顔色



 数年前にスナックで知り合った男から顔色が悪いよと言われた。

「真っ白で死人みたい。飲みすぎない方がいいよ」

 飯塚さんはそこまで飲むほうではない。どちらかといえば飲めないほうだ。この日は出張先で夜の時間を持て余していたので、たまたま目に入った店に入っただけであった。

「顔色がダメだよ。余命一年ってとこだね。すぐ病院へ行きなよ」

 店を出る間際まで、男はしつこく顔色のことを言ってきた。

 そこまで言われると気にはなるのでホテルに帰ってから鏡を見たが、ほんのりと頬が赤らんでいるだけでいつもと変わらない。

 名前も知らない酔っ払いの戯言である。一瞬でも真に受けた自分に苦笑しベッドに入った。


 それから約一年後のある早朝。

 日課のマラソンを終えて帰宅した直後、見知らぬ人が訪ねてきた。

 よれよれのジャケットを着た、冴えない風体の男である。

 死んだ魚の腹のように真っ白な顔だった。

 用件を聞くと早口で答えるのだが、消え入りそうなほど声が細く、言っていることがまるでわからない。

「人違いだと思いますからお帰りください」

 ドアを閉めようとすると、待ってくださいと手を挟んで閉めさせない。警察を呼びますよと語気を強めると、何年か前にスナックで会った〇〇ですと名乗った。

 初めて聞く名だが、スナックと聞いてピンときた。

「あ。あーっ、盛岡の」

「そう、凛子ママのお店、こんなおじさん、いたでしょ」と自分を指さす。

 さすがにママの名前や男の顔までは覚えていないが、確かにこんな感じの男と飲んだ気がする。顔色のことをしつこく言ってきた男だ。

 どうして家がわかったのかと聞くと、さっき道で見かけて追いかけてきたんだと平然と答える。

 なんにしても不審人物であることには変わらない。早めに切り上げようと改めて用件を尋ねると「お仕事続けてますか」「あれからどうですか」と逆に質問で返してくる。

 どうにも気味が悪い。一刻も早くお帰り願いたい。しかし、家を知られているので邪険にも扱えない。

 男の質問に答えあぐねていると、「それで顔色のことなんですけど」と、男は唐突に声のトーンを落とした。

 あの時に言ったことは全部誤りだったんですと謝罪された。

 変に不安を煽るような形になってしまって申し訳ない、あれからずっと謝罪をしたかったんです、と。

 どういうことですかと質問を重ねる。

「あの時に私が見た顔、あれ、あなたではなかったんです。私が見たの、どうも数年後の自分の顔だったみたいで。ええ、そういうのが見えちゃうんですよ、私」

 私ね、ガンなんですって、末期の。

 それだけ言い残し、男は立ち去った。