あとがき
えー、毎度おなじみの宇野朴人、宇野朴人でございます。この度は、当方の著作『神と奴隷の誕生構文Ⅲ』を手に取ってくださり、まことにありがとうございます。当書は、通勤通学の列車の中、待ち合わせ時刻よりも少々早く着いてしまった喫茶店の一席、理由もない所在なさに眠れない夜半の布団の内など、皆様の人生に想定されるお手透きな時間の全てに万遍ない効能を発揮する画期的な書籍でございます。用法・用量を守った上で楽しくお読みください。
さて、三巻ともなれば、このあとがきを読んでいる皆様もさぞかし玄人揃いのことでしょう。行き過ぎた気遣いはかえって失礼というもの。私の独断で、もはや前置きは不要と判断します。
というわけで、今回は「遊牧騎馬民族」のお話をしましょう。
遊牧騎馬民族は最高にイカした連中です。馬を用いた高い機動力を有し、戦争がべらぼうに得意なくせに、拠点や定住地というものを基本的に持ちません。攻める側からすると、これは物凄く厄介です。歴史に興味がない方でも、かのチンギス・ハンの逸話は知るところでありましょう。
しかし、そんな彼らについて語ろうとする時、多くの史家は共通した障害にブチ当たります。それは古代の遊牧騎馬民族の大部分が残さなかった、あるものに由来するのです。歴史を知る上での大前提とでも言うべき道具を、残念極まりないことにも、遊牧騎馬民族の方々は残してくれなかったのです。
もうお分かりの方もいらっしゃるでしょうね。そう、それは「文字」です。
彼らは自らの文化、習俗、信仰──そういった諸々を自主的に文書化して残すことを、基本的にしませんでした。だからユーラシアの草原には、未だに古墳なのか道標なのかも分からない正体不明の史跡がゴロゴロしています。風のように現れて、風のように去っていく──それこそが歴史上における遊牧騎馬民族のスタンダードだったのです。
しかるに、そんな彼らの価値基準は極めてシンプルなものでした。いわゆるひとつの弱肉強食。我々作家とはどこまで相容れぬ存在と言えましょう。「ペンは剣より強し!」と主張したところで、彼らは我々が書いたものを読んでくれないのですからお話になりません。開き直ってペンを物理的に突き刺すのでなければ、こうなったらもう遜ってお願いするしかないでしょう、「どうか文字を残させてください!」と。だって、文字が無ければ作家も存在しえないのですから。後生ですから、私の最小構成要素と存在意義を同時に奪わないでください!
さて、遊牧騎馬民族にたっぷり戦々恐々としたところで、然るべき人々にお礼を述べましょう。きっちりと作品を読み込んだ上で、イメージと寸分違わないイラストを描いてくださる絵師のきくらげ様。筆が進んでいなかった所に尻を叩いて下さった担当編集の三木さん。執筆のラストスパートで毎晩のように居座っても温かくもてなしてくれたパブハウス「かくれ家」のマスター。
そして何より、こうして本シリーズの三巻を手に取ってくださったあなたに、最大の感謝を。