亀裂



 サーリャも予想したように、ギロのがららえたばんから、ヘィロンの集落はきゆうげきにぎやかさをしてきた。オルワナ、ダマカスカ、ギリェ・イゼン、アヌビシアの四国から会談への参加者がとうちやくしたことに加え、トルキォストルの各地からも次々と族長グオンたちがやって来たからである。

「セレィ、おれからていあんがある」

 食いぞうともなぶつかくだんりにぼうさつされながらも、ヘィロンはどうほうたちの希望をんでせいりよくてきに動き回っていた。この日、セレィに持ちかけられた話もそのいつかんだ。

「次の四満月まではまだ間があるが、どうやらそうほうとも八割方の顔ぶれはそろったようだ。中には東方有角種ユルフイネクじよおうであるおまえにきよういだいている者も多い。よって、全員のかんげいと会談のつゆはらいもねて、今夜にでも顔合わせのうたげを開こうと思うが……おまえは参加してくれるか?」

ことわる理由がない。喜んで出席させていただこう」

 セレィが二つ返事でりようしようしたのをとどけると、ヘィロンは微笑ほほえみをかべてうなずき、そのまままくから立ち去った。それと入れわりに、今度は女皇の妹である有翼種クロトアの少女が入室してくる。

「セレィへい、サーリャ殿どのにお食事をとどけて参りました」

ろう。体調は取りもどしているようだったか?」

「はい。本人はもう仕事に戻れると言って聞きません。事実、顔色もずいぶん良くなっていましたが……その、私の希望としては、もう少しゆっくり休ませてあげられればと」

 うむ、と頷いてセレィは妹の思いりをんだ。アヌビシアの外交使節が『聴士ラルゴウ』を伴って来ていたのを幸いとして、サーリャにはここ数日、体力回復のためのきゆうあたえられている。同じとしごろむすめということもあって、身辺の世話にはコリォがあてがわれていた。

「『聴士ラルゴウ』の起用に当たっては、最低でも二人……よくを言えば三人を交代でにんけたいものだな。今回のようなしんけいせんになると、どうしてもサーリャののうりよくたよらざるを得なくなるが、彼女の身体からだこわさせては、ネレィク殿に合わせる顔がない」

 セレィはものげにつぶやいた。とはいえ、アヌビシア国内においてもちような人材である『聴士ラルゴウ』を何人も気軽に借り出すわけにはいかない。げんじつてきほうしんとしては、サーリャが休んでいる間のすきをいかに他でおぎなうかだろう。

われながらひどい手落ちだな。ともあれ、今はゆっくりと休ませてやることか。……ということで、コリォ、今夜はお前に私のいをたのむことになりそうだ」

「はっ。──付き添い、でありますか?」

「これまでに集まった面々で顔合わせのうたげを開くらしい。クルァシンのほうしんを引きいで、私の立場をめいかくにするために、宴の席ではりようわきことなる種族の者を置いておきたい。サーリャは休ませねばならんし、今はそばやくのメリェもおらんから、お前とクェッタにたのもうと思っている。──いやか?」

「と、とんでもございません! 身にあまる光栄であります!」

 コリォは直立不動の姿せいで返答した。妹のさをよく知るセレィは、もとよりそれ以外の答えが返ってくることなど予想していなかったが、その様子からは今少し「無理をさせている」感じがぬぐえなかった。じよおうは安心させるように言葉をつないだ。

「……心配するな、コリォ。今までとちがい、今夜の宴には有角種ユルフイネク以外の出席者も多くいる。オルワナからはキュリマイェ女王へいも直々におしになっていることだし、お前がかたせまくするような結果にはならんだろう」

「お、おづかいをいただかんしやいたりであります。何のふうも知らぬせつこうへいゆえ、不安はございますが、せめて陛下にはじをかかせる結果にならないよう……」

 なおもかたい言葉を連ねようとするコリォをさえぎって、セレィは彼女の身体からだを問答無用でせた。やわらかくすべらかなかんしよくつばさを指ででてやりながら、女皇は顔を真っ赤にした妹の耳元でささやく。

「……二人きりだ。かたひじらずに姉とべ」

「は、はいぃ……」

かげしやいつけんではあぶない目にわせてしまったな。……本来ならこの身が受けるべきけんを、他ならぬ妹のお前にけてしまったのだ。れいこくな姉と思っても無理はあるまい」

「そ、そんなことは決してありません! お姉様に代わって受けるきずは、たとえそれが心のぞうえぐるものであったとしても、このコリォのしようがい最大のほこりであります!」

「……そう言ってくれるお前こそが、私には最大の誇りだ」

 いつわらざる真意を口にして、セレィは妹を抱きめるうでに想いをめる。とうぜんとしたおもちで姉のほうようを受けれていたコリォだったが、ふとひようじようくもらせて、小さく口を開いた。

「……お姉様。ひとつだけ、教えて頂けますか」

「なんだ?」

「お姉様は……あのヘィロンという男を、好ましく思っていらっしゃいますか?」

 その問いと共に、せきを切ったように流れ込んでくる感情の波を、セレィはおの一角つのを通して受け止めた。──しつ、不安。それはアヌビシアの森林をけた直後、女皇が中陸有角種ユルフイネクさいかいを果たしたしゆんかんから、コリォの中でずっとうずき続けていたものだった。

 うずきにもむねいたみを妹と共有しつつ、セレィはせいを込めて答えた。

「正直に言えば、おおくの面であいつうずるところはある。これからくつわを並べる相手として心強いとも思っている。……だが、同族ユルフイネクであるという理由から彼を特別あつかいするつもりはない。有角種ユルフイネクも、有翼種クロトアも、盲種メルキエーナも、牙種ヤシユタルガも、長爪種イゼイリグも、いまだ見ぬ西方のしよみんぞくも──私は等しく、エナ・ガゼのどうほうとしてせつしたいのだ」

 じよおうてのひらの手つきで妹のなかをさする。そのうでの中に、コリォはあんしきったおもちで身をあずけ、ぼうな日々の中のいっときの幸せをめるのだった。



おのおの方、さかずきを手に」

 ヘィロンの声に合わせて、全員がにゆうしゆの杯をかかげ持つ。広大なまくの席をくす人数もさることながら、五つの民族が一同に会することになった点において、このうたげは歴史的なごとと言って良かった。

かんぱい!」

 しゆえんは和やかに始まり、にぎやかに進行した。酒が回ったところに歌とおどりが重なり、宴もたけなわとなるころには、出席者の半分以上はゆかしてふねいでいた。……だが、つぶれた人々の大部分は中陸各地からやって来た有角種ユルフイネクの族長たちであり、東方諸国やアヌビシアといった国々からの参加者は、を外しすぎることなく冷静な部分を心の中に残していた。それも当然と言えば当然のこと。彼らはれ合いに来たのではない、外交に来たのである。

「さて──どうやら宴もまってきたことであるし。そろそろはらったお話をしませんかね、素面しらふのまま残っておられるみなさん」

 ダマカスカからやって来た牙種ヤシユタルガの使節、ウェンジォ・ナグルハンがたんしよを切った。そのとなりにいた長爪種イゼイリグの国ギリェ・イゼンの外交長、エルミェ・ベミジェ女史も同意のうなずきをしめす。

ころあいよの。出来の良い乳酒のおかげで、舌の回りもすこぶるすべらかであるわ」

 長いつめに付いた乳酒のしずくをちろりとめとる音をきとって、彼女からはややはなれた席にいたアヌビシアのぜいそうとくけんがいだいじんのヤイカ・スオゥダが、たんにげんなりとした顔になった。

(よくもまぁ、こんなもんをガブガブ飲めるもんだな……)

 内心でる。そのたんりよくを買われて、こくせいさくを続けていたアヌビシアにあっては久方ぶりの外務大臣にしゆうにんした彼であったが、最初に注がれた一杯を飲みきれずにいる様子から見て、どうやら乳酒は口に合わなかったようだ。

じよおうへい……女王陛下!」

「……ん……む? なんじゃ、レモィズ。さわがしいの。……わらわは今、とても良い気分で……」

「どうかを覚ましなさってください。ほら、大事な話が始まる流れのようですぞ」

 他方では、半分ねむりこけていたオルワナ女王キュリマイェが、えいたいちようのレモィズにり起こされていた。たよりないことはなはだしいが、酒の入る席では彼女はいつもこんな調子である。

 ちなみにそくしておくと、今回の会談にはコーチアドからの人員は参加していない。当国はロケィラ、オルワナ、ダマカスカ、ギリェ・イゼンの四国からやって来たしよみんぞくの商人たちによってこうせいされる通商国だが、その成り立ちゆえに、じゆんすいなコーチアド国民とばれる人間は国内にほぼそんざいしていない。彼らの大部分は生まれきようを他の四国のいずれかに持っている。長期間にわたってこしえて店を開く者、行商で他の国との間をひんぱんに行き来する者など、それぞれに個人差はあっても、結局は商売のためにコーチアドへおとずれている人々なのである。じようせつの軍の兵ですら、コーチアド商会が金でやとったようへいたちだ。そういったじようのために、東方五国の一つとして数えられてはいるものの、実のところコーチアドは国としてにんしきするにはあいまいな共同体なのだ。ゆえに、その動向はあくまでも、この会談における東方四国の決定の後を追う形になる。

よいはあくまで顔合わせのうたげ。だが、私としてもろんをぶつけ合うにはないぞ」

 単なる和やかな宴では終わらないだろうと、このてんかいを先読みし、宴の始まりから努めて酒量をひかえていたセレィは、めいせきさをたもった声で各国のじゆうちんたちとり合った。そのかたわらにはきんちようしたおもちのコリォがすわっている。

…………

 最上座に座るヘィロンは、時折さかずきを口元に運ぶだけで、その流れに対して何も発言しない。他の全員がそれを様子見のちんもくと受け取って、まずはけんせいの問いや意見をぶつけ合い始めた。

「いや、セレィへい、それにしても大したものですな。オルワナとのいくさでまさかの逆転勝利をげてから、ついでアヌビシアの開国・どうめい入りに成功、さらにはトルキォストルとくみすることでよりばんじやくせいりよくを得ようと? ……もとより中陸の半分を有角種ユルフイネクはいしているというじようきようふくめて、もはや天意があなたに味方しているとしか思えない」

「全くよの。これほどでんげきてき征西活動は、エナ・ガゼの歴史をり返ってもるいを見んわ」

 ウェンジォとエルミェがとげのある言葉を放つ。ダマカスカとギリェ・イゼンの二国が同盟に対してしんちようであることも、セレィのたいに対してかいてきであることも、事前の外交からぞんぶんに思い知らされていたことだ。しよういやにもかけず、セレィは正面から言葉を返す。

「天意の有無は知るべくもないが、今の私にはおおくのたよれるどうほうと、ひとりのらしい友神ともがいる。エルミェ殿どのが言うところの電撃的な同盟政策の進行は、彼らのかつやくは言うまでもなく、せいのもたらす必然と思っているが?」

「……じよおう陛下に同意だな。ネレィク陛下に代わって言わせてもらうが、アヌビシアウチとしちゃせいふくされたつもりは全く無いぜ。こくせいさくさいかいしようと思えばいつでも出来るし、今はおとなりさんとのき合いを深めた方が合理的ってはんだんからの同盟入りだ。そのかんりは見当外れと言っとくぜ、お二人さん」

 セレィの発言に対して、ヤイカがそれをえんするろんじんを張った。じつさいに同盟入りした国からの意見だけに、立場のたいとうせいじゆうするセレィの姿せいしようするこうじゆうぶんである。当然、オルワナの代表にも同様の意見を期待したいところだったが……。

へい……ほら、陛下も何かけんを」

「ほぇ……? ああ、ええと、その、うむ……」

 いの回った頭では気のいたえんかばないらしく、かたわらのレモィズが深いめ息をつく。話し合いはキュリマイェ女王陛下のそんざいして続けられた。

「見当外れ、のぅ……。なるほど、めしいの民が言うように、今はまだそうなのかもしらん。しかし、中陸有角種ユルフイネクとのどうめいが成された後ではどうなのじゃ? その時でもなお、対等な立場での同盟などというだいもくたもち続けられるのかのぅ……?

「東方と中陸の有角種ユルフイネクいつだんけつすれば、もとより中陸有角種ユルフイネクさんにあるわれらのどうほうふくめて、いちだいせいりよくたんじようです。ただし、あくまでも有角種ユルフイネクしゆどうする──ですがね」

 ウェンジォとエルミェの意見がこつに重なった。つまるところ、ギリェ・イゼンとダマカスカは同盟内部における各民族のけんてききんこうあやぶんでいる。西栄に住まうさんしゆのように、有角種ユルフイネクが他民族に対するゆうせいしゆちようするのではないかとおそれているのだ。

ゆるしやれ。対等をむねとするセレィじよおうの言を、必ずしもうたがうわけではない。むしろわれらにとって最も不安なるは、中陸しよこくにおける民族間の有利不利が、なしくずし的に東方まで持ちまれてしまうことよ。──のぅ、ヘィロン殿どの?」

 エルミェが右人差し指の長いつめでヘィロンを指ししめす。だれにもしつけな彼女の仕草は、この話題のかぎにぎる人物を、強引にでも重いちんもくから引きがそうとする試みであろう。

「おれの名をんだか、長爪種イゼイリグの女」

「……無礼はたがい様じゃな。せめてエルミェと呼ばわれ」

「ヘィロン殿、あなたの意見をこそ、この場の誰もがきたがっている。セレィ陛下と同様、あなたも同盟せいさくに積極的なのでしょうか? また、遠からず始まる外界からのしんりやくという、にわかには信じがたい話をふくめて、あなたはセレィ陛下の言葉にどれほどのしんらいを置いているのか……」

 まぶたを細めてウェンジォが問う。場の全員の視線がヘィロンに集中し、それで彼もようやく重い口を開いた。

「……外界からの侵略という話は、初めこそあきれたおおにも聴こえたが、今はそうでもない。最近になってがららえたおんみつという物的なしようもある。何より、セレィがおれにうそをつくことは、この一角つのちかって考えられん」

「ぬしらに関してはそうであろうの。しかし、ねんは他にもあるな。そも、セレィ女皇に外界からの侵略うんぬんという話をんだのは、みちびきの神を名乗るなぞの男だったという話じゃ。今は席を外しておるようじゃが……」

「その男に信を置くべきかいなかは、いまだおれも知るところではない。が、セレィがしんにんしている以上は、さしあたり彼女の顔を立てても良いだろう。……だが、仮に大噓であったところでかまわないとは思っている」

「ほう? 思い切ったことを……」

「大陸を東から西にけるは有角種ユルフイネクの悲願。それががいてきへのそなえになるも、ならぬも、おれたちからすればぎぬ。仮にならなかったとして、その時は例の男の首をねてけじめとすれば良し」

 ごうかい過ぎるヘィロンの意見に、ウェンジォとエルミェはおろか、セレィですらを丸くした。眩暈めまいがするほどのもんだいしきの差が見え隠れするが、とはいえ、さしあたりセレィが必要とするものはおおまかな意見のとういつである。それはヘィロンとの間では成されているというかくしんがあり、よって彼女はどうめいせいさくてんぼうそのものに不安をいだいてはいなかった。──次のしゆんかんまでは。

「だが──もはや、同盟という形態に拘る必要がないことは感じている」

 場の温度がきゆうげきに下がり、ウェンジォとエルミェとヤイカがそろって全身をこわらせた。そのヘィロンの発言は、彼らがしていた部分を、もっともたんじゆんな形で直接にくものだったからだ。

「……ヘィロン、それはどういう意味だ?」

「おまえの努力がむくわれたという話だ、セレィ」

 やわらかな声でヘィロンはセレィの問いにおうじた。そのひようじようにはいつぺんの負い目もなく、むしろいつくしみのかんじようすら帯びている。セレィはいやな予感がした。それはつい先日、サーリャを問いめた時に感じたものと同種の寒気だった。

「全ての男兄弟が先にき、後は敗戦を待つだけというじようきようから、おまえはそれでもオルワナとの同盟を成しげた。……女の身でそれほどのたいぎようを成し遂げるに当たって、て去らねばならぬきようもさぞ多かったことだろう」

 ロケィラとオルワナの戦争が同盟という形でおさめられるまでの事情をヘィロンは知らない。セレィから伝え聞いただんぺんてきじようほうを、自分なりの観点から組み合わせてすいそくしたのみである。そして、その推測によれば、

げんもうした兵力で、いくさには大変な苦戦を強いられたのだろうな。……結果、完全な勝利を得られる状況ではなかったがゆえに、おまえはじゆうせんたくで同盟というけつちやくに事を落ち着けた。混血という忌まわしき身の上を武器に変えてまで

 同盟という選択は、いな、世界同盟を目指すセレィのたいの全ては──きようにあったロケィラが対外的にていあんせざるをえなかった妥協案、というかいしやくを成されていた。

「──なん、だと?」

 セレィが強張ったのどから声をしぼり出す。だが、彼女が満足なはんろんを口にする前に、ヘィロンは彼女のへのさらなるじよくを無自覚に並べ立てる。

「安心しろ、セレィ。おれが味方にくと分かった以上、もはやくつじよくを耐えしのぶ必要はない。おまえが有角種ユルフイネクとしてだれよりもじゆんすいせいしんを持っていることは、おれが他の誰よりもかいしている。ゆえに、対等の立場におけるどうめいなどというけた題目はてて、ただ号令を出せばよい」

 ヘィロンはてきな笑みをかべ、平原をべる王者のふうかくをもってさかずきを頭上にかかげた。

有角種ユルフイネクが大陸をせいす。あらがを持たぬかぎり、他民族はそれにいて来い──とな」

 その発言をけいに、各国のじゆうちんたちがいつせいに立ち上がる。にゆうしゆの杯を足下に投げてた彼らのひとみには、燃えるようなはんこうの意志が宿っていた。

「やはり、それが本音であったか……。われら他民族をふくぞくせしめ、ゴルォグンナ大陸全土を有角種ぬしらはいと置くことが!」

「この分だと、外界からのしんりやくなどという話も方便ととらえざるを得ませんね。……第一、このうたげの顔ぶれからしてみようだとは思っていたのです。ペィネ・ズォやヴマ・ズォといった国々から、我々牙種ヤシユタルガどうほうばれている様子がない。かりにも民族間の対等をひようぼうするのであれば、彼らの今後のあつかいを協議することは最大の要点だったのではありませんか?」

 なんせんがセレィをすくめた。ヘィロンの言葉を有角種ユルフイネク全体の本音と考えるなら、いつわりを口にしたのは彼女ということになる。だがろん、セレィにそのつもりはない。どうめいせいさくきようの産物ではないことをしめすために、彼女はまずヘィロンに食ってかった。

「ヘィロン、かんちがいもはなはだしいぞ。私はだんじて、征服がかなわなかったから同盟にこうしたわけではない。大陸全土の国々はあくまでも対等な立場で手を組まねばならんのだ。外界からの侵略者たちに、万全のたいせいていこうするために!」

「分からんな、セレィ。おまえはじんなことを言っているぞ」

「理不尽だと? 一体どこが──」

大陸をひとつに纏める手段がどうして征服であってはならんのだ?」

 セレィはとつに言葉を失った。あまりに根本的な問いでありながら、それにそくとうする言葉を持たない自分が信じられなかった。

ぜんていとして、中陸有角種ユルフイネクはおまえにくみする。大首長ヘイロンであるおれが言うのだから、これはもうけつていこうであると見ていい。それはすなわち、残る東方の国々がたばになってもかなわぬほどのあつとうてきな戦力を、我ら有角種ユルフイネクが持つということだ。最も力のあるせいりよくが全体のしゆどうけんにぎるのは当然だろう。どうしてそこに対等の立場などというざつおんまぎれ込む?」

「……雑音……だと?」

まざりの昔、中陸の地にはおおくの民族が流れ込み、たがいにけんきそい合った。それに勝ち残ったのがおれたち中陸有角種ユルフイネクだ。だからおれたちは長爪種イゼイリグ牙種ヤシユタルガふくぞくしている。勝者の正当なけんとして、だ。いくさしおが聖なるものであるように、戦の結果もたらされた立場の差も受けれるべきものだ。そのことわりを、セレィ、おまえに理解できぬはずがあるまい?」

 セレィは息をんだ。ヘィロンの口にするろんは生物として最もたんじゆんで強力なものだ。強者が弱者をい物にする、あるいは支配下に置くというこうぞうは、ゆうきゆうの歴史を通じてけることのないのろいにも似ている。ていはできない。あらゆるぜいじやくりんかんねんをねじせるだけの、根本的な正しさがそこにはある。──だが、

「……それはちがう。ヘィロン、そなた言うところの強者も弱者も、一面的なものでしかない」

 セレィは静かな声で、それでもだんとして告げた。──弱肉強食がゆいいつことわりでないことを、じよおうはすでに知っている。ぎ去りし日の導神の教えが、のうにまざまざとさいせいされていった。


「──おれの生まれ育った世界には、差別という言葉があった」

 アヌビシアの森林をつうしていく短脚馬ロバ車の中で、クルァシンは以前と同じようにじゆぎようを続けていた。いちごんいつを聞きらさぬしんけんさで聞き入るセレィに、導神もしみなくしきを注ぐ。

「一言で言えば、それは不当な区別のことだ。たとえば、セレィ……お前は女なのだから戦場に立つべきではないな。まして一国の君主をつとめるなどもつての外だろう。すぐにでもおうを男にゆずわたし、婿むこを取って子を成せ」

「……鹿を言うな。皇族が他におらぬのに、他のだれに皇位を譲れば良いというのだ。女だから戦場に立つなというのも道理が通らぬ。ぞうひようを相手に不覚を取らぬていには、私もロルゴ流いつとうじゆつおさめているぞ。そもそも戦場における私のやくわりかんだ。私が女皇の立場を去ることがあるとすれば、それは君主としてちからおよばないと、たみくさからくだりはんきつけられた場合だけであろう」

 ふんぜんとしたおもちで反論するセレィに、クルァシンは苦笑じりのうなずきを返した。

「まったくその通りだ。女だから君主にはなれない、女だから戦場には出られない──どちらもいちじるしいいんやくであり、何ら客観的なこんきよのない決め付けにぎない。……だが、そういった決め付けは、どんな文化の中にも例外なくそんざいしている」

「ふむ……?」

こんけつであるお前が、ごく最近までつばさかくしていなければならなかったのも同様の例だろう。それは民族原理しゆに根ざす不当な区別の一例だ。有角種ユルフイネク有翼種クロトアとはあいれない──この決め付けを完全にこくふくするためには、お前の努力をもってしても、まだ長い年月が必要だろうな」

 クルァシンの発言をしばらくしやくしてから、女皇は不安げな面持ちで口を開いた。

「では、クルァシン。このエナ・ガゼは、そなたの言うところの「サベツ」……すなわち不当な区別で満ちているということか?」

「それはむずかしいしつもんだ。その通りであると答えるのはかんたんだが、何をもって不当な区別とするかは、ざまの俺が好き勝手に決められるものではない。また、ある種の差別はちやくの文化とゆうごうしている場合もおおく、あんにけちを付ければかんじようてきな反発を引き起こす」

「……難しいな。そなたが以前に言っていた、ぶんこうぞうを理解するという作業の、さらに先のりよういきにある話と見た」

「まさにその通りだ。──そこで問うが、セレィ、差別はどうしていけないことだと思う?」

「む……? 不当な区別だから、ではないのか」

「それでは五十点というところだ。……実例を出してみよう。ある国にはだの白い人間と黒い人間が半々でらしている。両方ののうりよくほんてきはない。しかし、肌の白い人間は、肌の黒い人間を自分たちよりもおとった人種であるとして、彼らをれい同然のたいぐうこく使している。さぁ、この明らかにちがったじようきようを正すために、お前ならばどんな言葉をはさむ?」

「考えるまでもない。肌の白い人々に対して、肌の黒い人々の待遇を向上させるように説得するしかなかろう」

せいこうほうだな。だが、それで肌の白い人々を説得できるだろうか。お前のちゆうこくを聞いた彼らが、『なるほど、自分たちの行ってきたことは不当な区別だったようだ。よし、これからはのうかぎり改めよう』という具合に心を入れえると?」

「そう上手うまくはいかんだろうな……。では、どうすれば良いのだ?」

 けんしわせて考えむセレィに、クルァシンは微笑ほほえんでかいとうを始めた。

「まずセレィ、肌の白い人々に対して『肌の黒い人々を不当に区別することはやめろ。それはいけないことだ』とさとすのは、お前のりんかんを一方的にていしているにぎない。肌の白い人々にとって、それはざれごとにしかこえないだろう。なぜなら彼らにとって、肌の黒い人々をふくじゆうさせているげんじようは基本的に好ましいものであり、きようそうの結果として得られた正しいけんであるとさえ思っているからだ。そのとくけんえきを手放すひつぜんせいがない。つまりはそんとくかんじようの問題だ」

はらたしいな……。同じ人間に平等な待遇を求めるだけのことに、損得勘定がからむのか?」

「悲しい話ではあるがな。げんじつてきな問題として、白い肌の人々を説得するために、お前はいつたん彼らと同じひように立たなければならない。それをまえた上で、さっきの正答はこうなる──『まぁ冷静に聞いてください。黒い肌の人々を不当に区別することを止めた方が、あなたたちにとっても有益ですよ』、と」

 セレィの表情にあからさまなけんかんだ。予想通りのはんのうに苦笑を浮かべつつ、クルァシンはさらに続ける。

「反発を覚えるのも分かる。お前はげんざいのエナ・ガゼで数少ない、『感覚的に他民族をどうほうとしてとらえる』ことの出来る人間だろうからな。……だが、他の人間はそうはいかない。いがみあってきた歴史を持つしよみんぞくゆうのきっかけをつかむには、いがみ合いを無くした方が対立を続けるよりもたがいに得であることをかいさせる必要がある」

「分からんな。白い肌の人々と黒い肌の人々の例だと、それは具体的にどういう話になるのだ?」

たんじゆんてきざいてきしよだ。能力が互いに同じであるのなら、黒い肌の人々を奴隷としてたんじゆんな肉体労働でこく使するよりも、各々のように合ったしよくぎようせんたくさせた方が、そうごうてきな生産性が高まるにちがいない。その利益は白いはだの人々にも社会を通じてかんげんされるのだから、大きなてんで見ればだれもが得をすることになる」

「……それはさすがに、都合の良すぎる話に聞こえるが」

「もちろん、これは極めてたんじゆんじようきようを想定した上での楽観的な思考実験だ。差別が蔓延はびこっている場所には様々な状況が想定される。かぎりある土地やげんを取り合っているかもしれないし、二つの人種の間にのうりよくてきちがいがあるかもしれない。……だが、それでもほんてきほうしんは変わらない。『たがいにとって最も心地良い状況』を具体的に進言するのがお前のやくわりであり、どうめいせいさくを進めていく上でのげんそくと言えるだろう」

 なるほど、とセレィはうなずく。ちやくじつかいを深めていく教え子に喜びを覚えつつ、導神はなおもくんを続ける。

「心にきざめ。これは極めて重要な点だ。単にアルマダートからのしんりやくたいこうするべくしよこくまとめるというのであれば、その手段が同盟である必要はない。お前は盟主ではなくきようりよくせいふくしやであればよい。だが、なぜおれがそのやり方に、つまりせんせいくんしゆによる一元的な征服という手法にを唱えるのか?」

 クルァシンは熱心に語る。それは発展界のしよくみんかいせいさくへと向けるめいかく反命題アンチテーゼでもある。

「それは、征服の後に発生する社会のこうぞうの中で、失われていくものがあまりにも大きいからだ。征服した側と征服された側の間には、多かれ少なかれ、前者によって後者が軽んじられるけいこうが生じる。先の白い肌の人々と黒い肌の人々の例はまさにそれだ。黒い肌の人々が本来はつしていてしかるべきだった能力を、白い肌の人々は不当なよくあつによってふうじ込めてしまう。そればかりか、抑圧された黒い肌の人々の中にまっていった負の感情は社会不安をゆうはつし、じきにかくめいぼうどうという形でばくはつするだろう。差別は差別される側にとってつらいばかりではなく、差別する側もふくめた社会全体にとって好ましくない結果をもたらすのだ」

 セレィは親指のつめんで考え込んだ。さとい彼女であっても、今の話を消化するのには少々の時間がかかるようだ。なやんでいるじよおう姿すがたを見かねて、導神が助けをはさんだ。

「……少し大きな話をしぎたようだな。そうむずかしく考える必要はない。むしろこの手の問題については、やみくもに観念をり回すのではなく、実生活と結びけて考えていかねばならない。お前がじつさいにしなければならないことは、目の前で不当な区別が起こっていることが明らかな時──例えば、ある民族が他の民族を軽んじようとしている時──そこに感情的な反発をぶつけるのではなく、のうかぎり理路整然と『その差別によって失われるもの』を説明してやることだ。その言葉が説得力を持てば持つほど、お前の唱える世界同盟というたいは、それを聞く者を頷かせる真実味を帯びてくるだろう」


 導神の教えをあますところなく思い出して、セレィはが覚めたような気持ちになった。──ヘィロンによって正面から問われることによって、彼女はようやく実感としてかいすることが出来たのだ。せいふくであってはならない理由わけ。今までもこれからも、自分がかたくなにどうめいという方針をつらぬかなければならない理由わけを。

「……ヘィロン。ひとつ問うが、そなたははいにある長爪種イゼイリグ牙種ヤシユタルガをどうあつかっている?」

おりものぎようと農業のを負わせ、生産品の一部をぜいとしてけんじようさせている。特にきよを下した場合をのぞいてそうきんじている。そのだいしようとして、連中にはおれたちの武力によるがある」

「なるほど。……東方からやって来た長爪種イゼイリグ牙種ヤシユタルガにも、それと同様の扱いを望むか?」

いくさ有角種ユルフイネクの仕事だ。他は土をたがやすなり魚をるなりして租税をおさめつつ、おれたちの庇護下であんのんと生活を送ればよい」

 だんげんするヘィロンに一切の悪気はない。彼は心の底からそれがさいぜんたいせいだと思っている。有角種ユルフイネクが全民族のちようてんくんりんすることにいつぺんうたがいもなく、そのこうぞうの中で失われていく各民族に固有のとくせいというものには、ひとかけらのそうぞうおよばせようとしない。

 セレィのかいはしでは、ウェンジォとエルミェが顔を真っ赤にしてくつじよくめている。彼らと同じくむねの内にたぎるものを感じながら、それでもセレィはしんきゆうり返して気を落ちかせようとした。──感情的な反発をぶつけてはならない。あくまでも理路整然と、ヘィロンのやり方によって失われるおおくのものをげていくのだ。

「ゆえに、セレィ。もう、おまえがしのばねばならない時期は終わったのだ」

 ひどくやさしげな声でヘィロンが言った。──だが、その後に続く言葉が引き起こしたものは、

「東方と中陸の有角種ユルフイネクが一つにかえる。そのあかしとして、おまえはおれのもとに嫁に来いこんけつという事実をきら族長グオンもいるだろうが、おれにまかせろ、その不格好な翼は何の痛みもなく切り取ってやる生まれてこの方そんなものを付けたままでいるのはさぞ不愉快だったことだろう。だが安心していい、穢れは今からでも払い落とせる。そうやってじゆんすい有角種ユルフイネクもどってから、おれと共に大陸をせいする喜びを分かち合おう」

 じよおう自身すら予想だにしなかった、せいき飛ばしてたけくるばくはつてきげきじようだった。

「──ッ!? 姉様っ!」

 となりのコリォが止める間もなく、セレィは席から立ち上がるや、こしもとから刀をき放ってかみのヘィロンへりかかった。配下の有角種ユルフイネクたちがって入るひまもない。が、ロルゴ流いつとうじゆつおさめた女皇のけんせんは、ヘィロンのくびすじを斬りえぐすんぜんでぴたりと止められた。

だれも動くな」

 頭目のを見取ってけつけようとした配下の兵たちを、しかしヘィロンはばんじやくの一声でとどめる。首筋に冷たいはがねかんしよくを覚えながら、なおも彼はゆうの表情をくずさない。

「……剣をろせ、セレィ。何をそのようにいきどおっている」

「分からいでか! すんめでませられた自分のにんたいに、むしろ感心するほどだ……!」

 いかりのあまり、けんつかにぎる手がぶるぶるとふるえている。相手の首をひとおもいに切り落としてやりたいしようどうかろうじてはらの中にとどめながら、じよおうはせめてそれを言葉としてき出す。

「……とくと聞け! このりようよくが両親のあいじようけつしようにして、に見える形として表れた有翼種クロトアとのきずな、ひいてはエナ・ガゼに住まうしよみんぞく、その全てがゆうしうる未来を指ししめあかし! それをかつこうだなどと、あまつさえけがれなどと言ってのけることは、私個人のみならず、私がこれまでにくつわならべてきたみんぞくの愛すべきどうほうたちの全てをののしるものと見なす! 失言をみとめるのならば速やかにていせいしろ、ヘィロン・ザカ・トルキォスタ!」

 れつ極まりないせいがヘィロンのを打つ。ともすればり合いにはつてんしかねない両者のじようきようぜんとしてながめながら、心中でさかっていたいかりの念もいっとき忘れ去り、ウェンジォとエルミェは身をせ合って小声でささやきあう。

「ウェンジォ。……この争い、有角種ユルフイネクどもの茶番と思うか?」

「いえ……これは本気のぶつかり合いでしょう。周囲の有角種ユルフイネクの兵たちの様子を見てください、エルミェ。だれもがすさまじくきんぱくしたひようじようひたいあせにじませ、多くの者は刀のつかに手をかけてすらいます。このすじこおるようなしゆの空気……とてもえんで作り出せるものとは思えません」

 ウェンジォとエルミェはたがいにうなずき合い、目の前で起こっている対立がなしの本物であることに同意する。一方、セレィの怒りを間近に受け止めたヘィロンは、それにあわてるでもされるでもなく、むしろあわれみのもったせんで女皇の顔を見やった。

「……びんな女だ、セレィ。こんけつとしてまつり上げられたばかりに、有角種ユルフイネクとしての正しいほこりのり方まで見失いかけているのか。それもやはり、あの神を名乗る男のえいきようか?」

 その言い回しを聞いたしゆんかん、セレィはこれまでにも何度となくヘィロンから向けられていたかいな哀れみの感情の正体を知った。──この男は、有角種ユルフイネクの父と有翼種クロトアの母の間に生まれた自分のきようぐうを哀れんでいるのだ。混血という身上を、じゆんけつ有角種ユルフイネクでないという事実を、セレィという人間にとってのきよだいな不幸としかとらえていない。

「……そなたの言うところの正しい誇りとは、有角種ユルフイネクじようそんざいと置いて、他の民族全てをさげすみの視線でながめ下ろすことか? あきれるほど浅はかなゆうえつかんだ。いかに武力にすぐれようと、有角種ユルフイネクは決してばんのうの民族ではない。他の民とたより合うことによってたがいの欠落をおぎない合い、そうして初めて衣食住をいろどられたゆたかな生活を送ることが出来る。ならばそこにゆうれつを見出そうとするのはおろかなことではないか」

「その全ては、中陸有角種ユルフイネクの武力がヴァルハ・セドレのそれときつこうしているおかげだ。おれたちが守ってやらねば、長爪種イゼイリグ牙種ヤシユタルガの連中は明日をも知れぬ身となるだろう。人のあらゆるいとなみは、がいてきからあつされてこそ発達するものだ。であれば、強さこそが至上のであることにうたがいはあるまい。その点で優れる有角種ユルフイネクは、すなわち最優の民族とんでもいいだろうとは思わんか?」

おごった発言だな、ヘィロン。では今後のいくささいして、他民族の助けは一切らぬと言うのか?」

「ああ、要らん。戦うのは有角種ユルフイネクどうほうだけでいい。これまでもずっとそうしてきた」

 中陸有角種ユルフイネクほこりをけて、ヘィロンもだんとしてゆずらない。二人の君主はしばし間近でにらみ合っていたが、やがてセレィの方がけんを引き、それをさやもどしながら言い放った。

「……ならば、その言葉、じつさいしようめいしてもらおう」

「む……?」

わざくらべをていあんする。そなたと私のしんじようを懸けたけつとうだ」

 セレィのせんげんに、場の全員が息をんだ。──無理もない。曲がりなりにも自分に好意をしめしていた相手との間に、彼女は自ら望んで決定的なれつを走らせたのだ。

しゆがんとしては、私とそなたのゆうぼくみんぞくとしてのうでまえきそうということで良かろう。そういったきようはロケィラにもあったし、ここにもあるはずだ。しようさいな取り決めは後に回すとして、今回はだんたいきようを提案する。そなたは配下の有角種ユルフイネクたちと共にたいを組むがいい。私はここまで共に連れ立ってきたみんぞくの仲間たちをふくめて隊をこうせいする。……くつは分かろう?たがいのしゆちようのどちらが正しいか、このたたかいの結果をもって証明されるということだ」

 てきおもちでいどみかかるセレィの姿すがたに、ヘィロンはかいそうにくちびるり上げた。

「……正面からのくらべ合いで白黒をけるか。おまえのそういったいさぎよさは実に有角種ユルフイネクらしい。おれは何よりも好ましく思うぞ」

さんとして受け取ろう。……ろんたがいのしんじようけるからには、このけつとうには条件がく。敗者は勝者の言い分にしたがわねばならない。それがどれほどくつじよくてきなものだったとしても。それをまえた上で、先ほどのざれごとをもう一度口にしてみろ、ヘィロン」

「良いかくだ。ならばもう一度言おう。──そのまわしいつばさを切り落とし、おれのもとにとついで来い。外界からのしんりやくうそであれ真であれかまわん。大陸をせつけんする喜びを共に分かち合おう」

 ヘィロンはほがらかに笑って言い切った。彼が考えうる中で、それはれた女に対するさいぜんきゆうこんなのだ。……だが、セレィに彼の好意を受け止めているゆうはない。この決闘で敗北をきつすることがあれば、かいどうめいというセレィのたいはそこでついえ、ヘィロンの号令のもとに有角種ユルフイネクはいかいきゆうとした大陸全土の支配が試みられるだろう。そうなってしまえば、全ての民族を等しくどうほうぶことができるような、そんな世界の実現はかなわなくなるのだから。

しようした。ならば私からも言わせてもらおう。──この決闘に私が勝てば、中陸有角種ユルフイネクは他民族と同じ立場、同じ権利をもって同盟入りする。エナ・ガゼ全土をまとめ上げるに当たっても、せいふくというしゆだんは用いず、盟主である私のほうしんそんちようしてもらう。ぞんはあるか?」

「ない。中陸有角種ユルフイネク大首長ヘイロンとして、その決闘を受けよう」

 各国のじゆうちんたちがかたんで見守る中、二人は決闘の実行について合意した。……きそう内容についての詳細も問わぬまま、打てばひびく速さでちようせんを受けたヘィロンの表情には、中陸の半分を支配する民族のちようてんに立つ者としての余裕がありありと見て取れる。おのれこそが平原のしやであるという、それはあつとうてきな自信であり、敗北の想像もゆるさないほどのるぎない自負だ。

 おそろしくぶつそうな形で話が纏まりかけたところで、ふとき物が落ちたようにセレィがだんの平静さを取りもどす。いくらなんでも自分がかんじようまかせて先走りぎたことにいたのだ。そうすると彼女はすぐさま、周囲のじゆうちんたちに向けて、びのめたせんめぐらせた。

「……すまぬ、しゆうたいさらした。このつばさについてじよくされてしまったばかりに、めいしゆとしてあるまじきことだが……さっきまでの言動には自分でもおさえがいていなかった。いきおいに任せてけつとうなどと口にしてしまったが、ろんのこと、私のいちぞんで全てを決めるつもりはない。オルワナのキュリマイェ女王へい、アヌビシアのヤイカ殿どの、ダマカスカのウェンジォ殿、ギリェ・イゼンのエルミェ女史──そなたら全員の同意を受けぬかぎり、この決闘を実行にうつすつもりはない」

 じよおうしゆしような発言には、その場の全員がおどろいた。かりにも「ほこりをけた決闘をり行う」と口にしてしまった以上、他国のじようみ取っての事とはいえ、その発言を自分からくつがえすのは、セレィの誇り高いせいかくからしても大きな勇気のいることだろう。ともすれば君主としてのけんにも関わる。

 だが、それをしようの上でなお、じよおうしよみんぞくの代表たちの意見をそんちようしたかった。おのれじんきようなどとははかりにかけるべくもない。対等な立場での民族間の交流──それこそ彼女がぜんれいこころざした、いずれエナ・ガゼ全土をあまねく満たすはずの理想なのだから。

「……今後のほうしんめぐけつとう、ね。ウチとしてはさんせいだぜ。みんぞくこんせいで隊を組むってことは当然、アヌビシアのほこさいゆうの『聴士ラルゴウ』も、その人員に加えられるんだろうからな」

 まずはヤイカが女皇をするむねの発言を口にした。セレィのみならず、元『大央聴ラルゴウ・オオデキム』であるサーリャののうりよくぜんぷくしんらいを置いてのものだろう。決闘の実行それ自体にぞんはないとしながら、ただし──と彼はけ加えた。

「決闘のないようについてのくわしい取り決めには、ウチもふくめた全民族の代表が出席させてもらうぜ。地の利についちゃ仕方ないとしても、それ以外の面じゃ、中陸有角種ユルフイネクに有利すぎるないようには出来ないからな」

 言い終えてから、あんたらはどうだい、とヤイカが他国のじゆうちんたちにも話をる。ウェンジォとエルミェの両名はしばしだまみ、じゆくりよの末、むずかしいおもちでこくりとうなずいた。

「……ヤイカ殿どのの言う通りのじようけんであれば、われわれも決闘の実行に反対はしません。というより、いまどうめいくみしていないダマカスカとギリェ・イゼンの両国には、その決定を左右する発言力がそもそも無いでしょう」

「我らは様子見を決め込む他にあるまいて。……無論のこと、それがゆるされるのであれば、決闘の取り決めについては多少の口出しをさせてもらうがの」

 二人の意見は日和ひよりいつしたが、彼らにとってもセレィに勝ってもらいたいしんじようはある。今後ヘィロンがしゆどうでゴルォグンナ大陸のせいふくかつどうが行われるとすれば、いずれ東方の牙種ヤシユタルガ長爪種イゼイリグもその支配下に組み込まれる可能性が高いからだ。不幸中の幸いとして、ここまではげしい対立が起こっている有様をもくげきしたことで、対等な立場での同盟というセレィのたいうたがう気持ちは彼らからうすれていた。

「え……あぅ、その、わらわは……」

 ひとり話題にいていけずに取り残されていたキュリマイェ女王へいは、とつにどう答えるべきか分からず、付きいのレモィズに助けを求めるせんを送った。彼はめ息をつきながら女王に何事か耳打ちし、ようやくたいかいした女王から返答を受け取ると、彼女の代わりにそれを口にした。

「……女王陛下もヤイカ殿と同様の意見です。セレィ陛下を信頼しておまかせし、仮に有翼種クロトアの力が必要な局面があれば、そちらにあずけたそらゆみたいかつやくを期待すると」

 レモィズの発言をくくりにして、この場にわせた重鎮たちの意見はどうやら決闘の実施でいつした。セレィがきんぱくした面持ちで彼らの信頼と期待を受け止めたところで、ふと思い出したように、ヘィロンが言葉をけ加える。

「……おれが決闘に勝った場合の条件に、ひとつ追加したいことがある」

「聞こう。何だ」

かんたんな話だ。──あのクルァシンという男が帰り次第、やつと一対一でてつていてきたたかわせろ。どちらかが負けをみとめるか、闘えぬほどのを負うか、さもなくば死ぬまで」

 先ほどまでとは打って変わった殺意をひとみたぎらせて、ヘィロンはきようぼうな要求を口にする。それを聞いたセレィはいつしゆんだけを丸くしたが、すぐにゆうしようを取りもどしてうなずいた。

「……なるほど。そのけんについてはけつとうの勝敗にかかわらず、そなたの望みをかなえよう。結果はあまりにも見えいているが、安心して良いぞ。友神ともであれば、そなたに大した怪我もさせず、おん便びんに事をおさめてくれるであろうからな」

 セレィはちようはつてきに言ってのける。先のじよくに対してのしゆがえしだったが、たん、ヘィロンが手にしていたさかずきさくれつするようにくだけ散った。手中に残ったへんはそのまま粉になるまでつぶされ、さらさらとてのひらからこぼれ落ちてゆかに小さな山を作っていく。とっくにつぶれていた人々ですら、まくの空気をるわせる殺気を感じて、ねむりのふちから次々とを覚ましていた。

「……その約束、決してたがえるなよ」

 重くしずんだ声でヘィロンは言った。……このうたげが始まって以来、あくまでも大首長ヘイロンとしてのげんやさなかった男が、初めてどもじみたふんげきあらわにしたしゆんかんだった。



(……何だぁ? 外がみような空気だな)

 やや時はさかのぼる。セレィがとまりする幕屋とはちょうど対角の位置にある丸太組みのろうの中、サーリャのさくによってとらわれた〝神狩り部隊ヴエル・グルン〟の一員ギロは、あらなわで何重にもきにされた上で地面にころがされていた。かくさいに打ちえられた全身にはさいていげんの手当てがされていたが、全身のしようは決して軽くない。

(──つぅッ。打ち身のいたみはだいぶ退いたが、左のアバラにゃヒビが入ってんな。くっそ、あの先住民ども、こっちが動けないのを良い事に、えんりよなくふくろだたきにしてくれやがって……)

 さすがは〝神狩り部隊ヴエル・グルン〟と言うべきか、それともギロじんの図太さをめるべきか、彼のせいしんはすでににんさいかいに向けて働きつつある。じようきようからかんがみるに、セレィらが彼のがらと引きえにゼルたちをけんせいしていることはそうぞうかたくない。である以上、ギロが自力でだつしゆつすることが出来ればじようきようは五分に近いところまでもどる。のんに助けを待つような真似まねは出来なかった。

 しようそうられる内心を持てあましたギロが、簀巻きにされたじようたいのままひんいもむしのように全身をうごめかせていると、ろうの外側でりを行っていた兵士が、そのありさまあざけりのせんながめた。

「なんだ……かいおんみつってかたきに理由わけもなくびびってたけどよ。縄できつくしばった上で簀巻きにしときゃ満足に身動きひとつ取れやしねぇ。導神さまの言うとおり、こいつもおれたちと同じ、ただの人間じゃねぇか」

 もとより気の短いギロであるから、その言葉にはいつしゆんでカチンと来た。──〝神狩り部隊ヴエル・グルン〟の実力をあなどっている先住民どもに、どうやってにもの見せてやろうか──その思考の全てがしようどうてきふくしゆうに向けてぼうそうを始めかけたが、そのすんぜんで、彼はどうにかせいしんを働かせて冷静さを取りもどす。

(……けっ、勝手に言ってな。こうしてらえられてんのはたしかにごうはらだが、このじようきようは見ようによっちゃチャンスと取れなくもねぇ。なにせ同じ集落の中に標的がいることは確かなんだからな。今はせいぜい勝ちほこってろよ、今度こそ確実に首を取ってやるぜ……)

 必殺の意気を新たにしていると、そこでふと、ろうの外から遠くせいひびいてきた。はつらつとした通りの良い女の声──高いかくりつでセレィ・メル・ロケィラのそれだ。何かしらのめ事が起こっているものとすいそくしたギロは、とつはんだんないまれたしゆうおんそうを起動する。

【──らいでか! すんめで──せられた自分に──】

 ざつおんじりではあったが、セレィとヘィロンが言い争う声が聞こえてきた。ギロは耳をませてひつにそのないようあくしようとする。他の機器と同様、内耳に埋め込まれた集音装置にもシビアなげんかいどうかんがあり、こればかりは少しのちようゆるされない。万が一にも機器が体内で『意味性の崩壊ゲシユタルト・ブレイク』を起こすようなことがあれば、本人の命に係わるからだ。

(……なかれか? 思いのほか白熱してやがるが……へぇ、ついにはけつとうと来たぜ)

 ギロはくちびるり上げてほくそ笑んだ。集落の内部で争いが起これば、そのらぎがめぐり巡ってけいほころびにつながることもあるだろう。一度は完全にを向けたと思われた幸運の女神が、ここにいたってギロに気まぐれな微笑ほほえみを差し向けたらしかった。

(追い風だな。今は大人しく捕まってやってるが、まだおれも切り札の一つや二つは残してるぜ。後は最低限の体力かいふくだつしゆつの好機を待つだけだ。一日一食の食事エサで生かさず殺さずのじようたいたもてると思ってんのなら、そいつは〝神狩り部隊ヴエル・グルン〟をナメぎってもんだよ。本気で捕らえておきたいなら、手足のけんくらいは最初に切っとくのが当然のしよだぜ)

 低いふくみ笑いが牢の中に響きわたった。……あせらず急がずせつそくぎず、きずいた身体からだけもののように横たえつつ、歴戦のおんみつはただ静かにぎやくてんの機会を待つ。



 単なる顔合わせのうたげのはずが、げきれつこうろんの末、めいしゆとしてのほこりをけた決闘にまではつてんした事実をしらせにセレィがサーリャのまくに向かうと、そのほうこくを受けるまでもなく、『聴士ラルゴウ』の少女はすでに状況を把握していた。

「あれだけっていれば『聴士ラルゴウ』でなくてもこえる。私にとってはいやな予感が当たった形。……クルァシンが出発したばんへいにヘィロンの印象についてたずねたのをおぼえている?」

「ああ、確かに。そなたがクルァシンを引きめようとしていたこともおくに新しい。……つまり、あの時点からすでに、そなたにはこのてんかいが予想できていたのか?」

「いいえ、あの時点ではばくぜんとした不安にぎなかった。……そのないようも内容だったから、うたがいを言葉にして進言することまでははばかられた」

 気まずそうに言葉をにごすサーリャに、セレィはせんきよを送った。──えんりよらない。思うままを口にしろ、と。そのを受けて、サーリャは躊躇ためらいをり切って口を開いた。

「──へいはおそらく、相手が同じ有角種ユルフイネクであると知った時点で、たがいの全てを分かり合ったつもりでいた。ゆうぼくみんぞくとしてのかんを共有しているというだんに加えて、他人の内心をかす一角つののうりよくしんしていた。それが今回のすれちがいを生んだげんいん

「──っ」

「陛下とヘィロンが君主としてあいれないことを、だれかがもっと早くにくべきだった。有角種ユルフイネクどうほうとしてせつする時、陛下とヘィロンは本当に気さくな友人として付き合えていた。だから他の誰も、そして本人たちでさえも気付かなかった。……陛下が理想とする同盟ものと、ヘィロンが悲願とする征服ものが、それぞれ全く別の考え方であることに」

 セレィには返す言葉もない。サーリャのけんかいてきかくたいかくしんいていた。オルワナ兵士二人をせいにした先日のいつけんに続いて、今回のたいまねいたのも、灯台下暗しの教訓を念頭に置かなかったセレィの不注意であると言える。じよおうにはもはやみする他なかったが、そのこうかいいさめるようにサーリャは首を横に振った。

「……陛下だけのせきにんではないし、今さらやんでも仕方がない。水と油ほども思想が違うのだから、いずれけられないしようとつだったと思うこともできる。今とにかく重要なのは、けつとうという形式をていあんした以上、ぜんれいで勝利を目指すこと。私の体調もすっかりかいふくした。この件に当たっても、前と変わらず陛下のためにじんりよくする」

「……すまぬ、サーリャ。そなたにたよりすぎていると知りながら、今はその言葉が何よりもたのもしい。決闘の内容は未定だが、おそらくは遊牧とじゆつうでまえを同時にくらべあう、へんそくてきしゆうだんでのきようそうになるだろう。くわしい取り決めなどは後日に相談をて決めることになる。……せんりやくのそなたからすれば、この時点で戦いは始まっていると見るのだろうな」

「そういうこと。どんなきようにせよ、中陸ここで行われる以上はヘィロン側に地の利がある。それをくつがえそうと言うのなら、こちらも時間をかけて万全のさくを練らなければならない」

 ぜんとそう告げるや、サーリャはせい姿せいから立ち上がった。数日のきゆうこうそうしてか、彼女の顔色にろうざんは見て取れない。その姿すがたを見ている内に、セレィは自分の気持ちもまた自然と引きまっていくのを感じた。次なるなんだいへと立ち向かうくつの意志だけが、少女の見開いたひとみの中にこうこうと燃えていたからだ。



「もっかい行ってくらぁ! ミラ、あんまこんぎんなよ!」

 せいよくどうきよにんづかって、ソロェリが昼のりようのために湖へと出て行く。おそめの昼食をりながらそのなかを見送ったクルァシンとメリェは、すでにれてしまった光景でありながら、牙種ヤシユタルガの少女の底なしの体力に感心するばかりだった。

「朝に食っては働きに出て、昼に食ってはまた働きに出て……。ここに来て以来、あいつが夜以外に休んでいる姿すがたを一度も見たことがないぞ。たまの休日も取らずに身体からだがもつのか?」

「ソロちゃんは牙種ヤシユタルガですから、私たちよりもずっと身体ががんじようです。……と言っても、あんなに毎日休まず働いているのは、この辺りでもあの娘くらいのものですけれどね」

 湖からんできた水で食器をあらいながら、ややしずんだ声でルァミラがそんなことを言う。その様子に何らかのじようを汲み取って、クルァシンはそれとなくさぐりを入れた。

「あれほどせいりよくてきに働いているわりには、そのかせぎを日々のらしに使っている様子がないな。二人ともとしごろむすめなのだから、もう少し生活にはなやぎを求めても良さそうなものだが」

「お客様には不便な思いをさせていますね。もともとの建てけがやすしんなものですから、あまりもすきかぜも、これ以上はどうしようもなくて……」

 ルァミラは申しわけなさそうに言った。──げんざい、クルァシンとメリェの二人は、ソロェリとルァミラがらしている家のとなりに建っている──というよりはかろうじてくずれ落ちずに残っている空き家に身をせている。ルァミラの申し出もあり、朝・昼・ばんの三食は彼女らの家で共に摂ることになっており、必然的に四人の交流は日を追うごとに深まっていった。

われわれに不満はないさ。何しろ三食とん付きだ、かりの宿としてはじゆうぶんすぎる。……だが、はたから見ていると、お前たち二人の日々の労働と生活は、いささかり合いが取れていないように思えてな」

 家主に対してしつけになりぎないよう、またいつでももくげられるよう、導神はあえてしつもんの形を取らない。それでも言外の意図を察したらしく、ルァミラは食器を洗う手を止めて、彼のもんに答え始めた。

「……お察しの通り、私たちは仕事でかせいだお金を、なるべく使わずにめています。というのも、私とソロちゃんは元々、きようからかせぎのためにニレフリクここへ来ているからです」

「出稼ぎに……。つまり、故郷は中陸有角種ユルフイネクぞつこくか」

「ソロちゃんはペィネ・ズォの、私はヴマ・ズォの出身です。漁にものうこうにもてきさないがらではありませんが、はいそうである有角種ユルフイネクからのぜいしゆうあまくありません。おりものしゆうかくぶつの半分は彼らにかくやすで買いたたかれます。……だから、いずれ来るだろうきようさくの年にも家族が生きながらえるためには、としごろだれかが外へ働きに出なければなりません」

「そこでニレフリクここか。……ここは中陸有角種ユルフイネクとヴァルハ・セドレのかんしよういきだ。にちじようてきに不安定なじようせいではあるが、少なくともりようせいりよくから租税をしぼり取られることだけはない」

「その通りです。……ここで三年働いて帰れば、故郷の家族を少なくとも五年は養うことが出来ます。私は末っ子ですが、ソロちゃんは年下の兄妹をペィネ・ズォに残して来ていますから……休む時間もしいと思う気持ちは、その辺りのじようから来ているのかもしれません」

 あらい終えた食器を手早くきんいてたなにしまうと、ルァミラはすぐさまはたりの仕事にうつった。両手の長いつめよどみない動きで機器をあやつり、れいしゆうほどこされた布をみ上げていく。っていた大仕事に集中していることもあるが、彼女のきんろうぶりも決してソロェリにおとるものではない。

 その様子を見守りながら食後の茶を飲みすと、クルァシンはだまって席を立つ。彼女らと同様、導神にもすんこくしまねばならない事情があった。



「うっす、有角種ユルフイネクの兄さん。し魚をあぶってんだが、あんたも食っていくかい」

 クルァシンが一人ではんすなはまを歩いていると、き火を中心にすわんだ三人の男たちに気さくな声でび止められた。当初のうとまれようからすればうそのような気安さだが、それもソロェリが導神らを「大切な客人」として周囲にしようかいしてくれたおかげである。ソロェリが地元の漁業組合にしよぞくしていることに加え、彼女じんじんとくも手伝って、クルァシンとメリェは地元民から早くも好意的に受けれられていた。

いただこう。……この時間は漁も一休みか?」

「水温が上がって、ものが深みにもぐっちまうんでな。れないこともねぇがこうりつが悪い。それでもねばってんのはソロぐらいのもんだ。ったく、昼にはちゃんと休みを取れっていつも言ってんのに……」

「あいつは獲物を深追いするあくへきがあってなぁ。今のところはないが、正直見ていてあぶなっかしいよ。つってもおとこしゆうの中にもあいつにもぐりで勝てるやつはいないんだから、こればっかりは強く言おうにもなぁ……」

「ったく、かつこうかない話だぜ。……そういや有角種ユルフイネクにいさん、あんたソロがおぼれてると思って助けに入ったんだってな。おれたちからも礼を言うよ。あいつ自身は笑い話と思ってるが、俺たちからするとそうでもねぇ。これからも見ていてみようだと思ったら、また飛びめとは言わねぇから、まよわず近くのりように声をかけてくれ。……年季の入った漁師の間でも、月に数人は溺れる奴が出る。やる気とこんじようあふれたやつが一番あぶねぇんだ」

 クルァシンはこくりとうなずいて漁師たちの思いをんだ。かいかつきつのいいソロェリは、ろうにやくなんによを問わずに地元のだれからも好かれているようだった。

「ところで話は変わるが……ここ最近、西側に特別な動きはあるか?」

「やっぱ気になるかい? ま、安心しな、特にぶつそうな話は聞かねぇよ。バスコスともれんらくは取り合ってんだが、じようせいいたっておだやかなもんだ。むしろけつさかんな東側トルキオストルの連中が気になるね。そっちはどうなんだい?」

「……少なくとも、先の族長会議ではがいせいあんは出なかったようだ。大首長ヘイロンじんおもわくまでは分かりかねるがな」

 あいまいおうじつつも、クルァシンはむねいたむのを感じた。──セレィのどうめいせいさくが西に向かって進めば、ここの情勢もいやおうなくげきへんする。そうなれば彼らの生活にえいきようが出ないはずがない。話がこじれればおおくの血が流れることもあるだろう。外交とはそういうものだ。

(だが、しゆうかくはあった。……われわれの動きについて、西にしがわしよこくいまだ関知していない。ヴァルハ・セドレがどくに東側へのしんこうを始めるはいもない。つまり、ダマカスカとギリェ・イゼン、そしてヘィロンの説得にせんねんするだけのゆうは、まだ我々に残されているということだ)

 導神は内心であんの息をつく。リォデ湖にとうちやくしてから今にいたるまで、時間をかけてしんちようじようほうしゆうしゆうを続けた成果がそれだった。──となれば、導神はここでの仕事を果たしたことになる。残してきたセレィやサーリャのあんを思えば、引き上げを考える時期だった。

「……そうになったな。おれはそろそろ行くとする」

「そうかい? ……ま、そろそろ俺たちも仕事にもどるか。夕方までにふねの手入れを終わらせねぇと」

 残ったし魚をかいしゆうすると、男たちは手早くき火をみ消していく。その光景をしりに、導神は彼らに短く別れを告げて立ち去った。またな──となかを追ってきた親しげな声に、クルァシンは胸がけられるように痛むのを感じる。……彼らに何も告げず去ることもまた、導神がまねばならない苦いつみだった。



 ソロェリの姿すがたを求めて湖岸線沿いにクルァシンがさんさくを続けていると、ぞんがいに早く目的はかなった。切り立ったがけの直下、湖面にぶねかべてもぐりをり返している少女の姿がに入ったからである。まだかなりきよがあるので、ソロェリの方は導神にいていない。

「さて……どうするか」

 クルァシンはあごに手を当ててもつこうする。──大した用も無いのに岸までふねがせるのは気が引ける。となれば自分から足を運ぶしかない。チンスイろんがいとしても、泳いでちかくことはのうだが、せっかくならおどろきをえんしゆつしてやろうという悪戯いたずらごころえた。

「……それなら、陸地をかいだな」

 そう決めるやいなや、クルァシンはがみをたなびかせてしつそうを始めた。風を切る速度でしやめんのぼっていった導神は、またたく間に崖の上、漁を続けるソロェリの直上まで辿たどりつく。

「さて……」

 上体を乗り出してがんながめ下ろし、少女が水中に飛び込んだころあいを見計らって、彼はとん、と軽くちゆうに身を投げ出した。──落下は数秒。たくえつしたケイシンコウによって、ちやくしゆんかんも舟はほとんどれなかった。

「……ぷはぁっ! あー、さすがにちょっとしんどい……って、ああんっ!?

 ほどなくものまんさいしたあみかごかかえて水面に上がってきたソロェリは、次の瞬間、せんじようすずしい顔で立っている導神の姿すがたみとめてを丸くした。周囲に他の舟がないことを首をめぐらせてかくにんしてから、彼女はゆうれいでも見たようなおもちのまま舟に上がってくる。

有角種ユルフイネクニイさん……どうやってここに来たんだよ? 近くにゃうつれるような足場もないし、服がれてないから泳いだってわけでもなさそうだし……」

がけのぼりは、昔から得意でな」

 げんせんを送ってくるソロェリに、導神はそう言って頭上のぜつぺきを指差す。つられて上空をあおいだソロェリだったが、とうていなつとくしかねるという様子でまゆせた。

じようだんだろ。あたしが水中にもぐってたのは、せいぜい三十秒ってところだよ。それだけの間に、あの高さからここまで下りて来たってかい?」

「やってやれないことはない。真似まねごとすいしようせんがな」

「……。ま、そういうことにしといてやるよ。で、何の用だい? 見ての通り、あたしはいそがしいんだけどな」

 ぶっきらぼうな口調で問われる。しばし答えにまよってから、導神は言った。

「漁を手伝いに来た……というのはどうだ。泳ぎにもそこそこの自信がある」

「足手まといだよ。浜まで送ってやるからひるでもしてな」

 取りく島もない。が、そのはんのうそくみだったので、クルァシンはおもむろに服をぎ始める。きょとんとした顔で立ちくすソロェリの前で、導神は地元のりようと同様の、こししたおおうだけのりよう穿いたしんしげもなくさらした。

「三十秒よこせ。足手まといかどうか、その結果ではんだんしてくれればいい」

「おい、ちょっ……!

 ソロェリが止める間もなく、クルァシンはちゆうちよない動作で水中に飛び込んだ。残された牙種ヤシユタルガの少女はあきれのしんきようで波立った水面を見つめる。──泳ぎに自信があるのか知らないが、もりのひとつも持たずに何をろうというのか?

 ソロェリにとっては幸いなことに、待ち時間はそう長くなかった。二十秒とたない内に、彼女が見下ろしていた水面がり上がったかと思うと、そこからクルァシンが顔を出す。

「──ぷぅ。ほんかくてきに泳ぐのはひさしぶりだが、水のとうめいが高くて助かったぞ」

まんきつしてくれたんなら何よりだよ。……で、あたしは何の結果を見ればいいって?」

 ぶねへりにしゃがみ込んで見下ろしてくるソロェリに、導神は何を言い返すでもなく、ただ水中のりよううでを引き上げて見せけた。

「……おおぅっ!?

 さしもの牙種ヤシユタルガ海女あまとんきような声を上げずにはいられなかった。さもあらん──導神は両手の指の間に、計はつぴきあますところなく魚をはさみ止めていたからだ。

「ふふふ……。さて、これでもおれを足手まといとべるかな?」

 勝ちほこった口調でクルァシンが言う。いささかどもじみたいではあるが、彼としてもざまきわまりなかった初対面のせつじよくを晴らしたい思いがある。自信満面の導神によって鼻先にきつけられた魚類を見つめて、ソロェリはひようじようぎんを始めた。

「──これ小さすぎ。こいつらは毒持ちで食べられない。こいつは時期外れでがつかない」

「……む?」

「こいつは今年になってかられすぎでじようたい。こいつは逆に数がってるから組合の取り決めで獲っちゃだめ。こいつとこいつは……うん、まあ良し」

 じゆんかなわなかった魚たちが次々と湖に投げ捨てられていく。してみると、最終的に導神の手の中に残ったのはたったの二ひきだけだ。かたまで水につかったままぼうぜんこうちよくしているクルァシンに、ソロェリはにやりとゆうの笑みをかべて見せる。

「八匹中二匹がごうかくか。素人しろうとさんのせいとしちゃ上出来だね。うん、足手まといってのはてつかいするよ。けっこう見所はありそうだから、あたしの見習いから始めてみるかい? 有角種ユルフイネクニイさん」

「……今はするくつじよくあまんじよう。だがな、すぐにその顔からかいな笑みを消してやる!」

「おうおう、鼻息のあらい見習いだねぇ。ま、そういう負けん気はきらいじゃないよ。そんじゃ、まずはどくのあるヤツの見分けから始めようか」

 たのしげに言ったソロェリが、そのまま小舟のふちって水面に飛びんだ。水中深くしずんでいく少女のなかを追って、クルァシンもせんすいを開始する。……少女に乗せられてどうしんに返っている自分に、それがどれだけ久しいことであるかもふくめて、導神は少しもいていなかった。



「……あー、もぐりに潜った。さすがのあたしもつかれたわ」

 一日のものを台車にせて市場におろすと、クルァシンとソロェリははまに大の字でならんでころがった。すでに陽もずいぶんとかたむいているが、気温はそれほど低くない。はまかぜろうした全身をでていく心地ここちさを感じつつ、二人はぼんやりと身体からだを休めていた。

「……あんがとな、有角種ユルフイネクニイさん」

 やわらかくだるいちんもくやぶって、ソロェリがぽつりとつぶやいた。導神は寝そべったまま、顔だけを相手の方に向けた。

「今日、あたしを心配して様子を見に来てくれたんだろ? 組合のおっちゃん方とも仲良くやってるみたいだし、あたしとルァミラのじようは、もうあるてい知ってるよな。……あたしもいちおう、無理しぎてるって自覚はあるんだ。でも、なかなか休む気になれない。きように残してきた親兄妹の顔がちらついてさ」

…………

「でも、少なくともミラに関しちゃ、その生活も終わりが見えたね。いきなりっていた二万フュロの大仕事だ。こいつは大きいよ、あたしたちが三年かけてようやくかせげるがくだ。そう遠くない日、あのむねって故郷に帰れる……本当に、が事のように嬉しいよ」

 ソロェリはとつとつと言う。その言葉のうらがわかくされたさびしさを、導神はのがさない。

「……約束の二万フュロだが、お前とルァミラに半々ではらう。これは晴れの代金ばかりでなく、ここでおれたちが活動しやすくなるように便べんはかってくれたお前への正当なほうしゆうだ。……決してぶんがくではない。ルァミラとも話は付けてある、受け取れ」

 ソロェリはおどろきのひようじようで導神を見返した。喜びと、ねんと、こんわくと、少女の顔にはそうした一通りの感情が次々と表れては消えていったが──それもやがて、ふくざつしようとして落ち着く。

「……気前の良すぎる話だね。やっぱりわけありなのかい?」

 導神は答えられない。……報酬を受け取り次第、早々にじゆんませて故郷に帰れと、そのちゆうこくのどまで出かかっている。だが、それを口にすれば、ソロェリに東側で起こっているじようせいの変化を察せられるのうせいがある。訳ありうたがわれているげんじようさえ好ましくはないのだ。きなくさうわさを地元に広められれば、結果として西にしがわしよこくげきしてしまうかもしれない。

 それでも導神はかつとうする。……中陸有角種ユルフイネクりようであるペィネ・ズォやヴマ・ズォならば、西側との対立がしんこくしたさいにも、かんせつてきにであれ彼女らの安全をはかってやることが出来るだろう。しかし、ヴァルハ・セドレとりんせつする位置にあるニレフリクここではそれもむずかしい。にもかかわらず、げんじようでクルァシンに出来る最大のじようは、かせぎの成果としてじゆうぶんなだけの大金を少女たちにわたし、いつこくも早くきように帰るよう言外にうながすことだけなのだ。

(……分かっている。これはぜんぶことさえおこがましい、ちっぽけなしよくざいごっこだ。このむすめたちをしゆよく故郷に返しおおせたところで、ここニレフリクにはどれだけの牙種ヤシユタルガ長爪種イゼイリグの民が残されることになる? かりにトルキォストルとヴァルハ・セドレの全面戦争というたいになった場合、彼ら全員の身の安全はだれしようするというのだ?)

 ろん、そうならないために全力をくすのが導神のつとめではある。だが、それは最悪ののうせいを想定しなくても良いということにはならない。彼のさくりやくで人は死ぬが、今となっては彼のちんもくですら人は死ぬのだ。その事実が、クルァシンにはおそろしくてたまらない──。

「……どうした、有角種ユルフイネクニイさん。ひょっとしてさむいか?」

 ソロェリに言われて、導神は初めて自分がかたふるわせていることに気がいた。……きつそうぞうのせいで心がてついている。いつもはっぱねているメリェの身体からだの温もりが、今はしようこいしかった。

「ずいぶん泳いだからね。き火でもありゃ湯もかせるんだけど、ちょっとまきになるれ木が見当たんないな……」

 立ち上がって辺りを見回すソロェリだったが、やがて何かを決意したようにうなずくと、クルァシンに「すぐもどる。ちょっと待ってろよ」と言いふくめて湖に飛び込んでいった。ひとり浜辺に残された導神は、夕陽に照らされた湖面があかむらさきいろに変じていく有様をながめながら、心細いしんきようでいるしかない。

 すぐ戻ると言い残したわりに、今度の待ち時間は長かった。十五分ほどもったころだろうか、ソロェリの身体が水面に飛び出したと思うと、ひとかかえほどもあるかたしつかんのものを両手に持ってはまに上がってくる。すわり込んでいたクルァシンの前にそれを落とすと、ずしんと音を立ててすなにめりんだ。

「ごめんよ、思ったより時間かかっちまったね。手ごろな大きさのが無くってさ、泳いで運ぶのに一苦労だ。もう重くって重くって」

 苦笑してあやまるソロェリをよそに、クルァシンのきようの前の物体に注がれた。ややにごった青緑色をした大きめのけつしようである。同じものが二つあるが、自然物らしくぞろいな形をしており、けんされる前のほうせきの原石のようにも見える。

「ソロェリ、これは何だ?」

 それ以上はすいそくの仕様がなかったので、クルァシンはたんじゆんに問うた。そのしつもんにはそくとうせず、ソロェリはどこかかんがいぶかおもちで、二つのけつしようの前にしゃがみんだ。

「……これは、あたしとミラだけのちょっとしたみつでね。他人に見せてやるのは、地元の連中もふくめて、有角種ユルフイネクニイさんが初めてだよ」

 そう前置きすると、ソロェリは辺りに人気がないことをざっとたしかめ、それから二つの結晶を両手ににぎって高々と持ち上げた。何かしらぶつそうてんかいを予感したクルァシンは、こしを下ろしていた姿せいから立ち上がって、ソロェリから一歩きよを取る。

「いいはんだんだよニイさん。──えいやぁっ!」

 両手から放たれた結晶が地面すれすれでげきとつする。かたしようとつおんと共にきようれつな火花が散り──次のしゆんかん、二つの結晶のせつしよくめんから、それ自体と同じ青緑色のほのおもうれつせいさかった!

「……なっ!?

 クルァシンは言語にぜつした。の前にしゆつげんした青緑色の炎に一瞬にしてられた。彼がげんじようぶんせきするだけの冷静さを取りもどす前に、ソロェリがまんげな調子で言う。

「不思議な石だろ? 一部の湖底でれるんだけどね、あたしは火石ギオ・リクスってんでる。強いしようげきあたえたり熱したりすると、こんな感じでえ出すんだ。この大きさだと、ほっとけば五~六時間はゆうに燃え続けるかな。でも不思議とけむりは出ないんだよね」

 熱気にあぶられないていの距離を取ってすわり込み、ソロェリはじっと青緑色の炎を見つめる。ぼうぜんと立っていたクルァシンもようやくせいを取り戻し、上手く回らないしたで、ぎこちなく問いを発する。

「湖の底で採れる、と言ったが……そのことを、お前とルァミラ以外に知る者は?」

「いないと思うよ。ニイさん以外にはだれにも言ってないし、あの深さまでもぐれるのは、牙種ヤシユタルガ海女あまの中でもあたしくらいのもんだから。……それにさ、こういうれいなものって、ついつい独り占めしたくなるだろ?」

 ソロェリの言う通り、一定の火勢でらめき続ける青緑色の炎はあやしくも美しい。むらさきいろの夕陽にまった湖面をはいに、その対照コントラストげんそうてきですらある。

ニイさんに見せてやったのは、まぁお礼のつもりかな。……出会った時の事と、大きな仕事をくれた事と、それに今日付き合ってくれた事も、全部ひっくるめてさ」

 ソロェリの言葉には少なからぬ親愛が表れていた。だんの導神であれば、その事実になおな喜びを覚えたことだろう。だが──今のクルァシンには、眼の前の炎を単なる「美しいもの」として楽しむゆうはない。

「……どこで採れる?」

 きつもんの口調になってしまったことは導神の不覚だったろう。普段の余裕が失せ、声色からひようじようまで別人のように一変した彼の様子を見て、ソロェリの顔におびえがかぶ。

「だ……だから、湖底だよ。かなり深いとこだから、さすがのニイさんでも無理だと……」

かまわん。具体的な位置を教えてくれ。……決してごんはしないと約束する」

 なおもついきゆうしてくる導神のはくりよくに押されて、ソロェリはだれにも教えたことのないみつの場所を口にする。その内容をつぶさに聞きとどけるや、クルァシンはするどで湖をにらみつけ──ソロェリが止める間もなく、ちゆうちよのない動作で水中に飛び込んでいった。

「ちょ、ニイさ──」

 追いすがってくるソロェリの声も、水中にもぐるとすぐにこえなくなる。彼が祖武神のもとで積み重ねたしゆぎようないようには水練もれなくふくまれていた。遊び半分で潜っていた昼間とはちがう。ひとたび彼が本気で泳ぎ始めれば、そのりよう牙種ヤシユタルガ海女あまですら遠くおよぶところではない。

(だが、こくすでに夕方。おれの眼をもってしても湖底は暗い。……見つけられるか?)

 ソロェリに教えられた場所の辺りまで辿たどりつくと、クルァシンは水中でけんめいせんめぐらせてたんさくを開始した。せんすいしんにしてとうに六十メートルはえている。じゆくれん海女あまですらものを追うことをあきらめる深さ、そのすいあつたるやかんだかい耳鳴りと共にないきしませるほどだ。遠い水面から差しむわずかな夕陽だけをたよりに、クルァシンは青緑色のかがやきをさがし続け──岩にはさまれた湖底のいつかくで、ついにそれをいだした。

(これか……!)

 導神はすぐさまそのけつしようちかいていく。ソロェリが持って来たものよりもさらに大きく、りよううでかかもうとしても足りないほどのきよだいこうせきだ。その様相をあらためながら、クルァシンはすじけ上るせんりつと共にある予想をいだいた。……もし岩盤から露出しているこの結晶がまだ全体のごく一部に過ぎないとしたら……?

 たしかめなければならない。導神はかくを決めてがんばんに両足でり立ち、青緑色の結晶を前に地上でがいてきに対するさいのそれと同様のはんかまえを取った。……新たなきゆうのうである以上、気息のどういんは完全に体内でまかなわれることになる。だが、それでもじゆうぶんすぎた。

(……フンッ!)

 水中でななめにかしいだ姿せいからしんきやくを岩盤に打ちつけ、クルァシンはせいみようりよくおさえたこぶしいちげきを結晶へとった。ごおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉん……と長くを引いて、んだ印象の打撃音がざんきようする。結晶そのものにはひび一つ入らないが、彼の目的はそれで達せられた。

(何ということだ……。この湖底には、鉱石ねんりようの一大鉱脈がそんざいしている……!)

 拳をぶつけたさいに返ってきた反響音のしつから、表面にしゆつしている結晶と同様のぶつしつが、周辺一体にもれていることがクルァシンにははんべつできた。すいそくしていた通りの結果ではあるが、そのにおいて予想をはるかにえている。ほうもなく重大な発見であった。これはニレフリク一国どころか、中陸全土の問題にすらとどまらない。エナ・ガゼという世界に生きる全ての人間、そのいとなみを根本的に変えてしまいかねないほどの可能性が、このほのぐらい水底で静かに目覚めの時を待っているのだ……。

(そう遠くない未来、ここはおそらく、エナ・ガゼにおけるさんぎようかくめいの起点になる。このげんの活用によって文明のはつてんげきてきに加速される時代が来るだろう。それはかがやかしい栄えを生むか、それとも無残なほろびにつながるか……いや、落ちけ! 今はそんな遠い未来の話よりも!)

 どうようを必死にし殺しつつ、クルァシンは湖底をってきゆうげきじようしていく。ほどなく水面に辿たどりつくと、ひさかたぶりのしんきゆうり返し、にぶっていた頭の回転をふつかつさせようとする。──そうして改めて、めいせきになった意識の中で、彼は自分が向き合うことをなくされた問題のきよだいさとせんさいさにがくぜんとした。

「どうすればいい……。正のいんも不の因子もこんぜんいつたいとした、こんなおおきすぎる可能性のばくだんを……! おれは一体、どのようにあつかえば正しいというのだ……!?

 クルァシンののどからぜつきようほとばしったしゆんかん、湖面を照らしていた夕陽のざんが完全に消え去った。……くらやみしずんだリォデ湖にはせきとして音もなく、たちまち辺りをはいした冷たいちんもくは、導神のかつとうどくの最果てにいざなうかのようだった。