謎のひげじい



 ひげじいというあだ名の同級生がいた。

 赤白帽のゴムを鼻の下に引っ掛ける癖があり、よく髭のような赤い跡ができていたからである。

 朝礼中に先生の手を振り切って勝手に教室に戻ったり、授業で使う芽の出たジャガイモを壁に投げつけてみんなを驚かせたりするような男の子なので校内でも有名だった。

 行動は少々変わっていたが、そこまで変人というほどでもなかった。

 無口でなにを考えているかわからないヤツだけど、クラスでもトップレベルで頭がよかったし、絵画コンクールでは賞をもらって朝礼で表彰されていた。きっと今なら天才肌といわれていたかもしれないが、当時は奇人の扱いしかされていなかった。

 福岡さんはひげじいとの思い出はほとんどない。

 喋ったこともあったかどうか、覚えていないぐらいである。

 容姿の印象も限りなく薄く、卒業アルバムを見てもピンとこない。特徴らしい特徴のない顔なのである。

 福岡さんがよく遊んでいた五、六人の友達グループは、よくひげじいを囲んで騒いでいたが、それは遊んでいるというよりイジメの一歩手前のいじりであった。

 一緒にいると周りからイジメに加担していると思われるので、そういう時だけは離れて遠くから見ていた。


 中学に入るとひげじいの姿を見なくなった。

 頭のいい学校へ行ったのだろうと思っていたが、

「あいつ、入院してるよ」

 友達から聞いて初めて知った。

 病気か怪我かも知れない。なにしろ、彼に興味がなかった。二年生になって彼が復学すると聞いた時も「そんなやつもいたな」ぐらいの関心の薄さだった。


 二学期のはじめごろ、ひさしぶりにひげじいの名を聞いた。

「ひげじいんち、行かん?」

 ある日、急に誘われた。小学生のころにひげじいを弄って遊んでいた友達からである。彼らはまた、ひげじいにちょっかいをかけているらしい。

 断ればよかったものを、福岡さんは別にいいよと軽く答えてしまい、その週の土曜日に四人でひげじいの家へ行った。

 当たり前だが、普通のどこにでもある家で、貧乏だとかゴミだらけだとか臭いとか、馬鹿にするネタはなんにもなかった。ただ、とても静かで、みんなで遊んでいる部屋以外の電気はついていなくて家全体が暗かった。

 家に弄るところがないので退屈した一人が暇つぶしのアイデアを思い付いた。

「おいっ、ひげじい、ひげダンス踊れ、カトちゃんやれ」

 ひげじいは困った顔をしていた。

「やれよ、でーれでーれでっでーれ♪ でっでーれでっでーれ♪」

 ひげじいはやらない。できないのだ。

 テレビを見ていないのだろう。ドリフターズもカトちゃんも全員集合もひげダンスも知らないのだ。

 別の一人がひげじいの体操着袋から勝手に赤白帽を引っこ抜いて、彼に投げつける。

「得意だろ? ひげダンスしろよ」

 ひげじいはどうしていいかわからず、赤白帽を手で持て余していたが、みんなが「やーれっ、やーれっ」と手を叩いてはやすので、仕方なくといった切ない顔で赤白帽のゴム紐を自分の首にひっかけて舌をベロンと出した。

「ちげぇよ、なんだよそれ、ダンスだよ! 踊れって!」

 ひげじいはまた、赤白帽のゴム紐を首にひっかけて舌をベロンと出した。

「もういいよ……言葉も通じねぇのかよこいつ」

 みんな興醒めした様子で、ひげじいに背中を向けた。


 たいしてすることもなく、みんなが退屈そうに彼の部屋の漫画本を読み出したころ、なにか理由をつけて福岡さんは一人、先に帰ることにした。

 帰り際、玄関近くの部屋にいた父親らしき人に深々と頭を下げられ、丁寧に挨拶をされた。福岡さんも丁寧に挨拶を返した。


 翌週明けの朝。

 友達グループの一人が暗い表情で福岡さんに「よお」と手を上げた。

「きいた? ひげじいの」

 ひげじいの父親が死んだという。

 こいつはなにをいってるんだとさすがに腹が立った。

 さすがにそれは不謹慎だろ、と。

 だが、それは不謹慎なネタでもなんでもなく、起きていた事実だった。

 ひげじいの父親は数日前から家に帰っておらず、親戚が警察に捜索願いを出していた。しかし今朝方、ひげじいの父親は山の中で首を吊った状態で見つかったのだ。

「あいつ、確か、お父さんと二人暮らしだったよな。どうすんだよこれから……」

 玄関で会った、自分みたいな子供にでも、すごく丁寧に挨拶してくれた大人は誰だったのか――ということよりも、あの日、みんなに追いつめられたひげじいが、赤白帽を使ってやって見せた、首にゴム紐を引っかけ、舌をベロンと出す行動がいったいなんだったのかということのほうが謎として残った。