ヨコハシ
加能さんの職場の同僚で友人のサリは、一昨年の秋ごろまで不倫をしていた。
相手は職場の先輩。
面倒なことになる前に切ったほうがいいと何度も忠告したが、本人にその気はなく、「なるようになるし」と軽口を叩いて悪びれた様子もまるでない。
勤務時間中に知らない番号から何度も着信があるとスマホを見せてきた時も、奥さんにバレたんじゃないと脅したのだが、「なら男捨てればいいし」と軽く返された。
そんなサリが珍しく、真顔で相談してきたことがあったという。
「ねぇ、お祓いできる人とか知らない? わたしさ、なんかに取り憑かれてるかもしんない……昨日なんだけどね」
不倫相手と、いつものホテルに行ったのだという。
ベッドに入る前にビールで乾杯し、少しだけカラオケをする。いつもの流れだ。
彼が歌っているあいだ、スマホをいじっていた彼女はギョッとする。
例の番号から着信が入っている。しかも、二十件以上。
「これ奥さん?」と彼にスマホを見せた。
彼は眉間にしわを寄せ、「いや、違う」と首を横に振る。
「おまえ、誰かに恨まれてるの?」
今は彼の妻ぐらいしか心当たりがない。
まさか、
急にこわくなった。
ホテルを出たら、包丁を持った彼の妻が待ち構えているかもしれない。
ゾッとしたが、やることはやって午前一時前にホテルを出た。
そして、今朝。
なぜか、素っ裸で目覚めた彼女は、朝から母親の質問攻めにあった。
「あんた昨日、なにかあったの?」
もう大丈夫なの? 今は平気なの?
何を心配されているのかわからない。
胸やけと、若干だが喉の痛みがある。
母親は心配の理由を次のように話した。
「昨日のあんた、まるで別人みたいだったから……」
彼女は夜中に帰ってくるなり、寝ていた母親を「ババア」と呼び、男のような野太い声で空腹を訴えたらしい。うるさいので冷凍チャーハンを温めて出してやると、恐ろしい勢いで口にかっ込むので、その一心不乱に口に運ぶ様が鬼にでも取り憑かれたように恐ろしく、思わず「あんたサリよね?」とたずねたのだという。
それに対し彼女は男の声で「ヨコハシ」と答え、その後は服も靴下も脱ぎ散らかして下着も脱いで、トイレや風呂のドアを開け閉めするなどして家の中をうろうろしたかと思うと、気がつけば自分の部屋で大いびきをかいて寝ていたのだという。
何も覚えていないし、ヨコハシなんて名前は聞いたことがないとサリは言った。
「たぶん、あいつの奥さんの呪いだよ。ねぇ、どうしよう、助けてよ」
そんな相談を受けてからも、サリはしばらく不倫関係を続けていたようだ。
しかし、ある日、彼女は急に辞職した。
その後は電話にも出ず、LINEにメッセージを送っても既読はつくが反応はなし。
それから何カ月か経った頃、加能さんは会社の最寄り駅の歩道橋付近でサリと偶然再会した。彼女は眼帯をつけて両手に包帯を巻いていた。
「今までどうしてたの!」と聞いたが、包帯のほうが気になった。
新しい仕事に就いて、新しい彼とうまくやっている。
サリはそう言ったが、嘘だろうと思った。
髪もパサパサ、化粧もへたくそ、一気に歳を取ったみたいで、肩にフケものっていた。
「新しい彼って、どこのだれよ」
「ヨコハシ」
サリがずっと隠すように握っている右手は見間違いでなければ、二本くらいしか指が残っていなかった。