幕間 滅びの足音、永遠の別れ
その日、東水神国ベルガに一人の男が現れた。
この国にとって仇と言っても差し支えの無い忌むべき男。当然現れた瞬間縄を打たれ捕らえられた。
捕縛の報を耳にしたベルガ王は自ら首を刎ねてくれようと、直々に男の前に現れた。
「面を上げよ……アンダイル王子ナシュレイ」
国王の言葉にボロボロな格好のナッシュ王子は顔を上げた。その顔は絶望的に暗く、そして怒りに満ちている。
「貴様はこの国にとって自分がどういう存在か……分かった上でここに来たのか?」
「…………」
無言のナッシュ王子にベルガ王は引き抜いた剣を首筋に当てる。一筋の血液が流れる。
「貴様は我が娘マールをたぶらかし、子供を儲けた。あげくに自国に捕らえられ、貴様の国は……娘と、孫を……殺した……」
歯を食いしばり怨嗟の言葉を漏らすベルガ王。
「もう……あそこは俺の国じゃない……」
ぼそりと言ったナッシュ王子の言葉は小声でも辺りに聞こえる。
「……この国に捕らえられ、即刻斬首でも一向に構わなかった。ベルガ王、貴方が今斬り落としてくれても構わない……。ただ、出来る事なら願いが一つだけ……ある」
「願い……だと?」
コメカミをピクリと動かすと、ベルガ王は剣を上段に構えた。
「立場が分かっておるか! 貴様が私に、いやこの国に願える事があるとでも!?」
「……アンダイル王の首……」
「!?」
「妻マールと息子ラッシュを奪った外道の首……それ以外に望むものなど何も無い!!」
その言葉は国王だけではなく、その場で警戒していた兵士たちにも衝撃を与えた。
アンダイル王──それはナシュレイ王子にとって実の父。その人物を殺すと敵対国家の国王に言い放ったのだ。
「……それが貴様にとってどういう事か、分かった上で言っているのか?」
自然と声が震える国王にナッシュ王子はハッキリと言う。
「俺はもう王子でも何でもない。妻子を守れなかった、ただのろくでなしだ。そんなろくでなしに仇を討てる機会が貰えるのなら……他に何もいらぬ!!」
涙ながらに叫ぶその声は本物だった。
国王も、その場にいた兵士たちも、愚かな事に今更理解したのだ。
マール王女がこの男と本当に愛し合っていた事を……。
「ベルガ王国軍の一兵士で構わん。俺に……仇を討てる最後の機会をくれ! たのむ!!」
この言葉が決定的だった。
その日、東水神国ベルガの亡き王女マールに正式な婿養子が誕生した。
同じ目的と同じ憎悪、そして同じ悲しみを肌で感じたベルガ王はナッシュを自分の息子として受け入れたのだった。
この日を境に水神国の西と東の戦争は泥沼と化していく。
最後の時、西も東も関係無く滅ぼす足音に気が付く事も無く……。
*
エルモント王国王位継承者。
それは公式的にも第一王子シュトゥルム・E・カルヴァドスだと言われていた。強大な魔力を持ち武勲を立て、政務においても優秀とされる彼が王位を継ぐ事をほとんどの人間は当たり前の事ととらえていた。
しかし優秀すぎる王は反発も生む。己の権威を失いたくない一部の軍や貴族たちは、その妹であり第一王女ジュリア・E・カルヴァドスを国王に即位させるべく『炎の女王派』を築き上げていた。当の本人たちは兄妹仲もよく、お互いこそが王の器と考えていたにもかかわらず、エルモント王国では継承者たち本人の与かり知らぬところで雷迅派と炎の女王派の対立構造が出来てしまったのだ。
形勢不利な炎の女王派は何とか無理やりにでも両者の対立を煽ろうと、隣国である水神国の内乱に目を付ける。王女の配下の軍部をベルガへと送りこんだのだ。それに雷迅派も黙っておらず、こちらはアンダイルの支援を決定する。
結果として王子はアンダイルを、王女はベルガを支援するという実質的な代理戦争が演出されてしまったのだった。
水神国での戦いの激化に伴ってエルモント国内にも分裂の危機が訪れる中、国王は勝手に対立を煽った『炎の女王派』である軍組織の解体を命じた。責任感の強いジュリアは一連の事件を自らの過失ととらえ、王家から退く事を自ら決めた。
ティアリスが全てを知らされたのは、姉が王家を離れるその日の事だった。
城を出て幽閉先へと向かう姉をティアリスは必死に呼び止める。
「姉上……ジュリア姉上様……!! 臣籍降下されるなど、そこまでしなくとも……」
「国を荒れさせたのは私の失策。兄上ならば、この国をうまく治めて下さるだろう」
「ですが……」
「くどいぞティアリス」
「……」
姉の言葉に唇を嚙みしめうつむいてしまったティアリスの姿を見て、はっとした顔をしてからジュリアは出来るだけ優しく語りかけた。
これが、最後かもしれないのだから。
「ティアリス、顔を上げなさい」
「……?」
「王家の者には魔力とともに責務も生じる。私はそれを重く思った事はないし、ずっと誇りに思っていた」
姉の言葉に顔を上げたティアリスの表情は冴えない。それは『役立たず』である自分を責められているかのように感じたからだ。それを悟ってかジュリアは幼子を励ますようにそっとティアリスの頭を撫でた。
「けれども、その責務に私の大切な兄上や妹たちが巻き込まれる事はずっと心苦しかった。だからお前の魔力が弱くて安心した。この子の事は守ってやれるって」
「え……?」
驚くような姉の言葉にティアリスの思考は停止する。しかし、真意を聞く時間は二人には残されていなかった。
「ジュリア様、そろそろ」
「分かった」
従者の声に従うようにジュリアは静かに歩き出した。
そして一度振り返り、
「ティアリス……守ってやれなくてすまない。お前はお前の出来る事をしてくれ」
小さくそう呟いてあとは二度とこちらを振り返る事は無かった。
ジュリアの臣籍降下以降、炎の女王派であった王侯貴族たちは立場を失い、国民から……特にジュリアと戦場を共にした兵士たちから激烈な非難が起こった。
そして……自分たちの立場を守ろうとした一握りの愚か者たちは最悪の手を打つ。
『軍解体など言っていられない、明確な敵の存在があれば良いのだ』と……。
それが国の滅びの引き金だとも知らずに……。