平原の覇者



 かみまざりひとの三時代からこうせいされるエナ・ガゼの歴史にあって、混代の前半、盲民族のであるメルキェーナは、自らのりようつぶしたクロトァらへのふくしゆうを終えた。が、西栄いきに住みいた兄神たちのきようを買って、結局は彼もアヌビシアの森林に追いやられてしまう。

 以来、東方と中陸をへだてるあつかべとしてのうしていたアヌビシアだが、混代から人代にいたるまでの長い歴史の中で、その壁をつうしていった者たちも少なからずあった。ゆたかな西栄地域をどくせんして住み着いた兄神たちが、今度は中陸地域に食指を動かしたと見るや、うらみをわすれていなかったメルキェーナは彼らにかんせつてきな復讐を試みたのである。彼は東方の民をあえて中陸に通してやり、西からやって来る兄神たちの民としようとつさせ、大陸の中央でけんを競わせた。その間、東方からは有翼種クロトアのぞく全ての民族が、だんぞくてきに中陸地域へと流入していった。

 かくしてげんざい、中陸のじようせいは少々み入ったものとなっている。まず、中陸の東域に広がるトルキォストルの大平原には主として有角種ユルフイネクが住まい、国号としてもトルキォストルをしようしている。そこにとなりり合うペィネ・ズォ、ヴマ・ズォ、ジュド・ズォの三国には有角種ユルフイネク牙種ヤシユタルガ長爪種イゼイリグこんごうしてらしており、ここまでが中陸有角種ユルフイネクせいりよくけんと言える。さらに西へと進むと、大陸最大の湖であるリォデ湖をはさんだ上下の国々──バスコスとニレフリクには、やはり牙種ヤシユタルガ長爪種イゼイリグが住んでいるのだが、この二国は西栄地域から進出してきた国家とトルキォストルとの間のかんしようたいでもあり、東西からあつりよくを受け続けるあいまいかつけんのんな立場にある。そして、もう少しだけ西へ進んだ所に中陸最後の国がある。それこそが西栄よりび来たりて、東方から流入してきたしよみんぞくしのぎけずり続ける大国──ヴァルハ・セドレである。

「──と、がいようはそんなところか。言葉にすると長いが、大事なのはただ一点。今現在、中陸の東半分はわれらの支配下にあるということだ。……ささ、もっと飲まれよ、飲まれよ!」

 まくの中はにぎわいに満ちていた。ゆかには長爪種イゼイリグの手によるれいしゆうほどこされたじゆうたんめられ、人々はところせましとならべられた肉料理や果物の皿を中央に囲んで談笑している。幕屋自体は遊牧民らしいどうしきかんな作りだが、内部の空間は百人をゆうにれるほど広く、ふくざつしようい込まれた色とりどりのかべぬのが、地壁の殺風景さを打ち消している。

「い、いたみ入る、セン=グォン殿どの。……しかし、これは実によく出来たにゆうしゆだ。しゆせいこそ強くないが、口当たりがよく、知らず量をごしてしまいそうになる」

 族長の手から何度目とも知れぬしやくを受け、セレィはかすかに赤らんだ顔で礼を言った。入り口の対角線上にあるさいじようの位置には族長がちやくし、セレィ、クルァシン、メリェの三人は、そのとなりで客人としてむかえられている。

「それは良かった。はつこうの具合がほどい時期のものを選りすぐって来ましたからな。これよりわかければちちくささがけぬし、古いと口当たりがかたくなってしまう」

「うむ。私が故郷ロケイラで飲んでいたものより味がく、何よりもこのしゆあふれるこうらしい」

 同民族ならではの気安さで言葉を交わすセレィと族長を横目にしつつ、クルァシンはふと、となりでちびちびとにゆうしゆめているじよに耳元でささやいた。

「……メリェ、しばらくセレィを見ていてくれ。おれは少し他を回ってくる」

 少女がうなずきで返したのをたしかめると、導神は物音一つ立てずに席を立ち、だれかれることもなくまくを出て行った。さわがしくも和やかなしゆえんであったが、彼には今少し他に気がかりがあったのだ。

 幕屋の外はすっかり暗くなっていた。遠くアヌビシア側の地平線にしずんでいった太陽が、わずかなむらさきいろを空のはしに残しているだけである。が、ひとたび地上にもどすと、トルキォストルの大平原にはクルァシンが出てきたものを始めとして五十をえる幕屋がならび立ち、その大部分からはぬのしのあかりと酒宴のけんそうれ出ている。セン=グォンの一族をげた、それがセレィらへのかんげいであった。

「気前の良いことだな。ちくに大きなゆうがあるわけでもなかろうに……」

 クルァシンはあきじりに微笑ほほえんだ。とはいえ、どうほうとの数百年ぶりのさいかいというけいに、彼らが委細をわすれてき足立ってしまう気持ちは彼にもかいできる。うたげは夜空がしらむまで続くだろう。導神らがともなってきた三百あまりの有角ユルフイネクの兵たちにとっては幸運なごとちがいない。

「……が、やはり、その輪から外れる者もいるようだな」

 見覚えのある姿すがたを遠目にとらえると、導神は早足に歩みり、そのかたに軽く手を置いた。

「わわっ……!? あっ、ど、導神さま……?」

「ぽつねんとひとりでいるのが見えたのでな。今夜はりのにんは無いはずだが、どうかしたのか、コリォ」

「ああ、ええと、その……いえ、特別に何かがあったわけではないのですが」

 なかりようよくしぼませて、コリォは言いよどむ。そのしんじようし量って、クルァシンは言った。

「やはりお前、あの席にはづらいか」

「……あ……。その、導神さま、も?」

 クルァシンは苦笑した。よくよく辺りをわたせば、幕屋と幕屋の間にぽつぽつと、目の前のコリォと同じようにしよざい無さげな有翼種クロトアの兵たちの姿が見受けられるのだ。導神には彼らの気持ちがよく分かった。

 楽しげに飲みさわ有角種ユルフイネクたちのいんえいがぼんやりと浮かび上がる幕屋を背中にして、クルァシンは草原にどっかと胡坐あぐらをかいてすわんだ。

「さすがに、な。アヌビシアの時のように、のっけからこつな不信とてきを向けられるのであれば、こちらにも開き直りようがあるのだが……。あいにくと今夜に関しては──つまり、東方と中陸の有角種ユルフイネクの歴史的な再会というだいけんの中にあっては──おれすいざつおんでしかない。であれば気をかせて席も立とうというものさ」

 コリォは軽いおどろきをめて導神を見下ろした。が、そのたいせいそんとでも思ったのか、彼女は少しだけまどった後、クルァシンにせんを合わせるようにして草原にこしを下ろした。

「……姉さ……じよおうへいは、うたげを楽しんでおられましたか?」

「まぁな。しゆはいことわれずにおうじようしていたが」

 それをいたコリォはひようじようを暗くしずませ、おそる恐るという様子で、さらに問いを重ねた。

「……導神さまは、前々から知っておられたのですか? その……中陸の半分が、すでに有角種ユルフイネクによって支配されていることを」

「もちろん知っていた。セレィとめんしきを持つ前に、ゴルォグンナ大陸はあらかためぐったからな」

「では、導神さまが姉さまを選んだのは──」

 思わず口から出かけた自分の考えを、コリォはすんぜんあわててのどの奥にもどした。が、そのむねの内すらあますところなくみ取って、クルァシンはきっぱりと首を横にった。

「それはかんぎだ。俺がめいゆうとしてセレィを選んだことに、その事実は関係がない」

「え……?」

こんけつというな生い立ちと、そこからはぐくまれたセレィのじんかくに、俺は未来につながるのうせいを見た。せいりよくはんゆうするりようの大きさで選ぶくらいなら、始めからトルキォストルの大首長に話をけているとは思わないか?」

 導神の言葉に、コリォはひざかかえて自分のせんりよさをじ入った。だが、クルァシンは続く言葉で彼女をはげました。

「安心しろ、コリォ。いくら中陸の有角種ユルフイネクと交友を深めようとも、あいつは自分のなかにあるりようよくわすれたりはしない。──それが、俺の信じたセレィ・メル・ロケィラだ」

 たん、コリォのほおにさっとしゆが差した。浅はかなねんも、どもじみた不安も、何もかもかれていたのだと──それを察したばかりに、彼女はしゆうで死にそうになった。

「気にするな。お前のなおさはおおくの局面でとくだ。……どうにも俺の周りには、ひとすじなわではいかない女ばかりえる一方でな。お前のつめあかせんじて飲ませたいくらいではある」

 からからと笑いつつ、導神はコリォの頭をかたで軽くでた。それも子供のあつかいだとコリォは思ったが、大きなてのひらに撫でられる気持ちよさが勝って、結局最後にはどうでも良くなった。そうやってげんを直してしまう辺り、やはり彼女はまだ少し子供なのだった。

(しかし、だんは出来ない。このてんかい、セレィにとってきちと出るか、それとも……?)

 いかなしんりよえんぼうをもってしても未来はやみの中にある。今の導神にはなぜか、あたたかな光に満ちたまくの中よりも、それとは対照的な暗闇の大平原にこそ、次の運命が待っている気がしてならないのだった。



 よくじつの午後おそく、セレィらはセン=グォンの一族から中陸の案内役を借り受け、大平原の中心部へと向けてふたたび出発した。族長は別れをしんでたいざいを引きばすようセレィにすすめたが、彼女は自分が引き連れた四百あまりの兵たちの食いこうりよし、ながとうりゆうたんとしては余りに重すぎると、先方のじようづかって勧めをことわったのだった。

「……仕方あるまい。あのままわれらがとどまっていれば、おそらく毎日のように祝いのうたげが開かれ、三日もころには一族のちくが空になっていただろう。彼らの好意にあまえては、このおんあだで返すことになってしまう」

 め息じりにらしつつ、さいさきのいい追い風がなかす平原のただなか、セレィは隊列の先頭で愛馬にまたがづなを取っていた。そのかたわらを生身の二本足でけながら、息一つみださずにクルァシンがおうじる。

たしかに、あれは受けていてそらおそろしくなるほどのかんげいだったな。昨夜の宴だけで、一体どれほどの家畜をつぶしたことか」

「それをおろかと笑ってくれるな。見たところ、彼らは我々──つまりはんのうはんちくした東方の有角種ユルフイネクくらべて、よりじゆんすいな形でゆうぼくみんぞくとしてのせいしつを残しているようだ。文字を持たず、歌とおどりを愛し、ひとところに長く留まることがない。……ゆえに彼らにとって、全ての出会いは等しくいちいちなのだ」

 セレィのひとみに深い親愛とかいの色を見取って、クルァシンはふくざつかんがいすがめた。……せんだってのアヌビシアこうりやくで、それと同じ表情を彼女が盲民族メルキエーナに対して見せるまでに費やした苦労を思うのなら、その手間がない分だけ、今回のじようきようは幸運と言えるのかもしれない。だが、たった今セレィがなになく使った「我々」という単語に──せいかくにはその意味のせまさに、導神は小さなきつきざしを見て取った。

「……セレィ。背中のりようよくは、やはり馬で走る時にはじやか?」

「? 何をとうとつに。伸ばせば無用に風をはらんでしまうが、それ、こうしてたたんでいれば何の不自由もないぞ」

 その言葉通り、セレィの背中では小ぶりな両翼がかたせまそうにちぢこまっていった。大地色のしようぞくにも、重ねた白銀のきようこうにも、つばさを自由にするためのあなしつらえられているため、それらは彼女がおうしようしていた時期のようなむごあつかいを受けてはいない。だが、ひたいの中心からきつぜんそびえる一角つのに比べては、そのそんざいかんとぼしさもいなめなかった。

 ふむ、と鼻を鳴らして会話を打ち切り、導神は無言のしつそうさいかいする。

「……何にでもてきざいてきしよはある。だが、その言葉だけでしのぐには、トルキォストルの大平原は有翼種かれらにとって広すぎるかもしれんな……」

 口の中だけでつぶやきつつ、クルァシンはちらりと隊列の後方をうかがう。き活きとしたせいかんな顔つきで馬を有角種ユルフイネクたちと、どこかのないおもちで彼らに追いすがる有翼種クロトアたちの対照コントラストが、ひどく強い印象をもって導神のひとみに焼きついた。



 平原をひた走る旅が一週間をえたころ、案内役を買って出てくれた中陸有角種ユルフイネクの青年が明るい声を上げた。中陸の半ばをはいするゆうぼくみんぞく国家トルキォストルのちようてん大首長ヘイロンひきいるしゆうだんが、すでにそう遠くない位置にいるはずだと言うのだ。

 目の上にてのひらかさをして辺りを見回しながら、青年はセレィに話しかける。

ちくに草をませながらどうしていますから、そうそうせいかくな位置までは分かりません。さしあたり、この辺りをぐるりと一周してみますか?」

「いや、そういうことなら、こっちにはうってつけの人材がいる」

 馬の足を止めて隊列の後方をり返ったところで、セレィはふといぶかしげにを細めた。──二頭の馬によって走る小型の馬車から、見覚えのある二人の少女がりてきている。一方は体調でもすぐれないのか、もうひとりによってかたささえられながら、おぼつかない足取りでセレィの所までって来るところだった。有角種ユルフイネクじよメリェと、盲種メルキエーナの『聴士ラルゴウ』サーリャである。

「お前たち、どうした? サーリャについては、たった今ぼうとしたところではあるが……」

 セレィにそう問われても、メリェはこんわくしたおもちでサーリャのなかをさするばかり。よほど気分が悪いのか、片手でむねさえながら、青ざめた顔で『聴士ラルゴウ』の少女は言う。

「……予想していなかったじようきようだけれど、きんきゆうせいありと、はんだんした。だから、口頭でちよくせつほうこくする……」

「……ふむ? 事前に定めておいた音の信号では伝えることの出来ない、てきしゆう以外のきんきゆうたいということか。しかしサーリャ、何よりもまず、そなた自身のようだいが思わしくないようだが」

「私のことは、いい。──それよりも、聞いて。西に二半里先、大型のばやけものれが、それよりも小さな動物のたいぐん……たぶん放牧中の万途羊ハルラ・アズイマ……におそいかかろうとしている。馬に乗ったひつじいもひとり近くにいる……でも、二十七頭の獣が相手では、ぜいぜい

 聴力のおよはんごともうする『聴士ラルゴウ』ののうりよくを知らず、そのために眼をぱちくりする案内役の青年をよそに、セレィとクルァシンはしゆんに状況をかいした。

「クルァシン、そなたは──」

「分かっている。先に行くぞ!」

 うんきゆうつうませ、馬に勝る足を持つ導神はすぐさま全速力でけ出した。彼の背中が遠ざかる前に、セレィも兵たちに号令をかけて、ひづめの音も高らかにその後を追うのだった。



 トルキォストルの大平原に生息する大型のにくしよくじゆうはそう多くなく、種類を数えても五指に満たない。その中でも掠畜獣ドフスハツドンせいしつの悪さでだいひようかくっており、中陸に住まうしよみんぞくからはかつのごとくきらわれている。

 その最大の理由に、このけものしよくたいしようとしてほぼ必ずちくねらうという点がある。彼らはつねに二十~三十頭ていれで行動し、放牧中の万途羊ハルラ・アズイマたいぐんを狙うさいには、野生の獣とは思えぬほどこうかつやくわりぶんたんりを行うのだ。一部は羊の群れにんで全体のとうそつみだし、一部はひつじいを取り囲んでけんせいし、残りはきようこうじようたいまどりつした羊に集団でおそかる。万途羊ハルラ・アズイマ地球アースの羊よりもはるかに身軽でびんしようだが、掠畜獣ドフスハツドンたちのれんけいにかかっては、高いかくりつで群れから数十匹ものせいを出す。

 掠畜獣ドフスハツドンろくそくじゆうであり、その姿すがたかたち地球アースのどんな動物にもていないが、いて言うのならかまきりおおかみ合成獣キマイラとでもひようげんするのが印象としては近しい。ももきんにくいちじるしく発達した後ろ足と中足は主にしつそうのために用いられ、するどつめかまのようにびる前足は、きば以上のとしてものを襲う際に使われる。また、顔面にはしんじようふくがんが二つあり、大小様々な数十のがんほうかくまくの中にびっしりとならんでいる。

「……ヴズォォオッ! ズオォォォッ──!

 平原をひた走る先頭の一頭からにごったほうこうほとばしった。大群で草を万途羊ハルラ・アズイマたちの姿を複眼でとらえたのである。たん掠畜獣ドフスハツドンの群れは一気に散開してぜんじゆつの連携作戦を始めた。捕食者のはいを察した羊たちも逃げのたいせいに入るが、数が多い分だけ全体のとういつには時間がかかる。重大ながいなく群れが逃げおおせるには、もはや明らかに時をいつしていた。

「ヴオオオオッ! ズオ、ヴォ、ヴォォッ……?

 この狩りは成る。確信にむねたぎらせてしつそうする掠畜獣ドフスハツドンたちだったが、直後、そのせんぺいがわずかにどうようした。全体のほうこうてんかんに手間取っている羊どもを守るように、馬にまたがったひとりの男が捕食者の群れの前にたんどくで立ちふさがったからだ。数の差をかんがみぬぼうきよである。まともな羊飼いの取る行動ではない──けいけんそくに反する相手の動きに彼らがいぶかしさを覚えたしゆんかん、鋭い風切音が獣たちのを打ち、群れの先頭を走っていた掠畜獣ドフスハツドンの首がどうたいからね飛んだ。

「──ッ!? ズオオオォォォッ!?

 きずぐちからふんすいのように迸った仲間の血を全身に浴びて、後続の一頭がきようがくうめきをらす。首を飛ばされた個体は、自分の状態にいていないかのようにしばらく走り続けたが、やがて糸が切れたように前のめりになって地面へとたおした。

 先頭を走る若い一頭がそくし、捕食者たちの群れは少なからず動揺したが、仲間の死に様は彼らにとっていまいましくものものであった。見れば、彼らが複眼で捉えたかいの中では、あの羊飼いの男が馬上で長大な弓をかまえている。そこから放たれた一矢──せんたんやいばじようやじりをもつ狩俣シユラと呼ばれるその矢こそが、獣の首を一息に切り飛ばした中陸有角種ユルフイネクに特有の武器である。

「──フゥッ!」

 仲間の死のしようげきから彼らがふつする前に、間を置かず二の矢が掠畜獣ドフスハツドンの群れをおそう。今度の狩俣シユラどうたい部分からすいちよくに切りんでけもの身体からだを二枚におろした。ついで飛来した三の矢は深い角度でえぐりこみ、不運な一頭の六足をまとめて胴体から切り落としてしまった。

「ズオオオッ……! ヴズォォォッ、ズォォォゴォォォウ……!」

 だが、その戦果は必ずしもひつじいにとって幸運には働かなかった。には知るよしもないが、三頭目にめたたいはらばらメスだったのだ。どんな獣にも肉親への情はある。足を落とされた雌のつがいオスが、今まさにいきえんとするつまの前でつうな鳴き声を上げ──それを聞きとどけた全ての仲間は、かたきへのふんげきじようたぎらせた。

「「「「「ズォォォオオオアアアアアアアアアアアアッッッ!」」」」」

 獣たちはけた。もはやりのせいすらがいし、ただ仲間の仇をつために。ものを駆り立てるためのじんけいくずれて、残った二十四頭全てがいつせいにひとりの相手へ襲いかる。一方、れをほぼ丸ごと相手取る形になった羊飼いの男は、おのれおちいったきゆうあせるでもなく、むしろたのしげにくちびるり上げ、馬の側面に下げてあったおのが得物を引きいた。

「おれがにくいか、畜生ハズナロウども。この身体をきにしたいか。はらわたき散らしたいか」

 男は頭上に両手でかかげるようにして得物をかまえた。しかし、それは剣でもやりでもなく、じゆつしやくえる長大なくろがねきねだった。りようたんにはだつこくえんかつにするための無数のとつがあり、重量の面からものうの面からも、およそ獣と相対する際に用いるべき器物ではない。

「なら、試してやるぞ。──そのぞう、どこまでつものか」

 きようじんな四足をかして飛び掛かってきた一頭を、羊飼いの男がるうてつしよむかつ。つかの中央部から伸びた二本のにぎぼうを中心に男がそれをあやつると、どんじゆうな外見からは考えられぬほどの速度で全体が回転し、斜めに打ち下ろす軌道で空中の掠畜獣ドフスハツドンの身体をとらえた。

 ほねくだけ、肉がぜた。それはなぐったというよりも挽いたのに近かった。地面にめり込んだ鉄杵の先端を男が引き上げると、ぐちゃりと音を立てて血の糸が引き、そこにもはやなきがらべるものはない。……あわれな獣はしかばねさらすこともゆるされず、生物から一足飛びにき肉へと成り果てたのだ。

ウオオォォォォォオオン!」

 一帯の大気をすぶるほどの声量でたけりながら、男は襲い来る獣どもを片っぱしかららす。ひとつ鉄杵が振り下ろされるごとに、亡骸ではなく挽き肉がえていったが、それも七つ目を数えたところで中断した。──男が敗れたからではない。襲いかかる獣たちの方が、憎しみに勝るおそれの感情を、目の前の相手に対していだいてしまったからだ。

「ここまでだ、畜生ハズナロウども。──おまえたちの憎悪おもいよりも、おれの恐怖ちからの方が強い」

 六足をがたがたとふるわせて獣たちがおびえている。その有様を一通りながめ回してから、連中の中に一頭の例外もないことを見て取ると、男はつまらなさげに馬を一歩進めた。──それが最後のひとしだった。恐怖がほうし、集団をりつしていた全てが崩れ去って、掠畜獣ドフスハツドンたちは散り散りに大平原をげ去っていった。


「これは……」

 足下に転がる数多のしかばね──というよりは地面にめりんだ無数のにくへんながめ下ろして、導神はその場でしつそうを止めた。そして、なまぐさい地面からじよじよせんうつし、馬にまたがってゆうぜんとそこにる、きよの男の姿すがたかいとらえる。そのめんぼうの細部にいたるまでにんできるきよで。

「──みようだな。この平原を自前の足でけるのは、虫けらとけものだけだったはずだが」

 こげちやいろひとみがじろりと導神を見下ろす。その視線とひるむことなく向かい合えるのも、クルァシンが多くのしゆえてきた神の身であればこそ。外見からじやつされるかんじようだけでもばんみんしたがわせるに足るだろうと思わせてしまうほど、その男のふうかくあつとうてきだった。

 まず体軀がかくがいおおきい。乗っている馬とかくすれば普通に見えるのだが、それは馬の方もへいきんよりずっと大きいからであって、男の身長は少なく見積もってもろくしやくはんを下らない。黒のした穿きを穿いた上に大地色の長着をまとい、さらにその上からにもあざやかないろの毛皮をっている。野生的に整った顔面にはいくつか大きなきずきざまれており、とりわけ右のほおからひたいにかけての切り傷はきようれつそんざいかんを放つ。有角種ユルフイネクあかしたる一角つのは、セレィにくらべればじやつかん短いものの、均整の取れたさんかくすい形が見る者にいさぎよい印象をあたえた。

 たがいに交流のたんしよつかみかねて、上と下から両者がにらみ合っているところに、どうめいぐんの兵たちをひきいたセレィが追いついてきた。ついで、彼女は半ばまで地面にまった掠畜獣ドフスハツドンらの成れの果てにおどろき、となりのクルァシンに小声でたずねる。

「……クルァシン、これはそなたが?」

「たとえけものたおしても、おれはこんなところで挽き肉にはしない。……あの得物を見てみろ」

 導神がせんしめす方向には、男の跨った馬の側面に下げられた長大なてつしよがある。りようたんに無数のとつそなえただつこくさながらのきようは、今なお生々しくにおい立つようなせんけつしたたらせていた。

「……いささかなまぐさくはあるが、見事なまえだ。たんでこれほどの戦果を上げるとは、さぞかし名のあるじんと御見受けする。──いや、失礼した、こちらから先に名乗ろう。私の名はセレィ・メル・ロケィラ。東方有角種ユルフイネクじよおうにして、ロケィラ・オルワナ・アヌビシアさんごくどうめいの盟主をつとめる者だ。もし良ければ、そなたの名前を聞かせてもらってもかまわないだろうか、だいなる有角ユルフイネクの戦士よ」

 礼をくしてたずねたセレィのたいと、その口にする内容に、さしもの男もみはって彼女に視線をうつした。彼は数秒だけ思案にふけると、かたひようじようのまま、おもむろに口を開いた。

しき有角ユルフイネクの女よ。おれの聞きちがいでなければ、おまえは今、東方の地──我らがいにしえきようより来たと言ったのか。それが本当であればはなはだ嬉しい。だが、うそであればひどく悲しい。おれが笑うべきか泣くべきか、おまえにはそれを決めることができるのか」

 男の言葉を聞き、これは自分が場を取り持つべきかと考えた案内役の青年が、馬上から小声でじよおうに耳打ちする。しかしセレィはやんわりと首をってそれをことわると、づなを引いて馬を歩かせ、男の方に向かってゆっくりと進んでいった。

「なら、感じてくれ。──私はそなたに、笑ってしいと思っている」

 きよが近付くにつれて両者の一角つのが共鳴し、ぶねが岸にくように、ふたつの心がやわらかにれ合った。セレィの微笑ほほえみが一角つのわたってうつり住み、男の口元も次第にゆるんでいく。──ふたりの有角種ユルフイネクたがいのしんらいを望むとき、その関係にはどのようなきよはさみようがない。男は満足げにうなずいて口を開いた。

「……どうやら悲しむ必要はないようだ。よって喜んで名乗りを返そう。──おれの名はヘィロン・ザカ・トルキォスタ。トルキォストルの大平原に生きる全ての有角種ユルフイネクたちの長にして、二百七十のしよぞくちようてんべる大首長ヘイロンだ」

 男がべた身の上にも、セレィは少しもおどろかず、おだやかな微笑みをかべたままこたえた。

「お会いできて光栄だ、ヘィロン殿どの。一目見たしゆんかんから、そなたのふうかくは王者のそれとかくしんしていた。……だが、私の前ではもう少しだけかたの力をくといい。われわれの立場はおどろくほど近いのだから」

 セレィは言葉をかざらずちゆうこくした。それを聞いたたん、ヘィロンははっと息をまらせると、持ち前のいかつい顔面をくしゃりとゆがめて──意外なことにも、ほんの一瞬ではあったが、含羞はにかむようにやさしく笑ったのだった。



 じゆんすいゆうぼくみんぞくとして大平原に生きる中陸有角種ユルフイネクは、そのないこうぞうに二百七十のしよぞくを持つ。百から三百人ていの人員によってこうせいされる彼らの家族ジオは、それぞれの族長グオンの下できんみつな身内のきずなを有し、時にはきんりん家族ジオとも助け合いつつ、主に遊牧によって生計を立てている。

 そして年に一度、全ての族長グオンが一同に会して酒をみ交わす機会があり、そのさいに広大なまくの中で最上座にすわる人物こそが大首長ヘイロンである。これは中陸有角種ユルフイネクさいこうけんりよくしやしめしようごうであると同時に、それをしゆうめいした人間がその後の人生で名乗り続けなければならない名前でもある。かの人はとしてのおのれて、そのそうしつによってそんざいこうしんし、新たな大首長ヘイロンとして歴代のはいしやに身を連ねるのだ。

大首長ヘイロンが帰ったぞ! 客人をお連れだ!」

 平原にずらりと立ちならぶ五十むね以上の幕屋から、家長のかんを見て取った人々がぞろぞろと姿すがたあらわす。当のヘィロンは二百匹もの万途羊ハルラ・アズイマとセレィらのしゆうだんはいに引き連れて集落に入り、馬上でかたを上げて族員らのせんこたえた。

「東方の地からおとずれた客人たちだ。おまえたち、かりなくもてなせ」

「「「「「「「御心のままにイルオ・デイラ・エ・ゴツフオイ!」」」」」」」

 しゆんじゆんひまもなく、集まった全員が声をそろえてそくとうし、その瞬間からあわただしくうたげじゆんが始まった。幕屋をかたけに向かう者、食器をかかえて走る者、にゆうしゆたくわえをかくにんしに急ぐ者。ヘィロンの一声でふつとうした集落の空気を、セレィとクルァシンは驚きをかくさずに見つめた。

ゆうこくまでには席を整える。その前に、まずは客人らの馬をあずかるぞ」

 ヘィロンのまねきに応えて走ってきた十数人の有角種ユルフイネクたちが、馬からりたセレィらからづなを預かり、こなれたさばきでそれを引いて、数百頭の馬たちを次々ときゆうしやに連れて行く。その間、ヘィロンは放牧を終えた万途羊ハルラ・アズイマさくの中に帰してやり、そこから一匹のわかメスを連れてもどってきた。

「これぐらいしかかんげいの作法を知らんが」

 ぶっきらぼうに言いつつ、ヘィロンはこしもとさやから小刀をき放った。──万途羊ハルラ・アズイマまざりの時代から有角種ユルフイネクちくとしてちようほうしてきたおんこうじゆうじゆんな動物だ。たいかく地球アースの羊よりやや細身で、ふさふさとした長くやわらかい体毛を全身にたくわえ、しなやかなと黒目がちのりようそなえている。その肉は食用として言うにおよばず、しぼったちちりようしゆせいふくにゆうしゆとして加工され、体毛から歯にいたるまであますところなく生活用品に利用されるため、のうこうぶんを持たない中陸有角種ユルフイネクにとっては、馬と同じくらいにひつようけつけものと言えるだろう。

 夕陽の光をきつに照り返すはくじんを前にしても、ひつじは何らけいかいする様子もなく、二つのつぶらなひとみは目前のヘィロンを通りぎて、セレィられないほうじんに向いている。い主がていもうのために刃物を持ち出すのはままあることだからだ。

「──御霊を天にルーシア・スイ・エナ 身体を大地にラダオ・スイ・ガゼ

 いのりの言葉をささやくと、ヘィロンは小刀を持つのとは逆の手で雌羊の足をつかみ、その身体からだをごろりとあおけにした。それでも雌羊は警戒しない。「あれ、いつもはなかからるのにな」──その程度のしんならば、そろそろ感じ始めたころあいだったかもしれない。

 小刀の切っ先が音もなく雌羊のふくに入った。それはしたというよりも隙間に入れたという感覚だった。ゆるく開いたきずぐちに、すかさずヘィロンの右手がもぐみ、そのままじんそくに体内を進んでいく。やがて指先がしんぞうとなりの大動脈に辿たどりつくと、彼はそれを五指で摑み取り、うでに力をめてまよわず引き千切った。──びくん、と雌羊の身体がけいれんする。こと切れるしゆんかんには、末期の一鳴きさえもなかった。

あざやかなものだな。……この羊には、いたみを感じる間もなかっただろう」

 さつから肉のかいたいへと、作業のこうていが流れるようにうつっていく。その様子をそんけいまなしで見やって、セレィは感想をべた。休まず両手を動かしながら、ヘィロンもそれに応じる。

「五さいたんじよう、初めて羊の世話をまかされた。まだ生まれたての赤んぼうだった。……今でもよくおぼえている。小さくもろく、毛もろくに生えそろっていなくて、放っておけばすぐに死にそうだった。だからおさないなりに必死で育てた。草をませ、どこわらを取りえ、寒い日にはもうかぶせていてねむった。そのあってか、大きく健康に育ってくれた」

 ヘィロンはとつとつと語る。その間も決して肉を切り分ける手は休めない。

「だが、おれが八さいむかえた日──その羊を、自分の手で殺して、解体ばらして、らった。親父おやじがそうさせた。泣いていやがるおれに、親父は言ったものだ。『殺さねば肉は取れん。この事実かららすな。お前が今日まで口にしてきた肉も、そうやって得られたものなのだ』と。おれには言い返しようがなかった」

きびしいちちうえだったのだな」

「おれが最初の羊を殺すときも、いのりの言葉と作業の手順だけを事前に教えられて、後は何の手助けもしてもらえなかった。当然のようにぎわ良くはいかず、無用の苦しみを羊にあたえてしまった。おれはつらかった。どうしても殺さねばならないのなら、せめてきようや痛みを感じさせたくなかった。……どうにかそれが出来るようになったのは、せいぜい三十匹目からだったが」

 ものの五分とたないうちに雌羊のなきがらは完全にかいたいされ、地面にかれたおのれの毛皮の上に、せんこうしよくの肉の山となってうず高く積み上げられていた。せんれんされた様式美を感じさせるヘィロンのぎわを見て、導神が後ろからぽつりとしつもんはさむ。

「……そこまでてつていして、血を流さないようにしよするのはなぜだ?」

「父神の大地を、じようの血でけがしてはならないからだ」

「そのわりには、あの掠畜獣ドフスハツドンどもはずいぶんらんぼうあつかっていたようだが」

異民族よそものが知ったような口をきくな。あれはいくさしおだ」

 がんこうするどく導神をにらみつけ、ヘィロンは低い声で続けた。

「……われらの祖神ユルフィネクは、かみまつていメルキェーナのりようそこなってしまったさい、父神ネルマファにひとつのちかいを立てている。二度と無用の血は流さぬ、とな。しかし、戦の中で流れ落ちる血潮だけは別だ。それは不浄の血ではなく、かえって我ら有角種ユルフイネクゆうしめしようとなる。戦の血潮は、大地そのものとなられた父神へのささげ物なのだ」

 ヘィロンの説明を最後まで聞くと、クルァシンはなつとくのいった様子でうなずき、その場からつつましく一歩身を引いた。それはたんじゆんてきこうしんを満たしたせいではなく、さきの対話、ともすれば反発をびかねないほどんだ問答を通して、相手のにんげんせいとらえたと思ったからだ。

「──大首長ヘイロン! 席のじゆんが整いました!」

 ひときわ大きなまくからけ出してきた男がほうこくする。それを聞いたヘィロンはうなずきで返して、積み上げた肉を毛皮ごとしんちように持ち上げながら、セレィらにせんで手近の幕屋に入るよううながしたのだった。



 全ての席がまったのを見て取ると、ヘィロンは手で合図してまくの入り口をめさせる。そうして、おおぜいちんもくたもったままのしんとした空気の中で、ごく自然にくちを切った。

「まだだれさかずきを持つな。鹿さわぎは後に回し、今は客人の話を聞くことにする」

 すんなりとはつげんけんゆずられたことにあんしつつ、セレィはかんしやめた目配せをとなりのヘィロンに送った。すぐにでも本題を切り出したがっている彼女の思いをこうりよしてのさいはいだろう。そのづかいをんで、東方有角種ユルフイネクじよおうしんおもちで話を始めた。

「いきなり話されても、とうてい信じられぬ話かもしれないが、どうかざれごとと思わずに聞いてしい。──世界のそんぼうに関わるが、このエナ・ガゼに迫っている」

 その切り出しに、中陸有角種ユルフイネクたちからは何のはんのうもなかった──というよりは、できなかった。話のが大きすぎて、へいじようにんしきはんからのかいいちじるしく、どう受けとめてよいものかはんじかねたのだ。

「そこからの説明はいつたんおれが代わろう。──お前たちの住まうこの世界とは別に、長い歴史と強大な武力を持った「発展界」とばれる世界が存在する。かのくにの民は他世界へのしんりやくなりわいとしており、そのいつかんとしてエナ・ガゼにけてきた。今げんざいも、〝神狩り部隊ヴエル・グルン〟とばれる発展界のせんぺいが、ゴルォグンナ大陸全土にじようあんを引き起こすべくあんやくしている。このセレィもすでに二度、やつらのきようじんたおれかけた」

 導神の発言をしようするようにセレィがうなずく。まだまだこんわくの色がちようしゆうに向けて、じよおうは持ち前のよく通る声で続けた。

「東方、中陸、西栄──三つのいきで二十五もの国々がらんりつしている有様では、とてもしんりやくしやたちのたくらみにたいこうできない。世界の全てが一丸となってあらがたいせいが必要になるのだ。そのために私は宿しゆくてきであったオルワナの有翼種クロトアたちとかいし、こくじようたいにあったアヌビシアの盲民族メルキエーナたちにも協力を取り付け、そなたらの住まうトルキォストルの大平原にまでやって来た。……その全ては、侵略者たちのもうくつすることのない、ばんじやくかいどうめいを組み上げるためだ」

 まくの中にざわめきが満ち始めた。熱っぽいこうふんを宿した無数のひとみが、セレィのいつきよいちどうに対してぎようぜんと向けられる。──大陸を東から西にけ、世界をひとつにまとめ上げる。その大望は、かつて彼らが中陸地域にうつり住んださいいだいたゆめと、あまりにもよくていたからだ。

「すでにロケィラ・オルワナ・アヌビシアの三国は同盟し、東方に残る二国──ダマカスカ、ギリェ・イゼンとも前向きなこうしようを続けている。かりにそれが成功し、さらにそなたら中陸有角種ユルフイネクが仲間に入ってくれるのであれば、すでにゴルォグンナ大陸の半分は協調したことになる。ろん、分からないことがあれば何なりといてしい。ねんや不信は当然のこととして、私たちはせいをもってそれを晴らそう」

 セレィの口にした内容は聴衆の有角種ユルフイネクたちをかせていたが、意外にも、その中からそつせんして意見を口にしようとする者はいない。だれもが言いたいことや問いただしたいことをまんしている風ではあるのだが──一向にせられない生の声に、セレィとクルァシンはげんに思って顔を見合わせた。

「許せ、セレィ。この席はおまえの知るような、せいじゆうちんを集めての会合ではない。おれは中陸有角種ユルフイネクべる大首長ヘイロンだが、平時はおのれ家族ジオを取り仕切るいつかい族長グオンぎず、こいつらもその族員でしかない。国と国の同盟などという大事について、堂々と意見をべられる立場にはないのだ」

「なるほど、そうだったのか……。ここでのさいりようあくせず、いささか話の進め方をはやったかもしれぬ。しつけであったのなら、どうかゆるして欲しい」

「いや、かまわん。……さっきは平時の話をしたが、時が有事ともなれば、おれは大首長ヘイロンとして号令を出すことになる。おまえの発言が事実であれば──すなわちエナ・ガゼ全体が別の世界から侵略を受けようとしているのなら、今が平時であろうはずもない」

 セレィに向かっておうように頷いて見せると、ついでヘィロンは自分の族員たちにせんうつし、げんに満ちた声で告げた。

「そういうことだ、おまえたち。──今年の大集会はもう終わったが、大首長ヘイロンの名のもと、全ての族長グオンたちをび集めた会合をふたたび開くことにする。何か問題はあるか?」

「「「「「「「御心のままにイルオ・デイラ・エ・ゴツフオイ!」」」」」」」

「よし。ならば今すぐしよぞくのもとへれんらくに走れ。ぶんたんさきの大集会のさいと同じだ。次の四満月までに、二百七十人の族長たちを一人残らずここに連れて来い。一日のおくれもはじと思え」

 大首長ヘイロンの命を受けて、おおくの男たちがまくの外へけ出していく。それから数分もすると、あわただしく旅のそうを整えた者から順に出発しているらしく、馬のいななきとひづめの音が、がらりと空いた幕屋の中にまでひびいてきた。望むべくもないてんかいの速さに、セレィとクルァシンは二人そろってあっけに取られたおもちでいたが、われに返ったじよおうそくする。

「じ、じんそくたいおうかんしやする。そこでていあんなのだが、これを機会として、東方のしよこくからも要人をんでもかまわないだろうか? そちらには私の方から人をつかわせる。急げば次の四満月までには間に合うだろう」

しようした。こちらとしても、顔合わせは早いほうがいい」

 セレィの提案をふたつ返事で受け入れると、ヘィロンはぱんぱん、と両手を打ち鳴らした。

「──話は一区切りついた。空いた席に残りの客人を通せ。ここからはじゆんすいかんげいうたげだ」

 会合をめくくるヘィロンの言葉を合図にして、料理の皿が幕屋の中に運び込まれる。さかずきにゆうしゆがなみなみと注がれ、だれかがげんがくかなで始めると、それに合わせておどり子がい始める。──セン=グォンの集落でのそれに輪をかけてにぎやかな、夜をてつしてのうたげが始まった。



 平原の夜がとっぷりとけ、飲みさわいでいた人々の半数がつぶれたころあいになると、導神は例によって音を立てずに幕屋から出ていった。つゆにしっとりとれた草原を進んでいくと、集落から少しはなれた辺りに、たくを整えた有角ユルフイネクの少女・メリェが待っている。

「すまん、待たせたな。わすれ物はないか?」

「ばっちりです、導神さま。いつでも出発できますよー」

 ふくらんだはいのうを後ろ手にしめして、メリェは元気いつぱいに受け答えする。そうか、とうなずいて身をかがめようとした導神だが、ふと自分たち以外のはいを背後に感じてり向き、たった今出てきた集落の方向からやって来る二つのひとかげみとめた。

「……セレィと、それにサーリャか。話は通してあっただろう。見送りはらんぞ」

「そうじやけんにするな、導神どの。酔い覚ましに冷たいは丁度よい。……それに、そなたのしのび足でさえサーリャの耳をせんという事実が、なんだか可笑おかしかったのでな」

「む、たしかに。……帰って来たら、次は本気で忍んでみることにしよう。おんぎようの実力でルダ・ガイランにおとると思われては、おれけんに関わる」

 いつもの軽口をおうしゆうする両者に、少し躊躇ためらってから、サーリャが言葉をはさんだ。

「……どうしても、今、行かなくては?」

 その問いは予想外だったために、クルァシンは不思議そうなおもちでサーリャを見た。

「前々から言ってあっただろう? 今後のすうせいを先読みするために、中陸の西側に位置する『さんしゆ』の国家──ヴァルハ・セドレの様子を見ておきたい。ここでトルキォストルとのどうめいが成功しても、それをけいかいした西側のしよこくが、たいいたずらこうさせることをけたいのでな」

「それは知っている。でも、あなた自身が向かわなくても、せつこうを出せばいい」

「いくら早馬でけても、人の身では、ヴァルハ・セドレでのじようほうしゆうしゆうませてから次の四満月までにここへもどってくることはむずかしい。それが可能なのは馬に勝る足をもつおれだけだ。それに何より……ルダ・ガイランのしようえきらない今のうちでしか、俺がセレィのそばはなれられる機会はない」

 クルァシンの言葉に、サーリャはぎゅっとくちびるめてうなれた。それを言われてしまうと、もはや彼女にははんろんの仕様がない。いつとうというかくがいおんみつを相手取って、『大央聴ラルゴウ・オオデキム』のちようりよくは一度完全な敗北をきつしたのだから。

「気を悪くするな、サーリャ。俺がこうして自由に動けるのも、セレィの身辺をお前がってくれている安心感があってこそだ。……たとえ〝神狩り部隊ヴエル・グルン〟を相手にしても、お前の聴覚はじゆうぶんに通用するものだとかくしんしている。いかに発展界の兵器を使し、各々がきん出た隠密のうを有するとはいえ、あの連中もられれば血を流す生身の人間にぎない。セレィの身辺を守る兵たちにも、いざてきとしてたいした時、やつらにおそれず立ち向かえるよう万全の訓練をほどこしたつもりでいる。サーリャ、お前もアヌビシアでの事件についてはいつたんわすれろ。ルダ・ガイランのようなかいぶつは、そうそう二人目が現れるものではない」

 導神が言葉でしんらいしめしても、サーリャはこぶしをきつくにぎり締めてだまっている。づかったメリェが傍にっていって頭をでるが、一向にくもったひようじようが晴れることはない。その様子をこまり顔で眺めつつ、ふと導神は思いいたった──彼女が今いだいている感情は、元『大央聴ラルゴウ・オオデキム』としての自負をきずけられた、そのいたみだけではないのだろうと。

「何か……ぬぐいきれない不安があるのか? 俺が今、ここを離れることに対して」

「……ない、とは言えない。でも、それでは具体的に何が不安なのかと言われると、私にもはっきりと言葉に出来ない……」

あいまいでもかまわない。とりあえず口にしてみてくれ」

 クルァシンにうながされると、サーリャは少し思案して、セレィに話をった。

「……じよおうへい。中陸有角種ユルフイネクみんぞくせいと、ヘィロンという男のひとがらについて、あなたはどういう印象を受けたの?」

「……ふむ? それはもちろん、ゆうぼくみんぞくとしての彼らの性格は、同じく有角種ユルフイネクである私にも親しみやすいものだ。ゆうもうがたく、人との出会いをいちいちとらえ、大地へのけいを忘れない。他には、そうだな……美点ばかりならべ立ててもせいじつさに欠けるから、少々気になる点として……何事につけきつが良いが、それがうらがえった時のせきにんさが予想されることだろうか」

 ほう──と導神はセレィの冷静などうさつに感心した。数百年をへだてた民族のさいかいというたいに、何やかやと少しはき足立っているものかと思ったら、美点と欠点の両方をかすきやつかんせいをきちんとたもっている。最初に会ったしゆんかんから今にいたるまでのいちじるしい成長ぶりがうかがえて、クルァシンにはますます、彼女のそばを一時はなれることへの不安がうすれた。

「そう……。じゃあ、クルァシン、あなたは?」

「おおむねセレィと同じだが、そうだな……あのヘィロンについてさいなことを言うなら、セレィとの意気投合ぶりにくらべて、おれにはあまり良い印象をいだいていないようだ」

「それについてはアヌビシアの時も同じであったな。ふむ、こまったものだ。どうやらわれらのみちびきの神は、初対面の相手にはよほどさんくさうつると見える」

 親しみのこもったじよおうの皮肉に、クルァシンもまた苦笑でおうじる。──実のところ、その問題については、当人たちもいていないみような男女のをサーリャは察していたが、それはある意味で言わぬがはなであったし、何よりも彼女の不安のげんせんはまた別だった。

「……女皇へいそつちよくに言って、あなたはヘィロン・ザカ・トルキォスタと心を通わせられた?」

ろんだ。その事実があるからこそ、クルァシンが傍をはなれることも受け入れられる。我々をかんげいするヘィロンの心にいつわりはないし、どうめいについて前向きな姿せいでいることもたしかだ。もちろん私がヘィロンにあざむかれているということも有り得ない。この一角つのにかけて、ぜつたいに」

 女皇の発言は自信に満ちており、なまはんな不安などでそれにを唱えることははばかられた。問題を明確に出来ない自分に内心でじくたるものを感じながらも、サーリャはこれをしおどきと見て、つつましく一歩身を引く。

「……時間を取らせてしまった。ごめんなさい。今の話はわすれていい。あなたがここを離れている間、私は全力でつとめを果たすことにする。どんなそくの事態が起こったとしても」

たのもしいかぎりだ。……しんらいしているぞ、サーリャ。他の兵たちと共に、セレィの助けになってやってくれ」

 サーリャが静かにうなずいて、衣服のずいしよかざそうしよくがちりりぃん、とんだ和音をかなでる。それを送別の音色と受け取ると、クルァシンはその場で身をかがめ、メリェの身体からだなかかつぎ、ぬのを使ってなるべく楽な姿せいで固定した。

「では、しばしの別れだ。──ふたりとも、次の四満月までそくさいでな」

「行ってきまーす! セレィ様、サーリャちゃん、お元気で!」

 背負われたじようたいでぶんぶんと手をるメリェの姿すがたが、ひとたび導神がしつそうを始めると、ざんぞうを残して遠くはなれていく。セレィとサーリャが見送る中、なかむつまじい親子のような二人の姿は、あっという間に大平原の夜にけて消えていった。



 ヘィロンの集落からはるか北にはなれたいき。夏のさかりにもうわけていの遊牧が行われる以外には、有角種ユルフイネクたちの中にもかえりみる者とてない中陸のへんきよう。そこにぽつりと、大地に落ちた赤いみのように、一人用の小さな天幕テントが立っていた。

「……アレだな。どう見ても」

 明らかなかんのある光景を、遠目にうかがかげが五つあった。たいかくはまちまちだが、どの人物も共通して、やみけるような黒衣をんでいる。ふと──その内の一人が、自分の中の何かをおさえかねるように、うずうずといたかたふるわせた。

「なぁ、ゼル。……なぁなぁなぁ! ちょっくらあいさつしてきてもいいだろ?」

「やめておけ、ギロ。じようだんの通じない相手だぞ」

 となりかげが呆れたようにさとす。そこに、さらに別の影が笑みじりの声をはさんだ。

「ぷくくくっ……いや、ぼくはさんせいだね。しよぞくの隊がちがうぼくたちでは、いつとうの実力を試せる機会なんてザラにはない。ここで最強のメッキががれるにせよ、順当にギロの首が飛ぶにせよ、とってもおもしろい見物だと思うけど……リガ、きみはどうだい?」

「オレは反対っすね。みなで生きて帰りたい。ギロは鹿だけど、いちおう仲間だし」

「んだよ、かつたいなぁ。……えっと、ゼルとリガが反対、おれとバズがさんせいで、今のところ二対二? んじゃ、ビンゾコさん、あんたの意見で決まりだな」

 四つの影のせんが最後のひとりに集中する。しかし、当の本人は話をいていた風でもなく、ひたすら足下を見下ろして不満げに何事かをつぶやいていた。

「……つまんない……ここ、植生がたんじゆんすぎて面白くない……動物にもろくに会ってない……どうせなら東の森林地帯に行ってみたかった……」

「……おーい、瓶底さん、帰ってきてー」

 リガが目の前でてのひらを上下させても、その人物はまったくはんのうを返さない。見かねたゼルがめ息混じりにかたたたいた。

「……ヨク。ちょっといいか、ヨク」

「……はぇっ!? ははは、はいっ! 何かようでしょうか、はんちようさん!」

「いや、別に御用ってほどじゃないんだが。……今までの話、聞いてたか?」

「へっ? ……そ、それはもちろん。一字一句らさず聞いておりましたとも!」

「……そうか。じゃあさんせい? 反対?」

「賛成です! ぜんしんぜんれいでポジティヴです! もろを挙げてさせていただきます!」

 首をぶんぶんと上下にったせいでフードがすべり落ち、その中から、あつびんぞこ眼鏡めがねをかけたしようっ気のないじよせいの顔が月明かりの下にかび上がる。それをちんじゆうでも見るようなながめつつ、ギロは気を取り直して口を開いた。

「と、とにかく、これで三対二だな。それじゃ、行ってくるぜ!」

「……仕方ないな。ぎた真似まねはするなよ」

「待った。せっかくだし、ぼくからルールをていしよう。てんまくれて来られたら「可」、テントの中に入れたら「良」、本人に触れたら「ゆう」。テントにも辿たどりつけなかったら、もちろん「不可」。これでどうだい?」

「おもしれぇじゃん、受けて立つぜ! ちなみに「優」と言わず「しゆう」を取るには──」

「おい、調子に乗るな、ギロ!」

 ゼルのいつかつが飛ぶ。そのけんまくに、ほんのじようだんさとばかりにうすわらいで返し、ギロはいよいよほんかくてきに息を殺して、問題の天幕にちかき始めた。

(静かな夜だな……。きずいた身体からだを横たえて、さぞやぐっすりお休みだろうぜ)

 夜風が草をらす音にまぎれて、ギロの足音はすっかり分からなくなってしまっている。一歩、また一歩と、しんちようかつじんそくに足を進めていくと、二十秒とたないうちに、彼はすぐに天幕の目の前まで辿りついた。

(さて、まずはこれで「可」と……)

 順調なてんかいに気を良くして、大したきんちようもなくギロは天幕の手をばす。が──彼の指先が布に触れようとした、まさにそのしゆんかんだった。分厚いだんびらさきが天幕の内側からき出したのは。

「──、へ?」

 ギロはとつに飛び退くことさえ出来ぬまま、くびすじに血の玉が浮くまで突きつけられた切っ先を見下ろした。さながら虫ピンでい止められたこんちゆうのようだった。もはや指一本動かせなくなっている自分の有様に、彼はただがくぜんとするしかなかった。

「五秒で選べ。だまって死ぬか、名乗って死ぬか」

 天幕のけ目から漏れ出した低い声が問うた。そこにおどしのひびきはない。たんてきな事実として、このままでは五秒後に死ぬかくしんしたギロは、なりかまわずに声をり上げた。

「ヴェ──〝神狩り部隊ヴエル・グルン〟二番隊しよぞくのギロだ! 殺さないでくれ、あんたのお仲間だよ!」

 必死のいのちいがこうそうしてか、段平の切っ先が天幕の中に消える。なさけなくしりもちを付いたギロのなかからじようたいを見取ったゼルたちが、あわてててんまくまで走りった。数秒の後、入り口のぬのし上げて出てきた姿すがたは、ろくしやく強の長身に赤くすじの入った黒衣をまとった、いぶしたようにつやのないぎんぱつの男だった。

ぞうえんの合流か」

 黒衣を纏った五人の姿をかいとらえて、ルダ・ガイランは重々しい声でただした。ゼルも、ギロも、バズも、リガも、ヨクも、とつに答えを返すことが出来ない。ギロの悪ふざけにはんのうした殺気の名残なごりが、五人のしんきようだんとうだいえられたざいにんのそれにしていたのだ。

「……ど、どうりようが、失礼をしました。ごすいさつの通り、私たちが事前に予定されていた増援です。向かって右から順にバズ、リガ、ヨク……そこで尻餅を付いているのがギロ。私がはんちようのゼルです」

「何人かの顔は覚えている。全員が二番隊の所属か?」

 はい、となおに答えつつも、ゼルはすじに冷たいあせが流れるのを止められなかった。ルダ・ガイランのしつもんには、暗に「なぜおのれたんどくせんけんしているじようきように、四番じぶんの隊から増援を出さないのか」というねんふくまれているからだ。

神狩り部隊ヴエル・グルン〟は一番隊から四番隊までの計四隊でこうせいされ、ルダ・ガイランは四番隊の隊長をつとめる立場にある。ほんてきにあらゆるこうさくのうを身につけている彼らではあるが、各々の隊ごとにみようほうしんちがいがあり、隊をまたいだ人員によるチームの構成はめつに行われない。今回の人選は例外的であり、いつとうが疑問を覚えるのは当然だった。

「よ──四番隊からはすでにイド殿どのがリタイアし、あいぼうのオド殿もしばらくふつめないとのことでしたから、司令部としては、あまり一つの隊にかたよった欠員が生じることをけたいのでしょう。第一位のじつせきほこる四番隊であればこそ、その隊員には代えがきませんから」

 言いながら、べんかいがましく聞こえないだろうかと、ゼルは生きた心地がしなかった。──〝神狩り部隊ヴエル・グルン〟内部に入ったれつ。今回の増援が一刀鬼のせいかんを望まぬ人々によるかくしんてきいんぼうであると彼にさとられれば、もはやたがいに「お仲間」ではいられないだろう。

「了解した。ならば、今後の方針について意見を聞こう」

 今の説明でどこまでなつとくしたものか、こつひようじようからは一切の情動が読み取れない。ゼルはかくし状態でばくだんしよするような、不安すぎるしんきようのまま話を続けた。

「ル……ルダ・ガイラン殿のきずえるまでは、われわれ五名が工作活動を続けます。さしあたりはてきせいMPメタフイジツクス「クルァシン」と、やつくみするげんみんたちの動向のかん。とりわけ角人のじよおうについては、けいたいせいに確実なすきを見取り次第、まつさつうつりたいと思いますが……」

 ゼルは気まずそうに言いよどんだ。女皇セレィは当然としても、当のMPメタフイジツクスの方にまで、どくだんで手を出して良いものかまよったのだ。最強の神殺しに手傷を負わせてのけるほどの相手ともなれば、いささか自分たちには荷が重いかもしれない、と。

じるな。隙あらば首をねらえ。例え力およばずとも、めの姿せいにぶらせるべきではない。その身をして〝神狩り部隊ヴエル・グルン〟の一員であり続けたいのならば」

「は──はいっ!」

 ふくちゆういだいたぼうりやくのこともれいわすれ去り、ゼルははんしやてきにぴんとすじばしてけいれいした。その返答をとどけて深くうなずくと、ルダ・ガイランは身をひるがえしててんまくの中にもどっていく。その様子はさながら、これからとうみんに入るくまか何かを思わせた。

「おそらく三ヶ月はらんだろうが──おのれの体調が万全を期すまで、第一次せいふくさくの委細をお前たちにまかせる。おれとイド・オドがしゆうしゆうしたじようほうを参考にしてさいぜんくせ。じようきようが動けばその連絡を忘れるな。──以上、けんとういのる」

 天幕の中に消えていった背中に向けて、気が付けば、五人全員が心からの敬礼を返していた。数秒後、ようやくわれに返ったゼルが、他の面々をうながして早足にその場を去っていく。

「……マジで死ぬかと思ったぜ。あれで手負いかよ……」

「だから言ったんだ、じようだんが通じる相手じゃないと。……最後まで止めなかったおれにもせきにんはある。が、ギロはもちろんとして、バズ、けしかけたお前も反省しろ」

「安心してくれ、これでももうせいしているよ。いやはや、おふざけ半分にける相手じゃなかったね。全員で不意を打ったところで、それでもれるかどうか……」

「よしましょうよ、まだ先の話でしょう。今は目の前の仕事に集中しないと。それに……いくら上からの指令でも、まだオレは身内殺しにはなつとくしてないス」

 リガのを最後に会話がれる。そうして無言のままへいそうすること数分、人数分の馬がめてあった場所に辿たどりつくと、彼らはおのおのくらまたがってづなを引いた。

「あのー、はんちようさん、ひとつていあんがあるんですけど……」

「? なんだ、ヨク」

「私、単独ひとりで西に向かってもいいですか? この辺りは地形にもせいたいけいにも変化が無さぎて、環境調査員インヴエステイゲイタの私としては、これ以上うでるいようがないんです。せめて湖の辺りまで行ければ、色々と新しいようが見つかると思うんですが……」

「いや、それは──」

 きよできない、と口に出しかけたゼルがすんぜんで思いとどまる。にんでの活動のげんそくに勝って、よりげんじつてきな打算が彼の頭をよぎっていた。

 今回のぞうえんの中でも、じよせいという点もふくめて、ヨクは少々とくしゆな立場にある人物だ。彼女のやくわりはエナ・ガゼという世界に固有のかんきよう調ちようし、その結果をもって植民界政策の助けとすることであり、現地民たちのじようあんゆうはつするべくじんりよくするゼルら工作員エージエントとは根本的な役割がちがう。もちろん〝神狩り部隊ヴエル・グルン〟の一員を名乗るくらいだから、かくとうじゆつを始めとした一通りののうは身に付けているが、ゼルらとくらべるとすうだん練度におとる。必然、戦闘をに入れた作戦には要員として組み入れづらい。

(事実、これまでのにんでも、環境調査員インヴエステイゲイタは工作班からどくりつして少人数で動くことが多かった。……しかし、単独ひとりというのは前例がない。ルダ・ガイランのような達人ならまだしも、彼女にたんどくこうどうを取らせるのは、さすがにリスクが高すぎはしないか……)

 ゼルは大いになやんだ。ギロ・バズ・リガのうちのだれかとヨクを組ませることも考えたが、彼らが今回相手取らねばならないMPメタフイジツクスは、かの海神ポセイダオンをほろぼしてのけたほどのきようてきである。ちような戦力のりはのうかぎけたい──そのことをこうりよに入れると、きようてんはひとつしか見当たらなかった。

「……わかった。前例はないが、今回だけは特別に許可する」

「えっ、本当に……!? はんちようさん、ありがとうございますっ!」

「ただし、定期的にれんらくは欠かすなよ。けんはいを感じたらすぐにその場をはなれろ。重いを負った場合はやみに動くな、必ずこちらから拾いに行く。それに、調査よりも何よりも……自分が生きびることをさいゆうせんに考えるのをわすれるな」

 ゼルのちゆうこくちくいちこくこくとうなずいて、それもどうやら全て終わったようだと見て取ると、ヨクは黒衣をはためかせて馬の身体からだひるがえし、そのまま西の方角に向かって全速力で走り去っていった。その後ろ姿すがたを心配そうな顔で見送るゼルに、バズがはげましの声をかける。

「正しいはんだんだと思うよ。ぼくらといつしよに行動するよりも、今は単独行動をゆるした方が、かえって彼女の身の安全を図りやすいさ」

「……だと良いけどな。おれたち工作員エージエントと比べて、彼女のような調査員インヴエステイゲイタの育成には五倍以上の費用がかかっている。しようどんくさく見えても、俺たちの中で一番命のだんが高いのは彼女なんだ。調査にちゆうになりぎて、あまり無茶をしなければいいんだが……」

 そうつぶやきつつ、しばらくの間ヨクの消えていったやみを見つめていたゼルだったが、やがて名残なごりりきって馬のづなを引いた。しつそうを開始した彼のなかに、すぐさまギロ・バズ・リガの三人も追いすがる。かくして新たに投入された〝神狩り部隊ヴエル・グルン〟の面々は、各々のにんを果たすべく目的の地に向かうのだった。



 クルァシンが出発してから四日目の朝、ヘィロンはトルキォストルのぞつこくであるヴマ・ズォからの使者らとえつけんようまくの中で向き合っていた。どっしりとすわってかまえた平原のしやふうかくに対して、長爪種イゼイリグ牙種ヤシユタルガの二人の男たちは分かりやすくちぢこまっている。とても自分から話を切り出せたものではないと彼らがだまっているところに、それを察したヘィロンが声をかけた。

「……何の求めがあって来た。あさの前だ、手短にませろ」

「は、はぁっ! 大首長ヘイロン様のていかんがみず、まことに申しわけございません……!」

 平身低頭してしやざいする使者たちだったが、彼らとて朝食前などというじようしきな時間帯に面通りを願ったわけではなく、むしろつつしんで相手の身が空くまで待っているつもりだったのを、ヘィロン本人の求めからび出されたのである。セレィというひんきやくがいる以上、めんどうごとは早々にかたけておきたいという心理の表れであったが、使者たちにはそれを知るよしもない。

「それでは、おそれながらわれらのせいがんを切り出させていただきます。……我々がのうこうを行っている西部のいきでは、去年は雨が不足したせいで作物の出来が悪く、有角種ユルフイネクの皆様におさめるべきぜいとどこおったばかりか、我ら自身もえにおびええる有様でございました。つきましては、今後は同じてつまぬためにも、きんりんかわからりゆうを引いてくる工事をていあんさせて頂ければと……」

 うわづかいにはいしやの顔色をうかがう使者たちの前で、ヘィロンはふむ、と思案げにざす。

「……ヴマ・ズォの西部ということは、ユルジォノ河から支流を引いてくることになるか。あの河は水量もゆたかでかわきとはえんだ、それ自体はかまわんだろう。だが、おまえたちの畑の位置から考えると、それなりにの大きい工事になる。人手は足りるのか?」

「は……。それはろん、近隣の集落からも働き手を集めまして、全力をくして事に望むしよぞんであります。しかし、工事のかんすいには二~三年を要すると予想され、その間はどうしてものうこうの方に回す手がることになり……何というか、その……」

 長爪種イゼイリグの使者がごにょごにょと言いつつ両手の爪をからませる。ヘィロンの側としても言われるまでもなく要求をみ取って、め息じりにうなずきを返した。

「……わかった。これから二年間、その工事に大きく関わる集落からは、租税のちようしゆうめんじよすることにする」

「……! あ、ありがとうございます! 大首長ヘイロン様のかんだいなるこころかんしやを……!」

「へつらうな、うつとうしい。……それに、かんちがいするなよ。おれは二年の間だけ租税を免除すると言ったのだ。工事が終わるまでの間ではない。二年がった後にいまだ支流が引かれていなかったとしても、その時からはようしやなく租税の徴収をふつかつさせる。……飢えたくなければ、これから必死で作業にはげめ」

 げきれいというにはあまりにこくな言い様に、二人の使者はふるえながらぎようぎようしくうなずいた。……ヘィロンのとうぼうせいではないが、かといって、ぞつこくの民を自民族と等しくいつくしむものでもない。牙種ヤシユタルガ長爪種イゼイリグの両民族は、その支配下でらしつつ、飢えずとも栄え過ぎずというとうげんそくのもとに、各種の税をげんかくに徴収されていた。



 一方で、セレィらは万途羊ハルラ・アズイマの鳴き声と共に朝早く起き出し、中陸有角種ユルフイネクの面々とならんでまくの中で朝食をっていた。いつぱいにゆうしゆ、湯にいたかんらく、何種類かのしんせんな果物。主食にはヴマ・ズォの長爪種イゼイリグから買いけた夏熟麦クズイラ・ノトのパンがある。大平原の一日を生きくための必然か、全体に分量はかなりのものだった。


「──ゆるせ。少々まつりごとにかかずらっていてな」

 その席の最上座に、ややおくれてやってきたヘィロンがしやざいを口にしながらすわった。となりじんっていたセレィは気さくな微笑ほほえみをかべて頷き、大皿から取ってきたパンを彼の皿にせてやる。

「セレィ、今日は遠乗りに行かないか。おまえが馬を姿すがたをじっくりと見てみたい」

 にゆうしゆさかずきを片手に朝食を摂り始めたヘィロンが、なになくじよおうさそいをかける。この数日でたがいの気心はすっかり知れていると見えて、だんの会話はこのようにざっくばらんな調子になりがちだ。

「遠乗りか。……ふむ、悪くないな」

 ヘィロンのていあんかれるものを感じたセレィは、乳酒の杯を片手にふたつ返事で受けようとした。が、そのすんぜんひだりどなりで食事を摂っているサーリャからこまったようなせんを送られていることにいたために、口から出かかった返答を思いとどめる。

「……悪くない。悪くないのだが、すまぬ。あまり気軽に走り回って、ここに残った兵たちを不安にさせたくない。この集落から見えるはんでならば、いくらでも付き合えるのだが」

「では近場で走るとするか。うでくらべにきようじるもよし、互いの愛馬をかんしようし合うのも面白い」

 ことわられてげんを悪くした風もなく、ヘィロンはセレィの都合に合わせておうように計画を変えた。そのづかいに感謝の言葉を返し、パンの最後の一切れを乳酒で飲みむと、セレィは席を立って足早にまくの外へと向かう。そのなかにサーリャも続いた。

「すまぬ、サーリャ。知らずお前の気をませたようだな。……やはり遠乗りはまずいか?」

おおぜいえいともなうならともかく、あの話の流れだと、たぶん二人きりで行くことになる。それだと何かあった時に助けが間に合わない」

「……そうだな。ヘィロンは信用のおける男だが、〝神狩り部隊ヴエル・グルン〟という連中のこともある」

 セレィはなつとくした様子で頷いた。女皇がせいしんを保っていることをかくにんしてあんすると、サーリャはうやうやしく一礼していつたん彼女と別れる。その帰りぎわ、幕屋のかげから二人の様子をうかがっていた有翼種クロトアの少女に、彼女は不意打ち気味に声をかけた。

「……コリォさん。そんなにへいが心配?」

「うひゃっ!? い、いや、そのっ、これは……」

 幕屋の陰から気まずそうな顔のコリォが姿すがたあらわす。元『大央聴ラルゴウ・オオデキム』の少女を相手にして、息をひそめたていかくれおおせると思うのがそもそものちがいだ。が、サーリャは彼女のぬすみ聞きをとがめるでもなく、むしろ優しげな微笑みすら浮かべて声をかけた。

「……だいじよう。陛下はいつも通り。私のちゆうこくも、しんに受け入れてくれた」

「そ、そうですか。それは何よりです……」

 コリォは消え入りそうな声で言って、そのまましようぜんとしたおもちで歩み去った。サーリャは軽くめ息をつく。──彼女コリオを始めとする有翼種クロトアたちの士気の低下も、ごしがたい問題にはちがいない。

(かといって、これからどうめいしようという相手と、あまり仲良くするなとも言えない……。ただでさえへいには、今朝の遠乗りのけんのように、身辺を守るためのさいはいきゆうくつな思いをさせているのだから)

 集落の中にきんぞくそうしよくの音色をりまいて歩きつつ、サーリャはふくざつなんだいに頭をかかえていた。……無理もない。四日前まで、それは他でもない導神のやくわりだったのだ。『聴士ラルゴウ』としての役割に加えて、クルァシンがざいの間は自分がその代わりをつとめようとするサーリャの自負は強く、もとより回転の速い彼女の頭は、いまや昼夜の区別なくもうぜんと働いていた。

(どうしてもきつな予感がぬぐえない。……でも、今はこっちに集中しないと)

 せていたおもてを上げて立ち止まり、サーリャは目の前に建つ木組みのやぐらあおぎ見た。彼女の『聴士ラルゴウ』としてののうりよくを十全にかすために、クルァシンの命令で兵たちが建てたそくせきの仕事場だ。『栄の塔ホマセ・ユロ』ほどの集音性能は望めないが、高所で務めに集中出来るだけでも、サーリャにとってはありがたい。もちろんヘィロンのきよも取ってある。

 やぐら梯子はしごで上がっていくサーリャの姿すがたに、中陸有角種ユルフイネクたちのものめずらしげなせんが地上から集中する。その注目にちょっとしたずかしさを覚えつつも、手早く櫓の頂上に辿たどりつくと、サーリャはその場にせいこしを下ろし、両耳をおおっていた銀の耳当てを取り去った。

───ッ───!

 はんしやてきりようざされ、失われた視界の代わりに、サーリャの中ではそれよりもはるかに広大な音界ぞうを結ぶ。その日の体調や気候にも左右されるが、信号を受け取ることの出来るげんかいきよとは別の、主にさくてきのために用いられる彼女の音界しゆはんは実に40000ルハ=30キロメートル四方にもおよび、へいきんてきな『聴士ラルゴウ』のそれを倍以上も上回る。導神のしんらいもむべなるかな──このサーリャが『聴士ラルゴウ』として働くかぎり、どのようなくせものであれ、セレィににくはくすることはのうに近いのだ。まして周囲の地形がしようがいぶつの少ない大平原となれば……。

(……!? だれか近付いてきている! 北に七里半。けものじゃない。かといって有角種ユルフイネクでも有翼種クロトアでも牙種ヤシユタルガでも長爪種イゼイリグでもない。それ以外の、馬に乗った四人組……!)

 サーリャのすじきんちようが走り、小さな両手は知らずこぶしにぎめている。そうして彼女は口の中ではっきりとつぶやいた。──今度こそは負けられない、と。

 導神不在の状況下、かくして新たに投入された〝神狩り部隊ヴエル・グルン〟の面々を相手取り、元『大央聴ラルゴウ・オオデキム』のほこりをけたふくしゆうせんが、大平原の中心で静かにまくを開けたのだった。



「……うん? おい、ちょっと待て、ゼル」

 先を行くゼルの背中に向けて、ギロが意味ありげな声を投げる。それを聞いていつたん馬の足を止めると、ゼルはリガ・バズにも合図を送り、四人は馬に乗ったままたがいにり集まった。

「どうした、ギロ。何か発見があったか?」

「発見つぅか、ちょっといやな感じが。……おれたち、られてねぇよな?」

「見張られている? まさか、このさえぎるものとてない大平原のどこからだい?」

 バズに問い返されると、ギロはこまったように首をかしげて辺りにせんめぐらせたが、結局はねんどころを明白に出来ない。が、それでもゼルは彼の発言をざれごとと切りてなかった。

「見張られている、か。他ならともかく、お前の直感はあなどれんな。……逆にぶんせきするが、ギロ、それはおそらく、ルダ・ガイランのほうこくにあった『聴士ラルゴウ』の少女のそんざいを念頭に置いてのけいかいじゃないか?」

「あ、うん、多分それだ。あの報告書には、『最低でも半径1キロメートルけんないで起こった物音を、委細らさずあくする』ってあったんだけどよ。森ン中や街ン中と、ここみたいな平原の真っただなかじゃあ、おんきようじようけんがまるきりちがってくるだろ? それがあっちにとってきちと働いた場合のしゆはんは、どこまでびるもんかな、と」

「……ふぅん。ちょっと気にしすぎとも思うけど、ギロにしてはごくまっとうな点に気がいたね。たしかに、相手のさくてきはんも分からないじようきようで、無神経にパカパカ馬を走らせていくのは馬鹿のやることだ」

「といっても、ここから徒歩に切りえるのもこうりつが悪すぎませんかね。かんじんの角人のじよおうたいざいしている集落の位置さえ、まだオレたちにはハッキリと分かっていませんし……」

 リガの意見をこうりよに入れたゼルは、そこでふと思い立って馬からり立ち、ギロに言った。

「ものは試しだ、一度跳んでみるか。ギロ、お前が台になってくれ」

「ういす、がつてんしよう!」

 威勢よく返事して馬から降りると、ギロはゼルから少しはなれた位置で身をかがめて待ちかまえた。そうしてたがいに目配せを交わすと、ゼルは両足で力強く大地をりつけ、ギロの方に向かってもうぜんけていく……!

「──いよぅしッ!」

 両者の身体からだしようとつする直前、すくい上げるようにして相手の両足をてのひらとらえたギロは、そのまま上体をらし、渾身の力でゼルの身体を上空に放り投げた。その動作に合わせてぜつみようのタイミングでちようやくしたゼルは、二人分の力でもってはるか上空に飛び上がる。

「よし──いい高さだ」

 ふところからとおづつを取り出して右目にあてがいつつ、跳躍がげんかいてんまで達したと見るや、ゼルはこうを始める身体にひねりを加えてぐるりと回転し、周囲の遠景をあますところなく一望した。落下のしようげきてんちやくで和らげ、曲芸じみたかるわざをやってのけた〝神狩り部隊ヴエル・グルン〟の一員は、起き上がりざまに力強い笑みをかべて仲間を見やる。

「このまま南南西に四里強といったところだ。幸いと大したきよじゃない。──バズ、リガ、二人とも馬から降りろ。ギロの直感を信用して、ここからはおんみつどうこうする」

 ゼルの命令を受け、残った二人も地に足をつける。たん、全員の足音はおろか、いきづかいさえもかいに等しくなった。──それぞれのはいけむりのようにはくし、すきあらばつのこころがまえをむねに、四人のおんみつはいよいよ作戦を開始した。



(……きよくたんに物音を立てなくなった。かなりきよがあるのに、もう隠密行動を始めたの?)

 てきしんちようさにけいかいを強めつつ、それでもサーリャは内心でほっとあんしていた。──隠密機動に入った敵のそんざいを、いまだ音界にとらえ続けていられるからである。

(隠密としての練度は四人とも相当のようだけれど、あのルダ・ガイランにくらべると、りようの面ですうだんおとると見てちがいない。……まずは一つ、私がかくじつな有利を手にした)

 今このしゆんかんも、サーリャは敵全員のいつきよいちどうしようさいあくすることが出来る。である以上は、彼女の方で守りにてつしてやるはない。そう決めたサーリャはすっくと立ち上がっててんじようからるされた信号打楽器を鳴らし、事前に決めておいたちようれんらくの兵をぶ。すると、ものの一分とたない内に、有角種ユルフイネクの副官クェッタがやぐらの下までけつけてきた。



「失礼いたします! セレィへい、今すぐお耳に入れたいほうこくがございます!」

 ヘィロンとの交流にそなえ、きゆうしやの中で愛馬の手入れをしていたじよおうのもとに、クェッタがめたおもちで報告を持ちんだ。臣下のただごとならぬふんを察したセレィは、馬の身体からだみがいていた毛櫛ブラシを地面に置いて、ひざまずいた副官のがんぜんに歩みる。

おもてを上げよ、クェッタ。何があった?」

「はっ。──やぐらで『聴士ラルゴウ』のつとめに当たっていたサーリャ様からの報告です。内容は陛下のみに伝えるよう言われておりますので、失礼ながらお耳をはいしやくいたします」

 セレィがうなずいて体を横に向けると、クェッタは一礼してから彼女の耳元で報告をませる。それをあまさず聞きとどけた女皇は、その内容に少なからぬせんりつを覚えながらも、周りにそれを見かれぬよう努めてきゆうを整え、それから副官と共に厩舎を出て櫓に向かった。

「調子はどうだ、サーリャ。少し様子を見に来たぞ」

 何食わぬ風をよそおって話しかけると、櫓の上のサーリャは女皇に向き直ってうやうやしくこうべれる。彼女のはんのうにうむ、と頷きで返したセレィは、つとめにはげむ臣下をろうしにいく君主といった様子で、そのまま梯子はしごの上まで登っていった。

「……じようきようはどうだ。隠密どもはすぐにでも攻めて来そうか?」

 櫓の中で二人きりになると、セレィはサーリャのとなりに座って小声で話しかけた。『聴士ラルゴウ』の少女は両眼をつぶったままたんたんおうじた。

「馬から徒歩に切りえたから、集落ここまでのきよはまだ大分ある。相手の正確な目的が分からないので、これからどういう行動に出るのかは不明だけれど、かりじよおうへいの命がねらいだとすれば、けいすきいてこちらにしんにゆうしてくると見るべき」

「であろうな。……さて、どのようにたいしよする。そくてきしゆうの信号を鳴らさず、こうして私へのほうこくとどめたということは、お前には何らかの考えがあるのだろう?」

「話が早くてかんしや。──ここでげいげきを出しても、向こうもけいかいしているだろうから、まずちがいなくげられる。今はまだかないりをして、もっとふところに引きつけてからおうせんするべき」

「それでやつらをたおすこと、ないしらえることが出来るか?」

「……分からない。この敵には未知の部分がおおすぎる。仮にしゆよくおおぜいの兵で囲いめたとしても、ルダ・ガイランがそうだったように、ぎわでどんな切り札を用いてくるか分からない。だから、じようきようがこちらに有利でも、あまり追いめるのは上手うまくない」

 セレィがあごに手を当てて考え込む。そこにサーリャは小声で、しかしはっきりとていあんした。

「少し、け引きに出てみる。……まずは向こうにさとられないよう、兵をいつでも動かせるじようたいにしてから、私が説明する今後のだんりを聞いて」



「ほう──。おまえの命を狙う、異世界からのおんみつか」

 サーリャとの話し合いを終えてから、セレィは急ぎヘィロンのまくへと走ってたいを告げた。彼女はまずやつかいごとを持ち込んだことを心からしやざいし、そして自分を狙ってやって来る敵であるからには、中陸有角種ユルフイネクの手を借りるまでもなく、手持ちの兵力でたいしよして見せると約束した。

さびしいことを言ってくれるな、セレィ。この一角つのしめす通り、おれたちは生まれながらのどうほうだろう。仲間に助けを求めることに何のえんりよる?」

 そうこたえてうすく笑うと、ヘィロンはかたわらに置いてあったつよゆみを手に取り、矢はつがえぬままにつるだけをぎりぎりと引きしばった。その返答に目頭が熱くなるほどの感謝を覚えながら、それでもセレィはかたくなに首を横にった。

「そう言ってくれるのは本当に嬉しいが、今回の敵は大軍をもってむかてばどうにかなるたぐいの相手ではないのだ。しんしゆつぼつにどこにでもあらわれ、異界のことわりもとづく見たこともない道具を使し、ある者はたんどくで千人の兵からなるが軍の包囲をとつしてみせる。何度かのきゆうて、私はせいこうほうやつらに立ち向かうことのむずかしさをつうかんしているのだ。したがって、今回はこちらもからめ手を用意してある。……虫のいい話だが、もし協力してもらえるのなら、そちらの兵も我々の作戦に沿って動かしてはもらえないだろうか?」

「おまえがそれを望むのなら。だが、中陸有角種ユルフイネクほこりにかけて、おれたちは隠密ごときにおくれは取らんぞ。委細をまかせられれば、すぐにでもおまえの幕屋まで連中の首をとどけてやろう」

「そなたの強さはよく知っている。だが、このいんねんはぜひとも我々の手で片付けたいのだ。これはじよおうとしての私の意地でもある。今後の私が、臣下たちにとってたよれる君主であり続けるためにも。……この気持ちは、そなたにも分かってもらえるのではないだろうか」

 女皇のしたいつわらざるしんじように、ヘィロンはせんを落とし、にぎっていたつよゆみゆかに置いた。そこでふと、セレィの一角つのがかすかにうずき、彼女はおのれの心が目の前の男とれ合うのを感じた。真白い一角つのを通して、言葉にならないふくざつな感情の波が、彼女の中にせてきた。

(……親愛と、同情と……これは、あわれみ?)

 いささかかいな感情がまぎんでいることにき、セレィは内心で首をかしげた。──どうほうに向ける親愛は分かる。同じ君主としての立場の者に向けられる同情もあるだろう。しかし、哀れみとは何だろうか。今の自分には哀れみを受けるいわれなど一つもない。しんらいする友神ともみちびかれ、種族をことにするおおくの臣下たちにしたわれ、かいどうめいというたいのもとに世界をけている。それはほこりでありこそすれ、だんじて他人から哀れみを受けるような生き方ではないはずだ。

 一角つのかんのうのうりよくはセレィの方が一段勝ると見えて、ヘィロンはまだ自分の心情が知られていることに気付いていない。そのせいで自分からもんついきゆうすることも出来ず、セレィが何とも歯がゆい思いでいるところに、ヘィロンがふたたび口を開いた。

「おれたちにまかせるのが一番早いことはちがいないが、あえて回り道を選ぶのも良いだろう。それもおまえの生き方だ。……だが、すいしようで、ひとつだけかせてもらえるか」

「何だろうか、ヘィロン。どのような問いにもせいをもって答えよう」

 セレィの真っ直ぐなまなしを受けて、ヘィロンはめずらしく言いよどむ。何かにえるように両のこぶしをきつくにぎめて、やがて彼は暗い声でぼそりと問うた。

「……今、あのクルァシンとかいう男がそばにいれば、おまえはやつたよったか?」

「え──?」

 セレィは返答にきゆうした。そのような問いは予想もしていなかったのだ。──クルァシンがこの場にいれば、自分が彼に頼ったかどうか、と? そんなこと、女皇にとっては考えるまでもない。仮にそうであれば、彼女は固いきずなで結ばれた導神と共にてきむかち、その戦果を喜びと共に分かち合ったことだろう。そうぞうつなげていくのはあまりにも容易たやすかった。それは水が高きから低きに流れるのと同じくらい、彼女の中では疑問のなく自明のことだったからだ。

「……すまぬ、しつもんの意味がもう一つ分からない。もとよりクルァシンは私の仲間なのだから、こういったたいに彼をたのみとするのは当然のことだ。だからといってもちろん、そなたの力量をかろんじているわけでは……」

「もういい。分かった」

 セレィの言葉を途中でさえぎって、ヘィロンはふぅと重い息を吐き出した。きずだらけの顔に苦々しい感情が浮かび、生来の強面こわもてがいっそうの迫力を帯びる。途端、セレィが感知していた様々な感情が、それらをあつとうする真っ赤ないかりでつぶされた。りようどなりで待機していた二人の女官がきように顔を引きつらせ、手の中からにゆうしゆさかずきが乗ったぼんを取り落とす。

「こちらの兵を使いたい時は言え。おれのでおまえの望むように動かす。……ただ、これだけは心のかたすみに留めておけ。もしたいがおまえの手にはあまると思ったのなら、おれはいつでも、その全てを代わってがまえでいると」