あとがきに代えて──

  元気なリメイク映画──『日本沈没』『ポセイドン』『オーメン』


 撮影技術が進歩すると、かつて大当たりした映画をもう一度作ろうと考えるのは至極当然である。

 通常、こういう作品はスケールアップするものだが、珍しい例が、『オーメン』(監督ジョン・ムーア)だろう。

 設定もエピソードもそのまま引き継ぎ、前作よりコンパクトになって、それなりに面白い。いわば縮小再生産だ。

 悪魔の申し子ダミアンに翻弄される人間たち。

 前作(一九七六)は『エクソシスト』(一九七三 監督ウィリアム・フリードキン)の当たった余波の強い頃で、少女リーガンがベッドの中で、首を一回転させて緑色の反吐へどをはく、場面の限定された『エクソシスト』と違い、『オーメン』の方は、悪魔と神の戦いをスペクタクルと思える派手さで展開したものだった。

 暗い男性合唱と鐘──雷鳴とともに神父の胸から背中にかけて刺し貫く鉄柵。宗教音楽を思わせる重々しく陰鬱な音楽が、それ以後の宗教がらみのホラーの定番ともなった。監督リチャード・ドナーの出世作で、のちの『リーサル・ウェポン』シリーズに続いていく。

『ポセイドン・アドベンチャー』(一九七二 監督ロナルド・ニーム)は豪華客船が高波をくらってひっくり返り、さかさまになった船内から脱出しようとあがく人々の人生模様だった。登場人物の人間像を描くのにかなりの時間が割かれていた。さかさまになった便器の連なり、天井に向かって落下してゆく人々。セットも全部、天地が逆になっている。それをでっかい七十ミリスクリーンで見せるのもウリだった。製作が特撮SFで有名なアーウィン・アレンだったから、これもスペクタクル映画としての構えを持っていた。

 新作『ポセイドン』の監督はウォルフガング・ペーターゼン。『Uボート』でメジャーデビューしたドイツの監督だ。Uボートの疾駆シーンをこれほどさつそうと撮った映画を見たことがなかった。以後ハリウッドで売れっ子監督になり、『ネバーエンディング・ストーリー』『エアフォース・ワン』ブラピの『トロイ』などで乗りに乗っている。

 彼の作品にジョージ・クルーニーが頑固者の漁師になる『パーフェクト・ストーム』がある。嵐の中を突っ込んでいって自滅する漁船を描いた作品だ。『Uボート』では、潜水艦内部、『パーフェクト・ストーム』で嵐の海──これらの経験が、『ポセイドン』の場合には大いに生きているといえるだろう。

 美しい場面もある。事業に失敗したリチャード・ドレイファスが自殺しようとしてふなべりに出ている。満月がかかり、その満月が下から次第に欠けてゆく──ほとんど陶然となる高潮の出だしである。豪華客船が転覆してさかさまにおさまるまでの経過が詳細に描かれている。この映画、逆さの画像や人生模様はさらっと定型で処理し、ひたすらサバイバル場面の連続に終始している。しかも全編一時間三十七分という短さである。人間描写では突っ込みどころが満載だが、それでも、乗りのよさで、アドベンチャーを体験させられてしまう。

『日本沈没』(原作小松左京・監督樋口真嗣)は、興行収入四十億円という大ヒットを記録した一九七三年度作品(監督森谷司郎)のリメイク。

 だがこの二本──観客ターゲットがまったく違う。前作は全国民だが、新作は若者である。前作では日本は沈むが、新作では、食い止められる。

 前作においては日本が沈むという疑似体験は圧倒的だった。丹波哲郎の総理や、島田正吾の政財界の影の老人など、人物造形も卓越していて面白かった。ともかく、日本沈没は避けられないという前提だから、凄味があった。

 今回は、話が軽い。どちらかといえば、パニック映画、デザスター映画ではなく、『ゴジラ』『惑星大戦争』『妖星ゴラス』そして『ハルマゲドン』といった空想科学映画の系列に入る。そのつもりなら楽しく見られるだろう。

 ところで、懐かしい『妖星ゴラス』(一九六二 監督本多猪四郎)は、怪しい星ゴラスが地球に激突するのを防ぐため、地球自体を『一時退避させてしまおう』という、日本映画の誇る究極のアイデア映画だった。そのために南極にたくさんのロケット噴射みたいな施設をつくって、一斉に点火、地球は土壇場でゆっくり移動をはじめる──このびっくり話も、ひたすらリアルに作劇されていった。

 当たり屋プロデューサーのT氏は興行師の感覚でこれは、まじめすぎてヤバいと踏んだのだろう。突如として南極に怪獣──マグマを登場させたのだ。かなりちぐはぐな印象ではあったが、しんねりむっつりの展開が、ほっと一息抜けたのは確かだった。

 お金を頂くには、サービス、サービス! と、これは自戒である。


 二〇〇六年八月──