「面倒だが、チェスター、きみにハワイへ行ってもらわねばならない」

 とルーズベルト大統領はいった。

「ジャップは講和条約の調印をホノルルでやりたいといっている。予備役と決まったきみには最後の仕事ということになるが、米国側の調印はきみにやってもらう」

「わたしがですか」

 敗軍の将としてですか、といい返そうとして、ニミッツは思いとどまった。

「きみばかりに恥をかかせようとは思っていない」

 と大統領はいった。

「わたしも任期切れを待たずに、引退を余儀なくされるだろう。敗戦には私が一番責任があるのだよ。だから、講和の調印には本来ならわたしが行くべきかもしれないが、身体が不自由なので猛暑には耐えられない」

 ルーズベルト大統領は車椅子の日常だった。

 太平洋海戦の度重なる敗北の責任をニミッツが問われるのは当然だが、ニミッツひとりの責任かというと疑問が残る。ニューヨーク・ワシントンまで攻撃を受けたとなると、海軍長官以下海軍すべての責任でもあるのだった。

 まして原子爆弾の誤爆とあっては、国民の批判が大統領に集中するのは当然のことといえた。

 もはや戦争を続行することは不可能だったといえよう。

 ハワイから撤退してワシントンに帰ったニミッツは、ともかくも辞表を提出し、身辺の整理をはじめた。そこへ大統領の呼び出しがかかったというわけだった──。


 日本占領下のオアフ島に投下しようとした原子爆弾は、サンディエゴの湾内に誤って投下された。付近にいた船舶艦船が消滅し、港湾施設は壊滅。ビルの町並みは爆風を受け、火災が発生した。死傷者は十万人を超えた。

 当初は日本の攻撃だと思った米国市民だが、それが米軍機の誤爆だと知って、怒りの声は軍と大統領に向けられた。

 もはや戦争がつづけられないことは誰の眼にもあきらかだった。ひとり大統領だけは戦争続行を主張したが、国民がそれを許さなくなっていたといえる。

 そんな折、ドイツにロンメル元帥を首班とする新政権ができた。ナチはふつしよくされ、ドイツは一方的に休戦を宣言。欧州の戦火は収まりそうだ。

 ホワイトハウスは、天皇からしばしば大統領あて親書によって申し込まれてきた講和条件を考えねばならなくなった。

 陸海軍の中には続戦論もあったし、大統領も続投したかったが、背に腹は代えられない。このまま戦争をつづければ、大統領は米国国民の怒りを受けて確実に失脚しただろう。

 結論として、アメリカ合衆国は日本の講和申し入れを受け入れることになったのである。

 ルーズベルト大統領から、ただちに天皇あて親電が打たれ、戦線から砲火がんだ。そして講和が成立することになった。

 その米国側全権代表が、もと太平洋艦隊司令長官ニミッツ提督ということになったのである。

 日本側の代表は連合艦隊司令長官に復帰した山本五十六。

 調印式は、戦艦『大和』で行われることになった。



 ニミッツたち講和全権委員の乗った重巡部隊はサンフランシスコを発って一週間後、ホノルルの沖合に達した。ダイヤモンドヘッドがまだ噴煙をたなびかせている。

 真珠湾の入口に、一隻の戦艦の姿があった。

 戦艦『大和』である。

 ニミッツはランチに移乗して、『大和』に向かった。

 近づくにつれ、ますます『大和』の巨大さが感じ取れた。

 反りを打った前甲板。前しようろうが真ん中で埋もれているように見えるのは、船体が大きいからだ。

 その背後になだらかな形の煙突が突き出し、マストには日章旗とともに星条旗が揚がっていた。三連装三基の主砲が平常位置に置かれている。

 双眼鏡で見ると、主砲の砲口にはカバーがかけられていた。高角砲も同様だった。

 まだ、いつ戦闘が再開するかもわからない状況である。こんな場合は砲をいつなんどきでも発砲できるようにしておくものだった。そうしなかったのは山本五十六の気配りだろうと察して、ニミッツは胸が熱くなった。われわれはなぜ戦ってしまったのか。

 甲板に整列した白い二種軍装の兵士たちが見えた。まるで『大和』に白線を引いたように美しい。

 ホイッスルが鳴り渡り、ニミッツの内火艇はタラップに着いた。

 げんもんを上がると、山本五十六が待ち構えていて、ニミッツに敬礼した。

 ニミッツもとっさに答礼した。

 山本が先に礼儀を示したことが、ニミッツをますます感心させた。山本は敵将ニミッツを立てているのだった。

 前甲板には講和条約調印のテーブルに白布がかけられ、椅子の用意がしてあった。参列する者たちの折り畳み椅子も置かれていた。

 それに先立ち──。

 ニミッツたちは大和の長官公室に案内され、紅茶とサンドイッチを振る舞われた。

「長旅、ご苦労さまでした」

 と山本はニミッツたちをねぎらった。

「われわれは、お互いに不幸な戦いの時を過ごしてしまいました。その原因がどこにあったかは、ひとえにお互いの誤解であります。大統領のご英断で、今日、講和の時を迎えたことは、なんともうれしいことではありませんか」

「本当です」

 とニミッツは同意した。

「軍人の本分とは戦いを起こすことではありません。戦いをなくすことなのです。それなのに太平洋に波風は立ってしまいました。天皇陛下におかれましては、終始一貫、平和のための書簡を大統領あて、出しておられました。そのお気持ちが大統領に通じるまで今日までかかってしまいました。多くの日米の若者たちが命を落としました。とても残念なことです」

「今後、日米は手をたずさえ、太平洋の平和のため努力いたしましょう。そのことによって、亡き英霊たちの許しを得ることにいたしましょう。まもなく調印が行われます。しばしご休憩ください」

「ご厚意感謝いたします」

 ニミッツは礼を取った。

 そのとき、参謀長の宇垣纏が血相を変えて入ってきた。

 山本は黙って、外に出た。

「どうした」

「大変です。オアフ島の北側に艦隊が迫っています。空母が四隻、見分けられます」

「ほう。やはりな」

 と山本五十六はうなずいた。

「ご存じだったのですか」

「あの大統領のことだ。予測はできた」

「攻撃しますか」

「いかん」

 としつせきしてから「大統領は、せめてもを張っているのだ。放っておけ」といった。

「しかし」

「構わん、講和条約の調印をすませよう」

 と山本はいった。



 米空母『インディペンデンス』の作戦司令室では、ブル・ハルゼー提督が、遠くにかすむオアフ島を睨んで、口をへの字に結んでいた。

 内心の乱れを打ち消すように、パイプをしきりに吹かした。

「まもなく式典がはじまります。命令を出しませんと、調印が行われてしまいます」

 参謀長のマーテル少将がいった。

 彼もまた額に汗をかき、そのくせ顔色はそうはくだった。

「潜水艦部隊は待機しているのだな」

「『大和』に向け、いつ何時でも雷撃をかけられる態勢です。あとは航空隊を出すだけです」

 ハルゼーは四隻の空母を率いている。都合三百機が一度に出撃することができた。真珠湾の日本艦隊を壊滅できる、その意気込みで出撃してきたのだった。

「うむ」

 とハルゼーは渋い顔だった。ハルゼーもまた迷っていた。講和条約を結ぼうといつたん決めたのに、大統領はよこやりを通そうとしている。ハルゼーは闘将だったが、そこまで筋がわからないわけではなかったのだ。だが、最高司令官からの命令とあれば、拒むわけにはいかなかった。

 さよう、艦隊に出撃命令を出したのは、あろうことかルーズベルト大統領だった。

 米側護衛の名目の艦隊を講和条約調印式の行われるオアフ島近海に派遣し、日本側の重鎮が『大和』に集まったところで、攻撃しようという計画だった。

 大統領も軍部も表立っては講和を受け入れた。

 だが、日本に対する憎悪はふつふつと湧き続けた。

 あげくの果てに、大統領は奇襲攻撃を考えだしたのだった。マーシャル参謀総長もスターク海軍長官もこの計画には渋々賛成した。なにせ敗戦の責任は自分たちにあったのだから。一方、ハル国務長官は、大統領の計画を知るや、はつ天をく勢いで部屋を出ていき、そのまま別室に引きこもってしまった。

 国務長官が反対のまま、作戦を実行することはさすがの大統領でもためらわれたが、護衛艦隊を出すことまでは、どうにか理屈がつくことだった。

 だが実際に攻撃命令を出すタイミングは、ワシントンにいる大統領が決めることになっていた。

 ハルゼー中将は腕時計を見た。

「大統領は何をしておられるのか」


 やがて──。

 ハルゼーは待ちきれなくなった。

 ここから飛行機を飛ばしても真珠湾まで一時間はかかる。その間に、調印は行われてしまうかもしれない。そうなったら、何のための出撃か。

「よし、発艦だ」

 準備はできている。ただちに各空母から攻撃隊百二十機が発艦した。

 距離は約二百キロ。いずれは敵に見つかることになるだろう。その前に、どれほど、『大和』艦隊に突っ込むことができるか。

「隊長、なにを考えておられるのです」

 ドーントレスの操縦席で、ラクト大尉が伝声管に向かっていった。

「別に」

 と隊長のアルドリッチ大佐はうめくようにいった。

 背後には百二十機の艦載機が、いくつものかりがね形に展開して、ついてきていた。高度五千メートル。雲海が眼下に広がっている。

 ただし、ハルゼー長官より緊急命令が入り次第、ただちに帰艦するよう厳命されている。

「無線に注意を忘れるな」

「了解」

 攻撃隊は、二十分ほど飛んだ。

「敵です」

 ラクト大尉の声が飛んだ。

 前方に、零戦の編隊がこつぜんと姿をあらわした。

 最初は二十機ほどに見えたが、背後の密雲の陰から視界を埋め尽くすようにして編隊があらわれた。

「隊長、待ち伏せです」

「編隊はこのまま。別命あるまで攻撃は控えよ」

 攻撃隊は前進していった。まだ射程圏には入っていない。

 待ち構える日本隊の隊長機がバンクして、零戦隊は左右に陣を開いた。

 そのまま攻撃をかけてくるでもなく、両側に広がってゆく。

「やつらはわれわれを取り包むつもりでしょう。このままでは、壊滅されてしまいます」

「よし、攻撃だ」

 隊長機は攻撃命令を飛ばした。

 攻撃隊のうちグラマンは一斉に零戦に向かって突っ込んでいく。ドーントレスはその間を縫って突進した。

 しかし、零戦の反応は不思議なものだった。

 攻撃を受けると、一様に反転して逃げに移ったのだ。

 米機よりも数が多いわりにその行動はせないものがあった。

 なおもグラマンは追い迫る。


 零戦隊隊長機では、荒川幹夫中佐が、操縦かんを握りしめて、たけだけしく接近するグラマンを見ていた。

 敵の銃火がまたたくのが見える。このままでは、命中するだろう。荒川中佐は機銃の発射ボタンにかけた指をはずした。操縦桿を一杯に引く。グオンッとエンジン音。敵前で零戦は旋回して、逃れた。グラマンがなおも追ってくる。さらに零戦は反転して逃れる。

 同じことが隊長機の近くでも続いていた。

 聞こえる銃声は米側のものだ。零戦はひたすらかわしている。

 敵から身をかわすこと──それが山本五十六長官から直々に得た命令なのだった。

(もしかしたら、敵は接近してくる。だが、はぐらかせ。反撃してはならない)

(なぜですか)

(その敵は、講和条約を邪魔しようという一部不穏分子なのだから。もし戦闘になれば、会議は流れるだろう。そうさせないためには、決して銃火を交えてはいけないのだ)

(それでも敵が攻撃を続行したら)

(逃げるのだ。日本側が決して手を出さなかったこと、これが重要なのだ)

(ですが、いつまで逃げ回るんですか?)

(調印が終わるまで)

 それが山本の返事だった。


「これは罠ではありませんか」

 隊長機では、操縦士のラクト大尉がいった。

「構わぬ、突っ込むのだ」

 アルドリッチ大佐はいった。隊長機も疑いを覚えながら、突進を続けた。目指すは戦艦『大和』。

 その前に、なおも零戦がいた。



 その頃、ホワイトハウスでは、大統領執務室にマーシャル参謀総長とスターク海軍長官がいて、落ち着きなく歩き回っていた。

 時折どちらからともなく、壁の時計に眼をやっている。

 隣室の扉が開き、髪を乱れさせたハル国務長官が入ってきた。

「どうした」

 とマーシャル参謀総長が走り出てきた。

「何度説得されようとわたしの考えは変わらない。相手が大統領だろうと同じことだよ。一旦、決めた講和を破ることはできない」

 と国務長官はいった。

「しかし、攻撃時間は迫っている」

 とスターク海軍長官がいった。

「作戦中止の命令を出したまえ」

 とハルは海軍長官に詰め寄った。

「今、引き下がるなら、これまでの作戦経過はなかったことにしてもいい。だが、それから先に進むようなことがあれば、閣下たちは国家反逆罪だ。さあ」

 となおも追い詰める。

 スターク海軍長官は、助けを求めるようにマーシャル参謀総長を見た。

「大統領はどうなされたのだ」

 とマーシャル参謀総長はきいた。

「まだ、隣室におられる」

 とハルが振り返っていった。

 途端に──。

 ズンッと鈍い音が起き、どさりと何かが倒れる音が聞こえた。

 男たちは隣室に飛び込んだ。

「閣下」

 マーシャル参謀総長がうめいた。

 そこは大統領の書斎だった。

 車椅子に座った大統領がデスクにうつ伏せになってこと切れていた。けんに穴があき血が噴き出している。右手の先からコルトが落ちて床に転がっていた。引き出しが開いており、そこから取り出したものだろう。

「覚悟の上のことでしょう」

 とマーシャル参謀総長がいった。

「ただちにコブレ博士をお呼びしろ」

 とハル国務長官が駆けつけた大統領補佐官にいった。コブレ博士とは大統領の主治医だった。

「ただし、このことは、別に決定があるまで内密にな」


 アルドリッチ大佐の攻撃隊の戦いは続いていた。

 相変わらず零戦隊は反撃してこない。

 やがて、眼下に『大和』艦隊が見えてくるだろう。

 そのとき──。

 ふいに無線が鳴りだした。

(攻撃中止、引き返せ)

 ハルゼー長官からの連絡だった。

 アルドリッチ隊長はただちに、撤退命令を伝えた。

 零戦に迫っていた米機は、いずれも反転して、帰投の途についた。



 調印式は『大和』の前甲板で行われた。

 先にニミッツがサインし、続いて山本が署名。

 山本はニミッツの手を取って、笑顔を見せた。

 同時に祝砲がとどろいた。

 真珠湾の入口に集結した機動部隊が放ったものだった。

 空母『赤城』『加賀』『蒼龍』『飛龍』『瑞鶴』『翔鶴』そして『信濃』『葛城』『天城』などなど、連合艦隊のもうどうが一斉に動きはじめていた。

「あれは」

 とニミッツは驚きの声をあげた。艦隊が戦いをはじめようとしたのかと思ったのだ。

「ご心配なく」

 と山本五十六は笑顔でいった。

「機動部隊は本日をもって、オアフ島から撤収します」

 と山本はいった。

「本日中に、オアフ島は貴国に返されます。これからは日本人もハワイの魅力にかれて訪れることがあるでしょう。どうか、今度は歓迎してくださるようお願いいたします」

「それは──」

 ニミッツはあまりのことに言葉に詰まった。講和のその日に、日本はすでにオアフ島の明け渡しの準備をしていたのである。なんという誠意の見せかただろうか。

 そのとき、宇垣参謀長が山本のところにやってきて耳打ちした。

「それは残念なことだ」

 山本はいって、ニミッツを見た。

「ただいま、米外務省から連絡がありました。貴国大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルト閣下がお亡くなりになられました」

「大統領が」

「さよう。長年の心労が、心臓にいけなかったようです」


 ハルゼー中将はほっと胸を撫で下ろしていた。大統領死亡のしらせが入り、彼は圧力から解放されたのだった。

 ハルゼー艦隊は撤収を開始した──。



 ルーズベルト大統領の葬儀は国葬をもって行われた。

 葬儀委員長は新しく大統領になったハリー・トルーマンだった。

 雨の日──。

 会場はリンカーン記念会堂前のモールがあてられ、群衆で埋まった。

 葬儀には日本を代表して山本五十六が出席した。市村一飛曹と少女が同行していた。

 会場を出ると、山本に傘を差しかけたのは、ニミッツ提督だった。

 その背後には新制ドイツ共和国海軍司令官のデーニッツ提督がいた。新制ドイツも、日本に続いて米・英・仏と講和を結んだのだった。

 そのとき黒い車が止まり、白髪の男女が降り立った。

 少女が気づき、駆け出した。

 少女──アンネ・フランクはふたりに抱きついて、泣き崩れた。

(皇軍の艦隊 完)