序  章


 東京の西部に位置するかりよせやまは、標高六百八十七メートルの低山で、山歩きをする人たちからは、隣接するうすやまいちみちやまとあわせて、くらさんざんと呼ばれ、親しまれている。

 この刈寄山の地下に建設された広大な西東京第一シェルターは、日本自治政府の主要機関の退避先として建設され、三万五千人の政府関係者と、その家族、そして七十五万人の一般市民が収容されている。この施設の最下層には駅が設置され、日本全国の主要都市に設けられたほかの基幹地下シェルターと深深度トンネルを走るリニア鉄道によって結ばれている。恒星反応弾が撃ちこまれ、太陽の表面爆発が発生すれば、地球の地表は壊滅的な被害を受け、太陽の爆発反応が収まったあとも、蒸発した海洋の水蒸気と熱せられた大気によって、激しい気象の混乱が続くことになる。人類にとって唯一の交通手段は、この地下のリニア鉄道だけになるのだ。

 この西東京第一シェルター内に設けられた仮庁舎の中にある日本自治政府の行政調査部第二課の執務室で、地球連邦政府から送られてきた通達を確認していた広報企画係の村田係長は、難しい顔になった。

「迎撃型機動戦闘艇の戦死したパイロットたちの、氏名と出身地などの個人情報を完全公開しろ、だと? 視聴制限なしでか?」

「はい、レキシム閣下からの要請だそうです」

 部下である宮田の報告を聞いて、村田係長は考えこむような表情でつぶやいた。

「アロイスの連中は、何を考えているんだ? 太陽系外縁部の戦いで、防衛艦隊が大損害を出したという事実の概要は、すでに公表されている。地球は今、滅亡か存続か、そのギリギリのところにあるということを、シェルターに避難しているほとんどの地球人が知っている。生活基盤を離れ、避難先のシェルターで不便な生活を強いられている一般大衆を、さらに不安にさせるだけだぞ? 暴動や騒乱が起これば収拾がつかなくなるとは思わんのか?」

 宮田は困ったような顔で、端末を指さした。

「そうは言われましても、連邦政府の上のほうから、そうするように、という指示を受けただけなので……疑問点があれば思念通話で聞いてくれ、とのことでした。担当は銀河文明評議会途上惑星教導推進省の東アジア担当第三課のイズスールというかたです」

「イズスール? 以前、地球連邦本部のバーチャル会議で話をした、タロムというアロイスの部下だった人だな……覚えているか?」

「あ、はい、わたしも覚えていますよ。確か、もう一人、ユラークルというかたがいました」

「若い女の子の名前だけはちゃんと覚えているんだな、おまえは……」

「アロイスは両性具有です、女の子じゃありませんよ」

「半分でも女の子に変わりはない」

 村田係長はそう言い返すと、感応端末に指を当てた。思念通話回路は直通通話になっていたらしく、ほとんどタイムラグなしで、村田係長の意識は相手の意識空間にリンクした。

『はい、途上惑星教導推進省東アジア担当第三課、イズスールです。お久しぶりですね、村田さん』

 村田の前には、見覚えのある若いアロイスが立っていた。若い、というのは村田から見るとそう見えるというだけで、実際の年齢はわからない。アロイスの平均寿命は地球人よりも長く、両性具有で端正な顔を持つという特質から、外見に加齢の特徴が出にくいのだ。

 村田は、イズスールと名乗ったアロイスと、簡単な挨拶を交わしたあとで、単刀直入に聞いた。

『情報開示の件でお聞きしたいのですが、太陽系外縁部における防衛戦で戦死した迎撃型機動戦闘艇パイロットの、氏名と出身地などの個人情報を公開するとのことですが、これはどのような理由があってのことなのでしょうか?』

 村田の言葉を聞いたイズスールは、げんな顔になった。

『情報の開示は基本原則です。太陽系が今どのような状況にあり、地球人は今、何をすべきか、その情報を与えるのは行政職の責務です。そして、地球を守るために戦った兵士がどこの誰なのか、それを記録に残し、伝えていくことは、地球人類の義務ではないのですか? 何を危惧されているのでしょう?』

『わたしは、二万を超える戦死者の個人情報が、人々に与える衝撃を危惧しています。確かに、太陽系外縁部での戦いについては、今までも情報は公開されてきました。しかし、それは正直なところ、地球上にいる人々にとって、どこか遠くの宇宙のかなたで行なわれている戦争であり、実感を伴わない、観念的なものにすぎませんでした、しかし、戦死したパイロットは、知らない星の、どこかの誰かではありません。自分たちの親族だったり、もしかしたら隣の家に住んでいた顔見知りの若者かもしれません、今までどこか遠くの世界のものだった戦争が、自分たちのすぐ隣にあるのだ、ということを知った人々は、恐怖を抱くでしょう。その恐怖は、シェルターに収容され不安をつのらせている人々を、暴動や騒乱に駆り立てる可能性があるとりようします』

 イズスールは、小さくうなずいた。

『あなたの危惧しているとおり、今回の、この二万人の戦死者という事実は、地球人に衝撃を与えるでしょう。しかし、それは紛れもない事実であり、いかなる理由があろうとも、われわれ行政の職にあるものが、隠蔽と思われる行動を取るべきではありません。秘密は必ず漏れます。それが明らかになったとき、人々の意識は当局の発表を疑うようになるでしょう。信頼関係を失った統治は絶対に成功しません。あなたがたの意識の中には、ぬぐいようのない一般大衆に対する不信感があるようですね。統治とは大衆を意のままにコントロールすることではありません』

 村田係長は苦笑を浮かべた。

『こいつは手厳しいお言葉ですな。確かに信頼関係は大事です。しかし、人間の心には猜疑心があります。疑う心そのものが悪いとは思いません。疑う心があるからこそ、人類はここまで進化してくることができたのかもしれません。ですが、その猜疑心は陰謀論を生み出す根源でもあります。都合の悪い事実を公表することで、人々が連邦政府を信頼してくれれば言うことはありません。しかし、どれだけ真実を公開しても、〝政府はもっと都合の悪い事実を隠している。われわれはだまされているのだ!〟という陰謀論によって人々を扇動し、避難シェルターに騒乱を起こす人間が出てこないとは言いきれません』

 村田の言葉を聞いたイズスールは眉をひそめた。

『陰謀論ですか……〝マスコミは真実ではない情報は流さない〟という事実を、〝マスコミが流さないから真実の情報だ〟と思いこむ人々のことですね。確かに、そういった論を張る人間はあとを絶ちません。しかし、そういった陰謀論をこわだかに訴える人間の多くは、自分は愚かな大衆とは違う大物だ、と思いこみたがっている小物にすぎません。実際に社会構造を変革できるほどの実力があれば、虚勢を張って自分を大きく見せる必要はないのです。つまり陰謀論を唱える人たちには、なんの力もないのです。もし、陰謀論を唱える人物の下に人が集まり、力を持つとしたら、それはあなたがた、政府機関が人々の信頼を失っているからです。良い情報だけを伝え、悪い情報を伝えないという方法は、人々を信用していないということの証左です。あなたがたがなすべきことは、良いことも悪いこともすべてを伝え、その上で同じ地球人類として、共に不自由を耐え忍び、共に運命を切り開こうと呼びかけることです。

 すべての地球人類が、ダイレクトに情報源にアクセスできる感応端末という手段を手に入れた今、恣意的な情報の制限や歪曲は、何ひとつ良い結果を生むことはないでしょう。逆を言うのならば、地球人が、そのような情報コントロールで統治できるようなレベルの愚かな種族なら、そのような種族は救うに値しません』

 村田は小さくため息をついた。

『〝地球人の試練とは、シュリシュクで行なわれた士官学校生たちの戦いだけを意味するのではない。冥王星軌道上の最前線で行なわれているしゆくせいしやとの戦いもまた試練のひとつであり、この地球上のシェルターの中でも自分たちのリテラシーを試されているのだ〟ということなのですね』

 イズスールは、少し首を傾げて考えこむように答えた。

『〝試されている……〟というのとは、少し違いますね。とうは自然の摂理であって、誰かの意志がそこに働いているわけではありませんから』

 村田は、イズスールがあっさりと口にした〝淘汰〟という言葉に少し驚くのと同時に、その言葉を選択した真意を考えた。

 ――アロイスの価値観は銀河文明評議会の価値観と言ってもいいだろう。つまり、銀河文明評議会は粛清者の侵攻を、人類の種に対する一種の淘汰圧と捉えている、ということだ。そして、その価値観の根底にあるのは、一種の諦観だ。恒星系の消失や種の滅亡は、あって当たり前だ、という価値観なのだ。だからこそ銀河文明評議会は、その淘汰圧の前に屈することなく、諦めることなく、その危機に対してあらがい続ける種族を助けるのだ。

 村田はイズスールの顔を正面から見つめて言った。

『わかりました。戦死者の情報公開に制限を設けることなく、誰でもアクセスできるように公共のデータベースに登録し、公開します』

『ご理解いただけたようですね、では、よろしくお願いします』

 イズスールがそう言って一礼するのと同時に、村田の意識は、刈寄山の地下シェルター内に設けられた東京自治区行政府の臨時庁舎の会議室に戻った。あれだけ長く意識の中で会話していたが、実際に意識空間にリンクしていた時間は、ほんの数秒でしかなかった。

 目を閉じて小さく首を振った村田を見て、宮田が心配そうに聞いた。

「大丈夫ですか? 係長……」

「あ、いや、大丈夫だ。どうもこの、体感時間と実勢時間のタイムラグには慣れないな……こいつを経験するたびに、止まっていた時間が急に動き出したような違和感があってね……」

「イズスールさんは、なんと言っていましたか?」

「〝地球人類のリテラシーを信用しろ〟だとさ……〝こういうネガティブな情報に触れたとき、恐怖に駆られてパニックになる人間よりも、正面から受け止めて、ならば何をすればいいのかを考えることができる人間のほうが多いと信じて動くべきだ〟とのことだ」

「市民をスポイルするのはやめろ、大人になれ、ってことなんでしょうね……」

「ああ、あらゆる場面で、地球人に幼年期の終わりが告げられているってことなんだろうな……この戦いは、地球人類が一人前になるための通過儀礼なのかもしれない。大人になれなかった種族は滅亡する。それだけのことだ……」

 村田の言葉を聞いた部下の宮田は、小さく肩をすくめると皮肉な笑いを浮かべて答えた。

「SNSや、ネットのコメントには、大人になれない人間の書きこみがあふれていますけどね……」

「確かに、太陽系防衛艦隊の戦いぶりを、ボロクソにけなすような発言があふれているが、それのほとんどは、しっかりしてくれ、という激励のような意思が含まれている。自分たちには何もできないもどかしさからくる叱咤しつたげきれいで、サッカーとか野球の試合でミスした選手を見て、文句を言うのと同じ理屈だ。中にはなんの根拠もないのに、本気で〝おれならもっとうまくやれる〟と信じている人間もいるようだがな」

「どんな場所でも、どんな物事でも、自分のほうが上位のマウントを取らないと納得できない。そういう人間が、アロイスが言うところのリテラシーの育っていない人類なんでしょうね……考えてみればそういう人間って、サル山のサルと同じ価値観なわけで、確かにサルの価値観でしか物事を考えられないのなら、淘汰されても文句は言えません。

 ホモサピエンスとして地球上に生まれ出て、二十五万年過ぎたんですから、そろそろ次の人類に進化してもいいころかもしれませんよね」

「現代人は、二十五万年前のホモサピエンスに比べると、骨格や内臓の代謝とかはかなり変わってきているらしいが、基本的な部分には変化はないそうだ。だとしたら、地球の人類に求められている進化の方向は、リテラシーや社会性とかの精神面、人間の内面の進化なのかもしれない」

「……難しいですね」

 宮田は、そうつぶやくように答えたあとで、窓の外に視線を投げて言葉を続けた。

「地下数百メートルに作られたシェルターだというのに、天井には青空が映し出され、太陽光線と同じ波長の光を発する人工太陽灯がその青空の中を動いて、地下シェルター内部の空間に、擬似的な日の出と日没を再現して地表と同じ環境を作り上げる……こんなとんでもないテクノロジーを見せられた上で、人類は進化したと言われれば、どんな人間でも納得せざるを得ないでしょう。でも、人間の内面は目には見えませんし、人々は内面に公権力が関与することを嫌うでしょう」

「内心の自由か……確かに何を考えようと何を思おうと、それは自由だ。そこに踏みこむことは許されない。だが、その思いや考えを口に出し、行動に移した時点で、それはもはや内面ではなく、その言葉と行動には責任が伴う。われわれが関与するのは、その表に出た部分だ。とはいえ、別に思想統制をするつもりも、一方的な価値観の強制をするつもりもない。われわれにできることは、当たり前のことを当たり前にやろうと呼びかけることだけだ」

「当たり前のことを当たり前に……ですか?」

「人の悪口を言うのは控えよう。嘘をつかないようにしよう。たがいに敬意と信頼を持って生きよう……このどれもが特別のことじゃないだろう? 社会生活を営むために必要な、当たり前のことだ」

 村田係長の言葉を聞いた宮田は、肩をすくめてため息をついた。

「当たり前のことですけど、そいつを当たり前にやってのけるのは、いちばん難しいかもしれませんね……」

「いきなり変われと言っても無理だ。でも、地球人一人ひとりが少しずつ変わることはできるとおれは思うし、そう信じている」

「キレイゴトですけどね」

 皮肉な笑みを浮かべてそう応えた宮田を見て、村田係長はうなずいてみせた。

「ああ、キレイゴトだ。だがな、おれはこう思うんだ。過去における戦争時の政府の広報ってのは、全部プロパガンダみたいなものだった。敵にわかりやすいレッテルを貼り、ののしり、敵愾心をあおりたて、憎悪と攻撃性を掻き立て、人々をきようさくに陥らせるために行なわれてきた。人間の心理の中にあるネガティブな感情……憎悪や攻撃性を駆り立てる言葉や方法を考える仕事は嫌なものだ。どんな人間の精神の中にある、誰もが目をそむけて仕舞いこんでいる、ドロドロに腐った黒いものを、底のほうから汲み出してきて、意識の上にぶちまけるような仕事だ。でもこの戦いで、おれたちに求められる広報は正反対だ。感情で動くな、理性を保て、よりよく生きろ、そう人々に呼びかける広報だ。こっちのほうが気分がいい、そうは思わないか?」

 宮田は、うなずいた。

「ええ、そう思います。実際、マンガでも映画でも、戦いは感情を高揚させてテンションを上げたほうが勝つ。主人公のテンションがそのままパワーになる、みたいな描写があって、誰もが戦いというのはそういうものだ、みたいな認識を持っています。でも、粛清者との戦いは、なんというか、もう人間のテンションの力ではどうしようもない次元にいっちゃってるような気がしますしね」

「どんな次元であっても、戦争は戦争であり、戦いとテンションには関係がなくなるわけじゃない。意志の力を見くびらないほうがいい。士気が高い部隊が優秀であることは間違いない。われわれがなすべきことは、熱き意志と理性を合わせ持て、と呼びかけることなんだと思う。どちらが欠けても戦いには勝てない、両方なければもっと勝てない、ということなんだろうな」

 村田は、そう答えると、目の前に置かれたモニターに視線を投げた。そこには、冥王星軌道上の基地からいっせいに発進する、何万という迎撃型機動戦闘艇のリアルタイムの映像が映しだされていた。

 ――あの迎撃型機動戦闘艇に乗りこんでいるパイロットは、すべて選抜徴兵された若者だ。地球とは、彼らがその命をかけて守るに足りる存在でなくてはならない。そうあらねばならない。それが地球に残った人間の義務なのだ。