのままキスをする。

 しかもいつものような軽い友ちゅーではなく、長い時間をかけたたっぷりとしたキスを。

 わ、わー……。

 情熱的な方のキスだ!

 唇だけにとどまらず、舌を絡め合うような……。

 カーテンを締めた薄暗い空間に、ふたりの短い嬌声が漏れる。

 いつの間にか、深優ちゃんは燐香ちゃんを抱きしめていた。そのおかげで、ふたりは離れず、いつまでもキスを続けている。まるでふたりだけの時間だ。

 かすかに差し込む陽に照らされたホコリが光の粒子のように舞っている。日常なのに非日常で、幻想的な空間のように思えた。REC、REC、REC。

 少しだけ顔を離したときに、ふたりの表情がチラッと見えた。燐香ちゃんも深優ちゃんも熱に浮かされたような顔をしている。ただその行為に夢中になっていた。

 互いになにか言葉を発すれば、この奇跡のような空間が壊れてしまうようで、ただ、ん、ん、と喉を鳴らしながら。

 角度を変え、燐香ちゃんは再びキスをした。まるで自分にとって一番気持ちのいいところを探っているみたいに、

 ぴったりと体をくっつけ合い、溶け合うように唇を重ねるふたりを、私は息をするのも忘れたように見入ってた。

 というそのとき――。

 メッセージの着信音がやけに大きく響く。

 燐香ちゃんがびくっと震え、スマホの方に振り向いた。

 それを見た深優ちゃんがくすっと笑って。

「燐香ちゃん、ずいぶんびっくりしてる」

「……う、うるさいな」

 燐香ちゃんは髪を整えながら、情事に夢中で気づかなかったけれど、いつの間にか床に落ちていたスマホを取りに行った。

 ふー……、と深優ちゃんは胸に手を当てながら細い息をつく。真っ赤になった頬を押さえ、起き上がった。

「ひな乃だ。『どうだった?』て。気になるならくればよかったのに」

「そうだね。まだ三時だし、ひな乃ちゃんも呼ぶ?」

「ん……」

 燐香ちゃんは視線を逸らしながら。

「……きょうは、いーかな」

「ん、そっか。じゃあ、全然怖くなかったよって送ろうよ」

「そーだね、全然怖くなかったしね」

「うふふ、そうだね」

「……なんだよ、深優」

「なんでもなーい」

 えへへと笑いながら、深優ちゃんは物陰にいた私に「おいで」と両手を差し出してくる。私は膝に飛び乗った。

 ご主人様は私を撫でながらも、じんわりと幸せそうな笑みを浮かべていた。

 燐香ちゃんがカーテンを開き、間もなくママさんが帰ってきた。ふたりはこの日あったことを、ひな乃ちゃんにも話そうとはしなかった。

 まるでふたりだけの秘密を作るみたいで。

 たぶんお互いにわかっていたんだろう。あれは友ちゅーだなんて言葉では片付けられないような、たくさんの気持ちのこもったキスだったんだって。

 ああ、やばいものを見てしまった……。一生覚えていよう……。

 ちなみにその夜です。眠れなくなった燐香ちゃんが強がりながら深優ちゃんに電話かけてきたのが、すごいかわいかったです。

 深優が怖いと思って眠くなるまで話してあげるからー、って言ってたけど、あれ絶対自分が怖かったんだよね。燐香ちゃん萌える……。

 

 

 そうこうしている間に、梅雨が明けた。

 夏だ! 無断で女子中学校に潜入できて、衣替えしたばかりの女の子を思う存分堪能できる季節がやってきた! 我ながら最低である。でもしょうがない。猫は本能に忠実に生きる動物だから……。

 休み時間、三人はクラスの後ろの席に固まって、おしゃべりタイムをしてた。

 あじー、と完全にへばったひな乃ちゃんがだらしない顔をして、下敷きで自分を仰いでいる。

「もういいじゃん、クーラー入れようよ……。三十度越えないとダメっていう謎ルール、なんなの……。使うためのクーラーじゃん……」

「アンタ、寒さに弱い上に、暑さにも弱く、勉強も適当で体力もないって、いったいなにがあんの」

「顔かな」

「即答できるメンタルの強さだけは認めたげるけど……」

「顔だけ良ければ生きてける時代に感謝してる」

「自分の生き様でそれが可能か不可能か証明してみせようってんなら、アンタは大した根性だよ……」

 あはは、と深優ちゃんが笑う。燐香ちゃんは呆れ果てていた。

「あー……スカートの中に下敷き突っ込んで仰ぎたい……」

「いくら女子校だからって、さすがにそれやったら終わりだかんね、ひな乃」

「あたしがスカート自分でまくるから、みゆゆに仰いでもらうなら?」

「却下」

 うへあー、と声を上げながらひな乃ちゃんは机に突っ伏した。

「でも、きょうは部活も暑そうだねえ。バドは体育館締め切っちゃうからなあ」

「そーだねー。あー、ウチはこんな日も外ランかなあ。別に黒ギャルになりたいわけじゃないんだけどなー……」

 深優ちゃんが心配そうな顔をしてることに気づくと、燐香ちゃんは苦笑いしながら手を振った。

「あーいや、別にヤなわけじゃないんだけどね。走るのも好きだよ。ただ、最近シャトル打ってないなーってさ」

 なんと……。

 燐香ちゃん、梅雨前からずっと外を走らされているの? え、マジで?

「まー、目をつけてきてんのも、前川先輩とか、三年の人たちだけだし。あの人たち、夏が終わればいなくなるっしょ。だから先生とかに言わなくていーからね、深優。あと少しの辛抱だって」

「じゃあその前にシメっか」

「シメねーよ」

 ひな乃ちゃんの頭をノートで叩く燐香ちゃん。

「別にこんなん、どーってことないし? あんな人たちにキラわれても、大したコトないし。っつーか、ウチがあーだこーだ言われてんのに、ひな乃がスルーされてんのがむしろムカつくってか」

 冗談めいた言葉に、ひな乃ちゃんは腕組みをする。

「やはり顔がいいから……?」

「そーゆーとこで、ウチより関わりたくないって思われてんでしょ。ウチもひな乃ぐらい天然入ってたらよかったわ」

「ってか、前川先輩も、顔はいいと思う。七万位ぐらいには入ってる」

「ウチより上なのマジで納得できないんだけど⁉」

 ギャルふたりが後ろの方で騒いでるのを、クラスの人たちは遠巻きに眺めてる。きっとふたりもそんな視線には気づいているんだろう。

 けれど、好きなものはやめられない。仕方ないよね。私も死んで猫になった今だって、百合好きはやめられないんだから! 一緒一緒!

 と、そんなことをふたりに言ったら「いや、一緒にしないで」って冷めた目で見られるだろう。女子中学生に冷めた目で見られたい。(願望)

 ぼんやりしたりお昼寝している間に、放課後になった。

 放課後、ジャージに着替えて体育館に向かう三人。

 筋トレのあとは案の定、燐香ひとりがランニングを命令されて、残りでシャトル打ちという流れだ。

 深優ちゃんが「じゃあわたしも」と言って燐香ちゃんについていこうとするのだが、それを先輩たちが「あんたは中でシャトル」と止めてくる。

 燐香ちゃんも「いいっていいって」と手を振るから、深優ちゃんは悔しそうな顔で体育館にとどまった。

 うう、これが先輩による後輩イジメ……。

 猫の聴力は人間の十倍なので、離れてるところの会話も聞き取れる。例の前川先輩(ポニテにしていて少々つり目気味だが、確かに顔がいい)を中心として、三年生が話をしていた。

「ってか、あいつしぶとくない? いつまでもバカ真面目に走っちゃって」

「あたしらに当てつけしてんのよ。ホンット性格悪いの。ねえ前川、このままにしとく気? あんなチャラチャラしたやつ置いといてさ」

 例の前川先輩は腰に手を当てたまま、口元に嫌な笑みを浮かべる。

「私さ、聞いちゃったのよね、あいつの噂。うまくいけば、簡単に追い出せるかもよ」

「マジー?」と盛り上がる先輩方。

 な、なに噂って……。

「エンコーとか?」

「万引きしてんの?」

「そういうんじゃないんだけど、面白い話よ」

 燐香ちゃんがそんなことするわけないじゃんムキー、と私は尻尾をパタパタ振る。

 覗いている先、前川先輩はなんと、ラリーをしている最中のひな乃ちゃんと深優ちゃんの方に向かった。

「ちょっといい? 花崎さん」

「え? あ、はい、どうかしましたか?」

 体育館の端っこに呼び出される深優ちゃん。ひな乃ちゃんは興味なさそうに元の場所に突っ立っていた。

「実はさ、羽黒のことなんだけど」

「はい、燐香ちゃんがどうかしましたか?」

 深優ちゃんも嫌な予感を覚えているのか表情が暗い。私は胃が痛い。

 一方、前川先輩は神妙な態度で。

「花崎さんって、羽黒にイジメられてるって本当かしら?」

「ええっ?」

 なにを言い出すんだこの先輩は。

 ふたりはなあ! ベロチューするぐらいの仲なんだぞお! と証言したかったけれどすると絶対にふたりが不利になるのでグッと堪える。

「そ、そんなわけないじゃないですか。燐香ちゃんは大切なお友達です」

「でもさ、学校でいっつも絡まれてるのよね? どこへ行くにもついてこられたりするって。それにこないだ、あなたがひとりでジュースを買いに行かされたところを見たって人もいるのよ」

 取り巻きの先輩たちは「マジでー?」とか「サイテー」と口々に勝手なことを言ってる。

「許せないわよね? あなたがよかったら、私たちが助けてあげてもいいんだけど。まずはこの部活から羽黒を辞めさせるところから始めましょうよ」

 深優ちゃんは前川先輩を睨みつけた!

「違います。あれはただジャンケンで負けたからで……。私と燐香ちゃんと、それにひな乃ちゃんは、小学校からのお友達です。変な誤解、しないでください。それに」

 今までずっと言えなかったことが、席を切ったようにあふれ出る。

「どうして燐香ちゃんばっかりずっとランニングなんですか。燐香ちゃんは私よりよっぽど体力だってあります。ひとりだけ冷たくするなんて、二年も先に生まれたのに、先輩としておかしいです。私、部活の先生に言いますから」

「ふうん」

 前川先輩は目を細めた。こわい!

「あなたがそう言うならいいけれど、でも、後悔するわよ」

「……なんですか?」

 深優ちゃんは後ずさりする。この子は、つい数ヶ月前までランドセルを背負ってた子なんだぞ! やめろお!

「聞いちゃったんだけど、噂。あなたと羽黒って、普通の友達じゃないんだって?」

「え?」

 前川先輩の取り巻きはニヤニヤしてる。

「女子校だからって、そういうことするのって、ちょっとどうかと思うわ。あなたのほうが先生に話されたら困るんじゃないの?」

「話が見えません、けど……」

 口に手を当てて、前川先輩はささやいた。

「あなたと羽黒って、付き合っているんだって?」

「……え?」

 深優ちゃんは一瞬なにを言われたかわからず、けれどすぐに顔を赤くした。

「ち、違います、なんで、そんな」

「ちょっと、この子、めっちゃ焦ってるんですけど」

「えー、マジで? やばくなーい?」

 先輩たちは笑ってる。前川先輩に深優ちゃんはあくまでも釈明する。

「違いますって。わたしと燐香ちゃんは、ただのお友達で……」

「あらひどい、お友達だなんて言ったら、羽黒さん傷ついちゃうんじゃないのかしら?」

「違います、そんな……」

 深優ちゃんはひどく動揺してた。人から悪意をもってからかわれた経験なんて、ほとんどないからだ。許せない。

 ……ただ、たぶん深優ちゃんも知ってるのだ。自分たちが『ただのお友達』ではないことを。ちゅー友なんて普通じゃない。でも、ただそれだけならまだよかった。

 こないだの、土曜日の映画のことを、深優ちゃんは思い出してるんだと思う――。

 ああ、もうどうしよう。私が大人のままの姿だったら、なにも言わずに乱入して深優ちゃんの手を取ってついでにあいつらを一発ブン殴って帰るんだけど! でも、今の私は猫だから! そうか、爪があるな!

「どこまでいったの? キス? それとももっともっと先?」

「やだー、女子同士とか、エッローい」

「羨ましいわ、そんなに進んでいるなんて。でも、花崎さんは本気かもしれないけど、ただ遊ばれているだけかもしれないから、気をつけたほうがいいわよ。ギャルって誰とでもするんでしょう?」

「燐香ちゃんは、そんなんじゃ……」

 深優ちゃんはうつむいてた。怒りか、悔しさか、それとも別のなにかが溢れ出して、今にも涙がこぼれそうだ。

 この我が両腕の爪を振るい、悪を断罪せんと、私が体育館に突撃しようとしたそのときだった。

「そうだよ」

「?」

 ひな乃ちゃんが立ってた。

 前川先輩の頬に手を当てて、まさか――。

「――⁉」

 その唇を奪った。

 ⁉⁉⁉

 それだけにとどまらず、両横にいた先輩たちにもキスをする。マジか。

 先輩たちはその場にへたり込んだ。前川先輩だけがなんとか立ったまま、唇を手の甲でゴシゴシして、ひな乃ちゃんに怒鳴る。

「ちょ、ちょっと⁉ いきなりなにするの⁉」

 ひな乃ちゃんはいつものふてぶてしい無表情で。

「言ったでしょ。ギャルって誰とでもするって。でも安心して、基準はちゃんとあるから。あたしがするのは顔がいい子だけ。三人はまあ、合格」

「な、な……」

 前川先輩は真っ赤だった。

「あ、頭おかしいんじゃないのかしら⁉ あなた! こんなことして、ただで済むと思ってるの⁉」

「先輩こそ、女同士でキスしたってバラされたくなければ、もうリンやみゆゆに近付かないで」

「そんなの困るのはあなただって一緒でしょ⁉」

「別に? 誰とでもキスするギャルだし」

 前川先輩も、取り巻きの先輩たちもあんぐりと口を開けてた。

 ひな乃ちゃんは深優ちゃんの肩に手を置きながら。

「みゆゆがしょんぼりするほうが、よっぽど困る。ストレスは美容によくない。あたしはみゆゆの顔が一番好きだから」

 そこに、走って戻ってきた燐香ちゃんがやってきて。

「ちょ、ちょっと、深優! 先輩に呼び出されたって聞いて……って……」

 辺りを見回し、眉根を寄せる。

「……どーゆー状況? なにがあったの?」

「えっと、あの」

 深優ちゃんが説明に困窮していると、ひな乃ちゃんが済まなそうに。

「リンとみゆゆが付き合ってるなんて知らなかった。ごめん。でも、たまにはあたしにもみゆゆのこと、分けてほしい」

「どーゆーこと⁉ マジでなにがあったの⁉」

 いやあ、ひな乃ちゃんはなんかすごいなあ……。

 

 その日以来、燐香ちゃんが外を走らされることはなくなり、先輩たちはすっかり大人しくなって、ヘンに絡んでくることもなくなった。

 ひな乃ちゃんは頑なに起こったことを話したがらなかったけれど、回りの人から事情を聞いた燐香ちゃんは「そっちが余計なことをするとは思わなかったなー……」と言いながらも、ちょっぴり嬉しそうだった。

 

 

 どうやらあの先輩たちは、他の一年生にも高圧的な態度を取っていたらしく。

「ごめんね、羽黒さん。私たちも先輩のこと、怖くて……」と言ってくる部員に、燐香ちゃんは「いいっていいって、ウチがこんなカッコしてんのが悪いんだし。気にしないでいーから」と笑っていた。

 そこから一年生同士仲良くなり、また、クラスでも話すようになってゆき。

 夏休み前にはすっかり『羽黒さんって意外と優しいんだ』と、それこそ真逆の評価を得ることになった。やったぜ。

 相変わらず後ろの席では深優ちゃんと燐香ちゃんとひな乃ちゃんが固まっているけれど、そこにちょくちょくクラスメイトの女子たちも混ざるようになってって、彼女の回りは賑やかだ。

 先輩たちを懲らしめてやったひな乃ちゃんも、今はみんなから一目置かれている。本人も夏本番になっていよいよクーラーが入ったので、毎日ご機嫌である。

「でも」

 と、ふたりだけ(+猫一匹)の帰り道。

 きれいに染まる夕焼け空の下、深優ちゃんは燐香ちゃんに微笑む。

「燐香ちゃんは、すごいな」

「今回のことに限ったら、すごいのはひな乃でしょ。まったく、ホント無茶苦茶するんだから、あいつは。でも、深優のために行動するなんて、ちょっと見直したかな」

「ひな乃ちゃんもだけど……でも、やっぱり燐香ちゃんだよ」

「なんでさ」

 笑う燐香ちゃんを見つめる瞳には、憧れの色が交じる。

「だって、みんなが燐香ちゃんってホントは良い人なんだってわかってくれたの、燐香ちゃんがずっと努力してたからだもん。嫌なことがあっても、笑って流して。見た目がこれだからしょうがない。わかってもらうためには時間をかけないとって、少しずつ前に進んでいったからだよ」

「そんなこと……まー、多少はあるかもしれないけど?」

 燐香ちゃんはいたずらっぽく笑う。深優ちゃんに褒められて、すごく誇らしそうだった。

「でも、深優がウチのそばにいてくれたからだよ。ギャルふたりだけだったら、結局ヘンケンは消えなかったと思うし。聞いたよ、センパイに言われたときも、ずっとかばってくれてたって? ホントに、ありがとね」

「……ううん、だって燐香ちゃん、すっごくいい子だもん。わたしは本当のことを言っただけ」

 話は尽きなかった。ふたりは深優ちゃんのマンションの前につく。

「あ、もうついちゃったか。なんか、深優のこと送ってっちゃったみたいだね」

「うん、いっぱい燐香ちゃんとお喋りできて、嬉しかった」

「……ね、深優さ」

 燐香ちゃんが深優ちゃんの手を引いた。

 マンションの陰に彼女を引き込むと、その唇にさっとキスをする。尊い。

「こんな、お外で」

「ごめん、でもなんか、したくなっちゃってさ」

「……嬉しい」

 今度は燐香ちゃんの首筋に抱きついて、深優ちゃんからキスをした。尊い。

「……あのさ、深優」

「うん?」

「ウチら……さ」

 なにかを言い出そうとして、ううん、と燐香ちゃんは首を振った。

「じゃあ、また明日学校でね」

「うん、学校で」

 名残惜しそうに手を振り、ふたりは別れた。

 言えなかったことはきっと……そのうち、ふたりが本当に心が通じ合ってるんだって感じたときに、口に出すようなことなんだろう。

 私はその日を楽しみに待つとします。

 

 いろいろあった中学一年生の夏は、こうして過ぎてゆく。

 私は塀の上で去ってゆく燐香ちゃんの後ろ姿を見つめながら、はふう、とため息をついた。

 美少女百合を間近で見守る人生、楽しいなあ……。

 

 

 しばらくは穏やかな日々が続いていた。

 期末試験があり、夏休みがきて。

 三人がパパさんママさんと海に行って、私は置いてけぼりだったり。

 三人がショッピングに毎日出かけていって、私は置いてけぼりだったり……。

 あ、でも部活に励んでいるのはちゃんと見学できたから! 寂しくない!

 さらに秋が過ぎ、冬が過ぎ。

 冬は少しだけ雪が積もったから、やっぱりなかなか外に遊びに行けない日が続いて、私は憂鬱になっちゃったり。

 でも冬服のもこもこのコートを着た深優ちゃんとか、それでも頑なにミニスカでがんばる燐香ちゃんが可愛かったから幸せだったりして。

 

 その間に、変わったことはふたつ。

 私が晴れたある日、いつもの通りおうちを抜け出して向かった先は学校ではなかった。

 かつての記憶。会社帰りはなかなか寄る機会がなかったけれど、休みの日にはいっつも遊びに来ていたっけかなあ。

 喫茶店、ベンジャミンバロック。観葉植物の名前がついた百合厨のたまり場のお店を覗き込む。

 店はカーテンが締め切られ、中が見えなかった。ドアにもクローズの札がかかっている。やってないのかあ。しょうがない、また来るかあ。

 しかし季節が移り変わっても店は閉まったままで、一度も開いたところを見ることはなかった。

 お店、潰れちゃったのかなあ。

 昔から知っているところがなくなるのは、ちょっと寂しいな。でも、しょうがない。何事も移り変わるものだ。深優ちゃんも、もうすぐ中学二年生だしね。

 これは後にわかることなんだけど、実はこのときベンジャミンバロックは店長のすみれさんが世界一周旅行に出かけていたので、閉店してただけだったという。

 でもタイミングが悪くて、深優ちゃんが学生の間は一度も入れなかったんだ。

 

 それともうひとつ、変わったこと。

 夏明けぐらいから、ひな乃ちゃんの回りを、あの前川先輩がうろちょろするようになったそうだ。

 燐香ちゃんと深優ちゃんはしばらく深刻に受け止めてたんだけど、百合厨の私はピンときたね。

 ああ、あいつ、ひな乃ちゃんに惚れたな――と。

 実際、ひな乃ちゃんを見つめるときには頬を赤らめてたし、目が合うといつも照れて顔をそむけてた。でも取り巻きの目があるから、素直に声をかけられない。悶々としちゃう。そんな感じだろう。

 あるいは惚れてないにしても、あのときのキスが忘れられなくて、ついつい目で追ってしまうとか。しかも三年生が部活動の後輩の一年生に唇を奪われて、ですよ。ふふふ、甘酸っぱいね……。

 そんな前川先輩だったけれど、卒業式の日、とうとう勇気を出してひな乃ちゃんを校舎裏に呼び出したようだ。覗きに行きたかったんだけど、その日はあいにくの雨だったので、私はおうちでお留守番していた。

 ひな乃ちゃんと前川先輩はいったいどうなってしまったのか……気になる……。でも本人に直接聞くわけにはいかないしな……。ペンを持ってがんばれば文章は書けると思うけど、私がそれやってもホラーだし……。

 そんなこんなで、深優ちゃんたちはみんな、二年生になった。

 

 

 ぽーん、とシャトルが高々と舞い上がる。

 二年生になった深優ちゃんは、部活漬けだった。

 もともと体を動かすことが大好きだったし、バドミントンも大好きだったので、性に合ったんだろう。今は三年生からノックを受けてた。

 汗だくで上半身はシャツ一枚。まだまだ小柄だけど、手も足も伸びやかに使って、次々とシャトルを打ち返す。この頃の深優ちゃんはずいぶんと体力がついたし、たぶん怠け放題のイエネコよりは反射神経いいと思う。

 こうたーい、の声がして、へろへろと深優ちゃんはコートを出た。代わりに入ってくるのは「よっし」と髪を後ろにくくった燐香ちゃんだ。

 凜香ちゃんは去年からまたさらに背が伸びた。もう170近くですよ。女の子の成長期は小学六年生っていうけど、それがもう一年続いたみたいな感じだ。上級生のノックを次々と打ち返す。

 運動神経はよくて、さらに学校の成績も上位をキープ。髪を染めてて素行不良って後ろ指さされることも多いけど、部活では相変わらずの人気者だ。

「羽黒、やるねえ」

「へへっ、センパイたちに鍛えられましたから」

 ノックを難なくこなし、燐香ちゃんは深優ちゃんのもとへ戻ってゆく。

 ハッ、そういえばひな乃ちゃんがいない。ひな乃ちゃんはどこだ。サボりか?

 いや、いた。

「いい? 先輩を敬うこと。それが一番大事」

『は、はーい!』

 腰に手を当てて、下級生の指導をしていた。ひな乃ちゃんが指導とか、一番ダメなのでは。

 案の定、他の二年生がやってきて慌てて割って入る。ひな乃ちゃんは「ちぇ」と口で言って壁に寄りかかって座り――。

「白幡。ノックやるぞ」

「えー……」

 上級生の命令で嫌そうに立ち上がっていた。

 ノックの結果は、まあ、お察しで……。

 その後は実戦練習。深優ちゃんと燐香ちゃんはダブルスだ。バドミントンはシングルでもダブルスでも試合に出場できるスポーツなので、ふたりはシングルに出るし、ダブルスでも県大会に望むらしい。

 すっかりスポーツ少女たちだ。首筋を流れ落ちる汗が眩しい。公式戦はぜひとも応援にいきたいけど、徒歩でいけるのかな……。でなければもう、電車に乗るしか……。

 でも、私はどこにいたって応援してるよ。がんばれ深優ちゃん、がんばれ燐香ちゃん。

「はー、疲れたんで、早退しよっかな……」

 そして、ちょっとはがんばれ、ひな乃ちゃん……。

 

 

 深優ちゃんの部屋は、去年に比べてずいぶんとバドミントンの本が増えた。本棚を眺める燐香は「深優、マジメだねえ」と笑ってた。

「ひな乃ちゃんはあとから来るって?」

「ん、や……今回は、ひな乃には連絡してなくて」

「え、そうなんだ? どうかしたの?」

「別に、深い意味はないんだけど……まあ、なんとなく」

 凜香ちゃんは目をそらしつつ適当にうなずいて、怪訝そうな深優ちゃんの隣に座る。

「ね、深優さ」

「ん?」

 と、振り向いた深優ちゃんに、挨拶のようにキスをする凜香ちゃん。もはや長年連れ添った夫婦のような自然さである……。結婚すればいいのに……。

 ふたりは隣り合ったまま、お互いにもたれるようにして肩を寄せ、手を重ねながらファッション誌をめくる。

 それは凜香ちゃんとかひな乃ちゃんがいつも買ってるギャル向けのやつだ。

「ねえ深優、こーゆーの似合うんじゃない?」

「ええー、そ、そうかなあ? なんか恥ずかしいけど」

 思いっきり脚を出すホットパンツなスタイルである。燐香ちゃんがやるならめっちゃ似合うけど、深優ちゃんがやったら……逆にひわいすぎない? 見たい。

「深優に似合う服、ウチが作ってあげたいなあ。めっちゃ楽しそー。ね、髪もいじってさ。あ、髪だけなら今、ウチがやったけるから。ね、ほら」

 燐香ちゃんはベッドに座り、バッグから化粧ポーチを取り出して、クシとヘアピンで深優ちゃんの髪をいじりだす。深優ちゃんは「もー」とくすぐったそうに目を細めながらも、燐香ちゃんに身を任せている。

「あ、ほら、懐かしーね。またやってるよ、友ちゅーのススメ」

「ホントだ」

 ふたりで覗き込む雑誌には、軽い特集が組まれていた。あれを見たのはもう三年前だったか。もう三年間かー。

 燐香ちゃんは目を細めて笑う。

「ウチら、この三年で何回ぐらいキスしたんだろーね。百回ぐらい?」

「百回じゃぜんぜん足りなくないかな? だって三年だよ? 十日に一回ちゅーしても、百回になっちゃうよ」

「んー、じゃあ千回ぐらい?」

「会ったときに深優と十回もしてるかなあ」

 深優ちゃんは振り返ると、首を伸ばして燐香ちゃんにキスをする。燐香ちゃんはいきなりのことに目を瞬かせた。

「してるよ、千回ぐらい」

「……そっかな。へへ、そっか」

 ふたりは微笑み合う。地上に舞い降りた天使たちだ……。

「燐香ちゃんは、どういうカレシがほしかったの?」

「え? う、ウチ?」

「うん。だって、もともとそのためにキスの練習してたって言ってたでしょ」

 言ってたけど、あれって方便みたいなものなのでは……。だって燐香ちゃん、もう明らかに深優ちゃんが好きだし……。

「あれは、まあ、あの頃は背伸びしたい年頃だったからね。そーゆーのがかっこいーって思ってたわけだし。てか、もともとはってなによ、ウチは今でも」

「……そうなの?」

 深優ちゃんがじっと見つめてくると、燐香ちゃんは言葉を飲み込んだ。

「……いや、いい。なんでもない」

「なんでもないことない、と思うけど」

「いーじゃん別に、ほら、髪やるから前見て、前」

「燐香ちゃんはどんな男子が好きなの?」

「ウチは、えっと……ひな乃じゃないけど、昔はイケメンが好きだった、かな。ウチもガキだったから、なんでもおねーちゃんの影響ばっかり受けてて……って、どーしたのさ、深優。そんな元気ない顔してさ」

 無理に笑う燐香ちゃんに、深優ちゃんは「なんでもないよ」とつぶやく。

 なんだか妙な雰囲気になってきた。

 元はといえば、今でもこのキスは練習だし、みたいなことを言った燐香ちゃんのせいだけど……。

 ど、どうなっちゃうの……? ハラハラ、ハラハラ。

「あーもう」

 私が(勝手に)心配していたところで、燐香ちゃんが頭をぐちゃぐちゃにかきむしる。

「ごめんて、深優。今さらアンタの前で、経験豊富みたいなかっこつけたってしょうがないってわかってたのに、なんか、ついついヘンなこと言ってさ。はあ、かっこ悪いね、ウチ」

 燐香ちゃんは微苦笑しながら。

「……別に、もー男子に興味なんてない……とまで、言うつもりはないけどさ、今はそんな顔の見えない相手より……深優のほうが……」

 燐香ちゃんは膝の間に手をぎゅっと入れて、うつむく。その手に深優ちゃんが指を絡めた。

「……わたしの方が、なに?」

 目を逸らしつつ。

「す、好きだし?」

「……ふーん」

「な、なにその納得してないみたいな顔」

「だって、比べる相手が、顔も知らない相手なんでしょ。その人たちより好きって言われても、喜べないもん。もっとちゃんと言ってほしいな、って」

「……そ、そーゆーの昔から苦手だって、深優知ってるっしょ!」

 ちょっと拗ねた顔の深優ちゃんに、燐香ちゃんは頬を紅潮させる。

 これは痴話喧嘩なのか、はたまたイチャイチャしてるだけなのか、わかんなくなってきた。高度な百合プレイなのでは?

「だったら深優はどーなのさ! カレシのタイプとか、ウチばっかり聞いて」

「わたしはあんまり興味ないかな。燐香ちゃんとか、ひな乃ちゃんとちゅーするほうが、なんだか特別なことみたいで、ドキドキしたよ」

「じゃあ、最初はただちゅーするのが好きだったってこと? へー、深優ってやっぱりエッチなんだねー」

 からかう燐香ちゃんの隣に座り、ふたりはベッドに並んだ。

 深優ちゃんが、燐香ちゃんに熱っぽい視線でささやく。

「……わたしをこんな風にしたのは、燐香ちゃんだよ」

「え……」

「なにも知らなかったわたしに、いっぱいすごいこと、教えてくれたでしょ。わたし、ずっとドキドキしてたんだもん」

「ちょ、ちょっと、深優さ」

 深優ちゃんが燐香ちゃんにキスをした。そのまま、覆いかぶさる。

 前の映画のときとは、逆の体勢。深優ちゃんが攻めで、燐香ちゃんが受けだ。

 ふっ、ん、んんっ……。と乱れた息遣い。

「深優、まだ、髪、途中だし……」

「うん。でも悪いのは燐香ちゃんだよ。ヘンなこと、言うんだもの」

 優等生攻めの、ギャル受け……!

「わ、わかったから、わかったからぁ」

「わたしは、燐香ちゃんとキスするの、好きだよ。ごっことかじゃなくて、好きだもん。燐香ちゃんは、そうじゃないの?」

 また深優ちゃんが燐香ちゃんに唇を触れ合わせるだけじゃないキスをする。酸素を求めるようにあえぐ燐香ちゃんの目の端に、涙が浮かぶ。

「そうだよ、ウチも、そう……」

「そうって、なに?」

「深優のこと……深優のことっ、ああっ」

 覆いかぶさる深優ちゃんの指が、燐香ちゃんのむき出しのふとももを撫でる。燐香ちゃんは体をびくっと震わせた。

「こ、こんなんじゃっ、言えないよぅ……。だめっ、深優……っ」

「どうなの、燐香ちゃん。ねえ、燐香ちゃん。ねえってば……?」

 耳元でささやく深優ちゃん。燐香ちゃんはすっかり猫猫していた。深優ちゃんがなにかをするたびに、敏感な楽器のように甘い声をあげる。

 深優ちゃんはふとももから腰、背中から肩、首筋から頬と、燐香ちゃんの細い体を撫で回す。

「好き……っ、深優のことが、好き……、好きだからっ!」

 燐香ちゃんが耐えかねたように叫ぶと、深優ちゃんは体を起こす。その顔も、真っ赤に染まっていた。

「……燐香ちゃん……」

「はぁ、はぁ……、はぁ……」

 腕で顔を覆う燐香ちゃん。その胸の膨らみに手を当てていたことに気づいた深優ちゃんは、慌てて手を離した。

「ご、ごめん」

 深優ちゃんは小さく頭を下げる。

「なんか、燐香ちゃん見てたら、止まらなくなっちゃって」

「謝るぐらいなら、やるなよなぁ……」

 ぐすぐすと燐香ちゃんは鼻をすする。涙目で深優を見上げながら。

「……なんで、胸、揉んでるのさ」

 深優ちゃんが燐香ちゃんの胸に手を当ててた。当ててるだけじゃない。やばい。

「なんかこれ、きもちよくて」

「深優、ほんっとエッチだよ……」

「もっともっと、燐香ちゃんのいろんな顔が見たくなっちゃって……」

 ごめんね、と深優はもう一度頭を下げた。

 燐香ちゃんは深優ちゃんのベッドにごろんと横になり、背を向ける。

「深優ってけっこう押しが強いし、ウチらよりずっとエッチだよね……。もー、深優とおうちで遊ぶのやめる」

 ⁉

「えー、なんでー?」

 その背に抱きつく深優ちゃん。胸を触ろうとするのを、燐香ちゃんがぺしと手を叩いて止める。

「だって……なんか意地悪してくるし……そのうち、襲われそうだし……」

 ジト目の燐香ちゃんに深優ちゃんはそんなことしないよー、って慌てて両手を振っていたけれど、そこはもうちょっと本気で否定して! 深優ちゃんご主人様!

 私がふたりのイチャラブ生活を見守れなくなっちゃうじゃん!

 しかしそれからしばらく、燐香ちゃんは深優ちゃんの家に遊びに来てくれないのだった。悲しみ。

 私の知らないところで、きっと隠れてチュッチュしているんだろう……。寂しい……。

 

 

 まあ、家で甘々なラブラブ姿は見れなくなったけどね。学校では、三人娘がキャッキャウフフしているのも見れるからね。いっそ教室でもキスしてくれればいいのに……。

 雨降りの梅雨に阻まれて、それすらできなくなった私が昼ドラに熱中してる間にも、みんなは一日一日成長しているわけです。

 というわけで、すごいことになりました。

 燐香ちゃんが、夏の公式戦、初参加のシングルスで県大会ベスト十六になったのだ。すごーい!

 もちろん小学校からやってきた人ととか、ジュニアのチームに所属していた人とかがいる中の大活躍である。

 ずっと運動神経がいいとは思ってたけど、結果として現れるとビビっちゃう。やっぱり燐香ちゃんは天才だった……!

 クラスの友達の称賛には「たまたま組み合わせがよかったんだよ」って言ってたけど、私が運動できないタイプだったから、憧れちゃうなあ……。

 深優ちゃんとのダブルスでは結果を出せなかったみたいだけど、でも、それをバネに深優ちゃんはさらにがんばった。「燐香ちゃんの足を引っ張らないようにしなきゃ!」と奮起した。

 家でダンベルとかしてる深優ちゃんを応援しようと足元回ってニャーニャー言ってたら「最近遊んであげられなくてごめんね。でもタマのこと、大好きだよ」と謝られてしまう。

 いやいやそんな滅相もない! 確かにちょっと寂しいけど……でも、私は深優ちゃんご主人様の幸せが一番ですから!

 部活に励む二年目の夏、私は相変わらずおうちで昼ドラを見たり、深優ちゃんの部活動を応援しにいったりしてた。

 一方で、深優ちゃんは休みの日、燐香ちゃんやひな乃ちゃんたちとショッピングしたり、プールにいったりしたらしい。

 私もいい加減、電車に乗る練習をしたほうがいいだろうか……。ジブリ映画の猫の恩返しみたいに……。でも外を出歩いてることは秘密だしなあ……。

 問題はみんなが高校生になったらだ。

 もし徒歩でいけない場所になったら、そのときはいよいよ考えなければならない。

 できれば警備もガバガバな(でも怪しい人は絶対に入れないような)、徒歩一分圏内のような場所があればいいんだけど!

 

 

「やっほ」

 夏休み明け、相変わらず美白なひな乃ちゃんが、深優ちゃんと一緒に帰ってきた。おやおや、ひな乃ちゃんがひとりで遊びに来るなんて珍しい。

「きょうはひな乃ちゃん、タマちゃんに会いに来たんだよー」

 えっ、マジっすか。嬉しい。

「うむ、毛玉。お出迎えご苦労。きょうはこれで遊んでやろう」

 ひな乃ちゃんは後ろ手に隠していた釣り竿のようなものを見せてきた。猫用のオモチャだ! なにやら見つけたからつい買ってしまったらしい。そんな、私めのために……。この歳でオモチャを買ってもらえて、こんなに嬉しいとは思わなかった。ひな乃ちゃん、愛してる!

「それじゃお部屋いこ」

「いこういこう」

 ひな乃ちゃんにむんずと首根っこを捕まれ、引きずられてゆく。猫モップである。ノドが締まってけっこう苦しい上に、体にホコリが付くんだけど……まあいいか……遊んでもらえるし……。

 学校帰りなのでセーラー服のひな乃ちゃんがベッドに座り、ひょいひょいと釣り竿を動かす。やばいこれ、猫の本能を刺激される! 飛びつかずにはいられない!

 魚を模したオモチャに飛びかかること数分。私はすっかりへばっていた。

 ぜぇ、ぜぇ……はぁ、はぁ……。

「この毛玉、体力なさすぎ。あたしといい勝負では」

「あはは……」

 乾いた笑い声をあげる深優ちゃん。すみません、飼い猫なんで……。

 見上げると、ベッドに座ったひな乃ちゃんのぱんつが丸見えだ。知らない女子相手ならラッキーで済むが、小学五年生から見てきた女の子のぱんつを覗くのは罪悪感がすごいので極力見ないように努力する。黒のレースで、大人っぽい……。エロい……。

 しばらくひな乃ちゃんの小さな足の裏で背中を撫でられる。しかし私が復活しないことで暇になったのか、ひな乃ちゃんは深優ちゃんの隣に座り直した。

「みゆゆってさ」

「うん?」

 妙な間があった。ひな乃ちゃんは無表情ながら、あさっての方を向いて。

「リンと、付き合ってるの?」

「えっ⁉」

 いつの間に⁉

 深優ちゃんはブンブンと首を振る。その顔が瞬く間に赤く染まってゆく。

「ど、どうして急にそんなこと」

「女のカン」

「つ、付き合ってないってば。だって、まだ中学二年生だし……それに、女の子、同士だし……」

「あたしのお姉ちゃんは小学五年生でカレシがいたみたいだけど……まあ、それはいいや。ね、みゆゆ」

「うん?」

 顔を近づけ、ひな乃ちゃんが深優ちゃんの唇の端をちろりと舐める。猫のようなキスだった。

「ひ、ひな乃ちゃん」

「キスするときの感じ、ちょっと変わったよ、みゆゆは」

「そ、そう……なの?」

 上目遣いに問う深優ちゃんの頭を、ひな乃ちゃんが撫でる。

「そりゃ、何回みゆゆとキスしてると思ってるの。千回はしてるんだから」

「そうだけど……」

 ひな乃ちゃんはもう一度ちゅーをする。深優ちゃんはされるがままだ。

「あたしは、深優の顔が好きだから」

「う、うん」

「みゆゆとリンが付き合ったら、もう、こうしてキスとかできなくなるのかなって思うと、残念で。だから、よかったな、って」

 ひな乃ちゃんはそう言うと、深優ちゃんに優しくキスをする。燐香ちゃんの情熱的なキスとはまた違う、深く、心の奥までも味わうようなキス。

 でも、わたしはなんだかさっきの『だから、よかったな、って』という言葉が、本当には聞こえなかった。ひな乃ちゃんはまるで深優ちゃんと燐香ちゃんが付き合ってほしいと思ってるかのようだ。猫のカンである。

 どうしてかはわからないけど……。どうしてだろ。

 その間も、ひな乃ちゃんは深優ちゃんにたっぷりと口づけをしていた。

「ねえ、ひな乃ちゃん」

「なあに?」

「……ひな乃ちゃんは、女の子同士で付き合ったりするの、ヘンって思わないの?」

「思わない」

 ひな乃ちゃんが少しも迷わず即答したので、深優ちゃんは驚いた。

「……どうして?」

「だって、回りはどうでもいいじゃん。当人たちがそれで幸せなら。口出しするのとか、意味ないよ。あたし意味ないことは考えないから」

 授業の成績はすこぶる悪いのに、ひな乃ちゃんはときどきすごくいいことを言う……みたいなことを考えていたら、睨まれた!

「えっ、タマがどうかしたの?」

「いや、なんかあの毛玉が失礼なことを考えていたような気がしたから」

 なんなのひな乃ちゃん恐ろしいんだけど! 慌ててベッドの下に隠れる。

「だから、みゆゆは余計なこと考えなくていい。ストレスは美容の大敵。つまり、あたしの天敵」

 ひな乃ちゃんが深優ちゃんに優しいのはあくまで自分のためなんだろうけど、でもそれも貫き通せばまるで王子様みたいに見えるよね……。それか、過保護なお姉ちゃん、みたいな、

「わたし、ひな乃ちゃんに言われるほどかわいくないってばー……」

「かわいいかどうかは知らないけど、あたしのタイプなのは間違いないから。黒髪で清楚な美人ってあたしの回りいなかったから、ホント、みゆゆはすごく衝撃的だった。貝塚の中に一粒だけ輝く黒真珠を見た、みたいな」

「うううう」

 深優ちゃんは頭を抱える。

「ひな乃ちゃんは、わたしを甘やかしすぎだよー……」

「しかたない」

 ひな乃ちゃんはフッと笑って、深優ちゃんの手を握った。

「惚れた弱みだから」

 それはまるで殺し文句のようだったのだが――。

「顔面にね?」

「わかってるってば、もー! ひな乃ちゃんのバカ!」

「えー?」

 外見だけに惚れてるひな乃ちゃんの言葉だから、深優ちゃんは素直に喜べないんだろうね……。

 

 

 二年生の秋冬は、もうずっと部活漬け。特に深優ちゃんは、休みの日もずっとラケットを振ってた。

 中学生にしてこのストイックさはたぶん自分のためじゃなくて、燐香ちゃんとのダブルスがあっさり負けちゃったからなんだろうなあ。

 最近じゃ「ちょっと十キロ走ってくるね」とか平気で言うのでビビる。

 深優ちゃんはひたむきで、好奇心旺盛で、そして、燐香ちゃんのことが大好きだ。

 相変わらず学園上位をキープし、運動会ではリレーのアンカーを任されて、おしゃれにも磨きをかけてゆく燐香ちゃんが、自分からどんどん遠ざかってゆくことを恐れるみたいに。

 深優ちゃんは、ずっと努力をし続けてた。

 もちろん、日に日に細くしなやかに成長してゆく体は、彼女のスタイルをグングンと大人にしてゆくので、私もウォッチングが欠かせない……。

 ああ、私にスマホを一台くれたら、お風呂上がりを画像に残して、深優ちゃん成長日誌をつけるのに……! 所詮私は猫だから、目に焼き付けておくことしかできない!

 せめて、せめて応援したいから、これは私のせめての気持ちで……。

「タマちゃん、よしよし」

 そう指を差し出してくるお風呂上がりの深優ちゃんに、私はチラッと舌を出す。そうして指先をぺろっと舐めた。

「わっ、お母さん、お母さん、タマちゃんが指舐めたよー!」

「ええ? 珍しいわねえ」

 そう、私は猫のくせに、一度もペロペロしたことがなかったのだ。

 だって……恥ずかしいじゃん! 深優ちゃん、まだ十四歳なんだよ! せめてほら、十六歳にならないと結婚できないんだから!

「ほら、もっかい、もっかい」

 深優ちゃんは喜んで頭を撫でてくれてるけど、さすがに二度目はやんないよ!

 舐めたその指は、なんだか甘い味がした気がして、私はめちゃくちゃ恥ずかしかったのだった。

 

 

 三年生にあがると、県中体連たいかいの日はすぐそこまで迫っていた。

 私は決意していた。そう、今年はなんとしてでも応援にいこう、と。

 そのためにいつもの散歩コース以外にも足を伸ばしたり、駅まで行く練習を何度もした。

 会場まで向かううちの車に紛れ込めれば一番なんだけど、閉じ込められたら自分で脱出する手段がないので、危険だと判断したのだ。

 だから、私は電車で行く。電車で会場まで行って、陰ながら深優ちゃんたちの応援をするんだ。私は使命に燃えていた。

 だって、私は深優ちゃんの招き猫だから! 深優ちゃんの福を招くのだ!

 運命の七月某日。

 深優ちゃんがいつもより険しい(かわいい)顔で家を出てゆく。事前に深優ちゃんのスケジュールを盗み見ていた私は、乗る電車の時刻もばっちり調べておいた。毎日暇すぎたから、時刻表を暗記してしまったぐらいだ。新幹線とか絶対に乗らないのに。

 できれば誰にも気づかれないうちに荷物棚に乗りたい。駅員さんに見つかったら、捕まえられるかもしれないし。そのために高いところに飛び乗る訓練だってした。

 けれど――。

 ざあざあと、この日は雨が降っていた

 うー、わー……。

 できれば考えたくなかったけれど……まあ、七月だからね……。

 心配いらない。この日のために用意していたもの第二弾を引っ張り出す。それはゴミ袋を引っ掻いて作った猫用の鞄であった! 首にちゃんとくくりつけられるようにしており、中には勝手に拝借した雑巾が二枚入ってる。

 会場についたら一枚を取り出し、全身を拭いて深優ちゃんの応援をする。

 もう一枚は帰りのためだ。泥を払えば、私が外に出たという痕跡は完全に抹消できるはず……。

 ふふふ、私だってこの半年、遊んでたわけじゃないんだよ。

 では、いざ――。

 と窓の前に立つ私は、だけど。

 一歩が踏み出せなかった

 暗雲覆う空は今にも落ちてきそうで、地面を叩く雨粒に串刺しにされる気がした。

 私は体をぶるぶると震わせる。いや、でも、きょうは深優ちゃんの勝負の日なんだ。三年間がんばってきた深優ちゃんの結果が出る日なんだから。

 私が応援しに、行かなきゃ……。

 ちょこん、と窓から外に出る。

 前脚に雨が当たる。

 とても冷たい。毛が雨を吸い込み、寒さは芯まで届いた。

 思い出す。

 あの凍りつきそうな体で町をさまよっていたときのことを。

 私は深優ちゃんに拾ってもらえなければ、二度目の死を迎えていた。

 振り返る。おうちはとてもあたたかくて、明るくて、優しい香りがする。

 外は冷たくて、暗くて、死の匂いが立ち込めていた。

 私は今までずっと天気を甘く見ていた。人間だったから、雨なんて傘をさせばどうにでもなるって思ってたんだ。風だって、嵐だって、雪だって。

 ――けれど、違った。

 猫にとって、雨はすごく、すごく、怖いものなんだ。

 窓の前に、ぺたりと座り込む。

 鍵を掛け直し、私は窓を閉めた。

 深優ちゃんや燐香ちゃんががんばっているのに、私はダメだ。頭ではわかってても、猫の体がこわばって、とてもじゃないけど応援になんていけない。

 にゃおう……と鳴く私の声は、まるであの日深優ちゃんに拾ってもらえなかった私のように――とても弱々しいものだった。

 

 

 いつの間にか眠っていた私は、深優ちゃんの「ただいま」という声で飛び起きた。

 み、深優ちゃん! 試合は、どうだったの⁉

 私が慌てて玄関まで走ると、深優ちゃんはその勢いにきょとんとした顔をする。

 迎えにきてくれたであろうママさんが「たぶん、結果気になってるんでしょ」と促すと、深優ちゃんは「そっか」とうなずいて。

 ピースサインをした。

「がんばったよ。負けちゃって悔しかったけど、でも、今まで一番いい試合ができたと思うから」

 個人戦ダブルス、県大会ベスト四。それが深優ちゃんと燐香ちゃんの中学校の最終成績だった。

 深優ちゃんは私を抱き上げて、頭を撫でてくれた。

「ありがとうね、タマちゃん。わたしと燐香ちゃんを、引き合わせてくれて」

 私は鳴いた。にゃあにゃあ、と。本当は雨のように泣きたかったけれど、それができずに私はしばらく鳴き続けた。

 私がしたことなんてなにもないんだよ深優ちゃん。

 深優ちゃんが今、満足げに笑顔を浮かべていられるのは、深優ちゃんが自分の力でがんばり続けてきた結果なんだから。だから――。

 どうか、幸せになってください、深優ちゃん。