毒見役──暗殺の危険が高い要人を守るため、対象が口にするものを先に摂せつ取しゆし、危険性の有う無むを確かく認にんするという己おのれの身を犠ぎ牲せいにして要人を守る重要極きわまりない仕事だ。

 それは魔ま導どう国家たるエルモント王国でも例外ではない。

 エルモント王国新種作物開発機関カルヴァドス研究所でも、そんな使命感を持ったモノノフたちが己が犠牲になろうと名乗りを上げる。

「王女を守護するのは騎き士しの役目であり栄えい誉よ。そのためならばこの身が朽くちようとも本ほん望もうだ。その栄誉ある使命は王宮衛えい士したる我わが輩はいが承うけたまわろう」

 屈くつ強きような騎士が率そつ先せんして手を挙げた。

「何をおっしゃいますか。貴方あなたのような猛も者さにもしもの事があっては、誰がいざという時に国王を、王国を守れると言うのです。ここはメイドの端はしくれである私わたくしにお任せ下さい」

 騎士の手を制して、ブロンドのまだあどけなさが残るメイドさんが名乗りを上げる。

「何言ってんだ。メイドこそ王族の側近にして生活の基き盤ばん。もしもの事があれば、国が回らなくなる。ここは同じ研究所職員にして副所長の先せん輩ぱいたる俺に任せときなさい」

 庭師のジャック先輩も黙だまってはいない。

 皆みなが皆、他者を慮おもんぱかった殊しゆ勝しような発言で己を犠牲にしようとしている。

 うーーーん。台詞せりふだけなら立派なんだが……。

 俺は、立派な事を言いつつ視線は俺の手元にある球体に釘くぎ付づけになっている三人に溜息混じりに呟いた。

「あのさ。あくまでこれは毒見じゃなくて味見な訳で。試作品の『メロン』はこれ1個しか残っていない訳で……」

 ピタリと動きを止めた、各部署の代表者たち。

 そしてゴングも無いのに三人は、ガシッと同時に円えん陣じんの如ごとく組み合った。

「貴き殿でんらメイドたちは前回口にしたのだろう!? 試作品を口にした部下は、涙なみだを流しながら報告したのだ。『今までの人生でこれほどの食べ物に出会った事が無い』と! その報告は全く要領を得ないものだった。我々衛士は防衛の要かなめとして情報は正確に知る必要があるのだ!」

「正確な情報分ぶん析せきならば研究所に連なる我々メイドが行うのが本筋でございましょう!? ご心配なさらずとも、此こ度たびも正確無比な報告をご覧に入れましょう!!」

「その正確無比な情報のせいでこんな事になっているんだろうが! あんたらの報告書で分かった事は〝死ぬ程ほど美味うまい何か〟ってだけじゃねぇか! 今回は俺たちに譲ゆずれよ!!」

「なりません! 実は前回口に出来たメイドは少数、私は口にしていないのです! その連中の蕩とろけるような笑え顔がお、腹が立つ事この上ないのです!」

 三つの部署から確保の使命を下された三人の争いからは、どう考えても『名めい誉よある仕事』に対する覚かく悟ごは感じられない。白衣を着て成り行きを見守るティアは苦く笑しようを浮うかべていた。

「……私たちの研究成果でこうなってしまうのは喜んで良い事なのでしょうか?」

「……悪くはないだろうけどな……」

 前回のエクレア王国の『熔岩婦人マグマレデイ騒そう動どう』からエルモントに帰国して一ヶ月ばかり。

 特別な事件も無く品種改良に精を出していた俺こと大だい地ち耕こうと第三王女ティアリスだったが、この世界の植物の中に瓜うりに似たものを市場で発見した事が今回の事件を引き起こした。

 瓜があるなら『スイカ』や『メロン』が出来るんじゃないか?

 我ながら単純な思考で《植物生育魔ま法ほう》を使えるティアと品種改良を行ったのだ。

 余談だがこの世界のウリ科の植物は『地中に生なる』。成功したメロンもカブのような……言うなれば桜島大根のようで、地面から引っこ抜ぬく収しゆう穫かくスタイルになった。

 それは味の上では問題無く、日本人の自分から見てもメロンとしてふさわしい出で来き栄ばえだったのだが……俺はまたしてもここが異世界である事を忘れていた。

 前に一度新種の魔ま物ものを生み出してしまった前科があるため、《植物生育魔法》の使用は兵士たちの演習中に行う事が義務付けられている。そのため、成功した食物を担当の騎士たちに分けることが多かった。

 今回メロンの生育に成功した時も担当の王宮衛士隊四~五人がおり、彼らにお裾すそ分わけをしたのだが──それが、まずかった。

 どうもこの世界では、『甘みを湛たたえた果実の存在』は少数のようなのだ。

 リンゴの時でさえ『極ごく上じようの甘さ』と言われていたのだから考えれば分かりそうなものだが、その時俺はあんまりその重大さを理解していなかった。

 しかし味わった事の無い甘さに腰こしを抜かした衛士たちから情報が流れた結果、カルヴァドス研究所の『新種の毒見』は王城内部で密ひそかな人気職となってしまったのだ。

「それこそリンゴのように木に生る実であれば良かったのに……コウさん、このメロンは本当に量産するのが難しいのでしょうか?」

「うーん。メロンもそうだけどリンゴだって市場に流通させるには数が限られているからな……ティアの《植物生育魔法》は一日に二回だから……」

 ティアの魔法には幾いくつかの制限かある。それは魔ま力りよくが少ないため一日二回が魔法使用の限度である事と、一度に一つの植物にしか使えない事だ。

 つまり基本的に木に生るリンゴであれば、一回で少なくとも二~三百個のリンゴが出来上がるのだが、この『桜島大根型メロン』に関しては一回に一個しか作れない。

 ようはこの魔法は、開発には向いているのだが量産には向いていないのだ。

「何か勢いで作っちゃったけど、メロンもリンゴも糖度が高けりゃ高いほど害虫に狙ねらわれ易やすいし病気にも弱くなるからな……」

 俺とティアが目の前で繰くり広げられる良いい大人たちの無む駄だな争いを微び妙みような気分で見ていると、不意に小屋の引き戸が開いて赤毛の女性が入って来た。

「お~いダイチ……って……何やってんのアンタら?」

 三人の諍いに目を丸くしたのはティアの親友であり、第三王女専属護衛師であるキリカさんであった。

「何て言いますか……メロン騒動?」

 俺の言葉と手に持ったメロンで全すべてを察したらしく、キリカさんは「あ~」と顔をしかめて三人を小屋から蹴けり出した。

「あの味わいは確かに凄すごい代しろ物ものではあるけど、私としてはもっとあっちに力を入れて欲しいところだなぁ……」

 そう言いつつチラリとキリカさんが視線を送る先には、一つの樽たるが置かれている。そして急にキリカさんは俺と肩かたを組んだ。

「ダイチ……モノは相談なんだけど、あの中身……まだある?」

「まさか前に渡わたした奴やつ、もう飲み切ったんじゃ……」

 ジト目で俺が言うとキリカさんはごまかすように笑ってみせる。

「だって! あんな酒今まで味わった事無いんだもん。口当たりが良くってキューッと来てカーッとなるっていうかさ!」

「悪わる酔よいするから程々にって言ってるのに……」

 ティアの魔法は『植物を一番生育した状態にする』もので、これは発はつ酵こう食品にも応用出来る。ただ発酵食品ならば全て可能なのではなく、チーズやバターなどの動物性の物には効果が無く、味み噌そや醬しよう油ゆなどの植物から作られる物には効果がある。

 平たく言うと植物から出来る発酵食品の熟成を一いつ瞬しゆんで行えるのだ。

 当然それは糖質を発酵させてアルコールにする、アレも例外ではなかった。

 この世界でも葡ぶ萄どうから作られるワインは普ふ通つうに存在していたのだが、俺はティアの魔法の実験をするに当たり、どうも余計な物まで作ってしまったようで……。

 米から作る酒、つまり『日本酒』だ。

 未成年である俺は飲酒経験なんて無いから出来の良し悪しの判断がつかなかったので、毎晩酒場で晩ばん酌しやくしているキリカさんに味見をして貰もらった結果……どうもはまってしまったらしく、最近ちょくちょく空のワインボトルをぶら下げて小屋に来るのだ。

 おっさん臭くさい事この上ない。

 親父おやじが『日本酒は飲み過ぎると翌日にクるからな』と言っていた事を思い出し、飲み過ぎ注意と言っていたのだが、あいにくキリカさんには本日もスッキリしたお目覚めで。

 こっちの助言は右から左のようだ。

「あれも実験で作った物だから量は大して無いよ。あと一瓶びんあるか無いか程度かな?」

「何ですって!!」

 大げさに仰のけ反って衝しよう撃げきを受けるキリカさん。しかし即そく座ざに立ち直って顔を寄せる。

「ダイチ、この『ニホンシュ』って酒はこの世界に革命を起こす物もの凄すごく画期的な発明だって理解しているかな?」

「はあ……」

「君がこの世界に来るまで、ここには酒がワインしかなかった! 違ちがう種類の酒があるっていうのは、今まであり得なかった革新なのよ!」

「言いたい事は分かるけど……」

「さらに! 研究所で行っている品種改良に比べてティアの魔法も融ゆう通ずうが利きくと思う」

「え? それってどういう……」

 急に自分の名前を出されて口を挟はさんでくるティア。

「いい? ティアの植物生育魔法は『一つの植物に対して』有効な魔法。でも発酵食品は全て別々の植物を加工した集合体じゃない?」

「あ……ああ確かに」

 感心するよりも若じやつ干かん引いている俺に気付かず、キリカさんは目を輝かがやかせて続ける。

「つまり! ティアの魔法は加工後の植物を『一つの植物』として認にん識しきしたって事でしょ? つまり仕込みが多ければ多い程作れる量が増えるって事よ!!」

「あ……」

 確かにその通りかもしれない。

 味噌や醬油を仕込んだ段階で俺が用意したのは個人で造れる量だけだった。仮にキリカさんの理り屈くつが正しければ醸じよう造ぞう元の職人たちが扱あつかうような大きさの樽に仕込んだ味噌や醬油が、何十年を通り越こして一瞬で大量に完成する事になる。

「相変わらず酒が絡からむとアンタの頭脳は恐おそろしい事になるな……」

 着眼点は物凄く良いのだが、気が付いた理由は無くなりそうな日本酒を増やす為ためって辺りが何とも……。

「私、ある程度なら出資できる! だから湖一いつ杯ぱいの仕込みで泳げる程のニホンシュを!!」

 そこまでキリカさんがテンションマックスで自分の夢を語っていると、主あるじであり親友であり、この世界でその魔法を唯ゆい一いつ使えるティアがニッコリとキリカさんの肩を叩たたいた。

「キリカ……飲み過ぎはダメよ?」

「あ……うん……ゴメン……」

 珍めずらしくキリカさんがティアに怒おこられていた。

 うん、俺も同感。それじゃあさっき自分で叩き出したメロン騒動の連中と変わらん。



「ところでキリカさん、何か用事があったんじゃないの?」

 ティアに窘たしなめられてしばらくシュンとしていたキリカさんは、俺の言葉に顔を上げた。

「あ……ああそうだった。ゴメン、ダイチにこれを持って来たんだった」

「……これは?」

 そう言ってキリカさんは懐ふところから銀色に輝くプレートを取り出した。それはキャッシュカードなどに比べると少々大きい四角い物で、ちょっと重い。

 表面には文字のような何かが描かかれているが、あいにく俺はこの世界の文字を読む事が出来ないので、横から覗のぞき込んだティアが読み上げてくれる。

「エルモント王城セキュリティ……B、城内への通行証ですね」

「セキュリティカード!? そんなのがあったの!?」

「この通行証にはランクがあってね、SS、S、A、Bと分かれていて……平たく言うと一番低いランクね」

「へー、ちなみにこれで進入できるのはどの辺までなの?」

 俺の言葉を受けてキリカさんは懐から四つ折の羊皮紙を取り出して広げてみせた。

 それは王城内部の見取り図で、それぞれ赤・黄・緑・青と色分けがされている。見取り図の外側から青緑黄赤の順番で、中心に行く程見取り図が雑になっている。

 多分、情報流出を防ぐ為なのだろう。一番中心部の赤い部分はほぼ空くう欄らんだ。

「この見取り図で分かる通り……この青色で記された部分がBランクの進入許可場所」

 そう言って指された見取り図の青色の部分には、ほとんどの部屋が記入されていた。

 つまりこの辺はBランクの人間に知られても問題の無い部屋なのだろう。

 ただこの見取り図の文字は読めないけど、記された部屋には見覚えがある。

「ん? ここは使用人用の台所、ここはメイドの待機室。こっちは庭師の詰つめ所に兵士たちの食堂だよな……」

 この城に庭師として就職してから今までで、記された部屋の大半がいつも出入りしている場所ばかりである。

「……あのキリカさん、それって別に今までと変わらないんじゃ?」

 俺の言葉にキリカさんも苦く笑しようを浮うかべた。

「私も今いま更さらって気はするけどね? どちらかと言えば王城内部じゃなくて外に出るための許可証なのよ」

「は? それって……」

「今回晴れて君にかかっていた不ふ名めい誉よな肩かた書がき『観察処分』が解除になったのよ。この許可証を持った事で今日から自由に王城を出入り出来るわ」

「ああ、そう言えば……」

 俺がこの世界に召しよう喚かんされたのがティアの私室だったせいで、観察処分の身だったのだ。

 キリカさんと一いつ緒しよに城下町に出たり他国に行ったりしてるし、ましてや被ひ害がい者しやに当たるティアが日常的に傍そばにいる事で完全に忘れていたが……。

「正直なところ私だけじゃなく担当者の全員が忘れていたのよ、キミの罪状を。傍はた目めにはティアリス王女と一緒に研究所の副所長に任命された奴だし、王女と一緒にやたら自由に動いているように見えるし……」

「すみませんコウさん、私は今思い出しました……」

「心配すんな。俺も今まで忘れてたよ」

 この辺についてはむしろ自分の落ち度だ。多分言われなければいつまでも気が付かなかった事だろう。あえて不ふ手て際ぎわを指し摘てきするなら……皆みなが皆、顔パスで通すからだ。

「まあ君の言う通り便べん宜ぎ上じようの物でしかないけどさ、これで晴れてエルモント国内での自由な行動が認められたって訳」

 本来なら罪状が晴れて喜ばしいところなんだろうけど、そう言われても全然実感が湧わかない。何せ今までも城下町に出る機会は多かったし、何よりも誰だれよりもキリカさんに連れられてちょくちょく酒場にまで顔を出してたせいで、最も早はや自分がその界かい隈わいでは常連になっている自覚がある。

「でも考えてみれば今まで一度も一人で外出した事は無かったのか……」

 自分の感覚ではツルんで買い物に行っていただけなのだが、今になって考えてみると確かに何時いつでも誰かが傍にいた。キリカさんを筆頭にメイドさんたちや庭師仲間など。

「折せつ角かくだから午後から出かけてみようかな?」

 不思議なものでそう考えると、急に一人で城下町に行くのも悪くない気がしてくる。

「ティア。今日の予定はもう終わりなんだよな?」

「え? ええ……リンゴの植樹とさっきのメロンで魔ま力りよくが尽つきてしまいましたし……」

「ああ、そうかリンゴもやってるのか。今何本くらい増えた?」

「大体五十本くらいでしょうか? リンゴを卸おろしている業者からは『ぜひもっと大量生産を』とせっつかれていますが……」

 前の昼食会でお披ひ露ろ目めとなったティアのリンゴは、最近ポツポツと市場にも出回り始めている。今まで囚しゆう人じん食と言われるほど不味まずいものの代表だったリンゴが、強きよう烈れつな美味なる果実に生まれ変わったのだ。さらにリンゴの品種改良を成功させたのは、『役立たず』としてこき下ろされてきた第三王女ティアリス。注目を受けない訳はない。

 最近巷ちまたでは王子の『雷らい迅じん』や第一王女の『炎ほのおの女王』に次ぐ新たなる二つ名を考えるのが流行はやりになりつつあるそうだ。相も変わらず「私の手て柄がらじゃありません!」と言って譲ゆずらないティアは不本意なようだが……。

 実はリンゴについてのティアの功績は、王国の特とく殊しゆ部隊からティアリスのイメージアップの為に意図的に流されているのは内ない緒しよである。特に護衛師には。

 そのリンゴが別の問題も引き起こしてるんだけど、それはまぁ別の話だ。

「よし! 市場調査もかねて出かけるかな」

 ティアの魔力が尽きては研究所の作業もストップだし、今日は庭師の仕事も無かったはず。メロン獲かく得とくに来ていたジャック先せん輩ぱいが何よりの証しよう拠こだ。

「コウさん、城下へ行かれるのですか?」

「ん? ああ。色々見ておきたい事もあるし……」

 俺がそう言った瞬しゆん間かん、目の前の王女の目がキラキラと輝いて、犬的な耳と尻尾しつぽが俺には確かに見えた。しかもやたらと振ふってるし……。



「コウさ~ん、お待たせしました」

 城門前広場で待っている俺に明るく手を振るティア。長いライトグリーンの髪かみを後ろで纏まとめ、着た服は少し色のくすんだ白いブラウスと青のスカート。そして手に持った籠かご。

 それはどこから見ても町まち娘むすめにしか見えない出いで立ちである。

 現代日本人の感覚ではこの世界は中世辺り。純白の衣類は高級品に当たり一いつ般ぱん人にとっては余よ所そ行ゆきになる。つまり一般人にとってはおしゃれよりも、汚よごれてもかまわない事が衣類の前提になってくる。

 ティアが今着ている衣服はその条件を満たすのに十分で、王女がお忍しのびで町に出るには適切な格好なのだが……何というか……。

「また……見事に王女には見えないな」

「そうですか?」

 喜んでるし。

「やれやれ……これも被かぶりなさい。一応顔バレの危険もあるんだから」

 後ろから追い付いたキリカさんはそう言って麦むぎ藁わら帽ぼう子しをティアに被せた。それによってますます町娘感が跳はね上がる。

 キリカさんはタンクトップにショートパンツと若干肌はだ色いろ多めのいつもの訓練着なのだが、手には一本の杖つえを携たずさえていた。さすがに市場で刃は物ものを剝むき身で携けい帯たいする訳にもいかないから、護衛師のいざという時の武器なのだろう。

「あの話の流れじゃ、ティアが一緒に行きたがるのは予想出来たでしょうに……」

 ジト目で少々の皮肉を言うキリカさん。

「いや……確かにそうだけどさ」

「コウさん、ひょっとしてご迷めい惑わくでした?」

 そう言って上目遣づかいで申し訳なさそうにするティア。

 止やめて下さい。そんな目で見られると意味も無く湧き上がる罪悪感と庇ひ護ご欲よくで死んでしまいます。

「違ちがう違う! ただ折角許可が出て一人歩きが認められても、ティアと一緒に出かけるとプラスで護衛師のキリカさんも付いてくるから結局保護観察の時と変わらないなぁって」

「だから私もたまにはダイチも一人で出かけたいかな? と思っただけで……」

 その答えにティアも納なつ得とくしたようで「ああ」と手を打つが、今度は不満そうに頰ほおを膨ふくらませる。

「いいじゃないですか。キリカはいつもコウさんと酒場に行っているのでしょう? 後で聞く晩ばん酌しやくの話が私はうらやましかったのですよ!」

「あ~~~、それを引き合いに出されると……」

 今度は皮肉に愚ぐ痴ちで返されたキリカさんが呻うめいた。

 たとえ親友同士と言ってもティアとキリカさんは主と護衛師だ。安全の確保が出来ない場所で一緒に酒を飲む訳には行かない。ましてやキリカさんは結構酩めい酊ていする口だ。

「分かった分かった私の負け。夜の街に連れて行けとか言われないだけよっぽどマシだよ」

「分かればよいのです」

 降参するキリカさんに「ふむ」と胸を張るティア。得意げな顔がちょっと可愛かわいい。

「じゃあそろそろ行こうか……」

 俺がそう言った瞬間の事、ぞくりと背後から感じた何かに全身の毛が逆立った。

 それは殺気。

 素人しろうとでも感じられる剝き出しで強大なそれに恐おそる恐る振り返ると、その人物は城門前広場から見える王宮の二階バルコニーにいた。

 燃えるようなオレンジ色の髪をショートに切り揃そろえ、スタイルの良い長身にカッチリとした軍服を纏うその女性は、アスリートのような美しさを誇ほこっていた。両手両足にはそれぞれに紅あかい宝石をあしらった特とく徴ちよう的な手てつ甲こうとブーツ。

 明らかに只ただ者ものではない雰ふん囲い気きの人物が、燃えるような瞳ひとみでこちらを睨にらんでいた。

「だ……誰だ、あの人……」

 流れる冷や汗あせを止められず裏返った俺の声にティアが呟つぶやいた。

 いつもとは違う声こわ色いろで。

「ジュリア……姉上……様」

「ジュリア!? じゃああの人が……」

 その名はこの世界の事情に疎うとい俺でも聞いた事がある。

 エルモント王国第一王女ジュリア──戦場を圧あつ倒とう的な火の魔力を駆く使しして駆かけ抜ぬけるその様に、付いた渾あだ名なは『炎の女王』。ティアの実じつ姉しであり、隣りん国ごくエクレアのアリーシャ王女の崇すう拝はい対象である女じよ傑けつだ。

 俺たちの視線に気が付いたようで、ジュリア王女は一いち瞥べつするとバルコニーの奥に引っ込んでいった。だが、彼女の姿が消えても俺の脚あしはしばらく硬こう直ちよくしたままだった。

 つまり、それほどの殺気だったのだ。

「な……何か睨まれてたよな?」

 俺が震ふるえる声で言うとティアは目を伏ふせて答える。感情の無い声で。

「第一王女である姉上様は質しつ実じつ剛ごう健けん、文武両道な方です。王族であるにもかかわらず武力として役に立たない私の事を、一番嫌きらっているのもおそらくあの方です……」

 魔力が高くて当然の魔ま導どう国家の王族でありながら魔力の低いティアにとっては、優ゆう秀しゆうである姉の存在はコンプレックスそのものなのだろう。

「私がこのような格好をする事も気に入らないのだと思います。以前メイド服で歩いていた時にも睨まれましたし……」

 そう言ったティアの顔は、笑っていた。張り付いたような笑え顔がおで。

 俺たちの前では外している笑顔の仮面。しかし未いまだに家族の前では健在のようだ。

 ただ……俺はティアのネガティブ意見に納得しかねた。何故なぜなら……。

「あの王女……ティアじゃなくて俺を睨んでなかったか?」


    *


 エルモント城下町の市場は、《始まりの日》には客でごった返す場所だが、平日の昼過ぎは客足も比ひ較かく的てきまばらだ。商店街の面々も夕食の買い物客狙ねらいで、今は少々肩かたの力を抜いているようにも見える。

 だがそこは商売人。通りかかった客がいればスイッチをオンにして売り込み始める。

「よう庭師のコウさん。今日は両手に花かい? 隅すみに置けね……何だ片方はキリカか」

 最近ではすっかり常連と化してしまっている俺に、魚屋の大将が明らかに余計な一言を加えて声を掛かけて来た。

「それは私では花にはならないと言いたいのかな、大将」

「花だなんて……そんな……」

 笑っていない目で笑いながら詰つめ寄るキリカさんの額には青筋が立ち、対して褒ほめられる事に耐たい性せいの無いティアはただただ戸と惑まどってしまっている。いらん事を言わないで欲しい。

「今日は季節物の新しん鮮せんなカツオが入ってるよ」

「カツオ!?」

 こっちの心情などお構いなしに始まった大将の売り込みに俺は反応してしまう。

 何しろカツオは俺も大好きな魚だ。煮にて良し焼いて良し、そして何といってもカツオのタタキ! 薬味をたっぷり載のせたアイツがあればご飯を何なん杯ばいでも行ける。

「大将! 新鮮なの貰もらえる?」

 急激に思い出されるカツオの味、本日の夕食は最も早はやそれ以外に想像出来ない。

 俺は明るい未来(晩飯)を想像して生なま唾つばを飲み込む。

 だが大将が手に持った〝それ〟は、俺の想像するカツオとは明らかに違った。

 何というか……面つら構がまえが……。

「あの、大将。何かコイツ……やたらと厳いかつい顔してない? 何つーか鉄仮面でも被っているみたいっていうか……」

 体表に浮うき出た横線は確かにカツオのそれなのに、顔面には山さん賊ぞくが被っている無骨な仮面のようなものが張り付いている。いや、良く見ると一体化しているので骨が変形した物なのか? 試ためしに触さわってみると石のように固い。

 そんな俺の反応に大将は不思議そうに言う。

「そりゃあ《刺ささりガツオ》だからな」

「刺さりガツオ!?」

 初ガツオや戻もどりガツオなんてのなら聞いた事はあるけど……何だよ刺さりって?

「何だ知らんのか? 相変わらず料理の腕うで前まえに反して魚の生態には疎いなコウさん」

 ああ、またそのパターンか……。

 この世界は現代日本と同じようで微び妙みように生態系が違う物がある。例えば、魚は魔ま力りよくで空を泳ぐし、米や豆が木に生なる。品種改良で桜島大根みたいなメロンも出来るし、下手をすると魔ま物もののような植物だって生まれる。

 魔ま法ほうやドラゴンのような明らかな違いではなく、近いようで微妙に違う生態系の方が逆に驚おどろいてしまう。どうやらこのカツオもその部類のようで……。

「この刺さりガツオは群れで《風流》を泳ぐ回遊魚って奴やつなんだが……」

「……回遊魚なのは一いつ緒しよなんだ」

 少しの共通点に安心しかけたが、やはり甘かった。

「群れのスピードが尋じん常じようじゃなくてな、まるで弾だん丸がんのように草原を駆け巡めぐるんだよ」

「だ……弾丸?」

「オマケにこの刺さりガツオはとにかく避よける事を知らねぇ。障害物があってもお構いなしに突つっ込んで来やがる。この季節は大型の魔ま獣じゆうが草原で刺さりガツオに撥はねられて即そく死しなんて良くある事だし、もちろん人間だって危ねえ」

「…………」

 つまりこの鉄仮面みたいな厳つい顔付きは、ぶつかる前提で進化した代しろ物ものなのか?

 結構慣れて来たつもりだがさすが異世界、まだまだ驚かせてくれる。

「でも、そんなに危険ならどうやって捕ほ獲かくするんだ?」

 俺の質問に今まで後ろで成り行きを見守っていたティアがおずおずと口を開いた。

「確か刺さりガツオは前進しかしないから、貫つらぬけない岩山か何かにめり込んで動けなくなっているところを漁師さんたちが引っこ抜くんだと聞いたような……」

「おお、良く知ってるじゃねーか……ってどうした、コウさん?」

 ティアの答えにズッコケてしまったが、まさかそれが正解だとは。何だその昔のコントみたいな捕つかまり方は。

 まぁ生態のギャップに突っ込んでいてはキリがない。俺は気を取り直して立ち上がった。

「問題なのは味の方だ。大将、二尾びほど貰える?」

 そう俺が軽く言った次の瞬しゆん間かん、魚屋の大将は何げなく物もの凄すごい爆ばく弾だんを落とした。

「あいよ、刺さりガツオ二尾ね……彼女はどうする? 一緒に買うならおまけするけど」

「「………………は?」」

 何て言った? 今このおっさん、何て言った? カノジョ? カノジョって言ったか?

 あの特定の男女が交際する時の女性側の呼び方。ステディとか別の呼び方もあるけど、一番正確な別名を言うならば『恋こい人びと』と称しようされるあの……。

「ん? 違うのかい? たまに一緒に来るキリカとは違って、何となくコウさんの横にいてしっくりくる娘こだな~と思ってたんだが……」

 大将のその言葉で一緒にいる女性から自動的にキリカさんが抜ける。となると当然……。

 思わずそっちを見ると向こうもこっちを振ふり向いて……完全に目が合った。

 その瞬間二人して同時に顔面が爆ばく発はつした。

「たたたたたたた大将!! ななな何言い出すかな!!」

「そそそそそそうです!! 私たちは今はまだそんな関係では!!」

 真っ赤になって反論するティアは完全に熱暴走中。おそらく、俺も同じようなもんだ。

 しかし慌あわてふためく俺たちに、大将は目と自じ慢まんの頭をキラリと光らせた。

「ほほう……『今はまだ』。それはつまり、今後は分からないと?」

「はう!? いいいいいいえ! そのあのそそそそそれは!!」

 熱暴走で目を回し始めるティアの姿が非常に面おも白しろいらしく、大将は客商売で培つちかった観察眼と話術を駆使してくる。

「コウさん……今はそうじゃなくても狙ってる最中なんだろ? こうやって一緒に買い物に来る辺り……気が無いって事は無いんじゃないか?」

「そのパターンだと、キリカさんやメイドの方々も一緒に買い物に来てたからターゲットに含ふくまれる事になりますけど!」

「うーん……キリカは元より城のメイド連中も何か仕事の延長的な……良く言えば仲間の範はん疇ちゆうにしか見えないんだよ。でもこの娘は何か違ちがうと言うか……」

 そう言って大将は髭ひげを撫なでてニヤリと笑う。

「そろそろ昼だし、どうせ昼飯に託かこつけて同どう伴はんしようとか企たくらんでたんだろ?」

「バ! そんな訳無いでしょ!!」

「そそそそそうです!! ご飯なら毎朝一緒に食べてますし!!」

 ……あ、バカ。

 大将の言葉に釣つられてこの娘、物凄く言わなくて良い情報を口にしやがった。

 基本昼と夜の食事と違い、朝食は起きた時に摂せつ取しゆする食事の事だ。つまり、基本的に寝ね起おきを一緒にしない限りは〝毎朝〟一緒に食べるシチュエーションは少ない。

 ティアが王女であり、王宮庭園の道具小屋に寝ね泊とまりしている俺に毎朝飯をたかりに来ている……なんて特とく殊しゆな状じよう況きようを知らない人がそんな事を聞けばどうなるか……。

 案の定大将は極ごく上じようの『今日のゴシップ発見』的な笑みを浮かべた。

「ほう! つまりもう〝そんな仲〟なのか、そうなのか!? 何だいコウさん、中々隅に置けないなぁ。こんな可愛かわいい娘さんと同どう棲せいだなんてよ!」

「「違います!!」」

 必死の弁明をする俺たちの背後ではキリカさんが笑い転げていた。

 少しは王女を助けなさい! 専属護衛師!!


    *


「いやいや……大将なかなかいいリアクションしてくれたねぇ」

「…………」

 パシパシと背中を叩たたかれながら歩くティアの顔からは蒸気が上がっている。

 魚屋を後にしてからしばらく経たったが、ティアの顔をまともに見られない。

 何というか猛もう烈れつに恥はずかしい。

 ちらりと横目で見てみるとティアも丁度こっちを見ていて目が合う、そしてあわてて目を逸そらす……。そんな俺たちを見て再びキリカさんがまた笑う。これの繰くり返しだ。

 な、何だこの状況は……。

 熱くなった頭でそんな事を悶もん々もんと考えていると、目の前に賑にぎやかな人だかりが出来上がっていた。

「さあさあ、コイツが今エルモントで話題の果物。第三王女ティアリス・E・カルヴァドス様が自ら作られた紅あかき果実リンゴだ」

 商店街の中央辺りに幟のぼりを立てて名調子で語る商人がいた。

「囚しゆう人じん食代表、家か畜ちくの餌えさでしか無かったリンゴがこの世の物とは思えぬ程ほどの美味なる果実に生まれ変わった! 周辺諸国にも知れ渡わたる才女ティアリス王女が生み出した奇き跡せき! その奇跡を味わう機会は今しか無い!!」

 商人はそう語っているものの、以前の囚人食のようなまずさを知る人々からは、懐かい疑ぎ的な声が飛ぶ。

「本当に美味うまいのか? 何せリンゴだろ」

「それに第三王女って言えば……」

 中には未いまだ残るティアの悪評『役立たず』を持ち出す人もいる。

 しかしその声とは正反対の声も聞こえ出す。それはすでにリンゴを食した人たちだ。

「いや、騙だまされたと思って一度食った方がいいぜ。コイツは囚人食だったリンゴと一緒には出来ない。あのほのかな酸さん味みと圧あつ倒とう的な甘み……」

「第三王女は本当に天才だ! こんな新たな食い物を生み出してしまったんだから」

 それはリンゴへの賛辞であり、同時にティアに対する正当な評価だ。徐じよ々じよにだがこの国でティアリス王女の印象が変わって来た証しよう拠こだ。

 そんな光景がこそばゆいのか、ティアは麦むぎ藁わら帽ぼう子しを両手で摑つかんで顔を隠かくしてしまった。

「何か……恥ずかしいです……」

 そんなティアの頭をポコンと叩いてキリカさんが笑った。

「な~に言ってんのよ。これは貴方あなたが頑がん張ばった証あかしじゃない。胸を張んなさい」

 余談だがこのリンゴ売り、実は王国騎き士し団の特とく殊しゆ諜ちよう報ほう部隊による仕込みなのだ。秘ひ密みつ裏りにティアの功績を民衆に広めて評判を上げるためだと部隊長さんが内ない緒しよで教えてくれた。

 だがそんなリンゴに注目する群衆から驚きよう愕がくする声が上がった。

「銀貨十枚だと!? 幾いくらなんでも高すぎるではないか!!」

「…………ん?」「あれ?」「これは……?」

 確かにこの世界における銀貨十枚はかなりの高額だ。

 単純比ひ較かくは出来ないが、俺の感覚では銀貨一枚で大体千円くらい。つまり現在のティア製リンゴは一万円相当で売られている事になる。ただ、リンゴとしては高い値段だが、その希少性を考えると仕方がない事だ。

 なので俺たちが驚いたのは値段ではなく、その声を上げた人物の方で……。

「大おお見み得えを切ってまかせろと言って来たのに持ち合わせが足りないのだ。このまま帰っては格好が付かないのだ!」

「んな事言われてもこっちも商売だからなー」

「頼たのむ! 半額とは言わん! 一個銀貨八枚程度にまからないか? それなら五個は買うと約束しよう……」

 妙みように年寄りくさいしゃべり方の青年にリンゴ売りは渋しぶい顔をする。

「勘かん弁べんしてくれよ! 確かに高価だけど、それでも買いたがる客は多いんだ。一回でもまけたら皆みなまけなくちゃいけなくなる」

「そこを何とか!! せめて銀貨一枚でも……」

「ダメだって……まいったな……」

「ならば銅貨五十枚分を……」

 なおも食い下がり店のおっさんに迷めい惑わくを掛かける知り合いの背後に俺は立って、ジト目で話しかけた。

「……何してんすか……カロン長老……」

 それは青年の姿をしてはいるが、隣りん国ごくエクレアにそびえるボルフィン火山を千年も昔から守り続ける神聖なる火か竜りゆう一族の長老であった。

「お……おお! 久しいな庭師の……」

「火竜の長老様が人間社会の市場で食い物を値切ろうとしてるのはどうなんすか……」

 ファンタジー世界の重じゆう鎮ちんであるドラゴンの姿がこれだと思うと……何なんだ? このとてつもないガッカリ感は……。

「丁度いい、庭師よ! 君も一いつ緒しよに頼んでくれたまえ! 何とか銅貨一枚分でもまけてもらう為ために精せい一いつ杯ぱい一いつ緒しよに頭を垂れようではないか!!」

「店に迷惑かけてんじゃない!!」

 その後、人間社会に毒されて急速に染まっている火竜の長老に、研究所で保存しているリンゴを幾つか譲じよう渡とする約束をして、ようやく値切り交こう渉しようから引き剝はがす事が出来た。

「いや~みっともないところを見せてしまったかな?」

「比ひ喩ゆじゃなくてマジでみっともなかったぞ……」

「ア……ハハ……」

 頭を搔かきつつ半笑いの長老に俺たちも苦にが笑わらいしか出来ない。

「だいたい……何で火竜の長老様が脈みやく絡らく無くエルモントにいる訳?」

「ああ、今日のエルモント行きの定期便は我の当番でな。折せつ角かくだからエルモントの町を少し観光していこうかと……」

 理由が観光バスの運転手が仕事中に余った時間を潰つぶしているかのようだ。

 俺がそんな事を考えているとティアが驚おどろきの声を上げる。

「定期便って、もう始まっていたんですか?」

「何だエルモントの姫ひめ君ぎみ、知らなかったのか?」

 エクレアの観光地化と併へい用ようして送そう迎げいに協力してもらう事になった火竜の定期便は、俺たちが帰国してから数日後には既すでに始まっているらしい。

「まだまだエルモント国内では浸しん透とうしていないようで、停留所に降り立つ度たびに腰こしを抜ぬかされてしまうがな」

 かかか、と他人ひと事ごとのように笑う火竜の長老。

 高度な情報伝達手段が確立されている日本とは違って、異世界であるエルモント王国での情報伝達手段は基本的に口コミだ。

 エクレア王国では大事件だった『熔岩婦人マグマレデイ騒そう動どう』も、エルモントでは今のところ噂うわさ話ばなし程度にしか伝わっていない。何しろあの事件は内容が内容だ。

 暴走した紅こう焰えん石せきの魔ま力りよくで生み出された巨きよ人じん、熔岩婦人を現エクレア王女アリーシャが火竜の一族と協力して封ふう印いんした──なんて、触さわりだけ聞いても胡う散さん臭くさい事この上ない。

 俺だって現場にいなきゃ王女の名声を上げるための与よ太た話にしか思わなかっただろう。

 まぁそれと同じで火竜の定期便の情報も、話半分程度にしか伝わっていないのだ。

『新たな娯ご楽らく〝温泉〟が誕生した』くらいの認にん識しきでエクレアに行こうとしたエルモントの市民は、〝本当に現れた火竜〟に度ど肝ぎもを抜かれるって訳だ。

「まぁそれも、正確な情報が伝わるまでの辛しん抱ぼうであろう。少しずつだが停留所に見学に来る輩やからも増えているしな……」

「エクレアの観光地化として話題性を持たせるにはもってこいだろ? その分じゃエクレア温泉の方は順調そうだな」

 俺がそう言うと長老は太陽の方をチラリと見た。どうやら日の高さで時間の確認をしたらしい。

「立ち話も何だな。よければこれから昼飯でも一緒にどうだ?」

「お昼ですか?」

 ティアが聞き返すと長老は懐ふところから折おり畳たたんだ羊皮紙を取り出し広げた。

「最近エルモントで話題の食堂があるらしくてな。何でも魔ま法ほうを使わずに料理を作る非常に美味い店だと、側近のエリスが言っておったのだ」

 人間の──それも他国のグルメ情報に精通して、なおかつその国の王女一行を気軽に昼飯に誘さそう火竜の長老って……何だろうねこのシュールな状況は。

「リンゴの礼だ。今日は我が奢おごるぞ?」


    *


「いらっしゃいませー……あらコウ殿どの、それに長老様?」

 長老の言う話題の店で俺たちを出で迎むかえてくれたのは、見知った人だった。

「ア……アリスさん? こんな所で何をなさっているのです?」

 そこにいたのは本来は王宮のメイド長であるアリスさん。ただ服装はいつもと違ちがう格好で──いや、メイド服はメイド服なのだがデザインが違う。

 今アリスさんを含ふくめた店内の女性は皆、『和装のメイド服』を着用しているのだ。

 昼食会の時に作ってから和装を気に入ったアリスさんに頼まれて、原案を製作したのは俺だ。だけど、作ったのは一着だけでその他ほかのサイズ違いのものを大量生産したのは、元々実家が服ふく飾しよく業のアリスさんだ。彼女はそれを、この店の制服に採用したらしい。

 アリスさんがここにいる事の方か、はたまた和メイド服に反応しているのかティアは目を丸くしている。

 ……そう言えばこの店についてはティアに言ってなかったっけ?

「実は食堂と銘めい打うってはいるけど、ここは国内向けの調理や日本食の実験場なんだよ」

「実験場?」

「その通りですおう……いえ所長」

 危あやうくティアの身分を言いかけたアリスさんは言葉を飲み込んでから、補足してくれる。

「ご存じの通りこの国では魔法による料理が一いつ般ぱん的で調理の概がい念ねんが希き薄はくです。しかし調理した食事の美味おいしさは目を見張るものがあります。王宮内に留とどめるのは勿もつ体たいない程……」

「あ……確かにそうですね」

 この国で一番その魅み力りよくに魅み了りようされているティアがコクコクと同意する。

「この食堂は国内向けに調理の魅力、美味しさを伝え、コウ殿がもたらした美味しい料理を市民に浸透させようという……カルヴァドス研究所の実験の一いつ環かんなんですよ」

 ちなみにこの実験の発案者は、言いながらメガネを光らせてるアリスさん本人だ。

 これも研究所の実験、王宮の仕事の一環としてアリスさんはメイド業務に組み込んでいる。当然店内にいる女性は全員メイドさんだ。良く見ると知った顔がちらほらと。

「実際リピーターも多くて繁はん盛じようしているのですよ。本日もさっきまでは戦場でした」

 アリスさんは疲つかれたように息を吐ついたが、現在の店内は閑かん散さんとしていてとても繁盛しているようには見えない。今は昼飯時だから、一番込み合いそうなものなのに。

 俺の言いたいことに気付いたのか、アリスさんは珍めずらしく表情を崩くずした。

「実はその辺で少々困っておりまして……」

「何かあったんですか?」

「ここは実験的に構えた店だったものですから、こんなに繁盛するとは想定していなかったのです。集客率が上がると今の店内は手て狭ぜまですし、仕込み量にも限界がございます」

「あ~なるほど……」

 確かにここはせいぜい小料理屋ぐらいのスペース。馴な染じみの客がまったりするには良いだろうが大勢収容出来るだけのキャパシティは無い。

「特に人気なのはトンジルとチュウカドンなのですが、開店して間もなくあっという間に売り切れてしまいます」

「何、チュウカドンが無いのか!? 仲間から絶品だと聞いて来たのに……」

「申し訳ございません。ドンブリの中でもチュウカドンは特に売り切れるのが早くて」

 絶望の声を上げる長老にアリスさんは申し訳なさそうに謝罪する。

 余り頭を下げないで下さい……胸むな元もとがヤバイから……。

「そこでコウ殿、それに所長。モノは相談なのですが……この店、実験場としてだけで終わらせるのは余りに惜おしいと思うのです」

「はあ……と言いますと?」

 ティアの生返事にアリスさんの眼鏡めがねが更さらに光る。この人こうなると表情が見えないのに生き生きとして見えるのは何故なぜなんだろう。

「もっと業務拡張をしても良いと愚ぐ考こう致いたします。今の状じよう況きようから鑑かんがみるに十分に元は取れるかと。調理の概念が希薄である今こそが狙ねらい目。本格始動は今しかないかと!!」

 つまり実験じゃなくて一企き業ぎようとして利益を上げることを目指せと語っているのだこのメイド長は。……何でこの人メイド長をしてるんだろう。生き真ま面じ目めでいて大だい胆たんかつ豪ごう快かいな発想、絶対に商人向きだと思うのだけれど。

 そんな風に盛り上がるアリスさんに横から声が掛かった。

「なあメイド長さん。話の腰を折って悪いが……そうなると今日はもうこの店のメニューは全すべて売り切れって事かのう……」

 この店を本日一番楽しみにして来た長老の悲しげな声にアリスさんはハッとする。

「あ……失礼しました。そうですね、通常メニューは全て捌はけてしまいましたが……」

 その瞬しゆん間かん、長老だけでなく皆の肩かたが落ちる。

「でも試作品でしたらメニューではないのでお出し出来ますが……」

「「「試作品?」」」

 それに心当たりのある俺以外の全員が顔を上げた。

「はい。コウ殿は未完成とおっしゃっていますが、お出ししてもよろしいですか?」

 そう言ってアリスさんは俺に聞いてくる。別に俺がここの責任者ではないのだが……。

「良いんじゃないですか? 俺も途と中ちゆう経過を見たいし……何より腹減ったし」

「……かしこまりました。少々お待ち下さい」

 そう言って一礼したアリスさんは厨ちゆう房ぼうへと下がって行った。

「ダイチ、何なの試作品って?」

「ま、それは来てからのお楽しみって事で」

 興きよう味み津しん々しんで尋たずねるキリカさんにそう言って、俺は向かいに座った長老に話しかける。

「ところでさっきの続きだけど、エクレアは今どんな感じなんすか? 温泉経営はもう始まっているんですよね?」

「順調なようだな。経済効果の細かい部分は知らんが、他国からの観光客は日を追うごとに増えているな」

 火か竜りゆうたちは送迎を行っている張本人だ。客の入りについては一番分かるのだろう。

「わあ、それは良かったです。アーちゃんも最近では毎日入浴しているそうですし」

 長老の言葉に、まるで我が事のように目を輝かがやかせて喜んだのはティアだ。

 ちなみにアーちゃんとは隣りん国ごくエクレアの王女アリーシャの事で、文通友達であるティアの話では、今では『風ふ呂ろに入らねば一日が終わらんのじゃ』と豪ごう語ごするほどすっかり温泉通になっているそうだ。

 最初は〝他者の前で裸ら身しんを晒さらす〟事にあんなに拒きよ否ひ反応があったのに。

「湯に浸つかるという新しい発想に加えて、健康にも美容にも効果的。そして何より気持ちが良い。こんな娯楽は今まで無かったからな」

 そこまで言ってもらえると俺も発案者として嬉うれしい気持ちになる。ティアもますます笑えみをこぼしていたが、長老の一言で影かげがよぎった。

「だが新たなものには必ず新しい問題が生じるもの。その事で最近エクレアの王女も頭を抱かかえているのだが……」

「アーちゃんが困っているのですか!? お手紙には書かれていませんでしたのに……」

 アリーシャはティアにとって初めての王族同士の友達、助けあう仲だ。困っているのなら助けてあげたいってところなのだろう。そして、それは俺だって同じだ。

「長老、新たな問題って何なんだ?」

 俺もティアもキリカさんも、この場にいる関係者は真しん剣けんな面おも持もちで長老の言葉を待つ。

 だが、長老は何故か遠い目でどこかを見つめ始める。

「ここ最近なのだが……エクレア国内の魔ま導どう士しの間で《鷹の瞳ホークアイズ》の魔法を習得しようと躍やつ起きになる輩やからが相次いでいてな……」

「《鷹の瞳》?」

 魔力を一いつ切さい持たない俺には全く理解できないが、この世界の住人であるティアとキリカさんの表情が一気に曇くもった。

「《鷹の瞳》だって? まさかエクレアはまだ侵しん略りやく戦争を画策しているの?」

 キリカさんの見解は余りに物ぶつ騒そうだ。ただ、俺には彼女がそう断じる理由が分からない。

 それを察してかティアが補足してくれる。

「コウさんは個人個人得意な魔法属性が一つだという事はご存じですよね?」

「あ、ああ……」

 その辺は以前キリカさんに聞いた。火の魔法が得意な魔導士は火の魔法を愛用し高める事が出来て、反対に水の魔法が苦手になるとか。

「《鷹の瞳》は、風と水の魔法を合わせる合成魔法の一種なんです」

「合成……そんな事が出来るのか?」

「五大魔法は魔ま術じゆつを修めた者なら、誰だれでも一通りは使える。でも強化出来るのは一つのみ……なのだけど、合成魔法は二つの魔ま力りよくを完全に一いつ致ちさせなくてはならないの」

 キリカさんは両手を広げて右に水の渦うず、左に風の渦を生み出してみせた。だが良く見ると風の渦の方が大きい。

「難しいのは小さい魔力を大きくするのではなく、大きい方を小さい魔力に加減する事よ。この辺の感覚は個人差があるから一いち概がいには言えないけど、何十年もかかってようやく習得出来るかどうかの魔ま法ほうなのよ」

「何十年……」

 つまり、職人や芸術家の〝勘かん〟のようなものなのだろうか?

「物もの凄すごく高度で難しい技術だけど、戦場における重要性から《鷹の瞳》を使える魔導士は王国お抱えの宮きゆう廷てい魔導士にスカウトされて当然なくらいなのよ」

 戦場において重要……そんな魔法を習得しようとする魔導士がエクレアで……まさか本当に再び侵略戦争の兆きざしが?

「で……その魔法って、いったいどんな?」

 俺の緊きん張ちようした声に合わせてキリカさんは真剣に、そして神しん妙みように答えた。

「どんなに遠くでも見る事の出来る魔法よ」

 ガン!!

 俺は脱だつ力りよくの余りテーブルに頭をぶつけてしまった。

「戦場では戦せん況きようを見る為ための魔法が重宝される。一説ではこの魔法が使える者がいた為に百の兵で一万の兵を蹴け散ちらした国があったと……どうかした? ダイチ」

 新たな問題だの侵略戦争の兆しだのといろいろ考えたが……魔法の効能を聞いて一いつ瞬しゆんで『目的』に思い至り、今までの緊張がバカらしくなってしまった。

 つまり《鷹の瞳》は〝望遠鏡〟の魔法なのだ。

 俺の反応で長老は俺が察した事を理解したようである。

 なるほど……それはアリーシャは頭を抱えるし、ティアに相談もしないだろうな。

「何でも露ろ天てん風呂直線上の山が危険だと言って、王女もグランツと飛び回っておる。最近捕とらえた者が五十年は王宮で名を馳はせた宮廷魔導士だったらしく、王女も落ち込んでおった」

「あ~~~~そ~~~~~~」

 何十年も心血注いで何の目的で魔法習得しようとしてんだか……その男共は。

「コウさん、どうかしたんですか?」

 心配そうに言うティアは、本質に辿たどり着いていないらしいな。

「教えないのが優やさしさ……かの?」

「そーっすね……」

 習得困難な合成魔法。その魔法の利用方法が『覗のぞき』だとは……さすがに言い難にくい。

「まぁ大だい丈じよう夫ぶだよ。戦争とかそういう心配は一切無いから……」

「はあ……」

 極力明るめに言っておくがティアは今一納なつ得とくがいかない様子である。そのうちキリカさん経由でそれとなーく教えておくべきかな?

 そんな話をしていると、厨房からアリスさんが盆ぼんに木のボウルを三つ載のせて現れた。

「ご歓かん談だん中失礼いたします。当店で試作中のメニュー『ラーメン』でございます」

「「「ラーメン?」」」

 俺以外の三人から聞き覚えの無い料理名に声が揃そろった。

 そう、俺が現在メイドさんたちと再現しようとしているのがコレだ。日本人であるなら急に食いたくなる食べ物の代表格──ラーメン!

 何とか米やら味み噌そやらを確保できた事で、俺の日本食ホームシックはある程度抑おさえられてはいるのだが、やはり食には種類が欲しくなる。

 食べ飽あきない日本食も大事だが、たまにはガッツリとしたものも恋こいしくなるのだ。

 だが初めてラーメンを目にした三人の目は見事に点になっていた。

「何なのだ? この熱いスープに浸かったパスタは?」

「上にあるのはハム?……いや肉だけど色が違ちがうし。これどうやって食べるの?」

 困こん惑わくしてラーメンを見つめる三人だが、その中でティアだけは想像がついたようである。

「コウさん、もしかしてコレって」

「うん、似たもの食った事があるから分かるだろ? 昨日食った朝飯と一いつ緒しよで……」

 昨日の朝一緒に食った『うどん』を引き合いに出して説明しようと思ったのだが、ティアはその前の言葉に引っかかった。

「あ、朝飯……」

「あ、いや……」

 その言葉でさっきの魚屋の一件を思い出してしまった。真っ赤になるティアに釣つられて再び顔が熱くなる。

「「…………………」」

「何をしとるのだ。お主ら……」

 事情を知らない長老に事情を知っているキリカさんが言った。

「クックク……青春してるだけだからほっときましょう」

 ……うん、しばらくほっといて……。

 食い方はうどんと同じ、スープから麵めんを掬すくって啜すするのみ。

 しかし箸はしと〝啜る〟文化の無い連中には理解し辛づらいようで、レクチャーを交えた昼食になった。最初のうちは慣れなかった長老も、次し第だいに景気良く麵を啜り出した。

「ほう、こいつは新しい。しかも美味うまいじゃないか」

「うんうん、さっぱりしているのにしっかり味わいがあるっていうか……」

 キリカさんも長老に続いてラーメンを褒ほめ称たたえる。

 確かに不味まずくはない。どちらかと言えば美味おいしい方なのだが……。

「やはり、まだ物足りませんか?」

 アリスさんが俺の心情を代弁してくれた。

「いえ、すみません。悪いって事じゃないんです。ただ普ふ通つう過ぎると言いますか……」

「これは未完成なのですか? こんなに美味しいのに」

 いぶしかげに言うティアの疑問はある意味もっともだ。俺も家庭で食べるラーメンならば文句は無いのだが。

「悪くはない……ただパンチが効いてないって言えばいいのかな?」

「パンチ……ですか?」

 さすがに異世界の王女であるティアに対して、この言い方は余りに抽ちゆう象しよう的だったようで小首を傾かしげてしまった。

「毎日食す物ならばコレでも良しと出来ますが、ごくたまに食する……それこそお店でお金を払はらっての食べ物としては物足りないという事でございます」

 アリスさんが分かりやすく解説してくれた。

「あっさりしているとダメなんですか?」

 ティアの疑問は正しくもあり、間ま違ちがってもいる。正直自分でもこのラーメンという料理についてのニュアンスを知らない者には伝え辛い。

 何故なぜならアッサリしていてもコッテリしていても間違ってはいない。そういう意味では目の前の試作品も間違いではないのだが……。

「一口でガツーンと来るようなインパクトが無いっていうか、どうしてもスープに一味足りないと言いますか……」

 メイドさんたちの協力の下、色々試行錯さく誤ごしてはいるのだが今のところ思い当たる原因は一つあるにはある。

「やっぱり水かな?」

 エルモント王国では原理は良く分からないが、水道と似たような魔導具の蛇じや口ぐちをひねると水が出てくる。魔力ゼロの俺でも使える便利な道具だ。

 ただこの魔道具から出てくる水が俺の求めるガッツリしたラーメンには合っていないようなのだ。水の種類で硬こう水すいや軟なん水すいなどがあるのは知っているけど、幾いくら何でも違いを見切るほどの見識は無いし、あったとしてもどこにあるかは分からない。

 試作品のラーメンを啜りつつ、それが異世界において『無いものねだり』である事を自覚した上で考えてしまう。

「……どうせならその辺の違いの分かる専門家でもいないもんかな……この世界に」


    *


 護衛師というのは主あるじが行動する際、常に寄り添そい守る為に体を張る……ようはSPのような業務が第一なのだ。有事の際に主を守る為にも護衛師はある程度王宮内部への侵しん入にゆうが許されており、第三王女専属護衛師であるキリカのセキュリティレベルはSランク。王族の私室までの入室が許可されている。

 本来は本日の業務を終えているキリカだったが、ある『手紙』を預かったため、主の部屋を目指す。キリカは自分が今手に持った手紙を受け取った時の主ティアの反応を想像して苦く笑しようしてしまう。

「ま~たテンパるんだろうな~」

 呟つぶやきと共にその後彼女がどういう行動に出て〝誰を頼たよるのか〟まで予想が出来る。

 それを思うとキリカは不思議な気分だった。

「本当に不思議な男だな……アレは」

 出会ってからまだ数ヶ月足らず。だというのに今やティアにとっていなくてはならない存在となっている異世界の少年。料理や裁さい縫ほう、品種改良など未知の知識が豊富で無む駄だなくらいに器用だが魔ま力りよくが一いつ切さい無い庭師。

 だけど、その〝魔力が無い〟からこそ、自然と彼はティアの横にいる。

 キリカは親友であるティアを守る為に護衛師を志した。

 なのに自分よりも弱く、かつ魔力も無い男が自分よりもティアに寄り添っている……そんな現状に少しも自分が腹を立てていない事が本当に不思議だった。

 誰だれよりも王宮内でティアと近しい存在であると自負していたのだが、それでもどうしても二人には隔へだてられた壁かべがあった。

 考えるまでもなくそれは〝魔力で戦えるキリカ〟と〝魔力で戦えないティア〟の避さけられない壁。そのせいかどうしてもティアは必要以上にキリカにも遠えん慮りよがあった。

 ところがだ……コウ・ダイチが来てから、違う者が横にいるというのに二人には距きよ離りが出来るどころか、いつの間にか隔てられていた壁が無くなっていた。

 最近ティアはしなくてもいい遠慮をしなくなったのだ。悪く言えば少しワガママになった。急に『私も城下町に行きたい!』と言い出すのは分かりやすい行動だろう。

 遠慮なんてして欲しくなかったキリカは、そんな親友の変化が素す直なおに嬉うれしかった。

「さ~て……明日は朝から大変だぞ? ダイチ……」

 頭の後ろで手を組んで第三王女専属護衛師は人知れずほくそ笑えんだ。


    *


 大広間の天てん井じようには煌きらびやかなシャンデリア。電灯は無くても魔力の明かりが闇やみに閉とざされた室内をキラキラと照らし出す。いかにも国のお偉えらいさんという佇たたずまいの連中が各おの々おの歓談している中、俺は以前も着た事のある借り物の軍服で立っていた。

「昼食会の時とは違って国内のパーティーだから大した規模じゃないなんて言ってたけどさ……正直場ば違ちがいな感じしかしないんだが……」

 愚ぐ痴ちる俺の横で同じように式典用の軍服を着込んだキリカさんが目配せしてくる。

「本音を言えば私だって同じ気持ちよ。まあ、王族と繫つながりがあると自然とこういう機会は増えていくものだし。ようは慣れよ慣れ」

「繫がりって言われてもな……ていうか、いつまで俺らの背後に隠かくれてるんだよ!」

「!!」

 俺たちの背後に隠れているモノがビクリと動いた。

 純白のドレスを纏まとい、王族の証あかしである『鳳おおとりの紋もん』を見せる為ために晒さらされた肩かたが色っぽさを感じさせる。いつもと違って三つ編みではなくストレートの髪かみにティアラを載のせた……完かん璧ぺきにお姫ひめ様さま仕様のティアであった。

 王族として相応ふさわしい格好の彼女は、王族らしくない挙動不ふ審しんな表情で青くなっている。

「だ、だってコウさん。私自分がパーティーの主役にだなんてなった事無いんですよ!?」

 直系の王族、しかも国王の実子である王女としてはあるまじき言葉だ。

「戦勝会なんかは確かに縁えんが無かったろうけど……さすがに誕生会くらいはあったろ?」

「そ……れは……」

 ティアが消え入りそうな声になるとキリカさんが溜ため息いきを吐ついた。

「勿もち論ろん王族にとって一つの重要なイベントだけど、この娘こは『役立たずの自分の為に国税を消費するなど論外だ』って言って開かい催さいを突つっぱねてたのよ。結果、誕生日は私と二人きりで祝うのが定番だったね」

 まあ、それはそれでアリだ。一人寂さびしくではなく唯ゆい一いつの友達が祝ってくれていたのならティアにとってこれほど救われる事は無かっただろうから……。

 ただ問題なのはそのせいで王族ならば誰しもが通る、自分が賞賛の中心に立つ経験が無かった事だ。昼食会の時はあくまで主しゆ催さい者しやだったが、今回は主しゆ賓ひんな訳だしな……。

 そもそも本日は、王女の功績を称える為に催もよおされたパーティーの日だ。

 そんな上流階級的な催しに、本来王宮庭園の庭師でしかない俺がいるのには理由がある。

 話は数日前、朝方いつものようにティアを待っていたら、王宮から「みゃーーーーー」と変な声を上げて道具小屋に待ち人が駆かけ込んで来た。この奇き声せいを上げている時は十中八九彼女がテンパッている時なのだが、残念ながら今回も例外ではなかった。

 何とか宥なだめながら話を聞くと、どうもエクレア王国との同盟を結んだ功績を称えてパーティーを開く事になったそうで、当然ながらティアはその主賓に選ばれたのだそうだ。

 この時点で彼女が俺に何を望んでいるかは察しが付いた。

 カルヴァドス研究所所長任命の時と同様、人から高い評価を受ける事に耐たい性せいの無いティアは、パーティーで一人注目を受けるプレッシャーにテンパり……エクレアに一いつ緒しよに行った俺に研究所副所長としてパーティーの同どう伴はんをお願いしに来たのだった。

 はい、回想終しゆう了りよう。

「しっかし強ごう引いんにも程ほどがあるだろ……こんな上流階級のパーティーに庭師が王女と一緒に参加するのは。副所長の肩かた書がきだって元々ムリヤリだったし……」

 ティアは俺の呟きを受けて、肩かた越ごしに会場内をチラチラ見ながら言う。

「そんな事はありません。エクレアとの同盟だって元はと言えばコウさんが国王と直接面会したから実現した事です。私はただアーちゃんとお友達になっただけなんですから」

「他国の王女様と同盟関係が出来る程懇こん意いって相当凄すごい事だと思うが……ところでさ」

「ハイ……」

「いつまでそうしているつもりだ? お姫様……」

「うう~~分かってはいるのですが……」

 彼女自身このままでは良くない事を理解はしているが、踏ふん切りがつかないようだ。

「以前までは私が目立つ事はなかったので、ただ笑っていれば良かったのですが……」

 それは以前の『笑顔の仮面』を着けていた頃ころの事だろう。つまりパーティーで蔑さげすまれる事はあっても、褒め称えられる事が無かったからどうしていいのかが分からないのだ。

 そんなティアを見かねたキリカさんが、溜息混じりに取り出した武器を俺に手て渡わたした。

「……またコレ? 王宮のパーティー中っすよ?」

「この際仕方がないわ。じゃないとこの娘、一生動かないわよ」

 目線で『行け行け』と示すキリカさんに俺は眉まゆをひそめる。

「たまにはキリカさんが行ったら?」

「私は護衛師よ? 守るのが仕事なの。突っ込みは任せるわ」

「ズリー……あ~~~ったくよ~~~~」

「あ……あの、二人とも何を?」

 俺たちのヒソヒソ話に後ろで戸と惑まどうティア。

 俺はそのティアの尻しり目め掛がけて横一回転でハリセンを叩たたき込んだ。

 スパアアアアン! 「ピ!」

 妙みような声を上げたティアがハリセンの音で一いつ瞬しゆん静まった会場に押し出された。

「ア……」「おお、ティアリス王女だ」「……真の美と才を知る者……ティアリス王女」

「あ……あの……」

 尻を押さえつつ若じやつ干かん涙なみだ目めになる彼女の背後に、俺とキリカさんはスッと控ひかえた。

 少々恨うらみがましいティアの視線を感じるけれどコレばっかりはどうしようもない。基本的に護衛師と庭師が王女の前に立つ訳にはいかないのだから。

 俺たち二人から『骨は拾ってやる』という視線を受けて、ティアはようやくぎこちなくも来らい賓ひん客と会話を始める。ティアに近付く貴族連中は「おめでとうございます」だの「さすがはティアリス王女」などと決まりきった美び辞じ麗れい句くを並べ立てるから本人は戸惑っているけど、取り巻きの俺たちとしてはティアが褒ほめられているのは不快ではない。

「凄いものよね。年初めの時は誰一人この娘に近寄る貴族なんていなかったのに……」

「そんなに違ちがうの?」

 俺の言葉にキリカさんは目だけで会場を示して言う。

「会場内でティアに近付かないでこっちを見ている連中がいるでしょ? 隅すみの方でヒソヒソ話しているような……」

「ん?」

 言われて意識してみると確かにそんな連中は多い。というか大半がそんな連中で占しめられている気がする。たまに恨みがましい視線を寄こしているような……。

「あの辺の連中は結構あからさまにティアを悪く言っていた奴やつらよ。王家の中では鼻つまみ者のティアを称たたえるのは、他ほかの王族に不興を買うからってさ」

「あーつまり今まで馬ば鹿かにしてた手前、いきなり功績を挙げたもんだからどうやって接したらいいか分からないと?」

「そういう事。同時に今回のティアの功績は魔力を武力として使っていない。魔力イコール武力と考える連中にとっては面おも白しろくないのよ」

「……何だそれ? 魔ま法ほうならティアも使ってたじゃないか」

 俺みたいに一切使えない異世界人と違って、ティアはエクレアの農業改革と熔岩婦人マグマレデイの足止めに貢こう献けんしてしっかり植物生育魔法を使っている。

 しかしどうもそういう事ではないらしい。俺の疑問にキリカさんは渋しぶい顔で首を振ふる。

「魔ま導どう国家エルモントは魔法を武力に使う事で発展を遂とげた国。当然功績は武名によって挙げるもの、言っちゃえば『強い者が偉い』と思っている連中も多いのよ」

「……つまり武力ではない事、自分たちでは挙げられない功績を認めたくないと? それで恨めしく眺ながめているってか? バカバカしい……」

 そんな中、四苦八苦しながら対応に追われるティアの前に、無視出来ない人物が現れた。

「ご機き嫌げん麗うるわしゅう、ティアリス王女殿でん下か」

「御機嫌よう……大臣」

 少しだけ顔を引きつらせ、ティアが返事をした相手はこの国で最もティアを蔑んでいたと思われる大臣──通称強ごう欲よく大臣だ。

 本名も聞いた気がするが、気分的にコイツはもう俺の中で強欲大臣で通す事にする。

「さすがはティアリス王女でございますな。戦乱の兆きざしすらあったエクレア王国と無血で同盟を結んでしまうとは……私、感服してしまいましたぞ」

 そんな大臣の言葉にティアの表情がスッと変わった。

 焦あせりの表情から、王女らしい威い厳げんのあるものへと。

「此こ度たびの功績は私一人のものではありません。エクレア王国のアリーシャ王女をはじめ、国を守る為に尽じん力りよくして下さったエクレアの勇ゆう敢かんな騎き士しや魔導士たちや火か竜りゆうの皆みなさん、そして何より同行して下さった仲間たち……誰一人欠けても実現しなかったはずです」

 自分一人の手て柄がらと言われる事に拒きよ否ひ反応を示す彼女だが、『私の手柄じゃありません』と言うよりよっぽど王女らしい威厳のある言葉だ。

 しかし、ティアの言葉をよそに大臣はなおも歯が浮うくような褒め言葉を並べ立てていた。

 そんな様子にキリカさんはあからさまにイラッとした表情を見せる。

「……この国で一番この娘を蔑んでいた奴がよくまあペラペラと」

「でもさキリカさん。俺少しだけコイツの事を見直した」

 俺がそんな事を言うとキリカさんはますます嫌いやそうな顔になった。

「……どこが? こんな恥はじ知しらずの代表みたいな行動が?」

「うん、金の為なら全すべてどうでも良いこの行動が……」

 俺は周囲でヒソヒソ話すだけの連中を目で示して言う。

「古い考えと因習──魔ま力りよくは武力の考えに凝こり固まり、プライドが邪じや魔まして何もせずにネチネチ話している連中よりはよっぽどマシだよ。金の為なら古い考えもしきたりも、外聞もプライドすら簡単に捨てるこの姿勢……ある意味凄いよ?」

「……それ絶対褒めてないよね」

「うん、人間的には絶対マネしたくねーけど」

 それから小一時間ばかりそんな事を入れ替かわり立ち替わり繰くり返して、ようやく一通り挨あい拶さつが終わった時にはティアはグッタリしていた。

「ごっくろうさん」

 努めて明るく言うとティアが絞り出すような声で言う。

「ううう……本当に疲つかれました。私今までこういう席で何故なぜ『笑え顔がおの仮面』を維い持じ出来たのでしょう? 今となっては全く分かりません……」

 以前ティアがしていたポーカーフェイスである『笑顔の仮面』。それが困難になった理由は簡単だ。感情を表に出さないのが笑顔の仮面だったのだろうが、元々ティアは感情の起き伏ふくが激しい。結構すぐ泣くし、不ふ機き嫌げんにもなるし、ちょっとした事でも上機嫌になる。

 だからむしろ『笑顔の仮面』を着けていた頃が不自然だったのだ。

 一度でも感情を動かしてしまえば維持する事はティアには無理だと俺は思う。

 だから未いまだに『笑顔の仮面』を着ける時があるとすれば、それは感情が動いていない時なのだろう。

「まあ少し休みなよ。俺は飲み物でも取って来るから……」

 俺はそう言って自然と彼女の手を取って、壁かべ際ぎわの椅い子すに座らせてあげた。

「ありがとうございます。コウさん……」

 柔やわらかいいつも通りの笑顔に、場ば違ちがいな空間でも少しだけホッコリする。

 だがその時、全身を寒けが走り抜ぬけた。

 こ……これは!? 数日前も感じた……殺気!?

 流れる汗あせもそのままに、俺は静かに振り向いた。

 今日は自国の王女を称えるパーティーだ。当然来賓客には王家の者も含ふくまれている。

 会場内にある集団は主に四つ、うち一つは一番小さいティアのものだったのだが、今では落ち着いて各おの々おのに散った後。問題の殺気は、残り三つの集団の中心から放たれていた。

 一つは赤いセクシーなドレスを妖よう艶えんに着こなすジュリア王女だ。数日前城下町へ行く前と同じような燃える瞳ひとみでこちらを睨にらみ付けている。

 そして他の二つの殺気を発する人物には見覚えが無かった。

 一人は長身の男性、軍服を着たその姿はイケメンと言って差し支つかえない程の美男子。金きん髪ぱつ碧へき眼がんのその容よう貌ぼうはギタリストでもすれば似合いそうだ。そしてもう一人は白と水色のドレスを着こなし、清せい楚そという言葉そのもので佇たたずむ青色のロングヘアの女性。

 その三人の視線が確実に穏おだやかではない雰ふん囲い気きでこちらに向いていた。

 三人とも俺が視線を向けるとすぐに自分の取り巻きとの歓かん談だんに戻もどっていくが、それでも俺は早はや鐘がねのように鳴る動悸を止める事が出来ない。

「な……何だったんだ? あの人たちは?」

「ジュリア王女は知っているでしょうけど……金きん髪ぱつの男性はシュトゥルム王子、エルモントの第一王子であり第一王位継けい承しよう者よ」

 俺の疑問にキリカさんが答えてくれた。彼女もただならぬ殺気を感じたようだ。

「……つまりアレが『雷らい迅じん』?」

 俺の呟つぶやきにキリカさんは頷うなずいた。

『雷迅』──それは絶大な雷の魔法を駆く使しする王子に付けられた渾あだ名な。『炎ほのおの女王』と双そう璧へきをなすこの国の英えい雄ゆうの一人だ。

「もう一人の女性はシルフィー王女、第二王女でもあるけどエルモント大聖堂の聖女を務める人物でもあるわ」

 それは優すぐれた治ち癒ゆ魔ま法ほうで戦場では幾いく人にんもの傷を癒いやし、数多あまたの命を救った事で有名な『戦場の女め神がみ』の名前だった。

 つまり、あの三人はティアの実の兄姉たち……。

 そんな連中が何でこっちを睨んでいた? さっきキリカさんが言っていた古い考え方、魔力を武力とは違う形で功績を挙げたティアが気に食わないのだろうか?

 俺がそんな事を考えていると、いつの間にか会場の中央で三人の兄姉たちが取り巻きを引き連れて対たい峙じしていた。

「ジュリア、それにシルフィー。いい加減、例の件をハッキリさせようではないか」

 先に口を開いたのは王子だ。しかしジュリア王女が腕うで組ぐみしながら不敵に笑う。

「ならば兄上、状じよう況きようから言ってもここは私が先に立つべきかと考えますが?」

 ジュリア王女の一言で会場内に冷たい緊きん張ちようが走はしる。周囲からは「やはり」だの「継承権争い」だの不ふ穏おんな声が漏もれ聞こえる。

 王子はジュリア王女の言葉にスッと目を細めた。

「何を言い出すかと思えば……ジュリアよ、それこそこういう時は長男である私が先に立つのが筋であろう?」

 一いつ触しよく即そく発はつ、突とつ如じよ火花を散らし始める両者。しかし更さらにもう一人のシルフィー王女が口を挟はさんだ。

「お持ち下さいお二人とも。兄上も姉上も戦乱の英雄、荒あら事ごとには向いていても平へい穏おんには向きますまい。……ここは大聖堂聖女たるこのわたくしにお任せ下さい」

 おっとりとした口調なのに一歩も引かない話し方である。会場内の不穏な空気が更に膨ふくれ上がってきた。

「な、何だ? ティアの兄貴たちって……もしかして仲悪いの?」

「王位継承権で揉もめている話は聞くけどね……」

 王位継承権、また根深そうな問題だ。地球上の歴史でも王位を継つぐ為ために実の兄弟で殺し合ったり、親しん戚せき筋を一族郎ろう党とう皆みな殺ごろしにしたなんて記述は山のようにある。

「今はシュトゥルム王子とジュリア王女が争ってるってもっぱらの噂うわさなんだけどね。片や〝家か督とくを継ぐのは長男であるべき〟って言って、片や〝能力や才があるのなら男女など関係なく上に立つべき〟って主張して譲ゆずらないって……今の状況を見るにシルフィー王女もどうやら引く気は無いように思えるし……」

 言い争いはなおもヒートアップして「それはダメだ!」「兄上には任せられません!」など声が響ひびいて会場内のざわつきが大きくなっていく。

 俺は正直徐じよ々じよにイライラして来た。

 今日は妹が初めて王族として認められ、開かれたパーティーじゃないのか?

 戦場での猛も者さだとか、殺されかねない殺気だとか、先ほどまで感じていた〝アイツら〟への恐きよう怖ふ心が一気に冷めて行く。

 そして椅子に座ったティアが悲しげに俯うつむいているのを見た瞬しゆん間かん、俺の中で何かが切れた。

 妹の晴れ舞ぶ台たいに、王族だか英雄だか知らないが……何やってんだコイツら!!

「……キリカさん、あれ貸して」

「あれ?……ああ、なるほど」

 そう言ってキリカさんは二つ取り出して自分も〝それ〟を握にぎった。

「キリカさん?」

 どこから二つ出したとかそんな疑問は置いといて、キリカさんの行動に疑ぎ問もん符ふを浮かべていると……彼女はドスの利きいた声を出した。

「前にも言ったでしょ? 次やる時は私も誘さそえって……」

「……ラジャー」

 額に怒いかりの青筋を浮かべたキリカさんが、恐おそろしげに笑う。

 なるほど貴方あなたも同じ気持ちか。

 ざわつく会場の中、俺とキリカさんは──。


 ドバアアアアアアアン…………。


 二人同時にフルスイングで思いっきりハリセンをテーブルの上に叩たたき込んだ。

 爆ばく発はつにも似た轟ごう音おん、ざわついていた会場が一気にシーンと静まり返る。

 言い争いをしていた兄姉たちも、取り巻きの貴族たちも、そして椅子に座ったティアですら目を丸くしてこっちを見ている。

 俺はそれを自覚した上で、立場や不敬なんて知った事かとばかりに大声で言った。

「スミマセーーーーン!! 主役を他所よそにハエがうるさかったもので!!」


    *


 その後のパーティーは表面上は一応滞とどこおりなく終しゆう了りようした。

 正直今回こそは不敬罪での拘こう留りゆうもありえるかと思っていたが、俺もキリカさんもお咎とがめは無かった。

 王族を含めた上層階級をまとめてハエ呼ばわりした事に罵ののしり詰つめ寄る連中もいるにはいたが、それを窘たしなめたのは意外にも騒さわぎの原因であるティアの兄姉たちだった。

 職業上キリカさんはあの後室長からお小言があったらしいけど、誇ほこらしげに本人が語っていたから大した事はないのだろう。

 まあ、問題なのはやはりティアだった。

 パーティーが終了したのは日が落ちた後、色々落ち着くためにも道具小屋に連れて来たのだが……さっきからずっとシュンとした表情で俯いている。

「ゴメンな……折せつ角かくのパーティーだったのに……何か我が慢まんならなくて……」

 本日のアレは自分でも頭に血が上っていたと思う。

 ティアだって王女としての立場がある。自分の取り巻き、しかも信しん頼らいしている同行者があんな事をしては立つ瀬せが無いだろう。しばらくしてから、後こう悔かいの念が湧わき上がってきた。

 だがティアは俺の言葉にキョトンとした目で顔を上げた。

「何でコウさんが謝るんです? 私は凄すごく嬉うれしかったんですよ。コウさんもキリカも私の為に怒おこってくれたんですよね?」

「へ?」

「むしろありがとうございます。おかげで少しだけスカッとしました」

 そう言ってニッコリと笑うティア。……あ、あら? そんな感じ?

「でも……やはり、兄上様も姉上様も……私の事を認めては下さらないのですね……」

 ああ……なるほど、落ち込む原因はそういう事か。

 元来ティアは引っ込み思案で自己主張の強い娘こではない。

 それでも今回は自分の功績が認められた上で開かれたパーティーだったのだ。今まで優ゆう秀しゆうな家族に劣れつ等とう感を抱かかえていたティアが、認められたいと望むのは自然な事だ。

 いや、そんな難しい事じゃない。

 兄ちゃん姉ちゃんに褒ほめて貰もらいたかっただけなのだろう。

 それからしばらく、囲い炉ろ裏りから炭が爆はぜる音だけが続いた。ドレス姿のままオレンジの光に照らされるティアの顔が悲しげだった。

 だが、不意にティアが思い付いたように顔を上げこっちを向いた。

「……そう言えばコウさん。コウさんのご家族ってどういう方たちなんですか?」

「んあ? 俺の家族?」

「はい、そう言えば聞いた事がありませんでした」

「家族って言っても……ごく普ふ通つうのリンゴ農家なんだけどな……」

「リンゴの栽さい培ばいをしているのですか!? だからコウさんはリンゴの品種改良に詳くわしかったのですね?」

 一転して明るい表情になったティアを見て、それが慰なぐさめになるならと思い、俺は自分の家族について延々と語った。

 実家はリンゴ農家である事。リンゴ栽培を幼少期から手伝わされた事。親父おやじには大工仕事やら力仕事、母には家事全ぜん般ぱんを師事した事。

 そこから『銀足のオカン』になった経けい緯いは省く。今考えても『原因と結果』は滑こつ稽けいでいて一つも笑えないから……。

「コウさん、ご兄弟は?」

「兄貴が一人いるよ。一昨年おととし東きょ……都会に出ちまったけどな」

「お兄様がいらっしゃったのですね」

 両手を合わせてテンションを上げる彼女に俺は後ろ頭をボリボリ搔かいた。

「お兄様なんて上等なもんじゃねーよ。ケンカばっかしてた覚えしかないし。ゲームとかマンガを取り合ったり、チャンネル争いしたり。最後は親父に殴なぐられて終わり……」

「まあ……」

 ティアはそう言ってクスクスと笑い始めた。

「コウさんのお兄様は……その、ご実家に帰って来る事は無いのですか? 都会に出られたのですよね?」

「今年の春先に一回、花見の時季に帰って来たよ。『花見酒だけは地元に帰らないとな』なーんて分かったような事言ってたけどな」

「花見……ですか?」

 俺の言葉にティアが急に小首を傾かしげてみせた。

「言葉のままならお花を見るのですよね。でもお花を見ながらお酒を飲むのですか?」

 ……あーそう言えば花見って文化も日本特有だって聞いた事はあるな。そもそも桜って代しろ物ものは知らない人には想像も付かない植物らしいし。

 どう説明しても想像させるのは難しい……と、そこで俺は日本からこの世界に持ち込んだ私物の中に打って付けの物がある事を思い出した。

「確かカバンのポケットに……ああ、あったあった」

 それは押し花で作られた手作りの栞しおり、俺はそれをティアに手て渡わたした。

「……これは、お花ですね?」

 ピンク色の花弁を持つ一輪の花。日本人であるなら誰だれもが慣れ親しんだ花である。

「そいつは桜って言って、俺の故郷ではポピュラーな春の花なんだよ」

「綺き麗れいなお花ですけど……この小さなお花を見ながらお酒……ですか?」

 多分、今ティアの頭の中では一輪の花を見て酒を飲む情景が浮うかんでいるんだろうね。

「この花はあくまでも一部、桜は木の全体に花を付ける植物なんだよ。想像してみな? いつも見ている樹木の枝がこの花で埋うめ尽つくされているところを」

「!! 木全体にこのお花が!?」

 驚きよう愕がくし想像できないとばかりにブンブンと首を振ふる。

「凄いですね……そんな見事なお花なら……ぜひ見てみたいです」

 実はその願いを叶かなえる手段はあるにはあるのだが……。

「その栞に一いつ緒しよに挟まっているヤツがあるだろ? そいつが桜の種だ」

「本当ですか!!」

 分かりやすくテンションが上がるティア。植物生育の魔ま法ほうを使える彼女なのだから種さえあればこの世界に桜を誕生させる事は容易だろう。

 ただ、今すぐにでも桜を生み出しかねない彼女に俺は水を差しておく。

「ただ……そいつが春の花だってのはさっきも言ったろ? 今は秋の半ば、誕生させてもすぐに散っちゃうだろうな」

「あ……そうなんですか……」

 途と端たんにしおしおとテンションが落ちるティア。う~ん、分かりやすい娘だ。

「春先になったら生み出そうぜ? その時は弁当でも用意してさ……」

「……はい、楽しみにしてますね」

 俺は桜の栞をティアにそのままあげる事にした。遠えん慮りよはしていたが『この世界の字を読めない俺には使う機会が無い』と言うと、ニッコリ笑って受け取り懐ふところにしまいこんだ。

「でも良いですね……ご家族との思い出……」

 そう呟つぶやくティアはどこか遠くを眺ながめているようであった。

「こんな私ですが……あるんですよ? 家族の思い出」

「へえ……」

「お母様がまだご存命の頃ころ……家族全員で隣りん国ごくの湖に行った事があるんです……」

 家族の話はティアにとってデリケートな話題、今日は特にそうだ。でも彼女は聞いて欲しいのだろう。楽しいのか悲しいのか……はっきりしない表情で話を続ける。

「水すい神じん国こくの聖水を湛たたえたデネル湖。あの頃は兄上様も、ジュリア姉上様も、シルフィー姉上様も、みんな仲良くして下さいました……」

「………………」

「いつから……なのでしょうね……仲良く出来なくなったのは……」

 また悲しげに俯うつむき始めるティア。

 俺は泣きそうな彼女の頭からティアラをひょいと取ってやった。

「……コウさん?」

 不思議そうな顔をしたティアの目の前で俺は奪うばったティアラをクルクル回してやる。

「難しく考えるねぇ、王女のティアリスさんは。俺の知っているメイドで所長のティアちゃんはもっと単純思考だぜ?」

「それは……普ふ段だん私は何も考えていないって事ですか?」

 俺の無礼な物言いにティアは頰ほおをプクッと膨ふくらませてみせる。

「昔はどうだった……じゃなくて、ティアがどうしたいかが大事なんだろ?」

「え?」

「だったらどうしたいかだけを考えようぜ? 兄貴や姉貴と仲良くなりたいってんならそれだけをよ。俺なら……魔法以外の事だったら何でも協力するから」

「……コウさんの方がよっぽど単純思考じゃないですか?」

「うるせーよ……自覚はあるんだからほっとけ」

 そう言うとティアはクスリと笑って、冗じよう談だんっぽく敬礼をしてみせた。

「でも……ありがとうございます。よろしくお願いしますね、軍師様」



 それからしばらくしてティアは王宮へと帰って行った。

 キリカさんは小屋の前で待っていてくれたらしく、帰り際ぎわに俺に向かって二本の指を立てウインクしていた。さながら悪戯いたずらを成功させた悪友のように……。

 苦く笑しようして二人を見送った俺は小屋の引き戸を閉める。

「なかなか格好良い事言うじゃない? 『俺なら何でも協力してやる』だなんて……。な~んで貴方あなたが銀足のオカンなんて言われてたのか不思議だわ~」

「!! 来てたのか、嬢じようちゃん!!」

 いったいいつの間にそこにいたのか。俺をこの世界に引き込んだ張本人である月明かりの女め神がみルーチェが、囲炉裏の前の座ざ布ぶ団とんに寝ね転ころがってニヤニヤしていた。

「……どこから見てた?」

「ん~……貴方が桜の栞を彼女に渡わたしている辺りかな?」

「グ……」

 つまりティアにのみしゃべっていたつもりの言葉を全すべて聞かれていた事になる。

「『ティアがどうしたいかが大事なんだろ?』なんて……言う時は言うわね~」

「だああああああ!!」

 俺は顔から火が出そうになってその場に蹲うずくまった。若じやつ干かんテンション上がり気味で格好付けた台詞せりふを口走っていた事が急に恥はずかしくなって来た。

 第三者から冷静に言われると、より恥ずかしい!!

 俺がそんな風に悶もだえ苦しむ姿をルーチェは扇せん子す片手に上じよう機き嫌げんに見ていた。

「ほっほっほ……。や~初めて貴方に勝った気がするわ~」

 ……今なら羞しゆう恥ち心しんで死ねるかもしれない……今日はやらかす事が本当に多い……。

 しばらくそのネタで幼女に弄もてあそばれて若干心にダメージを負ったものの、何とか立ち直ってから俺は女神にお茶と漬つけ物ものを出した。

「相変わらずお茶ちや請うけのチョイスが渋しぶいわね」

 口ではそう言いつつも、早さつ速そくルーチェは小さな口で漬物をポリポリし始める。

「んで、今日は何の用だ? 何か違ちがう事でも分かったのか?」

 この女神が俺をこの世界に引き込んだ理由は、アカシックレコードに刻まれた『滅ほろびの物語』を修正する為ためだ。

 女神としてはまだ未熟な彼女はアカシックレコードの最初と最後しか読み取る事が出来ず、今は日夜解読できるように昇しよう級きゆう試験に勤いそしんでいるのだとか……。

「勿もち論ろんよ。アカシックレコードに刻まれた最初の滅びの火種は四つ、うち『Eのランチタイム』『紅こう焰えん石せきの生いけ贄にえ』『魔ま導どう兵器国家との冷戦』は消す事に成功したわ」

「……三つ目には余り関かかわっていないけどな」

「結果が全て、勝てば官軍よ! コレを見て頂ちよう戴だい」

 そう言うとルーチェは手の平をかざして光を照射、空間に光の虚きよ像ぞうを生み出した。彼女が見せたい時間と物を映し出す《時見の魔法》だ。

 そこに映し出されたのは緑色の髪かみを雑に短く切り揃そろえ、全身の至る所に傷を負い、左ひだり肩かたの鳳おおとりの紋もんを斬きり潰つぶした女戦士の姿。認めたくはないが、それは血けつ風ぷう戦せん姫きグレイシスと呼ばれる戦士の姿……十年後のティアの姿であった。

 現在の控ひかえめで守ってあげたくなる愛らしさは欠片かけらも見当たらない、逞たくましい女じよ傑けつの姿。それはある人物と瓜うり二ふたつである事に今いま更さらながら気が付いた。

「……ジュリア王女? 炎ほのおの女王にそっくりだ」

 そりゃあ元々姉妹なのだから似ていても不思議は無いのだが、昼間いわれの無い殺気を放っていた人物とティアの未来の姿が似ているのは……何か腑ふに落ちない。

「……それで? 血風戦姫がどうしたのさ?」

「気が付かない? 顔を良く見て……左ひだり頰ほほ」

「左……あ!!」

 そう言われて俺は初めて気が付いた。そこにあった物が無くなっている事に。

「顔面にあった三本の爪つめ痕あとが……傷が無い!!」

 以前は確かに痛々しく張り付いていた傷きず跡あと、それが消しよう滅めつしていた。

「あの傷は魔ま竜りゆうと化したグランツを仕留める時に付いた傷。グランツが魔竜になった原因はそもそも王女アリーシャが生贄にされたから。これはアカシックレコードに変化が現れ出した良い証しよう拠こよ」

 そうだ、そもそも前回エクレアでの事件で『アリーシャが生贄になる未来』を潰したのだから同時に『グランツが魔竜になる未来』も潰した事になる。つまり……。

「歴史が変わり始めているって事だな! このまま行けばティアの運命も……」

 俺が最終的に変えようとしているのはティアの死に繫つながる未来だ。それの具体的な兆きざしが現れてきたならこんなに嬉うれしい事は無い。

 しかし興奮気味の俺をルーチェは冷静に窘たしなめた。

「落ち着きなさいよ、あくまで変わったのは顔の傷だけ。結末が変わっていないのはこの姿で分かるでしょ?」

「ぐ……確かにな」

 ティアの運命が全て変わったなら、そもそも十年後の姿が血風戦姫な訳はないのだ。

「おまけに今回少しでも良い兆しが見えた事は、闇やみ渡わたりにとって面おも白しろくないでしょうし」

「闇渡りか……」

 ルーチェを含ふくむ神々は一人が一つの世界を担当しており、本来は自分の担当する世界以外には干かん渉しようできない。

 だが、人間の『虚きよ無む』の感情に憑ひよう依いして世界に干渉しようとする神が存在する。

 そいつらはルーチェのようなより良い未来を目指す『改編者』や、傍ぼう観かんを選んだ『司書』と呼ばれる神々とは異なり、最悪な未来を目指すという非常に趣しゆ味みの悪い感性を持った連中だ。

「残る火種は後一つ『水神国の内乱』。あの性悪女が手を……いえ、口を出さない訳はないでしょうね……」

 よっぽど闇渡りが気に食わないようで、ルーチェは眉まゆをひそめて爪つめを嚙かんだ。

「爪嚙むのは止やめなさい。女の子が……」

「ア……ごめん。つい……」

 恥ずかしそうに親指を隠かくすルーチェ。いつもなら小言を付け加えるところだが今日は止めておく。気分的には俺も目の前の幼女と一いつ緒しよだから。

「水神国の内乱についての解読はまだ不完全なのだけれどね」

 そんなルーチェが話した地名に俺は引っかかった。

「水神国って言ったよな? 確かさっきティアからも聞いた国の名前のような……」

「さっき……ああ、そうそうティアリス王女の思い出の場所よ。聖水が国の重要資源でもあるデネル湖がある水神国ベルガとアンダイル……」

「聖水だって? 何か特とく殊しゆな水でも湧わいてんの?」

「うん? 私には違いが良く分からないけど……何でも水の精せい霊れいが住むこの湖は七色の水源とかって言われていて、汲くみ取る所で微び妙みように味が違うとか何とか……」

 汲み取る所で微妙に違う味……もしかすると一つの湖なのに場所によって性質の違う水が湧いているって事か?

 地球上ではありえない事だがここは異世界、空飛ぶ魚や巨きよ大だい植物に比べたらその程度は普ふ通つうな気がしてくる。

「一応、内乱までの期間は二年以上ある事にはなっているわ」

「一応……な」

 注ちゆう釈しやくを入れるルーチェの表情は険しい。前回自分が知らせた猶ゆう予よが闇渡りによって前まえ倒だおしされた事を警けい戒かいしているのだろう。

「なら、趣味と実益を兼かねて……行ってみるしかなさそうだな。ティアの思い出の地に」

 俺は頭を搔かいて今後の計画を口に出した。

「今後の火種の情報収集とラーメンの材料探しに……!!」