3 これは果たして愛の行為か?



 花野は、学校から徒歩圏内のワンルームマンションに暮らしている。

 過去に何度か訪れたことはあるけど、互いに思いあっていたとわかったからには、ここは特別な意味合いを持つ場所になったわけだ。

 つまりは、うれし恥ずかしの展開の可能性をはらむ場所に!

 なぜ、今、花野はあたしと二人きりになることを望んだのか?

 それは、落ち着いて話したいという、花野がさきほど口にした理由のみなのか? それとも、他にもなにか?

 もしかして、キスぐらいは期待してもいいのだろうか……?

「お茶 れるから、待っててね」

 あたしをソファーベッドに座らせると、花野は言った。

(このソファー、夜にはベッドになるんだよな。場合によっては昼間からでも!)

 あ。いかん。

 なんか、鼻息が荒くなってる。

 こんな、ネットでエロ画像をあさ る男子中学生のようにハァハァしてるのを、花野に感づかれてはならぬっ!

 あたしはひそかに自分に暗示をかける。

(これはソファーだ。あたしが座ってるのは純然たるソファーであり、ベッドになることなどないっ! すなわち、エロい想像を喚起するものなどでは、断じてないっ!)

「お待たせ」

 花野はソファーベッドの前のローテーブルの上に、デュラレックス社の耐熱定番グラス「ピカルディー」を二個置いた。中には、ほうじ茶。

 それから、ゆったりと床に座り、のんびりとした動作で茶をすすり、それから、あたしを上目遣いで見つめ、切り出した。

「紗絵とあたし、両思いだねっ」

「う、うん」

 柄にもなく、あたしは完全に緊張している。

「紗絵って、もしかして、セックスする人?」

「え?」

 質問の意味がよくわからず、しかも、花野がサラリと「セックス」と口にしたことに戸惑い、あたしは身を凍りつかせてしまう。

 すると、花野は言い直した。

「紗絵って、好きな人とはセックスしたいって願うタイプ?」

「へ?」

 好きな人とはセックスしたいって願うタイプ?

 どういう意味だ?

 普通、好きな人とはセックスしたいって願うものではないのか?

 あたしは、もごもごとこたえる。

「そりゃ、嫌いな人とはセックスしたいとは思わないよ」

「それは当たり前でしょ。あたしが訊きたいのは……つまり、紗絵は過去に、交際相手とは必ずセックスしてきたの?」

「う、うん」

 交際してるのにセックスしないなどというケースがそうそうあるようには思えないのだが……。

 まあ、プラトニックとかセックスレスとか、そのあたりの経験を確認したいのだろうか?

「彼氏とも彼女とも?」

「う、うん。それなりに」

 あたしの経験の を聞きたいのだろうか?

 いざ、花野とあたしがベッドを共にすることになったときに、あたしが処女である花野をちゃんとリードできるかどうか、知っておきたい、ということなのか?

 なぜか、大きなため息をついて、花野は質問を重ねる。

「紗絵は、セックス、好き?」

「あ……ええと……。気持ちいいセックスなら、好きかな」

 あたしの返答に勢いがないのは、なんとなく「セックス大好き!」と正直にこたえるのがはばかられる雰囲気を、彼女から感じ取ってしまったからだ。

 どうも、花野は積極的にセックスしたがっているようではなく……。

(もしかして、花野、セックスが怖いとか? それとも、性的な潔癖症?)

 どちらにしろ、こちらは慎重になる必要がありそうだ。

 緊張してドキドキしているあたしに、どこまでも落ち着きはらった口調で、花野は言う。

「あたしも、紗絵のことが大好き。たぶん、世界で一番好き」

「あ、あ、あたしもっ。あたしも花野のことがっ──」

 身を乗り出して訴えるあたしの言葉をさえぎるように、花野は続ける。

「だけど、普通におつきあいすることは、できない」

 やっぱり、セックス恐怖症か?

 だったら、あたしがその心配を取り除いてさしあげる所存にございますよ!──と、花野の手をとって、やる気を表明したいところをグッとこらえて、あたしは短くたずねる。

「なんで?」

「だって、あたし、セックスには興味ないから。あたしが興味をいだくことができる性的な行為は、セックスじゃなくてオナニーなの」

(なんだってぇぇーっ?)

 花野の告白そのものと、彼女がいとも簡単に「オナニー」という言葉を口にしたこと、両方にきょうがく しながらも、あたしは冷静を装って確認する。

「オナニストだってこと?」

「うん。そういうことなんだと思う。でも、あたし、性的には紗絵と同じバイセクシュアルだよ。だって、あたし、男の子も女の子も、両方、好きになったことがあるもん」

「ええと……それ、性欲はあるの?」

「うん。ある。けど、その欲望を、自分が恋してる人とのセックスによって解消したいとは思わないの。そういう欲望、あたしにはないの。ただ、オナニーはするけど」

「つまり、性欲というものを『セックス欲』と『オナニー欲』に分けた場合、花野にはセックス欲はないけど、オナニー欲はバリバリにあるってこと?」

「そう! まさに、それ!」

 花野の表情はパーッと明るくなる。

「さすが、紗絵は理解が早いね! それに、性欲を『セックス欲』と『オナニー欲』に分けるっていうのも、ものすごくしっくりくる! そうだよね。性欲って、セックスしたいって思う欲望ばかりじゃないもんね!」

「うん。あたしにも、セックスじゃなくてオナニーをしたいっていう欲望、あるし」

 持ちあげられて照れ笑いをするあたしに、花野ははずんだ声で訊く。

「紗絵は、セックス欲とオナニー欲、どっちが強いの?」

「うーん……半々ぐらいかな? 基本的に、セックス欲五十パーセント、オナニー欲五十パーセントだけど、時期によって割合は変動する感じ」

「それって、『セックスできないからオナニーで性欲を解消する』っていうものじゃないよね?」

「もちろん。オナニーはセックスの代わりなんかじゃないよ。オナニーにはオナニーの悦びがあって、それはセックスの悦びとは別物だ」

「うん、そうだよね! 紗絵なら、わかってくれるって信じてた!」

 さらにヨイショされ、あたしは気分がよくなり、自説を開陳する。

「オナニーはセックスの下位に位置するものではないし、セックスがオナニーの下位になるわけでもない。どちらも同じくらい尊い行為だ」

「ああ……紗絵にそう言ってもらえて、本当に救われた気分! あたし、紗絵のこと、ますます好きになっちゃう!」

 だけど、あたしはもう、手放しで喜ぶことはできなくなっていた。

 あたしは花野に慎重に問う。

「でも、花野、あたしには性的欲望は感じないんだよね?」

 しかし、意外にも、花野はきっぱりと首を横に振ったのである。

「そんなこと、ない。あたし、紗絵に欲望を感じるよ。エッチなこと、したくなるよ。ただ、それはセックスじゃなくてオナニーなんだけど」

「つまり、あたしをオカズにオナニーすることは可能っていうこと?」

「もちろん! っていうか、もう、すでに、紗絵をオカズに、何度かオナニーしちゃってる」

「ええっ?」

「ごめん。いやだった?」

「いやなんてこと、ないよ。むしろ、うれしい」

「じゃあ、これからも、紗絵をオカズにしていい?」

「もちろんだよ」

「ありがとう、紗絵!」

 フワッと微笑んでから、彼女は改まって確認する。

「ねえ。あたしと紗絵、恋人同士になれたっていうことだよね?」

「うん。花野さえ、そう望んでくれるのなら……。だって、あたし、花野の恋人になりたいし、花野を恋人にしたいから……!」

「セックスしなくても?」

「もちろん!」

 当然のことながら、本心では花野とセックスしたいのだが、今後、少しずつ距離を縮めてゆけば、いつかは……。

 ここで高望みして、こちらの要求を突きつけ、花野を失うことだけは、絶対に回避しなくてはならない!

「ねえ、紗絵」

 伏し目がちに、花野は切り出す。

「あたし、なんだかエッチな気分になってきちゃった……」

「えっ?」

 見たら、花野の頰は美しいいろ に染まっている。

「あたし、今ここで、オナニーしていい? 紗絵をオカズに」

「う、うん。いいよ」

 あまりにも大胆な花野の申し出に、あたしはゴクリとつば を呑み、つけ加える。

「だって、あたしたち、恋人同士じゃない」

「うれしい!」

 パッと顔を上げた花野の美しい目は、情欲に潤んでいた。

「じゃあ、紗絵、あたしの目の前でいやらしいことしてくれる? あたしはそれで、オナニーするから」

「わ、わかった」

「服も、できるだけ脱いで」

 いきなりダイナミックな欲望を突きつけられ、少々たじろいでしまったが、花野に求められているという喜びは、あたしのサービス精神に火をつけた。

 ソファーの上、あたしは、Tシャツを脱ぎ、ジーンズのボタンを外し、ジッパーを下げた。

「紗絵の肌、すっごくきれい! ツルツルのすべすべ!」

 欲望をたかぶ らせてくれているのか、花野の声は、濡れた震えを帯びている。

 あたしは立ちあがり、ジーンズをスルリと下げた。

 花野は熱いため息を らす。

(本当に、彼女、同性に欲情できるんだ……)

 そう確信し、あたしの心には、喜びが広がる。

 ふたたび座ってから、あたしは右手をショーツの中にさし入れ、左手ではブラの上から片胸を揉んだ。

 じんわりと快感が生まれ、熱い息をつく。

 花野に見られて、緊張を感じながらも、あたしは彼女の視線に欲情していた。

 あたしの性の花は、蜜を湧かせ、指を迎え入れようとする。

「んっ……」

 小さな快感のうめきが、あたしの唇から洩れた。

(やっぱり、恥ずかしい……)

 なにしろ、花野は着衣のままなのに、こちらは下着姿なのである。

 あたしはブラをずらした。

 二つのふくらみが、プルンと現れる。

「紗絵のおっぱい、きれい! なんか、むしゃぶりつきたくなる感じ!」

(よっしゃー!)

 心でかっさい しながらも、あたしはあや しく花野を誘う。

「さわってもいいよ。なんなら、 めてくれても」

「だめ、だめ。そんなことしたら、もう、オナニーじゃなくなるからっ。あたしが求める欲望からは外れちゃうからっ」

(って、見てるだけですかっ? ストリップ劇場の客ですかっ?)

 心の中で激しくツッコミを入れる一方で、あたしは見られる快感に酔っていた。

「このままじゃ、下着、濡れちゃうから、脱ぐね」

「うんっ」

 花野は元気にうなずく。

 あたしに脱いでほしいのだ。

 ブラを外し、ショーツを脱ぎ、あたしは一糸まとわぬ姿になった。そして、さきほどのように、片手で性の器官を、片手で胸に刺激を与える。

「ああっ……はぁ……。気持ちいい……」

「紗絵っ。あたしも……あたしも気持ちよくなるっ!」

 言うなり、花野はシャツのボタンを外し、ブラジャーの中に片手を突っ込んだ。そして、もう片方の手は、スカートの下にもぐり、ショーツの中に。

「ンッ! ああっ!」

 柔らかそうな唇から、熱い声が洩れる。

 それは、あたしが聞いたことのない、花野の声であり。

 欲情にまみれた彼女の声は、あたしの性感をダイレクトにあおる。

「んっ……あんっ……。気持ちいいっ……。あたしの恥ずかしいところ、すごく濡れちゃってるっ」

「あたしも……あたしもだよ、花野……」

「紗絵がきれいで、いやらしいから、あたし、感じちゃって……」

「あたしも。花野がかわいくてエッチだから……。ああ、もっと……もっとかわいい声、聞かせて」

「あんっ。だめぇ……」

「恥ずかしがらないで。感じちゃってるかわいい顔、ちゃんと見せて」

 あたしは、花野に見せつけるように、両脚を大きく開いた。

 とたんに、花野の目はそこにくぎづけになる。

「あっ……あっ……。すごい……。紗絵ってば……」

 ふふふ……すごいだろ? すごいだろっ?

「紗絵の体、性器まできれいっ。まるで熱帯雨林に咲いてるらん の花みたい!」

「さわってみる?」

 あたしは誘うように、両手の指先でラビアを左右に開いてみせた。

「あ……あ……」

 感嘆の声をあげ、引き込まれるように身を乗り出しながらも、花野は言う。

「だめっ。さわっちゃ、だめっ」

「なんで? あたしがいいって言ってるんだから、いいじゃない」

「べつに我慢してるわけじゃないよ! あたし、さわりたいわけじゃないから。紗絵のエッチなところを見て、オカズにしたいだけだから!」

 なんと、ここに至っても、見るだけだなんて……!

 私がいつも自慰の最中に脳内で展開するオカズ劇とは、似て非なるパターンである。

 もう、誘うことはこのあたりであきらめて、これからは、自分のオナニーに専念しよう。そのほうが、花野の悦びにもつながるだろうし。

 なに、焦ることはない。花野にとって好もしい関係をゆっくりと育ててゆけば、やがて機会は訪れるだろう。

「んっ……! んんっ!」

 あたしは、右手を下半身に残し、左手ではまた、おのれの胸を揉みしだいた。

 クリトリスに触れると、そこは、小さな刺激を大きな快感に変換させる。

「うっ……! アッ……!」

 指先の動きに合わせて、あたしは声をあげてしまう。

「いくの? 紗絵、いっちゃうのっ?」

 花野に訊かれて、あたしは荒い息の合間にこたえる。

「う、うん……。もう、だめ……」

「じゃあ、あたしもいくよ! 紗絵と一緒に!」

 花野は、ショーツの中にさし入れている右手の角度を変えた。

 とたんに、彼女のほっそりとした全身はビクビクッと震える。

 ああ、なんてエロくてかわいい子!

「あっ……。クリトリス、すごいっ……感じるぅっ……」

「は、早く、花野も来てっ!」

 腰の奥深くで、快感が膨張しきっている。あれが破裂した次の瞬間が、エクスタシー。

「はぁんっ……。紗絵、あたしもいきそうっ。感じすぎちゃって……」

「かわいい、花野……。一緒にいこうっ」

「紗絵っ。あたし、いっちゃうっ。もう、いい?」

「うんっ。あたしも、いくから!」

 あたしは指先で自分の体を一気に追い立てた。

「アッ!」

 体の中で、快感が破裂した。

「ああーっ……!」

 一瞬、遅れて達した花野も、愛らしい声をあげる。

「んぅーっ!」

 ほっそりとした体が、ビクビクッと震えた。快感をしぼ り出すかのように。

 エクスタシーの快感に翻弄されながら、あたしは、今までのオナニーでは味わったことのない悦びを感じていた。

(あたし、花野と一緒に達して、同じように気持ちよくなれたんだ!)

 だが、その思いは、甘美な感覚にいろどられながらも、看過できない「これじゃない」感もつきまとっていて……。

 花野と一緒にオナニーで気持ちよくなれたのは、素直にうれしい。

 着衣のままだとはいえ、花野がオナニーするところを見られたのも、大変うれしい。

 あたしが花野にオナニーのオカズにしてもらえたのも、実に喜ばしい。

 しかし、だ。

 これは果たして、愛の行為なのだろうか?

 あたしは花野に、指一本触れることもできず。花野もまた、あたしに指一本触れず。

 もし、あたしが、自分の欲望を花野に押しつけても許されるのなら、花野がオナニーに及んだ際に、叫んでいたことだろう。

『花野は、あたしの体に欲情してるんでしょ? だったら、あたしに触れてよ! なんで、そこでいきなりオナニーなのっ?』

 だが、もちろん、そんな正直な思いを口に出す勇気は、あたしにはなかった。

 そんな不用意なことを言って、花野に引かれてしまうなんてことになったら、いくら後悔しても、しきれないではないか!

「はぁ……いいオナニーだった……」

 あたしのおうのう に気づくこともなく、花野はやけにスッキリした口調で言った。

 そして、ティッシュをとると、おのれの股間を事務的にぬぐい、ゴミ箱に捨てた。それからショーツを穿きながら、あたしに言う。

「紗絵も、もう、服着ていいよ」

「あ。う、うん」

 あたしはこたえたものの、また、妙に に落ちない気分になる。

(『もう、服着ていいよ』って、なに?)

 後戯的なあれこれをしたいなんて、ぜいたく は言わないが、せめてピロートーク的ななにかはないものか。ちょっとしたオプション的な……食後のデザート的な……。

 ここまであっさり対応されてしまうと、出すもの出したらスッキリしてムードなどどうでもよくなるバカ男を相手にしているような気分にならないか……?

(いや、そんなことはない! 花野は初めてだから、心に余裕がないだけだっ!)

 服を着ながら、精神的力ずくで自分を納得させようとするあたしに、花野は言った。

「これで、あたしたち、恋人同士だね」

 その恥じらいを含んだ微笑に、あたしの心は一気にとろけ、そして、ネガティブなことは一切考えられなくなってしまったのだった。おめでたいことに。