大平原の決闘



 セレィとヘィロンのけつとうが本決まりとなって以来、両者のほこりをけて争われるきようの取り決めが、三日がかりのろん綿めんみつめられた。そのおおまかなないようは以下の通りである。


・決闘の方法は、基本的には二組のたいによるだんたいきようである。

・ヘィロンの集落を始発点とし、そこからペィネ・ズォの集落、ヴマ・ズォの集落を経て、最終的に出発地点にもどってくる。競技全体で費やされる日数は八日ほどである。

・ヘィロンの集落からペィネ・ズォの集落までを第一競走、ペィネ・ズォの集落からヴマ・ズォの集落までを第二競走、ヴマ・ズォの集落からヘィロンの集落までを第三競走とし、それぞれの競走に固有のしようじゆんもうける。

・第一競走において、そうほうの騎馬隊はおのおの三十匹の万途羊ハルラ・アズイマともなって競走を行う。目的地へのとうちやくようした時間に加え、どれだけの羊たちを無事に連れて来られたかも勝利のじようけんとする。

・第二きようそうにおいて、そうほうたいは各々百匹の万途羊ハルラ・アズイマともなって競走を行う。しようじようけんは第一競走のそれにじゆんきよする。

・第三競走において、双方の騎馬隊はじゆんすいな競走を行う。この競走のみ、勝利条件はセレィ・メル・ロケィラとヘィロン・ザカ・トルキォスタのどちらが先に目的地へ辿たどりついたかどうかにゆだねられる。しかし競走のていで、両者は騎馬隊の仲間からを受けることが出来る。

・第一競走、第二競走、第三競走のいずれにおいても、けつとうあいに対するちよくせつてきこうげきぼうがいみとめられない。が、第三競走にかぎり、接戦になった場合の位置取り争い、ないし囲い込みなどはこうてきせんじゆつとして認められる。

・第一競走、第二競走に際して、双方の騎馬隊はつねに30ルハていきよたもたねばならない。

・第一競走、第二競走に際して、双方の騎馬隊は羊を馬に乗せてはならない。


 といった具合に、広大な中陸の大地をたいとして、遊牧騎馬民族ならではのおおかりな決闘がり行われることになっていた。

 じよおうまくばれ、最終的に決定した競技のぜんようあくしたサーリャは、しばしむずかしい顔で考えみ、セレィに向かって開口一番にこう告げる。

「当然だけれど、地の利があつとうてきに向こう側。……きびしい戦いになる」

 セレィはこくりとうなずく。決闘をいどんだしゆんかんから、それはとっくにかくしていたことだった。

「……今回もそなたの力をたのみとするところは大きいだろう。体調はじゆうぶんもどっているか?」

「それはだいじよう。完全にふく調ちようした」

 サーリャは力強く微笑ほほえんだ。顔の血色もよく、そこに無理をしている様子はじんもない。セレィはほっとあんしたが、それも一瞬のことで、すぐさま厳しいおもちになって話を続ける。

「……そなたも先ほど言ったように、ここが中陸の大地である以上、地の利は完全にヘィロン側にある。それをのうな限りちぢめるために、騎馬隊の面々にはサーリャ、そなたにはぜつたいに加わってもらいたいが……」

「もちろんしようの上。進路上のけいたんまかせてくれていい。私自身は馬をることが出来ないから、だれかの後ろに乗せてもらうことになるけれど……」

「それは大したたんではない。第三競走はともかく、第一競走と第二競走はすう万途羊ハルラ・アズイマを伴っての争いだからな。必然、馬の速度は羊たちのあしに合わせておさえられる。……むしろ私が心配なのは、そなたの──」

「乗り物いは気力でまんする。ちゆうの集落できゆうけいはさめるし、競技のにつていが全部で八日程度なら大丈夫。……さすがに最後まで能力が落ちないとは言い切れないけれど」

 やや不安げなひようじようのぞかせながらも、サーリャは望んで競技に参加すると言った。そのけなさに目頭が熱くなるのを覚えつつも、セレィはかぶりをって作戦会議を続ける。

「……進路の途中では、掠畜獣ドフスハツドンを始めとしたけものどものしゆうげきも予想される。騎馬隊が相手をする分にはそうおそろしい相手でもないが、羊たちを無事に集落まで連れて行くのがしようじようけんである以上、のうかぎやつらをたいれつせつきんさせたくない。……となれば、ここは有翼種クロトアきゆうじゆつたよらぬ手はないだろう」

 東方よりともなってきた有翼種クロトアの中から、コリォをふくむ十数人のだれれをたいの人員に加えようとセレィはていあんした。サーリャもそれにはさんどうする。騎馬隊をこうせいする馬の数には四十頭というせいげんがあるが、ひとつの馬に二人以上が乗ってはいけないという決まりはない。馬の速度がさほど求められない第一きようそう・第二競走では、彼女らは羊のしゆしやとして大いに役立ってくれるはずだった。

「このけつとうが終われば、次の四満月はもう目の前だ。……何としても勝たなければな。クルァシンにろうほうかせたい気持ちは、私もそなたといつしよだぞ、サーリャ」

 いつくしむひとみでセレィは言った。サーリャは何もこたえず、ただかすかにほおを赤らめて、じよおうからぷいと顔をそむけるのみだった。



 決闘開始の朝はどんよりとしたくもり空だったが、雨はっておらず、くもの様子から今後しやりになるようなはいもなかった。てんじゆんえんの取り決めは無いので、これはセレィとヘィロンの両方にとって幸運だったと言えるだろう。

そうほう、騎馬隊を前へ!」

 号令におうじて、セレィとヘィロンを先頭とする二組の騎馬隊が整然と前に進み出た。セレィの側は四十頭の馬に対して三つの民族から五十三人の人間が乗っているが、ヘィロンの側は四十頭の馬に有角種ユルフイネクの騎手が四十人という王道を行くこうせいである。ほこりをけた決闘である以上、一切の小細工を用いるつもりはない──平原をべる王者の横顔が、暗にそう告げていた。

「セレィ。馬肉を食う羽目にならんことをいのるぞ」

 出発の直前になって、ヘィロンがそんな言葉を決闘相手へと手向けた。たんにむっとした顔になったセレィに、そのななめ後方でクェッタのまたがる馬に相乗りしているコリォが、こっそりと目の前の有角種ユルフイネクに問うてみる。

「……あの、クェッタ殿どの。今のヘィロンの言葉は、どういう意味でしょうか?」

有角種ユルフイネク流のですね。……騎馬民族であるわれわれにとって、馬は何よりも大切なあいぼうです。その肉を食べなければならないということは、有角種ユルフイネクとしての最後の誇りすらなげうたねばならないほどのぜつたいぜつめいきゆうおちいることを意味します」

 クェッタはふんぜんまゆせた。揶揄の内容もさることながら、ヘィロンの言葉には明らかなあなどりの意味が含まれていたからだ。

「……ちゆうこくとして受けておこう」

 セレィはいらちをむねの内におさみ、ここではさいな皮肉を返すこともしなかった。……導神ならば、あるいはサーリャであっても、相手のあなどりはぎやくに好都合であるとはんだんするだろう。であれば、このくつじよくは最終的な勝利をもって晴らせばよいだけのこと。

(こちらのじんえいに不足はない。ゆうぶった顔が青ざめる時を楽しみにしているぞ、ヘィロン!)

 セレィが心中でどくづいたしゆんかん、いよいよけつとうの開始を告げるの音が鳴りひびいた。そうほうかんが号令を下し、馬と羊がつちぼこりき上げて前進を始める。ややおくれてかんやくしゆがそれらの後を追って行った。……集落に残された人々がかたんで見守る中、エナ・ガゼに住まう全ての民族のすうせいうらなう一戦がまくを開けた。



「……ずいぶんと先行をゆるされているな」

 馬上のセレィがいぶかしげにつぶやく。出発から数時間をて、セレィひきいる騎馬隊と羊たちは、ヘィロンのしゆうだんが後方にかろうじてもくできるていきよまで差を広げていた。万途羊ハルラ・アズイマの体力に合わせた前進なのだからあしおさえられるのは当然としても、りようじんえいの速度にはかなりのちがいがある。

ゆうを見せているつもりなのか……。あるいはクェッタ、われわれの方はどうだ。しきしない内に脚を速めすぎてはいないか?」

「いえ。それは私もつねしきしていますが、目的地であるペィネ・ズォの集落までのきよを考えるのなら、これがさいぜんの速度だと思います。よほど羊の体力をおんぞんしたいのなら話は別ですが、今回はその意味がありませんし」

 クェッタは自信を持って言い、セレィもそれに同意のうなずきを返した。彼の意見はだれの耳にもとうである。というのも、続く第二きようそうで使用される羊は一番目の集落で新たに仕入れられるため、きよくろんを言えば、今連れている羊たちの体力は第一競走の時点で使い切ってもかまわないのだ。

「ヘィロンたちの進み方に意味があるとすれば、これからよほどのなんしよえていくか、それをかいしてわれわれよりもはるかに長い距離を進んでいくつもりなのでしょう。……しかし、山脈にせよきようこくにせよ、この先にそのような難所があるとは考えられません」

たしかに……。我々が持ち込んだ中陸の地図は古かったが、アヌビシアを出て最初にいたセン=グォン殿どのの集落で、こうして最新の地図をゆずり受けている。古地図とくらべても地形的に大差はないし、平らな土地が続くばかりで、難所などひとつも見当たらん」

 セレィは思いつくかぎりののうせいこうりよしてみたが、考えれば考えるほど、ヘィロンたちの行動は自分をあなどっているがゆえげんに思えてくる。出発時にびせられたおくとも重なり、彼女はしていくばかりのいらちを持てあましながら馬を進めねばならない。

 鼻からけるどくとくの鳴き声を上げながら、隊列の真ん中に囲いまれる形で、三十匹の万途羊ハルラ・アズイマたちがけいかいに平原を走っていく。人のじように関わりのない彼らはいたってのんなものだ。それからさらに数時間がけいし、もはや後方にかげも見えないほどヘィロンらとの差が開いたころになって、じよおうの真後ろで兵のる馬にあいりしていたサーリャが、とうとつに声を上げた。

「──へい、ヘィロンのたいが進行方向を変えた!」

「何!?

「目指す集落の方向よりも、ずっと西の方に向かって進んでいく。私にも意図が読めない」

 そのほうこくによって隊列の全体がざわついた。しばらくクェッタとセレィ、そしてサーリャを中心に意見のこうかんが行われたが、それもほとんどせんこく話し合ったないようり返しにぎない。

「……サーリャ。そなたの耳で、この先に難所があるかどうかをはんだんできないか?」

 セレィに問われたサーリャは、馬の側面にそなけられたふくろからとバチを取り出し、それを一度だけ強めに打ち鳴らした。しばしざして耳をませてから、彼女はやはり首を横にってみせる。

「……少なくとも、山や谷といったきよくたんな地形の変化がないことはかくしんをもって言える。ここから目的地の集落まで平らな道程みちのりが続くことはちがいない。その上でまだ、迂回せざるを得ないような難所というものがそんざいする可能性を、だれか思いつく人はいる?」

「少なくとも私には思いかびませんね。……思うにヘィロンらの行動は、最初こそゆうぶってはみたものの、今になって私たちとの差が開きすぎたことにあせりを感じ、我々が中陸の地理にれなことをたのみにして、こちらのどうようさそおうとしているのではありませんか?」

「……たしかに、サーリャの耳でたいの動向をあくされていることは向こうもしようだろうから、そういったさぶりをかけてくることも考えられるが……あのヘィロンの用いるせんじゆつとしては、いささかおまつぎる小細工だとは思わんか?」

「私もそう思う。……でも、その他にのうせいかばないのも事実」

「……そうだ。サーリャ殿どの、ヘィロンたちの会話を直接聞き取ることは出来ませんか?」

「無理。向こうもそれをけいかいして、ここまでほとんど無言で進んで来ている。……ゆいいつ聞き取れたのが、ついさっきヘィロンが発した、『西へ向かう』という号令だけ」

 サーリャのちようほうかつどう、悪く言えばぬすみ聞きに対して、ヘィロン側はけつとうかい以前からぼうてつていしている。たんてきに言えば、彼らは作戦会議の類を事前に一切行っていない。全てのせんりやくはヘィロンのむねの内でられ、彼にひきいられた兵たちはげんで命令を実行するのみ。そのてつていぶりにはさしものサーリャもしたいた。

「……ほうこうてんかんみ切る理由がない。ヘィロンらのおもわくはさておき、われわれはこのまま直進だ」

 セレィの出したけつろんだれもがなつとくせざるを得ない。どこかしやくぜんとしない思いをかかえながらも、彼女らはそのまま一定の速度で前進を続けた。……そんな彼女らが、ヘィロンの取った行動の真の意味を最悪のじようきようで知ることになるのは、もう少しだけ後の話になる。



(さーて、連中が出発してからずいぶんったな。……そろそろ動くころあいか)

 セレィとヘィロンのひきいる騎馬隊が集落を発ってから半日以上がけいし、七つの月のいくつかが夕焼け空にしらじら姿すがたあらわし始めたころ、丸太組みのろうごくの中にきのじようたいとらわれている〝神狩り部隊ヴエル・グルン〟の一員ギロは、だつしゆつさんだんを実行にうつそうとしていた。

(そろそろりの兵がめしを運んでくる時間だ。……っと、うわさをすればだな。ちっとばかし身体からだに無理をさせるぜ)

 ろうの外からひびいてきた足音にくと、ギロはつぶってかくを固め、一定のリズムでどうを続ける自らのしんぞうに意識を向けた。そうして、本来ならずいきんによってどうするはずのその臓器を、とくしゆくんれんもとづくたいないそうによって強引に沈黙させる

(うぐっっっ……おおぉぉぉぉ………ッ!

 ギロは必死につううめきをかみ殺す。──まずはばくはつてきげきつうむねからこみ上げた。ついで全身の血流がとうとつえたため、身体のまつたんから順番に血の気が失せていき、顔面はそうはくえたつちいろに成り果て、苦痛にみだされていた思考すらおぼろげにかすんでいく。──かくして誰のにも死体としか思われない人体がひとつ出来上がり、丁度そのころあいで、見張りの兵士がりよのための食事を運んできた。

「おい、飯だ……うぉっ!?

 白目をいて横たわるギロの有様を見るなり、有角種ユルフイネクの兵士はぎょっとして食器を取り落とした。一兵卒にぎぬ彼とて、長きにわたったオルワナとのいくさで死体はれている。そのいつしゆんはんだんしたのだ──「これは完全に死んでいる」と。

「ほ、ほうこくだ……! クェッタ副長はいないから、とりあえずウチの小隊長に……!」

 りよようだいに変化があった場合、絶対にげんの判断でろうを開けることはせず、いつこくも早く上官をぶ取り決めになっている。兵士はどうようしながらもその決まりをじゆんしゆした。彼に呼ばれてすぐさまやって来た上官は、牢の中のギロの様子をしんちようぎんする。

「……たしかに、生きているようには思えんな……。だが、びようや死んだふりにはじゆうぶんに注意しろとのへいもある。ここはねんには念を入れて、本当に死んでいるかかくにんしてみよう」

 そう前置くと、上官は見張りの兵士からながやりを受け取り、丸太組みの牢のすきから中にそれをし込んだ。き状態のギロの身体からだから、わずかにしゆつした足先、指先、ほおつらを、するどい切っ先でようしやなくいていく。新たに開いたきずぐちから血が流れ出したが、どれだけげきしてみても、ギロの身体は横たわったままぴくりとも動かなかった。

「……うむ、これは完全に死んでいるな。やつかいなことになってしまった」

「どうしましょう。こういう場合の指示は受けていませんが……」

「いや、それは私が陛下からうけたまわっている。りよよういんで捕虜が死んでしまった場合、なるべく死体がいたまないようにしよした上で、冷暗所に安置しろとのことだ。……自分の命をねらってきたかくに対してもを欠かさない。セレィ様らしいこうけつしよぐうではないか」

 上官は感じ入った様子でつぶやいた。……実のところ、捕虜が死んだ場合のあつかいについてセレィに進言したのはサーリャである。れいな形でたいを残しておけば、後のこうしようで取引材料として生きるのうせいが残るからだ。

「さっそく始めるぞ。ナムァ、お前も手伝え」

「はっ、はい……!」

 命令された兵士が重いかんぬきき取ると、ひさかたぶりにろうごくとびらが開け放たれた。二人の兵士は身をかがめて中に入っていき、簀巻きじようたいなきがらを目前にすると、そこにゆっくりと手をばす。

「思えばおんみつしようがいというのもびんなものだなぁ……。きようから遠くはなれたきようの地で、親しき友にも親兄弟にもられることなく、うすぐらい牢獄の中でいきえるのだ。われらの君主を害せんとした事実はゆるせぬが、そこは陛下の慈悲を我らも借り受けて、死体の扱いくらいはひとみにしてやっても良かろう……」

 どうじようおもちで呟きながら、上官の兵士は部下の手を借りて亡骸をいましめからき放っていく。まずは簀巻きに使っていたぎ取ると、今度はいくにも身体をしばけるあらなわを何とかする番だ。ひとつずつ結び目をほどいていっては手間取りすぎるので、二人の兵士はこしもとからき放った刀であらなわを一息にせつだんしていった。──そのせつ

…………ありがと、よ」

 真っ白に血の気の失せた死体のみぎうでが、にぎりのあまかった兵士の手からいつしゆんで刀をうばい取る。──さんげきは一瞬。意識も肉体も半ば以上死んだままのギロは、それでもなお〝神狩り部隊ヴエル・グルン〟の一員としてさいぼうすみずみまでたたき込まれたあんさつじゆつじつせんし、まずは上半身の側にかがみこんでいたものくびすじを一息に切りいた。

「かっ……!?

 悲鳴を上げるひまもなく、上官の兵士は前のめりにたおした。残った部下の方も、想定外のたいを前にしてとつ身体からだこうちよくけない。捕食者ギロの側から見ればかなしいほどにぶすぎた。そくに身をひるがえして逃げ出せば、まだしも生きびられるのうせいがあったものを──。

「じゃあな」

 ぽかんと開いたままだった兵士の口に、ギロの握った刀がぞんざいにき入れられる。したに冷たいきんぞくの味を感じた瞬間には、もうせいしやの後頭部からはがねかがやきが飛び出していた。何のていこうしめせずに兵士の身体がくずおれる。だが、それをぞんざいにはらいのけた瞬間──ギロのりようからけつるいほとばしった。

(ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぅ…………!

 ちんもくしていたしんぞうが活動をさいかいし、ギロの全身の血管をてつぽうみずのような血流がめぐる。強引なしんぱいていだいしようは果てしなく大きい。げきれつな不整脈によって生み出される血流のぼうそうがあらゆる臓器と血管をいためつけ、指先やがんきゆうぜいじやくな毛細血管は次々とれつする。

 真っ赤にまったかいの中、のどけるまでぜつきようしたいしようどうを押し殺しながら、ギロはたつまきのようにくるたいないかんきようが落ち着きを取りもどすまでしんきゆうり返す他になかった。強制しんぱいていによるじようたいへのこうから、しんきんそうによるどくりよくでの心肺せい……おんみつとして一流ののうを身にけた〝神狩り部隊ヴエル・グルン〟隊員たちでさえも、【命知らず】のみようで知られるギロをのぞけば、だれもが出来るかぎり使うことをけたがる切り札である。

「……ぜひゅぅ、ひぃ、ぜひゅぅ……よぉぉし、今度もどうやら、生きて帰ってきたぜぇ……!

 ひとりつぶやくギロのひようじようには、じようじんが見ればおぞつようなきようじみたえつかんでいる。──これがたまらない、と彼は心の底から思う。死線の一歩手前からかみひとせいかんするかいかんは、他のどんなよろこびでもえのかないものだ。

「はぁ……はぁ……さっさとげっか……。ゼルたちも首ィ長くして待ってるだろうな……」

 そう口にしている間にも、ろうの外からは多くのあわただしい足音がひびいてくる。サーリャの後を引きいだ『聴士ラルゴウ』がへんいてほうこくしたのだろう。ギロものんびりしてはいられない。

 本調子からはほどとおい体調で、それでもばやく兵士からぎ取った衣服をむと、ギロはそのままろうごくけ出し、兵たちの眼をたくみにくぐりつつ、ゆうれの集落を走りけていった。



 完全にの光が失われた夜半の大平原、なおも月明かりと星をたよりに目的地へと進んでいたセレィたちだったが、ある時ふと、じよおうとなりを走っていたクェッタがへんに気がいた。

「──へい、お待ちを! 羊たちの様子がおかしい!」

「む……!?

 副官の求めにおうじて、セレィの号令がたいの進行を停止させる。そくに馬からりたクェッタは、近くにいた一匹の羊のもとに走りってかがみこみ、その足のうらをつぶさにあらためた。

「やはり……! みな、馬から降りて近くの羊をてやってください! 足をしているものがいるはずです!」

 副官のただごとではない口調にされて、他の兵たちもあわてて手近な羊の足をかくにんする。ほどなくクェッタが予想した通りの結果が出た。れ全体の三分の一近い九ひきの羊が、足の裏にきずを負っていたのだ。

「しかし分からない、どうしてこんな怪我を……!?

 クェッタのもんだれそくとうできない。集落を出発してからというもの、ここにいたるまでに何ら特別なごとはなかったはずである。無理な速度で羊たちを走らせた覚えもない。夜をてつしてどうを続けていることはたんかもしれないが、そのていで足をいためるとは考えづらい。

「……夜を徹した移動……夜を徹した……夜を?」

 が、そこでセレィののうひらめくものがあった。それを確認するために、彼女も馬から降りて地面に屈みこむ。ただし、羊の足を診るためではない。見なければならないのはやみしずんだ大地そのものだった。

 女皇が地面に手をけると、じゃり、とかわいた小石がてのひらに食いむ。さらにさぐりで辺りを調べるが、平原のつねであるやわらかなしばかんしよくはまばらにしかそんざいしない。その事実をあくしたしゆんかん、セレィはようやく羊たちの身に何が起こったのかかいした。

「まずいぞ……ここはれきたいだ! 万途羊ハルラ・アズイマの足には道が悪すぎる!」

 セレィは自らのせんりよぎしりしてさけんだ。さもあらん──それがすなわち、セレィらのたいが知らずおちいってしまった文字通りの窮地であった。

 万途羊ハルラ・アズイマの足には地球アースの羊のようなひづめはなく、むしろねこ動物のそれにている。彼らのせいそくいきほん的に草原地帯であり、進化のていで柔らかな芝生の上をけることに特化したため、かたじやみちには足裏の強度がたいおうしていないのだ。

 この事実に今までセレィたちが気付けなかったのには三つのげんいんがある。ひとつには草原地帯から砂礫地帯へと至る地表のへんせんゆるやかであったこと。ふたつには日がれたことで地面の様子が分かり辛くなっていたこと。三つには彼女らのきようロケィラに、このような砂礫地帯がほとんど存在していなかったことだ。そうした不運が重なった結果、羊たちが足を引きずるまでたいけなかった。

「……してやられた。ヘィロンの隊が進路を変えたのはこれが理由か!」

 セレィはぎしりしてじやこぶしにぎめた。──とにかく、この事態をどう切りけるべきか? 道程みちのりは半ばをぎたとは言え、目的地であるペィネ・ズォの集落まではいまだ長いきよがある。無理に羊たちを歩かせれば、足裏のはどんどん悪化していくだろう。

「……サーリャ! このれきたいがどこまで続くか、そなたの耳でかくにんできるか!?

「私のちようかくしゆはんでも終わりが見えない。……むしろ、ここからさらに道は悪くなっていく様子」

 やみまぎれてはいたが、サーリャの顔色もやはり青ざめていた。『聴士ラルゴウ』の少女はこのきゆうせきにんを感じていた。「この先になんしよがあるか」と問われた時に、羊の足にげんていしたそれを想定できなかったからだ。生まれも育ちもアヌビシアの森林で、平原での遊牧などけいけんのない彼女に、それを予想しろと言うのがそもそも無理な話なのだが……。

 そくの事態にこんらんするたいの面々を、位置的にも心理的にもざまから見守っていたかんの兵が、たんたんとした声で注意を飛ばす。

「セレィ殿どの。改めて言っておきますが、羊を馬に乗せて運ぶのははんそくです。そうしたこうを行った場合、だいいちきようそうの勝者は自動的に大首長ヘイロンとなりますので、よくよくお気を付け下さい」

 競走を監視する兵には、セレィの騎馬隊にはヘィロン側の人間が、ヘィロンの騎馬隊にはセレィ側の人間が当てられている。競技の公正を期すための当然のはいだったが、中陸有角種ユルフイネクの彼にはずっと前からこの事態が予想できていたのだと思うと、注意をうながよくようのない声ですら、セレィには自分をあざけるものにこえてならなかった。

「ッ……、しようしている……! くっ、何か手立てはないものか……!」

 セレィとクェッタがけんめいかいさくさぐっているところで、サーリャがはっとして首をめぐらせる。げ場のないきゆうにあって、彼女の耳がさらなるきようほうとらえたのだ。

へい、後方からけものれがやってくる! 数は四十弱、おそらく掠畜獣ドフスハツドンの群れ……!」

「……どうやら血のあと辿たどられましたね。凶事はさらなる凶事をぶものとは言いますが……」

 クェッタの声にはすでかくが宿りつつある。こうなってしまった以上、もはや勝負にこだわってはいられない。最悪第一競走の勝ちをててでも、自分と羊たちの身の安全を守り切ることがさいゆうせんになる。そのぶんすいれいに関しては、セレィもあやまりはしなかった。

「……この足場で羊たちに無理はさせられない。かといって全ての羊を馬に乗せて走っては速度あしが落ちてしまい、いずれこうはいから掠畜獣ドフスハツドンどものしゆうげきを受けることになる」

 となれば取るべき選択もひとつにしぼられた。じよおうは後方に首をめぐらせてコリォに目配せする。その意図を受けて、有翼種クロトアの少女はめたおもちでうなずきを返すと、すぐさま地へり立って弓をかまえた。騎馬隊がともなってきた他の弓手たちも続々と同様のしよを取る。

「騎兵は羊を囲いめ! 相手はこうかつな獣たちだ、何があっても決してすきを見せるな! 連中のそうとうむまできようそうのことはいつたんわすれろ! 人のせいはもちろん、羊一匹でもやつらのきばにかかれば、その時点でわれわれの負けだと思え!」

 セレィのげきれいに大声でこたえて、へいたちも各々のながやりを手にしていく。……人々のきんちようを察した羊たちが弱々しくおびえの鳴き声を上げる中、やみしずんだ平原の地で、人とけものの血戦のまくが上がろうとしていた。



 どうこくりよきようぐうからだつしゆつしたギロは、手負いの身体からだむちって、道なき平原をひたすら北にけ抜けていた。ぜいぜいと息を切らせて走る彼のかいに、三つの影がこつぜんあらわれる。

「おぅ、むかえサンキュ。……そして悪い、ずいぶん待たせちまったな」

「待つだけではまないたいも覚悟していた。……よく自力でせいかんしてくれたな」

 そう言ってゼルはギロのかたを軽くたたいた。バズは肩をすくめて、リガは率直にあんめ息をつき、それぞれギロのの手当てにうつっていく。手足のそうしように消毒と止血をほどこされながら、ギロは「いてててて!」とえんりよなく悲鳴を上げた。

「……手足のまつたんが内出血しているね。また『死んだふり』をやったのかい?」

「ギッチギチにしばられた上できにされてたからな。びようにゃけいかいされてたし、しゆだんを選んでるゆうはなかった」

大人おとなしくこうしようを待つほうしんだってあったろうに。毎度毎度、ギロの命知らずにはあきれますよ」

「そう言うなって、生きて帰って来たんだから結果オーライだ。それなりの土産みやげばなしもあるしな」

 きずの手当てが終わったのを見ると、ギロはその場にどっかりとすわみ、リガからわたされたぼうじようけいたいしよくりようをがつがつとむさぼり食った。そのまま三本ほどはらおさめたところで、彼はおもむろに死線から持ち帰った成果をほうこくし始める。他の三人はしばしそのないように聞き入った。

「……どうめい勢力のしゆどうけんめぐけつとうか。これはまた、向こうにもきよくたんれつが走ったものだな」

「こっちは標的が二人にえましたね。セレィ・メル・ロケィラとはタイプがちがうけど、ヘィロン・ザカ・トルキォスタのりよくしゆてきとうそつりよくあなどれないス。同盟であれせいふくであれ、エナ・ガゼのしよこくがひとつにまとまるのはアルマダのしよくみんかいせいさくにとって好ましくない。みんしゆうみちびくカリスマせいを持つ人間は、こっちのかいらいに出来ないようなら、今のうちに残らずはいじよしておかないと」

「で、今はそのためにぜつこうの好機でもあるわけだね。二人の標的は少人数の騎馬隊を組んで競走を続けている。必然、集落に立てもっていた時よりもずっとすきおおい」

「そーゆーことだな。すぐに追って行ってのどぶえっ切ってやろう……と言いたいところなんだが、ホント悪ぃ、ちょっとそれはムリだ」

「見れば分かる。今のお前には休息が必要だ」

「正直それもあるけど、もっとめいてきな理由があんのよ。……けつとうの内容についちゃ、ないしゆうおんそうを使ってぬすみ聞きしてたんだけどさ。使ようげんかいかんしきして休み休み使ってたら、結果的に具体的な順路までは聞き取れなかった。さすがのおれも『意味性の崩壊ゲシユタルト・ブレイク』はこわいんでね」

 ゼルはしぶい顔でうなずいた。せっかくの好機を活かせないことにもんもんとするバズとリガに、ギロはにやりと笑って不意打ちのろうほうをもたらす。

「安心しな、こちらから追っていく必要はねぇぜ。むしろねらうなら決闘の最後だ。……レースの具体的な順路こそ聞き取れなかったけどよ、この決闘が全部で三つのきようそうから成り立つこと、三つ目の競走のしようさいなルールはキッチリあくしてる。それにればだな……」

 ギロがていあんする作戦の詳細に、他の三人がきようぶかく耳をかたむける。──一敗地にまみれたていでは、標的をまつさつせんとする〝神狩り部隊ヴエル・グルン〟のしゆうねんにはじんおとろえもなかった。



 トルキォストルのぞつこくに当たるペィネ・ズォの集落に、ヘィロンのひきいるたいは出発日のよくじつの正午ぎに辿たどりついた。それに合わせて、事前に早馬でれんらくを受けていた牙種ヤシユタルガ長爪種イゼイリグら集落の住民たちがおうらいならび、うやうやしくひざまずいてはいしやとうらいむかえる。

「馬と羊をきゆうしやみちびけ。それから、おれたちに水と食事を」

「万事整えておりまする。羊とお馬様はせきにんをもってあずかりますゆえ、みなさまはこちらに……」

 長爪種イゼイリグの老人に案内されて、ヘィロンの配下の兵たちが続々と集落のおくに入っていく。しかしヘィロン自身はその列に続こうとはせず、集落の入り口に立ってきびしいおもちで外をながめた。げんに思った牙種ヤシユタルガむすめおそる恐る声をかける。

大首長ヘイロン様……? あの、まつきようしゆくですが、奥のしきに食事のご用意が……」

「おれの分はここに運べ。水と肉とパンがあればかまわん。……それとを用意しろ」

「は、はぁ。こころのままに……」

 相手の意図がわからずにこんわくしながらも、むすめは言われた通りにしきから食事とを持って来た。それでは食べにくかろうということで、男手を借りてりつつくえまで持ってくる。そんな彼女らに対しては礼のひとつも返さぬまま、ヘィロンは集落の入り口にどっしりとすわった。

「……来たか」

 用意された食事を彼があらかた平らげたころ、地平線にうっすらと騎馬隊のかげが見え始める。馬の速度あしはかなりおさえているようで、全体の進行速度はいかにもおそい。だがヘィロンはれることなく待ち続ける。やがて集落にとうちやくした騎馬隊の、その先頭でこうべれる有角種ユルフイネクじよおうに、ヘィロンは椅子にこしけたまま声をかけた。

「大平原のせんれいを受けた感想はどうだ、セレィ」

…………

 セレィは答えず、馬からりて他の兵たちに羊に関するを出した。満足に地上を歩いている羊は全体の半数ほどで、残りは全てぐったりとした身体からだを馬の上にくくりつけられ、をした足には止血のためのぬのかれている。そして何よりも、その頭数が出発時よりも二ひきっていることを、ヘィロンはのがさなかった。

掠畜獣ドフスハツドンしゆうげきを受けたな。……だが、がいを二匹で抑えたのなら上々だろう。さらに半数の羊が無事に歩いているということは、れきたいに入ってから勝負をてるまでのはんだんはかなり早かったようだな。……さすがはおれのんだ女だ。ざまも堂にっている」

 それは必ずしもいやではなく、ヘィロンは半ば以上本気でセレィをめていた。だが、それが分かるからこそ、じよおうは自らのなさにむねえぐられる思いだった。自分からけつとうなどと口にしておきながら、彼女はいまだヘィロンにとってのきようそうあいにすら成りえていないのだ。

「そう落ち込むな、セレィ。へいぼんかんであれば半数以上の羊を失っていただろう。おまえはよくやった」

「……私のせんりよまねいた敗北だ。てきなぐさめなどらん!」

 セレィは強いせんでヘィロンをにらみつける。そのはくさえもそよかぜのように受け流し、集落の住人に案内されて去っていこうとする彼女らに、平原の王者はなおも野太い声を投げる。

ぜんからちゆうこくする。──ここで決闘の負けをみとめろ、セレィ」

「ッ、まだ言うか……!」

 じよくえかねたセレィがヘィロンのもとまで走っていき、空の食器がならぶ机を、こしもとからき放った太刀たちいつせんで真っ二つにってのける。とおきに様子を見守っていた人々が悲鳴を上げたが、当の本人たちは真っ向から睨み合ったままどうだにしない。

「……この決闘は三本勝負。たしかに最初の一戦は落としたが、これからばんかいすれば良いだけのこと!」

「その負けん気は好ましいぞ。だが冷静になって考えてみろ。それが本当にのうだと思うか?」

「……砂礫地帯のそんざいは想定外だったが、それも今回のけいけんで学習した。次の競走ではけて通ればいい」

余所よそもののおまえにそれはむずかしいだろう。砂礫地帯のはんは、季節や周辺住民の遊牧によって変わってくる。そのふくざつな変化をあくした上で最短の道を選んでいけるのは、この地を知りくしているわれわれだけだ」

 ぐ、とセレィは言葉をまらせる。その事実に対してははんろんの仕様がなかった。出足をくじかれた女皇に、ヘィロンはさらなる負のようを打ち明ける。

「それに加えて、次の競走にはまったく別のしようがいも待ち受けている。……おれがつねに身にけているこの毛皮が、何のけもののものか分かるか?」

 そう言って、ヘィロンは大地色のしようぞくに重ねた、にもあざやかないろの毛皮を見せつける。じっとあらためても、セレィにはその正体が分からない。彼女の生まれ育ったロケィラには、そんな色のみを持つ動物はいなかった。

「やはり知らんようだな。──これは緋獅子ルイオ・バルネシアの毛皮。この中陸の大地で最も美しく、最も気高い、最強のじゆうおうあかしだ」

緋獅子ルイオ・バルネシア……最強の獣王、だと?」

「そうだ。同時にそれは、おれが大首長ヘイロンしゆうめいするために乗りえなければならなかった最大の試練でもある。緋獅子ルイオ・バルネシアにはたいごとのなわりがあり、その中にみ入らないかぎり、がいを加えられる心配はほとんどない。だが、もし一歩でもそのりよういきおかす者があれば、彼らはそのつめきばをもってようしやなくしんにゆうしやきにする。……獣王のみよういつわりはない。おれですらきずではめられなかった」

 ヘィロンは自らの顔の傷を指ししめす。ほおからひたいにかけて一直線に走ったそれは、一歩ちがえればがんきゆうえぐり取っていたに違いない。それを改めて見たたん、セレィのすじせんりつけ上った。次のきようそうに待ち受けるしようがいとは、つまり……。

「……そうだ。ここから次の目的地であるヴマ・ズォの集落までさいたんきよで行こうとすれば、どうあっても緋獅子ルイオ・バルネシアの縄張りを通りけることになる。彼らのあしは馬の全力よりもさらに速い。対決はということだ」

「……っ。だが、先にそなたは言ったはずだな、緋獅子ルイオ・バルネシアの縄張りは個体ごとのものだと。いかに最強の獣王とはいえ、たいが総出でいどんでち果たせぬ相手ではあるまい。げんにそなたは仕留めたのであろう?」

たしかに仕留めた。……だが、おれと共に挑んだ二十六名のどうほうのうち、十八名はその場で殺され、五名はじゆうしようを負った後にいきえた。五体満足で生き残ったのはおれをふくむ四人だけだ。もちろん全員がかんぜんそう、しかもせいえいぞろいの騎馬隊で挑戦した結果だ」

 さしものセレィもぜつする他なかった。顔の古傷を指でなぞりながら、ヘィロンはたんたんねばり強く続ける。聞き分けの悪い子供をさとそうとするかのように。

「……第二競走では百匹の万途羊ハルラ・アズイマを隊列にともなうことになっている。騎馬隊をこうせいする人間の頭数よりもおおい羊たちを守りながら、中陸最強のけものである緋獅子ルイオ・バルネシアいどむというのか?ぼうと言ってもぼうきよと言ってもまだ足りん。そんなものはただの自殺だ」

 ヘィロンはものげなめ息をついた。それも心からセレィの身を案じてのものだろう。……たんじよおうしかと大地をみしめているはずの両足がらぐのを感じた。ぜつぼうてきじようきようを、他でもないけつとうあいからこんせつていねいに諭されて、くつじよくを通りして心が折れかけていた。だが、

「──そろそろおだまりを、ヘィロン殿どの。セレィへいに対して、それ以上のじよくゆるしません」

 ぜんとした声が女皇のすぐはいから発せられ、そのみみれたひびきが折れかけたセレィの心をはげました。──背中のりようよくかくするように広げつつ、女皇のじつまいにしてきつすい有翼種クロトア、コリォ・サリマニュィがそこに立っていた。

「右に同じ。だまって聞いていれば、さっきからけいなお世話もいいところ。……第一、れきたいのことはともかく、緋獅子ルイオ・バルネシアなわりをえていかなければならないじようけんは、たがいに同じのはず」

 コリォとならび立ったサーリャがさらにえんを飛ばした。セレィと強いきずなで結ばれた二人のみんぞくうとましげなで見やると、ヘィロンはふたたび重々しく口を開く。

「……いかに相手が最強のじゆうおうとはいえ、けものの縄張りにおびえながら中陸の大地を走らなければならないような男に、トルキォストルの大首長ヘイロンつとまると思うか? この毛皮を身にけているおれが隊列の先頭を走るかぎり、たとえ縄張りにんでも、緋獅子ルイオ・バルネシアおそって来ない。おれこそが平原の真のしやであることが分かっているからだ」

「……なるほど、なつとくした。でも、やっぱり余計なお世話。今回のきようけものりじゃない。あなたのように正面からめなくても、頭を使えばいくらでもやりようはある」

「サーリャ殿の言うとおりだ。……私たちは民族のきようかいを越えた絆で結ばれたどうほう。それぞれのわざと力をひとつにたばねれば、どんなしようがいでも乗り越えられる。たとえそれが最強の獣王であったとしても!」

 力強く言い切ったコリォのひとみかがやきを見て、セレィはじようきようかまわず妹をめてやりたいしようどうられた。……サーリャと同様にコリォもまた、導神ざいの間は、その代わりとなってじよおうささえようと心に決めている。その想いは今たしかに、絶望にくつしかけたセレィの心をぎわで救ったのだ。

「──彼女らの言うとおりだ。負けはみとめん、決闘はこのまま続ける。だんとしてな」

「……やり切れんな。よめむかえようという女を死地に送り出したくない気持ちをんではくれんか。はっきり言うが、緋獅子ルイオ・バルネシアに襲われた場合、羊をてて全員が散り散りにげ出したとしても、たいの半数はかくじつに死ぬぞ。おまえ自身が生きびられるのうせいも、はたして五分あるかどうか……」

「嫁うんぬんについてもそうだが、ゆうに頭をなやませるのもたいがいにしておけ。……次はわれわれが勝つ。ヴマ・ズォの集落で会う時こそ、そなたは対等のてきとして私を見るだろう」

 そう言い残すと、セレィは二人の少女と共にさつそうと身をひるがえして去っていく。その後ろ姿すがたを見送るヘィロンの口からは、無念とていねんの入りじった大きなめ息がこぼれるばかりだった。



しよくん、問題点はたんじゆんに二つだ。第一に、いかにして砂礫地帯を越えていくか。第二に、いかにして緋獅子ルイオ・バルネシアの縄張りをけていくか」

 集落の住人から借り受けた会合用の家屋の中で、セレィらは第二競走での必勝を期すべく作戦会議を行っていた。第一競走での敗北にしようちんしていた兵たちも、かんであるセレィがだんの調子を取りもどしたことで士気をふつかつさせつつある。次の戦いに向けての前向きな話し合いがてんかいしていた。

「……とりあえず、第一の問題について、思いつく中で一番かんたんな案を出しておく」

 真っ先に手をげたサーリャに、セレィが目配せして発言をきよする。

くつはとてもたんじゆん。出発地点からひたすらヘィロンのたいいて行く。これなられきたいまよむことだけはぜつたいにない」

「……うむ、そなたなら最初にその方法をていあんすると思った。だが、それは他に何一つ思いつかなかった場合の最後のしゆだんとして取っておきたい。理由は言わずとも分かってくれるな?」

「……せんこくしよう。とてもむねってさいようできるほうしんじゃない。かんじようてきな問題をしても、そもそも作戦としてあなだらけ」

 セレィのはんのうまで完全に予想していたように、サーリャはすぐさま意見を引っめた。……今の意見によって、彼女はあくまでも自分の立場を表明したにぎない。それはすなわち、セレィの勝利のためならばよごれ仕事も辞さず、ごうせいのみを追求するという彼女のかくだ。

「私もそれは考えましたが、たがいの騎馬隊は30ルハのきよを取らねばならないという取り決めがありますからね。その方針を採用すると、結果としてつねに相手の先行をゆるすことになる。それでは必敗の作戦ということになってしまいます」

 クェッタが作戦の根本的なけつかんそくする。セレィは重々しくうなずいて見せた。

「私が思うに、砂礫地帯をけつつ最短距離を行くというせいこうほうでは、われわれは決してヘィロンたちにかなわないだろう。彼らはつぶったままでも馬を走らせられるほど中陸の地形を知りくしているのだ。いかにサーリャののうりよくがあっても、次の目的地であるヴマ・ズォの集落までは距離がながぎる。ちようかくしゆはんがいの砂礫地帯まではあくできず、場当たり的に道を選んで行けば、やがてふくろ小路こうじに追いまれることも考えられる」

 説明を続けながら、セレィはサーリャの能力にたより過ぎないように強くしきしていた。じような『聴士ラルゴウ』の少女はそのりも見せないが、一日以上続けて馬に乗っていたサーリャは、今もきようれつな乗り物いにおそわれているはずである。会議が終わればすぐにも休ませねばならない。

「……私のおくによれば、へいは最初に『いかにして砂礫地帯を越えていくか』とおつしやいました。それはつまり、かいというせんりやく自体をがいするものとかいしやくして良いのですね?」

 クェッタが思い切った発言をした。ナバザとりでこうりやく以来、とくしゆな作戦のまかされることが重なったせいか、この副官はごとそうめいさを強めつつある。部下のそんなけいこうたのもしさを覚えつつ、セレィはうなずきをもって彼のすいさつこうていする。

「私の提案はたいせいに欠ける上、いささか以上に強引かもしれん。……だが、ここは思い切って言わせてもらう。クェッタの言うとおり、私はどうにかして、羊たちと共に砂礫地帯を突っ切って行きたい

 じよおうの発言に兵たちがどよめいた。ざわつく空気の中、問題のないようを真っ先にぎんし終えたけんしんは、今回もやはりサーリャとクェッタの二人であった。

「……たしかに、それがのうなら必勝の作戦。直進に勝る近道はないのだから」

「そうですね。……しかし、その実行のためには新たな問題がじようしてくる。すなわち、どうやって羊たちの足をいためずにれきたいを歩かせるのか?」

 二人のせんが同時に女皇をとらえる。それを受け止めて、セレィはやや自信なさげに答えた。

「またもたいせいが無いことはしようていあんさせてもらうが……羊に靴を履かせるのはどうだろうか」

 さっきのどよめきとはぎやくに、今度の発言に対しては、兵たちの間にみようちんもくりた。そつちよくはんのうとしてはあきれたいところなのだが、女皇の意見に向かって、それはさすがにそんではないかとまよったのだ。

「さっきの前提からみちびかれるいたって自然なけつろんだと思います。しかしげんじつてきな問題として、羊にかせるくつというのは、私たちの知るかぎりではそんざいしていませんね」

 一方のクェッタは失笑ひとつらさず、あくまでしんけんおもちで真正面からセレィの意見のけんしようを始めた。……つうなら鹿鹿しいといつしゆうされるような考えから、予想もしなかったかつが見えてくることがある。そういった思考のじゆうなんさは、知らぬ間に彼が導神からゆずり受けたものかもしれない。

「存在しないのなら、新しく作ればいい。……幸いと、この集落はそれなりに商業で栄えている。手先の器用な長爪種イゼイリグしよくにんなら、さがせばいくらでも見つかると思う」

 ふわふわとちゆうかんでいたセレィの発案が、クェッタとサーリャによって見る間に現実味を帯びていく。それが一つの可能性であることをみとめたしゆんかん、兵たちはたんに色めき始めた。

「いけるかもしれないぞ……。ギリェ・イゼンの長爪種イゼイリグも、じようかわせいの靴を作っていたおぼえがある!」

「いや、落ちけって! これから職人とこうしようしてすぐに作らせるとしても、一組や二組じゃない、羊百匹分の靴だぞ? あいつらは四本足だから、じつしつは二百組だ。そんなに大量に作らせている間にだいきようそうが始まっちまうよ!」

「そうとはかぎらないぜ。さっき集落の人間に話を聞いたところ、次の競走に連れて行く羊を用意するのには、まだしばらく時間がかかるそうだ。何しろ全部で二百匹だからな、急な話じゃ手配する側も大変だろうさ」

「じゃあじゆつてきな問題はどうなんだ? しよくにんたちだって羊用の靴なんて作ったことがないだろう。そんなもの作れないと言われればそれまでだし、実用にえないはんなものを作られても……」

「そんなことを初めからなやんでいても仕方がないだろう! とにかく職人たちを集めてこうしようを始めなけりゃ。しずんでごとおさめになる前に、ほら、一秒でも早く!」

 こうしようの具体的なだんりを話し合い、セレィにきよを受けた兵たちが、あわててしきの外にけ出していく。クェッタのていあんで、まずはちよくせつの交渉には入らず、彼らが集めてきたしよくにんに、それぞれ羊用のくつの試作品を作らせてみようということになった。実物が上がってくれば、こうの中で最も出来が良さそうなものを選び、後は全ての職人にひたすらそれと同じものを作らせる。全てがしゆよく行けば、セレィたちはれきたいおそれることなくだいきようそういどむことが出来るだろう。

にもかくにもせきは打ったか……。だが、いまだに第二の問題はかずのままだ。中陸最強のじゆうおう緋獅子ルイオ・バルネシアなわりをいかにしてとつするか?」

 みなけんしわせて考えんだが、そうそう都合よく名案がかぶわけもない。さききに大きなしようがいを残したまま、それでも羊にかせる靴のことをゆいいつの希望として、その日の作戦会議はかいさんとなったのだった。



 事前の予想をえて、集落の中にはおおぜい長爪種イゼイリグの職人が住んでいた。セレィらがそうぞうしていたようなくつせんもんの職人というのは存在しておらず、彼らのおおくはい物やおりものといった手工業に関してのばんのうせんしゆなのである。とはいえ、そんな彼らでさえ「羊に履かせる靴」という要求にはだいすうを丸くしたが、その中にも一人だけな例外がいた。

「ああ……そういうもんなら、だいぶ昔になるが、試しに作ったことがありますよ。ちょいと待っていてくだせぇ、たしかこっちのおくの方に……」

 じゆうきよけん商店という印象の小さな家の中で、長爪種イゼイリグの中年だんせいがごそごそとさがし物を続けている。やがて、むねを高鳴らせながら店頭で待っていた有角種ユルフイネクの兵たちの目の前に、どもようのそれよりも小さく、それでいてみような形をしたかわせいの靴が運ばれてきた。

石頭猛牛ドルクシム・ラングツダの革で作ったものでね。羊のどうに便利じゃないかと思って、有角種ユルフイネクみなさんにすすめてみたんですが、材料費が高くついたこともあってか、そんときは見向きもされませんでした。一度使ってみれば、きっと良さが分かると思うんですがねぇ……」

「……おお! その靴、さくせいには特別なじゆつが必要か? あなた以外の職人では、同じものを作ることがむずかしかったりするだろうか?」

「? いや、そんなこたぁ無いと思いますよ。ちっと人間の靴とは勝手がちがうが、モノのこうぞう自体はいたってたんじゆんなもんです。こうやってげんぶつを見せれば、長爪種イゼイリグの職人ならだれでもさいげんできるかと……」

「よし──その靴、買った! 他の職人も動員するから、明後日あさつてまでに百匹分用意してくれ!」

「はいはい、毎度あり……って、はぁぁっ!? 明後日までに百匹分!?

 まったく不意にんできた大仕事だったが、職人たちの動きはぞんがいばやかった。セレィが国のふところからこうがくほうしゆうを約束したこともあり、試作品をていきようしてくれた男を中心に、彼らはしんしよくしんでくつづくりにぼつとうしてくれた。羊一匹一匹の足の大きさのちがいも予想されるので、靴には三種類のかくを用意し、さらには靴底に綿わためるなどの改良を加えて、足の受け入れにじゆうなんせいを持たせた。

「あっしらにもきようがありますんでね。もしくつれでも出来るようなら、お代はいただきませんや」

 そんなことは万に一つも有り得ないだろうという自信が、しよくにんたちの顔からは見て取れた。セレィの側でもじつようせいたしかめるために、連れてきた羊の中で元気なものを選んで靴をかせ、兵に命じて集落の外のれきたいを歩かせてみた。結果はもんけようもなし。羊はとがった小石の上をけいかいかつし、半日間それを続けても、切りきずも靴擦れもまったく負わなかった。

 ただ一つ不安が残るのは、はたしてだいきようそうの開始までに百匹分の靴が完成するのかということだが、それについては職人たちを信じる他にない。それに、かりに出発時刻に間に合わなかったとしても、しようおくれならば砂礫地帯をっ切ることで取り返せる。セレィはそう信じて、しきを第二の問題に集中させた。

緋獅子ルイオ・バルネシア……うわさけば聴くほど、おそるべき相手という印象ばかり強まってくる。へいで囲い込んだていではとうていめられそうにない。一体どうすればいい……?」

 てんならぶ小さな市場を歩いてめぐりながら、セレィはぶつぶつとつぶやきつつさくにふけっている。不気味に思った人々が彼女の周囲をけて通る中で、その後ろから、盲種メルキエーナの少女が息を切らして追いすがってきた。

「……へい! いちおうだけれど、緋獅子ルイオ・バルネシアの問題について、ひとつのうせいかんだ」

「なんと!? それはどのような案なのだ!」

「あまり期待しない方がいい。可能性とは言ったけれど、かなり低い部類のそれ。……ひょっとしたら、ただのぱらいのたわごとかもしれない」

 サーリャのひようじようはあくまでもけわしい。事の望みのうすさがうかがわれるが、第二競走の開始日がこくこくせまる今、彼女らはわらにもすがりたいしんきようである。セレィはただ「かまわん」と口にして少女に案内を求めた。そのを受けて、ふたたけ出したサーリャの後を、じよおうも足早に追っていった。



 まもなく二人が辿たどりついたのは、集落の中心にある酒場だった。長爪主イゼイリグの店主と牙種ヤシユタルガの給仕の二人で切りりされる小さな店である。こくが午後のはんな時間ということもあって、客はまばらにしか見当たらなかったが、おくまった位置にある席に、まるでかくされるような形で三人の牙種ヤシユタルガの男たちがすわっていた。

「なぁなぁ、バニィルのおっさんよぅ。今日は何か面白い話ねぇのかよぉ? だまりこくってねぇで、いつものゆうでん聞かせてくれよぉ」

「おれも聞きてぇなぁ。一人で有角種ユルフイネクへい十人を相手に大立ち回りをしたとか、みつばんかくとうの末に緋獅子ルイオ・バルネシアのどぶえきばき立ててやったとかよ。どうせならいつとうなのがいいな。ヒマな午後の時間つぶしにゃ丁度いいぜ」

 じようきようとしては、二人のわか牙種ヤシユタルガが年を食った仲間にねちねちとからんでいる様子だった。すでに酒も入っているらしく、二人の若者はいかにもじようげんだが、しつこく話しかけられている方の男はつくえしたまま死んだように動かない。

「……うるっせぇ、くそガキども……。どうせ、信じてもいねぇくせによ……」

 うらめしげな声がうですきかられると、若者たちはげらげらとかいそうに笑った。その光景にかいなものを覚えたセレィは、店員の案内も待たず、つかつかと店のおくまでみ込んでいく。

「そこの若い二人、差しつかえなければ席をゆずってくれんか。私たちはその男に話がある」

 よく通る声で話しかけられて、二人のすいかんうつとうしげにセレィを見やる。が──相手のひたいそびえ立つ見事な一角つのみとめると、赤らんだ顔を一気に青ざめさせてそくに席を立った。

「ど、どうぞ……! おれたちはもう帰りますんで!」

 はいかいきゆうである有角種ユルフイネクへのへつらいに加えて、セレィの全身から発せられる君主のふうかくおそれを感じたのだろう。二人の若者は給仕にかんじようけてそそくさと店を去って行った。そうして空いた二つの席に、セレィとサーリャは残された男と向かい合ってすわる。

「給仕のむすめよ、このじんに水をいつぱい。まずは酒をかねば話にもならないようだ」

 注文を受けた牙種ヤシユタルガの娘が、おずおずと水の入ったさかずきを運んでくる。飲み屋であるからには何かをたのむのがれいと思い、セレィは店内のかべり出された品書きを見て少し考えた後、柑粒果イサシカじゆうを二杯頼んだ。それがぼんって運ばれてきたころに、机に突っ伏していた男はのっそりと顔を上げた。

「……なんでぇ、有角種ユルフイネクのおえらいさんかよ……。……何の用だい……。このおよんで、おれから何をうばっていこうってんだ……」

 ひどくつかれた印象の男だった。かみび放題、ひげもすでに何日っていないのか。両のは酒のせいでどろりとにごって生気がない。くちびるからのぞうわあごの牙はせんたんが丸くけずられている。全身にがっしりとしたがんじようそうなたいかくをしているのに、他の全てのようが、男の印象を死にぎわの動物のそれに固定していた。

「そなたの武勇伝を聞きに来た。特に緋獅子ルイオ・バルネシアのそれについてきようがある。話してくれないか」

 男のかたがぴくりとうごめく。セレィのしんけんこわいろから、からかいのたぐいでないことを察したのだろう。彼は杯の水を一息にあおると、いくぶん濁りのうすれた眼で正面の相手を見返した。

「……何で今さらそんな話を聞きたがる。あんたらにとっちゃみみざわりなだけの昔話だろ?」

「そんなことはない。私はそなたが真の勇者であるか知りたいのだ、バニィル・ゼスカ殿どの

 事前にサーリャから教えられていたせいめいばわる。それで対話のじゆんが整ったと見て、セレィはとなりのサーリャと目配せし、自分たちの身の上とげんざいじようきようを話し始めた。バニィルはちゆうに一言もはさむことなく、静かに二人の話を聞き終えた。

「……東方有角種ユルフイネクじよおうさまと中陸有角種ユルフイネク大首長ヘイロンが、たがいのほこりをけたけつとうか。知らない内にでかいけんが起こってたもんだ。なるほど、ここ数日、集落の連中があわただしかったのはそれがげんいんか」

 バニィルはなつとくした風にうなずく。外見から読み取れる通りさけびたりの毎日を送っているようで、じようにはまるきりうといらしい。だが、聞き手としてはいたってだし、ぱらいとは思えないほど事情のかいは早い。そこにいちの希望を見出して、セレィはいよいよ本題にんだ。

そつちよくに聞こう。──そなたは緋獅子ルイオ・バルネシアたおしたことがあるのか?」

 そのたんじゆんな問いを受けたたん、バニィルは石になったように口をざす。ばなしだと鹿にされるけいけんが重なりぎて、もはや返事をすることもおつくうなのだろう。だが有角種ユルフイネクの女皇は、そういった彼のていねんまでもふくめて、おの一角つの能力ちからで真実をいた。

「なるほど……本当なのだなおどろくべきことだ」

 バニィルは眼を丸くして女皇をぎようした。何のじようだんでもなく、セレィのひとみにはじゆんすいかんたんの色しかない。だれにも信じてもらえなかった話をいつしゆんで事実とみとめられたことに、バニィルは喜びよりもむしろこんわくを感じた。

くわしい事情を話してくれないか。そなたが最強のじゆうおうと戦うにいたったけいも含めて」

 話をかすことはせず、セレィはしんおもちで相手を見つめる。その様子に、初めて自分の過去を語るにあたいする聞き手があらわれたことを知って、バニィルはふるえる声で話し始めた。



 中陸におけるけんしよざい有角種ユルフイネクに決まったのは、歴史的に見ればごく最近のことである。それまでも牙種ヤシユタルガ長爪種イゼイリグは長くれつせいを強いられてきたが、悪化していくせんきようの中でも最後までていこうを続けた人々ももちろんあった。バニィルはそんなしゆうだんせんじんを切って有角種ユルフイネクしんこうに立ち向かう戦士だったのだ。

「元を辿たどれば、緋獅子ルイオ・バルネシアとうをもって民族のちようてんに立つという有角種ユルフイネクおきても、牙種おれたちのそれを真似まねたものなんだ。……だが、牙種ヤシユタルガの王は有角種ユルフイネクとの戦の中で戦死をげ、当時のおれたちは自分をみちびいてくれるそんざいを失ってしまった。おれはあせった……このままではみなの心が折れてしまうと。不利な状況でも皆が戦意を失わないためには、死んだ王に代わる新たな勇者が必要だと」

 そこでバニィルは緋獅子ルイオ・バルネシアいどむことを決意した。固いきずなで結ばれた十人の仲間をともなって、彼は自ら望んでじゆうおうなわりにんだ。……戦いはれつを極めた。仲間たちはあくまでもバニィルをする人員であり、ふところに飛び込んでいく役目は、彼一人にゆだねられたからだ。

「そして、おれは勝った。おれ自身はもちろん、仲間にも一人の死者も出さなかった。事前におれが望んだ通り、その結果によってどうほうたちの士気は大いに上がった。有角種ユルフイネクなんぞに負けるものかとふるい立った。……だが、そのふんせんをもってしても、ついに戦局をくつがえすにはいたらなかった」

 バニィルは歯を食いしばってくつじよくおくを思い出す。──ふくぞくか死か。最後のきよてんせいあつし終えた有角種ユルフイネクたちからざんこくしやたくいつせまられた牙種ヤシユタルガたちは、なやみに悩んだあげえつみ殺しつつせいふくしやたちのはいに加わることを受けれた。そのしゆんかん、バニィルのひきいていた最後のていこうせいりよくしようめつし、牙種ヤシユタルガという民族の全面的な敗北がかくていしたのだ。

 その後、中陸有角種ユルフイネクたちは敗者となった牙種ヤシユタルガ長爪種イゼイリゲを無意味にいためつけたりはしなかった。ペィネ・ズォ、ヴマ・ズォ、ジュド・ズォの三国における両民族のとうほんてきげんの彼らにまかせられ、各地に有角種ユルフイネクちようぜいかんけんした。牙種ヤシユタルガ長爪種イゼイリグに強制された具体的なは、のうこうおりものぎようの生産品の一部を一定期間ごとけんじようすることと、牙種ヤシユタルガに関しては特に、民族のしようちようとも言えるきばせんたんつねに丸くけずっておくことが求められた。当事者たちにとってはこれ以上なく屈辱的な仕打ちであったが、皮肉にもこのさくによって、牙種ヤシユタルガたちのはんこうしんこうてきがれていった。牙を削られることで牙を抜かれたのだ

「そうして牙種ヤシユタルガは今のきようぐういたるってわけだ。……有角種ユルフイネクどものさいはいで、いつしよに戦った仲間の生き残りも各地に散り散りになっちまって、そうでもなくても世代はうつっていったし、今となっちゃだれもおれのやったことなんざ覚えてねぇって有様さ。……笑い話だろ。若い連中に酒のさかなにされちまうのも無理はねぇのさ」

 最後にそう自嘲して、バニィルはふたたび体ごとつくえしてしまった。彼のじようをすっかりあくし終えたセレィは、打ちひしがれる牙種ヤシユタルガの敗残兵にようしやなくげきを飛ばす。

「そうやっての自分をあざわらいながら、酒におぼれてごすのが望みと言うのなら、それも良いだろう。……だが、かつて民族の運命をうれいて立ち上がった勇者の末路としては、あまりにもざまだな」

「……っ、何だと……っ!

「聞け。つい最近まで、私もそなたと全く同じ境遇だった。有翼種クロトアとのいくされつせいを極め、十三人の兄たちはたがいに足を引っり合ったあげち死にし、私は国内でぶんれつした戦力を取りまとめることから始めなければならなかった。……だが敗戦はひつだった。それでも民族を守りたい一心で戦いを続けていたところに、私をみちびいてくれるそんざいりた」

 セレィはこぶしを机にたたきつけた。そのしんどうおどろいて、バニィルはだらしなく机にいていたうでもどし、結果としてぴんとすじばしたたいせいになる。こじ開けたからの中のたましいねらつようにして、セレィはりんと通る声で相手に運命をきつけた。

「こう思え。そなたにとっては、今やって来たこの私こそが導き手だ。敗北の日にそなたが失った希望を、それからのの日々でらしていった民族のきようを、かつてはだれよりも熱く燃えていたであろう勇者としてのほこりを、そなたに取りもどさせるために私は来たのだ」

「な──何を、あんたは──」

「ゆえに、ここで私は問おう。──そなたは今もなお勇者か? それとも、かつて勇者であっただけのろくでなしか?」

 バニィルはがくぜんを見開いた。ただのいかりとはちがう、はらそこからき上がって来る得体の知れないかんじように、彼はぶるぶると全身をふるわせていた。それを見たしゆんかんにセレィはかくしんした。──この男はがらではない!

「共に戦ってくれ、バニィル! 最強のじゆうおうとうし、今一度、その身に勇者のあかしを立てよ!」

 つくえから身を乗り出したセレィの両手が、バニィルのりようかたを力強くつかんだ。その瞬間、かつて勇者であった男のひとみに、じわりとなみだにじんだ。──失った誇りを取りもどしたい。さけびたりの日々にあっても変わらずいだき続けていたゆいいつの願いが、彼の首をいやおうなくたてらせていた。



 セレィのじんえいばかりがほんそうする二日間はまたたく間にぎ、二百匹の新たな羊のじゆんんだところで、いよいよだいきようそうの始まる朝が来た。……だが、集落を出た地点にならんでいるたいは、ヘィロンのひきいる一組のみである。

「……セレィはどうした。この二日間、せわしなく走り回っていたようだが」

じようあって、少しおくれて出発されるとのことです。そちらはえんりよなくおちください」

 セレィ側の陣営からけんされているかんの兵は、てきな表情をかべてヘィロンに先行をうながす。出発が遅れるという明らかな不利にもかかわらず、そのゆうぶったたいには、ヘィロンもさいねんを覚えたが、すぐさま取るに足らぬものとり切って隊列に号令をかけた。

け焼きさくりやくでどうにかなるほど中陸の大地はあまくない。……今回ばかりは馬肉を食うでは済まんかもな。次の集落で、生きたおまえとさいかいできることを願っているぞ、セレィ」

 百匹の羊を連れた騎馬隊が大地をって走り出す。……今もってヘィロンにはけつとうを行っているという自覚はなく、彼はしようりもなくよめむかえる相手のあんばかりをづかっていた。



「……よし、一匹残らずかせ終えたな!」

 クェッタがかくにんの声を上げる。ヘィロンらが集落を発ったころ、彼らはしよくにんたちが夜なべして作ってくれたとくせいくつを羊に履かせているところだった。長爪種イゼイリグたちの努力のあって、靴自体は出発直前に百匹分がとどけられていたのだが、それを羊たちに履かせる作業が思いのほか手間だったのである。結果として、セレィらのたいの出発はヘィロン側より十分ほどおくれることになった。

「安心しろ、しよくん! このていの遅れはみだ! 相手はれきたいけたえんきよくかいを、こちらはさいたんきよを真っぐに進むのだから、その有利は今さら語るまでもない!」

 セレィのげきれいおうじて兵たちがえんを上げる。だが、隊列の先頭に近い位置に、サーリャやクェッタ、コリォとならんで、一人だけ心地ごこち悪そうにかたちぢめる牙種ヤシユタルガだんせいがいた。

たがいに命をけることになるぞ。さいあいさつませて来たのか、バニィル」

「ああ……連れ合いには泣いて止められたが、ガキ共にはそんけいじった笑顔で送り出されたよ。……ずっとおれのゆうでんを聞かせて育ててきたからなぁ。あんなキラキラしたで見送られちゃあ、手ぶらで帰るわけにもいかなくなっちまった」

 しようじりに言ったバニィルに、セレィは満足げなうなずきを返す。……彼の士気は、ひょっとしたら隊の他のだれよりも高いのかもしれない。ふとじよおうはそう思った。

「今回はれの数がおおい! みな、近くの羊にしきを回すことをわすれるなよ!」

 クェッタの注意が飛ぶ。全員がしんけんな顔で頷いたところで、セレィが高々とけんかかげた。

「では出発だ! 何もまようことはない、次の集落までひたすら直進するぞ!」

 セレィを乗せた馬がせんじんを切ってけ出す。その後に続いて、人と馬と羊のしゆうだんもうぜんどうを始めた。



 ペィネ・ズォの集落を出発したその日の夕方、すでにいくつかの砂礫地帯をえてきたこともあり、いつたん前進を止めて羊たちの様子をることにした。だいいちきようそうの時とちがって、何しろ今度は百匹の群れをともなっているのである。つねに気をっていなければ、個体が群れからはなれてしまった場合にもきにくい。

へいほうこくします。伴ってきた百匹の万途羊ハルラ・アズイマは全て無事がかくにんされました。足や身体からだきずを負っている様子もありません」

「ご苦労だった。クェッタ、お前もきゆうそくを取れ。羊を見張る者は必要だが、彼らにも交代で休ませるのだ。体のつかれは無理がくが、集中力の方は知らず知らずの内に落ちていくことをわすれるな」

 はっ、と短く返事をしてクェッタは身をひるがえした。……事が競走である以上、のんに野営をしているひまはない。かといって完全にきゆうけいなしでっ切るには目的地までの距離が長すぎる。たまの大休止をはさむことで、騎馬隊全体のせいのうの低下をふせがねばならなかった。

 一方、羊の動きに注意をはらいながら馬を駆ってきた有角種ユルフイネクたちにくらべて、有事のさいえいというにんびた有翼種クロトアたちのろうは、掠畜獣ドフスハツドンなどによるしゆうげきが起こっていないため、今のところかくてき軽い。だからか、彼らなりにきんちようかんやさないためにも、このきゆうけいかんを使って弓の手入れやしやげきの練習を行っている者がおおかった。

「……やっ!」

 当然のようにコリォもその中の一人だったが、彼女だけは他の仲間たちにくらべて少し変わったことをやっていた。一見して立ち木を的にした射撃の練習をつうに行っているようだが、よくよく見れば、彼女があつかっている矢がつうじようのそれではないことが分かる。かつて掠畜獣ドフスハツドンれをむかさいにヘィロンが使っていた、せんたんやいばじようやじりをもつ狩俣シユラばれる矢なのだ。

「……コリォさん。その矢を使ってみた感想はどう?」

 いつしんらんに矢を放っていた彼女に、いつの間にかはいたたずんでいたサーリャが声をかけた。コリォがおどろいてり返ると、『聴士ラルゴウ』の少女は見開いたひとみで真っ直ぐに彼女を見つめている。そのはくりよくに強がりをふうじられて、コリォは自然と本音を口にしてしまった。

「……その、正直に言って、私に向いたではありません。刃状の鏃でめた相手を切りけるのが狩俣シユラの強みですが、それにはつよゆみで高速の矢を放つことがけつです。私たち有翼種クロトアせつこうへいが持つ弓はけいりようせいに重きを置いた小型の作りで、一発一発のりよくでは、どうしても中陸有角種ユルフイネクそれおくれを取ります。もちろん私のわんりよくの不足もありますが……」

 口惜くやしげに言いつつ、コリォはちらりとせんめぐらせ、20ルハほど遠くの射撃の的にしていた立ち木を見やった。全部で十本の矢が放たれていたが、その半数が木のみきに切り込めず根元に落下している。彼女の言うとおり、狩俣シユラを使いこなすためには弓の力が足りないのだ。

「そんなことだろうと思った。……今になって新しい武器を試しているのは、この前のしゆうげきの反省があるから?」

 サーリャのえんりよついきゆうに、コリォはかたを落としてうなれた。……だいいちきようそう掠畜獣ドフスハツドンの襲来があったさいえいまかされていた彼女らは、結果として三十匹の羊を完全に守りきることが出来なかった。せつきんされる前にそんじた、あるいは一撃でめ切れなかったけものたちが羊のれにらんにゆうし、その内の二匹を殺してさらっていったのだ。

「……おつしやる通りです。私の弓のうでがもっとみがかれていたのなら、あるいはせいを出さずにんだかもしれません。群れに乱入した獣の一頭は、私が一撃で急所を射抜けなかったばかりに接近をゆるしてしまったのですから」

せきにんを感じているのは分かる。けれど、そこでヘィロンの真似まねをしても仕方がない」

「でも……私にはサーリャさんのようなせんりやくがんや、『聴士ラルゴウ』としてののうりよくがありません。この身はいつかいのありふれた弓兵にぎず、このままではへいや導神さまの足手まといになってしまいます。それをけるためにも、何か新しい戦力を身にけないと……」

「気持ちは分かるけど、あせってはだめ。……人一人に出来ることはとてもかぎられている。私は陛下のように馬に乗れないし、コリォさんのように弓もあつかえない。それどころか、足の速い乗り物に乗っていればすぐに体調をくずしてしまうというていたらく。クルァシンざいの今は作戦の組み立てにも出しゃばっているけれど、本当は一人では何もできないむすめぎない」

 えず周囲にしんけいめぐらせ、時に導神顔負けのさくりやくめぐらせる一方で、サーリャは自分がセレィらので生かされている事実を自覚している。だから彼女は決しておごらない。あつい庇護を受けているからには、それに見合った働きを見せるのは当然だと思っている。……加えて、人生のおんじんであるクルァシンがからむことには、かんせきにんかんえた特別なかんじようが働くけいこうもあるのだが。

「まずは自分をよく見つめ直して。コリォさんにはコリォさんのやくわりがある。……その上で、より自分を高めたいのなら、あんわきみちにはれないこと。昔から長く積み重ねてきたじゆつの中に、必ず成長のとつこうはあるはずだから」

 そこまでをたんたんと言い終えると、やはり乗り物いがひびいているのか、サーリャはいくぶんよろめきながらコリォの前から去っていった。……そのなかを不安げに見送りつつ、ひとり残されたコリォは、『聴士ラルゴウ』の少女が残したちゆうこくを思い返しながら、自分の手にんだ愛用の弓をじっと見つめるのだった。



 大休止を終えたたいふたたび出発し、長い暗夜行をて、夜明けの光が再び平原の大地を照らし始めたころ──ぼんやりとしたひようじようで馬に乗っていたバニィルの目つきが、まるで人が変わったようにいつしゆんけわしくなった。

「……じよおうさま、仲間にけいかいを強めさせろ。どうやらやつこさんのなわりに入ったぜ」

 バニィルのけいこくそくおうして、セレィは羊たちを守る騎馬隊のじんけいをより強固なものにした。こうはんさくてきのうりよくをもつサーリャに先んじて、バニィルが縄張りへのしんにゆうけたのは、牙種ヤシユタルガの有するえいびんきゆうかくに加えて、おそらく風向きにめぐまれたおかげだろう。隊列がしんちように前進を続けていくうちに、やがてサーリャの耳にもじようが感知された。

「……へい。前方の進路上、目の前の軽いおかえていった辺りで、大きなけものが二頭、はげしく争っている。たいかくけいじようから察するに、一方は大型の石頭猛牛ドルクシム・ラングツダ。けれど、もう一方はおそらく……」

 サーリャの顔色が青ざめつつあるのは、何も乗り物酔いのせいばかりではあるまい。彼女の鋭敏なちようかくは他のだれよりも早く、この先に待ち受ける最大のきようぜんぼうを知覚しているのだ。そのせんりつを全員が共有するのは時間の問題でしかない。

かくを決めて。もうじき、かいに入る……!」

 ふるえるかたを両手でいてサーリャがさけぶ。そのせんこくから五秒と置かず、隊列の全体が丘のいただきにいたったしゆんかん──羊さえもふくむ全員のが、そのすさまじい光景にくぎけにされた。

「グルオオオオォォォォォォォォォォォォォン!」

 野性がたけっている。平原の真っただなかで、二頭のもうじゆうによるそうぜつな殺し合いが行われていた。

 一方はサーリャのそくたがわず石頭猛牛ドルクシム・ラングツダへいきんてきには馬より一回り大きいていの動物だが、セレィらがにしているそれのたいかくへいじようの二倍近くはある。ひたいからはつのではなく、ごうこつばれるあつく発達したがいこつがせり出しており、それを利用した石頭猛牛ドルクシム・ラングツダという名のらいでもあるきようれつきは、まさに岩をもくだくほどである。

 だが、そんな猛牛のあつとうてきな重量感とはくりよくかくしても、それとたいするけものふうかくは少しもおとるものではない。こうみつの筋肉でみっしりとめた後ろあし、短刀とまごうばかりの長くするどつめを有する前脚。はがねのように引きまったどうたいは、のうを感じさせる筋肉の他には一切のぜいにくぎ落とされている。そのたいは相手取っている大型の石頭猛牛ドルクシム・ラングツダよりもさらにふた回り大きく、セレィらのまたがる馬とくらべれば五倍以上のたいかく、馬上の乗り手からでさえ見上げるほどである。そして何よりも強い印象をもたらすのが、きよたいの全身をおおう眼にもあざやかないろの毛皮と、その色をさらにめたような、深いしんの両眼──。

「な──何という、よう。あれが中陸最強の獣王、緋獅子ルイオ・バルネシアか……!」

 強大なるせいへと向けるの念に、セレィが知らず身をふるわせている間も、二頭の猛獣によるとうそうけつちやくちかいていく。巨体のずいしよに深いきずを負っている石頭猛牛ドルクシム・ラングツダに対して、緋獅子ルイオ・バルネシアの側は全くの無傷。このせんきようだけでも両者の力量差をはかるにはじゆうぶんすぎた。

「ヴゴオオオオオオォォォォォォォッ!

 ゆえに、追いめられた石頭猛牛ドルクシム・ラングツダにはもはや意地しか残されていない。これまでのしようがい数多あまたの勝利をもぎ取ってきた額の剛骨にけて、全ての命運をたくしたとつしんかんこうするのみだ。そこに敗北の運命しか待ち受けないことが、だれの眼にも明らかだったとしても。

「ゥルォォッ!

 ぎわの猛牛が勝負をかけた最後の突進を、じゆうおうけるにあたいするきようとすら見なさなかった。の前足がとつげきしてくる石頭猛牛ドルクシム・ラングツダの剛骨を正面から受け止め、さらには後ろ脚によるりで、相手の突進のいきおいを完全に殺し切る。

「ヴゴッ……!? ゴォォオオオオッ!?

 こんしんの頭突きが正面から受け止められた──おそらく生まれて初めてのけいけんであったろうそのごとがくぜんとするひまもない。猛牛の突進をふせぎきった獅子は、頭をさえつけた右前足とは反対の左前足の爪をり上げ、そのままぼうさらした相手のくびすじを切りいたのだ。

 きずぐちからふんすいのようにしおき出し、石頭猛牛ドルクシム・ラングツダの巨体がゆっくりと大地にたおれ込む。……それは果たして勝負とすらべたのかどうか。二頭の実力はあまりにもかけはなれており、強大なてきめた直後にもかかわらず、獣王は息一つあらげていなかった。

「……ッ、おい、ボサっとしてんな! あっちのけつちやくが着いた以上、今度はおれたちがねらわれる番だぞ! ほうけたまんま死にてぇのか!?

 がんの光景をぼうぜんながめていたたいの面々が、バニィルにげきを飛ばされてやっとわれに返る。セレィとクェッタのを受けて彼らが事前に打ち合わせておいたじんけいを組み始めるのと、一戦を終えた獣王が新たなものに眼をけるのは、あやうくも全くの同時だった。

「来るぞ……! えんわれわれけ負う! だがバニィル、本命はそなたにたくした!」

「……分かってらぁ! ここまで来ちまったら、もうはらくくるしかねぇよなぁ……!

 馬から飛びりたバニィルが、そのまま上体をかがめて両手を地にく。十本の指はもうきんるいのそれのごとく大地にき立ち、ふとももきんにくがみしみしと音を立ててふくれ上がる。さらにはひさかたぶりにするどぎ上げられた、牙種ヤシユタルガの身上たる四本のきばが開いたこうくうからのぞいた。

「初めに言っておく! おれがどんなきゆうおちいっても、ぜつたいにあんたらは助けに入るんじゃねぇ! むしろおれがられた時点でまよわず散り散りにげろ! そうすりゃ半分は生きびられるからよ!」

「何もこえんな! 私が聞きたいのはただ一言、必ず勝ってくるという約束だけだ!」

「……ちっ! ほんとにあきれるぜ、このじよおうさまにはよ……!」

 らず口をたたきつつも、バニィルのくちびるは嬉しげにり上がっている。女皇からのしんらいたねとしてくすぶっていた勇者のがいえ上がらせ、今バニィルは一匹の四足獣となり、とうたいへ向かってさつそうおかけ下りた!

「アッッッラァァァァァァァァァァァァァァイア!」

 しつするバニィルの口腔から、およそ人のものとは思えぬ声量とはくりよくそなえたほうこうほとばしる。それは彼が獣王にたたき付けたちようせんじようだ。──まずはおれと戦え。後ろの連中をらしたければ、その前に自分のしかばねえていけと!

「……グルオオオオォォォォォォォォォォン!」

 おのれの十分の一にも満たない相手からのちようせんを、それでもほこり高きじゆうおうまよわずじゆだくした。たとえたいは小さくとも、戦うにあたいするだけのとうを、バニィルのほうこうから感じ取ったからだ。

みとめてくれて嬉しいぜ。……これでも元勇者ってみだ、あっけなくられて失望させるつもりはねぇからよ。最初から全力でかかって来いやぁぁぁぁぁ!

 戦意のこうようともない、バニィルのもうはつがざわざわと逆立つ。──かくしてじつより長い時をへだてて、今やだれもがわすれ去っていた牙種ヤシユタルガえいゆう緋獅子ルイオ・バルネシアの死闘が、広大なる中陸の大地のただなかさいげんした。