神前の舞



 宿泊先のバーでマスターから芝さんをご紹介いただいた。

「以前はをしていたんですよ」と当時のお姿をスマホで見せていただく。

 今は旅先で神社を巡って神楽かぐらを舞っているという。祭事に参加するというわけではなく、趣味のような、いたって個人的な理由でやっているのだそうだ。

 そういう趣味もあるのかと私は感心した。

 興味があるならぜひとのことなので、翌日、同行させていただくことにした。


 宿泊先から車で二十分ほど湾岸沿いを行くと高台に神社があった。

 芝さんの同行者がスマホで神楽の音声を再生し、動画の撮影をはじめる。

 撮影許可を頂き、私もカメラを構える。

 芝さんは私服姿で、扇一つでひらりひらりと舞いはじめた。


 十分ほどで終わり、芝さんはどうですかと私に聞いてきた。

 よかったですと言うと、

「いえ、そうではなくて。あの、何か撮れていたりとか……霊とか……」

「ああ、そういうお話ですか」

 昨日の自己紹介で「怪談を書いています」と言ったからだろう。下手な怪談もいくつか披露してしまった。おそらく、私に霊感的なものがあると思われたに違いない。

 勘違いさせてしまったことを謝罪し、一応、動画も確認してみた。あいにく、そういうものは撮れてはいなかった。

 芝さんが私の撮った動画を気にかけていたのには理由がある。

「実は一度だけ、あるんです。不思議な体験が」


 ちょうど一年前に、石川県の某社へ舞いに行った時のことだという。

 早朝から一人で神楽を舞っていると、隣で一緒に舞うものがある。

 それは目には見えないが、気のせいではない。

 ぞくっとして手足を止めると、それも止める。

 見えないが、動きを止めたことがなぜかわかる。

 すぐにその場を離れてもよかったが、中途半端なところで止めていいものかと考える。考えれば考えるほど、こういう時にこそ途中放棄してはならない気がし、再び神楽を再開した。

 するとまた、なにかが芝さんの動きに合わせて隣で舞い出す。

 すっ、すっ。

 薄く聞こえるきぬれか、あるいは幼児の呼気のような音が自分の動きに合わせて聞こえる。けっして、自分の発している音ではなかった。

 神楽を終え、しんかんとした境内にしばらく立ち尽くす。

 心が澄みきって、まるで自分が透明になったようだ。

 そうか。あれは一緒にいてもいいものだったのだ。


 その日の夜遅く、宿泊先の部屋で芝さんは急な寒気に襲われた。

 ぞくぞくとして、指先が震える。熱があるわけではない。

 嫌な心当たりがある。

 日中のことは考えないようにし、疲れが悪い形で出たのだと思うことにした。

 早く治そうと布団にもぐるが、布団が濡れているみたいに冷たく感じ、余計にぞくぞくが止まらなくなって眠れない。

 この悪寒はおさまる気配がまるでないので、汗をかいて寒気を吹き飛ばそうと露天風呂に行った。

 一時間ほど温まって、脱衣所にある長椅子でうつ伏せになって体を伸ばした。

 他の入浴客はおらず静かである。目を閉じると強い眠気が襲ってきた。

 ……みし。

 音が聞こえた。

 ……すー、みし……すー。

 みし……すー、みし……。

 畳を踏むような音と、足で畳を擦るような音。

 脱衣所に畳は敷かれていない。

 みし……すー、すー。

 なにかの気配があるが、たぶん人ではない。

 こわい。

 目を開ければそこに、なにがいるのかがわかる。

 だが、そこは冷静な判断をした。まぶたを開けてはだめだと。

 みし……すー、みし……。

 すー、みし……すー、みし……。

 ――やっぱり、そうだ。

 聞こえる音は、芝さんの身に沁みついているリズムだった。

 神楽を舞っているのだ。芝さんの寝ている長椅子の前で。

 あの時、神社で一緒に舞っていたものだろうか。

 ついてきてしまったのか。

 あれは、一緒に舞ってはいけないものだったのか。

 パーン!

 芝さんは手を大きく叩いて、「やあっ」と太い声を発した。

 テレビで見た、悪いものを追い払う方法だった。ほかに方法を知らなかった。

 効果があったのか、気配も奇妙な音も、どちらも消えた。

 よかった、いなくなって。

 安心して長椅子を立つと膝に力が入らず、くにゃっとなって前に倒れた。

 倒れて手をつくタイミングが悪かった。すのこの隙間に指を突っ込み、そのまま頭からいってしまった。引っこ抜いた指は四方八方に向いていた。


「ですから、ここまでしかいかないんです」

 芝さんは曲げた指を私に見せた。

 後遺症で人差し指が曲げづらくなったのだという。


 帰ってもう一度、芝さんの神楽の動画を確認した。

 やはり、なにも映ってはいなかった。