愛しくなる人形



 十年以上前の夏。

 水島さんは知人から「赤ん坊の人形」を預かることとなった。

 本物の赤ん坊のサイズで、重さもずしりとあり、細やかなしゅうの入った服を着ている。

 おそらく外国製で(表示がない)、アンティークではないのだが、それまで保管場所がよくなかったためか、ひどく汚れており、全体的に古く見えた。

 服には血にも見える茶色い染みがついており、開閉する作りの瞼も片側が開いたままになって、角度によっては引きった表情に見える。

 なぜそのようなものを預かることになったのか。

 理由はつまらないことである。

 知人の彼女が、この人形を大変嫌っているのである。

 たまに視線が合うとか、さっきと向きが違うとか。

 そのうち髪が伸びているとかも言い出しそうな勢いの嫌いっぷりなのだという。

 とにかく妙な言いがかりをつけ、処分をして欲しがるのだそうだ。

 知人宅に来るたび、その彼女は「捨てるか売るかしてよ!」としつこく迫るので、このままでは勝手に売られるか捨てられる運命。

 しまいには、人形を捨てるか別れるかと究極の選択まで突きつけてきた。

 この人形は、ある国のフリーマーケットで見つけ、一目ぼれしたものらしい。

 捨てる気も売る気もさらさらないが、彼女のことも無視はできない。

「うちワンルームだから収納場所がないんだよ。預かり賃出すからさ、頼む!」

 仕方がなく預かることにしたのだが――。

 水島さんは映画でも漫画でも怖い系が大の苦手である。

 いかにも動き出しそうな気配を帯びたこの人形を完全に持て余していた。


 しかし、数日後。

 人形は自宅寝室のベッドサイドテーブルに置かれた。

 水島さんはこの人形になれてきて、怖いとは思わなくなったのである。

 それには理由がある。

 ある時、ふと人形の横顔を見ると――誰かに似ている。

 横顔をじっと見つめること数十分。

 自分が赤ん坊の時に似ていることに気づいたのである。

 そうなると、印象もガラリと変わってくるもので。

(もしおれに子供がいたら、こんな感じかな……)

 そう考えたら、愛しさまで感じる。

 外国の人形が神奈川の僻地で生まれた赤ちゃんに似ているというのも不思議な話だが、他人の気がしなくなっていたのだという。

 また、知人の彼女が言っていたように、たまに視線が合う。

 しかも何度か、両目をパッチリと開いた状態で目が合っていた。

 こんなに愛らしい瞳を持つ子を捨てるか売れだなんて、知人の彼女はどうかしていると思った。


「この子さ、誰かに似てない?」

 実家へ帰った時、水島さんはスマホで撮った人形の写真を母親に見せた。

 母親はちょっと見て、

「あんたはこの世で一人で充分」

 興味なしといった様子で、それっきり画像は見なかったという。

 水島さんの母親はあまりお気に召さなかったようだ。


 水島さんは血のようなもので汚れた服を替えてあげたいと考えた。

 そこで、ドールショップ――へは行かず、赤ちゃん用品店へ行って肌着を購入。

 しかし、人形の服をどう脱がせていいのかわからない。ボタンのようなものもない。

 本体と着衣が縫い付けてでもあるのか、脱がせられる取っかかりがない。

 着替えは断念し、買った肌着は未来の本物の我が子のために保管しておくことにした。


 こうしてすっかり、我が子のように大事な存在となった人形。

 そうなってくると、離れがたくなる。


 めでたく知人が例の彼女と別れ、人形を引き取りに来た。

 水島さんは名残惜しさに、最後に〝わが子〟を抱いた。

 一方、知人のほうは久しぶりの再会だというのに、うかない顔である。

「これ、俺の人形じゃない」

 じゃあ貰えるのかと期待したが、知人はしっかり持ち帰った。


 それからほどなくして、水島さんは結婚、一子を授かる。

「あの人形のおかげで、子供が欲しいなと思えたんです。もともとそういう目的で作られた呪物みたいなものなのかもしれませんね」

 非合法なやり方で製造されていなければいいんですが――。

 その点が少し心配であるという。