幻虫 2
友人が異様に家賃の安い物件を借りたというので、三倉さんは冷やかしてやろうと泊まりに行った。
着いてみて驚いた。一人暮らしにはあまりに贅沢な部屋であった。それで家賃月四万五千円。敷金礼金なし。
部屋数、広さ、外観からも、絶対に一人か二人は死んでいなければおかしい家賃である。
「こりゃ、首吊りかな、いやいや、殺人かも」
「やめろっ、おれ明日から一人で寝るんだからよ」
「いいじゃん、一緒に寝てくれるかもよ」
三倉さんは部屋を見渡し、きれいだなぁ、と思った。
きれいすぎる部屋は、怪しい。
ニヤリとする。
「なあよお、今から一緒に、死んでそうな場所探そうぜ」
「それは頼むからやめてくれぇ!」
バスルーム、クローゼット、ベランダ――。
死んでそうな場所に怪しいシミや残留物がないかを探してまわる。
「うーん、見つかんねぇなー、つまんねぇー」
「そりゃそうだよ。全部リフォームしてんだから見つかったら困るわ」
その深夜。
尿意で目覚めた三倉さんは、寝ている友達を跨いでトイレへ行った。
「フゥー」
小用を終えて、しばらくトイレの中でケータイをいじっていた。
ヴ……
ヴ……ヴ……
その音に気付いた三倉さんは、ゆっくりズボンを上げながらトイレの中を見回す。
ハエがいるのか。
それにしても、ウォシュレットはついているし、タンクもパイプもペーパーホルダーも新品。全部をリフォームしているといっていたが、とくにトイレは何もかもが新しい。その新しさには違和感を覚えずにはおれなかった。
ヴ、ヴヴ
ヴ、ヴヴヴ、ヴヴヴ
やはり、これはハエの羽音だ。
だが、トイレの中で聞こえるのにトイレにはいない。
ヴヴヴヴ、ヴヴ、ヴヴヴヴヴ、
ヴヴヴヴヴヴヴヴ、ヴヴヴヴヴ、ヴヴヴヴヴ、ヴヴヴヴヴ、ヴヴヴヴヴ、ヴヴヴヴヴ、ヴヴヴヴヴ、ヴヴヴヴヴ、ヴヴヴヴヴ、ヴヴヴヴヴ、ヴヴヴヴヴ、ヴヴヴヴヴ、ヴヴヴヴヴ、ヴヴヴヴヴ、ヴヴヴヴヴ、ヴヴヴヴヴ、ヴヴヴ
三倉さんは大量のハエの羽音に巻き込まれた。
うわあああああああ――叫んだつもりが、声が出ない。
それどころか、身体を動かせない。
三倉さんは立ったまま金縛りに遭っていた。
見えない無数のハエに群がられる。見えないだけで感触はある。三倉さんが動けないのをいいことに、無遠慮に耳に鼻に目に口に潜り込んでこようとする。
(あっちいけ! あっちいけぇぇぇぇ!)
トイレのドアが開き、寝ぼけ眼の友達と目が合う。
友達は顔面蒼白になり、どたーんと尻もちをついてトイレの前でへたり込む。
(おいっ、たすけて! たすけてくれ! 動けないんだよ! こいつらを追い払ってくれ! あっちこっちに潜り込んでくるんだよ!)
友達がそうっと下から覗き込んでくる。
「――三倉?」
※
友達はトイレを開けた瞬間、三倉さんを見て、そこに首吊り死体がぶら下がっているように見えたのだという。
トイレがどこよりもきれいで新しいのは、そういうことなのだろうと理解した。
三倉さんはこの夜、首吊り死体になってハエに群がられる体験をしたのである。