すき焼き



 将介さんはすき焼きが食べられない。

 もう三十年近く食べていないという。

 生まれて初めて食べたのは小学生の頃。

 それが将介さんの人生で最初で最後のすき焼きだった。

 家の夕食に出たらしいのだが、食べた後に吐いたらしい。

 らしいというのも、将介さんにその時の記憶がまったくないのである。

 そしてそれ以来、実家の食卓にすき焼きがあがることはなかった。


「不思議だったんですよね。苦手な食材はないですし、アレルギーは調べてませんが、すき焼きに入っているような具材は他の料理で出ても問題なく食べられてます。ただ、すき焼きという形になると食べられないんです。すき焼きと名前がついてもダメ。食べた記憶がないんでいもわかりませんが、まあどんな材料が入ってどんな風に食べるかは知っているんで、味は想像つきますし、美味いんだろうってこともわかるんです。でも僕は絶対に食べてはいけないんです。どうして自分はこんな頑なにすき焼きを食べないんだろうって、自分でもわからないんですけどね」


 ある時、親に聞いてみたのだという。

 なんでおれ、すき焼き食えないのと。

 すると親はこう言ったそうだ。

「実はおまえがすき焼きを食べられない理由を知っているけど、あまりにも厭な話だから言いたくなかったんだ」と。


 その日、夕食にすき焼きが出た。

 両親にとっては久しぶり。将介さんにとっては初めてのすき焼きだった。

 将介さんはその日、初めてこの食べ物を口にした。

 よほど美味かったのか、夢中になって食べていた。

 今まで見たことがないくらい幸せそうな顔で食べていたという。

 そんな幸福な夕食時に、一本の電話がかかってきた。

 電話は親族からで、叔母とその幼い娘が「山へ行く」と言って家を出たまま、行方不明になっているとの連絡だった。

 叔母は離婚してからノイローゼ気味で、親族から心配されている中での失踪だった。

 無理心中をする可能性もあるとして、警察も叔母たちを捜索していた。

 将介さんの家は、もうすき焼きどころではなかった。

 両親が親族と連絡を取り合う慌ただしい中、将介さんは突然吐いた。

 そして、すき焼き鍋をテーブルごとひっくり返してしまった。

 しばらくすると将介さんは落ち着きをとりもどし、両親にこう伝えたという。

「すきやきがじゅんこおばちゃんのかおだった」

 すき焼きの鍋の中にじゅんこ叔母さんの顔があって怖かったのだという。

 じゅんこ叔母さんは行方不明になっている叔母だった。


 数日後、行方不明だった叔母とその娘が発見された。

 娘は無事に保護されたが、叔母は山中から遺体で見つかった。

 野犬や熊の食害により、顔がごっそりなかったという。