「やつらは本当に奇襲をしかけてくるでしょうか」

 真珠湾の連合艦隊司令部で、参謀長の山口多聞少将が小沢治三郎提督にきいた。

「今頃、何をいっているのだ」

 と小沢は眼をいた。

「ニューメキシコ州でおかしな爆発があったと連絡があった。うわさの新型爆弾だ。同じ頃、B29という高性能爆撃機が開発されたという。B29は、四発エンジンの巨大なもので、航続距離は九千キロを超すらしい。新型爆弾をそいつに搭載して、ハワイを襲うのは当然予想されることだ」

「しかし、今、ハワイというのは」

「今だからだよ。われわれは米国西海岸ばかりか、東海岸まで攻めることが可能だ。われわれは講和を申し入れているが、それを受け入れれば大統領は引責辞任ということになるだろう。たとえわが国の申し入れを受け入れて講和を結ぶにしても、彼らは負けが込みすぎてしまった。ここで一点返さないことには、米国大統領も立場がないというわけだ。もちろん、われわれは黙って見ていることはできない」

「それがどうしてハワイなのです。ハワイ、とりわけホノルルは米国の一部ではありませんか。住んでいるのは主として米国人なのですよ。そんな残酷なことをするとは信じられません。もしそうなら、アメリカも地に落ちたものですな」

 山口はいいつのった。

「いいか、山口。今日はわれわれがオアフ島を占領した一周年記念の日だ。必ず来る」

 小沢はいいきった。

 新型爆弾を敵が開発するのではないかという問題を、参謀本部はとうに疑義として把握していた。具体的に標的がハワイであり、しかも攻撃日はハワイを日本が占領した一周年記念日であると主張したのは、山本五十六だった。

 新型爆弾の性能については、四キロ四方を焼き払うという推測がなされていた。町中に落ちれば、町全体が一瞬で消滅してしまうことになる。

 とはいうものの──。

 敵がB29を出撃させる場所が西海岸だということはわかっていた。サンフランシスコ、ロスアンゼルス、サンディエゴ。その近くの飛行場だろう。

 まず、出撃を確認しなければならない。

 さらにB29は高度一万メートル以上の超高度を飛ぶ。そして、これがハワイに直進するとは限らないのだ。かいしたりこうしたりした場合、そくは至難となる。

 ハワイとアメリカ合衆国との間の東太平洋は、ほぼ五千平方キロメートルの広大な海域である。

 連合艦隊はすべての艦隊を出動させて、しようかいの網を張った。

 各艦船・偵察機にはレーダーが装備され、該当海域を探りつづけた。

 各空母の艦載機として、新しく開発された『さいうん』と『げつこう』が配備された。

 航続距離が長く、馬力のある彩雲は主として偵察機に、夜間戦闘機の月光はB29との対決用に使用されることになっていた。

 米側も艦隊をいくつも繰り出して、迎撃を抑える態勢をとっていた。

 西海岸に接近して情報収拾にあたっていた伊号潜水艦が、三機の大型機がサンディエゴ空港を飛び立ったという知らせを寄せてきた。

 東太平洋には第六・第五航空戦隊とともに南雲長官の機動部隊、三川中将の戦艦部隊が展開していた。

 ただちに情報は各艦隊に伝達され、緊迫した空気が全艦隊に流れた。

 偵察機はさらに増強され、網は狭められていった。



「やつらは気づいているでしょうか」

 ボーイングB29、通称スーパーフォートレスの一番機で、機長のクレッチマー大佐が、指揮官のサミュエル・フォード少将に話しかけた。

「どうかな」

 といって、フォード指揮官は操縦席の高度計を見た。

 後部の弾薬スペースには原子爆弾が納まっている。ずんぐりした形状からファットマンと名づけられた一・五トンの黒い死神だった。二番機、三番機には搭載されていない。この二機は、いわばダミーだった。

「高度九千。まず見つかるまいな」

「念のため、もっと高度を上げたほうがよくはありませんか」

「これでいいだろう。護衛機がついてこられなくなる」

 B29が三機、その前後左右を十八機のロッキードP38戦闘機が護衛していた。

 護衛機は不要だったのだと、指揮官は思う。海軍本部が心配のあまり強引に決めたのだ。おかげでB29の速度も高度も制限されてしまった。

 だが、それも海岸から千五百キロまでだ。そこから先は護衛なしで飛べる。

 B29のレーダースクリーンには何も映っていない。

 このままなら、簡単にハワイに行き着けるだろう。

 そうはいっても、オアフ島で待っている壮大な破壊を、フォード指揮官はまだ納得できないでいた。彼はロス・アラモスにいて、原爆の爆発実験を見た。仰天するような破壊力だった。それをれっきとした米国領土であるオアフ島に落とそうというのだ。真珠湾にいかに日本艦隊がいようと、ホノルルには米国人が多い。実行したくはない役目だったが仕方がない。

 出撃したのが未明。昼近くになって護衛機が翼を振って、引き返していった。航続力の限界だった。

 フォード指揮官はかえってほっとしたものを覚えた。

 護衛はなくなるが、その代わりこれからはB29が三機のみの隠密行動が可能になるわけだ。

「高度を上げよう」

 とフォード少将が機長のクレッチマー大佐に命じた。

 クレッチマー大佐が操縦士に向かってうなずいた。

 機体が上昇に移る。

 そのとき──。

「敵機です」

 と通信士官のウイルバー中尉がレーダースクリーンを見ながらいった。

「下から接近してきます。十二機」

「振り切れるだろう。一万メートルを超してしまえば、追いつけない」

 三機のB29はさらに高度を上げてゆく。

「だめです。正面から、やはり十二機来ます」

「よし、弾幕を張ろう」

 三機のB29は、一番機を先頭として三角形の陣形を取った。

 B29は銃座を多数備えている。尾部と下部には自動回転式銃座が設けられている。三機がこの陣形を敷くと、下からの攻撃が難しくなる。死角が減るのだ。

 それでも敵は、まるでうんのごとく攻撃をしかけてきた。

 機銃弾を食らって敵戦闘機がぱらぱらと落ちていった。だが小気味がいいとばかりは、いっていられない。三機のB29はさらに高度を上げていった。



 夜間戦闘機月光の被害は大きかった。

 標的にさして接近しないうちから被弾して、きりきりまいしながら四散する機が続出した。

 指揮にあたった月光一番機の隊長三笠いさお大佐は、眼前を三番機が先を越して突っ込んでいくのを見た。

 見上げると三機のB29の腹部は巨大な障壁となっていた。

 まるで頭上に屋根がかかったようだ。その中で回転銃座が、銃弾を縦横無尽にばらまいている。

 月光は双発機で馬力がある。下から上に向かって銃撃できるように銃座から斜めに二十ミリ機銃が突き出ている。当然、乗員はふたりである。

 二番機はまるでやりぶすまの間をすり抜けていくようだ。

 二番機が炎を発して、き消えた。

 さらに四番、五番機が突っ込んで炎上した。

 三笠大佐は悔しさにみする思いだった。

 彼は副官副島少佐のいる二番機に指揮を譲る無線を打った。

 その上で──。

「相棒、行くぞ」

 と三笠は後部座席の木村一飛曹に声をかけた。

「はい」

 と若々しい木村一飛曹の声が返ってきた。

 三笠機は速度を上げて、B29の端のやつをねらって突っ込んだ。

 引き金を一杯に絞り、上昇していく。エンジンは不快な音を立て、機体は今にも空中分解するかのように、みしみしとうめきをあげた。

 敵の銃弾が三笠機の左右を通り過ぎる。

 B29の翼に穴が空くのが見えた。

「やった」

 と木村が声をあげた。

 が──。

 ガクンッと衝撃があった。

「木村」

 と三笠は声をかけたが返事は返ってこなかった。

 血の臭いがふわっと押し寄せてきた。

 三笠機はB29の背後を抜け、上昇して爆発した。



 B29隊指揮官フォード少将は、味方の三番機が被弾したことを知った。

 上空には雲が湧いていて、日差しは途絶えている。

「どうだ、飛べるか」

 と三番機に無線を打った。

 返事は返ってこなかった。

 窓から振り返ると、三番機は大きく遅れていた。その三番機に敵が群がっている。まるでさめの群れのようだ。

「司令官、助けますか」

 とクレッチマー機長がいった。

「引き返すというのか」

 とフォード少将。

「はあ」

「だめだ。われわれの役目を忘れるな」

「しかし、ショート少将の艦隊がこちらに向かって艦載機を送り出したといってきています。三十分も稼げれば」

「こいつは爆撃機だぞ。しかもとてつもない爆弾を積んでいるのだ。こいつが爆発したらとんでもないことになる。敵のど真ん中にぶちこむことが、われわれの使命だ」

 二機となったB29は並列状態となって飛行を続行した。

 一番機はさらに高度を上げようとした。

 だが、敵の攻撃の手は緩む気配はなかった。

「まずいですね」

 機長が指揮官フォード少将にいった。

 二番機の翼から黒い糸が伸びているのが窓外に見えた。燃料がれているのだ。

 二番機から連絡が入った。

 このまま飛びつづけることはできるが、高度を上げることはできない。

 いきなり眼前を一機の月光がかすめた。

 かたかたと軽快な音があがった。

 途端にフォード少将の視界がぐらついた。

 機が上昇して敵の攻撃から逃れようとしたのだ。

 銃弾が風防を破って飛び込んだ。

「ジャイロコンパスがやられました。レーダーのアンテナも砕かれています」

 報告が返ってきた。

「修理を急げ」

「ジャイロは直るかもしれません。しかしレーダーの修理は不可能です」

 B29のレーダーは機首に突き出ているのだった。

 どうする。

 フォード少将は迷った。

 だが、冷徹な現実が事態を変化させた。

 二番機の二番プロペラがへたへたと動きを落とすのが見えた。あとは風を受けて回っているだけだ。

 敵機がしつこくまとわりついている。

 二番機は敵を振り切って上昇しようとする。逃すまいと敵は食い下がる。

 ついに翼から炎を発した。

「健闘を祈る」

 二番機はそう通信を残して離脱していく。二番機のエンジンは四個とも停止しようとしていた。

「ウイルバー」

 フォード少将は二番機の機長の名を呼んだ。

 二番機の機体から黒煙が上がった。

 そのままゆっくりと降下していく。

 一番機の機内に悲痛な空気が流れた。

 一番機はさらに高度を上げて雲の中に入った。

 高度一万二千メートル。ここまで追手が迫ることはない。あつ装置のない敵の戦闘機はここまで上昇することはできないのだ。

(やはり、B29は護衛なしで超高度を来ればよかったのだ)

 その思いが頭の中を駆け巡ったが、せんないことと頭の隅に押しやった。

「ジャイロは直ったのか」

 とフォード少将はきいた。

「それが……」

 とウイルバー通信士官がいった。

「レーダーは」

「残念ながら」

 とクレッチマー機長がいった。

「指揮官、いつたん引き返しましょう。このままでは危険です。いつ、敵に見つからないとも限りません」

 一瞬、フォード少将を迷いが襲った。

 原子爆弾は一発きりだ。あとは製造がはじまったといっても、完成までには時間がかかる。

 しかも、事態はひつぱくしていた。

(日本軍はアメリカに東と西から攻撃をしかけている。このままでは国民が納得するまい)

 ──それが大統領の考えだった。今のうちに強力な攻撃をしかけて、アメリカがまだ負けていないことを見せることが何としても必要だ。そういうことである。

 いきなり一番機は雲の中で乱気流に飲み込まれた。

 機体は一気に二千メートル落下し、ほんろうされた。


 ふたたびエンジン音だけが聞こえるようになった。

 雲はなく、敵の姿も見当たらない。

 夜の水平線が広がっている。

 必死で高度を上げ、体勢を立て直した。

「このまま、オアフ島に直行しよう」

 とフォード指揮官はいった。

「ノルデン照準器は健在だ。夜が明ければ肉眼で投下できるでしょう」

 クレッチマー機長がいった。

 一番機は、気分をあらためたように高度一万メートルを維持して飛びはじめた。



「敵は反転して、撤退に移った」

 その報告に、真珠湾の連合艦隊司令部にはほっとした空気が流れた。

 それも一機だけ。

 ただちに追撃がかけられた。

 だが、容易に撃墜することはできない。あまりにも高度が違いすぎるのだ。

 しかし、爆弾を投下するときにはB29も高度を落とさないわけにはいかない。そのときB29は一番、弱点をさらけ出す。

 小沢連合艦隊司令長官は思いを巡らせた。

 敵機が引き返してくる恐れはまずなかった。むしろ、その間に別の攻撃隊が繰り出される可能性はないだろうか。

おとりか?)

 小沢の背中に冷たいものが流れた。

 機動部隊、第五・第六航空戦隊あて電信。

『敵機の位置を捕捉。その状態のまま攻撃は控えよ』

 新たに攻撃があるにしても、今回の一機は無事引き返させてやろうというのが、小沢の考えだった。

 さらに新たな敵に備えて、日本艦隊は東太平洋に散っていった。

 その後、B29の針路は南に北にと変化した。それも直角ではなく蛇行に近い。

「長官、どうかしましたか」

 と山口参謀長が小沢にきいた。

「敵はどうして、発進基地にまっすぐ逃げ込まないのだ」

「日本機の追撃をまこうとしているのでしょう」

「われわれはどうせ手がとどかないのだ。まこうとするのは意味をなさないだろう。それに燃料だってそうはつまい」

「そういえば」

 と山口参謀長も首をかしげた。

「おまけに蛇行している。まるで針路を迷っているように──」

「それだ」

 と小沢長官は手を打った。

「敵は被弾して、ジャイロを壊されているのだ」

「それでも、いずれは帰り着くことができるでしょう」

「待てよ」

 といったときの小沢の顔はこわばっていた。

「もうひとつ可能性がある」

「というと」

「ジャイロが壊れて、針路を誤っているのだ」

「針路を」

「そうだよ。もしかして──いやそんなことが」

 大西は窓外を見たまま、立ちすくんだ。

「長官」

 と山口参謀長が声をかけた。

「いったい、敵がどうしたというのです」

「わからないのか。B29はアメリカ本土に原爆を投下しようとしているのだ」



 まさか──。

 という表情が山口の顔に浮かんだかもしれない。小沢の険しい表情がそれを打ち消した。

「そいつは──因果応報ですな」

 と山口はいった。

「構わないではありませんか」

「確かに、その通りだが──」

 といいながらも小沢の顔は曇った。

「いいのか、そんなことで。新型爆弾は町ひとつを吹っ飛ばしてしまうのだ。たとえ敵国だろうと、そんな惨劇が許されるはずがない」

「しかし、もともと敵はそいつをオアフ島に投下しようとしていたのです。仕方がないではありませんか。第一どうすればいいのです」

「敵に忠告しよう。その機は新型爆弾をアメリカの都市に投下しようとしていると」

「長官、私は同意できません。戦争を続行している今、それは穏やかではありません」

「では、米内さんに報告して、大本営の意見をきこう」



 天皇は、その日、大本営の作戦会議に臨席していた。作戦会議は期せずしてぜん会議と変じていた。

 米国がどうやら新型爆弾を開発し、ハワイ攻撃に乗り出したらしい。しかもB29という四発エンジンの巨大爆撃機を使用してだ。

 そのために連合艦隊は東太平洋に迎撃態勢を敷き、今や遅しと待ち受けたところにB29三機が飛び込んだ。うち二機を撃墜し、一機が逃げ帰っているとの報告を受け、大本営作戦会議は大いに紛糾していた。

 この上は、いかにして米国本土を攻略するか。またも問題はそこにもどっていた。

 とはいうものの、アメリカ本土を攻略できるほどの戦力が日本にあるわけではなかった。作戦がうまくいって、これまで勝ち抜いてきたが、正直いって、ゴムはすっかり伸び切ってしまった印象がある。そのことに天皇ははっきり気づいていた。

 とはいうものの、敵機が尻尾しつぽを巻いて逃げていったという知らせは、心地よいものではあった。

 ともかくも一難は去ったのだから。

 天皇にしたところで同じ気持ちだった。

 天皇は、常に講和の機会をうかがってきた。今回がそのきっかけになればよいが。

 そんな折、永野軍令部長のところへ通信将校がやってきて、耳打ちした。

 永野の顔色がはっと変わった。

「どうしたのだ」

 と近衛総理が気にとめた。

「小沢長官から打診です」

 と永野がいった。

「どうしたのだ」

「小沢はいっています。新型爆弾を搭載したと見られる敵爆撃機は、どうやら針路計に狂いを生じ、米本土をオアフ島と間違えて攻撃しようとしている恐れあり」

「なんだと!」

 と近衛は眼を剝いた。

「敵は間違えて、自国に爆弾を落とすかもしれないといっているのか」

「さようで」

「そんな馬鹿なことはなかろう」

 と東条陸相がいった。

「オアフ島とロスアンゼルスを見間違えるものか」

「確かに。しかし、通信設備が破壊されており、到着予定が夜間ということになれば、あるいは……と」

「結構じゃないか」

 と東条は間髪を入れずいった。

「これで敵も、自国の開発した爆弾の恐ろしさにすくみあがるだろう。米国国民はこぞって軍指導部を非難するだろう。われわれにとってはてんゆうというものではないか。講和の機会もやってくるというものだ」

「それで、小沢くんは何を打診してきたのだ」

「小沢長官は、この件を米国側に通達すべきではないかと」

「なんだと」

 と、今度は東条が眼を剝いた。

「新型爆弾が自国の都市を破壊する恐れがあると、伝えるのです」

 永野がいった。

「つまり、敵の間違いをご親切にも正してやろうというのか」

 と東条。

「まあ、そういうことですな」

 と永野。

「わからんな、なぜ連合艦隊が迷うのか」

 東条は非難するように米内海相を見た。

「いや、わたしにはよくわかります」

 と真っ白な二種軍装の米内がいった。

「小沢くんは、これをきっかけとして、米国と講和を結べるのではないかといっているのです」

「どういうことだね」

「つまり、米側にB29のことを知らせることによって、米国民の被害を防いでやる。それによってわれわれに害意がないことを伝えられるのではないかといっているのです。いかにすべきか、至急返答をいただきたいと」

 と永野。

「すぐに決めることは難しい」

 と近衛が困ったような顔をした。

「そんなことをしていたら、原爆機はアメリカに着いてしまいます」

 と永野がいった。

「近衛」

 と天皇のしつせきが飛び、近衛は飛び上がりそうになって顔を上げた。

「何を迷っておる。そちたちは余の思いを忘れてしまったのか。ただちに小沢に連絡だ。米国海軍あてB29の件を通達せよとな」

「は」

 永野が立ち上がった。

「そして、余は電文を打とう、ルーズベルト大統領に。重ねてB29の件を忠告しようと思うのだ」

 小沢は、米国海軍サンディエゴ司令部に電文を打った。

『B29一機、ジャイロ故障、貴国の都市を誤爆する恐れあり』

 そして、天皇からルーズベルト大統領にも電信が飛んだ。



「なんだ、この電文は」

 天皇からの電文に、ルーズベルト大統領はかっと眼を見開いて、仰天した。

 海軍長官のスターク、陸軍参謀総長のマーシャル、そして軍の上層部のものたちは、大統領を取り巻くようにして、原爆投下の報告が入るのを今か今かと待っているところだった。

 途中、空戦になり、二機のB29が犠牲となったが、残りの一機はそのままオアフ島に向かって作戦を続行するものと期待されていたのである。

 そうまで思い込まねばならぬほど、このときのアメリカは追い詰められていたのだった。

 そんな中で、ハル国務長官がもどってきたとき、その手には電信と翻訳されたペン書きの文章があった。

「この翻訳はわたしがやったものです。ことは急ぎますので」

 ハル国務長官はいったものだ。そして大統領は眼を通し──。

「一番機の行方はつかめていないのか」

 大統領はスターク大将を睨みつけた。

「それが、通信も途絶えています。雲間に向かって逃げ込んだところまでは確認されています。飛行に支障をきたすような破損は見つかりませんでしたから、そのままハワイに向かったものと、われわれは判断しているのですが」

「この電文ではB29は米国本土に向かっているという。しかも、原爆を投下するつもりだという。こんなことがあり得るのか」

 大統領の声は上ずってしまっていた。

「どうして、敵がそれを」

 と海軍長官も電文の翻訳に眼を通していった。

「敵はB29をずっと捕捉していたことになる。それもわが国の西海岸近くまでだ。それほどわれわれの警備は隙だらけなのか。それが恐ろしい」

 大統領がスタークをまたも睨みつけた。海軍長官は眼のやり場に困って恐縮している。

「B29に連絡を取るのだ」

「しかし、無線は通じません」

「戦闘機を出すのだ。グラマンかロッキードの姿を肉眼で見せてやれ。そうすればB29は針路を間違えたことに気づくだろう」

「だめです。夜間のため視認はできません」

「なんということだ」

 大統領は拳を握りしめた。

 日本側はそのことにまで気づいているのだ。

 迷いの尻を叩くように、海軍長官あてにサンディエゴ基地司令官から緊急電話が入った。

「それは……本当か」

 スタークの顔色が変わった。

「どうした」

 とマーシャル参謀総長がきいた。

「基地に敵連合艦隊司令長官から電信です。新型爆弾に気をつけろと」

 時を同じくして、B29が味方に捕捉されたと連絡が入った。

 ただちに戦闘機隊が当該海域に向かった。

「一番機が気づけばすぐに着陸させろ。近海まで入ってだめなら、撃墜しろ」

 大統領の命令が飛んだ──。



 B29一番機の乗組員は疲れていた。

 指揮官のフォード少将は、真っ赤に充血した眼で距離計を見た。すでに空戦海域から二千二百キロ、もう標的に着いてもいいころだった。

 まもなく夜明けだった。

「投下の用意はできているな」

「はい」

 と爆撃士官が緊張した声を出した。

 彼も疲労の極みにあった。

 自らのグループが投じようとしている爆弾の威力がどんなものかは知っている。それを投下すれば、地上では何万という人々が死ぬのだ。それも相手は軍人ではない。民間人なのだ。

 人間なら誰でも迷う。いわば彼は死刑執行人なのだ。

 それをアメリカの勝利のためと何とか割り切って、役目を果そうとしているのだった。だが、時間が経過するにつれて迷いは強まる。

 しまいには一刻も早く爆弾を手放してしまいたいとさえ思うのだった。

 風防の正面にも左右にも夜の雲海が広がっている。

 まるで泥の海を行くようだ。

 相変わらずレーダーも通信も途切れたままだ。機首のアンテナをやられてしまったのだ。

「この雲では、行き過ぎてしまう恐れがあります」

 と機長のクレッチマー大佐がいった。

「よし、下りてみよう」

 とフォード少将がいった。

「雲はどれほどの厚さがあるのだろう」

「まず二千でしょうか」

「よし」

 B29は左の翼から先に機体を下げた。

 ぐんぐん、雲を抜けてゆく。

 風防ガラスに水滴が激しく流れた。存外の雲の厚さである。

 それが途切れる時がきた。いきなり視界がどっと開けたのだ。

「高度六千メートル」

 と機長がいった。

「警戒を厳重にしろ」

「は」

 いっているそばから、操縦士が操縦かんを引いた。

 機体が揺れ、ふたたび上昇を開始した。

 そのとき──。

「敵機です」

 と操縦士の声が飛んだ。

「なに」

 なるほど戦闘機の編隊が駆け上がってくる。

 右からも左からも、接近してくる。

 もはや上昇しても間に合わない。

「戦闘用意」

 フォード少将は命じた。

 銃座が回転をはじめた。

 しかし──。

 不思議なことに敵機は銃撃する様子は見せず、しきりにB29の前方に回り込もうとする。

 機の両側に並行して飛び──それがこちらをかくしているように見えた。

 夜はまだ明けず、月も出てはいなかった。

 その暗黒の空を、赤い標識灯が取り囲んでくる。

 恐怖感が機内に湧き上がった。

 銃撃開始。

 たちまち、敵機が被弾して燃え上がり、後方に飛び去っていった。

 敵機が散開して離れていく。回転銃座の銃弾を受けて、さらに一機が四散した。

 前方に光のかたまりが見えてきた。

「ホノルルです」

 とナビゲーターが上ずった声でいった。

「よし。爆弾を投下する」

 指揮官が命じたが、それは自分にいい聞かせているのかもしれなかった。


10


「そんな馬鹿なことがあってたまるか」

 大統領は味方戦闘機が、B29に撃墜されたとの知らせに顔色をなくした。

「ただちにB29を撃墜しろ」

「しかし──まもなく夜が明けます。そうすれば味方機だとわかるはずです。それまで見張るだけにしたほうがよいと思います」

 とマーシャル参謀総長がいった。

「間に合わない。彼らはサンディエゴに原爆を投下するだろう」


 その間にもB29は海岸に迫っていた。

 夜はまだ明けない。

 海に停泊する艦船が見える。

 爆撃士官は引き金に手をかけていた。ちようさくが引かれると爆撃口が開けられ、どっと風が吹き込んできた。

 高度は六千メートル。

 戦闘機がまたも接近してきた。

 銃撃で追い払おうとした。

 それをくぐり抜けて、戦闘機の群れは今度は銃撃をしかけてきた。

 B29の機体にピシッピシッと銃弾の当たる音がした。

 攻撃は続き、右の翼のナセルから炎を噴き出した。

 片肺飛行に切り換えられた。

 銃座は銃撃を続けた。

 さらに戦闘機が突っ込んでくる。今度は下部の銃座が破壊された。

 そのとき、前方に光の筋があらわれた。

 海岸線があきらかになってゆく。

「これは!」

 フォード少将はぎょっとなった。

「サンディエゴだ」

 サンディエゴのビルの町並みが迫ってくる。

 どうしてそうなったのか、考える余裕はもはやなかった。窓外を見ると、なんと敵機と思って攻撃していた戦闘機はロッキードではないか。

(しまった!)

 心臓をつかまれたような激しい後悔がフォード指揮官を襲った。

 味方が攻撃してきた理由がよくわかった。自分たちは間違えて米国本土を爆撃しようとしていたのだから。急ぎ、弾薬投下室の爆撃士官を呼び出そうと電話機に手を伸ばした。

 通じない。

 操縦士も気づいて機を旋回させようとした。

 仕切りでへだてられた弾薬室で、爆撃士官は引き金を引いた。

 爆撃口から、原子爆弾がガクンッと投下された。


11


 原子爆弾はサンディエゴの港に向かって落下、海面上二百メートルで爆発した。

 海水は吸い上げられ、浮いていた艦船が一斉に引き込まれ、竜巻とともに宙に舞い上がった。

 むくむくときのこぐもが現出した。

 夜明けの光が一瞬さえぎられ、暗黒が辺りを覆い尽くした。

 ついで、朝日がきらりと高熱と蒸気、そして放射能の柱を刺し貫いた。

 その中で舞い上がろうとしているのがB29だった。

 B29が巻き込まれ、姿を消した。

 戦闘機の多くも巻き込まれた。

 爆風は海を沸き立たせ、港湾施設に襲いかかった。

 クレーンガントリーが折れ曲がり、倉庫の屋根がめくれて吹き飛んだ。

 ドックにあった船は陸に乗り上げ、船底をあらわにした。

 ビルのガラスが一斉に吹き飛び、ふんじんが巻き上がる。

 町並みは真っ赤な風に襲われた。

 水が引き、港の海底が露わになった。

 と見ると、今度は津波となってとうを覆った。さんばしはへし折られて、没した。

 朝日が昇る頃、サンディエゴの町にはいくつもの炎が立ち昇り、地獄と化した──。

 神に逆らって滅びた背徳の古代都市ソドムとゴモラ。

 茸雲の上で黒雲が沸き立ち、黒い雨がビル街に降り注ぐ。

 天が泣いている──。

 太平洋戦争における最大の悲劇であり、そして戦争の幕引きだった──。