いつもどおり



 郡司さんはマンションの一階にご家族と住んでいる。

 入居者が使うことのできる専用庭があり、そこで野菜などを育てている。

 毎朝、郡司さんが野菜に水をあげにいくタイミングで、隣に住む高齢の奥さんが庭に出てきて、よく声をかけてきた。網戸を開く音に反応して出てくるらしい。

 その日も、

「なにを育ててらっしゃるの?」

「おはようございます。今はトマトですね」

 昨日も同じことを聞かれた。その前の日も同じことを聞かれている。隣の奥さんは庭で顔を会わすたびに同じことを聞いてくるのだが、郡司さんは毎回、初めて聞かれたように返していた。とくにわずらわしさなどは感じていなかったという。

「お子さんは元気?」

「毎日走り回ってうるさいくらいです。そちらはどうですか?」

「おかげさまで。うちの旦那はおしゃべり好きで、毎日遅くまで話に付き合っているんですよ」

 そう言うと困ったような笑みを見せ、

「あの人、声が大きいから、ご迷惑じゃありません?」

「いえ、まったく。聞こえても気になりませんよ」

 郡司さんが気になっていたのは奥さんの部屋着だった。

 胸元と袖に黒い汚れがついている。おそらく数日前から同じ服を着続けており、今ある汚れも結構前からついていた。汚れは日に日に増えている気がした。

 隣から呼ぶような声が聞こえ、奥さんは「はいはい」と戻っていった。

 いつも通りの朝であった。


 その日の午後。

 家族が外出中で一人午睡ひるねをむさぼっていた郡司さんは、大きな物音に起こされる。

 ドスッ、ドスッと、壁の向こうから何かをぶつけている音である。

 その壁の向こうは、隣の夫婦の部屋だ。

 何か騒がしい。

 庭のほうからは複数の男性の低い声。

 玄関の外からもざわつく声がする。

 胸騒ぎがして外へ出てみると、毎朝、廊下で井戸端会議をしている住人たちが隣の玄関ドア付近に集まっている。そこには警察もいた。

 それで察した。隣の夫婦のどちらかに何かがあったのだと。

 だが、そうではなかった。

 どちらかではなく、どちらもだった。

 お隣さんは、夫婦で亡くなっていたのである。

 当初、郡司さんは状況がまるでつかめなかった。だが、漏れこぼれる野次馬の声を拾い集め、隣で起きていたことが少しずつわかってきた。

 先に亡くなっていたのは旦那さんであった。

 奥さんは郡司さんと庭で話した朝八時ごろから、遺体として発見される二時までのあいだに亡くなったことになる。

 問題は、旦那さんはいつ亡くなったかである。

 旦那さんは、容易に運び出せない状態にまで腐敗していたらしく、死後一週間以上は間違いなく経過していた。

 今までどのようにして死臭を外へ漏らさずにおれたのか。

 奥さんは毎日、亡くなった旦那さんにずっと喋りかけていたのだろうか。

 郡司さんが聞いていた、奥さんを呼ぶ声は誰のものだったのか。

「なにを育ててらっしゃるの?」

 また、いつも通りの声をかけられるような気がして、緊張しながら今日もトマトに水をあげてきたという。