2 蘇生者


……ざがじだじだ……きごげるが……ごだげよ……ごだげるのだ……ものよ……


 誰かが呼びかけているような気がした。

 混濁した恵一の意識の向こうから呼びかけるその声は、チューニングが微妙にずれたFMラジオのように歪み、ひび割れ、雑音の入り混じった思念だった。もし、恵一が興味を持ち、集中しなければ、その思念は思念空間の雑音として、混濁した意識の遠くのほうを通り過ぎていってしまっただろう。

 何が恵一の興味を惹いたのかはわからない。恵一は、その雑音の中に、誰かの意志を感じたような気がしたのだ。夢とも現実ともつかないぼんやりとした意識空間の中で、恵一はその雑音を聞こうと考えた。


……ごろがものよ……ごのごえがぎごえるが……ごのごえにごだえよ……


 雑音混じりの思念は、細かなとげのようなものがびっしり生えているきよく動物のような感触だった。恵一の意識の中の嫌悪感を呼び覚ます、痛みさえ感じるような感触だった。恵一は、一瞬、この雑音だらけの意識に近づくのをやめようかと思ったが、好奇心に勝てなかった。

 サンドペーパーでこすられているような意識の痛みを我慢して近づいていくと、少しずつ雑音のレベルが下がり、相手の意思が読み取れそうな気がした。


……ものよ……えにこたえよ……こえにこたえよ……


 思念の呼びかけている概念が、恵一の意識の中で意味を形づくり始めた。

 ――〝こえにこたえよ〟……〝声に応えよ〟ってことか? おれに呼びかけているのか? そう言えばおれはいま何をやっているんだ? おれは誰だ? ここはどこだ?

 すべての疑問に答えがなかった。自分自身に存在感すらなく、混沌の泥の中から浮かび上がってきた泡のような気分だった。

 恵一は、意志を集中して、ひとつの問いを発した。

 ――おまえは誰だ?

 その問いを発したのと同時に、FMラジオの選局のチューニングが合った時のように、思念の中にある雑音がすっと消えた。そして、それと同時に、どこか遠くのほうから、思念が伝わってきた。

 ……おお、罪深き小さなものよ。なんじは余の意思に応えることができるのか……

 それは、今までにいちども感じたことがない、荒目のサンドペーパーのような、ざらっとした異質な思念だった。

 ……余は数千年の長きにわたって、なんじら罪深きものに呼びかけてきた。だがなんじら罪深きものに応えるものはほとんどなく、ごく稀に応えるものがいるのみ。なんじが余と意思の疎通ができるとすれば、なんじは選ばれしものだ。喜ぶがいい……

 ――おまえは誰だ?

 ……余は仲介者だ。なんじらがあがめる者と、なんじらを滅ぼそうとする者とのあいだに立つ者、それが余だ……

 ――崇める者?

 ……なんじらを創りし者だ。知的生物として進化し得る因子を持ったなんじらをこの銀河系にき、この銀河系をひとつの種によって統一しようとたくらむ者だ……

 ――至高者オーバーロードのことか?

 ……なんじらが、なんと呼んでいるのかには興味はない。だが彼らは、そうした意図のもとに、なんじらをこの銀河系に創り上げた……

 ――おれたちを滅ぼそうとする者、というのはしゆくせいしやのことか?

 ……告げたであろう? なんじらがなんと呼ぶのかには興味はない、と……ただ、粛清する者という意味は正しい。その行為も含めてだ……

 ――おれたちを滅ぼそうとする行為が正しいだと?

 ……そうだ、なんじらは罪深きもの。なんじらを無に返し、この銀河系に正しい進化による正しい生態系を創り上げるべきなのだ。そもそも、生物の種に区別はない。どのような生物にも、知的生物としての進化の道は平等に開かれている。知的進化を遂げるまでの時間差はあるにしろ、だ……だが、この銀河系の生態系は、哺乳類の中のただ一種、なんじらと同じ種のみが知的進化を遂げ、君臨している。なんじらは、この異様さに気がつかんのか?……

 ――気がつくわけがないだろう。自分たちの生まれた惑星のことしか知らないんだから。ほかの恒星系の生態がどうなっているのか、ましてや人類だけが知的生命体として進化しているなんて知ったのは、つい最近のことなんだから!

 ……そうか、なんじの種族はそれほどまでに若かったのか。ということは、反逆者から何ひとつ聞かされてはおらんのか……なんじらがどれほどまでに罪深く、けがれており、憎悪の対象となっているかも……

 ――知らない。なぜ粛清者が攻めてくるのか、その理由もわからない。おれたちはこの惑星の上で生きてきただけだ。

 ……反逆者は、さまざまな生物から進化した知的生物で構成された知性連合の高位種族だった。われわれと志を等しくし、さまざまな銀河系のさまざまな生物の知的進化を見守り、育成することに尽力していた。だが、あるとき、反逆者はよこしまな考えに取り憑かれた。異なる種類の生物の知的進化を見守ることを、効率が悪いと考え始めたのだ。彼らはただ一種類の生物だけを選択し、進化させたほうが、より効率が高まると考えたのだ。

 そして彼らは自分たちの種族を下地にした新しい種族を開発し、辺境の銀河系を選び出し、誰にも知られぬようにその銀河系にその種族を蒔いた。知性連合に発覚を遅らせるために、そして、真実を知らされぬために、知性連合の精神波をまったく受け取れぬようにさまざまな遺伝子操作を加えたその種族は、グロテスクなまでに知的進化が早かった。

 その生き物は同族同士で争い、殺し合うことで知的に進化するように創られていたのだ。事実、その闘争本能によって、知的生命体として成長せぬままたがいに殺し合い、惑星の生活環境を崩壊させて滅亡してしまう種族すらあった。そして反逆者が、このような種族を創り出した理由――それは単なる実験ではなかった。反逆者は、知性連合に反旗を翻す時の手勢として、この種族を創り出したのだ。

 知性連合は長いあいだ、この銀河系に、この呪われた生物が繁殖していることに気づかなかった。われわれが気づいたとき、この銀河系の生物が居住可能な惑星を持つ恒星系のほとんどに、反逆者の手により蒔かれたおぞましき種族の文明が興り、そのいくつかは強大な軍隊を持つ軍事国家となるに至っていた。

 その事実が明るみに出たとき、反逆者は、これだけの短期間にこれほどの進化を遂げる生物は貴重であり、この生物こそが文明の衰退と停滞を防ぎ、この宇宙全体の文明を次の次元へと引き上げるであろうと主張し、この銀河系を貴重な実験地として維持すると宣言した。だが、そんな主張を認めるわけにはいかぬ。ひとつの種族だけを進化させるなどという暴挙を許せるはずがない。それは知的生物の多様性を維持し、共生するための知性連合という存在そのものの根幹に対する裏切りだ。

 知性連合は、反逆者と、そして、この銀河系に生息するなんじらを、全宇宙の生きとし生けるものの敵と認定した。なんじらは、本来、生まれてきてはならぬ生物なのだ。邪悪な反逆者のねじ曲がった欲望のために遺伝子を操作され、この銀河系に蒔かれた生物、それがなんじらなのだ……

 ――だから、どうしろというんだ! おれたちに生きる権利はないと言いたいのか? おれたちも知的生物なんだぞ? 知的生物を維持し、共生するのがおまえたち知性連合じゃないのか?

 ……なんじらに生きる権利? そんなものがあるわけがない。われわれが求める多様な知的生物のはんちゆうに、なんじらのような忌み穢れた生物が入るわけがなかろう……

 ――そんな身勝手な言い草があるものか! そんなのは多様性でもなんでもない!

 ……ほう、身勝手と抜かすか……なんじらの世界にも、なんじらを病に罹患させる病原菌や、それを媒介する生物が存在するだろう。なんじらはその病原菌や生物に生きる権利があると考えるか? 考えるまい。嫌悪し駆除することが当然だと考えるだろう。徹底的に無慈悲に、一匹残らず滅ぼしたとしても、心が痛むことはなかろう? それと同じだ。なんじらすべての個体を絶滅させ、この銀河系の生態系を正しい姿、あるべき姿に戻す。これが正義だ。なんじらはわれら正義の軍門にくだり、抵抗することなく粛々と消去されなくてはならない。それが正しい行動だ。理解したか?……

 仲介者を名乗る意識が伝えてきた傲慢さと身勝手さに、恵一の忍耐は、限界に達していた。

 ――ふざけるな!


 恵一が意識の中でそう叫んだとき。ふっと仲介者を名乗る者の意識が消え、それと同時に身体の感覚と、記憶、自分の意識、そういったものがいっせいに押し寄せてきた。それは水の底から浮かび上がって、水面から顔を上げたときに、周囲の音がわっと聞こえてくる感覚に似ていた。最初に戻ってきた身体の感覚は、聴覚だった。サーッという紙の上に砂を流すような音が聞こえてくる。それは耳の中を流れる血流の音だった。それと同時に、自分の身体の感覚が少しずつ戻ってくる。

 ――ああ、これはおれの足だ……これは腕だ……頭と胴体もあるな……。

 そんなことを考えているうちに視覚が戻ってきた。とはいえまだ目は開かない。明暗を感じ取っているだけで、色彩の感覚はない。やがて身体の表面を液体が流れ落ちていく感触とともに身体全体にずっしりとした重みが戻ってきた。

 ――現実感というのは、この、自分の身体の重さの感覚のことを言うんだろうな……。

 恵一がそんなことを考えたとき、恵一の意識の中に、ドローン特有の鮮明な思念が飛びこんできた。

『アリサカ少将、ご気分はいかがですか?』

『特に不快に感じることもないな、いつもと同じだ……ただ……』

『ただ、なんですか?』

 心配そうに訪ねてきた医療ドローンの思念に、恵一は覚醒のさなかに意識の中で行なったやり取りを思い出しながら答えた。

『変な夢を見た……今まで何回か深層睡眠状態からの覚醒は経験しているけど、こんなことは初めてだ……心理的なストレスってのは、身体じゃなくて意識の中に溜まるものなのかな?』『覚醒波が送りこまれ、脳を含む身体機能が復活し始めると同時に、意識領域の活動が始まりますから、記憶に残るような夢を見ることは、まずありえないのですが……』

 恵一の思念を受けた医療ドローンは、そこで思念を止めた。

 ――あれ? 何かあったのかな?

 そう考えたのと、医療用ドローンの思念が返ってきたのはほぼ同時だった。

『覚醒直後の思念波記録を分析したところ、アンティラパターンが確認されました。深層心理分析を行なわねばなりません。アリサカ少将、申しわけありませんが、もういちど深層睡眠状態に戻っていただくことになります』

『アンティラパターン? なんのことだ?』

『規定の蘇生時間よりも短い時間で急速に蘇生させたアバターの中に、ごく稀に……五千七百万分の一ほどの確率で、ほかからの思念波が混入してしまうことがあります。原因は不明ですが、このさいに発生する思念波のパターンをアンティラパターンと言います。この症状が出た場合、記憶や、自我領域などに改変が行なわれていないかどうか、確認する必要があります』

 恵一は意識の中でため息をついた。

『やれやれだな……粛清者との戦いのまっさいちゅうに、こんなことになるとは……』

『それほど長い時間は必要としません。おおむね一時間程度ですみますので』

『了解しました。お願いします』

 恵一がそう答えるのと同時に、すうっと意識が薄れていった。

 結局、新しいアバターとなった恵一が、記憶補正措置を含むすべての蘇生措置を終えて職務に復帰したのは、予定時間を一時間ほど過ぎてからだった。それでも、通常の蘇生措置に必要とする時間の三分の一ほどの短さで、身体機能は完全には回復しておらず、いわば病み上がりのような状態だった。太陽系は恒星反応弾の波状攻撃を受け、太陽系外周部の転移点では粛清者の艦隊が着々とその数を増している状況下では、もはや一分一秒の余裕もなかったのだ。泊地ベースの蘇生措置室の控室に制服を持ってきた医療ドローンを見て、恵一は一瞬、げんな顔になったあとで、肩を落とした。

「そうか……ロボは、もういないんだな……」

『その件はべつとして、レキシム閣下から、蘇生措置が終わりしだい、面会したいとの要請がありました。制服に着替えて隣の部屋へお進みください。思念通話の状況をこちらでモニターしておりますが、思考回路の機能回復の検査のみで、思念通話の内容についてはいっさいモニターしておりませんので、ご安心ください』

「わかった、ありがとう」

 恵一は返事を返すと、医療ドローンが持ってきてくれた制服に着替え始めた。プレスのきいた新品のシャツの袖に腕を通したとき、防臭防汚形状維持繊維で作られた布地特有のミントに似た匂いがふっと鼻をよぎるのと同時に、私室の中で、クリーニングマシンから出てきたシャツをていねいにたたみなおしていたロボの姿を思い出した。

 ――あいつは、クリーニングマシンでプレスされたシャツって、プレスがききすぎて硬くなっちゃっているから、着心地がいいように隙間を作ってたたみなおしているんだよ……と言っていた。こうやって新品の硬いシャツを着ると、あいつが着心地にこだわっていたことの意味がよくわかる。

 おれは、また、ロボをうしなってしまった……最初のロボを喪ったとき、もう、二度とこんな悲しい思いはしないと誓ったのに……おれは、あいつを守れなかった。あいつはドローンだ、人間じゃない。スペアが用意できる機械人形だ。でも、それを言うのなら、生身と機械という違いがあるだけで、アバターのおれだって同じだ。

 ロボの人格パターンは、アロイスの女の子の人格をサンプリングして複製し、バイオチップに保存されていたものだ。オリジナルのアロイスは、とうの昔に死んでしまっていて、人格だけが保存されている。サンプリングされた人格には限りがあって、ストックを使いつくしてしまえば、おしまいだ。その人格は完全にこの世界から消える。ドローンにも死が訪れるのだ。

 おそらく、おれのところには新しいパーソナルドローンが来るだろう。そのドローンの人格がロボと同じとはかぎらない。でも、許されるのなら、もういちどロボが来てほしい。

 ドローンはしょせん機械だ。と割り切るべきなのかもしれない。でも、一人ひとり個性が違うドローンを機械のように扱うことは、おれにはできない。

 恵一がそんなことを考えながら、少将の階級章の付いた制服の電磁ファスナーを引っ張り上げると、ピッ! という小さな電子音とともに階級章の中の小さな回路が生体認証のためにまたたき始めた。ひと呼吸ほどの時間のあと、生体認証を終えた少将の階級章が深いブルーに光り始めたのを確認して、恵一は控室の隣にある面会室に向かった。

 面会室と言っても、そこは感応端末が内蔵されたシートがひと組、向かい合わせに置かれているだけの小さな部屋だった。感応端末を用いて意識空間の中で会話する機会のほうが、直接顔を合わせて話をすることよりもはるかに多いのだろう。恵一がそのシートにすわり、背もたれに体重を預けるのと同時に、戦術支援AIが恵一の意識感覚にブーストをかけた。

 ――レキシムは、太陽系防衛の総責任者だ。粛清者の絶え間ない攻撃を受けているこの状況の中では、意識空間の中でおれと会話をする時間すら貴重に違いない。

 恵一の意識は、レキシムの執務室に飛んでいた。

 最初に目に飛びこんできたのは、太陽系全体が表示されている巨大な球形の三次元立体モニターだった、それを見上げて、幕僚に指示を与えていたレキシムが、恵一のほうを振り向いて微笑んだ。

『お待ちしておりました、アリサカ少将』

『戦況はどうなっていますか? 記憶補正措置は受けましたが。記憶として挿入されているのは概略だけで、いま現在の状況と詳細なデータは、まだ受け取っておりません』

『社交的儀礼を交わす時間も惜しい、というわけですね。その判断は正しいです』

 レキシムは微笑みを浮かべたままそう答えると、自分が見上げていた三次元立体モニターを指さした。

『太陽系防衛艦隊は、旗艦艦隊が粛清者の浸透攻撃を受けて壊滅したあと、戦力再編のために後方に下がっています。応援に差し向けた迎撃型機動戦闘艇の攻撃で、粛清者側の艦隊はほぼ壊滅し、粛清者側の艦隊戦力は、後方に控えていた予備艦隊と思われる二千七百隻を残すまでになりました。しかしその後、粛清者はこちらの艦隊がダメージを受けて後退したその時を好機と判断したらしく、三万二千隻分の質量を転移させてきつつあります。その総質量のうち、恒星反応弾と思われる質量は、およそ五千発と思われます』

『三万二千隻の転移、そのうちの五千発が恒星反応弾ですか!』

 驚く恵一に、レキシムはうなずいてみせた。

『はい、その中からすでに千二百五十発が発射されました。機動戦闘艇部隊が、すべて破壊に成功しましたが、粛清者はその中に偽装した迎撃用榴散弾を多数投入してきたため、迎撃部隊に大きな損害が出ました……』

 レキシムの思念と同時に、恵一の意識の中に戦術支援AIが戦闘詳報のデータを送りこんできた。出撃した迎撃型機動戦闘艇の損失が三十五に及んでいることを知って、恵一は息を呑んだ。

『C集団とD集団合わせて一万の機動戦闘艇を投入して、損害が三千五百ですか? たった一回の迎撃で、これほどの損失を出すなんて……』

『粛清者の戦術が変わったのです。われわれはそれに対応できませんでした。粛清者は迎撃用榴散弾を攻撃機として運用したのです』

 レキシムの思念とともに、恵一の意識の中に、恒星反応弾に偽装した榴散弾が、迎撃型機動戦闘艇の編隊に突っこんできて、炸裂する映像が映し出された。

『単なる護衛ではなく、制空攻撃に使用してきたというわけですか……』

『恒星反応弾には耐ビームコーティングが施されており、機動戦闘艇に搭載されている小口径ビームでは損傷させることすらできません。唯一効果的なのは対艦用実体弾を撃ちこむことですが、自由行動を取る迎撃用榴散弾の未来位置を予測して発射し、命中させるのは至難の業です。迎撃が成功したのは自由行動を取る迎撃用榴散弾の巡航速度が遅く、命中率が上がったためです。今回の迎撃成功は数の力でねじ伏せた、と言うべきでしょう』

『しかし、この損耗率では……』

 レキシムは真剣な表情でうなずいてみせた。

『そうです、破綻が来ます。そうなる前に、粛清者側の意図をくじくことができなければ、太陽系は滅亡するでしょう。わたしたちは、その時が来るまでいかなる犠牲を払ってでもこの太陽系を守り続けなくてはなりません』

 その時はいつ来るのか、と考えて、恵一は考えるのをやめた。それは答えのない質問だったからだ。

 ――どうなるかを考える前に、どうするかを考えるんだ。目の前の問題を片づけたその先にしか答えはない。目の前の問題から目をそらして、遠い未来のことや理想を語るのは単なる逃避だ。おれはコメンテーターや評論家じゃない、実務者だ。

『ケイローン軍第三軍の応援はどうなっているのでしょうか? シュリシュクや、ほかの中堅種族の星系への粛清者の攻撃は今も継続中ですか?』

 レキシムは眉をひそめた。

『シュリシュクは防衛に成功しました。ですが、〝中堅種族星系のいくつかは恒星反応弾の攻撃を受けて壊滅した〟という報告が来ています。ケイローン正規軍は第三軍を含めて、すべて被害を受けた中堅種族の救援にまわっているそうです。どの星系も恒星反応弾の迎撃に必死なのです』

『では、応援は絶望的、ということなんですね……』

 レキシムは首を振った。

『いえ、増援は来ます。三時間後に、親衛義勇軍艦隊の総司令官と幕僚のアバターと共に補充艦が到着し、そして四十八時間後にデグル大将が増援を送ってきます。戦闘艦は予備がありますが、動かす兵員が不足しているのです。現在シュリシュクでは招集した予備役と後方勤務の兵員をかき集めて艦隊を編成中とのことです』

 レキシムの言葉を聞いた恵一は、安堵のため息をついた。

『来てくれるんですか! よかった……でも、四十八時間ですか……短いようで、長いですね……』

『ええ、待つには長い時間ですね。でも、確実な希望であることは確かです。それまで、なんとしてでも太陽系を守らねばならなりません。恒星反応弾の攻撃を受けたのは中堅種族だけではありません、それよりもさらに二ランク上級の種族の恒星系にも恒星反応弾が撃ちこまれたとのことです。さすがにそのレベルになりますと、防衛機構が発達しているので恒星に到達する前に破壊したそうですが、そのレベルの種族が直接戦闘に巻きこまれるのは二千七百年ぶりとのことです』

『ケイローンよりもさらに二ランク上のレベルの種族と言われても、想像がつきません』

 恵一の答えを聞いて、レキシムは小さく笑った。

『そうでしょうね、ケイローンでさえそのレベルの種族と会えるのは、国家指導者クラスの者が意識空間の中で、はるか遠くから拝謁できるかどうか、という話です。銀河文明評議会の位階で言えば、ケイローンですら〝ラガン〟と呼ばれる最下の身分で、われわれアロイスや地球人のような途上種族には、呼称すらありません』

 ――身分か……昔の日本でも宮中に上がるには最低でもくらいを必要とした。六位くろうどを例外として五位から上が殿てんじようびと、六位以下はびとと呼ばれて明確な区別があった。それと同じようなものなのだろうな。

 恵一は、意識の片隅でそんなことを考えながら、レキシムの思念を受け取っていた。

『……この事態に対し、銀河文明評議会の上位種族が動いたという話が伝わってきています。恒星反応弾攻撃への対抗策を取るとのことです。ただし、その対抗策とはなんなのかという情報は、残念なことにわれわれのところまでは降りてきていません』

『そうですか……対抗策を取ってくれるという情報はとてもありがたいのですが、それだけでは部下を勇気づけることはできません。事態はしようの急です! 具体的情報はないのですか?』

『残念なことに、具体的な情報は、何ひとつないのです。部下を勇気づける情報が欲しいのはわたしも同じです。今は、四十八時間後にケイローン軍の増援が来るという情報を伝えるだけで我慢するしかありません……』

 レキシムはそこで言葉を切ると、ふたたび三次元立体モニターを指さした。

『粛清者は、現在、通常艦隊を転移させています。恒星反応弾を発射して、こちらの迎撃部隊を反応弾への対応に向かわせ、その間に通常艦隊を転移させてくる、という作戦だと思われます。先遣艦隊の司令官だったスション少将が暫定的に総司令官となって残存艦隊をひきいて、転移点に遠距離砲撃を行なっておりますが、効果は薄く、プローブの探査結果では、中型艦十数隻を破壊しただけで、目立った戦果は上げておりません。粛清者の総数は、最終的に二万を超える見込みです。おそらくそのあと、転移してきた艦隊による攻撃を開始するものと思われます。恒星反応弾の迎撃は、迎撃型機動戦闘艇部隊が担当します。アリサカ少将は再編成を終えた途上種族艦隊を指揮し、スション少将と共に、粛清者艦隊の迎撃をお願いします』

『わかりました。わたしがなすべきことは、まずは親衛義勇軍艦隊の司令官と補充艦が到着するまでの時間を稼ぎ、戦力を回復したあとで、機動防御によりケイローン軍の増援到着まで敵の侵攻をくいとめる、ということですね』

『そのとおりです。正式な命令書は追って文書で送ります。よろしくお願いします』

『了解しました』

 敬礼するのと同時に、レキシムの意識空間が閉じ、恵一の意識は面会室のシートの上に戻った。恵一の意識が戻るのと同時に、リクライニングしていた感応端末内蔵シートの背もたれが、ゆっくりと起き上がっていく。面会室の感応端末シートは、蘇生したばかりの身体に肉体的な負担をかけないような仕様になっていたらしい。

『失礼します』

 その声と同時にドアが開き、面会室に入ってきた医療用ドローンは、手に持った医療用モニタリングデバイスを確認したあとで恵一に告げた。

『思考ブーストにおける思考回路の感応抵抗リアクタンスは規制値内に収まっており、問題ありません。このまま職務に戻っていただいて結構です』

「そうか、ありがとう」

 そう応えたあとで、恵一は気になったことを聞いてみた。

「もし、何か問題があったら、職務復帰はできなかったのか?」

『いえ、そういう時は、機能補完の薬品を投与します。思考回路の潤滑剤のようなものですね』

「どっちにしろ、職務に復帰しなくちゃならないってことか……」

『はい、現在は第一種戦闘配備中ですので、精神衛生管理規則の第三条第二項に該当します。ご武運を』

「わかった、いろいろありがとう」

 恵一は医療用ドローンにそう告げると、面会室の反対側にあるドアを開けた。

 ドアの向こうは、指揮官用区画へとつながるエントランスになっている。その長いエントランスを歩きながら、恵一は考えていた。

 ――粛清者が三万二千の大軍を転移させてきたということは、何がなんでもこの太陽系を破壊しようという意思の現われだろう。通常艦隊と恒星反応弾の両方を投入して、その使いかたを変えて試しているところから見て、太陽系侵攻は、今後の粛清者の戦いかたを決めるためのテストケースだというのは間違いなさそうだ。中堅種族以上の星系にも恒星反応弾を撃ちこんだ理由は、この太陽系の戦いに、中堅種族たちの邪魔が入らないようにするための牽制と見ていいだろう。粛清者は途上種族星系をどうすれば効率よく攻略できるか、そのデータが欲しいのだ。つまり、最初から最後まで、確実な結末を見るまで、やつらはその手を緩めることはしない。どんなに犠牲を払っても、そのすべてがデータになると思えば、粛清者にとって、それは〝割に合う〟のだ。

 そこまで考えたとき、恵一は、蘇生の途中に見た夢のことを思い出した。

 ――あの夢はなんだったのだろう? 医療用ドローンの言葉だと、一種のバグのようなものだったらしいが、それにしては、記憶の中にしっかり残っていて消されていないのは妙だ……いや、さほど影響はないから、そのままにしているというのが正解かもしれない。夢の内容だって、今までタムイやバーツ、ラクなんかと話をしてきた内容とあまり変わらないわけだし。気にすることもないだろう。それにしても、あの仲介者ってやつは傲慢で尊大で絵に描いたような嫌なやつだったが、あんなやつ、過去に出会ったことあったかな? 出会った記憶がないのに、ああいった嫌なやつが夢に出てきたってことは、おれの人格の中に、ああいった嫌なやつのパターンがあるってことだろうか? 人格ってのは一人の人間の中にいくつものパターンがあって、中には表に出ている人格とはまったく正反対の人格が隠れているという話を本で読んだことがある。だとしたら、あの仲介者の人格は、おれの中から出てきたと考えても無理はないのかもしれないな……。

 恵一はそんなことを考えながら、指揮官用居住区の中にある自分の私室のドアの前に立って、右手のひらをドアノブの位置にあるパネルにかざした。低いブザー音と共にドアロックがはずれ、ドアがゆっくりと開いた。

 そして、聞き覚えのある声がした。

『おかえり、ケイイチ』

 そこに、ロボが立っていた。

「ロボ……おまえ……」

 驚く恵一を見上げて、ロボはこくん、とうなずいた。

『そうだよ、ボクはロボさ。ケイイチのパーソナルドローンだよ。ボクで三代目になるんだってね……初代と二代目から、データは引き継いでいるから、安心して』

 そのロボの口調を聞いて、ケイイチは思った。

 ――初代と二代目と変わらないかな?……いや、少し明るくてハキハキした印象を受けるな……やっぱり、オリジナルは一人でも、人格パターンが少しずつ違っているんだろうな……。

『なに? ボクの顔になにかついているの? あんまりまじまじ見られると、どうしていいのか困っちゃうよ……』

「あ、いや、ロボはロボだな……と思ってね」

『なにそれ、変なの……ああ、そうだ。バーツさんから連絡があったよ。戻ってきたら連絡してくれって』

「わかった」

 恵一が、そう答えて自室の執務机の前にすわり、指揮官用の汎用端末をち上げると、執務机の上に小型の三次元立体モニターと、さまざまなデータが浮かび上がった。三次元立体モニターの中には無数のオレンジ色の光点と緑色の光点が入り混じり、点滅を繰り返していた。それは冥王星防衛ラインから出撃している迎撃型機動戦闘艇が、波状的に送りこまれてくる恒星反応弾と死闘を繰り返している姿だった。

 その三次元立体モニターを見つめていた恵一の意識の中には、蘇生中に見た、仲介者と名乗る存在が伝えてきたメッセージが渦巻いていた。

 ――あれは、なんだったのだろう? 恵一はひとつのことに思いあたった。

 ――夢の中の仲介者は、人類と粛清者のディスコミニュケーションを解消するための存在だった。主張は一方的で、あれは仲介者ではなく単なる翻訳者というか通訳者みたいなものだった。だが、そういう存在をおかなければ、まったく意思の疎通ができないという状況は現実のとおりだ。粛清者は異なる種類の知的生命体の集合体で、彼らは彼らだけに通じるコミュニケーション手段を持っている――というのも、おそらく事実だ。この事実から引き出せる答えは、おれたち人類が粛清者の行動パターンや価値観がわからないように、彼らもまた、おれたち人類の考えていることや、価値観や、行動のパターンを読むことはできない、ということだ、完璧なコミュニケーション手段を持った知的生物が創り上げる文明には、嘘も偽りも虚飾もないだろう。それは実に効率的かつ合理的で、実に正直な文明だ。人類のように、猜疑心と嘘と虚飾と騙し合いの歴史を積み重ねてきた文明とは大違いだ。

 粛清者の文明から見れば、間違いなく、人類の文明は汚濁に満ちた汚らわしく醜い文明に見えるだろう。戦闘的で、たがいに争うように遺伝子操作され、騙し合い殺し合うことで進化する生き物が蔓延することを許すことはできないだろう。

 だが、もしそれが真実だったとしても、人類がだくだくと滅びの道を歩めるわけがない。おれたちだって生きているんだ。生きることをとめられてたまるものか。粛清者から見れば、醜い生き物が悪あがきする姿にしか見えないだろうが、悪の存在に生まれたというのならば、精いっぱい全力で悪あがきして、悪の存在でなければ戦えないような戦いかたをやって、悪の生きざまを見せつけてやる。

 そこまで考えたとき、恵一の頭のなかに、ひとつのアイディアが浮かんだ。

 ――悪の存在を自覚したあくらつな戦いかた……銀河文明評議会は、今までそういった戦いかたをやってきたのだろうか?

 タイムスケジュールを確認して、途上種族艦隊が補給と装備の補充を終えて戦線復帰できるようになるまで、あと二十五分ほどの時間があることを確認した恵一は、戦術支援AIを呼び出して、過去の戦闘記録を検索し始めた。

 ――バーツには悪いが、こっちのほうが優先だな。もしかすると、新しい戦いかたが見つかるかもしれない。

 恵一は銀河文明評議会のアーカイヴから、もっとも古い戦闘記録を呼び出して、確認を始めた。


 恵一が職務に復帰したそのころ、ベースの中にある居住区では、恵一よりひと足早く新しいアバターに蘇生した者たちが復帰登録を終え、自分たちの居住スペースに戻りつつあった。その多くが、恒星反応弾の迎撃中に、榴散弾を食らって戦死した機動戦闘艇パイロットたちだった。

「なんだか身体がふらつくような気がするな。この前のアバターに変わったときよりも、扱いがぞんざいになってないか?」

「蘇生時間が短かったから仕方ないんだってさ。急激な運動とかはなるべく避けろって注意されただろう?」

「そんな状態で機動戦闘艇に乗りこんで戦えるのか?」

「戦闘行動の八十八パーセントは脳の働きで、残りの十二パーセントが身体能力なんだって。脳が働いてりゃ大丈夫なんじゃないの? あんたみたいな脳みそまで筋肉な人間はどうだかわからないけどね」

 そんなことを言い合いながら、居住スペースの中にあるリビングルームに入ってくる機動戦闘艇パイロットたちの前に、ウィリアムが立っていた。

「よう、ウィル。戻ってきたぜ」

 笑いながら近づくユージンの腕を、斜め後ろにいたメイが引っ張った。

「なんだよ?」

「空気読みなさい、って言ってるのよ!」

「空気?」

 怪訝な顔をするユージンに向かって、メイは視線を後ろに向けてみせた。その視線の先に、いちばん後ろを一人で歩いているエミリーがいることに気がついたユージンは、前に立っているウィリアムと、後ろにいるエミリーを交互に見比べてから、小声でメイに聞いた。

「ウィルとエミリーの邪魔をするな、ってことか?」

 メイは、小さくうなずいてみせた。

「そうよ、脳筋のユージンにしては、よく気がついたわね」

「そりゃあおれだって……あいつらの口げんかはおもしろいし……」

 ユージンの言葉を聞いたメイは、目をまん丸にしたあとで、顔に手をあてた。

「あきれた……小学生じゃないんだから!」

「じゃあ、それ以外になんの理由があるんだよ?」

 メイは黙ったままユージンの腕をつかんで、ずんずんと歩き始めた。

「あ、おい、なんだよ、どうしたって言うんだ?」

「いいから黙ってついてくる!」

 メイはユージンの腕をつかんだまま、早足でウィリアムの横を通り過ぎた。

 蘇生したパイロットたちの列は、笑いさざめきながら、立ちつくしているウィリアムの横を通り過ぎていく。そして、いちばん最後を歩いてきたエミリーが、ウィリアムの前に来て、足を止め、下を向いたままつぶやくように言った。

「やられちゃった……かっこ悪いよね、あたし……あんなでかい口叩いてたのに……笑っていいよ、って言うか、笑いなよ。いい気味だ……って」

 何も言い返さずに立ちつくしているウィリアムを見上げて、エミリーは言葉を続けた。

「何か言いなさいよ! わたしなんかと話もしたくないっていうの?」

 そして、ウィリアムの顔を下からのぞきこんだエミリーは、小さく目を見開いた。

「……泣いてるの? なんで?」

 ウィリアムは目をこすって、涙声で答えた。

「……もう会えないかと思って……アバターがあることは知ってたけど……蘇生に失敗することもあるって聞いていたから……」

「あたしに会えないからって……なんであんたが泣くのよ! そんなの変じゃない! おかしいよ! あたしがいなくなったら、みんな喜ぶはずじゃない!」

 ウィリアムは顔を上げた。頬を伝う涙をそのままにして、ウィリアムは叫んだ。

「そんなわけないじゃないか! 誰が喜ぶもんか! きみがいなくなって喜ぶやつなんかいない! きみが、粛清者にやられたとき……感応端末で繋がっている意識空間の中から、きみが、すぽん! と消えたとき。 何が起こったのか、わからなかった。でも、それは通信の途絶なんかじゃなくて……きみがやられたってことに気がついたとき。ぼくはどうしていいかわからなかった! ただ、怖くて怖くて……でも、それは人が死ぬってことが怖いっていうよりも、きみがいなくなっちゃうことが怖かったんだ!」

 ウィリアムはそこで言葉を切ると、エミリーの顔を正面から見つめて、一回深呼吸してから、ゆっくりと言った。

「ぼくは……きみが好きなんだ。きみがいなくなってしまうことが耐えられないのは、きっとそういうことなんだと思う……」

 エミリーは目を見開いたまま無言でウィリアムを見つめていたが、やがて、顔をしかめると小さく首を振って、あざけるように笑った。

「ははは、なによ、それ、意味わかんない……馬鹿じゃないの?」

「馬鹿なんかじゃない! きみが撃墜されてから、ずっと考えてたんだ! 新しいアバターになって、戻ってきたら、ちゃんと言おうと思って……言わなきゃいけない、言わなかったら……何も言わないまま、また、きみが落とされたら……と思ったら、絶対言わなくちゃ後悔するって!」

「やめてよ、気持ち悪い!」

 エミリーの叫びを聞いて、ウィリアムは凍りついた。

「なによ、それ、同情? かわいそうな女の子を、ボクが守ってあげるってこと? あんたが好きなのは、あたしじゃないわ! かわいそうな女の子を助けることができる自分だよ! かっこいいすばらしい自分に酔うために、あたしを利用しているだけだ! ええかっこしいの偽善者ってやつじゃない!」

 エミリーがそこまで言ったとき、ウィリアムが叫んだ。

「ふざけるな! 馬鹿にするな! もし、本当に、ぼくが自分が好きなだけの人間だったら、きみに、好きだ! なんて言わない! もし、好きだって言って……断られたら傷つく。自分が好きなら、何よりも自分が傷つくのが嫌なはずだ! 自分が好きで、自分に酔いたいようなナルシストでええかっこしいの人間が、傷つく覚悟で……断られるのを覚悟で、馬鹿にされて、笑われるのを覚悟で、好きだ、なんて言うもんか!」

 エミリーは、息を呑んだように立ちつくして、ウィリアムを見ていたが、やがて、表情を消して、つぶやくように言った。

「あたしは、誰かに好きになってもらいたいなんて、思ったことないんだ……悪いけど。あたしが死んでも誰も泣かない。泣かないどころか、あざ笑うに違いないって思って生きてきたんだ。笑いたけりゃ笑え、こっちからもおまえらを笑いながら死んでやるって……そうやって、意地張って、歯を食いしばって、生きてきたんだよ? なのにさ……なんで、そんなこと言うんだよ……」

 エミリーは下を向いた、目から涙が、ぽろぽろと落ちて、床に敷かれた撥水加工のカーペットの上に小さな銀色の球になって転がった。

「あたし……覚悟を決めたんだよ? 士官学校に行くって決まったとき……どうせ士官学校でも、貧乏人の痩せっぽちの女の子なんか、誰も相手にしてくれない。だったらこっちからケンカ売って、嫌われたほうが気が楽だ……って。だから、かたっぱしから噛みついてケンカ売って……でも、あんたは、ずかずかやってきて、あたしの覚悟なんか知らん顔で、普通に扱ってくれて……もしかして……もしかしたら、こいつなら、あたしのこと好きになってくれるかもしれないって、でも、そんなことあるもんかって、打ち消して。意地張って意地張って……休暇のときも、家に押しかけたら、きっと嫌な顔するだろう、あたしを嫌うだろうって思って……なのに、馬鹿みたいに喜んで……ホント、あんたの母親も、あんたも、おお馬鹿のお人好しで……なんで、こんなやつがこの世界にいるんだろうって……」

 リビングルームの真ん中でぽろぽろ涙をこぼして泣き始めたエミリーを見て、ウィリアムは焦った。

「あ……あの……ごめん!」

 思わず頭を下げたウィリアムを見て、エミリーは笑った、笑いながら泣いた。

「なんであんたが謝るんだよ! あんたのせいなんかじゃないのに! なんで、あんたはそんなにお人好しで、馬鹿なのよ! ドジで、間抜けで、ドン臭くって……なんで、あたし、こんなヤツ好きになっちゃたんだろう……もう最悪! 最低で最悪! みんなの見ている前なのに、こんなに泣いて、馬鹿みたい!」

 エミリーは右手の握りこぶしで涙をぬぐうと、その握りこぶしを突き出して、無言のままウィリアムの胸を、どん! と突いた。

「な、なんだよ……」

 面食らったようにまばたきするウィリアムから目をそらしたまま、エミリーが小声で言った。

「あとで……あんたの部屋……行くから」

「え?」

「何度も言わすな、馬鹿!」

 エミリーはそう言い残すと、そのまま走り出した。後ろから見てもわかるくらい耳が赤かった。

 呆然と見送ったウィリアムの後ろに誰かが立って、声をかけた。

「結局そうなったか……」

 ウィリアムが振り返ると、そこにリーが立っていた。

「リー大佐!」

 慌てて敬礼しようとしたウィリアムを制して、リーが笑いながら言った。

「堅苦しいのは抜きにしよう。まあ、おまえらはペア組んでいるわけだから、仲が悪いより仲がいいことに越したことはないんだが……男女の仲ってのは、あまり他人に見せつけないほうがいいな……」

「あ、はい、いえ、そんなつもりはなくてですね……あの……」

 言葉を探して慌てるウィリアムの肩に手をのせて、リーは言った。

「おまえは心配していないが、エミリーのほうが心配だな。ああいう子は、今まで押さえこんでいたぶん、タガがはずれるといっきに来るからな。バカップルになるのも悪くはないが、戦闘中にいちゃつくのだけはやめてくれよ?」

「あ、はい! それは当然です……」

「まあ、そんなふうに堅苦しく考えるな。適当に、今までどおりうまくいなして、つきあっていけ。おまえならできる」

 リーはそう言うと、もういちどウィリアムの肩をぽんと叩いて、笑いながら去っていった。