8 灼  熱


 北米大陸の片隅にある無人の街の中を、子連れのアライグマが歩いていた。

 母アライグマは黒くなった太陽を見上げ、警戒と威嚇の鳴き声をあげた。

 街からは人が消え、空からは太陽が消えた。

 母アライグマにとって、変化は常に歓迎せざるものだ。夜の森で虫の声が途絶えれば、近くに猛禽がいる。雨が続く中、土の臭いが濃くなれば、水が氾濫する。

 数日前に人が消えた。これは何かの予兆であると、母アライグマは感じていた。だから、子供を連れて、あえて普段は近づかない人の街に入ったのだ。そして今、太陽までも消えた。

 母アライグマが子供を連れて道路脇のそくこうへ潜りこんだ。その次の瞬間。

 白い光が、黒い影が、世界をくまどった。

 母アライグマは、本能的な動きで黒い影の奥に子供を押しこみ、自分もその中に入った。光を浴びたのは一瞬だったが、チリチリと毛皮が焦げる匂いが背中から漂う。

 ――逃げろ!

 母アライグマは走る。闇の深い側へ。側溝の奥へ。

 ぐうっ、と気圧が上がる。熱で膨張した空気が熱風となって側溝の奥へ入ってくる。

 ――逃げろ!

 地下へ。水の中へ。温度が低いところへ。

 母アライグマの鼻に、煙の匂いが漂ってきた。火事。獣にとって最悪の災厄のひとつ。

 ――逃げろ!

 母アライグマは手足を動かし、背をバネにして必死に駆ける。

 だが、どこへ逃げればいいのか。〈アルテミスの日傘〉がシールドを間引いて生み出した半影のエリアは、母アライグマの周囲、直径二百キロメートルもの広大な円だ。

 そして、円は、じりじりと大きく、明るくなりつつあった。


 またひとつ、床の上に明るい円が生まれた。意識空間の中で、ドリーは、その床の明るい光の円をモップでこする。

 ドリーの目にサッカーボールほどの大きさに見えているその円の現実空間での直径は二百キロメートルある。

『ダメね。なかなか消えないわ』

 一心に目の前の円をこすりながら、そうつぶやいたドリーの横で、床のあちこちの明るい円にモップを動かしながらケイトが答える。

『こっちもよ。〈日傘〉に穴が開いてきたみたいね』

 目の前の円に集中するドリーと違い、ケイトの目は常に広い範囲を見ていた。

 ――あ、あそこにもまた明るいところができた……あ、こっちにも。

 最初のころは、明るい円が生まれると、誰かが駆けつけてモップでそれを消した。だが、次々に生まれる円に追いつかなくなっているのだ。その理由は、数の多さもあるが、明らかに駆けつける人々の速度が遅くなっている。

 ――士気が下がってるわね。

 床の光る領域は、〈日傘〉に穴が開き、現実の地球で太陽表面爆発の光を浴びている場所がある、という現実とつながっている。光っている領域が広がって消えないということは、地球が焼かれているということである。モップを持って走りまわる人々は、それを知っている。知っているがゆえに、意識の中に燃える山や街を思い浮かべてしまうのだ。自分たちの故郷がいま焼かれているかもしれない、という事実を。

 この意識空間では、怒り、いらだち、絶望という負の感情は自動的にフィルタリングされて伝わりにくくなっているが、それでも漠然とした不安のかたまりが、意識空間の中でゆっくりと膨れ上がっていることにケイトは気づいていた。

 ――不安や恐怖が広がっていけば、わたしたちの脳内で動くモジュールの効率も下がるはずだわ……どうするつもりかしら。

 そのとき、隣でモップの手をとめ、眉間にシワを寄せて、ぶつぶつと早口で何か言っていた人が、すっと消えた。そして入れ替わるように新しい人がその場所に現われた。

 ――なるほど。強制ログアウトさせて、新しい人間に入れ替えるってわけね。まさに人海戦術ってことか。

 ストレスに弱く効率が悪くなった人間は、ログアウトさせる。そして新しい人間を入れて脳にモジュールをダウンロードさせ、〈アルテミスの日傘〉が必要とする情報処理を行なわせる。代わりの人間はいくらでもいる。世界じゅうのシェルターに、何十億もいるのだ。

 ――まるで、水没しようとする巣を守る働きアリね。

 合理的ではあるし、自分が女王アリの側にいれば同じことをする自覚はある。

 それでも不満は感じたし、その不満は、言葉のとげとなって、そばで熱心に床をこする気のいい主婦に向けられた。

『ねえ、ドリー。この作業のすべてが無駄に終わるとしても、あなたはそうやって熱心にモップでこすり続けられるかしら?』

『ええ、できるわ』

 ドリーはにっこり笑って答えた。その答えは単純で、間髪をれなかった。むろん、手もとめなかった。

 それからドリーはちょっとおかしそうに小さく、ふふふ、と声を上げて笑った。

 怪訝な顔になったケイトを見て、ドリーは言った。

『笑ってしまってごめんなさい。息子と一緒に、宇宙で戦ってるがいて、そのが息子と一緒に休暇で帰ってきた時に、息子に同じ質問をしてたのを思い出して……』

『息子さんはなんと?』

『それがね。うちの子は、まるで気のきいたことの言えない子でして。ゴニョゴニョと口ごもってしまって、全然なんです。とうとう女の子が、〝もういい。あんたに聞いたあたしがバカだった〟って怒り出しちゃって。ウィルったら、そこで謝るものだから、火に油なんですよ。女の子のこと、全然わかってないんですから』

『あらあら。そこはカッコつけておけばいいのに』

 ケイトはドリーのユーモラスな口ぶりに、心が少し楽になるのを感じた。

 ――そうね。すべてが無駄に終わるからといって、諦めて何もしないでいられるほど、わたしの心は強くないわ。無駄に終わるかどうかは、終わってみなくてはわからない。それまでは、できることをしよう。

『あら?』

 ドリーが嬉しそうな声をあげた。

『どうやら消えたみたい』

 彼女がモップでこすっていた床の白い輝きが、消えていた。


 太陽表面爆発に備え、地球連邦政府は地球と月の二カ所に政府機能を分散させていた。大統領は地球に。副大統領は月に。その他の部署も地球と月に人員を分けており、どちらかが機能を失っても、もう片方が職務を遂行できるようにしてある。

 安全保障会議特任補佐官のライアス議員は、地球の側にいた。太陽表面爆発に関する権限を一身に握るライアス議員には、陳情とも恫喝ともつかぬ交渉がひっきりなしに持ちこまれ、それをさばくのに彼のスタッフはてんてこ舞いとなっているが、当のライアス議員本人は、ぼんやりとした表情で地球と月から流れてくるリアルタイムの情報をながめていた。

 太陽表面爆発の第一波は、まだピークにも達していない。

 妹の声がした。

「兄さん」

「なんだい、ファラン」

 ライアス議員は視線を衛星軌道からの観測データに向けたまま答えた。

「オデル環境大臣からの直接通信です」

「今は忙しい。断ってくれ」

「ここは受けて、兄さん」

 柔らかな声で妹に言われ、ライアス議員は小さくうなずいた。

「わかった」

 妹が押してくる時には、必ず理由がある。拒否してはならない。

 ライアス議員が見ていたモニターの画面が切り替わる。

 オデル環境大臣は南アメリカ出身の四十代。有能なだけでなく人格も円満で面倒見がよく、十年後には大統領の座も狙えると噂される逸材である。

 今、その表情はこわばり、目は充血して顔の表情がさま変わりしていた。

『きみの管理下に特殊シールド艦が三隻あるな。あれを使わせてくれ』

 特殊シールド艦四十隻のうち、三十七隻はすでに長城ロングウオールのホアン少佐の管理下にある。三隻は補給中のため、まだライアス議員の管理下に残っていた。

「ダメです」

『今なら、まだアマゾンを救えるんだ。あの熱帯雨林が地球環境にどれだけ大事か、説明の必要はないだろう。〈アルテミスの日傘〉だけでは足りないが、特殊シールド艦があれば、アマゾンの一部を残すことができる。お願いだ。未来の地球のために力を貸してくれ』

 ライアンはきっぱりと断った。

「お断りします」

『貴重な生物資源の宝庫であるアマゾンが失われれば、地球の復興が十年は遅れる! きみとは政治的に対立することはあったが、地球を思う気持ちは同じはずだと信じる。頼む、このとおりだ!』

「オデル大臣。勘違いされているようなので申し上げますが、すでにアマゾンは失われており、救えません。データ的にも明らかです。現時点で炎上していないだけで、アマゾンはもう、そこに暮らす多くの種と共に消えてなくなることが決まっているのです」

 ライアス議員は、手持ちのファイルのひとつを、オデル大臣に転送した。太陽表面爆発が、どのような被害をもたらすかをシミュレーションしたものだ。〈アルテミスの日傘〉や長城の働きによって結果に幅はあるが、どのシミュレーションでもアマゾンの熱帯雨林は九十八パーセント以上が失われる。太陽からの放射線で直接焼かれなくとも、その後の気温上昇や、雲に覆われた長い暗闇期といった気候の激変に耐えられないためだ。

 オデル大臣は転送されたファイルを一瞥し、首を振った。

『このシミュレーションは、政治的な陰謀で歪められている可能性がある。アロイスと銀河文明評議会は、地球を滅ぼすつもりなのだ。わたしは地球を救うために、可能なすべての手を打つつもりだ。協力してくれ』

「残念ですが、わたしは力になれません。失礼します」

 ライアス議員は通信を切った。困惑した表情を妹のファランに向ける。

「この通信、本当に必要だったのか? オデル大臣はおかしくなられているぞ。銀河文明評議会にとって凡百の星のひとつでしかない地球を、どうして陰謀まで使って破滅させなきゃならないのか、理解に苦しむ」

「はい。わたしもそう思います。ですので、今の通信記録と心理分析レポートを関係部署に転送します。お疲れさま、兄さん」

「それはつまり、おまえはオデル大臣がおかしくなっている証拠が欲しくて、わたしに通信させたのか」

「そうですよ。オデル大臣がクーデターもどきの行動に出る危険もありますので、保安部が動く予定です」

 ファランは穏やかな口調で穏やかならざることを言った。

「そうか。じゃあ、あとのことは任せた。これから二日間は、そういう身内の争いに関わってる余裕がないんだ。地球は救えなくても、地球人は救わないと」

「はい。兄さんはご自分の仕事をなさってください。兄さんの邪魔をするものは、わたしが排除しますから」

「うん。頼んだよ」

 ライアス議員は視線を再び太陽表面爆発と、地球各地の状況を示すデータに向けた。

 北アメリカを中心に、火災が広がっている。今後、火災はさらに拡大し、夜までに南北アメリカは焼け野原になる。

 恐れていた蒸気爆発現象は大西洋でも太平洋でも発生していない。海水温は急上昇しており、水蒸気から雲が次々と湧き上がっているが、これは太陽表面爆発の放射線を防ぐ役目も果たす。

 ――しかし、海の生き物は、大量絶滅するだろうな。

 浅海の魚介類や珊瑚、海棲哺乳類は絶滅。プランクトンも種としては残っても、生態系の中における役割からすれば全滅したのと同じになる。

 深海の一部の生物や、熱水噴出口などの海底で独自のコロニーを作っている種は生き残るが、全体からすれば微々たるものだ。

 地球の海は、死の海となる。

「ま、地球の歴史ではたびたびあったことだしな」

 ライアス議員は、その問題をあっさりと片づけた。

 地球の歴史をみれば、環境の変化で大量絶滅がいくどもあった。人の手で絶滅に追いやった種もいる。十億年、二十億年という長い単位で考えれば、いずれ地球という星が死の静寂に戻るのは決まっている。

「すべての種は死に絶える。ようは、死ぬまでに、どう生きるかだよ」

 ライアス議員は、オデル大臣のぎらついた目を思い出し、ため息をついた。オデル大臣は、地球という星の死を受け入れられなかったのだ。

 だが、オデル大臣ほどの人間でも、ああなったことは教訓だった。

 ――絶望は自暴自棄の温床だ。シェルターにいる人たちに、自分たちには未来がある、と思ってもらう方法は考えてあるが、目の前の現実に立ち向かえるだけの力はない。この地球の光景を見て、それでもなおくじけぬ希望を持たせる方法を考えなければ。

 ライアス議員は、モニター上に数人のスタッフを呼び出し、アイディアの検討とプラン立案の指示を出し始めた。


 一頭の雄のマッコウクジラが、光の差さぬ深海へと潜りつつある。

 太陽の異常な発光と、浅海での海水温上昇から逃れるためだ。マッコウクジラは哺乳類で肺呼吸をするが、一時間くらいは平気で潜れ、二千メートル近い深海で狩りをする。

 海中を遠くまで届く声を持つクジラは、群れ同士で簡単なコミュニケーションも取って暮らしている。

 少し前まで、彼の群れが暮らす近くの珊瑚礁で、音波で作られた柵の中に数頭のクジラの家族が暮らしていた。海面に浮かぶ箱で暮らす裸の猿がその柵を作り、クジラの家族と共に生活をしていた。数週間前に、そのクジラの一家が消えた。音波の柵も消え、若く好奇心旺盛なクジラが中を探検してようすを探っている。

 つたない、奇妙な声だけが、裸の猿が消えた海面の箱から聞こえてきたという。

 危険が迫っていることを知らせようとする声だった。冷たい海へ逃げろ、という意味合いの言葉も含まれていた。

 それは、海洋牧場の職員が、ようやく実用化の目処が立ったクジラの言語を使って残したメッセージだった。北極か南極、極地の海であれば太陽表面爆発後も生き残れる可能性があるからだ。

 深海に潜ったマッコウクジラは、しばらく考え、それから南に進路を向けた。


 意識空間の中で、ドリーの頭の上に、『!』のマークが浮かんだ。

「あら?」

『ドリーさん、そろそろ時間です』

 ドリーとケイトの耳元で〈アルテミスの日傘〉の管理AI、セレネの声が聞こえた。

「そうですか。ええと、何かお仕事の引き継ぎとか、必要でしょうか?」

『いえ、そのままログアウトしていただいて大丈夫です。ケイトさんもありがとうございました』

 ドリーの隣でモップを動かしていたケイトが顔をあげた。

「わたしもなの? まだいけそうな気がするんだけど」

『はい。ですが、できるだけ大勢のかたに参加していただければと思いまして』

「わかりました」

「では、ケイトさん。ごきげんよう」

「ごきげんよう、ドリーさん。またいつか」

 モップの柄と柄をこつん、とぶつけてから二人はログアウトした。

 感応端末を切ったケイトは、小さなカプセル型の個室の中で目を覚ました。中ですわることはできても、立ち上がることはできない。

「こうしてみると、意外と快適なものね」

 地球の地下に作られたシェルターの中は、空間に制限がある。ほとんどの空間は地上から運んできた物資で埋めつくされている。個人の生活に割り当てられる空間は、ギリギリまで切り詰める必要があった。

 同時に、シェルターでの生活が長期にわたることも確実であったので、個人のプライバシーを守る必要もあった。その折衷案がこのカプセル型の個室である。

 ケイトは回線を開き、自分が戻ったことを秘書に伝えた。

『いかがでしたか、奥様』

「興味深い体験でした。いちどに百万人、延べで十億人近い人間の脳にモジュールを入れ、〈アルテミスの日傘〉の制御を分散処理。個人の知識や能力は関係なく、どれだけ多くの脳を接続できるかが重要になる。将来の応用範囲も広そうね」

『人間を仮想空間の中に閉じこめて端末扱いする、危険な技術という声も多くありますが』

「そうね、確かに危険よ。気に入らないわ。でも、今の地球には絶対に必要です。これから数年、人類のほとんどは地下のシェルター生活を続けなくてはならない。なので、仕事も娯楽も、できることは大幅に制限されるわ。でもこの技術なら、シェルターに閉じこめられた人間でも社会に貢献でき、報酬を得られ、時間もつぶせる……」

『良いことづくめですね』

「だから最悪なのよ。今はいいわ。でも、何年か、何十年かが過ぎて荒れ果てた地上で復興事業が行なわれるようになったときが問題だわ。つらい地上での作業を嫌がって、シェルターに残って意識空間の中にいたいという人が大勢出るでしょうね。十年、二十年と経過すれば、地下のシェルターしか知らない子供たちも大勢増えてくる。そうしたことも見据えて将来を考えなくちゃいけないわ……」

『そう言えば奥様に、こちらからもご報告が。オデル環境大臣がめんされました』

「あら」

 ケイトは目を見開いた。

『精神状態が、職務に耐えられないとの診断が出ています。銀河文明評議会が地球を滅亡させようとしているという、陰謀論まで口にしていたそうで』

 秘書から転送されたファイルで詳しい内容を読み、ケイトは納得してうなずいた。

「彼は優しい男だから、地球が焼けている悲劇に耐えられなかったのよ。この悲劇に、〝納得のいく理由があるはずだ〟と探した先にあったのが、陰謀論だったのね」

『陰謀論を振りまわさずとも、この悲劇はしゆくせいしやのせいでよいのでは』

「粛清者は、顔のない敵なの。心が融合するから、言葉を持たず、感情もあるかどうか怪しい。彼らが自殺攻撃を平気でするのも、そのせいね」

『災害のようなもの、ということですか』

「そうね。粛清者は災害よ。そして、災害という非日常に対し、陰謀論を振りかざすのはまちがっているわ。非日常に立ち向かえるのは、確固たる日常への回帰の思いよ。オデルにそれはなかった。シェルターの中での生活は、彼にとって日常たりえなかった。残念だけど、それが彼という男の限界ね」

『となれば、奥様の出番も、そう遠くはないですね』

「今は無位無冠ですけどね。それに、主婦も母親もやってはみたけど、どちらも夫に助けられていた気がするわ。日常だけに留まるには、わたしは負けん気が強すぎるのね」

 ふと、ケイトの脳裏に、意識空間で出会った女性が浮かんだ。

 顔や経歴はわからないが、感応端末で話すかぎりにおいては、穏やかで、安定感のある人格の持ち主だった。

「ねえ。カンザスに住むドリー・スタームという女性を調べてくれる? 息子が宇宙で戦っている女性よ」

『かしこまりました』

 秘書はそう言うと、一礼した。


 時間が過ぎるにつれ、〈アルテミスの日傘〉は穴だらけになっていた。

 月に埋めた超伝導ケーブルが一本、また一本と排熱能力を失い、機能を停止していくのだ。吸収した熱を捨てる場を失えば、〈アルテミスの日傘〉を構成するシールド発生装置も無用の長物と化す。

 しかし、ここで〈日傘〉を完全に放棄すれば、地球の未来はより悲惨なものになる。昼の面において高温であぶられた蒸気津波が、音速を超える衝撃波となって夜の面を駆け抜ければ、地下シェルターにも被害が及ぶ。

〈日傘〉の管理AIであるセレネが、接続した百万人の人間の脳とモジュールを最大限に活用し始めたのは、ここからであった。穴だらけになった〈日傘〉を使い、地球の被害を最小限にくいとめたのだ。シールド同士を重ね合わせてレンズを作ってそらし、あるいは機能を停止したシールドを別のシールドに守らせて排熱に必要な時間を稼ぐ。あらゆる手が使われ、〈アルテミスの日傘〉の機能は維持された。それでも、あとになるにつれて〈日傘〉が守る範囲はいよいよ狭くなり、水温が危険域まで上がった海洋を優先的に守るため、それ以外の場所は強烈な太陽表面爆発の放射線にさらされるに任された。

 昼間の面にあった南北アメリカ大陸とアフリカ大陸の西側、ヨーロッパは焼かれ続けた。草原、農地、森林に火の手があがり、田舎の村も、由緒ある町も、新興の都市も、ほとんどが火事の中で焼け落ちた。山からは雪渓と氷河が消え、湖が煮え、川は変色した。地球の半分が焼け焦げ、多くの生物が死んだ。これで絶滅した種も、数知れない。

 そして二時間が経過した。

 地球の昼の面は、大地が焼ける火事の煙と、海や湖から湧き上がる蒸気の雲に覆われている。その雲に、まだ強烈な太陽からの放射線が降りそそぎ、白く輝いていた。

 地球の輝きは、長城からも、月からもよく見えた。

「まぶしいくらいだぜ」

 みやはモニターに映る地球を見て目を細めた。セルワは自分の携帯端末を操作して地球の被害を確認する。

「太陽表面爆発の放射線は、ピークを過ぎたようだね」

「これでか」

「これでだよ。ピーク時なら、雲なんか一瞬で蒸発させられて吹き払われてるよ」

「これからどうなる?」

「膨張した大気と雲が、夜の面まで到達して暗闇の大嵐になる。高温の夜がずっと続き、地上も海も、多くの生物が死滅する。今のシミュレーションだと、地球がもとの青い星に戻るのは、何十年も先のことだね」

 田宮は時間を確認した。

「ずいぶん長く感じたが、まだ二時間か」

「あたしは、ひと眠りしてくる。これから長城の組みなおしと修理だからね。出番がくるまで、ちょっとでも体を休めておくよ。じいさんも、そうしたほうがいい」

「そうだな」

 田宮は腰を浮かした。顔をしかめる。長いあいだ同じ姿勢で固まっていたので、腰と膝に痛みが走ったのだ。そのことに気づかないほど、焼ける地球を見続けていたのだ。

「これ以上、好きにはやらせねえぞ……いててて」

 右膝をかばいながら、田宮は部屋へ戻った。


 太陽表面爆発の光がピークを過ぎたことで、長城の周辺はいっきに慌ただしくなった。

 まず動き始めたのが、地球の陰に隠れていた特殊シールド艦だ。

 なおも降りそそぐ致死量の放射線を薄く張ったシールドで防ぎつつ、作業員たちが長城に接近する。

 長城の飯場となっている大型母船は、防護壁で二重、三重に囲まれている。一隻の特殊シールド艦が、防護壁の前に出て、シールドを広げた。

 大型母船から、タグボートの群れが飛び出した。放射線から大型母船を守っていた防護壁のブロックが、タグボートに引っ張られて取り除かれる。どのブロックも、強烈な放射線で表面は焼け、あばたのように無数の丸い穴が浮かんでいる。

 防護ブロックがはずされると、大型母船がしずしずと動き、作業位置へと移動する。

 大型母船と共に特殊シールド艦も移動する。ピークは過ぎても、今なお、太陽からの放射線は強烈なままだ。特殊シールド艦の作る影の中でなら、安心して作業ができる。

 最初に行なわれたのは、長城に設置された超磁力発信装置の動作確認だ。動きが怪しい機材はドローンが取りついて修理、交換する。予備部品は長城のあちこちに置かれた備蓄デポに山のように積み上げてある。

 続いて放射線を浴びて傷んだ防壁の補修。それと並行して、防壁に順次、重力アンカーを打ちこむ作業を行なう。地球と長城は、共に太陽から一億五千万キロメートルの軌道を一年かけて公転している。重力錨を打ちこめば、長城はその場に固定され、プラズマの津波を防ぐかわりに、公転する地球からは取り残される。そのため、どこに何枚の防壁を固定するかが重要になる。

 まずは十三枚の防壁が重力錨で固定された。超磁力発信器が動き始める。ここまでにかかった時間は、一時間あまり。まだプラズマ津波の第一波は届いていない。光の速度で押し寄せる放射線と違い、実体のある高エネルギー粒子が一億五千万キロメートルを移動するのには、時間がかかる。

 当初の作業計画では、残りの時間は固定した防壁の強化にかけることになっていた。しかし、〈ベート・ゲート〉を守ることが最優先となったため、ここからはゲートを守るための防壁の組み替え作業が行なわれる。

「ここで、じじいの出番ってわけだ。へっ、腕がなるぜ」

『無理はせんでくれよ、じいさん』

 田宮は、はちが操縦するタグボートに蜘蛛型ドローンごと抱えられて、作業現場である防壁へ向かう。蜂須賀が指揮するJPNチームのほかのタグボートも、蜘蛛型ドローンを抱えて周囲を飛んでいる。

「けっ、無理も何もあるかよ。おれはここであぐらかいてすわって、蜘蛛どもにああしろこうしろとエラそうに命令するだけだ。体動かしてんじゃねえから、じじいでもできらぁ」

『そのエラそうな命令する爺さんがいなくなったら、困るだろ。ドローンには替えがあっても、爺さんの替えはいないんだ。地球から人を運んでくる時間なんかないんだぜ』

「む、そりゃそうか」

『うちの若いもんをひとり、残しておく。危なくなったら、そいつが爺さんを回収して帰る手はずだ。爺さんのほうでも、何かあったら呼んでくれ』

「いいのかい?」

『いいも悪いも、そういう決まりだ。なんせ、太陽系始まって以来の大嵐の中での仕事だからな。ちょっとしたことで命に関わる』

「わかった。頼りにしてるぜ」

 ぎりぎりまで設計に時間をかけたので、防壁の組み替え作業のマニュアルは大雑把なものがあるだけだ。これを見ながら、現場の工夫で防壁を動かす。

 田宮と、彼が訓練した蜘蛛型ドローンのチームは、こうした突発的な作業に高い順応性を示した。どこの現場もスケジュールが十パーセント、二十パーセントの遅れをみせるのに対し、田宮の班だけが時間内に仕事を終わらせ、ほかの班の手助けに駆り出される。

 作業開始から二時間。現場から現場へ移動するあいだに水を飲んでひと息つく。

「今度はこっちか。えらくデカい防壁だな。ユステ……ユスティニアヌス防壁か。名前も舌かみそうだな」

『田宮のじいさんかい? 応援すまないね』

「セルワか。飯場に戻った時に、なんかおごれ」

『メシでいいなら。酒はダメなんだ』

「それでいい。おい、蜘蛛ども。しっかり働けよ」

 防壁の中でも最大サイズのユスティニアヌス防壁を動かしているあいだに、その時がきた。

『月が!』

 誰かの声に、田宮は顔を上げ、月を見る。

 現時点での地球、長城、月は一直線に並んでいる。今の月は太陽を背にした新月で、黒い丸になっている。

 その月に、白く輝くリングがかかっていた。

 プラズマ粒子の輝きだ。秒速一万キロメートルという猛烈なスピードで太陽から噴き出したプラズマが、月に衝突し、散乱し、輝くリングを作っている。

『二十秒後にはここまで届くぞ』

『長城がもし、うまく働かなかったら、おれらここでフライになるな』

 乾いた笑いが起き、そしてプラズマ津波の先端が届く。

『……何もないな』

『いや、見ろ! カラカラ防壁だ!』

 田宮はキョロキョロと周囲を見まわした。輝く城壁の姿が遠く見えた。

「あれか」

 カラカラ防壁がプラズマの流れを一身に受けていた。表面のブロックが、真っ白に輝いている。じゅわじゅわと溶けていく音が聞こえるようだった。

「おいおい、大丈夫か」

『大丈夫。カラカラ防壁は、ここで使い潰す予定だから。防壁組み替えの時間を稼ぐために犠牲になってもらうんだ』

 田宮がすわる蜘蛛型ドローンからカーリーの声がした。

「お、カレーか」

『つかれたー。一週間くらい、ずっとブロックをカチャカチャさせてた気がするよ』

「一週間とはまた吹きやがったな」

『主観的には、そんな感じだよ。ずっと思考をブーストさせてたんだもの。少佐もひどいよ。直前になって仕様変更なんて』

「プラズマ津波の第一波がきたが、組み替え作業はまだ終わってないぞ」

『うん。この組み替え作業は、〈ベート・ゲート〉が地球の陰から完全に離れた時用だから。まだちょっと時間があるんだ』

「その〈ベート・ゲート〉なんだが、どうしてまた稼働状態のままなんだ」

『ボクも知らないよ。少佐も知らないみたい』

「まったく、上の連中はやっかいな仕事を押しつけてきやがる。おい、三番組! とめろ! 二番組! 引けっ! じゃんじゃん引けっ! なんだその手つきは! 気合い入れろ、気合い! 四番組! 手伝ってやれ!」

 田宮が、べしべしと蜘蛛型ドローンの頭をたたいて命令する。

『こんなアバウトな命令でうまくいくんだから、ボクなんかよりトビーの才能のほうがよっぽどすごいと思うんだけどなぁ』

「んなわけあるか」

 田宮が苦笑いする。

「よくできてんのは、おれじゃなくて、ドローンのほうだ。おれが来たばかりのころは、こいつらもたいしたことなかった。おれがいい加減な命令ばかりするから、頭のいいこいつらが、必死に考えて成長した。よくあるこった」

『よくあることじゃないよ。ふつーは、命令のほうを変えようとするもんだよ?』

「じじいに新しいことやらせんな」

『トビーは頑固だなぁ』

 カーリーがくすくすと笑う。

『でも、いつもどおりで安心したよ。がんばってね、トビー』

 カーリーがそう言って、蜘蛛型ドローンからログアウトしようとした時、それは起きた。

 防壁の作業現場を守る特殊シールド艦十二号が、突然シールドの強度を上げ、範囲を広げた。シールド艦の艦長がなぜその判断をくだしたのかはわからない。説明をする時間もなかった。次の瞬間、シールドはスペクトルの階段をいっきに駆け上がって黒ずんで崩壊。シールド艦もそれに続いて爆散した。生存者はなかった。

 続いて、ユスティニアヌス防壁が、強烈な輝きを放つ。プラズマ流ではなかった。光、それも波長を整えたレーザーが、防壁に命中した。戦列艦の主砲をはるかに上まわる出力のレーザーは、ユスティニアヌス防壁に斜めの深い溝を残し、駆け抜けていった。

 一秒に満たない時間に起きた出来事に、作業員の誰も、反応できなかった。唯一、蜘蛛型ドローンの中に入っていたカーリーだけが、機械の速度で反応し、田宮の体を抱きかかえて宙を飛び、防壁の影に入った。

「うっ、くうっ」

 田宮が、宇宙服の中で顔を歪めて呻く。急加速で胸に痛みが走ったのだ。

『大丈夫、トビー?』

「まあ、な、なにがあった?」

『わかんない! でもここにいちゃ危ないよ!』

「ほかの連中は? 逃げたのか?」

『わかんないよ!』

 田宮は、蜂須賀から教えられた回線で、近くにいるというタグボートを呼んだ。つながらない。作業現場のグループ回線に切り替える。

「誰でもいい! 生きてるなら返事しろ! おい! セルワ!」

 返事はない。

 作業現場内の近距離回線は、静寂を続けている。

 しばらくして、ホアン少佐の声が緊急回線から入ってきた。

『全員、聞くように。長城は太陽からのレーザー照射を受けた。損害は集計中。状況を把握するため、全員、この回線に接続を維持しておくように』

 ひと呼吸を置いてから、ホアン少佐は続けた。

『現時点で敵の正体は不明だ。だが推察はできる……というか敵は粛清者しかいない! 太陽に突入した恒星反応弾の中に、レーザー照射が可能な敵が潜んでいた、と考えるのが正しいと思う。とはいえ、長城は今も機能を維持している。われわれは、ここで踏ん張る。新たな命令があるまで、全員、今いる場所で待機』

 ホアン少佐の声が途切れた。

「少佐! ユスティニアヌス防壁の現場にいる田宮だ。セルワの班と連絡が取れない。そっちの回線経由で何かわかるか? おい!」

『ダメ。ホアン少佐は、別のところと回線つなげて会話してる。ドローン同士の回線も、穴だらけ。かなり今のでやられてる。どうしよう、トビー』

「この防壁には、待避壕がある。おれはそこまで行くから、おまえは周囲のドローンを動かして、負傷者を探せ。負傷者は待避壕に運べ」

『うん!』

 息をつくたびに痛む胸を押さえ、田宮は蜘蛛型ドローンを動かして防壁を進む。ユスティニアヌス防壁の表面には、醜い傷跡が残り、赤く鈍い光を放っていた。溶けて蒸発した月の砂が、薄いガスになって周囲を漂っている。田宮のヘルメットにガスがこびりついて黒い斑を作った。田宮は蜘蛛型ドローンの背中に隠れてガスを避け、周囲を見まわす。

 ――手ひどくやられたな。死んだやつらもいるだろう。粛清者のくそったれめ! このままじゃ終わらせねえ。絶対にかたきはとる。おれがここでくたばっても、絶対にだ! 地球人をなめんじゃねえぞ!


 太陽からのレーザー攻撃は、即座に木星軌道上にある太陽系防衛軍総司令部のレキシムに伝えられた。

 報告したのはライアス議員である。

『恒星レーザー砲ですか。恒星反応弾に、そのようなものを作り出す能力があると?』

『技術的な部分まではわかりません。また、現時点では、その必要もないと思います。現象として、太陽のエネルギーを利用したレーザーが地球に向かって照射されました。レーザー照射の数は十万か百万か。もっと多いかもしれません。そのうちの五発が、長城と地球に命中しました。長城に一発、月と地球に二発ずつ』

『被害は?』

『月と地球に被害はありません。無人の土地を焼き払っただけです。長城の被害は、現時点で特殊シールド艦とタグボートそれぞれ一隻が失われ、乗員二十三人が死亡。現場の作業員四十八人と連絡が取れません。ユスティニアヌス防壁の一部が融解しました』

 ライアス議員は目をらんらんと輝かせて、早口で言った。強い衝撃を受けているが、意気消沈はしていない。

『長城の機能維持と〈ベート・ゲート〉の防衛を最優先に。〈ベート・ゲート〉は恒星レーザーへの備えも。できますか?』

『完全なものは無理です。恒星レーザー砲の出力からして、精度の高い連続照射があれば、どんな防衛システムも撃ち抜かれます。わたしが欲しいのは、銀河文明評議会が持つ、恒星レーザー砲に関する知識と経験です。正しい知識がなくては、正しい対応はできません』

『わかりました。すぐにまとめさせます』

 地球との通信を切り、レキシムは目を閉じた。感応データベースに接続し、スタッフとAIと思念通話でデータを検索し、解析し、まとめる。

 ――恒星レーザー砲。恒星のエネルギーを利用したレーザー砲。過去の粛清者との戦いにおいて、星系防衛の要塞砲として建造されたことがある。実戦においての使用例は、この千年のあいだに一回もない。いや、つい先日、ヘラヴィス星系で恒星反応弾の迎撃に使われている。この迎撃は失敗し、ヘラヴィス星系は恒星の表面爆発で壊滅、恒星レーザー砲も破壊された。恒星レーザー砲が普及せず、運用実績もないのは、粛清者は星系外周部から侵攻してくるため。出力がいくら大きくても、恒星から星系外周部への超長距離射撃では効果が見こめないからだった。

 レキシムのスタッフが、恒星レーザー砲と恒星反応弾の関連について指摘した。

『恒星反応弾のもともとのアイディアは、恒星レーザー砲を、攻撃兵器として作り上げるためのものだったのかもしれません。敵の恒星に撃ちこみ、外と内、両方から攻めるための。実用化が難しかったので、恒星の活動を活発化させて表面爆発を起こす兵器になったのではないでしょうか』

 そうかもしれない、とレキシムは考えた。

 そもそも恒星反応弾には、謎が多い。新兵器なので、こちらにデータがまったくなく、現象から手探りで情報を集めている状態だ。

 耐ビームコーティング、高質量散弾、感応通信へのジャミング、そして恒星反応弾。

 モルダー星系の戦いから登場を始めたこれらの技術には、それまでの粛清者の攻勢とは違う何かがあった。

 特に、耐ビームコーティングと恒星反応弾は、銀河文明評議会でも中級種族が扱える理論の枠を超えている。上級種族でなくては、作動原理が理解できない兵器だ。原理がわからないので、どこまでのことが可能なのかがわからない。だから、今回の恒星レーザー砲のように不意打ちを受ける。

『恒星反応弾が恒星レーザー砲を作る兵器だとして、その攻撃目標は?』

 レキシムの部下は、即座に答えた。

『ゲートです。銀河文明評議会の力は、経済も軍事も、ゲートによる物流があってこそ成り立ちます。粛清者にとっては、ゲートこそが、最優先目標となります。何よりゲートはいちど設置すれば、以後は自由に移動できません』

『恒星レーザー砲の問題点である超長距離射撃も、固定目標であるゲートを狙うなら、欠点にならないということですね……今後、新たな恒星レーザーが発射される可能性は?』

『はい、かなり高いと思われます。ですが、現時点での予測は困難です』

『引き続き解析を。それとこの情報を銀河文明評議会に、最優先報告で上げてください』

『了解しました』

 部下との思念通話を終えたレキシムは考えた。

 ――戦いのルールが変わりつつあるようだ。これまでの粛清者の戦いかたには、知恵と力のアンバランスがあった。使う力の大きさに、知恵がついてきていない感じがあり、そこに人類側がつけこむ隙があった。恒星破壊兵器を運ぶために、まず大型転移ゲートを作るという戦いの流れに対し、銀河文明評議会は、周辺星系から侵攻を受けた星系に増援を送りこむ時間の余裕があった。

 だが、恒星反応弾は、その隙をなくした。今後、後方支援を行なう星系に恒星反応弾を送りこんでくる戦いかたや、恒星反応弾によってゲートを狙い撃つ戦いかたに粛清者が習熟すれば、銀河文明評議会の防衛体制はいっきに瓦解する恐れがある……。

 そこまで考えてから、レキシムは小さく首を振った。

 ――未来はあくまでも、不確定な未来でしかない。その不確定な未来の中にあるはずの希望を掴むためには、目の前の危機を乗り切らなくてはいけない。


 七隻のタグボートが、ユスティニアヌス防壁を牽引する。

 何枚ものブロックを連ねた巨大な防壁の慣性質量は大きく、タグボートが慣性を中和して牽引しても、じりじりとしか動かない。

『爺さん! そろそろ限界だ! 脱出しろ!』

 タグボート隊を指揮する蜂須賀から、ユスティニアヌス防壁の上に陣取る田宮に通信が入る。田宮と彼の蜘蛛型ドローンたちは、全滅したセルワ班の作業をひとりで行なっている。

 作業は遅れに遅れ、ついに太陽嵐のプラズマ流がこのあたりにまで押し寄せてきた。

「まだだ! もうちょい!」

 ユスティニアヌス防壁は、今、太陽嵐のプラズマが荒れ狂う領域のはずれに来ている。防壁の端はすでに高温高速のプラズマを浴びて、白く輝いている。

「もうちょい! もうちょいだ! よし! ドンピシャ!」

アンカー撃ちこむよ!』

 田宮の合図に従い、蜘蛛型ドローンに入ったカーリーが、ユスティニアヌス防壁の重力錨固定のコマンドを打つ。

 ばしゅっ、ばしゅっ、ばしゅっ。

 ユスティニアヌス防壁の各所から、白い煙があがり、一瞬で真空に拡散して消える。

 防壁が固定された衝撃で、田宮の体が宙に浮かびあがり、流される。蜘蛛型ドローンが飛びついて田宮を抱える。その蜘蛛型ドローンを、蜂須賀のタグボートが回収して、加速する。田宮はあぶら汗の浮かぶ顔を歪ませ、胸を押さえた。

「いいぞ、磁石をまわせ!」

『ダメ、まだ早いって。五、四、三、二、一、ゼロ!』

 ユスティニアヌス防壁に設置された超磁力発信装置が活動を開始する。ユスティニアヌス防壁を飲みこみつつあったプラズマの流れが、超磁場に押されてゆっくりと離れていく。

 すぐ近くで作動した超磁場に、タグボートの中にいる蜂須賀は、頭の中に棒を突っこまれてかきまわされたような感触を覚え、呻いた。シールドされた艇内でこれなら、外にいる田宮はどうなっているか。

『くそっ、けっこう来るな。大丈夫か、爺さん!』

 通信機に向かって怒鳴るが、返事がない。

『爺さん! 死んでんじゃねえぞ! おい!』

「……聞こえてるって。じじいの頭は硬いから……でもねえよ」

『そんなわけないでしょ! これ終わったら、ぜーったいに、病院送りだからね! 治るまで、ベッドに縛りつけるから覚悟してよ!』

「カレー、これでゲートは大丈夫なんだろうな……作業時間……ずいぶんオーバー……」

『大丈夫。〈ベート・ゲート〉はまだ低い位置にいるから。でも、プラズマ津波は防げても、さっきみたいなレーザーがくると、ダメだと思う』

「そっちはほかの連中に任せるしかねえ……おれらは、おれらの仕事を……」

 田宮の声が途切れた。

『トビー? ねえ、トビー! しっかりしてよ、トビー!』

 半泣きで田宮を呼ぶカーリーの声に、蜂須賀は田宮の宇宙服からの生体信号を確認する。呼吸、浅くて早い。心拍、早い。血圧、高い。呼びかけへの反応、なし。

『こちらJPN〇〇一、蜂須賀。負傷者を一名運ぶ。受け入れ準備を頼む。生体信号を転送する』

 蜂須賀は険しい顔のまま、タグボートを飯場である大型母船へと向けた。


 大勢の死者と負傷者を出し、満身創痍になりながらも、長城は機能を維持し続けた。

 太陽嵐のプラズマ津波による損害は想定されていたが、太陽からの恒星レーザーは想定外だった。最初の照射で作業班がひとつと、特殊シールド艦が一隻失われるという不運にもあった。

 それでも長城が揺るがなかったのは、ホアン少佐が揺らがなかったからだ。

 まるで、被害が出ることがわかっていたかのように、ホアン少佐は全員に持ち場を維持させ、作業を続けさせた。仲間の死や長城の被害にりつぜんとする作業員を、励ましたり慰めることもなかった。計画どおりに仕事をするのが〝当たり前のこと〟であるかのようにふるまった。

 もちろん、ホアン少佐の内心は、嵐のように揺れていた。

 今、この瞬間にも、太陽からのレーザー砲が豪雨のように降りそそいで長城を貫き、長城ごとホアン少佐も、彼の部下も焼き払うかもしれないのだ。

 そうなれば、〈ベート・ゲート〉や地球を守るどころではない。

 その前に全員で逃げ出すのが、もしかしたら唯一の正解かもしれない。

 ホアン少佐の中には、自分の決断への疑問が常にあった。しかし、その疑問を内心に押しこめ、いつものようにひようひようとした態度で部下に仕事をさせ続けた。

 ――わたしの決断はまちがっているかもしれない。けれど、たとえまちがっていても、決断して命令するのがわたしの仕事だからね。決断がまちがっていても、その責任はわたしのもので、部下のものじゃない。部下は、上司の命令で仕事をするのが役目なんだから、上司の不安を押しつけて部下の仕事の邪魔をするのは、正しいこととはいえないよ。

 それでも、被害が増えるたびにホアン少佐はキリキリと胃が痛む思いをした。蜂須賀から、田宮の負傷を伝える通信が入った時には、ホアン少佐の眉間に深いしわが寄った。この頑固な老人を、ホアン少佐は気に入っていたからだ。

 医療チームが、田宮の受け入れ準備に入るのを確認してから、ホアン少佐は指で眉間を揉んだ。そして長城の全体図を見る。

 恒星レーザー砲の被害は、人的には甚大といっていい。作業員だけで三十五人が死亡。五人が負傷した。さらにその後の作業で、田宮を含む二十七人が負傷している。特殊シールド艦一隻轟沈。二隻がシールドの過負荷で退避。タグボート三隻が沈んだ。破壊されたドローンの数は、三百近い。

 その損害とひき替えに、長城は計画どおりの機能を発揮している。プラズマ津波は、地球を直撃していない。大波のいくつかが地球にぶつかっただけだ。地球の裏側に退避している軌道施設やきゆうしようは無傷。

 そして、〈ベート・ゲート〉も健在だ。

 ――だが、それも一日もつか。ユスティニアヌス防壁は、壊れかけている。しかも、このままだと破壊されて漂流しているカラカラ防壁と衝突する。こいつがぶつかると……やっかいだね。ユスティニアヌス防壁に代わりはない。その時点で〈ベート・ゲート〉は終わりだ。カラカラ防壁を取り除こうにも、人手と時間が足りない。

 どのような困難があっても、諦めはしない。しかし、不可能なものが、意志の力で可能になったりもしない。地上でも宇宙でも、工事現場というのはそういう場所だ。不可能を可能にしたいなら、意志の力だけではなく、物理的な力が必要だ。

「ここは、ライアス議員の政治力を利用させてもらうとしますか」

 地球への回線をつなげながら、ホアン少佐は、現在の地球の映像を見た。アジアが日の出の時刻を迎えつつあった。


 太平洋を、風が走る。西から東へ。夜の面から昼の面へ。水平線を越えて走る。

 風速は平均で秒速百メートルを超え、場所によっては音速に匹敵する三百メートル近い。海面では風にまくられた波が、夜の闇の中でごうごうとどろきをあげてうねる。

 日本列島に、太陽が昇る。強烈な光が山のいただきを燃えているかのように赤く輝かせる。太陽表面爆発のピークを過ぎたとはいえ、放射線の強さは殺人的だ。たちまち木々が萎れ、草が茶色に変色していく。稲刈りを終えた田んぼのそこかしこに、発火した藁から煙があがる。

 そこに、突風が押し寄せる。まるで見えない壁が衝突したかのように、木々がへし折れ、家が崩れ、瓦が宙を舞う。ビルの窓が次々と割れ、キラキラと陽光を反射して誰もいない市街地へと降りそそぐ。

 続いて、水平線から湧き上がってきた雲が、列島を覆う。雲は強烈な陽光を弱めるが、いちどついた炎が弱まることはない。古くからある木造建築の多くが、突風で破壊されるか、炎で焼かれる運命だ。

 例外もある。文化財保護のため、特殊コーティングされた建物だ。奈良にある法隆寺の五重塔もそのひとつだ。特殊コーティングされていない周囲の建物が突風に押し潰され、燃えあがる中、透明なジェルに包まれた五重塔はオレンジ色の炎に照らされ、廃墟の中、静かに立ち続ける。


 漂流するカラカラ防壁の破片に、タグボートが近づく。

 長時間、まともにプラズマ津波にさらされ続けたカラカラ防壁は、近づくだけで輻射熱で船体の表面が炙られるほど熱くなっている。

「だめです、班長! こっちも近づけません!」

 バンダナを汗でぐっしょり濡らした木下が叫ぶ。

「破片がでかすぎます。動かすのに必要なだけくっついてたら、タグボートのほうがやられちまいます」

『小さいのはあらかた片づいたが、でかいのはやっぱり無理か』

 蜂須賀からの通信に、木下は首に巻いたタオルで汗を拭い、答える。

「三隻で同時に押すのはどうでしょう。くっついてる時間が短くなります。ボートにムチャをさせることになりますが、放置したらヤバいのをいくつか運び出すことはできます」

『いや、動かすのが無理ならの標識だけつけて退避するように命令されている』

「退避って……どうするんですか。こいつら、このままだとユスティニアヌス防壁にぶつかりますよ」

『あとは宇宙軍の仕事だ』

「はぁ? トンボ野郎に? 無理ですよ、あいつらの速いだけで華奢な戦闘艇じゃ、ここらまで上がってくることもできやしませんて」

 タグボート乗りは、宇宙軍の機動戦闘艇を〝トンボ〟と呼ぶ。高い機動性があり、アクロバットな動きもこなすからだ。一方の機動戦闘艇乗りは、頑丈だが鈍重なタグボートを〝亀〟、あるいは〝ドン亀〟と呼ぶ。

『上がってくるのは、戦闘艇じゃない。輸送船だ』

「輸送船? 輸送船でなにしにくるんですか――お」

 木下のダグボートが、軍の識別信号を受信した。太陽表面爆発に備えて改造された特殊シールド艦が補給を終えて戻ってきたのだ。特殊シールド艦は、地球の影に隠れて整備や補給を行ない、ローテーションで長城と〈ベート・ゲート〉を守っている。

 特殊シールド艦の背後に、軍の輸送船が数珠つなぎになっていた。シールドに守られてここまでやってきたのだ。

 輸送船の一隻がふらつき、落伍を始めた。シールドに守られているとはいえ、地球近傍宙域はプラズマの嵐が吹き荒れている。太陽から一直線に伸びる放射線と違い、長城の磁場で歪められたプラズマ流は、どこから襲ってくるかわからない。

「ちくしょう、いわんこっちゃない。班長、助けにいきましょう」

『無用だ。ありゃ全部、ドローン操縦の無人艦だからな』

「無人艦? ますます、なにしにくるんですか。それに無人艦でも漂流船にウロウロされたら迷惑です。軍のやつら、邪魔しにきて――」

 落伍していた輸送船が、ついにシールドの外にはみだした。こうなれば、助からない。無人輸送船を操縦するドローンは貨物庫に信号を送った。

 搭載された爆薬が爆発した。閃光のあとには、ガスと破片のみが残った。

「自爆したぁ?」

『くるぞ』

 続いて、生き残った無人輸送船が次々とカラカラ防壁の破片に取りつき、自爆した。

 音のない閃光が視界を埋めつくし、消える。残ったのはバラバラに砕けたカラカラ防壁の破片だ。バラバラとはいえ、ひとつの破片が数百メートルはある。

「ど、どーすんですか、コレ! やるなら対消滅するくらいきれいに吹っ飛ばしてくれないと、破片を増やしただけですよ!」

『こっからはおれらの仕事だ。でかいのがなくなったから、タグボートで処理できる』

「無理ですよ。数が多すぎます。軌道の外に運び出してるあいだに、ユスティニアヌス防壁にぶつかりますって」

『運び出す必要はない。慣性吸収装置で慣性だけ抜く。〝月落とし〟を回収する要領だ』

「そのあとはどうするんです? ドローンに運ばせようにも、稼働中のドローンは全部、長城の修理と補強に駆り出されてますよ」

『あとは放置だ』

「放置? 放置って……」

 慣性吸収装置で、破片から慣性をなくせば、この位置で外から一番大きく働くのは地球の重力だ。長城のある位置では地上の四パーセントほどの重力しかないが、それでも放置すれば地球へと落ちていく。

「……地球に落ちますぜ?」

『地上に人はいない。シェルター直撃コースだけは排除するが、それ以外はそのまま落ちるに任せる。こいつは、地球連邦政府の決定だ』

「本気ですか」

『本気も本気だ。正気じゃねえが、本気なのはまちがいねえ。いいから手を動かせ、木下。今はユスティニアヌス防壁を、そして〈ベート・ゲート〉を守るのが最優先だ。おれらの故郷に破片が落ちてでかいクレーターになっても、ゲートが守れたら、この勝負は勝ちなんだ』

「わかりました。トンボ野郎が仕事したのに、おれらがやってない、って言われるのも業腹だ。けど……」

『けど、なんだ?』

「この落とし前、誰につけさせりゃいいんすか。おれらは、誰、殴りゃいいんすか」

 木下が吐き捨てるように言う。蜂須賀の指揮するタグボートJPN班には、最初の恒星レーザー照射で死者が出ている。今は仕事があるので我慢しているが、ふんまんやるかたない思いは、蜂須賀も同じであった。

『腹の中にためとけ』

「ですけど……」

『誰か適当なヤツをぶん殴って晴れるほど、小せえ落とし前じゃないだろ。レーザーでやられて死んだヤツの分だけじゃない。地球に住んでるってだけで、焼かれちまった生き物の分もまとめて殴ってやらなきゃな』

「うっす」

 木下はうなずいた。


 太陽表面爆発から十二時間が経過した。

〈ベート・ゲート〉はなおも次元断層を維持している。

〈ベート・ゲート〉には、常時三隻の特殊シールド艦がつき、放射線とプラズマ流からゲートを守っていた。〈ベート・ゲート〉と太陽のあいだには、この三隻に加えて、ランマー級小型スペースコロニーを二基、バリケードとして置いてある。直径千メートル、全長八千メートルの円筒形のスペースコロニーの中には熱吸収質量カウンターマスが詰めこまれており、特殊シールド艦は超伝導ケーブルを通して物理的にこのスペースコロニー内にシールドが受けたエネルギーを吸収させる仕組みになっている。

 急ぎの仕事だったので、特殊シールド艦の腹は装甲を切り取って開かれ、強引にケーブルと接続してある。

〈ベート・ゲート〉のサンリッジ予備管制官は、規定どおりの八時間の睡眠を終え、食堂で食事を取りながら、特殊シールド艦の腹で船外作業するドローンをながめていた。そこへ同僚のデュオが、声をかけてきた。こちらは当直明けだ。

「おはよう、サンリッジ。よく眠れたようだな。すっきりした顔になってるぞ」

「おはよう、デュオ。睡眠誘導波の助けは借りたがな。これも規則だ。おれらの仕事は、寝不足だと判断されたら、職場から放り出される」

 故郷の星が焼かれているのに、平然と安眠できるほどサンリッジの精神は太くない。

「違いない。おれはこれから寝るから、あとのことは頼んだぞ」

 サンリッジが規定どおりの睡眠が取れたのは、静止軌道に設置された三基の転移ゲートのうち、〈ベート・ゲート〉をのぞく二基のゲートが撤収され、あまった要員が全員、〈ベート・ゲート〉に集まったためだ。サンリッジ自身、これまではアフリカ大陸上空に浮かぶ〈アジーン・ゲート〉の予備管制官のひとりだった。

 ドローンが、特殊シールド艦の艦内に戻った。

「どうした?」

「いや、外のようすを見てたんだ。コロニーとシールド艦をケーブルで結んであるのはなぜなんだ?」

「恒星レーザー砲対策だよ。このゲートが狙われる可能性が高いんだとさ」

 デュオの説明を聞いて、サンリッジの眉が斜めにはねる。

「恒星反応弾で活性化した太陽のエネルギーをレーザーに変えて撃つ……太陽表面爆発だけでも大変なのに、とんでもない兵器だな」

「このゲートが狙われるかどうかは確定じゃないが、たとえ直撃でも、一発はなんとしても耐えよう、ってんでこの方法が採用されたらしいぞ」

「そうか……で」

 サンリッジはデュオに顔を寄せた。

 食堂にはほかに人がおらず、声を潜める必要はない。それでも小声になるのは、口にすること自体に、不吉な感じがある内容だからだ。

「いつまでもつと思う?」

「難しいな。次元断層に、プラズマの流れがここまで干渉するとは思わなかった」

 転移ゲートは、重力波で次元断層を作りだし、安定させることで回廊とする。外に大きな質量、ここでいえば地球のような巨大質量があれば、重力波に影響がある。

「けれど、そうした大質量の影響は、ゲートを設置時に計算ずみだ。地球の自転、月や太陽との位置によって変動するが、これも折りこみずみだ。しかし太陽表面爆発で発生した、プラズマなんかの高エネルギー粒子は、一個一個の値は小さいが、なにせ数が多い。太陽表面爆発から十二時間、太陽から吹き出た粒子の量は、トータルで地球何個分になるやら。それが、秒速で一万キロメートルの猛烈な速度で津波になって押し寄せてくるんだぞ。重力波歪曲係数も、ピョンピョン跳ねまくりだ」

「聞くだけで、憂鬱になってきた。脱出船みたいにでかいのが来たら、安定させられないぞ、それじゃ」

「脱出船どころか、現状では直径五百……いや、三百メートルの回廊すら維持できないだろうな。これからどんどん狭くなる。銀河文明評議会の上級種族が、何を送ってくるつもりなのかはしらんが、早くしないと手遅れになるぞ」

「何か連絡のようなものはあるのか? 受け入れ準備だってあるだろうし」

「何もなし。上級種族さまくらいエラくなると、銀河にゴマンといるおれら途上種族にいちいちお断りをいれないものらしいぞ」

 ストレスでいらだっているせいか言葉に棘のあるデュオの肩を、サンリッジはぽん、とたたいた。

「そういうな。上級種族ってのは、ケイローンみたいな中堅どころと違って、知性のレベルで地球人とは何段階も違っている。おれらだって、実験動物のチンパンジー相手に人間さまのやることをいちいち説明したりしないだろ。バカにするとか、そういうのじゃなくて、そもそも相手に説明する意味がないから」

「だからって、チンパンジーの側にも段取りってものがある。これで〝ゲートで固定できる次元断層が小さいので通れません〟なんてことになったらどうするんだ」

「おれが心配してるのはそっちじゃなくて、〝何か〟が届いたあとだよ」

「うん?」

「起きてすぐに太陽の状態を確認してみたが、ひどいもんじゃないか。上級種族が何をする気かしらないが、ゲートの外に持ち出したとたん、フライにされちまうかもしれんぞ」

 サンリッジとデュオは不景気な顔を見合わせ、同時にため息をついた。

「おれらが何を言ってもしょうがないか」

「だな。おれらはゲートの機能を維持する。外の連中はゲートを守る。冥王星のあたりじゃ、宇宙軍の連中が戦線を支える」

「ひとりひとり、できることをやっていくしかないな」

 朝食のしめに、サンリッジはクラムチャウダーを飲み干した。この中に具として入っている貝が、地球の海でどのくらい生き残っているだろうと考えながら。


 太陽表面爆発から、十四時間が経過した。

 地球の表面は、ほぼ雲で覆われている。

 雲の下では、風が荒れ狂い、炎が渦巻いている。

 人々は、大地の下にあるシェルターで、じっと嵐が過ぎるのを待ち続けていた。

 事前に情報が公開され、シミュレーションも何度も繰り返され、地下シェルターの中で政府広報のアナウンスを受けていても、人々の反応は、〝まさか、こんなことが起きるなんて、思ってもみなかった〟が多い。

 甲信越中央シェルター――長野県と山梨県の住人が避難しているシェルターの集会所では、人々が大型のスクリーンに映し出される地上のようすを呆然とながめていた。

「田んぼも、家も、くりくりなくなったが」

「このままいけば、はあ、十年は地上に出られんだら」

 首を振り、ため息をつく。

 もう少し時間が経過すれば、怒りや不安がこみ上げてくるだろうが、今の人々は、これまでこの列島をたびたび襲った台風や地震、火山の噴火などの大自然の猛威と同じように、ていかんと共に、の被害を受け入れていた。

「これからどうすればいいか、さっぱりわからんずら」

 ほかの皆と同じように、硬い顔でスクリーンを見ていた高校一年生のなえは、誰かが口にしたその言葉を聞いてはっと顔を上げた。

 ――今の言葉。

 そうよ、うん、そうだ。わたし、たった今まで忘れていた。

 早苗はその場ですっと立ち上がった。

「どした?」

 いきなり立ち上がった早苗を少し驚いたように見上げて聞いた母親に、早苗は何かを決意したような表情で答えた。

「自分のカプセルに戻る。勉強しなきゃ」

「勉強? はあ、こんな時に?」

「うん。担任の先生がね、避難警報が出てみんな学校から家に帰る時に、最後に言ったの。これからどうなるかわからないが、どうすればいいかわからなくなったら、勉強をしておけって。成績のためじゃなく、自分を強くするために」

 成績のための勉強は、成績に結びつかなくては意味がない。頭の悪い子が勉強しても、成績にはなかなか結びつかないから、やる気になれない。けれど、自分を強くする勉強は、累積型だ。学べば、学んだ分だけ、その前の自分より強くなる。

 何もかもが焼かれ、早苗の未来の予定はすべて白紙になった。

 学校の行事、進学、就職、結婚、子育て。ぼんやりと考えていた未来は、全部消えた。

 何もかもなくなった早苗は、未来のすべてを、自分の力で手に入れなくてはいけない。

 才能は、あまりない。スポーツも芸術も、人並みでしかない。

 魅力も、あまりない。自撮りでいろいろ確認したところ、斜め上からの角度だとちょっとは可愛い気がしているが、自信はない。

 度胸は、ちょっとある。子供のころから男子と喧嘩しても、負けなかった。

 おおむねどこも平均の早苗が強くなるには、勉強するしかない。

 早苗は個室として与えられたカプセルに入り、学校の教科書データなどが入っている端末を引っ張り出す。

 その時に、自分の小指が早苗の目に入った。

 そして、その小指で結ばれた約束を思い出す。

 ――あった!

 未来の予定、ひとつだけ残ってた!

 早苗が約束した少年は、帰ってくると約束した。

 宇宙で戦ってる少年は、死なないで帰ってくると、早苗と指切りした。

 地球が焼けて、家も学校も焼けて、何もかもなくなっても、約束は残っている。

「ずく出さないと、ね」

 早苗は端末を起動し、教科書を開いた。


 太陽表面爆発から十六時間が経過した。


恒星レーザー警報。恒星レーザー警報。

水星の衛星軌道の観測衛星〈M七〉より緊急警報。

太陽の表面に恒星レーザー砲発射の予兆となる磁力渦を探知。

作業艇と作業員はすみやかに所定の位置に避難せよ。

繰り返す……


〈ベート・ゲート〉の管制室の中にいた係員の意識の中に、感応端末を通じて警報が流れるのと同時に、統括管理官のネハレムは、かたわらにいた予備管制官のサンリッジに向かって思念を飛ばした。

『防御シールド出力全開! あなたはセーフティルームに!』

『管理官は?』

『わたしはここに残ります。もしレーザーの直撃を受けたときに、状況を確認し、機能停止に陥った場合、システムの再起動を行なわねばなりません!』

 サンリッジはネハレムの思念を否定した。

『いえ、それはわたしがやります! アロイスであるあなたに、そんなことをさせるわけにはいきません!』

 ネハレムもサンリッジに否定の思念を送り返した。

『わたしは、地球を救うために志願し、ここにやってきました! アロイスであるということは、特別扱いされる理由になりません!』

 ネハレムは、アロイスの本国から送りこまれた総括管理官の一人だった。粛清者との戦いが始まるまで、アロイスは、一部の最先端の技術や装備を扱う部署にしか配置されていなかったが、粛清者の侵攻が確実になったとき、アロイスは数千人の管理者を送りこんできた。正確に言うならば、管理者としてではなく、共に作業に従事する、働く管理者プレイングマネージヤーとして、現場に飛びこんで地球人と肩を並べて働き始めた。粛清者の侵攻が迫る中、加速度的に業務が増えていく現場が、曲がりなりにもまわっていたのは、このアロイスたちの働きによる点が多い。

『アロイスだから、特別扱いしているんじゃありません! あなたがわたしよりも優秀だからです! ゲートに重大なインシデントが発生したとき、わたしでは回復できないレベルのものであっても、あなたなら回復できます。それが、あなたがセーフティルームに入るべき理由です!』

 サンリッジとネハレムは、意識空間で、しばらく睨み合ったが、やがて、ネハレムが視線をはずした。

『わかりました。あなたの申し立てた理由が正しいでしょう。わたしがセーフティルームに入ります。太陽風の影響でゲートの外装にかなりダメージが生じています。剥がれた外装パネルが次元断層面に入らないように、シールドをしっかり監視していてください』

 ネハレムがセーフティルームの機密ドアをロックしたのを確認したサンリッジは、管制室のモニターで〈ベート・ゲート〉周囲のデブリの状況を確認した。

 ゲートの周囲には、いくつもの残骸が浮かんでいた。最大のものは、この前の攻撃のさいに盾となって恒星レーザー砲の直撃を受けた、ランマー級スペースコロニーである。巨大な丸太のようなその横腹には、レーザーの直撃で生じた木のうろのような大穴があいている。

 破壊されたコロニーの周辺に漂う無数のデブリが、太陽風を受けて白く輝きながらゆっくりと流されていく光景は、まるで牡丹雪が吹きつける雪国のようだ。その白い無数のデブリが動く中に、何か大きなものが動いている。それは――

 恒星レーザー警報を受けた三隻の特殊シールド艦が〈ベート・ゲート〉を守るために配置につこうとしている姿だった。シールド艦は〈ベート・ゲート〉を中心に置いた三角形を作り、三枚のシールドで守ろうとしていた。しかし、バリケードと熱吸収のために使われたランマー級スペースコロニーが完全に破壊されてしまった今、三枚のシールドで恒星レーザーの直撃は守れない。

 ――おそらく粛清者はゲートのおおよその位置を割り出しているに違いない。できることなら直撃だけは避けたい!

 サンリッジが、そう願ったそのとき。強烈な太陽表面爆発の輻射を浴びて白く輝いていた〈ベート・ゲート〉の輪郭が、すっと闇に溶けた。それだけではなく、それを守る特殊シールド艦も、スペースコロニーの残骸も、すべてが闇の中に消えていった。

 ――なんだ? 何が起こったんだ? 地球の影、夜に入ったのか? 蝕が、まに合ったってことか? いや……これは違うぞ? こんな時間に起きる蝕はない。

 太陽から直進する恒星レーザーは、地球の影に隠れた目標を攻撃できない。しかし、いま〈ベート・ゲート〉が置かれている静止軌道は地球から遠く、自転軸が斜めなこともあって地球の影に隠れる時間は短く、その周期は決まっている。いま起きている蝕は、明らかに、人工的に起こされたものだ。

 そこまで考えたとき、サンリッジはひとつの可能性に思いあたった。

「こいつは、〈アルテミスの日傘〉か!」

 サンリッジは思わず声に出して叫んでいた。

 その言葉のとおりだった。恒星レーザー砲対策のために、月面基地は不眠不休で復旧工事を進めていたのだ。それがギリギリでまに合ったのだ。

 月軌道に作られた巨大な〈日傘〉が、恒星レーザー砲を受けとめ、〈ベート・ゲート〉を護っていた。

 ――いける! これなら粛清者のレーザー砲の影響は受けない!

 サンリッジがそう考えたとき、コンソールの中に並ぶゲート内設備のモニターに、セーフティルームのドアロックが開いたことを示す表示がまたたき、サンリッジの意識の中に、ネハレムの思念が飛びこんできた。

『状況を確認しました。職務に復帰します』

『了解しました。システムはオールグリーンを維持しています!』

 サンリッジがそう答えたとき。意識空間に、今までに受けたことのない強烈な思念が君臨した。それは、まさに君臨としか言いようのない、強烈な存在感とオーラを持った思念だった。

 その思念はサンリッジの意識の中にひとつのメッセージをたたきこんだ。

『ゲートを維持せよ』

 その思念の神々しさに、サンリッジは思わずその場に崩れ落ちて、両膝を床につきそうになった。ネハレムも同じ思念を受けたのだろう、一歩下がると、そのままコンソールに両手をついて身体を支えた。

 その強烈な思念は、その簡潔なメッセージだけを一瞬残して消えていった。もし、もう少し長く受けていたら、まちがいなく二人とも、その場に倒れこんだだろう。

『今のは、なんですか?』

 ネハレムは、首を振った。

『わかりません。あんな思念は受けたことがない……ありえないことですが、もしかすると、ケイローンよりも上位の位を持つ種族のかたが、思念を直接送りこんできたのかもしれません……』

『ケイローンよりも上位の種族が直接? そんなことってあるんですか?』

 ネハレムが答えるよりも早く、サンリッジの意識の中に、レキシムの思念が飛びこんできた。

『いま、あなたがたが受けた思念は、このエリルセナント線上のすべての人類の始祖とも言われる、長い歴史を持つ上級種族ジュバックのかたが、この太陽系に生きる人類すべての意識に直接呼びかけたものです。ゲートはいかなる犠牲を払っても維持しなくてはなりません! ついに銀河文明評議会の上級種族が動いたのです! これは光明です! 太陽系は救われるかもしれません! それがなんなのかわかりませんが、銀河文明評議会は地球人類を見捨てないというしるしです! 万難を排し、ゲートの維持をお願いします!』

 サンリッジが答える前に、ネハレムが答えた。

『了解しました!』

 そして、それと同時に、管制システムが重力波の変動を告げるアラームを響かせた。

『何かが送りこまれてきます! 転移質量上昇中! すごい質量です』

『これが、いったいなんなのかわかりませんが、おそらくこれが上級種族からの贈り物です。受け入れ準備にかかれ!』

『了解しました!』

 サンリッジはそう答えると、ゲート内部の重力波制御に入った。音声と思念で、重力波による次元断層が形成されることを告げる警告メッセージが繰り返し流れ始める。

〈アルテミスの日傘〉の恩恵は、徐々に薄れつつあった。強烈な太陽風と輻射熱に、アルケミスの〈日傘〉そのものが崩壊し始めていた。

 太陽の熱と、吹きつける高エネルギー粒子の嵐に耐えられなくなったゲートのメインフレームを覆う外装が、剥がれ、細かい破片となって宇宙空間に飛び散っていく中で、強烈な太陽風は、重力錨によって固定されたゲートを揺らしていた。

『ゲートの外装の熱が急激に上がっています! 電磁冷却がききません!』

『なんとかもたせて! もうすぐ次元断層が開く! 転移が始まるまで、あと五秒!』

 ネハレムの言葉が終わるのと同時に、太陽風がたたきつける側の反対側の鏡のように滑らかだったゲート内部に、まるで風が吹き渡ったかのような細かいさざ波が広がり始めた。それは、見る見るうちに大きく波打つようにゲートの中央から周辺部へと同心円を描いて広がっていく。

『次元断層形成完了。固定化シークエンスに移行開始』

『重力波制御装置、出力最大』

『質量変換開始! 重力波変動値を一定に保て!』

 サンリッジの意識の中に、感応端末を通じて情報と指示が次々に飛びこんでくる。

 やがて、ゲートの円環の中央の揺れ動く空間に、何かが姿を現わした……と思った瞬間。それは次元断層を突き破って、一瞬に実体化した。それは細長く尖った先端を持つ、全体を銀色に輝かせた巨大な矢じりのような形をした物体だった。