幻虫 1



 以前、浅谷さんは交際を始めたばかりの彼女とこの繁華街を歩いた。

 マニアックな店が多いのでアングラなデートを楽しむには最適の街なのだが、二十一時を越えると飲み屋街から流れてくる酔っ払いやガラの悪そうなやからが増えてくる。

 駅方面に戻ろうと二人は近道の街路に入った。

 すると、前の方から、泥酔した老人がよろよろと二人に近寄ってきた。

 老人は二人の顔を見るなり、わいな言葉を投げつけてくる。

 いまいましいが、構うのも時間の無駄。「はいはいごくろうさん」と彼女の腕を引いて老人をよけていった。

「おわっ」「くらっ」「くんなっ」「あっちいけっ」

 後ろで騒ぐ声がする。

 見ると、さっきの老人である。

 身体からなにかを払い落とそうと、顔を真っ赤にして必死になっている。

 顔の前にいるものを手で追い払い、足や肩にとりつくものを叩いて払おうと、まるで踊っているような動きをしていた。

 浅谷さんたちには、払っているものの姿は見えない。

「ねぇ、あれ、幻覚でも見てるの?」

「飲みすぎなんだろ。いこうよ」

 ――と、その時、二人のいる街路に風が吹き込む。

 嫌な臭いの風だった。

 浅谷さんの耳を羽音がかすめていく。


 ヴヴヴ、ヴ、ヴヴヴヴ、ヴヴヴヴヴヴ、ヴヴヴ、ヴヴヴ


「うわっ」

「ヤダッヤダッ」

 群がる虫を払おうと手を振りまわす。脚で蹴りまわす。

 そうしてしばらく二人は、見えない虫をいつまでも払い落としながら踊っていた。