N寺峠



 京都のタクシー会社に勤務する蔵元さんから聞いた。

「昔からドライブが好きで、よく行っていた場所があるんです。今でもありますよ。おすすめはできない場所なんですが――」

 N寺峠。戦時中、多くの移民者が虐殺された土地である。

 犠牲者供養の地蔵が建てられているだけで、素晴らしい景観があるわけではない。まわりは鬱蒼として昼間でも暗く、夜はさらに闇がどろりと濃くなり、車のライトが照らしだすれる木々のシルエットが亡霊じみて気味の悪いことこのうえない。走っているだけで、何が起きなくとも急にぞっとして引き返したくなる。それでも気がつくとまたそこへ向かっているという、なんとも不思議な引力のある場所なのだそうだ。

 このN寺峠で、数十年前に不思議な体験をしているという。

「その時は久しぶりに地元の先輩たちから招集がかかりましてね。不良グループってやつですよ。みんなでつるんで走ろうやって。声をかけられる後輩をみんな呼んでね。それで先輩の一人が言うわけですよ。おう、蔵元、お前、どこかおもろいとこ案内せぇや。先輩の権限で無茶を言うんです。ええ、ですから、連れて行ったんですよ、N寺峠に」


 結構な人数となり、車四台でN寺峠へ向かった。

 蔵元さんの運転する車は先頭でこわもての先輩三人を乗せていた。

 ハンドルを握りながら蔵元さんは不安になった。

 おう蔵元、なんもないやんけ、ここのどこがおもろいんじゃ。

 ――と先輩たちにどやされるんじゃないだろうか。

 今さら引き返すわけにもいかない。

 どうしてだろう。どうして自分は、あんな場所に先輩たちを連れて行こうなんて思ったんだろう。

 案の定、N寺峠にさしかかると先輩たちが文句を言い出した。

「おう、真っ暗やんけ、なんじゃここは」

「肝試しでもせいっちゅうんか」

 本当だ、こんな場所、まったく面白くもなんともない。真っ暗なだけで、なにも見えない。

 先輩たちは苛立ち、引き返せとシートを蹴り出した。戻ったら殴られる勢いだ。

 前方に白いものが見えてきた。

 それが地蔵であることは知っている。夜にここを通るとヘッドライトが白く照らし出すのだ。はじめて見た時は心臓が止まるほど驚いた。

 ――そうだ。あれを使って先輩たちを怖がらせよう。三人とも馬鹿だから、怖さで怒りを忘れてくれるかも。


 一計を案じた蔵元さんは後続の車に合図し、道の脇に車を停めた。

「なにをしとんじゃ、おまえは」

「先輩、あれ、なんでしょうね。白いもんがありませんか?」

 先輩たちは身を乗り出し、じっと前を見つめる。

「あれがなんや。止まんなやボケ」

 怖がっている様子はないが、さっきは戻れと言ったのに今度は進めと言い出した。きっと、あれが何かは確認しておきたいのだろう。そして地蔵であることがわかった後、つまんねぇもの見せんなボケと殴られるのだ。

 ため息をつくと、ゆるゆると車を発進させる。

 地蔵の横をゆっくり通りかかる。

 次の瞬間、先輩たちは火がついたように騒ぎ出した。

「いけや! はよいけや! ちんたらすな!」

 後ろからシートをがんがん揺らして蔵元さんを急かすので、わけもわからず従った。


 なんであんなとこに連れてった! なんであんなもん見せた! なんで無視せんと見なかったことにせんかった!

 地元方面に戻る車中、先輩たちから激しくりちらされ、罵声を浴びせられた。先輩たちがなににキレているかというと、幽霊を見せられたことにキレているのである。

 あれはお地蔵さんですよといってもまったく聞いてくれない。

「おまえ、あれを見てないんか」

 蔵元さんは見なかった。地蔵があると知っていたからだ。だが、先輩たちは地蔵は見ていない。三人が三人、「座った婆さんが宙を浮いていた」という。

 着物を着ていたとか裸だったとか証言に食い違いはあるものの、「足が光っていた」という共通点があった。蔵元さんはさらに混乱した。足が光っているとはどういう状態なのか。正座をして曲げている足が白く光っていたということだろうか。

 蔵元さんを担ごうというわけではない。そんなに頭のいい先輩たちじゃない。心底肝を冷やしているのだ。


 後日、蔵元さんは一人でN寺峠へ行ってみた。

 地蔵は地蔵にしか見えず、宙を浮く婆さんには会えなかった。

「それからも何度も行ってるんですが、出会えませんでしたね。でもそれも不思議なんですよ。どうして、あんななんにもない場所に、ドライブが好きとはいえ私は何度も行っていたんだろうなあ」