かざりの退院手続きが終わるまでの数時間、いったん解散し、ラボで待ち合わせることになった。待っている間、あの交差点のことをあらためて調べてみた(ソラが)。検索を終えたソラが答えてくる。

『それより聞いてください。故障していた間にログインできなかったせいでツイッターのフォロワーがどんどん減っていて……』

「いいから早く、検索結果を出して」

『かしこまりました』

 西日が丘の交差点。

 道幅も広くなく、交差点と言うよりはちょっとした十字路と言ったほうが、かつては近かった。だが七年前に大きな事故があって以降、簡易信号機が初めて設置された。

『設置以降、立て続けに死亡事故が起きたことで、今度は本格的な信号機が設置されるようになります』

 ソラの説明を聞く。それでも事故はとまらず、今度はカーブミラーがつけられた。それが三年前で、いまではひと隅だけだったミラーが、四隅にそなえつけられている。事故はいまだに、ひんぱんに起き続けていて、一部では心霊スポットとうわさされている。

「あの交差点で起きた死亡事故の記事を検索できる?」

『四件ヒットしました』

「最初に起こった事故、七年前で再検索できる?」

『一件ヒットしました』

 ソラからのメールで送られてきた死亡事故の記事に、宮前しずかの名前があった。母親・みやまえなつの運転していた車が、ハンドル操作をあやまり、電柱に激突したとあった。助手席の宮前しずかは即死し、母親の夏美は重傷を負った。

 ひとつ気になるのは、記事は母親が重傷を負ったと伝えているのに、飾は母親が死亡したと言っていたことだ。どこでその事実を知ったのだろうか。待ち合わせに合流した飾は、こう答えた。

「宮前しずかちゃんのことについて調べてたとき、お世話になってたひとがいるの。しずかちゃんのお母さんの妹で、はるさんっていうんだけど。そのひとから、お母さんは亡くなったって聞かされた」

「へえ。よくそんなひと見つけたね」

「いまから向かうのも、そのひとのところ」

「なるほど」

 飾には今回の作戦(実験)を成功させるための材料集めとして、心当たりを探してもらっていた。どうやらその春子さんのもとへ行けば、求めていたものも手に入るらしい。

 ラボを出て、さっそく目的の場所へ向かう。

「春子さん、いまはしずかちゃんたちが住んでいた家にいるの」

「それはどうして?」

「しずかちゃんのお母さんが、マンションのオーナーでもあったから、その家とオーナー業務を引き継いだんだって言ってたよ、確か」

 問題の宮前宅は、大学から三十分もかからない、駅前のすぐ近くにあった。屋根が瓦調の、変哲のない一軒家だった。同じ敷地内にはマンションも隣接している。賃貸収入で手堅く生活しているらしい。

 インターホンの前で飾がちゅうちょしていた。

「前、最後に来たとき、つい、しずかちゃんの幽霊のことを話したんだよね。そしたら、怒られちゃった」

「……しんせきの死を、からかわれたと思ったんだろうな。最初はどういうきっかけで取り入ったの?」

「しずかちゃんがお母さんを探していることを知って、それからこの家をつきとめた。お母さんがいたら説得して、あの交差点に来てもらおうと思ってたけど、出てきたのは春子さんだった。しずかちゃんと近所の公園で遊んだことがあるって、少しうそをついて、思い出話とか、いろいろ聞かせてもらった」

 もともとアクティブな性格だとは思っていたけど、高校のころからその性質はすでに健在だったらしい。

 ともかく、作戦(実験)を成功させるには、どうしてもここの家のひとの協力が必要だ。手に入れなければならないものがある。

 時間も惜しかったので、ためらう飾の代わりに、私がインターホンを押すことにした。虚をつかれた飾のあたふたした様子が、少ししかった。「はい」と、インターホンから応答があり、飾がそうっと返事をする。

「ご、ごしてます。飾です。しずかちゃんのことで、またお話を聞きたいなと」

「ああ、久しぶり。どうぞ」

 飾が想像していたほど、むこうは根に持っていたり、怒っていたりする風ではなかった。間もなくドアが開いて、四十代ほどの女性があらわれる。飾が言っていた春子さん。玄関の前の戸を開けて私たちを入れてくれるが、家のなかまでとはすぐにはいかなかった。用件を聞こうと、警戒されているのがわかった。

「そっちはお友達?」春子さんが飾にいた。視線が私に向いて、小さくお辞儀を返す。

「そうです。この子も、しずかちゃんとは友達というか、知り合いで」

 知り合いか。

 まあ、嘘ではない。

「しずかのことなら、もう話せるだけ話したと思うけど」春子さんが答えた。

「あ、いや、今日知りたいのは、お母さんのことなんです」

「……夏美のこと?」

「写真や、しずかちゃんのお母さんの声とかが入ってるビデオがあったら、貸していただきたいんです」

 春子さんが腕をくむ。明らかに警戒されたとわかった。

 確かに無理もない。宮前しずかともだいぶ年が離れているというのに、友達だと言い張る二人が、今度は母親の写真や声をよこせと言ってくる。あやしまれて当然だし、何よりはたから見れば意味がわからない。

「いったいなんのために」

「き、記事です」飾が答えた。

「記事?」

「近くの大学に通って、記事を書くようになったんです。それで、取材ができればと思っていて」

 へえ、と春子さんがつぶやく。

「飾ちゃん、もう大学生か。そっか、勉強頑張ってるんだ」

「どうもどうも」

 意外なところで警戒心が解けたらしく、そのまま家のなかに招かれた。リビングで待っているように言われ、そのまま待機していると、二階から着替えた春子さんがあらわれた。薄手の半袖から、長袖のパーカーに変わっていた。着替えた理由が少し気になったけど、抱えているものを見て、すぐにそっちに意識を向けた。

 春子さんが持ってきたのはアルバムと、ビデオカメラ一台。飾はアルバムを、私はビデオカメラの中身を確認する。

 動画ファイルのうちのひとつを開くと、宮前夏美と思われる女性が映っていた。目の前の春子さんと顔は似ているが、少し髪が短い。

「しずか」と、夏美が呼び、画面がブランコをこぐ宮前しずかのほうにうつる。「ほら頑張って」。応援する声に応えるように力強く、しずかが笑ってブランコをこぐ。

 こぎおえて、汗を流し笑っているしずかの頭を、夏美がそっとなでる。「おなかがすいたでしょう。そろそろ帰ろうか」と、夏美の声。

 手首にある、三つ並んだほくろが印象的だった。しずかにとってもそのほくろがお守りであるように、別の動画では、そっと指でなでている場面もあった。

「もう寝る時間よ」「この絵本飽きた、ほかの買って!」「ごめんね。また今度、新しいの買おうね」。会話がはさまって、動画が終わる。

 飾のほうに視線を向けると、うなずき返してくれた。

「これで足りそうかしら」春子さんが言った。

「はい、ありがとうございます。少しの間、貸していただけないでしょうか」

「もちろん。好きにつかって」

 春子さんはもう腕をくんでいなかった。目的のものを手に入れるためとはいえ、だましていることに変わりはない。なんとなく、居心地が悪かった。すぐにぼろが出てしまうのではないかと、不安になりはじめていた。飾も同じ気持ちなようで、玄関のほうをちらちらと見ている。

 春子さんがアルバムとビデオカメラを入れるための袋を用意してくれた。用意してもらっている間に私と飾は席をたち、さりげなく玄関に向かった。ああ、というのは、きっとこんな気持ちを味わっているのだろう。

 どきりと心臓が跳ねたのは、去りぎわのことだった。

「しずかの幽霊が見えると、前に言っていたでしょう?」

 春子さんの言葉に、玄関の戸を開けようとしていた飾の手が、ぴたりととまった。やっぱり前回、飾ともめたことを、春子さんは忘れていなかったらしい。

 どうするのだ、と飾をちらりと見る。回答しだいでは、アルバムとビデオカメラを返せと言ってくるかもしれない。それは避けたい。しずかをじょうぶつさせるための作戦で、どうしてもこの材料は必要だ。

 飾は覚悟を決めたように、春子さんのほうに向きなおった。

「はい、見えます」

 すぐに追い返されるのではないかと思った。怒りに顔を赤くして、怒鳴られ、蹴り飛ばされるのではないかと。だけど春子さんは、飾の言葉を黙って聞いていた。

「しずかちゃんは、西日が丘の交差点に、いまもいます」

「嘘じゃないのね」

「はい」

 数秒の沈黙。

 春子さんはうつむいてしまった。少しして鼻をすする音がして、もしかして泣いているのかもしれないと思った。

 再び顔をあげた春子さんは、声を震わせながら訊いてきた。

「しずかは、いまは、どうしているの?」

「お母さんをずっと探しています。でも、お母さんはもう亡くなってしまったから、だからほかの方法で、私たちが成仏させます」

「成仏?」

「はい、そうです」

 春子さんは口を開き、何かを言いかけたが、結局なにも答えてこなかった。それで春子さんとの会話は終わった。

 帰る途中、ビデオに写っていた、宮前しずかの笑顔が離れなかった。あんな笑顔を向けていた子どもが、いまは交差点で、幽霊となってただよっている。どす黒い悪意をぶつけてきて、通行者を襲う。想像もできなかった。

「いろんな幽霊がいるでしょ」飾がぼそりと言った。

「うん」

 宮前しずかは、いまもあそこで独り、やってこない母親を待ち続けている。あの場所に縛られ、つながれている。

 エゴでもなんでもいい。合理的でなくても、非科学的であろうとかまわない。怖いものは、まだ怖い。けれど。私も飾に感化されたのだろうか。

 その鎖をほどいてやりたいと、思った。



 すべての準備が終わったその日の夜、大学の門の前で飾と待ち合わせをした。

 ずっとラボにいて、夜になるまでビデオカメラの映像を眺めていた。宮前しずかの頭をなでる夏美の手。その動作を、気付けば何度も繰り返し、眺めていた。

 時間になってソラを抱え、リュックに道具をつめこんで外に出る。今回もソラには活躍してもらう予定だ。リュックは流星群を見にいったときほどの重さではないので、ほっとする。

 門につくと同時、道の向こうからイヤホンをさして歩いてくる飾が見えた。彼女が音楽を聴いているのを、初めて見たかもしれない。近づいてきたところでイヤホンをふんだくり、何を聴いているのかを確かめてみる。ゴーストバスターズの主題歌だった。

「ウルトラ不謹慎だな……」

「これでも緊張を紛らわせようとしてるの」

「紛らわせるどころか、かき消えるからやめろ」

 イヤホンからお決まりのサビフレーズが流れる。プレーヤーを奪い、電源を切る。

「怖いよ。はなちゃん」

 移動中、飾が唐突に、トーンを暗くして言った。

「本当はこんなことあたしが言っちゃだめなのに。でもあの子の成仏を何度も失敗してきて、そのたびに恐ろしくなっていって……。どうしたらいいか、わからなくて」

 本当は何か、気の利いたことが言えたらよかったのだろう。

 緊張をほぐすための頼もしい言葉をかけたり、大丈夫だ私がいると、肩をたたいてやれたりしたらよかったのだろう。

 けれど、どれだけ考えても出てこない。だから結局、思うことをそのまましゃべるだけになる。

「安心しろ。私のほうが一〇〇倍怖いから」

 飾はきょとんとした顔になって、それから笑った。

 途中で一度止まり、ひとが来ないことを確認してからソラを起動させて、飛ばす。先に現地に向かってもらい、上空で待機してもらうことになっていた。積み荷があるので、いつもよりバランスがとりづらそうだったが、修理のときにいくらか改良もしてあるので、墜落の心配はきっとない。

 飛び立つソラを見送っていると、飾が手を握ってきた。とても冷たくて、だから指の先から順番に包んでやることにした。

 手をつないだまま、歩きだす。

「白状すると、しずかちゃんくらいの幽霊なら、手をつなぐ必要もないんだけどね。たぶんもう、誰でも見える」飾がほおをかきながら言った。

「じゃあ離せば? そっちから」

「……意地悪だなぁ」

 手を握り続ける。どちらも離そうとしなかった。

 移動している間、飾に今回の作戦を明かすことにした。飾は私を信じているのか、病室で会って以来、詳しい概要を聞いてくることはなかった。信頼を示してくれるのは誇らしい。だけど今回は、飾の協力が必須になる。

「リアプロジェクション。今回使う、科学技術の名称だ」

「……それがしずかちゃんの、お母さんをつくりだす?」

「立体映像として、ね。機材があればもっと本格的なこともできるけど、手元にある技術でできるのはこのリアプロジェクションを使ったもの。ちょうど研究会から借りてる資材がいくつかあったから、思いつけた」

「それはどういう仕組みなの? あたしは、何をすればいい?」

「リュックのなかにあるガラスを組み立てて、人間大の板を完成させる。ガラスには映像を投影するフィルムが張られていて、上空のソラが積んだ映写機で母親の姿を映し出す」

 実際にショーウィンドーでリアプロジェクションを用いて、映像としてマネキンに服を着させているアパレル店も最近は増えている。その技術を、さらに応用する。

「もしかして、あたしたちが集めたお母さんの写真は、このため?」

「その通り」

「でも、映像を映すだけで、しずかちゃんを信じ込ませることはできるかな?」

「だから宮前しずかの母親が映った動画も使う」

「ああ、そういえば、ビデオカメラの映像も集めてた」

「母親の音声だけを抜き出して、ボイスサンプルをいくつか作成した。ガラスのフィルムに豆粒スピーカーを張ってあるから、そこから母親の声が出せて、しゃべっているように見えるはず。声は遠隔操作でつなげているリュックのなかのパソコンを中継して、さらにスマホで操作できるようにしてある」

 携帯を取り出し、電話の画面にとぶ。表示された番号数字を押すと、作成したボイスサンプルのひとつが送信され、ガラスに投影された母親がしゃべるように見える。

「飾にはこの携帯を操作して、適切なボイスサンプルを選択し、宮前しずかの母親として彼女と会話をしてもらう」

「言葉は、どんなものでも使えるの?」

 そこが注意点だった。

「いいえ、作成できたサンプルは五つだけ。つまり宮前夏美の幻影は、五つの言葉しかしゃべれない。それだけを使って、宮前しずかに、母親に会えたと思い込ませるの」

 飾が集めてきた宮前夏美が写る動画は膨大なものだった。なかには娘であるしずかが写っているものもあった。夕食前の光景。誕生日会の様子。運動会で応援する声。休日の散歩、ドライブの風景。そのなかからノイズを消し、作成できたサンプルは五つ。

①しずか

②お腹がすいたでしょう

③頑張って

④もう寝る時間よ

⑤ごめんね

 宮前しずかと語るうえで、成仏に導けるであろう五つのキーワード。会話できるのは、この言葉だけ。それも短時間での勝負だ。長く話していれば、トーンが変わらないなどの不自然さが目立って、そのうちばれてしまう。失敗のことなど考えたくない。そうならないように祈るしかない。

 道の先、点滅する青色の光が見えた。信号機だった。点滅の光に照らされて、角の四隅に設置されているカーブミラーが、それぞれ不気味に反射する。

 交差点は目の前だった。



 時刻は夜の九時半を過ぎている。この時間になると、交差点を通るすべての道路が標識上で通行止めになる。これも事故を防止するための整備らしい。

 交差点へ一歩ずつ近づいている途中、境界が変わるみたいに、ぴりっと空気が冷えたのがわかった。横の飾を見ると、彼女の表情も明らかに変わっている。

 作戦開始の場所と決めていた、交差点の中心まであと五メートルもないところで、とうとう声がした。

《ねえ、どこかいくの?》

 飾が手を強く握ってくる。

 閉じかけた目をまた開いて、進む。白衣のすそをつかまれたような気がした。とまらない。

《ここにいなよ。ぷかぷか浮くの。気持ちいいよ。とっておきを教えてあげる。大丈夫、痛いのはすぐなくなるから。ねえ、だから死んでよ》

 すぐ近くのカーブミラーを見上げる。私と飾のすぐ後ろに、誰かがいた。

 自分が想像するよりもずっと近い場所に少女が立っている。表情まではとらえることができない。紺色のトレーナーに、白と灰色のラインがはいったスカート。黒いソックス、赤い靴。そして、そこからのびる影がない。

 乱れかけた息を、そっと二人で整える。お互いの呼吸に合わせるように、息を吐くタイミングを調節する。自分はひとりではない。左手の体温がそれを教えてくれる。

 交差点の中心について、いよいよリュックサックをおろしかけたとき、これまでで一番近い距離で声がした。ずしりと何かがのしかかるみたいに、背中から衝撃があり、よろめく。

《無視するなよ》

 心臓をつかむような、低い声。ひっ、と声が出そうになる。

 そのとき、左手から体温が抜け落ちるのを感じた。飾が手を離していた。思わず向きかけたところで、飾の声が返ってくる。

「あたしが引きつけておくから! その間に準備をすませて! 何があっても絶対に振り向いちゃだめっ」

 大丈夫だから、と言い残し、足音が遠のいていく。それについていくように、体の重さがふと消える。飾の言葉を守り、彼女のほうは見ない。私の背中で飾が戦っている。

 飾が動きを見せたのか、少女のかんだかい叫び声がした。

《あああああああああああああああああああああっ!》

 開けかけたリュックをあわてて離し、両手を耳にあてる。体が震え、どうが速くなっているのを感じる。叫び声がやんで、ぼごん、とコンクリートが砕ける音が後ろで鳴った。病院で眠る飾の姿を思い出す。体中に包帯を巻いていて、きっとその傷だって、まだ完全には癒えていない。そんな彼女がまた、立ち向かっている。

「飾っ!?

「大丈夫だから! 華ちゃんは進めて!」

《またお前! しつこいんだよ! 何度追い返せば気が済むんだ。わたしはここに居つづけるんだ》

 宮前しずかの感情に呼応するように、近くのカーブミラーにヒビが入り、最後は砕けた。破片が私のいるところまで散ってくる。柱の部分もひしゃげて、いまにも倒れてきそうだった。

 作業に集中する。リュックからすべてを出し、スクリーンを設置していく。土台以外は透明で、一見するとガラスの壁がここにあるとは気付かない。大丈夫、成功する。させてみせる。

《消えてなんかやらない。通ったやつはみんな敵だ。敵だ、敵だ。お母さんが迎えにきてくれる。絶対にきてくれるんだ》

「そのとおりだよ、しずかちゃん。だから今日はお母さんを連れて来た」

《どういう意味?》

「華ちゃん!」

 背後で呼びかけられると同時、設置が完了する。

「飾っ、いいよ!」

 鏡のスクリーンから距離を取り、ついに振り向く。宮前しずかと目が合い、とたんににらまれる。

 ぎょろりと、真っ黒な目だった。瞳孔がまったく確認できない。顔や首のあたり、服からのぞく腕のあちこちが青黒く変色している。呼吸を忘れ、体が震える。携帯を落とさないよう必死に声をふりしぼって、ソラに連絡を取る。

「ソラ、いいよ、始めて」

『承知しました』

 耳をすませば、かすかに空からモーター音がする。緑の光が一瞬だけ点滅し、すぐそこにいるのがわかった。ソラの積んだ映写機が起動し、スクリーンに母親の姿が映し出されるのとほぼ同時、携帯を投げて飾にパスする。

 宮前しずかの視線がスクリーンに移動する。

 黒く塗りつぶされた目に生気がやどり、人間を見るような正常な瞳にかわる。口をぽかんと開けて、そこに映る母親を見る。

《お母さん……?》

『しずか』

 と、スクリーンの母親が声を発する。そっと飾の手元を見ると、操作しているのがわかった。ここからは飾の出番だ。やりかけた義務を、果たせ。

《お母さん、ああ、お母さん》

 宮前しずかがよろよろと、歩を進めて近づこうとする。当然だが、ガラスに触れられればアウトだ。彼女が偽者の母親を抱きしめる前に、成仏させないといけない。

『しずか、お腹がすいたでしょう』

《……う、うん。とってもすいた。お母さんの料理が食べたい。ねえ、家に帰ろう。早く帰ろうよ》

『もう寝る時間よ』

《寝るの? お母さんは眠たい?》

『しずか』

《ねえ、いままでどこにいたの? どうして迎えにきてくれなかったの? わたし、ずっと待ってたんだ。ここで、ずっと、ずっと》

『ごめんね』

《ああ、お母さん。違うの。ごめんなさい。わたしが悪いんです。あのときケンカして、お母さんの運転を乱しちゃった。本当にごめんなさい》

『しずか』

 飾がその先を考える。スクリーンの母親は飾が操作しない限りは声を発しない。

 しずかも続きを待っている。このままでは感付かれるというぎりぎりのタイミングで、飾は続きを選択した。

『がんばって』

 答えにほっとしたしずかが、応答する。

《うん。いく。そっちにいく。お母さんと一緒に、帰るんだ》

 しずかの体が光りだし、灰となって浮かび始めているのがわかった。明智さんの時に見た、成仏の兆候だ。無風という科学を無視して、灰は落ちることなく、空に舞い上がっていく。

 一歩いっぽ、母親に近づいていくしずか。距離はあと三メートルもなかった。だが成仏が始まり、赤い靴を履いていた足元もすでに灰となり、その歩行は遅くなっている。飾と目をあわせ、お互いにうなずく。あと少し。

《お母さん》

 と、しずかが呼びかけた、そのときだった。

 ぎぎぎぎいいいい、と近くのカーブミラーがきしみをあげて、傾きだす。さっき柱の部分がひしゃげていた、あのカーブミラーだった。しずかも音に気を取られ、それが倒れてくるのを見つめる。

 傾きだした柱が、やがて重力に耐えきれなくなり、そのまま交差点の中心へと折れて落下していく。そこにあるのはしずかの母親だった。あっ、と叫ぶころには、もう遅かった。

 ガラスの割れる音が響いて、母親を映していたスクリーンがくだけちる。ソラから投射された映像も行く場をなくし、母親の姿がかき消える。

 しずかがしゃがみこみ、そばのガラスを拾いあげる。気付けば灰となって消えていたはずの赤い靴が、元に戻っていた。

《だましたな》

 黒い声が、再び私たちに向けられる。



 科学者は実験において、常に仮説と検証を繰り返す。失敗はつきもので、結果を得るためのパターンをいくつも考え、実行する。だから流星群をるときは、パターンBを用意していた。あのときの私を科学者として合格とするなら、いまの私は不合格だった。

 パターンBはない。

 今回は科学者に徹する前に、友達として彼女を救いたいと思った。だからこの案に、とびついてしまった。

 時間をかければ予備策も考えられたかもしれないが、いちはやく、飾の傷が再び広がる前に、解決してあげたかった。何より、宮前しずかのことを思ってしまった。

《ぜんぶ。ぜんぶ嘘だった。だました。小細工だ。だました、だました、だましただましただましただました、殺してやる》

 しずかの頭上の信号機が、暴れまわるように点滅を繰り返す。青、黄色、赤と、光が走りぬけていく。一歩近づいてくるごとに、周囲にさまざまな破壊をまき散らしてくる。コンクリート塀に入るヒビ。近くの空き家の窓が割れる。かすかに揺れる地面。これがひとりの少女のものだと、脳が処理しきれずにいた。

《死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!》

 宮前しずかの叫び声が、耳の奥まで響き、体を揺らす。ひとに死ねと言われると、これほど怖いのか。

 ソラと連絡をとろうとするが、いっこうに応答はない。電波障害だろうか。常識を超えた数々の現象が、目の前で起こっている。以前の私なら、とっくにうずくまって頭を抱えて、そのうち気を失っていたかもしれない。いまはそんなことよりも、飾の手を握りたかった。

「ごめん、失敗した」

「華ちゃん……」

 その手が離されても。

 罵倒されても。

 責められても。

 文句を言うつもりはなかった。すべて受け入れようと思った。

 それなのに。

「一緒に来てくれて、ありがとう」

 飾はただ、ほほえむだけだった。

 その頬に、切り傷ができていく。見えない刃物が風に乗って、裂いてくるようだった。同じような痛みが私の体のあちこちに走っていく。傷だらけだった。

 突風が吹いて、飛ばされそうになる。しずかが近づいてくるたびに、風が強くなるのがわかった。思わず目をつぶった。怖くて仕方がなかったけど、飾の手だけは離さなかった。

 次にどんな痛みが襲ってくるだろうか。

 幽霊の襲撃を体感するのは初めてだ。好奇心がないわけではない。ここは潔く、実験台となることにしよう。

 ぴたりと風がやんだのは、そうやって覚悟を決めた、すぐあとだった。

 全身の力を徐々に抜いて、そうっと目を開ける。目の前で見上げてくる、体が変色した血みどろのしずかを想像したが、そこにはいなかった。

 飾も目を開けて、目の前の光景をとらえる。驚きの表情に変わり、口をぽかんと開ける。やはり見えているのは、私だけではなかった。

 しずかはこちらに背を向けて、交差点の真ん中に立つ母親を見つめていた。

 黄色でとまったままの信号機の明かりに照らされて、母親の夏美さんがほほ笑み、しずかを見つめている。

《お母さん?》

「しずか、もう帰るよ」

《偽者じゃないの?》

「本物よ。信じられない?」

《本当に、本当に?》

 夏美さんが一歩、しずかのもとへ近づいていく。

「気付いてあげられなくて、ごめんなさい。いままで避けてて、本当にごめんなさい」

《お母さん……、お母さん、お母さん》

 手を伸ばし、すがるようにしずかも近づいていく。母親の服装はカーディガンだった。私と飾が用意した母親の映像ではない。何より、あんな長いボイスサンプルは作成していない。飾と顔を見合わる。もしかしたら飾が用意していたのかもと予想するが、彼女にも覚えがないようだった。

「しずか。あなたに会うのが、怖かったの。恨まれているんじゃないかって、最後もケンカをしてしまった。ずっと謝ろうと思ってた。本当に、ごめんなさい」

《そ、そんなこと、そんなことない! わたしのほうこそごめんなさい! お母さん、許して。許して》

「もちろんよ。さびしくないように、手をつないであげる。ほらおいで」

 母親に近づくたびに灰となってのぼっていくしずかの体。それでも歩みをとめず、必死に抱きつこうと進む。

 母親の夏美さんが、しずかを抱きとめる。

 しずかが大きな声で、泣きだす。そこに恐怖や悪意、憎悪のようなものは、もう存在しない。ただの純粋な子どもの泣き声だった。

 夏美さんがしずかの頭を、そっとなでる。しずかの泣いた声が響き、やがて、ボリュームをしぼったように聞こえなくなっていく。母親の胸に顔をうずめたところで、その姿が、とうとう消えた。

 信号機がショートし、やがて周囲が真っ暗になった。

 飾と手を握ったまま、交差点の中心まで進んでいく。途中で信号機の明かりが元に戻る。近くから軽いモーター音が聞こえた。ソラが頭上で待機しているのがわかった。さっきまでの、張りつめていた空気が霧散していた。もうどこにも、宮前しずかの気配がなかった。

 母親の夏美さんは、変わらずそこに立って、しずかの消えていった空を見ていた。夏美さんの足元には、信号機の明かりに照らされた影がある。ああ、なるほど、とようやく理解する。

「ど、どういうこと?」

 飾は理解できていない様子だった。必死に考え、この状況を整理しようとしていた。生きている、幽霊じゃない、じゃあこのひとは何者? と、ぶつぶつつぶやき、答えをひねり出そうとしていた。

「もしかして、春子さん?」

 夏美さんが申し訳なさそうに笑う。違う、と首を横に振る。また混乱した飾が、とうとう、助けを求めるように私を見てきた。

 目の前の女性は、間違いなく生きている。

 そして春子さんでもない。

 つまり、こういうことだ。

「このひとは母親の夏美さん、本物よ。死んでなんていなかった。私たちが春子さんだと思って会っていたひとは、夏美さんだったの」



 違和感はあった。それと気付くことはすぐにはできなかったけど、いま思えば、合点のいく部分がいくつもある。彼女自身の姿を見て、ようやく納得した。

 私と飾が夏美さん(春子さん)の家を訪れて、宮前しずかの話をしたとたん、彼女は腕をくんだ。最初は警戒心で反射的にそうしているかと思っていた。けど、夏美さんはあるものを隠したくて、そうしたのだ。

 アルバムとビデオカメラを持ってくる間、夏美さんは着替えてやってきた。どうして着替えたのか。半袖から長袖にしたという部分に、答えがある。

「本当にこのひとが、夏美さんなの?」

 飾はまだ信じられずにいる様子だ。宮前しずかの成仏の手がかりを得るためにずっと会ってきた春子さんが、自分の探していた母親の夏美さんそのひとだったのだから、私の驚きよりも、大きいだろう。

「だましていて、ごめんなさい」

 夏美さんが頭を下げる。

「飾ちゃんがしずかのことで最初にやってきたとき、とっさに嘘をついてしまったの。責められるのが、怖くて。わたし、あの子とけんをしているときに、気をとられてハンドルを変な方向にまわしてしまったの。自分だけが生きているのが、とても嫌だった」

 それで春子と名乗り、飾の前で自分を偽った。もしかしたら、妹自体、存在しないのかもしれない。飾に対してだけじゃない。カツラを使うほどだから、ほかの周囲のひとにも、そうやって偽っていたのだろう。ずっと、あの家で。

「交差点の噂は、前から聞いてた。事故が多発してるって。ありえないって言い聞かせた。もしかしたら、とも思った。でも怖かった。娘はわたしを憎んでる。憎くて、それをぶつけている。そんな気がしてて、どうしても、確かめに行けなかった」

 でも、違った。

 宮前しずかは、母親だけを求めていた。ただ、夏美さんがそばにいてくれれば、それでよかった。一度会って、謝ることができれば、それでよかった。

 夏美さんが娘と会おうと決心したのは、きっと、この前の私たちの訪問が、きっかけだったのだろう。

 夏美さんは、流れていた涙をそっとぬぐう。飾もようやく受け入れたらしく、少し落ち着いていた。ありがとう、とお礼を言い、去っていく夏美さんを、一緒に見送った。

 二人きりになったところで、飾が訪ねてきた。

「ねえ、華ちゃんは知ってたの? どうしてわかったの?」

 彼女が夏美さんであるという、決定的な証拠。

 私は返事の代わりに、自分の右の頬をさしてやった。

「え、なに?」

「私が指さしているこれはなに?」

「……ほくろ?」

「そうよ。ビデオカメラに写ってた夏美さんの手首にも、ほくろが三つ並んでた。ほくろの位置って、年を重ねても、それほど変わらないの。私のこの泣きぼくろだって、ずっとここにある」

「そ、それが?」

「特徴的な部分でしょ? 夏美さんもそれに気付いて、宮前しずかの話題が出たときは、自分の特徴を本能的に隠すようにしてた。たとえば腕をくんだり、長そでに着替えて手首が見えないようにしたり」

 あ、と合点がいったように、小さく飾がつぶやく。さっきまでいた彼女の手首には、ほくろが三つあった。ずっと今日まで、隠していたものだ。

 説明を聞き終えた飾は、それきり黙った。きっといろいろと、思うことがあるのだろう。

 思考を妨げることはしない。夏美さんの心情を、宮前しずかの結果を、飾なりに、みこもうとしているのがわかった。

 誰も通らない住宅街、夜道をしばらく、二人で歩く。

 点滅を繰り返す頼りない街灯を通り過ぎる。光に浮かされて、ちらりと飾の体の傷が見える。

 ふと、飾と目が合った。

 彼女も同じようにボロボロになった私の体を見て、二人で笑った。

「あたしたち、どこを歩いてきたんだってくらい、ボロボロだ」

「交差点で立ってただけなのにね」

 怖くない暗闇もあるのだな、と飾の笑顔に教えられる。

 こんな光景を、どこかで見たような気がする。どこだっただろう。夢で見たのだろうか。もう思い出せない。けどまあ、別にいい。

 気付けば手をつないでいた。ぜんぶ終わったのに、私たちはお互いに離そうとしなかった。

 ふと、思い出すことがあった。

「そういえば飾、写真はよかったの?」

「写真?」

「いつも撮ってたじゃん。成仏が終わったあと」

 彼女は毎回、幽霊が成仏した場所を写真におさめていた。明智さんのときは七号棟の前、夜河さんのときは山頂、琴吹さんの場合は(生きているが)、飾が説得に成功したあの公園。今回でいえば、交差点をカメラにおさめていてもおかしくない。だけど飾は今回の件では一度もデジカメを出すことなく、こうして交差点を後にしている。

 飾はなかなか答えなかった。

 今回も、これまでと同じように、またはぐらかされるのだろうか。

 それでもまあ、別によかった。前ほどの怒りも、あせりも、いらだちもなかった。彼女が隠したいのなら、それでもいい。受け入れられる。

 飾が語りだしたのは、そうやって私が事情を呑み込む、まさに寸前のタイミングだった。

「あたしね、華ちゃんに隠していたことがある」

「そうみたいね」

 あくまでもがっつくことはせず、自然な会話をよそおって、なんでもないみたいに、あいづちをうつ。本当は早く先を知りたくて仕方なかったけど、必死にこらえた。飾、あんたは何を隠してる? それは私に手伝えること? 私が関わっても、いいことなの?

「明日の朝、時間あるかな。ついてきてほしいところがあるんだ」飾が言った。秘密を明かすには、特定の場所への移動が必要らしい。

「うん。いいよ」

 時間と待ち合わせ場所を決めて、飾はまた黙った。彼女の続きがなければ、また明日にでも聞けばいいと思っていた。

 道が二手に分かれ、お互いに手を離す。別れ際、飾が言った。

「明日ついてきてほしいのは、おちゃんの家」

「家?」

 そういえば、病院で飾の母親に会ったときに言っていた。飾は、祖母の住んでいた家を残すよう両親に頼んでいた、と。明日向かうのは、その家のことだろう。

「家に行って、何をするんだ?」

「会いに行く」

 飾は続ける。



「お祖母ばあちゃんは、まだ死んでいないの」



 翌朝、筋肉痛でずたずたの体をひきずって、待ち合わせの駅を目指す。夜河さんの成仏のときに山を登った翌日も筋肉痛になったが、今回はさらにひどかった。大した運動はしていないが、緊張が強すぎて筋肉に負荷がかかっていたのだろう。

 歩くたびに太ももが悲鳴をあげた。家を出る前は、髪をとかすための腕さえあがらなかった。結局、意地と根性という非科学ダブルコンボの力でなんとか髪を整えた。

 待ち合わせ場所に指定された駅前の噴水では、すでに飾が待っていた。近くのコンビニで買ってきたであろうおにぎりを、三個も食べていた。朝からカロリーの重い光景だ。

「華ちゃんも何か食べないと、元気出ないよ」

「こんにゃくゼリー以外入らない体なんだよ」

「食事は脳にとっても栄養なんだから。頭良くなれないよ。いつかあたしの頭脳が華ちゃんを追いこしちゃう日がくるかもね、うふ」

 頬にごはん粒がついていたが、教えないでおいた。頭の悪さを思い知っていただければと思う。

 通勤ラッシュを過ぎた時間帯で、電車の席にもスムーズに座れた。これで座れなかったら悲鳴をあげていたと思う。もしくは不機嫌になって飾にあたり散らしていたかもしれない。ああ、だから飾は待ち合わせ時間をこの時間にしていたのか。

「三十分くらいかかるから、眠かったら寝てていいよ。ついたら起こしてあげる」

「じゃ、お言葉に甘えて」

 本当はそれほど眠たくはなかったが、なんとなくうなずいてしまった。飾の肩をかりて、頭をあずけて目をつぶる。

 お祖母ちゃんは、まだ死んでいないの。

 昨日の飾の言葉がよみがえる。

 あれはたぶん、現実の体として生活し、生きている、という意味ではなく。

 まだ成仏できずに、とどまっているという意味だろう。

 飾はずっとその秘密を隠してきた。

 そして私に、ようやく明かしてくれた。私はこれから、飾の心に触れにいこうとしている。これでのんに眠れたら、いよいよ私はひとでなしだ。

 飾も私が寝ないことを悟ったらしく、話を始めた。私は彼女にもたれかかったまま、それを聞いた。

「お祖母ちゃんが亡くなって、初めて出会った幽霊は、お祖母ちゃん自身だった。そのころはまだ会話ができた。不謹慎だけどね、うれしかったんだ。もう会えないと思ってて、それでまだ、そばにいてくれるってわかったから」

 電車が速度をゆるめて、やがて止まった。駅に停車したわけではなく、まだ線路の途中だった。少しして、信号が変わるまで停車をするというアナウンスが入った。

「でも、しばらくして、やっぱりそれは良くないことだってわかった。未練があって成仏できずにいるなら、その未練を聞き出して、解消してあげなくちゃいけないと思った。それができるのは、あたしだけだって」

 電車はまだ動かない。アナウンスが入り、信号機のトラブルだと再度告げてきた。謝罪の言葉があって、アナウンスが切れる。

「お祖母ちゃんがやたらあたしの様子を聞いてくることに気付いたの。学校はどうかとか、勉強は進んでいるかとか、お腹はいていないかとか、友達と遊びに行ったかとか。お祖母ちゃんの未練は、あたし自身だった。あたしが心配で、まだこの世をただよっているんだってわかった。情けなかった」

 それで自分を変えることにした。飾がそう言うと同時に、電車が動きだした。不思議なタイミングだった。

「暗い性格をまずは変えようと思った。みんなの印象に残る、派手な感じにしようって。ひとあたりがよくて、人気者になれるような。クラスメートとも積極的に遊ぶことにした。高校に入ってからはいまの色に髪も染めた。そのころから傷んで、髪質がパーマになっちゃったの」

 飾が小さく笑いながら続ける。

「そうやって外面をとりつくろって、いろいろやってみた。自分を、飾ってみた。しっかりやれるところも見せようと思って、幽霊の成仏も手助けするようにした」

 飾が幽霊の成仏に異常な執着を見せていた理由が、ようやくわかった。ぜんぶ、お祖母ちゃんのためだった。

 ことあるごとに祖母に報告に行く、そんな彼女の姿を想像する。それでも飾のお祖母ちゃんは、なかなか成仏してくれない。もっと自分がしっかりしなくちゃ。立派な人間にならなくちゃ。出会う幽霊を成仏させてあげなくちゃ。背負いこみ、のめりこみ、そして大学も浪人する。そんなことではだめだと、今年は入学してきた。そして私は、見た目も性格もすっかり変わった、昔のクラスメートと再会することになったのだ。

 自分を飾ったという自嘲めいた彼女の言葉は、四ツ谷飾という彼女の名前とも相まっていて、なんだか皮肉だ。

 自分だけが孤独ではなく。

 自分だけが不安ではなく。

 自分だけが不幸ではない。

 そして同時に、自分だけが安心を求めているわけでもない。

 そんな当たり前のことを、この数か月、私はもうこの世にいない人たちから教えられた。そんな人たちとをつなぐ、飾に教えられた。

「私にできることは?」

「そばにいて」

 飾はそれだけ言った。それで伝わった。電車が駅についた。



 降りた駅は高台にあって、ロータリーから街が見下ろせた。私と飾が通っていた小学校も見えた。運命的なものを感じるが、ただの幻想だ。飾が小学生のころに通い詰めていたのなら、お祖母ちゃんの家は小学校から遠くはない場所にあって当然である。

 坂をくだり、住宅街に入る。何か会話でもしようかと話題をさがしているうちに、飾が足をとめた。ここだよ、と示した家は、拍子抜けするくらい普通の一軒家だった。

 飾の祖母は長い間、成仏できていない。期間でいえば、夜河さんやあの交差点の少女に匹敵するか、それ以上の長さということだ。私は暴走した幽霊の恐ろしさをすでに知っている。普段は幽霊をたり、感じたりできない私でさえ、その姿をとらえたり、空気の違和感に気付くことができる。そのはずなのに、目の前の一軒家からは、何も感じなかった。

 もっと言えば、変ではあった。

 そう、ここは何も感じなさすぎるのだ。

 飾に案内されなければ素通りしてしまいそうな、そんな存在感の薄さがこの家にはあった。まるで誰かが、意図的にそうしているように。

「入ろう」

 飾は言って、玄関の戸に手をかける。金属のきしむ音もせず、スムーズに戸が開いた。通り過ぎるときに観察すると、油がしっかり差してあるのがわかった。ちらりと見えた庭の手入れもされている。ぜんぶ、きっと飾がやったのだ。

 玄関横の靴箱の上には、空になった水槽があった。魚のいた痕跡はすでにない。砂利も片付けられている。

 部屋はふすまで分けられていて、まずリビングにあがった。飾がすぐに部屋の明かりをつける。電気が通っているのだ。

 食器も冷蔵庫も、家具も何もない、簡素な部屋だった。モデルルームでも、もう少し飾られていると思えるようなリビングだ。

 飾がカーテンを開ける。窓からは、さっきちらりと見えた庭が広がっていた。手入れが行き届いた庭だが、花壇には何も植えられていない。

 リビングの向こうに、もう一枚のふすまを隔てた場所があった。その目の前で飾は立ち止まっていた。

 私が横に並んだのを確認して、飾がふすまを開けた。暗くてよく見えなかったが、畳の部屋だとわかった。手をつなぎ、中に入る。部屋の奥に、誰かが正座をしているのがわかった。

「あれが、お祖母ちゃん?」

「うん」

「なんというか、想像していたより」

「ずっと静かでしょ?」

 飾が私の感想を見抜いて、先に答える。私たちがこうして会話をしていても、奥にいる飾の祖母が反応する様子はない。彫刻像のように、そのまま座っている。

「お祖母ちゃん、来たよ」

 飾が話しかけるが、祖母からの反応はなかった。暴れだすことも、叫びだすこともなく、ただそこにいる。

 なぜか、懸命に闘っているようにも見えた。自分のなかの、そういった悪いものを、必死に抑え込んでいるように見えた。幽霊がもともと見えた飾の祖母になら、できそうなことのようにも思える。

 飾が畳の部屋に明かりをつけた。

 とたんに広がった光景を見て、ぜんとした。

 そして、やっと気付いた。

 自分がいままで、どれだけ鈍感であったかということを。得意気に披露していた観察力が、いかに機能していなかったということを。

 広がっていたのは、部屋の壁を覆いつくす、数えきれない量の写真だった。

 写真に統一性はなく、さまざまな場所を写している。電車の踏み切り、どこかの学校の屋上、ビルのエレベーター、公衆トイレ、穏やかな流れの河原。

 そして、大学の七号館を写した写真を見つける。つい最近、流星群を見たあの山頂を写した写真もある。ことぶきさんを説得することに成功した公園の写真も。

 部屋を埋め尽くすこの写真はすべて、飾がこれまで成仏させてきた証しの数々だ。幽霊を成仏させた証しとしてデジカメで写真を撮り、現像し、この部屋に貼り続けてきた。飾の祖母がいる、この部屋に。

 飾は反応がなくなってしまった祖母に、自分の証しを見せようとしていたのだ。

 毎年、毎月、毎週、毎日。ずっと、ずっと、この場所で。

「デジカメはね、お祖母ちゃんにもらったものなんだ。よくあたしも写してもらってた。一緒にアルバムに飾ったりもしたんだ。だから、そういう縁があるもので撮り続けてれば、いつかはって思ってた」

「飾……」

 かける言葉が決まらなかった。どれだけの苦労を彼女が背負ってきたか。想像して、胸が痛んだ。胸って、本当に痛むんだ。ただの表現の一種だと思っていた。こんなにも、息苦しくなるなんて。

 だけど、当の本人は笑っていた。うれしそうだった。私なんかよりも、ずっと余裕のある姿だった。

「そんな泣きそうな顔しないでよ、華ちゃん。今日ここに来たのはね、別にこれを見せようと思ったわけじゃないんだよ」

「え?」

「見つかったから。あたしに足りないものがなにか、やっとわかったから」

 飾は私の手を取り、祖母のもとへ近づいていく。

 飾の祖母はいまだに反応しない。あと一歩踏み出せば、つまさきが膝にあたろうかという距離だった。

「お祖母ちゃん。迷惑かけて、本当にごめん」

 飾が言う。

「あたし、バカだから。お祖母ちゃんが何を心配しているのか、わかってあげられてなかった。髪を染めたり、性格を派手にしてみたり、こうやって成仏させた証拠の写真なんて貼ったりして。ぜんぜん違ったんだね」

 飾は部屋を見回す。自嘲気味に笑って、そのあとはすがすがしい顔で、また祖母のほうを向く。そして。

「お祖母ちゃん、あたし、友達ができたよ。うきしま華ちゃんっていうの」

 その言葉がスイッチであったかのように、反応を見せなかった祖母が、ゆっくりとこちらを見上げてきた。

 薄く口を開けているだけで、表情はないけど、飾の言葉が確かに届いていることはわかっていた。

「華ちゃんは、とっても頭が良くて、人見知りだけど、誰よりもやさしくて。それからちょっと意地っ張りで、照れた顔が、とても可愛かわいい子なの」

 飾の祖母が座っている、その後ろの壁が透けて見え始める。肩から小さな灰がのぼっていくのが見える。成仏が始まっていた。

 飾の声は、涙のせいで震えだしていた。

「苦しませてしまって、ごめんなさい。いっぱい心配、かけたよね。でももう大丈夫。あたしには、支えてくれる友達ができたよ。だから、だから」

 飾の祖母が、薄く笑みを見せる。

 だけど飾は消えていく祖母を見られなくなって、うつむいてしまう。彼女の代わりに、私が最後まで見届けようと決めた。つちかってきた観察で、あとで聞かれてもぜんぶ答えられるように。くまなく、最後まで見届けてやるのだ。

 飾の祖母と目が合う。その瞳の奥に、小学生のころの飾の残像が見えた気がした。髪も黒く、おさげにして、地味な彼女。でも、好きなお祖母ちゃんの前でだけは、甘えている飾。何かを話している姿。一緒に食事をして、お風呂に入り、布団に入る姿。同じ時間を過ごしてきた、記憶。

「かざり」

 その言葉で、飾が顔をあげた。祖母の姿は、それと同時に、完全に消えていった。

 力の抜けた飾を、抱きとめた。そのまま一緒に座る。

 飾は声がかれるまで、泣き続けた。



 畳の部屋の写真をがしたいと飾が言うので、手伝った。結局、すべて剥がし終えるのに夕方までかかってしまった。講義もとっくに終わっている。

 駅に向かっている途中、飾が言ってきた。

「ねえ、あたしたち、なんだか友達とも違うよね」

 確かにそうかもしれない。どこかに遊びに出かけたり、お互いの家に泊まったり、そういうことを単純にする間柄ではない気がした。

「いったいなんだろうね」私が訊いた。

「もっと深い関係な気がするよ、親友、とかさ」

「親友? それっていつでも好きなときに実験台になってくれるっていうあれのこと?」

「違うよ。……まったく、華ちゃんは科学オタクだなぁ」

 飾はくすくすと笑う。

「たまに考えてたの。華ちゃんを一言で説明するなら何かなって。ひとにどうやって乙女っぽく紹介しようかなって。そしたら、やっぱり科学オタクがぴったりだった」

「乙女要素ゼロね。それならあんたは霊感女よ」

「ええぇ、可愛かわいくない……」

 ひとりは科学にのめりこみ。もうひとりは幽霊に寄りそう。

 科学オタクと霊感女。



 友達よりは、悪くない響きだった。